中原中也が訳したランボー「母音」Voyellesその2
「母音」Voyellesは
冒頭連の第2行に
おまへたちの穏密な誕生をいつの日か私は語らう。
――とあるように
フランス語でアウイユオと発音する母音の
誕生の秘密を明かそう、という宣言ではじまるソネットです。
無論、学問的な解答ではありません
詩人ランボーの
いわば「錬金術」の種明かしみたいなものです。
そう考えたほうが気が楽になります。
◇
多くの読みがこの詩についてなされ
おびただしい論文が発表されてきた歴史をもつものですが
それらはあまりに膨大といってよく
現在もなお新しい読みが公表されたりしますから
かえって詩が「学問」の中に閉ざされるきらいがあり
詩の楽しみがかすんでしまいがちなのです。
◇
アー(A)は――黒、
光る蝿で毛むくじゃらの胸部
むごたらしい悪臭のめぐりに跳び廻る、
暗き入海
ウー(E)は――白、
気鬱と陣営の稚淳、
投げられし
誇りかの氷塊、
真白の王、
繖形花の顫へ。
イー(I)は――緋色、
喀かれし血、
美しき脣々の笑ひ、
怒りの裡、
悔悛の熱意の裡になされたる。
ユー(U)は――緑、
天の循環、
蒼寒い海の
はしけやし神々しさ、
獣ら散在せる
牧場の平和、
錬金道士が真摯なる大きい額に刻んだ
皺の平和。
オー(O)は――青、
擘(つんざ)く音の
至上の軍用喇叭、
人界と天界を横ぎる沈黙(しじま)、
菫と閃く天使の眸
◇
第1次形態を分解してみると
このようなことになります。
これはベルレーヌの「呪われた詩人たち」の中の
「アルテュル・ランボオ」に引用されているものを
中原中也が昭和7年に翻訳を試み
一通り完成させたものですが
決定稿ではありません。
第2次形態は
「ランボオ詩抄」のために
昭和10年末から11年6月までの間に
作られたものと推定されていますが
「ランボオ詩集」のための第3次形態とともに
第1次形態とは
見違えるような変更が加えられました。
第3次形態を
分解してみると――
◇
アー(A)は――黒、
眩いやうな蝿たちの
毛むくじやらの黒い胸衣(むなぎ)は
むごたらしい悪臭の周囲を飛びまはる、
暗い入江。
ウー(E)は――白、
蒸気や天幕(テント)のはたゝめき、
誇りかに槍の形をした氷塊、
真白の諸王、
繖形花顫動、
イー(I)は――赤、
緋色の布、
飛散(とばち)つた血、
怒りやまた
熱烈な悔悛に於けるみごとな笑ひ。
ユー(U)は――緑、
循環期、
鮮緑の海の聖なる身慄ひ、
動物散在する
牧養地の静けさ、
錬金術が学者の額に刻み付けた
皺の静けさ。
オー(O)は――青、
至上な喇叭らつぱの
異様にも突裂(つんざ)く叫び、
人の世と天使の世界を貫く沈黙。
その目
紫の光を放つ、
物の終末!
◇
若干、すっきりした感じです。
読みやすくなりました。
これ以上すっきりさせようとすると
「虚勢された猫」みたいな
腑抜けた感じになりがちですから
ここで止めるのが
中原中也の訳です。
*
母音
Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oは青、母音たち、
おまへたちの穏密な誕生をいつの日か私は語らう。
A、眩ゆいやうな蠅たちの毛むくぢやらの黒い胸衣(むなぎ)は
むごたらしい悪臭の周囲を飛びまはる、暗い入江。
E、蒸気や天幕(テント)のはたゝめき、誇りかに
槍の形をした氷塊、真白の諸王、繖形花顫動、
I、緋色の布、飛散(とばち)つた血、怒りやまた
熱烈な悔悛に於けるみごとな笑ひ。
U、循環期、鮮緑の海の聖なる身慄ひ、
動物散在する牧養地の静けさ、錬金術が
学者の額に刻み付けた皺の静けさ。
O、至上な喇叭らつぱの異様にも突裂(つんざ)く叫び、
人の世と天使の世界を貫く沈黙。
――その目紫の光を放つ、物の終末!
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。
※ なお、同文庫1990年9月10日発行の第一刷では、第1連で「Oは赤」となっているのは、第2次形態、第3次形態での中原中也の誤記を「ママ」としたもののようですが、ここでは正しました。
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