中原中也が訳したランボー「渇の喜劇」Comédie de la Soifその2
中原中也訳「ランボオ詩集 飾画篇」の6番目にある
5章で構成される長詩
「渇の喜劇」Comédie de la Soifを読み進めます。
第3章は、Ⅲ「仲間」です。
◇
おい、酒は浜辺に
波となってあるんだ!
ピリッとくる苦(にが)い酒ビットルは
山の上から流れ出すのさ!
どうだい、手に入れようじゃないか、
緑の柱と見違えるばかり立派なアブサン宮殿……
小生。――何が何やらもう分からなくなってきた。
ひどく、酔ったが勘弁してくれい。
俺は好きだぞ、随分好きだ、
池に漬かって腐るのは、
あの気味悪い苔水のヌルヌルの
漂う丸太のその傍(そば)で。
◇
Ⅳ「哀れな空間」は
会話ではなくなったのか
モノローグでしょうか。
語るのは「俺」です。
◇
恐らくは、とある夕べが俺をまつだろう。
ある古都でな。
その時こそは、静かに飲もう
たらふく飲んで満足して死んでも行こう、
ただそれまでの辛抱だ!
もしも俺の不運も終わり、
お金が手に入ることにでもなったら、
その時はどっちにしたもんか!
北か、それとも南・葡萄の国か?
――まあまあ今からそんなことまで、
空想したって始まらない。
仮に俺がだ、昔流儀の
大旅行家殿になったところで、
あの「緑の色した旅館」が
今どき、存在するわけがない。
◇
第5章「Ⅴ」は「結論」。
◇
草原に震えているフタコエドリ、
追い回される禽獣たち、
水に棲む奴、家畜ども、
瀕死の蝶さえ渇望(かわき)を持ってる。
サバ雲もろとも融けること。
――清々しいこと限りなく
朝の光が、森に満たす清冽。
スミレの上で死ぬこと!
◇
終わりのほうになって
訳詩が
こなれていて
スラスラと読めます。
さば雲もろとも融けること、
――すがすがしさにうべなはれ、
このあたり、名訳といえます。
中原中也は
この詩の訳出を早くから試み
長い間、あたためて
晩年に完成をみたことが知られています。
*
渇の喜劇
Ⅰ
祖先(みおや)
私(わし)達はおまへの祖先(みおや)だ、
祖先(みおや)だよ!
月や青物の
冷(ひや)こい汁にしとど濡れ。
私達(わしたち)の粗末なお酒は心を持つてゐましたぞ!
お日様に向つて嘘偽(うそいつはり)のないためには
人間何が必要か? 飲むこつてす。
小生。――野花の上にて息絶ゆること。
私(わし)達はおまへの祖先(みおや)だ、
田園に棲む。
ごらん、柳のむかふを水は、
湿つたお城のぐるりをめぐつて
ずうつと流れてゐるでせう。
さ、酒倉へ行きますよ、
林檎酒(シイドル)もあればお乳もあります。
小生。――牝牛等呑んでる所(とこ)へゆく。
私(わし)達はおまへの祖先(みおや)。
さ、持つといで
戸棚の中の色んなお酒。
上等の紅茶、上等の珈琲、
薬鑵の中で鳴つてます。
――絵をごらん、花をごらん。
私(わし)達は墓の中から甦(かへ)つて来ますよ。
小生。――骨甕をみんな、割つちやへばよい。
Ⅱ
精神
永遠無窮な水精(みづはめ)は、
きめこまやかな水分割(わか)て。
ヹニュス、蒼天の妹は、
きれいな浪に情けを含めよ。
ノルヱーの彷徨ふ猶太人等は、
雪について語つてくれよ。
追放されたる古代人等は、
海のことを語つてくれよ。
小生。――きれいなお魚(さかな)はもう沢山、
水入れた、コップに漬ける造花だの、
絵のない昔噺は
もう沢山。
小唄作者よ、おまへの名附け子、
水螅(ヒイドル)こそは私の渇望(かわき)、
憂ひに沈み衰耗し果てる
口なき馴染みのかの水螅(ヒイドル)。
Ⅲ
仲間
おい、酒は浜辺に
浪をなし!
ピリツとくる奴、苦味酒(ビットル)は
山の上から流れ出す!
どうだい、手に入れようではないか、
緑柱めでたきかのアプサン宮(きう)……
小生。――なにがなにやらもう分らんぞ。
ひどく酔つたが、勘免しろい。
俺は好きだぞ、随分好きだ、
池に漬つて腐るのは、
あの気味悪い苔水の下
漂ふ丸太のそのそばで。
Ⅳ
哀れな空想
恐らくはとある夕べが俺を待つ
或る古都で。
その時こそは徐かに飲まう
満足をして死んでもゆかう、
たゞそれまでの辛抱だ!
もしも俺の不運も終焉(をは)り、
お金が手に入ることでもあつたら、
その時はどつちにしたものだらう?
北か、それとも葡萄の国か?……
――まあまあ今からそんなこと、
空想したつてはじまらぬ。
仮りに俺がだ、昔流儀の
旅行家様になつたところで、
あの緑色の旅籠屋が
今時(いまどき)あらうわけもない。
Ⅴ
結論
青野にわななく鳩(ふたこゑどり)、
追ひまはされる禽獣(とりけもの)、
水に棲むどち、家畜どち、
瀕死の蝶さへ渇望(かわき)はもつ。
さば雲もろとも融けること、
――すがすがしさにうべなはれ、
曙(あけぼの)が、森に満たするみづみづし
菫の上に息絶ゆること!
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。原作は、本文中「勘免」の「免」に「ママ」の注記があります。編者。
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