中原中也が訳したランボー「渇の喜劇」Comédie de la Soifその4
「渇の喜劇」Comédie de la Soifには
同時代訳として
①西条八十の「渇けるものの劇」
②淀野隆三の「渇きの喜劇(コメデー)」
③小林秀雄の「渇劇」
――の3作品があります。
(「新編中原中也全集」)
◇
小林秀雄は戦後(昭和23年)に出した「ランボオ詩集」(創元社)では
「飾画篇」には入れないで
「韻文詩」の中に
「渇の喜劇」と訳しています。
小林秀雄が
「韻文詩」を訳したのは珍しいことなのですが
「酩酊船」
「渇の喜劇」
「堪忍」
「オフェリヤ」
「谷間に眠る男」
――の計5篇が同書に収録されています。
◇
これに先立つ
昭和8年に「本」に発表されたのが
「渇劇」です。
これが中原中也生存中の発行で、
純然たる同時代訳ということになりますから
中原中也も参照したことがあるかもしれないということで
こちらを読んでみます。
◇
渇劇
小林秀雄訳
Ⅰ
親
俺達がお前の親なのだ、
お前の爺さん婆さんだ。
お月様と、青草の
冷い汗にまみれてさ。
作つた地酒にや脈がうつ。
陰日向のない陽(ひ)を浴びて、
一体人間に何が要る、飲む事さ。
俺――蛮地の河でくたばりたい
俺達がお前の親なんだ、
この野つ原の御先祖様だ。
柳の奥には水が湧く、
湿めつたお城を取巻いて、
見ろ、お堀の水の流れるのを。
俺達の酒倉に下りて来い、
林檎酒(シイドル)もある、牛乳もある。
俺――飲むなら牝牛の飲むとこで。
生みの親なら遠慮はいらぬ、
さあ、飲んでくれ、
戸棚の酒はお好み次第、
なんならお茶か珈琲か、
飛切りのやつが湯沸かしで鳴つてらあ。
見たけりや絵もある花もある。
墓所は見納めとするこつた。
俺――いっそ甕といふ甕が干したいものさ。
Ⅲ
精神
永遠の水の精、
なめらかな水をたちわれ。
青空の妹、ヴィナス、
清らかな波を動かせ。
諾威をさすらふ猶太人、
雪の話をきかせてくれ。
恋しい昔の流刑者よ、
海の話をきかせてくれ。
俺――まつぴらだ、いづれの味(み)のない飲みものさ、
コップに跳る水玉さ。
昔噺や絵姿で、
俺の渇きが癒えようか。
小唄作りよ、聞いてくれ、君が名付けの娘こそ、
気狂ひ染みたこの渇き。
親しい七頭蛇(イドル)にや口がない、
お蔭で俺は身も世もない。
Ⅲ
友達
来給へ、酒は海辺を乱れ走り、
幾百万の波の襀(ひだ)だ。
見給へ、野生の苦味酒(ビテエル)は
山々の頂を切つておとす。
廻国の君子等、どうだ一つ手にいれては、
アブサンの作る緑の列柱……
俺――ふん、結構な景色(けいしょく)だ、
おい、酔つぱらふとはどういふこつた。
池の藻屑と腐るも同じさ、
どうして、よつぽどましかも知れぬ。
むかつくクリイムの下敷きで、
朽木がぶよぶよ浮いてるか。
Ⅳ
あはれな思ひ
どこか古風な村に行き、
心静かに飲むとしよう、
といふ具合な夜が待つてゐるかも知れないさ。
さうして愚図らず死ぬとしよう、
我慢は強い方なんだ。
若しも病ひが疼いて来なけりや、
いくらか金があつたなら、
「北」よしようか、
葡萄の国か。
――やれ、やれ、夢みる柄かなあ。
いやさ、無駄さ、無駄事だ。
いづれはもとの黙阿弥の
旅人姿で帰つて来ても、
緑の旅籠がこの俺に、
開いてゐよう筈はない。
Ⅴ
くゝり
牧場にふるえる鳩たちも、
夜が来るまで追ひまはされる鳥も獣も、
水に棲む生き物も、飼はれた生き物も、
それから秋の蝶々も――みんな喉は渇いてゐるのだ。
よし、当所(あてど)ない浮雲の、とろける処でとろけよう。
ああ、爽やかなものの手よ。
露しいた菫のなかに事切れよう。
明け方が菫の色に野も山も染めてくれぬと限るまい。
(未定稿)
(「新編中原中也全集 第3巻 翻訳・解題篇」より)
◇
まったく別の詩の翻訳を読むような
異なる翻訳であることが分かります。
*
渇の喜劇
Ⅰ
祖先(みおや)
私(わし)達はおまへの祖先(みおや)だ、
祖先(みおや)だよ!
