カテゴリー

2023年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ

« 2012年3月 | トップページ | 2012年5月 »

2012年4月

2012年4月30日 (月)

中原中也が訳したランボー「幸福」Bonheurその3

中原中也訳の「幸福」Bonheurは
昭和初期に
東京帝大仏文科の教授・鈴木信太郎の
「一番弟子」の位置にあった小林秀雄と
その文学仲間であった中原中也とが
コラボレーションで訳したような結果を生んでいるのですが
そのようなことが行われた事実は明らかになっていません。

中原中也と小林秀雄の
この頃の関係は
長谷川泰子をめぐる「奇怪な三角関係」(小林秀雄)にありましたから
まるで「鏡の関係」のように進行していた
ランボーの翻訳をめぐる関係は
背後に沈んでいるかのようです。

泰子をめぐる関係が
どのようなものであったにせよ
中原中也と小林秀雄は
「文学」の中で
「気の置けない仲」でありながら
一触即発の緊張を孕(はら)み続け、
ことさら、
ランボーをめぐっての関係は
一方(中原中也)が韻文詩の翻訳、
一方(小林秀雄)が散文(詩)の翻訳と
それぞれが体重をかける程度を違(たが)える方向を次第に選ぶようになり、
結果として、
韻文は中原中也、
散文は小林秀雄と「棲み分ける」ことになっていきます。

このような話し合いが持たれたわけでもないのに
文学の領域を
一定の時間をかけて
それぞれが選択することになりました。

この二人が
「幸福」を翻訳していた頃に
堀口大学、
西条八十、
金子光晴、
……ら、
ランボーの翻訳に取り組んでいたであろう文学者たちは
「幸福」の同時代訳を発表しませんでしたが
数少ない同時代訳に
一人、大木篤夫の訳がありますので
それをまずみておきましょう。

幸福

おゝ、季節よ、おゝ、城よ、
どんな魂が過(あやま)ちなかろう。

おゝ、季節よ、おゝ、城よ、

俺に習った、幸福の魔法を、
こいつは誰も免れぬ。

おゝ、奴は万歳だ、
勇ましいゴオルの雄鶏(おんどり)が歌う度に。

だが、もう俺は羨むまい、
奴が背負ってるんだ、俺の生活(くらし)は。

この魅力!それが心も身も奪って
すべての努力を蹴散らしたのだ。

俺の言葉が誰に解ろう、
飛んで逃げるようにされちまった。

おゝ、季節よ、おゝ、城よ。

(「近代佛蘭西詩集」1928年、ARS)
※ 新漢字、現代表記に改めました。編者。

大木篤夫の「幸福」は
同じ時代を生き
同じ時代に公開された作品という意味での
中原中也訳の「同時代訳」ですから
中原中也が読んだ可能性が残っていますが
その事実を裏付けるものはありません。

 *

 幸福

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える、
  無疵な魂(もの)なぞ何処にあらう?

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える、

私の手がけた幸福の
秘法を誰が脱(のが)れ得よう。

ゴオルの鶏(とり)が鳴くたびに、
「幸福」こそは万歳だ。

もはや何にも希ふまい、
私はそいつで一杯だ。

身も魂も恍惚(とろ)けては、
努力もへちまもあるものか。

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える。

私が何を言つてるのかつて?
言葉なんぞはふつ飛んぢまへだ!

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年4月29日 (日)

中原中也が訳したランボー「幸福」Bonheuその2

中原中也訳の「幸福」Bonheuは
「翻訳詩ファイル」に記された
七つの未定稿詩篇のうちの一つで
それが「ランボオ詩集」に収録されて
完成稿となった詩篇です。

「翻訳詩ファイル」にある7篇とは、
「(彼の女は帰つた)」(「永遠」の第1次形態)
「ブリュッセル」
「彼女は舞妓か?」
「幸福」
「黄金期」
「航海」の6篇と
ギュスタブ・カーンの詩1篇です。

「幸福」も
「翻訳詩ファイル」が第1次形態、
「ランボオ詩集」が第2次形態になり、
両者には異同が多いことから
別個に翻訳されたものと推定されているのは
「(彼の女は帰つた)」や
「彼女は舞妓か?」と同様です。

また、
中原中也の「幸福」は
昭和12年9月、
「ランボオ詩集」の発行元である
野田書房の雑誌「手帖」に発表され、
これは第2次形態異文となります。

「幸福」は
「地獄の季節」の中で
ランボー自身が引用している詩の一つですが
これを小林秀雄が訳し
昭和5年に発表、
中原中也がこの小林秀雄訳を参照したことは間違いなく
影響の跡がしばしば指摘されてきました。

これらの翻訳を
一つひとつ
見てみましょう。

まずは、
昭和4年~8年の制作(推定)とされる
「翻訳詩ファイル」の「幸福」です。

幸福   

おゝ季節、おゝ砦、
如何なる魂か欠点なき?

おゝ季節、おゝ砦、

何物も欠くるなき幸福について、
げに私は魔的な研究をした。

ゴールの牡鶏が唄ふたびに、
おお生きたりし彼。

しかし私は最早羨むまい、
牡鶏は私の生を負ふた。

この魅惑! それは身も心も奪つた、
そしてすべての努力を散らした。

私の言葉に何を見出すべきか?
それは逃げさり飛びゆく或物!

 おゝ季節、おゝ砦!

(「新編中原中也全集 第3巻 翻訳・本文篇」より)
※ ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

次に
「手帖」に発表した第2次形態異文。

幸福

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える、
  無疵な魂(もの)なぞ何処にあらう?
  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える、

私の手がけた幸福の
秘法を誰が脱(のが)れ得よう
ゴオルの鶏(とり)が鳴くたびに
「幸福」こそは万歳だ。
もはや何にも希ふまい、
私はそいつで一杯だ。
身も魂も恍惚(とろ)けては、
努力もへちまもあるものか。

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える。

私が何を言つてるのかつて?
言葉なんぞはふつ飛んぢまへだ!

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える

(「新編中原中也全集 第3巻 翻訳・解題篇」より)

次に読むのは
「ランボオ詩集」収録の第2次形態です。
昭和11年6月~12年8月28日の間か、
昭和9年9月~10年3月末の間か
いずれかの制作(推定)とされています。

 幸福

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える、
  無疵な魂(もの)なぞ何処にあらう?

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える、

私の手がけた幸福の
秘法を誰が脱(のが)れ得よう。

ゴオルの鶏(とり)が鳴くたびに、
「幸福」こそは万歳だ。

もはや何にも希ふまい、
私はそいつで一杯だ。

身も魂も恍惚(とろ)けては、
努力もへちまもあるものか。

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える。

私が何を言つてるのかつて?
言葉なんぞはふつ飛んぢまへだ!

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

次に
小林秀雄訳「地獄の季節」の中の引用詩ですが、
これには詩題はありません。

季節(とき)が流れる、城砦(おしろ)が見える。
無疵な魂(こころ)が何処にある。

俺の手がけた幸福の
魔法を誰が逃れよう。

ゴオルの鶏(とり)が鳴くごとに、
幸福(あれ)にお礼を言ふことだ。

ああ、何事も希ふまい、
生(いのち)は幸福(あれ)を食ふ過ぎた、

身も魂も奪はれて、
意気地も何もけし飛んだ。

季節(とき)が流れる、城砦(おしろ)が見える。

幸福(あれ)が逃げるとなつたらば、
ああ、臨終(おさらば)の時が来る。

季節(とき)が流れる、城砦(おしろ)が見える。

ざっと読んですぐ分かるのは
「翻訳詩ファイル」の未定稿詩篇の
未完成さです。
直訳に止(とど)めて
声調を整えていないままの感じがあります。
しかし、よく読んでみると
詩の芯を外していませんから
素朴に原詩に触れる感覚を抱かせてくれて
これはこれなりの味を感じることができます。

もう一つは、
第2次形態は
小林秀雄訳の影響をもろに受けていることです。

もろに影響されながらも
用語に微妙な違いを
打ち出そうとしているところがはっきり見えます。

そして、
何度も読んでいると
これでよしとした詩人の心意気さえ感じられてきて
それがまた面白いところです。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年4月28日 (土)

中原中也が訳したランボー「幸福」Bonheur

「幸福」Bonheurに辿りつきました。

季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える、
無疵な魂(もの)なぞ何処にあらう?

――の2行、とりわけ、後の1行が
多くの青春の中で
流行歌の一節(ひとふし)のように
諳(そら)んじられ、
口ずさまれ、
あるいは、心に刻まれ
口から口へと歌い継がれ
若い人々を勇気づけてきました。

そのあたりを鈴木信太郎は

日本に於いてもランボオは古くは先師上田敏に愛読され、その訳詩「酩酊船」の未定稿は1923年に遺稿として発表されたが、まだ一般には識られなかった。昭和初期1930年代に到ると、小林秀雄の激越な「ランボオ論」や、「地獄の季節」や、「酩酊船」の訳詩や、中原中也の「ランボオ詩集」の翻訳が、陸続と発表されて、忽ち若い世代に強烈な影響を与えた。恐らくその頃の青年で、「季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える」や、「また見付かつた、何が、永遠が、海と溶け合ふ太陽が。」などという句を、口遊(くちずさ)まなかったものはあるまい。

――と、昭和27年に刊行した
「ランボオ全集」第1巻の付録「ランボオ手帖」の中に記しています。
(新漢字を使用するなど、現代表記に改めました。編者。)

中原中也訳の「幸福」Bonheuは
「飾画篇」の13番目に配置されています。
「飾画篇」の、あと2篇を残すだけという位置です。

季節(とき)
城寨(おしろ)
無疵な魂(もの)
脱(のが)れ得よう
ゴオルの鶏(とり)
恍惚(とろ)けて

翻訳された詩を読んでいて
はじめに気づくのが
これらの「振り仮名」の
なんともいえない心地よさです。

中原中也は
「振り仮名の名手」と言えるほど
詩句に「ルビ」を振って
詩の言葉に独特の意味を付与したり
語呂をよくして、
音律を整えたりしたりという「技」に
様々なところで念を入れているのですが
この「幸福」は
その「技」が見事に実った例だということに気づくのです。

「ルビ」は
過剰になると
うるさく
暑苦しく
わずらわしく
詩そのものを損ねかねないものですが
この翻訳は
それがなければ「詩の味」が減退してしまうというほどに
「ルビ」が効いているのです。

 *

 幸福

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える、
  無疵な魂(もの)なぞ何処にあらう?

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える、

私の手がけた幸福の
秘法を誰が脱(のが)れ得よう。

ゴオルの鶏(とり)が鳴くたびに、
「幸福」こそは万歳だ。

もはや何にも希ふまい、
私はそいつで一杯だ。

身も魂も恍惚(とろ)けては、
努力もへちまもあるものか。

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える。

私が何を言つてるのかつて?
言葉なんぞはふつ飛んぢまへだ!

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年4月27日 (金)

中原中也が訳したランボー「彼女は埃及舞妓か?」Est-elle almée?その2

中原中也訳の「彼女は埃及舞妓か?」Est-elle almée?は
第1次形態が
「翻訳詩ファイル」に書かれた草稿「彼女は舞妓か?」で
第2次形態が
「ランボオ詩集」に収録された「彼女は埃及舞妓か?」です。

第1次形態の制作は
昭和4年~8年、
第2次形態は
昭和11年6月~12年8月と推定されていますが、
二つの訳には
大きな異同があり、
それぞれ別個に制作されたものと考えられています。

両作の違いがどんなものか
ここで
翻訳の現場に近づく意味もありますから
並べて読んでおきましょう。

 彼女は舞妓か?

彼女は舞妓か?……最初の青い時間(をり)に
火の花のやうに彼女は崩(くずお)れるだらう……

甚だしく華かな市(まち)が人を喘がす
晴れやかな広袤の前に!

これは美しい! これは美しい! それにこれは必要だ
――漁婦のために海賊の唄のために、

なほまた最後の仮面が剥がれてのち
聖い海の上の夜の祭のためにも!

以上が第1次形態ですが
広袤(こうぼう)という漢語が使われているほかは
分かりやすい用語で
輪郭のはっきりしたイメージが喚起されます。

「広」は東西の、「袤」は南北の長さ。
したがって、面積の意味ですが、
ここでは、港の背後に広がる市街地を指すのでしょうか?

第2次形態では
「壮んな眺め」となって
抽象化が進んだ感じです。

ここは
いったい
どこなのでしょう。

眠りを知らない
海の近くの街の
朝まだき。

酔いの残る体を
かかえた詩人が見た
エジプトの踊り子。

これは
幻か
夢か

海の祭の夜に
船で繰り広げられた小さな宴を
娘の眼は確かに映してたっけが……。

 *

 彼女は埃及舞妓か?

