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2012年4月29日 (日)

中原中也が訳したランボー「幸福」Bonheuその2

中原中也訳の「幸福」Bonheuは
「翻訳詩ファイル」に記された
七つの未定稿詩篇のうちの一つで
それが「ランボオ詩集」に収録されて
完成稿となった詩篇です。

「翻訳詩ファイル」にある7篇とは、
「(彼の女は帰つた)」(「永遠」の第1次形態)
「ブリュッセル」
「彼女は舞妓か?」
「幸福」
「黄金期」
「航海」の6篇と
ギュスタブ・カーンの詩1篇です。

「幸福」も
「翻訳詩ファイル」が第1次形態、
「ランボオ詩集」が第2次形態になり、
両者には異同が多いことから
別個に翻訳されたものと推定されているのは
「(彼の女は帰つた)」や
「彼女は舞妓か?」と同様です。

また、
中原中也の「幸福」は
昭和12年9月、
「ランボオ詩集」の発行元である
野田書房の雑誌「手帖」に発表され、
これは第2次形態異文となります。

「幸福」は
「地獄の季節」の中で
ランボー自身が引用している詩の一つですが
これを小林秀雄が訳し
昭和5年に発表、
中原中也がこの小林秀雄訳を参照したことは間違いなく
影響の跡がしばしば指摘されてきました。

これらの翻訳を
一つひとつ
見てみましょう。

まずは、
昭和4年~8年の制作(推定)とされる
「翻訳詩ファイル」の「幸福」です。

幸福   

おゝ季節、おゝ砦、
如何なる魂か欠点なき?

おゝ季節、おゝ砦、

何物も欠くるなき幸福について、
げに私は魔的な研究をした。

ゴールの牡鶏が唄ふたびに、
おお生きたりし彼。

しかし私は最早羨むまい、
牡鶏は私の生を負ふた。

この魅惑! それは身も心も奪つた、
そしてすべての努力を散らした。

私の言葉に何を見出すべきか?
それは逃げさり飛びゆく或物!

 おゝ季節、おゝ砦!

(「新編中原中也全集 第3巻 翻訳・本文篇」より)
※ ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

次に
「手帖」に発表した第2次形態異文。

幸福

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える、
  無疵な魂(もの)なぞ何処にあらう?
  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える、

私の手がけた幸福の
秘法を誰が脱(のが)れ得よう
ゴオルの鶏(とり)が鳴くたびに
「幸福」こそは万歳だ。
もはや何にも希ふまい、
私はそいつで一杯だ。
身も魂も恍惚(とろ)けては、
努力もへちまもあるものか。

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える。

私が何を言つてるのかつて?
言葉なんぞはふつ飛んぢまへだ!

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える

(「新編中原中也全集 第3巻 翻訳・解題篇」より)

次に読むのは
「ランボオ詩集」収録の第2次形態です。
昭和11年6月~12年8月28日の間か、
昭和9年9月~10年3月末の間か
いずれかの制作(推定)とされています。

 幸福

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える、
  無疵な魂(もの)なぞ何処にあらう?

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える、

私の手がけた幸福の
秘法を誰が脱(のが)れ得よう。

ゴオルの鶏(とり)が鳴くたびに、
「幸福」こそは万歳だ。

もはや何にも希ふまい、
私はそいつで一杯だ。

身も魂も恍惚(とろ)けては、
努力もへちまもあるものか。

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える。

私が何を言つてるのかつて?
言葉なんぞはふつ飛んぢまへだ!

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

次に
小林秀雄訳「地獄の季節」の中の引用詩ですが、
これには詩題はありません。

季節(とき)が流れる、城砦(おしろ)が見える。
無疵な魂(こころ)が何処にある。

俺の手がけた幸福の
魔法を誰が逃れよう。

ゴオルの鶏(とり)が鳴くごとに、
幸福(あれ)にお礼を言ふことだ。

ああ、何事も希ふまい、
生(いのち)は幸福(あれ)を食ふ過ぎた、

身も魂も奪はれて、
意気地も何もけし飛んだ。

季節(とき)が流れる、城砦(おしろ)が見える。

幸福(あれ)が逃げるとなつたらば、
ああ、臨終(おさらば)の時が来る。

季節(とき)が流れる、城砦(おしろ)が見える。

ざっと読んですぐ分かるのは
「翻訳詩ファイル」の未定稿詩篇の
未完成さです。
直訳に止(とど)めて
声調を整えていないままの感じがあります。
しかし、よく読んでみると
詩の芯を外していませんから
素朴に原詩に触れる感覚を抱かせてくれて
これはこれなりの味を感じることができます。

もう一つは、
第2次形態は
小林秀雄訳の影響をもろに受けていることです。

もろに影響されながらも
用語に微妙な違いを
打ち出そうとしているところがはっきり見えます。

そして、
何度も読んでいると
これでよしとした詩人の心意気さえ感じられてきて
それがまた面白いところです。

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