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2012年4月27日 (金)

中原中也が訳したランボー「彼女は埃及舞妓か?」Est-elle almée?その2

中原中也訳の「彼女は埃及舞妓か?」Est-elle almée?は
第1次形態が
「翻訳詩ファイル」に書かれた草稿「彼女は舞妓か?」で
第2次形態が
「ランボオ詩集」に収録された「彼女は埃及舞妓か?」です。

第1次形態の制作は
昭和4年~8年、
第2次形態は
昭和11年6月~12年8月と推定されていますが、
二つの訳には
大きな異同があり、
それぞれ別個に制作されたものと考えられています。

両作の違いがどんなものか
ここで
翻訳の現場に近づく意味もありますから
並べて読んでおきましょう。

 彼女は舞妓か?

彼女は舞妓か?……最初の青い時間(をり)に
火の花のやうに彼女は崩(くずお)れるだらう……

甚だしく華かな市(まち)が人を喘がす
晴れやかな広袤の前に!

これは美しい! これは美しい! それにこれは必要だ
――漁婦のために海賊の唄のために、

なほまた最後の仮面が剥がれてのち
聖い海の上の夜の祭のためにも!

以上が第1次形態ですが
広袤(こうぼう)という漢語が使われているほかは
分かりやすい用語で
輪郭のはっきりしたイメージが喚起されます。

「広」は東西の、「袤」は南北の長さ。
したがって、面積の意味ですが、
ここでは、港の背後に広がる市街地を指すのでしょうか?

第2次形態では
「壮んな眺め」となって
抽象化が進んだ感じです。

ここは
いったい
どこなのでしょう。

眠りを知らない
海の近くの街の
朝まだき。

酔いの残る体を
かかえた詩人が見た
エジプトの踊り子。

これは
幻か
夢か

海の祭の夜に
船で繰り広げられた小さな宴を
娘の眼は確かに映してたっけが……。

 *

 彼女は埃及舞妓か?

彼女は埃及舞妓(アルメ)か?……かはたれどきに
火の花と崩(くづほ)れるのぢやあるまいか……

豪華な都会にほど遠からぬ
壮んな眺めを前にして!

美しや! おまけにこれはなくてかなはぬ
――海女(あま)や、海賊の歌のため、

だつて彼女の表情は、消え去りがてにも猶海の
夜(よる)の歓宴(うたげ)を信じてた!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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