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2012年4月 9日 (月)

中原中也が訳したランボー「渇の喜劇」Comédie de la Soifその3

中原中也は
昭和2年(1927年)8月6日の日記に

ラムボオつて人はほんとに素晴らしいんだ。‘Comédie de la Soif’を読め。
人が一番直接歌ひたいことを実践してゐる。

――と、まさに「渇の喜劇」Comédie de la Soifを名指して
称揚しています。

昭和2年は
泰子とともに上京してから2年、
すでに泰子は小林秀雄と暮らしています。
ランボーの詩を教えた富永太郎は死去、
この年昭和2年に遺稿を集成した私家版詩集が
遺族によって刊行されました。
「朝の歌」を書き上げたのが昭和元年、
詩人はアテネ・フランセへ通いはじめます。
……

河上徹太郎を知るのも
昭和2年春ですし
周りには帝大仏文科の学生もいたであろうし
フランス語のできる友人にめぐまれ
彼らや富永太郎や小林秀雄らの口から
Comédie de la Soifが話題になったことがあったのかもしれません。
自分でメルキュール版ランボー詩集から
見つけ出したのかもしれません。

ところが
この日記から丁度10年後、
昭和12年9月2日付けで
親友・安原喜弘に宛てた書簡に

うまい酒と、呑気な旅行と、僕の理想の全てです。問題は陶然と暮せるか暮せないかの一事です。「さば雲もろとも溶けること!」なんて、ランボオもいやつではありませんか。
(「新編中原中也全集 第5巻 日記・書簡」より。原文ママ。編者。)

――と記すことになります。

ランボー詩の翻訳に取り組みはじめてから
晩年に至るまでの
途絶えることのない
中原中也のこの詩Comédie de la Soiへのこだわりを
ここに見ることができます。

うまい酒、
呑気な旅行、
僕の理想の全て。

陶然と生きることの
詩的表明。

その例として
ランボーの「渇の喜劇」の1行
「さば雲もろとも溶けること!」を
親友に取り出してみせたのです。

「在りし日の歌」の原稿を清書して
小林秀雄に手渡すのは
この手紙を書いて1月もしない日のことでした。

さらば東京!
おお、わが青春!
――と「後記」に記した日付けは
1937.9.23となっています。

この時期に
陶然と生きることを希望し
祈願してきた来し方が
詩人の心の中に確かめられて
自然に
「さば雲もろとも溶けること!」のフレーズが
涌いてきたことが想像できます。

翻訳は
昭和11年6月から昭和12年8月頃の間
または
昭和9年9月から昭和10年3月末の間の
どちらかであろうことが推定されています。

「渇の喜劇」は
「若き晩年」に
ランボーが近くにあったことを
あらためて知る材料の一つです。

 *

 渇の喜劇

     Ⅰ

   祖先(みおや)

私(わし)達はおまへの祖先(みおや)だ、
  祖先(みおや)だよ!
月や青物の
冷(ひや)こい汁にしとど濡れ。
私達(わしたち)の粗末なお酒は心を持つてゐましたぞ!
お日様に向つて嘘偽(うそいつはり)のないためには
人間何が必要か? 飲むこつてす。

小生。――野花の上にて息絶ゆること。

私(わし)達はおまへの祖先(みおや)だ、
  田園に棲む。
ごらん、柳のむかふを水は、
湿つたお城のぐるりをめぐつて
ずうつと流れてゐるでせう。
さ、酒倉へ行きますよ、
林檎酒(シイドル)もあればお乳もあります。

小生。――牝牛等呑んでる所(とこ)へゆく。

私(わし)達はおまへの祖先(みおや)。
  さ、持つといで
戸棚の中の色んなお酒。
上等の紅茶、上等の珈琲、
薬鑵の中で鳴つてます。
――絵をごらん、花をごらん。
私(わし)達は墓の中から甦(かへ)つて来ますよ。

小生。――骨甕をみんな、割つちやへばよい。

     Ⅱ

   精神

永遠無窮な水精(みづはめ)は、
  きめこまやかな水分割(わか)て。

ヹニュス、蒼天の妹は、
  きれいな浪に情けを含めよ。

ノルヱーの彷徨ふ猶太人等は、
  雪について語つてくれよ。

追放されたる古代人等は、
  海のことを語つてくれよ。

小生。――きれいなお魚(さかな)はもう沢山、
     水入れた、コップに漬ける造花だの、
   絵のない昔噺は
     もう沢山。

   小唄作者よ、おまへの名附け子、
     水螅(ヒイドル)こそは私の渇望(かわき)、
   憂ひに沈み衰耗し果てる
     口なき馴染みのかの水螅(ヒイドル)。

     Ⅲ

   仲間

おい、酒は浜辺に
  浪をなし!
ピリツとくる奴、苦味酒(ビットル)は
  山の上から流れ出す!

どうだい、手に入れようではないか、
緑柱めでたきかのアプサン宮(きう)……

小生。――なにがなにやらもう分らんぞ。
   ひどく酔つたが、勘免しろい。

   俺は好きだぞ、随分好きだ、
   池に漬つて腐るのは、
   あの気味悪い苔水の下
   漂ふ丸太のそのそばで。

     Ⅳ

   哀れな空想

恐らくはとある夕べが俺を待つ
或る古都で。
その時こそは徐かに飲まう
満足をして死んでもゆかう、
たゞそれまでの辛抱だ!

もしも俺の不運も終焉(をは)り、
お金が手に入ることでもあつたら、
その時はどつちにしたものだらう?
北か、それとも葡萄の国か?……
――まあまあ今からそんなこと、

空想したつてはじまらぬ。
仮りに俺がだ、昔流儀の
旅行家様になつたところで、
あの緑色の旅籠屋が
今時(いまどき)あらうわけもない。

     Ⅴ

   結論

青野にわななく鳩(ふたこゑどり)、
追ひまはされる禽獣(とりけもの)、
水に棲むどち、家畜どち、
瀕死の蝶さへ渇望(かわき)はもつ。

さば雲もろとも融けること、
――すがすがしさにうべなはれ、
曙(あけぼの)が、森に満たするみづみづし
菫の上に息絶ゆること!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。原作は、本文中「勘免」の「免」に「ママ」の注記があります。編者。

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