中原中也が訳したランボー「母音」Voyellesその6
ベルレーヌの「呪われた詩人たち」の初版は
1884年にパリで刊行され、
シモンズの「象徴主義の文学運動」の初版は
1899年にロンドンで刊行されました。
ランボーの「母音」Voyelleは
これらポール・ベルレーヌとアーサー・シモンズの著作に紹介されたことで
ものすごいスピードで世界中へ広まっていきます。
「母音」がポピュラーになり
ランボーの代表作のように見なされるのは
このような背景があるからですが
シモンズが「象徴主義の文学運動」で紹介した
ランボーの別の作品――「地獄の季節」の一節との繋がりが
読者を「母音」の謎解きへと導くような「仕掛け」に
いつのまにか乗っかっている、
いつのまにかランボーの作品世界の連鎖に入り込んでいる、
読者がそのようにランボーを初体験するから
伝播のスピードが早かったのかもしれません。
巧まずして仕掛けられた作品の連鎖――。
否! ランボーの思惑通りか。
◇
先に見た「地獄の季節」の
「錯乱Ⅱ」の「言葉の錬金術」の一節を
鈴木信太郎の訳ではなく
小林秀雄の訳でもう少し詳しく読んでおきましょう。
◇
小林秀雄は
「ランボオⅢ」で
「言葉の錬金術」について
いまや古典になった論考を展開しているのですが
その小林秀雄も
いちはやく「地獄の季節」を翻訳しています。
鈴木信太郎の「一番弟子」の位置にあった小林秀雄が
戦後すぐに人文書院版「ランボオ全集」が刊行されたとき
師匠・鈴木信太郎に改訳を薦められましたが
その時は行わず
「小林秀雄全集」の発行にあたって改訳したものが
現在、岩波文庫に収められた「地獄の季節」(1938年第1刷)です。
テキストはラコスト版を使用しています。
◇
「錯乱Ⅱ」は
冒頭に「言葉の錬金術」の小見出しが立てられて――
聞き給え。この物語も俺の狂気の一つなのだ。
俺は久しい以前から、世にありとある風景が己(おの)れの掌中にあるのが自慢だった。近代の詩や絵の大家らは、俺の眼には馬鹿馬鹿しかった。
俺は愛した、痴人(ちじん)の絵を、欄間の飾りを、芝居の書割(かきわり)、辻芸人の絵びら、看板、絵草紙を。また、時代遅れの文学を、坊主のラテン語、誤字だらけの春本(しゅんぼん)を、俺たち祖先の物語と仙女の小噺(こばなし)、子供らの豆本、古めかしいオペラ、愚にもつかない畳句(ルフラン)や、あどけない呂律(リトム)やを。
◇
以上が、母音に関する記述の前にあるのですが
シモンズは「象徴主義の文学運動」では
この部分を省略していますから
ややわかりにくい展開になっていました。
ランボーは
現在日本でいう「B級品」のような
「ろくでもないもの」を「俺は愛した」と
それらを列挙しているのです。
「愛した」とは「その中で育ってきた」という意味も込められる一方、
そういうものが「好きだった」ということをも表白しているでしょうか。
胡散臭くて
いかがわしくて
怪しくて
下品で
……
B級品が
値千金になる
これらが
錬金術の材料である――と
そんなことを一言もランボーは言っていませんが
そういうことを言うに違いないと予感をさせるくだりです。
そして
母音の話になります。
◇
俺は母音の色を発明した。――Aは黒、Eは白、Iは赤、Oは青、Uは緑。――俺は子音それぞれの形態と運動とを整調した、しかも、本然の律動によって、幾時(いつ)かはあらゆる感覚に通ずる詩的言辞も発明しようとひそかに希うところがあったのだ。俺は翻訳を保留した。
最初は試作だった。俺は沈黙を書き、夜を書き、描き出す術もないものを控えた。俺は様々な眩暈(げんうん)を定着した。
(以上の引用には、原作にない改行・行空きを加えてあります。また、漢字は一部、新漢字に改めました。編者。)
◇
このように母音については書かれ
「母音」という詩が書かれた理由が
ランボー自身によって
記されたのですから
「母音」の読者が
「地獄の季節」の読者になることは自然の成り行きです。
*
母音
Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oは青、母音たち、
おまへたちの穏密な誕生をいつの日か私は語らう。
A、眩ゆいやうな蠅たちの毛むくぢやらの黒い胸衣(むなぎ)は
むごたらしい悪臭の周囲を飛びまはる、暗い入江。
E、蒸気や天幕(テント)のはたゝめき、誇りかに
槍の形をした氷塊、真白の諸王、繖形花顫動、
I、緋色の布、飛散(とばち)つた血、怒りやまた
熱烈な悔悛に於けるみごとな笑ひ。
U、循環期、鮮緑の海の聖なる身慄ひ、
動物散在する牧養地の静けさ、錬金術が
学者の額に刻み付けた皺の静けさ。
O、至上な喇叭らつぱの異様にも突裂(つんざ)く叫び、
人の世と天使の世界を貫く沈黙。
――その目紫の光を放つ、物の終末!
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。
※ なお、同文庫1990年9月10日発行の第一刷では、第1連で「Oは赤」となっ
ているのは、第2次形態、第3次形態での中原中也の誤記を「ママ」としたもののよう
ですが、ここでは正しました。
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