中原中也が訳したランボー「幸福」Bonheurその3
中原中也訳の「幸福」Bonheurは
昭和初期に
東京帝大仏文科の教授・鈴木信太郎の
「一番弟子」の位置にあった小林秀雄と
その文学仲間であった中原中也とが
コラボレーションで訳したような結果を生んでいるのですが
そのようなことが行われた事実は明らかになっていません。
中原中也と小林秀雄の
この頃の関係は
長谷川泰子をめぐる「奇怪な三角関係」(小林秀雄)にありましたから
まるで「鏡の関係」のように進行していた
ランボーの翻訳をめぐる関係は
背後に沈んでいるかのようです。
泰子をめぐる関係が
どのようなものであったにせよ
中原中也と小林秀雄は
「文学」の中で
「気の置けない仲」でありながら
一触即発の緊張を孕(はら)み続け、
ことさら、
ランボーをめぐっての関係は
一方(中原中也)が韻文詩の翻訳、
一方(小林秀雄)が散文(詩)の翻訳と
それぞれが体重をかける程度を違(たが)える方向を次第に選ぶようになり、
結果として、
韻文は中原中也、
散文は小林秀雄と「棲み分ける」ことになっていきます。
このような話し合いが持たれたわけでもないのに
文学の領域を
一定の時間をかけて
それぞれが選択することになりました。
◇
この二人が
「幸福」を翻訳していた頃に
堀口大学、
西条八十、
金子光晴、
……ら、
ランボーの翻訳に取り組んでいたであろう文学者たちは
「幸福」の同時代訳を発表しませんでしたが
数少ない同時代訳に
一人、大木篤夫の訳がありますので
それをまずみておきましょう。
◇
幸福
おゝ、季節よ、おゝ、城よ、
どんな魂が過(あやま)ちなかろう。
おゝ、季節よ、おゝ、城よ、
俺に習った、幸福の魔法を、
こいつは誰も免れぬ。
おゝ、奴は万歳だ、
勇ましいゴオルの雄鶏(おんどり)が歌う度に。
だが、もう俺は羨むまい、
奴が背負ってるんだ、俺の生活(くらし)は。
この魅力!それが心も身も奪って
すべての努力を蹴散らしたのだ。
俺の言葉が誰に解ろう、
飛んで逃げるようにされちまった。
おゝ、季節よ、おゝ、城よ。
(「近代佛蘭西詩集」1928年、ARS)
※ 新漢字、現代表記に改めました。編者。
◇
大木篤夫の「幸福」は
同じ時代を生き
同じ時代に公開された作品という意味での
中原中也訳の「同時代訳」ですから
中原中也が読んだ可能性が残っていますが
その事実を裏付けるものはありません。
*
幸福
季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える、
無疵な魂(もの)なぞ何処にあらう?
季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える、
私の手がけた幸福の
秘法を誰が脱(のが)れ得よう。
ゴオルの鶏(とり)が鳴くたびに、
「幸福」こそは万歳だ。
もはや何にも希ふまい、
私はそいつで一杯だ。
身も魂も恍惚(とろ)けては、
努力もへちまもあるものか。
季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える。
私が何を言つてるのかつて?
言葉なんぞはふつ飛んぢまへだ!
季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える!
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。
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