彼女は埃及舞妓(アルメ)か?……かはたれどきに
火の花と崩(くづほ)れるのぢやあるまいか……

豪華な都会にほど遠からぬ
壮んな眺めを前にして!

美しや! おまけにこれはなくてかなはぬ
――海女(あま)や、海賊の歌のため、

だつて彼女の表情は、消え去りがてにも猶海の
夜(よる)の歓宴(うたげ)を信じてた!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年4月26日 (木)

中原中也が訳したランボー「彼女は埃及舞妓か?」Est-elle almée?

中原中也訳の「彼女は埃及舞妓か?」Est-elle almée?は
「翻訳詩ファイル」という
中原中也が残した草稿の束(たば)に
ランボーの
「(彼の女は帰つた)」(「永遠」の第1次形態)
「ブリュッセル」
「彼女は舞妓か?」
「幸福」
「黄金期」
「航海」の6篇と
ギュスタブ・カーンの詩1篇の
計7篇の翻訳未定稿が記されてある中の一つで
その第2次形態ということになります。

第1次形態が
「翻訳詩ファイル」に書かれた草稿
「彼女は舞妓か?」で
第2次形態が
「ランボオ詩集」に収録された
「彼女は埃及舞妓か?」ですが
第2次形態のタイトルに「埃及舞妓」とあるのは
原詩のalméeの「和訳」で、
「アルメ」と読みます。

アメリカを亜米利加、
フランスを仏蘭西、
スイスを瑞西などと「当て字」で読んだり
中国語からの「輸入」の場合もあるのと同じで
古くからある国名表記法に拠っています。

Alméeは、フランス語で「アルメ」と発音し、
「(近東の)舞姫」の意味ですが
このアルメに「埃及」と当てたのは
中国語で「エジプト」を「埃及」と書き、
「アイジー」「アイチー」と発音するからでもあり
昔の国名表記の情調を
中原中也も「面白い」と考えて採用したのではないでしょうか――。

ランボーのイリュージョンに現れたエジプトのダンサーを
埃及舞妓という漢字と、
アルメという音(おん)に翻訳したのは
中原中也が使用していたフランス語辞書の記載によるものか
詩人の工夫なのか分かりませんが
果敢な訳です。

第1次形態と
第2次形態との間には
かなりの異同があるため
翻訳は別個に行われたものと推定されています。

ランボーの原作には
末尾に「1872年7月」とある自筆原稿が知られており
「1872年5月」の日付けを持つ詩篇と
同じ流れのグループに属するものと
西条八十は分類しています。

「酔いどれ船」を書き上げ
ベルレーヌと初めて会ってから
1年ほど経過していたでしょうか
1872年はランボーが詩を多産した年で
ベルレーヌとベルギーやロンドンを彷徨した「蜜月期間」でしたが
翌1873年7月のブリュッセル銃撃事件を経て
同年末には「地獄の季節」を完成させた
怒涛の年でした。

彼女はエジプトのダンサーか……かわたれどきに
火の花となってくづおれそうではないか。

豪華な都会に近く
壮大な夜のパノラマに!

美しい! おまけにこれはなくてはならない
――海女や、海賊の歌のためには、

だって彼女の表情は、消えそうでありながら、なお海の
夜の宴を信じきってた!

彷徨するランボーが
どこだかの夜の港湾で見た
イリュージョンのような
リアルではかない
鮮烈な光景。

言葉の錬金術は
このような短詩にも
片鱗を見せます。

中原中也の訳は
ランボーの見たイリュージョンを
壊さないように壊さないように
果敢に
詩の空気のようなものを閉じ込めようとしています。

 *

 彼女は埃及舞妓か?

彼女は埃及舞妓(アルメ)か?……かはたれどきに
火の花と崩(くづほ)れるのぢやあるまいか……

豪華な都会にほど遠からぬ
壮んな眺めを前にして!

美しや! おまけにこれはなくてかなはぬ
――海女(あま)や、海賊の歌のため、

だつて彼女の表情は、消え去りがてにも猶海の
夜(よる)の歓宴(うたげ)を信じてた!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年4月25日 (水)

中原中也が訳したランボー「最も高い塔の歌」Chanson de la plus haute Tourその4

「最も高い塔の歌」Chanson de la plus haute Tourは
作者ランボー自らが
「地獄の季節」の「錯乱Ⅱ」「言葉の錬金術」の中に引用したために
より強い浸透力で世界中に広まりましたが、
日本でも小林秀雄の個性的な翻訳が
強烈なインパクトをもって伝播しました。

その小林秀雄が
「地獄の季節」の翻訳に先駆けて世に問うたのが
大正15年(昭和元年)に発表した
評論「人生斫断家アルチュル・ランボオ」でした。

ランボー批評と
同時並行的に翻訳は進められ
「小林秀雄のランボー」は浸透しました。

「最も高い塔の歌」は
このようにして
二重三重に案内され
ランボーの名前が広まるに従って広まりましたが
同時に
ランボーの「白鳥の歌」として読まれたために
ますます世界中の人々の記憶に
とどめられることになります。

ここで、
「地獄の季節」について
ランボー伝を著わした
マタラッソーとプティフィスの記録を引いておきましょう。

「地獄の季節」が
どのような「位置」にある書物であるのか、
手っ取り早く知っておいたほうがよいでしょうから。

ヴェルレーヌの言葉を借りれば、ダイヤモンドのような散文で書かれたこの「驚くべき自叙伝」は、単に一篇の詩作品であるばかりでなく、悲痛な精神的危機の証言である。これはまた「イリュミナシヨン」の鍵でもある。

近代の聖書といわれる「地獄の季節」は、ランボーの天才の絶頂を示すものだ。19歳にもならぬうちに書かれ、ベートーベンのような崇高な音楽的高揚を想わせるその驚嘆すべき頁には、天才の嵐が吹きまくっている。一条の聖なる光芒がランボーの受難史を照らしたのだ。これはおそらくフランス語で書かれた最も美しく、最も劇的な作品である。

(マタラッソー、プティフィス著、粟津則雄、渋沢孝輔訳「ランボーの生涯」筑摩叢書)

「最も高い塔の歌」をより深く読むことと
「地獄の季節」をどう読むかということとは切り離せないということになりますが
ここでは
ランボーの受難が
「地獄の季節」を書くことによって
「イリュミナシヨン」への一歩となったことを念頭に止めておきます。

ランボーが、
危機の中で聴いた
最も高い塔の歌――。

それが
どんな歌だったのかに
耳を澄ませます。

 *

 最も高い塔の歌

何事にも屈従した
無駄だつた青春よ
繊細さのために
私は生涯をそこなつたのだ、

あゝ! 心といふ心の
陶酔する時の来らんことを!

私は思つた、忘念しようと、
人が私を見ないやうにと。
いとも高度な喜びの
約束なしには

何物も私を停めないやう
厳かな隠遁よと。

ノートルダムの影像(イマージュ)をしか
心に持たぬ惨めなる
さもしい限りの
千の寡婦等も、

処女マリアに
祈らうといふか?

私は随分忍耐もした
決して忘れもしはすまい。
つもる怖れや苦しみは
空に向つて昨日去(い)つた。

今たゞわけも分らぬ渇きが
私の血をば暗くする。

忘れ去られた
牧野ときたら
香(かをり)と毒麦身に着けて
ふくらみ花を咲かすのだ、

汚い蠅等の残忍な
翅音(はおと)も伴ひ。

何事にも屈従した
無駄だつた青春よ、
繊細さのために
私は生涯をそこなつたのだ。

あゝ! 心といふ心の
陶酔する時の来らんことを!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年4月24日 (火)

中原中也が訳したランボー「最も高い塔の歌」Chanson de la plus haute Tourその3

中原中也訳の「最も高い塔の歌」Chanson de la plus haute Tourは
「地獄の季節」の「錯乱Ⅱ」「言葉の錬金術」の中に
「涙」
「朝の思ひ」
「飢餓の祭り」
「永遠」
「幸福」とともに引用される詩の一つです。

「地獄の季節」は
小林秀雄の翻訳で読むと、

序詞(と、ここでは呼んでおきます。リード=前文のこと)
「悪胤」
「地獄の夜」
「錯乱Ⅰ」(「狂気の処女」「地獄の夫」)
「錯乱Ⅱ」(「言葉の錬金術」)
「不可能」
「光」
「朝」
「別れ」
――という「散文詩」で構成されています。

これらは、
末尾に1873年、4月―8月という日付けがあり
1872年に作られた単独詩のアップ・バージョンの位置にあります。

中原中也とこの詩「最も高い塔の歌」との接触は

① 富永太郎が片瀬江の島に転地療養中の大正14年、
② 小林秀雄の処女批評「人生斫断家アルチュル・ランボオ」を通じて
――と、早い時期に少なくとも2度あったことが確認されています。

①は、大岡昇平が
「富永太郎――書簡を通して見た生涯と作品」の中に
小林秀雄と中原中也が富永太郎を見舞った時のことを記録し、
「最も高い塔の歌」のフレーズを巡って
具体的に交わされた会話が明かされています。

②は、小林秀雄が大正15年、
「仏蘭西文学研究」第1号に発表したランボー論で
中に「最高塔の歌」のタイトルで一部を引用、
中原中也は、
同年12月7日付けの小林宛書簡で
この論文を「面白く読んだ」などと書き送っています。

中原中也は、
早い時期に「最も高い塔の歌」に触れていたのですが
昭和2年には
「小詩論」の題で
この詩の一部を引用して
詩論を書いているほどのこだわりを見せています。

「最も高い塔の歌」の

今たゞわけも分らぬ渇きが
私の血をば暗くする。

――の行に対応したかのように

そして僕の血脈を暗くしたものは、
「対人圏の言葉」なのです。

――などと記して、
この「小詩論」の結語としているのですから、
この詩に並々ならぬ関心を寄せていたことが分かりますし、
「対人圏の言葉」とあるのは
「山羊の歌」集中の自作詩のいくつかに使われている
中原中也独特のボキャブラリーに通じています。

有名な「修羅街輓歌」のフレーズで

それにしても私は憎む、
対外意識にだけ生きる人々を。
――パラドクサルな人生よ。

――を、ただちに連想してもたいして的外れではないでしょう。

ランボーの翻訳に使うボキャブラリーと
自作創作詩に使う言葉が
相当早い時期に
中原中也の中で交錯していたことを
「最も高い塔の歌」への接触の跡に
垣間見ることができるのは
驚きです。

 *

 最も高い塔の歌

何事にも屈従した
無駄だつた青春よ
繊細さのために
私は生涯をそこなつたのだ、

あゝ! 心といふ心の
陶酔する時の来らんことを!

私は思つた、忘念しようと、
人が私を見ないやうにと。
いとも高度な喜びの
約束なしには

何物も私を停めないやう
厳かな隠遁よと。

ノートルダムの影像(イマージュ)をしか
心に持たぬ惨めなる
さもしい限りの
千の寡婦等も、

処女マリアに
祈らうといふか?

私は随分忍耐もした
決して忘れもしはすまい。
つもる怖れや苦しみは
空に向つて昨日去(い)つた。

今たゞわけも分らぬ渇きが
私の血をば暗くする。

忘れ去られた
牧野ときたら
香(かをり)と毒麦身に着けて
ふくらみ花を咲かすのだ、

汚い蠅等の残忍な
翅音(はおと)も伴ひ。

何事にも屈従した
無駄だつた青春よ、
繊細さのために
私は生涯をそこなつたのだ。

あゝ! 心といふ心の
陶酔する時の来らんことを!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年4月23日 (月)

中原中也が訳したランボー「最も高い塔の歌」Chanson de la plus haute Tourその2

中原中也訳の「最も高い塔の歌」Chanson de la plus haute Tourの
「最も高い塔」とは
そもそも何のことでしょうか?
「歌」=Chansonも気になりますが

屈従した青春、
無駄だった青春、
繊細さのために
生涯をそこなった

――と歌う詩が「最も高い塔」というタイトルを持つこと自体が
「ランボーという謎」です。

それは
詩の中にしか答えのない謎です。
その筈(はず)ですから
詩を読む中で
答えを見つけ出していくほかにありません。

そのようにして
ふたたび
詩を読んでいくと……。

これに続く行の

あゝ! 心といふ心の
陶酔する時の来らんことを!

