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« 中原中也が訳したランボー「ミシェルとクリスチイヌ」Michel et Christineその2 | トップページ | 中原中也が訳したランボー「渇の喜劇」Comédie de la Soifその2 »

2012年4月 7日 (土)

中原中也が訳したランボー「渇の喜劇」Comédie de la Soif

Comédie de la Soifは
5章で構成される長詩で
中原中也訳「ランボオ詩集 飾画篇」の6番目にあります。
「渇の喜劇」と訳されています。

なにはともあれ
読んでみることにします。
読まないことには
はじまりませんから。

まずⅠは「祖先」。
「祖先」と書いて「みおや」と読ませるのは
いかにも、宗教心のある中原中也の訳です。

わしたちは、お前のみおや(祖先)だ、
  みおやだよ!
月や青い草々の
冷たい汁にしこたま濡れて。
わしたちの粗末な酒は心を持っていましたぞ!
お天道さまに対してウソイツワリのないためには
人間に何が必要か? 飲むことでさあ。

小生。――野花の上で死ぬことだ。

ここまで読んで
疑問がいくつか残りますが
先に進みます。

わしたちは、お前のみおや(祖先)だ、
  田園に棲んでいる。
ご覧、柳の向うを水は、
湿ったお城の回りをぐるっと回って
ずうっと流れているでしょ。
さあ、酒蔵へ行きますよ、
リンゴ酒もあればミルクもあります。

小生。――牝牛らが飲んでいる所へ行く。

わしたちは、お前のみおや(祖先)。
  さあ、持っておいで
戸棚の中の色んなお酒。
上等の紅茶、上等のコーヒー、
薬缶の中で鳴ってます。
――絵をご覧、花をご覧。
わしたちは、墓の中から蘇って来ますよ。

小生。――骨ツボをみんな、割っちゃえばいい。

祖先(みおや)である「わしたち」が
「お前」である「小生」に語りかけている劇。
「小生」も感想を漏らす――というつくりの劇(=コメディー)のようです。

Ⅱ「精神」へ入ります。

永遠無限の水の精オンディーヌは、
肌理(きめ)細やかな水を分けて。

ビーナス、青空の妹は、
きれいな波に情を込めよ。

ノルウェ-の、さまよえるユダヤ人らは、
雪について語ってくれ。

小生。――きれいなお魚はもう要らない、
       水を入れた、コップに漬ける作り花や、
       絵のない昔話は
       もう沢山。

       小唄作者よ、お前の名づけ役、
       ヒドラ(水蛇)こそは私の渇き、
       憂いに沈み衰弱している
       口のないお馴染みのあのヒドラ。

(つづく)

 *

 渇の喜劇

     Ⅰ

   祖先(みおや)

私(わし)達はおまへの祖先(みおや)だ、
  祖先(みおや)だよ!
月や青物の
冷(ひや)こい汁にしとど濡れ。
私達(わしたち)の粗末なお酒は心を持つてゐましたぞ!
お日様に向つて嘘偽(うそいつはり)のないためには
人間何が必要か? 飲むこつてす。

小生。――野花の上にて息絶ゆること。

私(わし)達はおまへの祖先(みおや)だ、
  田園に棲む。
ごらん、柳のむかふを水は、
湿つたお城のぐるりをめぐつて
ずうつと流れてゐるでせう。
さ、酒倉へ行きますよ、
林檎酒(シイドル)もあればお乳もあります。

小生。――牝牛等呑んでる所(とこ)へゆく。

私(わし)達はおまへの祖先(みおや)。
  さ、持つといで
戸棚の中の色んなお酒。
上等の紅茶、上等の珈琲、
薬鑵の中で鳴つてます。
――絵をごらん、花をごらん。
私(わし)達は墓の中から甦(かへ)つて来ますよ。

小生。――骨甕をみんな、割つちやへばよい。

     Ⅱ

   精神

永遠無窮な水精(みづはめ)は、
  きめこまやかな水分割(わか)て。

ヹニュス、蒼天の妹は、
  きれいな浪に情けを含めよ。

ノルヱーの彷徨ふ猶太人等は、
  雪について語つてくれよ。

追放されたる古代人等は、
  海のことを語つてくれよ。

小生。――きれいなお魚(さかな)はもう沢山、
     水入れた、コップに漬ける造花だの、
   絵のない昔噺は
     もう沢山。

   小唄作者よ、おまへの名附け子、
     水螅(ヒイドル)こそは私の渇望(かわき)、
   憂ひに沈み衰耗し果てる
     口なき馴染みのかの水螅(ヒイドル)。

     Ⅲ

   仲間

おい、酒は浜辺に
  浪をなし!
ピリツとくる奴、苦味酒(ビットル)は
  山の上から流れ出す!

どうだい、手に入れようではないか、
緑柱めでたきかのアプサン宮(きう)……

小生。――なにがなにやらもう分らんぞ。
   ひどく酔つたが、勘免しろい。

   俺は好きだぞ、随分好きだ、
   池に漬つて腐るのは、
   あの気味悪い苔水の下
   漂ふ丸太のそのそばで。

     Ⅳ

   哀れな空想

恐らくはとある夕べが俺を待つ
或る古都で。
その時こそは徐かに飲まう
満足をして死んでもゆかう、
たゞそれまでの辛抱だ!

もしも俺の不運も終焉(をは)り、
お金が手に入ることでもあつたら、
その時はどつちにしたものだらう?
北か、それとも葡萄の国か?……
――まあまあ今からそんなこと、

空想したつてはじまらぬ。
仮りに俺がだ、昔流儀の
旅行家様になつたところで、
あの緑色の旅籠屋が
今時(いまどき)あらうわけもない。

     Ⅴ

   結論

青野にわななく鳩(ふたこゑどり)、
追ひまはされる禽獣(とりけもの)、
水に棲むどち、家畜どち、
瀕死の蝶さへ渇望(かわき)はもつ。

さば雲もろとも融けること、
――すがすがしさにうべなはれ、
曙(あけぼの)が、森に満たするみづみづし
菫の上に息絶ゆること!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。原作は、本文中「勘免」の「免」に「ママ」の注記があります。編者。

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