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2012年4月10日 (火)

中原中也が訳したランボー「渇の喜劇」Comédie de la Soifその4

「渇の喜劇」Comédie de la Soifには
同時代訳として

①西条八十の「渇けるものの劇」
②淀野隆三の「渇きの喜劇(コメデー)」
③小林秀雄の「渇劇」

――の3作品があります。
(「新編中原中也全集」)

小林秀雄は戦後(昭和23年)に出した「ランボオ詩集」(創元社)では
「飾画篇」には入れないで
「韻文詩」の中に
「渇の喜劇」と訳しています。

小林秀雄が
「韻文詩」を訳したのは珍しいことなのですが
「酩酊船」
「渇の喜劇」
「堪忍」
「オフェリヤ」
「谷間に眠る男」
――の計5篇が同書に収録されています。

これに先立つ
昭和8年に「本」に発表されたのが
「渇劇」です。
これが中原中也生存中の発行で、
純然たる同時代訳ということになりますから
中原中也も参照したことがあるかもしれないということで
こちらを読んでみます。

渇劇
小林秀雄訳

   Ⅰ
   親

 俺達がお前の親なのだ、
 お前の爺さん婆さんだ。
 お月様と、青草の
 冷い汗にまみれてさ。
 作つた地酒にや脈がうつ。
 陰日向のない陽(ひ)を浴びて、
 一体人間に何が要る、飲む事さ。

俺――蛮地の河でくたばりたい

 俺達がお前の親なんだ、
 この野つ原の御先祖様だ。
 柳の奥には水が湧く、
 湿めつたお城を取巻いて、
 見ろ、お堀の水の流れるのを。
 俺達の酒倉に下りて来い、
 林檎酒(シイドル)もある、牛乳もある。

俺――飲むなら牝牛の飲むとこで。

 生みの親なら遠慮はいらぬ、
 さあ、飲んでくれ、
 戸棚の酒はお好み次第、
 なんならお茶か珈琲か、
 飛切りのやつが湯沸かしで鳴つてらあ。
 見たけりや絵もある花もある。
 墓所は見納めとするこつた。

俺――いっそ甕といふ甕が干したいものさ。

   Ⅲ
   精神

 永遠の水の精、
 なめらかな水をたちわれ。

 青空の妹、ヴィナス、
 清らかな波を動かせ。

 諾威をさすらふ猶太人、
 雪の話をきかせてくれ。

 恋しい昔の流刑者よ、
 海の話をきかせてくれ。

俺――まつぴらだ、いづれの味(み)のない飲みものさ、
 コップに跳る水玉さ。 
 昔噺や絵姿で、
 俺の渇きが癒えようか。

 小唄作りよ、聞いてくれ、君が名付けの娘こそ、
 気狂ひ染みたこの渇き。
 親しい七頭蛇(イドル)にや口がない、
 お蔭で俺は身も世もない。

   Ⅲ
   友達

 来給へ、酒は海辺を乱れ走り、
 幾百万の波の襀(ひだ)だ。
 見給へ、野生の苦味酒(ビテエル)は
 山々の頂を切つておとす。

 廻国の君子等、どうだ一つ手にいれては、
 アブサンの作る緑の列柱……

俺――ふん、結構な景色(けいしょく)だ、
 おい、酔つぱらふとはどういふこつた。

 池の藻屑と腐るも同じさ、
 どうして、よつぽどましかも知れぬ。
 むかつくクリイムの下敷きで、
 朽木がぶよぶよ浮いてるか。

   Ⅳ
   あはれな思ひ

 どこか古風な村に行き、
 心静かに飲むとしよう、
 といふ具合な夜が待つてゐるかも知れないさ。
 さうして愚図らず死ぬとしよう、
 我慢は強い方なんだ。

 若しも病ひが疼いて来なけりや、
 いくらか金があつたなら、
 「北」よしようか、
 葡萄の国か。
 ――やれ、やれ、夢みる柄かなあ。

 いやさ、無駄さ、無駄事だ。
 いづれはもとの黙阿弥の
 旅人姿で帰つて来ても、
 緑の旅籠がこの俺に、
 開いてゐよう筈はない。

   Ⅴ
   くゝり

 牧場にふるえる鳩たちも、
 夜が来るまで追ひまはされる鳥も獣も、
 水に棲む生き物も、飼はれた生き物も、
 それから秋の蝶々も――みんな喉は渇いてゐるのだ。

 よし、当所(あてど)ない浮雲の、とろける処でとろけよう。
 ああ、爽やかなものの手よ。
 露しいた菫のなかに事切れよう。
 明け方が菫の色に野も山も染めてくれぬと限るまい。
                             (未定稿)