――の「陶酔」のことではないか

「最も高い塔の歌」とは
この「陶酔」、
「心と心の」「陶酔」を指すのではないか、と思えてきます。

ランボーは
自らを振り返ります。

私は思つた、忘念しようと、
人が私を見ないやうにと。
いとも高度な喜びの
約束なしには

何物も私を停めないやう
厳かな隠遁よと。

――と。
これが、いつの時代か
ランボーの履歴のいつごろのことだか
断定できませんが
振り返った過去の早い時期。
それから、次の時期が、

ノートルダムの影像(イマージュ)をしか
心に持たぬ惨めなる
さもしい限りの
千の寡婦等も、

処女マリアに
祈らうといふか?

――と歌う(シャンソン)ことができる期間。

そして、
その次が

私は随分忍耐もした
決して忘れもしはすまい。
つもる怖れや苦しみは
空に向つて昨日去(い)つた。

今たゞわけも分らぬ渇きが
私の血をば暗くする。

――の時期。

そしてまた、次の時期は、

忘れ去られた
牧野ときたら
香(かをり)と毒麦身に着けて
ふくらみ花を咲かすのだ、

汚い蠅等の残忍な
翅音(はおと)も伴ひ。

――という時期。

いくつかの時期を経過して
それらの過去は、

何事にも屈従した
無駄だつた青春よ、
繊細さのために
私は生涯をそこなつたのだ。

――という青春だった。

であるから

あゝ! 心といふ心の
陶酔する時の来らんことを!

――と、
「最も高い塔の歌」を
俺は歌う……。

「地獄の季節」「錯乱Ⅱ」の「言葉の錬金術」では
1年ほど前に歌った、
この「最も高い塔の歌」が
過去の産物になります。

俺の性格はとげとげしくなっていった。恋愛詩(ロマンス)の類の詩のなかで、俺はこの世に別れを告げていたのだ。

――という述懐になるのです。

再び、では、
「この世に別れを告げていた」というのは、「死」を意味するのか?
でなければ、何に対しての別れか?
――という問いを問うことになります。

その答えは
もはや
「最も高き塔の歌」の中には求められず
ランボーの行動の中に求められるだけのことになります。

 *

 最も高い塔の歌

何事にも屈従した
無駄だつた青春よ
繊細さのために
私は生涯をそこなつたのだ、

あゝ! 心といふ心の
陶酔する時の来らんことを!

私は思つた、忘念しようと、
人が私を見ないやうにと。
いとも高度な喜びの
約束なしには

何物も私を停めないやう
厳かな隠遁よと。

ノートルダムの影像(イマージュ)をしか
心に持たぬ惨めなる
さもしい限りの
千の寡婦等も、

処女マリアに
祈らうといふか?

私は随分忍耐もした
決して忘れもしはすまい。
つもる怖れや苦しみは
空に向つて昨日去(い)つた。

今たゞわけも分らぬ渇きが
私の血をば暗くする。

忘れ去られた
牧野ときたら
香(かをり)と毒麦身に着けて
ふくらみ花を咲かすのだ、

汚い蠅等の残忍な
翅音(はおと)も伴ひ。

何事にも屈従した
無駄だつた青春よ、
繊細さのために
私は生涯をそこなつたのだ。

あゝ! 心といふ心の
陶酔する時の来らんことを!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年4月22日 (日)

中原中也が訳したランボー「最も高い塔の歌」Chanson de la plus haute Tour

中原中也訳の「最も高い塔の歌」Chanson de la plus haute Tourは
「飾画篇」の11番目にありますが、
「五月の旗」(中原中也訳は「忍耐」)
「永遠」
「黄金時代」とともに
「忍耐の祭」のタイトルで一つの組詩を構成する、
というのがメッサン版などの解釈です。

第2次ベリション版を原典とする中原中也訳は
単独の詩として扱います。

「永遠」などと同様に
メッサン版「ランボー詩集」に依拠するテキストは
詩本文末尾に「1872年5月」と付され、
詩句の配列などにも
第2次ベリション版とは異同があります

また、「地獄の季節」に
バリアントが引用されているのも
「永遠」などと同様です。

何事にも屈従した
無駄だった青春よ

――とはじまるフレーズが強烈な印象を残し
そのルフランが終わり近くに現れて
また印象的な詩です。

ランボーに
何が起ったのだろうか、
何を言わんとしているのだろうか、と
自然に目を凝らすポーズになりますが
同時に、
中原中也が
「在りし日の歌」の「後記」に
「さらば東京!おお、わが青春!」と記したのが
オーバーラップしてきたりもします。

1872年5月は
ランボー17歳
誕生日は10月20日です。

「地獄の季節」は
1873年11月完成だとすると、19歳――。

青春の真っ只中に
青春を振り返る
ランボー。

屈従した青春
無駄だった青春
……

繊細さのために
生涯をそこなった
……

「地獄の季節」では
「錯乱Ⅱ」の「言葉の錬金術」の中で
「涙」
「朝の思ひ」の後に引用されます。

「最も高い塔の歌」を引用する前に、

それから俺は語の幻覚を使って俺の魔術的な詭弁(ソフィスム)を説明したのだ!

俺はとうとう自分の精神の混乱を聖なるものと思うようになった。
俺は重い熱病にさいなまれて何もしないでぶらぶらしていた。動物たちの至福がうらやましかった、――辺獄(リンボ)の無垢を象徴する毛虫たちや、処女性の眠りであるモグラが!

俺の性格はとげとげしくなっていった。恋愛詩(ロマンス)の類の詩のなかで、俺はこの世に別れを告げていたのだ。(鈴木創士訳。改行を加えてあります。編者。)

――と、ランボーは述べています。

「この世に別れを告げていた」という断言に続いて
「最も高い塔の歌」が引用されたということは
この詩が「別れ」を告げた詩であるということなのか。
「この世に別れ」というのは、「死」を意味するのか。
でなければ、何に対しての別れか。

解釈は
さまざまにできますが、

屈従した青春、
無駄だった青春、
繊細さのために
生涯をそこなった

などとはじまる詩のリードとして
すんなり繋がっていきます。

繋がったところで
読み進めましょう。

ああ! 心という心の
陶酔する時が来てくれればいい!

私は思った、もう忘れてしまおうと、
人が私を見ないようにと。
とても高度な喜びの
約束なしには

何物も私を止めないように
厳かな隠棲なのだ。

ノートルダムのイメージをしか
心に持たない惨めな
さもしい限りの
後家さんたちも、

マリア様に
祈ろうというのか?

私はずいぶん忍耐した
決して忘れることはない。
積もる怖れや苦しみは
空に向かって昨日去った。

今はただ理由もわからぬ渇望が
私の血を暗くする。

忘れ去られた
野原といえば
香りと毒麦を着けては
膨らんだ花を咲かせるのだ。

きたないハエどもの残忍な
羽音をともなって。

何事にも屈従した
無駄だった青春よ、
繊細さのために
私は生涯を損なったのだ。

ああ! 心という心の
陶酔する時が来てくれればいい!

 *

 最も高い塔の歌

何事にも屈従した
無駄だつた青春よ
繊細さのために
私は生涯をそこなつたのだ、

あゝ! 心といふ心の
陶酔する時の来らんことを!

私は思つた、忘念しようと、
人が私を見ないやうにと。
いとも高度な喜びの
約束なしには

何物も私を停めないやう
厳かな隠遁よと。

ノートルダムの影像(イマージュ)をしか
心に持たぬ惨めなる
さもしい限りの
千の寡婦等も、

処女マリアに
祈らうといふか?

私は随分忍耐もした
決して忘れもしはすまい。
つもる怖れや苦しみは
空に向つて昨日去(い)つた。

今たゞわけも分らぬ渇きが
私の血をば暗くする。

忘れ去られた
牧野ときたら
香(かをり)と毒麦身に着けて
ふくらみ花を咲かすのだ、

汚い蠅等の残忍な
翅音(はおと)も伴ひ。

何事にも屈従した
無駄だつた青春よ、
繊細さのために
私は生涯をそこなつたのだ。

あゝ! 心といふ心の
陶酔する時の来らんことを!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年4月21日 (土)

中原中也が訳したランボー「永遠」Éternitéその4

中原中也が「永遠」Éternitéの翻訳を開始したのは
昭和4年という
興味深いデータがあります。

角川全集の編集が
便宜的に名付けた「翻訳詩ファイル」という
中原中也が残した草稿の束(たば)がありますが
そこにランボーの
「(彼の女は帰つた)」
「ブリュッセル」
「彼女は舞妓か?」
「幸福」
「黄金期」
「航海」や
ギュスタブ・カーンの詩1篇の
計7作の翻訳未定稿が記されてあります。

このファイルの
第1ページにあるのが
無題の「(彼の女は帰つた)」ですが
これが「永遠」のルフランの部分で
最終連、つまり第6連の「試訳」と推定されているのです。

このファイルは
昭和4年から8年の間に使われていたときには
大学ノートでしたが
後の「ランボオ全集」の翻訳のために
旧訳の書かれたこのノートをばらして
ホッチキスでまとめて利用したものと考証されています。

彼の女は帰つた。
何? 永遠だ。
これは行つた海だ
太陽と一緒に。
(「新編中原中也全集 第3巻 翻訳・本文篇」)
――という内容で、
「永遠」の第1次形態とされています。

また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。

――となって「ランボオ詩集」に収録されたのが
現在読める第2次形態ですが
このバージョンアップの過程こそ
中原中也のランボー受容の歴史の象徴であり
日本におけるランボー翻訳史の1断面といえるほどのものです。

ランボー研究は
やがて
「地獄の季節」中に引用された詩篇を決定稿とし
それ以前に作られた詩との間に
「ジャンプ」があったという流れに定着しますが
そうした研究が浸透する以前の
中原中也や小林秀雄ら
「初期のランボー翻訳」(明治期の取り組みを考慮すれば「第2期」?)の
苦闘の跡がここに見られるということです。

この翻訳が記されたのと同一のページには
中原中也がフランス語の動詞と成句を学習した
練習筆記がぎっしりと書き込まれていますのは
この苦闘を物語る1側面です。

帝大や早稲田、慶応の仏文科や
東京外語学校、アテネ・フランセといった場での学習は
個人の血の滲むような勉強なくして
成就できませんでした。

「ランボオ詩集」の「後記」の末尾に

終りに、訳出のその折々に、教示を乞うた小林秀雄、中島健蔵、今日出海の諸兄に、厚く御礼を申述べておく。

――と中原中也が記しているのは、
個人の勉強では届かず、
折りにふれては友人・知己に助力を求めたことに
自然な敬意を表しているものに違いありません。

「永遠」の第1連と最終第6連のルフランは
このようにして訳出され
今なお、存在感たっぷりの名訳であることに変わりませんが
「ランボオ詩集」の「後記」には
「永遠」の、

繻子の色した深紅の燠よ、
それそのおまへと燃えてゐれあ
義務(つとめ)はすむといふものだ、

――と、第5連の3行を、
若干、語句を変えて引用しています。

「永遠」を
それほどに
思い入れを込めていることの意味が
少しは見えつつあります。

 *

 永遠

また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。

見張番の魂よ、
白状しようぜ
空無な夜(よ)に就き
燃ゆる日に就き。

人間共の配慮から、
世間共通(ならし)の逆上(のぼせ)から、
おまへはさつさと手を切つて
飛んでゆくべし……

もとより希望があるものか、
願ひの条(すぢ)があるものか
黙つて黙つて勘忍して……
苦痛なんざあ覚悟の前。

繻子の肌した深紅の燠よ、
それそのおまへと燃えてゐれあ
義務(つとめ)はすむといふものだ
やれやれといふ暇もなく。

また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年4月20日 (金)

中原中也が訳したランボー「永遠」Éternitéその3

Éternitéの、
第1連と最終連は
同一詩句の繰り返し=ルフランですが
これがどのように訳されているか
この4行だけを
色々な訳で
手あたり次第
読んでみることにしましょう。

「地獄の季節」の訳があるものは
あわせてそれも掲載します。

まずは
昭和5年に、
小林秀雄が「地獄の季節」を翻訳した中の
引用詩、

また見付かつた、
驚かしなさんな、永遠だ、
海と溶け合う太陽だ。

(アルチュル・ランボオ「地獄の季節」白水社)
※これは「新編中原中也全集」からの孫引きです。)

同じ小林秀雄が
戦後の、昭和23年に出した「ランボオ詩集」(創元社)の中で訳した
「地獄の季節」の引用詩、

また見付かつた、
何が、永遠が、
海と溶け合う太陽が。

堀口大学
「永遠」

もう一度探し出したぞ。
何を? 永遠を。
それは、太陽と番(つが)った
海だ。

(「ランボー詩集」昭和26年発行、平成23年88刷、新潮文庫)