月や青物の
冷(ひや)こい汁にしとど濡れ。
私達(わしたち)の粗末なお酒は心を持つてゐましたぞ!
お日様に向つて嘘偽(うそいつはり)のないためには
人間何が必要か? 飲むこつてす。
小生。――野花の上にて息絶ゆること。
私(わし)達はおまへの祖先(みおや)だ、
田園に棲む。
ごらん、柳のむかふを水は、
湿つたお城のぐるりをめぐつて
ずうつと流れてゐるでせう。
さ、酒倉へ行きますよ、
林檎酒(シイドル)もあればお乳もあります。
小生。――牝牛等呑んでる所(とこ)へゆく。
私(わし)達はおまへの祖先(みおや)。
さ、持つといで
戸棚の中の色んなお酒。
上等の紅茶、上等の珈琲、
薬鑵の中で鳴つてます。
――絵をごらん、花をごらん。
私(わし)達は墓の中から甦(かへ)つて来ますよ。
小生。――骨甕をみんな、割つちやへばよい。
Ⅱ
精神
永遠無窮な水精(みづはめ)は、
きめこまやかな水分割(わか)て。
ヹニュス、蒼天の妹は、
きれいな浪に情けを含めよ。
ノルヱーの彷徨ふ猶太人等は、
雪について語つてくれよ。
追放されたる古代人等は、
海のことを語つてくれよ。
小生。――きれいなお魚(さかな)はもう沢山、
水入れた、コップに漬ける造花だの、
絵のない昔噺は
もう沢山。
小唄作者よ、おまへの名附け子、
水螅(ヒイドル)こそは私の渇望(かわき)、
憂ひに沈み衰耗し果てる
口なき馴染みのかの水螅(ヒイドル)。
Ⅲ
仲間
おい、酒は浜辺に
浪をなし!
ピリツとくる奴、苦味酒(ビットル)は
山の上から流れ出す!
どうだい、手に入れようではないか、
緑柱めでたきかのアプサン宮(きう)……
小生。――なにがなにやらもう分らんぞ。
ひどく酔つたが、勘免しろい。
俺は好きだぞ、随分好きだ、
池に漬つて腐るのは、
あの気味悪い苔水の下
漂ふ丸太のそのそばで。
Ⅳ
哀れな空想
恐らくはとある夕べが俺を待つ
或る古都で。
その時こそは徐かに飲まう
満足をして死んでもゆかう、
たゞそれまでの辛抱だ!
もしも俺の不運も終焉(をは)り、
お金が手に入ることでもあつたら、
その時はどつちにしたものだらう?
北か、それとも葡萄の国か?……
――まあまあ今からそんなこと、
空想したつてはじまらぬ。
仮りに俺がだ、昔流儀の
旅行家様になつたところで、
あの緑色の旅籠屋が
今時(いまどき)あらうわけもない。
Ⅴ
結論
青野にわななく鳩(ふたこゑどり)、
追ひまはされる禽獣(とりけもの)、
水に棲むどち、家畜どち、
瀕死の蝶さへ渇望(かわき)はもつ。
さば雲もろとも融けること、
――すがすがしさにうべなはれ、
曙(あけぼの)が、森に満たするみづみづし
菫の上に息絶ゆること!
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。原作は、本文中「勘免」の
「免」に「ママ」の注記があります。編者。
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