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2012年3月10日 (土)

中原中也が訳したランボー「母音」Voyelles

「母音」Voyellesは
中原中也訳「ランボオ詩集」の
18番目に配置された作品です。
当然ながら
原典とした第2次ベリション版の配列と同じです。

いよいよ
「初期詩篇」と分類される詩群の
終末部にさしかかりました。

この詩は、
ポール・ベルレーヌの「呪われた詩人たち」の
「アルチュール・ランボオ」をはじめ、
アーサー・シモンズの「象徴主義の文学運動」や、
辰野隆の「信天翁の眼玉」(白水社、大正11年)などで取り上げられていますから
ランボーの作品の中でも
内外でいちはやく有名になり
「代表作の一つ」ということになっています。
(※信天翁は「あほうどり」と読みます。編者。)

岩野泡鳴訳のシモンズ「表徴派の文学運動」(新潮社、大正2年)は
小林秀雄、富永太郎、河上徹太郎ら
中原中也近辺の詩人・文学者のみならず
フランス文学に関心を持つ学生や一般人まで
圧倒的な浸透力で広がっていましたし
東京帝大仏文科の教官・辰野隆や
辰野より少し後に同じ仏文科の教官となった鈴木信太郎が
教室を埋めた満員の学生に向かって
得意気にランボーの話を聞かせていた光景が浮かんできます。

中原中也も
この学生に混じって辰野(や鈴木?)の授業に聞き入っていたことが知られています。

ネクタイを締めた中原中也が
猛者(もさ)や学生服の中で
熱心に耳を傾けていたのを見たことがあると
だれだかがどこかで書いているのですが
いまそれが見つからないので
代わりに
辰野隆が登場する中原中也の日記と書簡を読んでおくことにします。

まず、日記です。

昭和11年(1936年)7月12日

 朝十時頃辰野先生を訪ねたがゴルフに行つてゐて留守。高原を訪ね、一緒に河上
を訪ねたが、これもゴルフ。それより熊岡を訪ね、夜十時半までゐる。お母さんが出て
来て、息子が果して文筆で立てるやどうかと心配そうに云ふから、俺としたことが甚だ
正直に答へたら結局俺を馬鹿にしはじめた。
 熊岡にしたつて同じだ。「自分はニセモノではあるまいか」なぞと弱音を吹きながら、
而も何か俺より偉い気がするのだ。凡ゆる無能の青年がやることは次の形式にまと
めることが出来る。
一、 俺は文学をやらう。
二、 然し俺には出来ないかしら?
三、 ――文学なんて大したものではない!……
 そこで文学をやつてゐる奴を見ると偉いやうな馬鹿なやうな気がして来る。傲慢な
のだか謙遜なのだか分からない人間が出来る。

はじめの所に名前が出てくるだけですが
この日の日記の全文です。

次に、書簡は2件あります。
まず、昭和3年8月7日付け、小林佐規子宛の封書。

表 市外中野町谷戸二四〇五 文化村内 小林佐規子様
裏 冲也

 帰つてゐます。
 辰野から小林へ貸した本を僕に持つて来てくれと頼まれたから、大学の図書館の本
と、辰の印のある本のうち、上にチヤリチヤリ紙をかぶせた本だの厚い本だの、なる
べく上等さうな本を五冊でも十冊でも持って来て下さい。早い方が好い。午後一時迄
なら毎日ゐます。
 僕は辰野に請合つたのだから、持参する本を忘れないやうに。
 七日          冲
佐規子様

もう一つは
昭和7年(1932年)2月5日付け、安原喜弘宛 葉書(速達)

 昨日は留守をして失敬しました
 明土曜夕刻(七時半頃)伺ひます
 (今夜は高森と一緒に辰野さんの所へ出掛ける約束です。もしよろしかつたら渋谷
駅に八時に来て下されば、辰野の所へ行きませう。一時間くらゐゐるつもりです。)
                         怱々

以上は
「新編中原中也全集 第5巻 日記・書簡篇」からの引用です。

早いのが昭和3年、
遅いのが昭和11年ですから
東京に出て来てすぐに
中原中也は辰野隆(たつの・ゆたか)と親しくなり
晩年に至るまでその関係を継続していたことが想像できます。
はじめに仲立ちしたのは、小林秀雄でしたか
案外、そうとは限らないかもしれず
断言はできません。

ランボーや
ほかのフランスの詩人や
文化情勢全般についても
中原中也は
辰野隆から多くの情報を得ていたことがわかります。

 *

 母音

Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oは青、母音たち、
おまへたちの穏密な誕生をいつの日か私は語らう。
A、眩ゆいやうな蠅たちの毛むくぢやらの黒い胸衣(むなぎ)は
むごたらしい悪臭の周囲を飛びまはる、暗い入江。

E、蒸気や天幕(テント)のはたゝめき、誇りかに
槍の形をした氷塊、真白の諸王、繖形花顫動、
I、緋色の布、飛散(とばち)つた血、怒りやまた
熱烈な悔悛に於けるみごとな笑ひ。

U、循環期、鮮緑の海の聖なる身慄ひ、
動物散在する牧養地の静けさ、錬金術が
学者の額に刻み付けた皺の静けさ。

O、至上な喇叭らつぱの異様にも突裂(つんざ)く叫び、
人の世と天使の世界を貫く沈黙。
――その目紫の光を放つ、物の終末!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。
※ なお、同文庫1990年9月10日発行の第一刷では、第1連で「Oは赤」となっているのは、第2次形態、第3次形態での中原中也の誤記を「ママ」としたもののようですが、ここでは正しました。

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