金子光晴
「永遠」

 とうとう見つかったよ。
なにがさ? 永遠というもの。
没陽といっしょに、
去(い)ってしまった海のことだ。

「イリュミナシオン」昭和26年初版、平成11年改訂初版、角川文庫)

西条八十
「永遠」

また見つかったぞ。
何が? ――永遠が。
それは太陽と共に
去って行った海。

(「アルチュール・ランボー研究」昭和42年初版、中央公論社)

寺田透
「ある地獄の季節」

見つかった。
何が。永遠が。
太陽に溶け込んだ
  海なのだ。

(「世界名詩集15 ランボー ある地獄の季節ほか」昭和44年初版、平凡社)

粟津則雄
「永遠」

見つかったぞ。
何がだ!――‘永遠’。
太陽と手をとりあって
行った海。

※ ‘永遠’は、原作では傍点になっています。編者。

粟津則雄
「地獄の季節」

見つかったぞ!
何がだ? 永遠。
太陽にとろけた
  海。

(「ランボオ全作品集」1965年初版、思潮社)

清岡卓行
「永遠」

あれがまた見つかった。
なにが? ‘永遠’が。
それはいっしょに消えた海
太陽と。

※ ‘永遠’は、原作では傍点になっています。編者。

(「新篇 ランボー詩集」1992年初版、河出書房新社)

鈴木創士
「永遠」

また見つかった。
何が?――永遠。
太陽とともに
行った海だ。

「ある地獄の季節」

また見つかった!
何が? 永遠。
太陽に混じった
  海だ。

(「ランボー全詩集」2010年初版、河出書房新社)

宇佐美斉
「永遠」

あれが見つかった
何が――永遠
太陽と共に去った
海のことさ

「地獄の季節」

あれが見つかった
何が? 永遠
太陽と溶けあった
  海のことさ

(「ランボー全詩集」1996年第1刷、筑摩書房)

鈴村和成
「永遠」

また見つかったよ。
何がさ?――《永遠》。
太陽といっしょに
行ってしまった海さ

「地獄の季節」

また見つかったよ!
何がさ? 永遠。
 太陽に
とろける海さ。

(「ランボー全集 個人新訳」2011年、みすず書房)

今、手元にあるのはこれだけですが
日本語訳されて
印刷物になった「有名な」翻訳は
以上のざっと3倍は存在するはずです。

これだけ読むと
それぞれの差異よりも
ランボーの原作が
どしんと存在していることが
実感されようというものですが
いかがでしょうか――。

中原中也の訳の存在感も
なかなかのものであることが
伝わってきます。

 *

 永遠

また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。

見張番の魂よ、
白状しようぜ
空無な夜(よ)に就き
燃ゆる日に就き。

人間共の配慮から、
世間共通(ならし)の逆上(のぼせ)から、
おまへはさつさと手を切つて
飛んでゆくべし……

もとより希望があるものか、
願ひの条(すぢ)があるものか
黙つて黙つて勘忍して……
苦痛なんざあ覚悟の前。

繻子の肌した深紅の燠よ、
それそのおまへと燃えてゐれあ
義務(つとめ)はすむといふものだ
やれやれといふ暇もなく。

また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年4月19日 (木)

中原中也が訳したランボー「永遠」Éternitéその2

「永遠」と訳されることの多い原典Éternitéは、
ランボー自筆の原稿が2種類残されています。

一つはメッサン版に収録されているファクシミレで、
これには末尾に「1972年5月」と記されています。
一つは第2次ベリション版が踏襲しているラ・ヴォーグ版の元原稿で、
中原中也はこれを訳しています。

Éternitéには
この他に
「地獄の季節」中の「言葉の錬金術」に
引用されたバリアントがあります。

自筆原稿(メッサン版とラ・ヴォーグ版)は、
第4、第5連に多くの異同があり、
この自筆原稿と「地獄の季節」中に引用されたテキストには
第1連と最終連の最終行、
つまり、ルフランの部分に
意味深長な変化があることが分かっています。

この変化は
1872年から1873年に起ったものと見られており
ランボーがこの時期に盛んに行っていた
「新しい詩」への試みといわれるものの一つです。

原典では
la mer allée avec le soleil 太陽とともに去った海

が、

la mer mêlée au soleil 太陽と溶け合った海

――になったという変化です。

専門的な話になりますが
ここのところを
「新編中原中也全集 第3巻 翻訳・解題篇」では

前者をごく素直に写実的な光景として読み取ろうとすれば、水平線に垂直の軌跡を描いて没し去ろうとする落日のイメージである他はない。しかし後者の場合、永遠をかたどるイメージを落日と断定する根拠は何もないと言わざるを得ない。海から昇る朝日でもあり得るわけであるが、それよりもむしろ、そのような時間性を超越した「永遠の光芒」にこそ照準を合わせたものと理解しなければならないだろう。

――と解説しています。

そういえば
記憶に間違いがなければの話ですが
映画「気狂いピエロ」のエンディングは
ジャン・ポール・ベルモンド扮する主人公が
落日を背景にして爆死してしまうシーンに仕立てていたことが想起されます。

この映画が公開されたのは1965年のことですから
ランボー研究が
このときより深化を遂げたということを示す一例かもしれません。

単独の詩としての「Éternité」は
「地獄の季節」に引用された詩が決定稿となったのだとすれば
決定稿のほうが上等で優秀な詩である、ということではありませんが、
この変化を知って読めば
いっそうÉternitéに近づくことにはなることでしょう。

この詩を書いたころ

さば雲もろとも融けること(「渇の喜劇」)

――と中原中也が訳したランボーが
いまだ近くにいるのですが
やがては
「地獄の季節」を書き、
小林秀雄の言うような
「文学との決別」が予定されているようなランボーとは
異なる旅を続けるランボーが見えはじめますが……。

 *

 永遠

また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。

見張番の魂よ、
白状しようぜ
空無な夜(よ)に就き
燃ゆる日に就き。

人間共の配慮から、
世間共通(ならし)の逆上(のぼせ)から、
おまへはさつさと手を切つて
飛んでゆくべし……

もとより希望があるものか、
願ひの条(すぢ)があるものか
黙つて黙つて勘忍して……
苦痛なんざあ覚悟の前。

繻子の肌した深紅の燠よ、
それそのおまへと燃えてゐれあ
義務(つとめ)はすむといふものだ
やれやれといふ暇もなく。

また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年4月18日 (水)

中原中也が訳したランボー「永遠」Éternité

「永遠」Éternitéは
モノローグだか
ダイアローグだか
交わされる会話体が謎めきながら
甘味とともに辛口の
言葉の弾丸が瑞々しく
詩のエキスの中に突然投げ出されたような衝撃をともなって
猛スピードで世界中に知れ渡っていきましたし
今なおその勢いはやみません。

「地獄の季節」の「言葉の錬金術」に
ランボー自らが引用したこともあって
ランボーの名を
不朽のものにした詩の一つです。

この詩の作られたおよそ100年後に
フランスの映画監督ジャン・リュック・ゴタールが
「気狂いピエロ」Pierrot Le Fouを作り
世界各地で上映されて
一大センセーションを巻き起こしたことは記憶に新しいことです。

世情騒然たる
1960年代末から1970年代初頭は
ベトナム戦争終末期で
日本でも
村上龍が小説「69」(1987年)で
長崎県佐世保の米軍基地周辺の街に生きる高校生に
ランボーの「永遠」を語らせるシーンを盛り込んだり、

芥川賞を取る前の中上健次が
「十八歳、海へ」を処女作として書き終えていましたが
これも、題名そのものが
ランボーを意識したものですし
作品中にも
ランボーの詩篇が登場することはよく知られたことです。

1991年には
ランボー没後100周年
2004年には
生誕150周年で
出身国のフランスをはじめ世界各地で
記念事業や研究集会などが開かれ
日本でも特別講演を含むシンポジウムなどが行われ
この不世出の詩人への顕彰イベントが盛大にとり行われました。

ランボーの影響は
詩・文学ばかりでなく
映画、演劇、音楽、美術、哲学・思想、学生運動、ビートニク、ヒッピー……と
あらゆるジャンルに及び
今もなお強い浸透力で
世界の文化現象の一角に突き刺さっています。

「永遠」は

また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。

――の、第1連と最終連が
全くの同一詩句で繰り返されるルフランです。

この4行が
世界を
100年にわたって
跳梁し、震撼させ、感動させている、と言ってよいほどに
言葉の力の不可思議とか魔力とかを放射しているものです。

何故なのでしょうか――

そんな疑問が
湧いて来るだけで
もはや
言葉の錬金術の術中に、
その心地よくもあり
スフィンクスの謎解きに挑戦するような苦難と惑溺との中に
読み手は置き去りにされます。

1872年の制作当時、
ランボーはしきりに
「新しい詩」に挑んでいました。

 *

 永遠

また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。

見張番の魂よ、
白状しようぜ
空無な夜(よ)に就き
燃ゆる日に就き。

人間共の配慮から、
世間共通(ならし)の逆上(のぼせ)から、
おまへはさつさと手を切つて
飛んでゆくべし……

もとより希望があるものか、
願ひの条(すぢ)があるものか
黙つて黙つて勘忍して……
苦痛なんざあ覚悟の前。

繻子の肌した深紅の燠よ、
それそのおまへと燃えてゐれあ
義務(つとめ)はすむといふものだ
やれやれといふ暇もなく。

また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年4月17日 (火)

中原中也が訳したランボー「忍耐」Patienceその4

中原中也訳の「忍耐」Patienceは
同時代訳に小林秀雄の「堪忍」がありますから
それを読んでおきます。

小林秀雄の
数少ない韻文詩訳の一つです。

昭和8年に
江川書房から出した
「アルチュル・ランボオ詩集」収録のものは
ルビが多過ぎて読みにくいので
昭和23年、人文書院から発行した
「ランボオ詩集」収録のものを読みます。

小林秀雄訳のこの「ランボオ詩集」には
ほかに
「酩酊船」
「渇の喜劇」(「親」「精神」「友達」「あはれな想ひ」「くゝり」で構成)
「オフェリヤ」
「谷間に眠る男」があり
「堪忍」を含めて計5篇が韻文詩として収録されています。

 堪忍

 小林秀雄訳

           ある夏

鹿を追い詰めた猟人(かりうど)の
病み耄(ほう)けた合図の声は、
菩提樹の朗かな枝に消え、
霊(こころ)の歌は隈もなく
すぐりの実をひるがえす。
脈管の血よ、笑うがいい、
山葡萄は蔓を交えて立ちはだかる。
空は天使の容姿に霽れ渡り、
「紺碧」は「潮」と流れ合う。
俺は行く。光がこの身を破るなら、
青苔(あおごけ)を藉りて死ぬもよい。

堪忍(かんにん)もした、退屈もした、
想えば何とたわいもない、
糞いまいましい気苦労だ。
芝居がかったこの夏の
運命の車に縛られて
ああ、「自然」、どうぞお前の手にかゝり、
ちったあましに賑やかに、死にたいものだ。
見たところ、羊飼い奴らまでが、
浮世の故にくたばるとは
珍妙なことじゃないか。

「季節」がこの身を使い果してはくれまいか。
「自然」よ、この身はお前に返す、
俺の‘かつえ’も‘ひもじさ’も。
気が向いたなら食わしてやってくれ、飲ましてやってくれ。
何一つ俺を誑(たぶらか)すものはない、
御先祖様やお日様には
お笑草かもしれないが、
俺は何にも笑うまい、
ああこの不幸には屈託がないように。

※人文書院「ランボオ詩集」(昭和23年)より。新漢字を使用し、現代表記に改めました。‘かつえ’と‘ひもじさ’は、原作では傍点になっています。編者。

昭和27年、人文書院発行の第1次「ランボオ全集」を
ここでついでに見てみると、
「忍耐の祭」は組詩として扱われ
一 五月の軍旗(中原中也訳)
二 最も高い塔の歌(同)
三 永遠(同)
四 黄金時代(平井啓之訳)
――の構成です。

小林秀雄が訳した韻文詩は
「オフェリヤ」
「谷間に眠る男」
「渇の喜劇」
「朝のよき想念」
「食事にとつた飼鳥の」
――の計5篇が載っています。

 *

 忍耐

               或る夏の。

菩提樹の明るい枝に
病弱な鹿笛の音は息絶える。
しかし意力のある歌は
すぐりの中を舞ひめぐる。
血が血管で微笑めば、
葡萄の木と木は絡まり合ふ。
空は天使と美しく、
空と波とは聖体拝受。
外出だ! 光線(ひかり)が辛いくらゐなら、
苔の上にてへたばらう。

やれ忍耐だの退屈だのと、
芸もない話ぢやないか!……チエツ、苦労とよ。
ドラマチックな夏こそは
『運』の車にこの俺を、縛つてくれるでこそよろし、
自然よ、おまへの手にかゝり、
――ちつとはましに賑やかに、死にたいものだ!
ところで羊飼さへが、大方は
浮世の苦労で死ぬるとは、可笑しなこつた。

季節々々がこの俺を使ひ減らしてくれゝばいい。
自然よ、此の身はおまへに返す、
これな渇きも空腹(ひもじさ)も。
お気に召したら、食はせろよ、飲ませろよ。
俺は何にも惑ひはしない。
御先祖様や日輪様にはお笑草でもあらうけど、
俺は何にも笑ひたかない
たゞこの不運に屈托だけはないやうに!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年4月16日 (月)

中原中也が訳したランボー「忍耐」Patienceその3

「忍耐」Patienceの原詩
第1連第7、8行

Le ciel est joli comme un ange,
L'azur et l'onde communient.

