中原中也が訳したランボー「朝の思ひ」Bonne Pensée du matinその2
夏、朝の四時に、
愛の眠りはまだ続いている。
木陰の下から蒸発する
祝いの夜の香り。
むこうの、広々とした工事現場では
ヘスペリデスの陽を浴びて、
すでに――シャツ一枚になって――せわしなく動き回る
「大工」たち。
苔むした彼らの「砂漠」では、静かに、
値打ちものの羽目板の準備をしているが
そこに町は
偽の空を描くだろう。
おお、バビロンの王の臣下たる
これらの質素な「労働者」たちのために、
ウェヌスよ! 魂に冠をかぶった
「恋人」たちとしばし別れておくれ。
おお、「羊飼い」たちの王妃よ、
労働者たちにブランデーを運んでこい、
彼らの力が平和のうちにあるように
正午の海で水浴びするまでは。
◇
これは、
ランボー「地獄の季節」の「錯乱Ⅱ」の
「言葉の錬金術」の中に引用された
「Bonne Pensée du matin」の
鈴木創士による訳です。
(「ランボー全詩集」河出文庫より)
次に
同じ鈴木が
「新しい詩」と分類された
いわゆる「後期詩篇」に
「朝の良き思い」のタイトルで訳したものを読みます。
◇
夏、朝四時に、
愛の眠りはまだ続いている。
木立の下で夜明けが立ち昇らせる
祝いの夜の香り。
むこうの巨大な工事現場では
ヘスペリデスの太陽に向かって、
シャツ一枚になった大工たちが
すでにせわしなく動き回っている。
苔むした彼らの砂漠では、静かに、
値打ちものの羽目板の準備をしているが
やがて町の富は偽の空の下で
笑うだろう。
おお! バビロンの王の臣下たる
これらの素敵な「労働者」たちのために、
ウェヌスよ! 魂に冠をかぶった
「恋人」たちを少し放っておいてくれ。
おお、「羊飼い」たちの王妃よ、
労働者たちにブランデーを運んでこい、
彼らの力が平和のうちにあるように
正午に、海で水浴びするまでは。
1872年5月
◇
鈴木創士によれば
前者が「決定稿」ということになりますが
後者が作られた(印刷・製本された)のが1873年ですから
およそ1年の間の「変化」ですが
翻訳で「変化」は理解できても
「進化」を見ることは困難のようです。
「音」についての進化が
きっと二つの詩のバージョンには見られるのでしょうが
それを味わうには、
やはり
フランス語原詩にあたるしかないようです。
◇
小林秀雄訳を
読んでおきましょう。
◇
夏、朝の四時、
愛の睡りはまださめぬ、
木立には、
祭の夜の臭いが立ちまよう。
向うの、広い仕事場で、
エスペリードの陽をうけて、
もう『大工ら』は
肌着一枚で働いている。
苔むした『無人の鏡』に、黙りこくって、
勿体ぶった邸宅を、大工らは組んでいる、
街はやがてその上を、
偽の空で塗り潰そう。
ヴィナスよ、可愛い『職人ども』のために、
バビロンの王の家来たちのために、
暫くは心驕った『愛人たち』を、
離れて来てはくれまいか。
ああ、『牧人たちの女王様』、
大工の強い腕節が、真昼の海の水浴を、
心静かに待つようにと、
酒をはこんで来てはくれまいか。
(「地獄の季節」岩波文庫より)
◇
詩の内容は
大体、同じようなものになりますが
「音」は
原詩=フランス語と日本語では
まるで別物ですから
これを翻訳することは不可能といえましょう。
「色」も
「音」に付随しますから
訳するとなると
かなり困難でしょうが
「意味」の訳とともに
「色」は多少なりとも訳されるかもしれません。
「言葉」の翻訳は
こんな風に単純ではないはずですが
「臭い」とか「温度」とか「空気感」とか……
訳せないものはいくらでもあり
訳せないものを訳そうとしているのですから
「あきれた!」なんて言えないのです。
偉大というしかありません。
◇
「朝の思い」Bonne Pensée du matinに
ランボーは
何を歌いたかったのでしょうか――。
鈴木創士は
「労働者」と「大工」と訳し
小林秀雄と中原中也は「大工」と「職人」と訳した違いがあり
詩の主役は
微妙にニュアンスが異なりますが
ランボーがしばしば
侮蔑し痛罵し唾棄する標的ではなく
「仕事をする人」「働く者」への敬意の表明であるのが
「朝」の清冽さとともに
際立つ詩です。
*
朝の思ひ
夏の朝、四時、
愛の睡気がなほも漂ふ
木立の下。東天は吐き出だしてゐる
楽しい夕べのかのかをり。
だが、彼方(かなた)、エスペリイドの太陽の方(かた)、
大いなる工作場では、
シャツ一枚の大工の腕が
もう動いてゐる。
荒寥たるその仕事場で、冷静な、
彼等は豪奢な屋敷の準備(こしらへ)
あでやかな空の下にて微笑せん
都市の富貴の下準備(したごしらへ)。
おゝ、これら嬉しい職人のため
バビロン王の臣下のために、
ヹニュスよ、偶には打棄(うつちや)るがいい
心驕れる愛人達を。
おゝ、牧人等の女王様!
彼等に酒をお与へなされ
正午(ひる)、海水を浴びるまで
彼等の力が平静に、持ちこたへられますやうに。
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。
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