中原中也が訳したランボー「静寂」Silenceその2
中原中也訳の「静寂」Silenceは
「書物」昭和9年(1934年)1月号に初出しましたから
制作は昭和8年10から11月の間と推定されますが
これは第2次形態とされます。
昭和3年(1928年)制作と推定される草稿が残っているためで
こちらが第1次形態とされます。
「ランボオ詩集」に掲載されたものが
第3次形態になります。
(「新編中原中也全集 第3巻 翻訳・解題篇」より)
◇
第1次形態の草稿は
第4連の最終行と第5連だけが記された
不完全なものですが
この草稿こそ
大岡昇平の回想を裏づける資料の一つにもなっています。
大岡は昭和3年に
中原中也からフランス語を習ったことがあり
その時を回想して次のように記しています――
個人的な回想を記すなら、私は昭和三年、二か月ばかり中原からフランス語を習った。飲み代を家から引き出すための策略だが、「ランボー作品集」をテクストに、一週間の間に各自、一篇を訳して見せ合った。私の記憶では中原が「飾画」を、私が「初期詩篇」を受持った。彼は「眩惑」「涙」「などを、私は「谷間の睡眠者」「食器戸棚」「夕べの辞」「フォーヌの顔」「鳥」「盗まれた心」を訳し、二人で検討した。「盗まれた心」は中原が昭和5年1月「白痴群」第5号に訳載したヴェルレーヌ「ポーヴル・レリアン」の中に含まれている。
(大岡昇平「中原中也」所収「『中原中也全集』解説」より)
――と。
ここに現れる「眩惑」と「静寂」が
同種の原稿用紙に書かれてあることから
昭和3年の制作が推定される根拠になっています。
「静寂」は
中原中也が翻訳に取り組みはじめた
初期の頃の制作ということになります。
◇
大岡昇平は
この回想の前に――
昭和3年に私は中原と知り合ったわけだが、その頃から漠然とランボーの韻文詩を全訳しようという意図を持っていた。小林秀雄も「地獄の季節」「飾画」を訳す意図があり、一部ははじめられていた(「恥」「四行詩」などの訳載が残っている)。偽作「失われた毒薬」を小林は多分大正15年中に中原に渡している。
――と記していますから
長谷川泰子をめぐる中原中也と小林秀雄の
「奇怪な三角関係」が
ランボーの翻訳というシーンで
かたや(中原中也)、韻文へ
かたや(小林秀雄)、散文へと
分化していく前夜の様子が伝わってこようというものです。
この頃、小林秀雄は
ランボーの韻文詩の翻訳に
なんらためらいもなく取り組んでいました。
◇
上京してちょうど3年。
中原中也は大岡昇平を
小林秀雄の紹介で知り
やがて、飲み代を捻出するための
フランス語の勉強会を行う「仲間」になっていたのです。
大岡も
親から金をくすねたのでしょうか?
アルバイトをしていたわけでもなさそうなので
中原中也流の「錬金術」を教わったということでしょうか?
「静寂」を
このフランス語授業の中から生まれたことと知りながら読むと
ランボーは
また格別な味わいがしてきます。
◇
アカシヤの花が煙る樹下で
バラモン僧のように聴くのだ。
4月に、櫂(かい)は
鮮やかな緑よ!
大岡昇平が
「それは、違うなあ」と
文句を言うのが聞えてくるようですが
「おれの訳にケチをつけられてたまるか」と
中也は取り合いません。
◇
あれから7年。
歳時代かが流れ……
中原中也の決定稿は
「書物」に発表されました。
◇
ベルレーヌとの会話が
「イリュミナシオン」に反映されているのであれば
中原中也の訳には
ベルレーヌの匂いがしないでもありません。
いや!
ベルレーヌの影が添う
ランボーの詩を
中原中也は
抉(えぐ)り取るように
訳してみせます。
大岡昇平は
草葉の陰でこれを読み
微笑んでいますか――
脱帽していますか――
*
静寂
アカシヤのほとり、
波羅門僧の如く聴け。
四月に、櫂は
鮮緑よ!
きれいな靄の中にして
フヱベの方(かた)に! みるべしな
頭の貌(かたち)が動いてる
昔の聖者の頭のかたち……
明るい藁塚はた岬、
うつくし甍をとほざけて
媚薬(びやく)取り出しこころみし
このましきかな古代人(びと)……
さてもかの、
夜(よる)の吐き出す濃い霧は
祭でもなし
星でなし。
しかすがに彼等とどまる
――シシリーやアルマーニュ、
かの蒼ざめ愁(かな)しい霧の中(うち)、
粛として!
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。第2連第2行の「ヱ」は、原作では小文字です。編者。
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