――を、他の訳が気になりましたから
少し、当たってみることにします。

まずは、
同時代訳の小林秀雄訳は
「堪忍」のタイトルで、

空は天使の容姿に霽れ渡り、
「紺碧」は「潮」と流れ合ふ。

西条八十は
「五月の軍旗」のタイトルで、

大空は天使のように美しい。
空の青と波とは溶け合う。

渋沢孝輔は
「五月の軍旗」のタイトルで、

空は天使のような美しさ。
青空と波とが通じ合い、

粟津則雄は
「五月の軍旗」のタイトルで、

空は天使のように美しい。
蒼空と波の心はひとつだ。

金子光晴は
「忍耐」のタイトルで、

天使さまのように、空は清らかだ。
青空と潮はながれあう。

鈴木創士は
「五月の旗」のタイトルで、

空は天使のようにきれいだ。
蒼穹と波の心はひとつになる。

宇佐美斉は
「五月の旗」のタイトルで、

空は天使のようにきれいだ
青空と波とは一体となる

以上のように
それぞれ個性的な翻訳を試みていて
訳語の選択や句読点の有無、
行の構成、連の中での位置付けなどと
微妙に違いがあることが分かります。

詩全体を読み比べれば
この違いはさらに
際立ちますし、
タイトルの付け方で
メッサン版か、メッサン版以前か
原典の違いまでを推察することができます。

詩(の翻訳)もまた、
時代の産物と言えるのでしょうか――。

こうした翻訳の中にあって
中原中也の訳は
「聖体拝受」という語を使い
Communionと重ねていて
極めて異例ですが
「勇敢」です。

訳に勇敢さがあり
イメージを具体的に喚起させようと工夫している感じです。

堂々としています。

 *

 忍耐

               或る夏の。

菩提樹の明るい枝に
病弱な鹿笛の音は息絶える。
しかし意力のある歌は
すぐりの中を舞ひめぐる。
血が血管で微笑めば、
葡萄の木と木は絡まり合ふ。
空は天使と美しく、
空と波とは聖体拝受。
外出だ! 光線(ひかり)が辛いくらゐなら、
苔の上にてへたばらう。

やれ忍耐だの退屈だのと、
芸もない話ぢやないか!……チエツ、苦労とよ。
ドラマチックな夏こそは
『運』の車にこの俺を、縛つてくれるでこそよろし、
自然よ、おまへの手にかゝり、
――ちつとはましに賑やかに、死にたいものだ!
ところで羊飼さへが、大方は
浮世の苦労で死ぬるとは、可笑しなこつた。

季節々々がこの俺を使ひ減らしてくれゝばいい。
自然よ、此の身はおまへに返す、
これな渇きも空腹(ひもじさ)も。
お気に召したら、食はせろよ、飲ませろよ。
俺は何にも惑ひはしない。
御先祖様や日輪様にはお笑草でもあらうけど、
俺は何にも笑ひたかない
たゞこの不運に屈托だけはないやうに!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年4月15日 (日)

中原中也が訳したランボー「忍耐」Patienceその2

「忍耐」Patienceは、
1872年5月に制作されました。

この日付けと
タイトルの「ただし書き」に
「或る夏の。」とあるのと
何か関係があるのでしょうか……?

菩提樹は、
シューベルトの「冬の旅」に出てくることで
広く知られている落葉高木ですから
「泉に沿いて、繁る菩提樹♪」のイメージでこの場合もよく、

その菩提樹の明るい枝振りの中に
病弱な鹿笛(ししぶえ)の音は消える。

狩人(かりうど)が
鹿の鳴き声を真似て
鹿をおびき寄せては捕まえるという狩猟法は
世界各地に見られますが
その鳴き声を出す笛があって
鹿の鳴き声というのは
どことなく淋しい響きがするもので
それを「病弱な」と
中原中也は訳しました。

しかし、力のこもった歌は
スグリの茂みの中を舞い巡るのだ。

「意力のある歌」とは
まさしく
シューベルトの「冬の旅」に現れる
旅人の口ずさむ歌みたいな
心のこもった歌のことでしょう。

血が血管を勢いよく流れれば、
葡萄の木と木とは絡まり合う。

空は天使さながら美しく、
空と波とは聖体拝受。

外出しよう! 光線が辛いほどなら、
苔の上でくたばってしまおう。

光線(ひかり)あふれる自然の賛美。
外気の中で
くたばってしまってもかまうもんか! という詩人の声がします。

やれ忍耐だ退屈だなどと、
芸のない話じゃないか! ……ちぇっ、ご苦労なこと。
ドラマチックな夏こそは
「運」の車に、この俺を縛ってくれればそれでよし、
――ちょっとはましに、賑やかに、死にたいもんだ!
ところで羊飼いさえが、おおかたは、
浮世の苦労で死んでいるとは、変じゃないか。

季節季節が、この俺を使いきってくれればいいんだ。
自然よ、この身はお前に返す、
このような渇きも空腹感もだ。
(その代わり)気に入ったなら、食わせろよ、飲ませろよ
俺は、何物によってもブレはしない。
ご先祖様や、お天道様には笑われちゃうかもしれないが、
俺はなんにも笑いたくはない
ただこの不運にひねくれることはするまい!

ランボーが
これを歌っていたとき
「地獄の季節」にあったことを
想像することは
むずかしいことではありません。

第1連も
第2連も
最終連も
自然への渇仰がにじんでいます。

なお、第1連第7、8行の原詩は

Le ciel est joli comme un ange,
L'azur et l'onde communient.

――です。
ここに「聖体拝受」を意味する
Communion(コミュニオン)の類語がありますから
中原中也はここでも
訳出に工夫を凝(こ)らしていることが分かります。

 *

 忍耐

               或る夏の。

菩提樹の明るい枝に
病弱な鹿笛の音は息絶える。
しかし意力のある歌は
すぐりの中を舞ひめぐる。
血が血管で微笑めば、
葡萄の木と木は絡まり合ふ。
空は天使と美しく、
空と波とは聖体拝受。
外出だ! 光線(ひかり)が辛いくらゐなら、
苔の上にてへたばらう。

やれ忍耐だの退屈だのと、
芸もない話ぢやないか!……チエツ、苦労とよ。
ドラマチックな夏こそは
『運』の車にこの俺を、縛つてくれるでこそよろし、
自然よ、おまへの手にかゝり、
――ちつとはましに賑やかに、死にたいものだ!
ところで羊飼さへが、大方は
浮世の苦労で死ぬるとは、可笑しなこつた。

季節々々がこの俺を使ひ減らしてくれゝばいい。
自然よ、此の身はおまへに返す、
これな渇きも空腹(ひもじさ)も。
お気に召したら、食はせろよ、飲ませろよ。
俺は何にも惑ひはしない。
御先祖様や日輪様にはお笑草でもあらうけど、
俺は何にも笑ひたかない
たゞこの不運に屈托だけはないやうに!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年4月14日 (土)

中原中也が訳したランボー「忍耐」Patience

「忍耐」Patienceは、
現在の研究では
「忍耐の祭」というタイトルの「組詩」の第1番詩として知られます。

これは
メッサン版「ランボオ詩集」に収められた
ランボーの自筆原稿のファクシミレで明らかになっていることです。

「五月の旗」
「最も高い塔の歌」
「永遠」
「黄金時代」(中原中也訳は「黄金期」)
――の四つの詩は、
一つの詩「忍耐の祭」を構成するもので
この中の、第1番の詩「五月の旗」が
中原中也訳の「忍耐」に相当することが分かっているのです。

中原中也が原典とした第2次ベリション版は
この組詩とは異なる
もう一つのランボーの自筆原稿を採用したために
「忍耐」のタイトルとなりました。

メッサン版「忍耐の祭」の単位詩である「五月の旗」と
第2次ベリション版の「忍耐」とは、
内容に異同はなく
「五月の旗」の末尾に「1872年5月」とあり、
「忍耐」には、
それがない代りに
タイトルに但し書き「或る夏の。」が付加されているという違いがあるだけです。

この詩も
1872年5月制作の詩群という
西条八十の案内が
分かりやすいアプローチとなります。

「忍耐」は
しばしば引き合いにされる
大岡昇平の広く知られた証言の中で
「名指し」される詩の一つです。

私は昭和三年、二か月ばかり中原からフランス語を習った。飲み代を父から引き出すための策略だが、「ランボオ作品集」をテクストに、一週間の間に各自一篇は訳して見せ合った。私の記憶では中原が「飾画」(「イリュミナシオン」のこと)を、私が「初期詩篇」を受持った。彼は「眩惑」「涙」などを、私は「谷間の睡眠者」「食器戸棚」「夕べの辞」「フォーヌの顔」「烏」「盗まれた心」を訳し、二人で検討した。
(旧全集「解説」)

小林が奈良へ行ったあと、代りに中原にフランス語を教わることにしていた、いや何も習うことはないけれど、親父から飲み代を出させるためです。一週間の間にランボーやネルヴァルを一篇か二篇訳して、二人で見せっこする。僕が初期詩篇をやり、彼は「イリュミナシオン」の中の行分け詩をやっていた。それぞれ気に入った、そして未訳のものをやった。彼はたしか「蹲踞」「忍耐」「カシスの川」を持って来たと思います。僕は「烏」「盗まれた心」「フォーヌの顔」「夕べの辞」などをやった。
(大岡昇平全集第18巻)

――と大岡昇平は、
別の機会に、同じことの記憶を証言していますが、
例示された詩のタイトルは、
両証言で微妙に変化しています。

それぞれの書物の編集段階で、
証言を再検討した形跡がうかがえますが、
「忍耐」が登場するのは
「大岡昇平全集」のほうですから
こちらのほうが、より事実に近いものと言えるのかも知れません。

※上記二つの引用は、「新全集・第3巻翻訳・解題篇」からの「孫引き」です。編者。

「忍耐」は
大岡昇平と中原中也の「勉強会」の中では
中原中也担当の詩でした。

担当するほどに
より得意だった詩であるといえますが
二人の間でのことです。

 *

 忍耐

               或る夏の。

菩提樹の明るい枝に
病弱な鹿笛の音は息絶える。
しかし意力のある歌は
すぐりの中を舞ひめぐる。
血が血管で微笑めば、
葡萄の木と木は絡まり合ふ。
空は天使と美しく、
空と波とは聖体拝受。
外出だ! 光線(ひかり)が辛いくらゐなら、
苔の上にてへたばらう。

やれ忍耐だの退屈だのと、
芸もない話ぢやないか!……チエツ、苦労とよ。
ドラマチックな夏こそは
『運』の車にこの俺を、縛つてくれるでこそよろし、
自然よ、おまへの手にかゝり、
――ちつとはましに賑やかに、死にたいものだ!
ところで羊飼さへが、大方は
浮世の苦労で死ぬるとは、可笑しなこつた。

季節々々がこの俺を使ひ減らしてくれゝばいい。
自然よ、此の身はおまへに返す、
これな渇きも空腹(ひもじさ)も。
お気に召したら、食はせろよ、飲ませろよ。
俺は何にも惑ひはしない。
御先祖様や日輪様にはお笑草でもあらうけど、
俺は何にも笑ひたかない
たゞこの不運に屈托だけはないやうに!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年4月13日 (金)

