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2012年4月28日 (土)

中原中也が訳したランボー「幸福」Bonheur

「幸福」Bonheurに辿りつきました。

季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える、
無疵な魂(もの)なぞ何処にあらう?

――の2行、とりわけ、後の1行が
多くの青春の中で
流行歌の一節(ひとふし)のように
諳(そら)んじられ、
口ずさまれ、
あるいは、心に刻まれ
口から口へと歌い継がれ
若い人々を勇気づけてきました。

そのあたりを鈴木信太郎は

日本に於いてもランボオは古くは先師上田敏に愛読され、その訳詩「酩酊船」の未定稿は1923年に遺稿として発表されたが、まだ一般には識られなかった。昭和初期1930年代に到ると、小林秀雄の激越な「ランボオ論」や、「地獄の季節」や、「酩酊船」の訳詩や、中原中也の「ランボオ詩集」の翻訳が、陸続と発表されて、忽ち若い世代に強烈な影響を与えた。恐らくその頃の青年で、「季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える」や、「また見付かつた、何が、永遠が、海と溶け合ふ太陽が。」などという句を、口遊(くちずさ)まなかったものはあるまい。

――と、昭和27年に刊行した
「ランボオ全集」第1巻の付録「ランボオ手帖」の中に記しています。
(新漢字を使用するなど、現代表記に改めました。編者。)

中原中也訳の「幸福」Bonheuは
「飾画篇」の13番目に配置されています。
「飾画篇」の、あと2篇を残すだけという位置です。

季節(とき)
城寨(おしろ)
無疵な魂(もの)
脱(のが)れ得よう
ゴオルの鶏(とり)
恍惚(とろ)けて

翻訳された詩を読んでいて
はじめに気づくのが
これらの「振り仮名」の
なんともいえない心地よさです。

中原中也は
「振り仮名の名手」と言えるほど
詩句に「ルビ」を振って
詩の言葉に独特の意味を付与したり
語呂をよくして、
音律を整えたりしたりという「技」に
様々なところで念を入れているのですが
この「幸福」は
その「技」が見事に実った例だということに気づくのです。

「ルビ」は
過剰になると
うるさく
暑苦しく
わずらわしく
詩そのものを損ねかねないものですが
この翻訳は
それがなければ「詩の味」が減退してしまうというほどに
「ルビ」が効いているのです。

 *

 幸福

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える、
  無疵な魂(もの)なぞ何処にあらう?

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える、

私の手がけた幸福の
秘法を誰が脱(のが)れ得よう。

ゴオルの鶏(とり)が鳴くたびに、
「幸福」こそは万歳だ。

もはや何にも希ふまい、
私はそいつで一杯だ。

身も魂も恍惚(とろ)けては、
努力もへちまもあるものか。

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える。

私が何を言つてるのかつて?
言葉なんぞはふつ飛んぢまへだ!

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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