中原中也が訳したランボー「渇の喜劇」Comédie de la Soifその3
中原中也は
昭和2年(1927年)8月6日の日記に
ラムボオつて人はほんとに素晴らしいんだ。‘Comédie de la Soif’を読め。
人が一番直接歌ひたいことを実践してゐる。
――と、まさに「渇の喜劇」Comédie de la Soifを名指して
称揚しています。
◇
昭和2年は
泰子とともに上京してから2年、
すでに泰子は小林秀雄と暮らしています。
ランボーの詩を教えた富永太郎は死去、
この年昭和2年に遺稿を集成した私家版詩集が
遺族によって刊行されました。
「朝の歌」を書き上げたのが昭和元年、
詩人はアテネ・フランセへ通いはじめます。
……
河上徹太郎を知るのも
昭和2年春ですし
周りには帝大仏文科の学生もいたであろうし
フランス語のできる友人にめぐまれ
彼らや富永太郎や小林秀雄らの口から
Comédie de la Soifが話題になったことがあったのかもしれません。
自分でメルキュール版ランボー詩集から
見つけ出したのかもしれません。
ところが
この日記から丁度10年後、
昭和12年9月2日付けで
親友・安原喜弘に宛てた書簡に
うまい酒と、呑気な旅行と、僕の理想の全てです。問題は陶然と暮せるか暮せないかの一事です。「さば雲もろとも溶けること!」なんて、ランボオもいやつではありませんか。
(「新編中原中也全集 第5巻 日記・書簡」より。原文ママ。編者。)
――と記すことになります。
ランボー詩の翻訳に取り組みはじめてから
晩年に至るまでの
途絶えることのない
中原中也のこの詩Comédie de la Soiへのこだわりを
ここに見ることができます。
◇
うまい酒、
呑気な旅行、
僕の理想の全て。
陶然と生きることの
詩的表明。
その例として
ランボーの「渇の喜劇」の1行
「さば雲もろとも溶けること!」を
親友に取り出してみせたのです。
◇
「在りし日の歌」の原稿を清書して
小林秀雄に手渡すのは
この手紙を書いて1月もしない日のことでした。
さらば東京!
おお、わが青春!
――と「後記」に記した日付けは
1937.9.23となっています。
この時期に
陶然と生きることを希望し
祈願してきた来し方が
詩人の心の中に確かめられて
自然に
「さば雲もろとも溶けること!」のフレーズが
涌いてきたことが想像できます。
◇
翻訳は
昭和11年6月から昭和12年8月頃の間
または
昭和9年9月から昭和10年3月末の間の
どちらかであろうことが推定されています。
「渇の喜劇」は
「若き晩年」に
ランボーが近くにあったことを
あらためて知る材料の一つです。
*
渇の喜劇
Ⅰ
祖先(みおや)
私(わし)達はおまへの祖先(みおや)だ、
祖先(みおや)だよ!
月や青物の
冷(ひや)こい汁にしとど濡れ。
私達(わしたち)の粗末なお酒は心を持つてゐましたぞ!
お日様に向つて嘘偽(うそいつはり)のないためには
人間何が必要か? 飲むこつてす。
小生。――野花の上にて息絶ゆること。
私(わし)達はおまへの祖先(みおや)だ、
田園に棲む。
ごらん、柳のむかふを水は、
湿つたお城のぐるりをめぐつて
ずうつと流れてゐるでせう。
さ、酒倉へ行きますよ、
林檎酒(シイドル)もあればお乳もあります。
小生。――牝牛等呑んでる所(とこ)へゆく。
私(わし)達はおまへの祖先(みおや)。
さ、持つといで
戸棚の中の色んなお酒。
上等の紅茶、上等の珈琲、
薬鑵の中で鳴つてます。
――絵をごらん、花をごらん。
私(わし)達は墓の中から甦(かへ)つて来ますよ。
小生。――骨甕をみんな、割つちやへばよい。
Ⅱ
精神
永遠無窮な水精(みづはめ)は、
きめこまやかな水分割(わか)て。
ヹニュス、蒼天の妹は、
きれいな浪に情けを含めよ。
ノルヱーの彷徨ふ猶太人等は、
雪について語つてくれよ。
追放されたる古代人等は、
海のことを語つてくれよ。
小生。――きれいなお魚(さかな)はもう沢山、
水入れた、コップに漬ける造花だの、
絵のない昔噺は
もう沢山。
小唄作者よ、おまへの名附け子、
水螅(ヒイドル)こそは私の渇望(かわき)、
憂ひに沈み衰耗し果てる
口なき馴染みのかの水螅(ヒイドル)。
Ⅲ
仲間
おい、酒は浜辺に
浪をなし!
ピリツとくる奴、苦味酒(ビットル)は
山の上から流れ出す!
どうだい、手に入れようではないか、
緑柱めでたきかのアプサン宮(きう)……
小生。――なにがなにやらもう分らんぞ。
ひどく酔つたが、勘免しろい。
俺は好きだぞ、随分好きだ、
池に漬つて腐るのは、
あの気味悪い苔水の下
漂ふ丸太のそのそばで。
Ⅳ
哀れな空想
恐らくはとある夕べが俺を待つ
或る古都で。
その時こそは徐かに飲まう
満足をして死んでもゆかう、
たゞそれまでの辛抱だ!
もしも俺の不運も終焉(をは)り、
お金が手に入ることでもあつたら、
その時はどつちにしたものだらう?
北か、それとも葡萄の国か?……
――まあまあ今からそんなこと、
空想したつてはじまらぬ。
仮りに俺がだ、昔流儀の
旅行家様になつたところで、
あの緑色の旅籠屋が
今時(いまどき)あらうわけもない。
Ⅴ
結論
青野にわななく鳩(ふたこゑどり)、
追ひまはされる禽獣(とりけもの)、
水に棲むどち、家畜どち、
瀕死の蝶さへ渇望(かわき)はもつ。
さば雲もろとも融けること、
――すがすがしさにうべなはれ、
曙(あけぼの)が、森に満たするみづみづし
菫の上に息絶ゆること!
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。原作は、本文中「勘免」の「免」に「ママ」の注記があります。編者。
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