中原中也が訳したランボー「若夫婦」Jeune ménageその2

「若夫婦」Jeune ménageは
ランボーのほかの作品と同じように
さまざまな読みが行われているようで
考えてみれば
それは当たり前といえば当たり前、
生誕して150年以上も経つ
古今東西稀(まれ)なる天才詩人の作品を
世界中の研究者がこぞって読み解いては
ユニークな鑑賞記録を残さないほうがおかしいのですから
その研究熱が退くことがあるわけもありません。

学問の対象にならないほうが
不自然なのですから
詩人はもとより
小説家、哲学の分野、音楽家、言語学者、演劇家……と
いまなお
ランボー熱に浮かされる学徒の群れは引きも切らず
ランボー学は世界各地に狂い咲くかのようであります。

ランボーの詩・言葉が
「学」の対象にされがちなのこと自体が
よくわからない現象ですが
一つには
ランボーの詩の難解さに引きつけられて
その答えを見い出そうとする努力が
競争を生み
ランボー学のレース(競争)を生んでいるということがあります。

学問も
所詮、レースのようなものなのですね。
「若夫婦」も
このレースの材料になりやすい作品らしい。

おはぐろ花
化物の歯茎
アフリカの魔女
鉛縁
意地悪な水の精
鼠ごっこ
ベツレヘム
……

中原中也がこのように訳した
ランボーの語彙は
それほど難解というものではなく
だからかえって
多様な解釈を招じ入れやすいことになるのですが
中原中也の工夫は
絞り込めば
「鼠ごっこ」の一語に行き当たります。

「おはぐろ花」も
よくぞ訳したという感じのボキャブラリーですが
日々「詩の切れ屑を探して」世界をふらついていた詩人のこと、
これくらいは
「薔薇の名前」の多彩さを知る
植物学者並みの素養というものでしょうから
目を瞠(みは)るというほどのことではないでしょう。

「アフリカの魔女」なら
「シバの女王」あたりがピンときますから
これも、それだけの類推ができるということで
歴史(非歴史=架空)の魔女を特定する必要もなく
これも深追いしなくて事足ります。

「水の精」も同じ、
ランボーによく現れる妖精(妖女)。

となれば、
傑作は
「鼠ごっこ」です。

「ネズミごっこ」は
すぐさま「イタチごっこ」を連想するように
「イタチごっこ、ネズミごっこ」とペアで使われるのが
昔の子供の遊びでした。

相手の手の甲をつねって
自分の手をその上にのせ
それをまた相手がつねり返す。
その繰り返しをずっと続けるのが
たわいもないながら
子供、いや!人間のもつ小さな悪意をも満足させる
面白いような
おかしいような
悲しいような遊びなのですが、

「鼬ごっこ」は転じて、
いつまでも同じことを繰り返すだけで、
ものごとに決着がつかないことの意味で使われるようになりました。

中原中也は
ここから
「イタチごっこ」ではなく
「ネズミごっこ」を採ったのです。

「鬼ごっこ」のイメージにも繋がり
若い夫婦の
ベッドタイムの「メタファー」として
ピタリと決まった感じがするではありませんか――。

ここまでは
比較的分かりやすいのですが
「ベツレヘム」が出てきて
非キリスト教徒圏の感覚では
この詩が遠くなっていきそうになります。

――日が暮れてから、銃を打つ時出るやうな
気狂ひじみた蒼い火が、出さへしなけれあいいがなあ。
――寧ろ、純白神聖なベツレヘムの景観が、
この若夫婦の部屋の窓の、あの空色を悩殺するに如かずである!

この、最終連、とくに最終行を
どのように読んだらよいでしょうか。

聖なるベツレヘムよ!
若いカップルの部屋の
窓の外いっぱいに広がっている
あの空の深い青を
いっそ桃色に塗り替えてくれちまったらなあ!

なのか?

 *

 若夫婦

部屋は濃藍の空に向つて開かれてゐる。
所狭いまでに手文庫や櫃!
外面(そとも)の壁には一面のおはぐろ花
そこに化物の歯茎は顫へてゐる。

なんと、天才流儀ぢやないか、
この消費(つひえ)、この不秩序は!
桑の実呉れるアフリカ魔女の趣好もかくや
部屋の隅々には鉛縁(なまりぶち)。

と、数名の者が這入つて来る、不平面(づら)した名附親等が、
色んな食器戸棚の上に光線(ひかり)の襞を投げながら、
さて止る! 若夫婦は失礼千万にも留守してる
そこでと、何にもはじまらぬ。

聟殿は、乗ぜられやすい残臭を、とゞめてゐる、
その不在中、ずつとこの部屋中に。
意地悪な水の精等も
寝床をうろつきまはつてゐる。

夜(よ)の微笑、新妻(にひづま)の微笑、おゝ! 蜜月は
そのかずかずを摘むのであらう、
銅(あかがね)の、千の帯にてかの空を満たしもしよう。
さて二人は、鼠ごつこもするのであらう。

――日が暮れてから、銃を打つ時出るやうな
気狂ひじみた蒼い火が、出さへしなけれあいいがなあ。
――寧ろ、純白神聖なベツレヘムの景観が、
この若夫婦の部屋の窓の、あの空色を悩殺するに如かずである!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年4月12日 (木)

中原中也が訳したランボー「若夫婦」Jeune ménage

「若夫婦」Jeune ménageは
中原中也訳「ランボオ詩集」「飾画篇」の8番目にある詩です。

この詩も
若夫婦とはいったい誰のことか、と
現実のモデルを探して
やれ、ベルレーヌと妻マチルドのことだ、とか
やれ、ベルレーヌとランボーのことだ、とかと
現実の中にモチーフを見つけ出そうとする研究が絶えないようですが
たとえ驚くべき相似形が見つかろうとも
「実証的アプローチ」は
止めたほうがよいというものです。

どうかお願いですから、鉛筆で下線を引いたり、あんまり考えすぎたりしないでくださ

――というのと同じ声で、

どうぞお願いですから、私の周囲にいる友人や知人たちにそっくりだなどと、しようも
ない想像をしないでください

――という、ランボーの声が聞えてくるではありませんか。

部屋は濃い青空に向かって開かれている。
ところ狭しと文箱(ふばこ)や櫃(ひつ)!
外に面した壁にはおはぐろ花
そこに化け物の歯茎は震えている。

「化け物の歯茎」とは
何でしょう?

よく読めば
「おはぐろ花」の一部であることが分かります。
おそらく

ウマノスズクサ科の蔓性(つるせい)の多年草。原野や土手などに生え、葉は心臓形で先がとがり、臭気がある。夏、緑紫色のらっぱ状の花を開く。実は球形で、熟すと基部から六つに裂け、馬につける鈴に似る。

――とウィキにありますから
俗にいう「ヘクソカズラ」のことか
もしくは、それに近い雑草のことで
その臭いを発する部分の形か
ほかの部分だかを
「化け物の歯茎」と訳したのでしょう。

だいたいの想像で
読み進めていきます。

なんという、天才振りじゃないか、
この蕩尽(とうじん)、この無秩序は!
ドドメをくれるアフリカの魔女の好みもこんなものだか
部屋の隅々には鉛縁(なまりぶち)。

桑の実は、熟れるとドス黒い赤になり
食べれば、
口の中、唇が真っ赤に染まる果実だから
ちょっと「危ない」感じで
アフリカの魔女が人を誘い込むのに使うといったような
故事でもあるのだろうか

鉛縁は、鉛でできた縁のある家具か
室内で使われた家具調度品の類だろうか
周辺を鉛で象(かたど)られた鏡あたりか。
ほかの何かの装飾品かもしれません。

このあたりも
だいたいのイメージで
読み進めます。

すると、何人かの者が入ってくる、不平顔の名付け親らが、
色んな食器戸棚の上に光線の襞(ひだ)を投げながら、
そうして止まる! 若夫婦は失礼極まることに留守してる
というわけで、何にもはじまらない。

ムコさんの、乗ぜられやすい残香(のこりが)が、部屋にとどまっている、
その不在中にも、ずっとこの部屋に。
意地の悪い水の精らも
ベッドの回りをうろつきまわっている。

夜の微笑、新妻の微笑、おお! ハネームーンは
それらを摘むのだろう、
銅の色の、たくさんの帯になってあの空を満たすことであろう。
二人は「ネズミごっこ」もするでしょう。

このあたりは
自然に
若夫婦のベッドタイムの描写と読めます。
ベッドの上で
ネズミのように動きまわるシーンを
上のほうから観察している眼差しが感じられます。

そして
最終連へ。

――日が落ちて、銃を撃つときに出るような
きちがいじみた青い火が、出さえしなきゃあいいけどなあ。
――むしろ、純白で神聖なベツレヘムの景色が、
この若夫婦の部屋の窓の、あの青空を悩殺するのにかなわない!

エンディングは
かなり意味津々としていますが
ベツレヘムをどう読むかで
ずいぶん色々な読みができそうです。

 *

 若夫婦

部屋は濃藍の空に向つて開かれてゐる。
所狭いまでに手文庫や櫃!
外面(そとも)の壁には一面のおはぐろ花
そこに化物の歯茎は顫へてゐる。

なんと、天才流儀ぢやないか、
この消費(つひえ)、この不秩序は!
桑の実呉れるアフリカ魔女の趣好もかくや
部屋の隅々には鉛縁(なまりぶち)。

と、数名の者が這入つて来る、不平面(づら)した名附親等が、
色んな食器戸棚の上に光線(ひかり)の襞を投げながら、
さて止る! 若夫婦は失礼千万にも留守してる
そこでと、何にもはじまらぬ。

聟殿は、乗ぜられやすい残臭を、とゞめてゐる、
その不在中、ずつとこの部屋中に。
意地悪な水の精等も
寝床をうろつきまはつてゐる。

夜(よ)の微笑、新妻(にひづま)の微笑、おゝ! 蜜月は
そのかずかずを摘むのであらう、
銅(あかがね)の、千の帯にてかの空を満たしもしよう。
さて二人は、鼠ごつこもするのであらう。

――日が暮れてから、銃を打つ時出るやうな
気狂ひじみた蒼い火が、出さへしなけれあいいがなあ。
――寧ろ、純白神聖なベツレヘムの景観が、
この若夫婦の部屋の窓の、あの空色を悩殺するに如かずである!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年4月11日 (水)

中原中也が訳したランボー「恥」Honte

「恥」Honteは
中原中也訳「ランボオ詩集」「飾画篇」の7番目にある詩です。

昭和9年(1934年)5月1日発行の「椎の木」5月号に初出、
これが第1次形態で
昭和12年9月発行の「ランボオ詩集」に収録されたのが
第2次形態ですが
両者に大きな異同はありません。

ランボーが
1872年5月に作った詩群の一つというのは
西条八十の研究です。

この詩に登場する「奴」は
ベルレーヌを指示しているという説が流布していますが
「作者あるいは話者の分身と読む方がこの詩の興趣ははるかに増すだろう。」と
「新編中原中也全集 第3巻 翻訳・解題篇」は案内し
中原中也の訳が
そのようにも読めるように
訳されていることを伝えています。

中原中也は
「奴」をベルレーヌであるだけでなく
ランボー自身であると読んで
この詩を翻訳した、という考えですが
確かに、そのように読んだほうが
この詩の奥行きはぐんと深くなろうというものです。

刃が脳漿を切り裂かなければ
白くて青くて脂ぎった
このむかつくお荷物が
さっぱるすることもないや……

(ああ、奴は切らなけりゃなるまい、
鼻、唇、耳を、
腹も! 素晴らしいっ
脚も捨てなきゃなるまいっていうもんだ)

ベルレーヌ憎しと
一方的に憎悪感を表出してみるなんて
ボワイヤン詩人らしくなく
ここは
「私は一個の他者である」とイザンバールに宛てた手紙で言ったように
他者の中に自己を見、
自己の中に他者を見る
見者の光学を通じた言葉を
読んだほうがよいケースといえるでしょう。

だが、いや、確かに、
頭に刃、
脇につぶてを
腸に火を

加えなければ、一時たりと、
うるさい子供みたいなコンチクショウが、
ちょこまかと
タテつくこともないもんだ

ロッキー(ロッシュに通じる)の猫のように
どこもかしこもクサくする!
――だが死の時には、神さま、
なんとか祈る気持ちになりますように……

この詩が
1872年に作られたのだとすれば
1873年7月の
ブリュッセル銃撃事件の前のことになりますが
そのような「実証」を離れて読んでも
これが
ベルレーヌに関して
ランボーが読んだ詩でありながら
ベルレーヌの中に自身を見たランボーの詩であることに
変わりがあるわけではありません。

 *

 恥

刃(は)が脳漿を切らないかぎり、
白くて緑(あを)くて脂(あぶら)ぎつたる
このムツとするお荷物の
さつぱり致そう筈もない……

(あゝ、奴は切らなけあなるまいに、
その鼻、その脣(くち)、その耳を
その腹も! すばらしや、
脚も棄てなけあなるまいに!)