(「新編中原中也全集 第3巻 翻訳・解題篇」より)

まったく別の詩の翻訳を読むような
異なる翻訳であることが分かります。

 *

 渇の喜劇

     Ⅰ

   祖先(みおや)

私(わし)達はおまへの祖先(みおや)だ、
  祖先(みおや)だよ!
月や青物の
冷(ひや)こい汁にしとど濡れ。
私達(わしたち)の粗末なお酒は心を持つてゐましたぞ!
お日様に向つて嘘偽(うそいつはり)のないためには
人間何が必要か? 飲むこつてす。

小生。――野花の上にて息絶ゆること。

私(わし)達はおまへの祖先(みおや)だ、
  田園に棲む。
ごらん、柳のむかふを水は、
湿つたお城のぐるりをめぐつて
ずうつと流れてゐるでせう。
さ、酒倉へ行きますよ、
林檎酒(シイドル)もあればお乳もあります。

小生。――牝牛等呑んでる所(とこ)へゆく。

私(わし)達はおまへの祖先(みおや)。
  さ、持つといで
戸棚の中の色んなお酒。
上等の紅茶、上等の珈琲、
薬鑵の中で鳴つてます。
――絵をごらん、花をごらん。
私(わし)達は墓の中から甦(かへ)つて来ますよ。

小生。――骨甕をみんな、割つちやへばよい。

     Ⅱ

   精神

永遠無窮な水精(みづはめ)は、
  きめこまやかな水分割(わか)て。

ヹニュス、蒼天の妹は、
  きれいな浪に情けを含めよ。

ノルヱーの彷徨ふ猶太人等は、
  雪について語つてくれよ。

追放されたる古代人等は、
  海のことを語つてくれよ。

小生。――きれいなお魚(さかな)はもう沢山、
     水入れた、コップに漬ける造花だの、
   絵のない昔噺は
     もう沢山。

   小唄作者よ、おまへの名附け子、
     水螅(ヒイドル)こそは私の渇望(かわき)、
   憂ひに沈み衰耗し果てる
     口なき馴染みのかの水螅(ヒイドル)。

     Ⅲ

   仲間

おい、酒は浜辺に
  浪をなし!
ピリツとくる奴、苦味酒(ビットル)は
  山の上から流れ出す!

どうだい、手に入れようではないか、
緑柱めでたきかのアプサン宮(きう)……

小生。――なにがなにやらもう分らんぞ。
   ひどく酔つたが、勘免しろい。

   俺は好きだぞ、随分好きだ、
   池に漬つて腐るのは、
   あの気味悪い苔水の下
   漂ふ丸太のそのそばで。

     Ⅳ

   哀れな空想

恐らくはとある夕べが俺を待つ
或る古都で。
その時こそは徐かに飲まう
満足をして死んでもゆかう、
たゞそれまでの辛抱だ!

もしも俺の不運も終焉(をは)り、
お金が手に入ることでもあつたら、
その時はどつちにしたものだらう?
北か、それとも葡萄の国か?……
――まあまあ今からそんなこと、

空想したつてはじまらぬ。
仮りに俺がだ、昔流儀の
旅行家様になつたところで、
あの緑色の旅籠屋が
今時(いまどき)あらうわけもない。

     Ⅴ

   結論

青野にわななく鳩(ふたこゑどり)、
追ひまはされる禽獣(とりけもの)、
水に棲むどち、家畜どち、
瀕死の蝶さへ渇望(かわき)はもつ。

さば雲もろとも融けること、
――すがすがしさにうべなはれ、
曙(あけぼの)が、森に満たするみづみづし
菫の上に息絶ゆること!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。原作は、本文中「勘免」の
「免」に「ママ」の注記があります。編者。

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