中原中也が訳したランボー「朝の思ひ」Bonne Pensée du matin
Bonne Pensée du matinは
「地獄の季節」の「錯乱Ⅱ」の「言葉の錬金術」に
「涙」とともに引用されている詩です。
小林秀雄訳と同じく
中原中也も「朝の思ひ」と訳しました。
昭和12年9月発行の「ランボオ詩集」に初めて発表されたもので
「ランボオ詩抄」には収録されていません。
このことから制作時期は
①「ランボオ詩抄」が発行された昭和11年6月以降で
「ランボオ詩集」の原稿を野田書房に持ち込んだ昭和12年8月頃までの間
②建設社版「ランボオ全集」のために翻訳に集中した
昭和9年9月から翌10年3月までの間
――のどちらかであろうと推定されています。
◇
散文で書かれた詩篇である「地獄の季節」には
韻文詩
「涙」
「朝の思ひ」
「最も高い塔の歌」
「飢餓の祭り」
「永遠」
「幸福」
――の6作品がランボー自らによって引用されています。
◇
「朝の思ひ」を読むときに
必ずしも
「地獄の季節」の中の「朝の思ひ」を参照する必要はないのですが
なぜ、「地獄の季節」にランボーが引用したのかを知ることは
「朝の思ひ」という詩を読む手掛かりになりますから
読んでおくにこしたことではありません。
「地獄の季節」に引用されたテキストと
韻文詩篇と分類された「詩集」の中の同一の詩には
異同があり
この異同は単なる異同ではなくて
どちらかがより完成形に近いもの
バージョンの関係であるということなので、
比較して読むとよいらしい。
二つの詩篇を比べて読むと
ランボーの詩が猛スピードで変化していったことを発見できる、と
「ランボー全詩集」(河出文庫)の訳者・鈴木創士が
「解題」の中で明かしています。
鈴木創士は「地獄の季節」中の引用詩が
「詩篇」の詩に対して「決定稿」の位置にあることを案内しています。
そうとなれば
そこにはランボー詩を読む醍醐味(だいごみ)があるはずですから
ぜひともそのように読んでおきたいものですが……。
◇
中原中也は「地獄の季節」を翻訳していませんし
小林秀雄は韻文詩をわずかしか翻訳していませんし
そもそも韻文詩篇と引用詩篇とが
バージョン関係にあるということについて
研究が進んでいなかった時代のランボー翻訳なのですから
残念ながら
中原中也や小林秀雄の訳では
その醍醐味にふれることはできません。
(つづく)
*
朝の思ひ
夏の朝、四時、
愛の睡気がなほも漂ふ
木立の下。東天は吐き出だしてゐる
楽しい夕べのかのかをり。
だが、彼方(かなた)、エスペリイドの太陽の方(かた)、
大いなる工作場では、
シャツ一枚の大工の腕が
もう動いてゐる。
荒寥たるその仕事場で、冷静な、
彼等は豪奢な屋敷の準備(こしらへ)
あでやかな空の下にて微笑せん
都市の富貴の下準備(したごしらへ)。
おゝ、これら嬉しい職人のため
バビロン王の臣下のために、
ヹニュスよ、偶には打棄(うつちや)るがいい
心驕れる愛人達を。
おゝ、牧人等の女王様!
彼等に酒をお与へなされ
正午(ひる)、海水を浴びるまで
彼等の力が平静に、持ちこたへられますやうに。
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。
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