だが、いや、確かに
頭に刃、
脇に砂礫(こいし)を、
腸に火を

加へぬかぎりは、寸時たりと、
五月蠅い子供の此ン畜生が、
ちよこまかと
謀反気やめることもない

モン・ロシウの猫のやう、
何処(どこ)も彼処(かしこ)も臭くする!
――だが死の時には、神様よ、
なんとか祈りも出ますやう……

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年4月10日 (火)

中原中也が訳したランボー「渇の喜劇」Comédie de la Soifその4

「渇の喜劇」Comédie de la Soifには
同時代訳として

①西条八十の「渇けるものの劇」
②淀野隆三の「渇きの喜劇(コメデー)」
③小林秀雄の「渇劇」

――の3作品があります。
(「新編中原中也全集」)

小林秀雄は戦後(昭和23年)に出した「ランボオ詩集」(創元社)では
「飾画篇」には入れないで
「韻文詩」の中に
「渇の喜劇」と訳しています。

小林秀雄が
「韻文詩」を訳したのは珍しいことなのですが
「酩酊船」
「渇の喜劇」
「堪忍」
「オフェリヤ」
「谷間に眠る男」
――の計5篇が同書に収録されています。

これに先立つ
昭和8年に「本」に発表されたのが
「渇劇」です。
これが中原中也生存中の発行で、
純然たる同時代訳ということになりますから
中原中也も参照したことがあるかもしれないということで
こちらを読んでみます。

渇劇
小林秀雄訳

   Ⅰ
   親

 俺達がお前の親なのだ、
 お前の爺さん婆さんだ。
 お月様と、青草の
 冷い汗にまみれてさ。
 作つた地酒にや脈がうつ。
 陰日向のない陽(ひ)を浴びて、
 一体人間に何が要る、飲む事さ。

俺――蛮地の河でくたばりたい

 俺達がお前の親なんだ、
 この野つ原の御先祖様だ。
 柳の奥には水が湧く、
 湿めつたお城を取巻いて、
 見ろ、お堀の水の流れるのを。
 俺達の酒倉に下りて来い、
 林檎酒(シイドル)もある、牛乳もある。

俺――飲むなら牝牛の飲むとこで。

 生みの親なら遠慮はいらぬ、
 さあ、飲んでくれ、
 戸棚の酒はお好み次第、
 なんならお茶か珈琲か、
 飛切りのやつが湯沸かしで鳴つてらあ。
 見たけりや絵もある花もある。
 墓所は見納めとするこつた。

俺――いっそ甕といふ甕が干したいものさ。

   Ⅲ
   精神

 永遠の水の精、
 なめらかな水をたちわれ。

 青空の妹、ヴィナス、
 清らかな波を動かせ。

 諾威をさすらふ猶太人、
 雪の話をきかせてくれ。

 恋しい昔の流刑者よ、
 海の話をきかせてくれ。

俺――まつぴらだ、いづれの味(み)のない飲みものさ、
 コップに跳る水玉さ。 
 昔噺や絵姿で、
 俺の渇きが癒えようか。

 小唄作りよ、聞いてくれ、君が名付けの娘こそ、
 気狂ひ染みたこの渇き。
 親しい七頭蛇(イドル)にや口がない、
 お蔭で俺は身も世もない。

   Ⅲ
   友達

 来給へ、酒は海辺を乱れ走り、
 幾百万の波の襀(ひだ)だ。
 見給へ、野生の苦味酒(ビテエル)は
 山々の頂を切つておとす。

 廻国の君子等、どうだ一つ手にいれては、
 アブサンの作る緑の列柱……

俺――ふん、結構な景色(けいしょく)だ、
 おい、酔つぱらふとはどういふこつた。

 池の藻屑と腐るも同じさ、
 どうして、よつぽどましかも知れぬ。
 むかつくクリイムの下敷きで、
 朽木がぶよぶよ浮いてるか。

   Ⅳ
   あはれな思ひ

 どこか古風な村に行き、
 心静かに飲むとしよう、
 といふ具合な夜が待つてゐるかも知れないさ。
 さうして愚図らず死ぬとしよう、
 我慢は強い方なんだ。

 若しも病ひが疼いて来なけりや、
 いくらか金があつたなら、
 「北」よしようか、
 葡萄の国か。
 ――やれ、やれ、夢みる柄かなあ。

 いやさ、無駄さ、無駄事だ。
 いづれはもとの黙阿弥の
 旅人姿で帰つて来ても、
 緑の旅籠がこの俺に、
 開いてゐよう筈はない。

   Ⅴ
   くゝり

 牧場にふるえる鳩たちも、
 夜が来るまで追ひまはされる鳥も獣も、
 水に棲む生き物も、飼はれた生き物も、
 それから秋の蝶々も――みんな喉は渇いてゐるのだ。

 よし、当所(あてど)ない浮雲の、とろける処でとろけよう。
 ああ、爽やかなものの手よ。
 露しいた菫のなかに事切れよう。
 明け方が菫の色に野も山も染めてくれぬと限るまい。
                             (未定稿)

(「新編中原中也全集 第3巻 翻訳・解題篇」より)

まったく別の詩の翻訳を読むような
異なる翻訳であることが分かります。

 *

 渇の喜劇

     Ⅰ

   祖先(みおや)

私(わし)達はおまへの祖先(みおや)だ、
  祖先(みおや)だよ!
月や青物の
冷(ひや)こい汁にしとど濡れ。
私達(わしたち)の粗末なお酒は心を持つてゐましたぞ!
お日様に向つて嘘偽(うそいつはり)のないためには
人間何が必要か? 飲むこつてす。

小生。――野花の上にて息絶ゆること。

私(わし)達はおまへの祖先(みおや)だ、
  田園に棲む。
ごらん、柳のむかふを水は、
湿つたお城のぐるりをめぐつて
ずうつと流れてゐるでせう。
さ、酒倉へ行きますよ、
林檎酒(シイドル)もあればお乳もあります。

小生。――牝牛等呑んでる所(とこ)へゆく。

私(わし)達はおまへの祖先(みおや)。
  さ、持つといで
戸棚の中の色んなお酒。
上等の紅茶、上等の珈琲、
薬鑵の中で鳴つてます。
――絵をごらん、花をごらん。
私(わし)達は墓の中から甦(かへ)つて来ますよ。

小生。――骨甕をみんな、割つちやへばよい。

     Ⅱ

   精神

永遠無窮な水精(みづはめ)は、
  きめこまやかな水分割(わか)て。

ヹニュス、蒼天の妹は、
  きれいな浪に情けを含めよ。

ノルヱーの彷徨ふ猶太人等は、
  雪について語つてくれよ。

追放されたる古代人等は、
  海のことを語つてくれよ。

小生。――きれいなお魚(さかな)はもう沢山、
     水入れた、コップに漬ける造花だの、
   絵のない昔噺は
     もう沢山。

   小唄作者よ、おまへの名附け子、
     水螅(ヒイドル)こそは私の渇望(かわき)、
   憂ひに沈み衰耗し果てる
     口なき馴染みのかの水螅(ヒイドル)。

     Ⅲ

   仲間

おい、酒は浜辺に
  浪をなし!
ピリツとくる奴、苦味酒(ビットル)は
  山の上から流れ出す!

どうだい、手に入れようではないか、
緑柱めでたきかのアプサン宮(きう)……

小生。――なにがなにやらもう分らんぞ。
   ひどく酔つたが、勘免しろい。

   俺は好きだぞ、随分好きだ、
   池に漬つて腐るのは、
   あの気味悪い苔水の下
   漂ふ丸太のそのそばで。

     Ⅳ

   哀れな空想

恐らくはとある夕べが俺を待つ
或る古都で。
その時こそは徐かに飲まう
満足をして死んでもゆかう、
たゞそれまでの辛抱だ!

もしも俺の不運も終焉(をは)り、
お金が手に入ることでもあつたら、
その時はどつちにしたものだらう?
北か、それとも葡萄の国か?……
――まあまあ今からそんなこと、

空想したつてはじまらぬ。
仮りに俺がだ、昔流儀の
旅行家様になつたところで、
あの緑色の旅籠屋が
今時(いまどき)あらうわけもない。

     Ⅴ

   結論

青野にわななく鳩(ふたこゑどり)、
追ひまはされる禽獣(とりけもの)、
水に棲むどち、家畜どち、
瀕死の蝶さへ渇望(かわき)はもつ。

さば雲もろとも融けること、
――すがすがしさにうべなはれ、
曙(あけぼの)が、森に満たするみづみづし
菫の上に息絶ゆること!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。原作は、本文中「勘免」の
「免」に「ママ」の注記があります。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年4月 9日 (月)

中原中也が訳したランボー「渇の喜劇」Comédie de la Soifその3

中原中也は
昭和2年(1927年)8月6日の日記に

ラムボオつて人はほんとに素晴らしいんだ。‘Comédie de la Soif’を読め。
人が一番直接歌ひたいことを実践してゐる。

――と、まさに「渇の喜劇」Comédie de la Soifを名指して
称揚しています。

昭和2年は
泰子とともに上京してから2年、
すでに泰子は小林秀雄と暮らしています。
ランボーの詩を教えた富永太郎は死去、
この年昭和2年に遺稿を集成した私家版詩集が
遺族によって刊行されました。
「朝の歌」を書き上げたのが昭和元年、
詩人はアテネ・フランセへ通いはじめます。
……

河上徹太郎を知るのも
昭和2年春ですし
周りには帝大仏文科の学生もいたであろうし
フランス語のできる友人にめぐまれ
彼らや富永太郎や小林秀雄らの口から
Comédie de la Soifが話題になったことがあったのかもしれません。
自分でメルキュール版ランボー詩集から
見つけ出したのかもしれません。

ところが
この日記から丁度10年後、
昭和12年9月2日付けで
親友・安原喜弘に宛てた書簡に

うまい酒と、呑気な旅行と、僕の理想の全てです。問題は陶然と暮せるか暮せないかの一事です。「さば雲もろとも溶けること!」なんて、ランボオもいやつではありませんか。
(「新編中原中也全集 第5巻 日記・書簡」より。原文ママ。編者。)

――と記すことになります。

ランボー詩の翻訳に取り組みはじめてから
晩年に至るまでの
途絶えることのない
中原中也のこの詩Comédie de la Soiへのこだわりを
ここに見ることができます。

うまい酒、
呑気な旅行、
僕の理想の全て。

陶然と生きることの
詩的表明。

その例として
ランボーの「渇の喜劇」の1行
「さば雲もろとも溶けること!」を
親友に取り出してみせたのです。

「在りし日の歌」の原稿を清書して
小林秀雄に手渡すのは
この手紙を書いて1月もしない日のことでした。

さらば東京!
おお、わが青春!
――と「後記」に記した日付けは
1937.9.23となっています。

この時期に
陶然と生きることを希望し
祈願してきた来し方が
詩人の心の中に確かめられて
自然に
「さば雲もろとも溶けること!」のフレーズが
涌いてきたことが想像できます。

翻訳は
昭和11年6月から昭和12年8月頃の間
または
昭和9年9月から昭和10年3月末の間の
どちらかであろうことが推定されています。

「渇の喜劇」は
「若き晩年」に
ランボーが近くにあったことを
あらためて知る材料の一つです。

 *

 渇の喜劇

     Ⅰ

   祖先(みおや)

私(わし)達はおまへの祖先(みおや)だ、
  祖先(みおや)だよ!
月や青物の
冷(ひや)こい汁にしとど濡れ。
私達(わしたち)の粗末なお酒は心を持つてゐましたぞ!
お日様に向つて嘘偽(うそいつはり)のないためには
人間何が必要か? 飲むこつてす。

小生。――野花の上にて息絶ゆること。

私(わし)達はおまへの祖先(みおや)だ、
  田園に棲む。
ごらん、柳のむかふを水は、
湿つたお城のぐるりをめぐつて
ずうつと流れてゐるでせう。
さ、酒倉へ行きますよ、
林檎酒(シイドル)もあればお乳もあります。

小生。――牝牛等呑んでる所(とこ)へゆく。

私(わし)達はおまへの祖先(みおや)。
  さ、持つといで
戸棚の中の色んなお酒。
上等の紅茶、上等の珈琲、
薬鑵の中で鳴つてます。
――絵をごらん、花をごらん。
私(わし)達は墓の中から甦(かへ)つて来ますよ。

小生。――骨甕をみんな、割つちやへばよい。

     Ⅱ

   精神

永遠無窮な水精(みづはめ)は、
  きめこまやかな水分割(わか)て。

ヹニュス、蒼天の妹は、
  きれいな浪に情けを含めよ。

ノルヱーの彷徨ふ猶太人等は、
  雪について語つてくれよ。

追放されたる古代人等は、
  海のことを語つてくれよ。

小生。――きれいなお魚(さかな)はもう沢山、
     水入れた、コップに漬ける造花だの、
   絵のない昔噺は
     もう沢山。

   小唄作者よ、おまへの名附け子、
     水螅(ヒイドル)こそは私の渇望(かわき)、
   憂ひに沈み衰耗し果てる
     口なき馴染みのかの水螅(ヒイドル)。

     Ⅲ

   仲間

おい、酒は浜辺に
  浪をなし!
ピリツとくる奴、苦味酒(ビットル)は
  山の上から流れ出す!

どうだい、手に入れようではないか、
緑柱めでたきかのアプサン宮(きう)……

小生。――なにがなにやらもう分らんぞ。
   ひどく酔つたが、勘免しろい。

   俺は好きだぞ、随分好きだ、
   池に漬つて腐るのは、
   あの気味悪い苔水の下
   漂ふ丸太のそのそばで。

     Ⅳ

   哀れな空想

恐らくはとある夕べが俺を待つ
或る古都で。
その時こそは徐かに飲まう
満足をして死んでもゆかう、
たゞそれまでの辛抱だ!

もしも俺の不運も終焉(をは)り、
お金が手に入ることでもあつたら、
その時はどつちにしたものだらう?
北か、それとも葡萄の国か?……
――まあまあ今からそんなこと、

空想したつてはじまらぬ。
仮りに俺がだ、昔流儀の
旅行家様になつたところで、
あの緑色の旅籠屋が
今時(いまどき)あらうわけもない。

     Ⅴ

   結論

青野にわななく鳩(ふたこゑどり)、
追ひまはされる禽獣(とりけもの)、
水に棲むどち、家畜どち、
瀕死の蝶さへ渇望(かわき)はもつ。

さば雲もろとも融けること、
――すがすがしさにうべなはれ、
曙(あけぼの)が、森に満たするみづみづし
菫の上に息絶ゆること!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。原作は、本文中「勘免」の「免」に「ママ」の注記があります。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年4月 8日 (日)

中原中也が訳したランボー「渇の喜劇」Comédie de la Soifその2

中原中也訳「ランボオ詩集 飾画篇」の6番目にある
5章で構成される長詩
「渇の喜劇」Comédie de la Soifを読み進めます。

第3章は、Ⅲ「仲間」です。

おい、酒は浜辺に
波となってあるんだ!
ピリッとくる苦(にが)い酒ビットルは
山の上から流れ出すのさ!

どうだい、手に入れようじゃないか、
緑の柱と見違えるばかり立派なアブサン宮殿……

小生。――何が何やらもう分からなくなってきた。
       ひどく、酔ったが勘弁してくれい。

       俺は好きだぞ、随分好きだ、
       池に漬かって腐るのは、
       あの気味悪い苔水のヌルヌルの
       漂う丸太のその傍(そば)で。

Ⅳ「哀れな空間」は
会話ではなくなったのか
モノローグでしょうか。
語るのは「俺」です。

恐らくは、とある夕べが俺をまつだろう。
ある古都でな。
その時こそは、静かに飲もう
たらふく飲んで満足して死んでも行こう、
ただそれまでの辛抱だ!

もしも俺の不運も終わり、
お金が手に入ることにでもなったら、
その時はどっちにしたもんか!
北か、それとも南・葡萄の国か?
――まあまあ今からそんなことまで、

空想したって始まらない。
仮に俺がだ、昔流儀の
大旅行家殿になったところで、
あの「緑の色した旅館」が
今どき、存在するわけがない。

第5章「Ⅴ」は「結論」。

草原に震えているフタコエドリ、
追い回される禽獣たち、
水に棲む奴、家畜ども、
瀕死の蝶さえ渇望(かわき)を持ってる。

サバ雲もろとも融けること。
――清々しいこと限りなく
朝の光が、森に満たす清冽。
スミレの上で死ぬこと!

終わりのほうになって
訳詩が
こなれていて
スラスラと読めます。

さば雲もろとも融けること、
――すがすがしさにうべなはれ、

このあたり、名訳といえます。

中原中也は
この詩の訳出を早くから試み
長い間、あたためて
晩年に完成をみたことが知られています。

 *

 渇の喜劇

     Ⅰ

   祖先(みおや)

私(わし)達はおまへの祖先(みおや)だ、
  祖先(みおや)だよ!
月や青物の
冷(ひや)こい汁にしとど濡れ。
私達(わしたち)の粗末なお酒は心を持つてゐましたぞ!
お日様に向つて嘘偽(うそいつはり)のないためには
人間何が必要か? 飲むこつてす。

小生。――野花の上にて息絶ゆること。

私(わし)達はおまへの祖先(みおや)だ、
  田園に棲む。
ごらん、柳のむかふを水は、
湿つたお城のぐるりをめぐつて
ずうつと流れてゐるでせう。
さ、酒倉へ行きますよ、
林檎酒(シイドル)もあればお乳もあります。

小生。――牝牛等呑んでる所(とこ)へゆく。

私(わし)達はおまへの祖先(みおや)。
  さ、持つといで
戸棚の中の色んなお酒。
上等の紅茶、上等の珈琲、
薬鑵の中で鳴つてます。
――絵をごらん、花をごらん。
私(わし)達は墓の中から甦(かへ)つて来ますよ。

小生。――骨甕をみんな、割つちやへばよい。

     Ⅱ

   精神

永遠無窮な水精(みづはめ)は、
  きめこまやかな水分割(わか)て。

ヹニュス、蒼天の妹は、
  きれいな浪に情けを含めよ。

ノルヱーの彷徨ふ猶太人等は、
  雪について語つてくれよ。

追放されたる古代人等は、
  海のことを語つてくれよ。

小生。――きれいなお魚(さかな)はもう沢山、
     水入れた、コップに漬ける造花だの、
   絵のない昔噺は
     もう沢山。

   小唄作者よ、おまへの名附け子、
     水螅(ヒイドル)こそは私の渇望(かわき)、
   憂ひに沈み衰耗し果てる
     口なき馴染みのかの水螅(ヒイドル)。

     Ⅲ

   仲間

おい、酒は浜辺に
  浪をなし!
ピリツとくる奴、苦味酒(ビットル)は
  山の上から流れ出す!

どうだい、手に入れようではないか、
緑柱めでたきかのアプサン宮(きう)……

小生。――なにがなにやらもう分らんぞ。
   ひどく酔つたが、勘免しろい。

   俺は好きだぞ、随分好きだ、
   池に漬つて腐るのは、
   あの気味悪い苔水の下
   漂ふ丸太のそのそばで。

     Ⅳ

   哀れな空想

恐らくはとある夕べが俺を待つ
或る古都で。
その時こそは徐かに飲まう
満足をして死んでもゆかう、
たゞそれまでの辛抱だ!

もしも俺の不運も終焉(をは)り、
お金が手に入ることでもあつたら、
その時はどつちにしたものだらう?
北か、それとも葡萄の国か?……
――まあまあ今からそんなこと、

空想したつてはじまらぬ。
仮りに俺がだ、昔流儀の
旅行家様になつたところで、
あの緑色の旅籠屋が
今時(いまどき)あらうわけもない。

     Ⅴ

   結論

青野にわななく鳩(ふたこゑどり)、
追ひまはされる禽獣(とりけもの)、
水に棲むどち、家畜どち、
瀕死の蝶さへ渇望(かわき)はもつ。

さば雲もろとも融けること、
――すがすがしさにうべなはれ、
曙(あけぼの)が、森に満たするみづみづし
菫の上に息絶ゆること!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。原作は、本文中「勘免」の「免」に「ママ」の注記があります。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年4月 7日 (土)

中原中也が訳したランボー「渇の喜劇」Comédie de la Soif

Comédie de la Soifは
5章で構成される長詩で
中原中也訳「ランボオ詩集 飾画篇」の6番目にあります。
「渇の喜劇」と訳されています。

なにはともあれ
読んでみることにします。
読まないことには
はじまりませんから。

まずⅠは「祖先」。
「祖先」と書いて「みおや」と読ませるのは
いかにも、宗教心のある中原中也の訳です。

わしたちは、お前のみおや(祖先)だ、
  みおやだよ!
月や青い草々の
冷たい汁にしこたま濡れて。
わしたちの粗末な酒は心を持っていましたぞ!
お天道さまに対してウソイツワリのないためには
人間に何が必要か? 飲むことでさあ。

小生。――野花の上で死ぬことだ。

ここまで読んで
疑問がいくつか残りますが
先に進みます。

わしたちは、お前のみおや(祖先)だ、
  田園に棲んでいる。
ご覧、柳の向うを水は、
湿ったお城の回りをぐるっと回って
ずうっと流れているでしょ。
さあ、酒蔵へ行きますよ、
リンゴ酒もあればミルクもあります。

小生。――牝牛らが飲んでいる所へ行く。

わしたちは、お前のみおや(祖先)。
  さあ、持っておいで
戸棚の中の色んなお酒。
上等の紅茶、上等のコーヒー、
薬缶の中で鳴ってます。
――絵をご覧、花をご覧。
わしたちは、墓の中から蘇って来ますよ。

小生。――骨ツボをみんな、割っちゃえばいい。

祖先(みおや)である「わしたち」が
「お前」である「小生」に語りかけている劇。
「小生」も感想を漏らす――というつくりの劇(=コメディー)のようです。

Ⅱ「精神」へ入ります。

永遠無限の水の精オンディーヌは、
肌理(きめ)細やかな水を分けて。

ビーナス、青空の妹は、
きれいな波に情を込めよ。

ノルウェ-の、さまよえるユダヤ人らは、
雪について語ってくれ。

小生。――きれいなお魚はもう要らない、
       水を入れた、コップに漬ける作り花や、
       絵のない昔話は
       もう沢山。

       小唄作者よ、お前の名づけ役、
       ヒドラ(水蛇)こそは私の渇き、
       憂いに沈み衰弱している
       口のないお馴染みのあのヒドラ。

(つづく)

 *

 渇の喜劇

     Ⅰ

   祖先(みおや)

私(わし)達はおまへの祖先(みおや)だ、
  祖先(みおや)だよ!
月や青物の
冷(ひや)こい汁にしとど濡れ。
私達(わしたち)の粗末なお酒は心を持つてゐましたぞ!
お日様に向つて嘘偽(うそいつはり)のないためには
人間何が必要か? 飲むこつてす。

小生。――野花の上にて息絶ゆること。

私(わし)達はおまへの祖先(みおや)だ、
  田園に棲む。
ごらん、柳のむかふを水は、
湿つたお城のぐるりをめぐつて
ずうつと流れてゐるでせう。
さ、酒倉へ行きますよ、
林檎酒(シイドル)もあればお乳もあります。

小生。――牝牛等呑んでる所(とこ)へゆく。

私(わし)達はおまへの祖先(みおや)。
  さ、持つといで
戸棚の中の色んなお酒。
上等の紅茶、上等の珈琲、
薬鑵の中で鳴つてます。
――絵をごらん、花をごらん。
私(わし)達は墓の中から甦(かへ)つて来ますよ。

小生。――骨甕をみんな、割つちやへばよい。

     Ⅱ

   精神

永遠無窮な水精(みづはめ)は、
  きめこまやかな水分割(わか)て。

ヹニュス、蒼天の妹は、
  きれいな浪に情けを含めよ。

ノルヱーの彷徨ふ猶太人等は、
  雪について語つてくれよ。

追放されたる古代人等は、
  海のことを語つてくれよ。

小生。――きれいなお魚(さかな)はもう沢山、
     水入れた、コップに漬ける造花だの、
   絵のない昔噺は
     もう沢山。

   小唄作者よ、おまへの名附け子、
     水螅(ヒイドル)こそは私の渇望(かわき)、
   憂ひに沈み衰耗し果てる
     口なき馴染みのかの水螅(ヒイドル)。

     Ⅲ

   仲間

おい、酒は浜辺に
  浪をなし!
ピリツとくる奴、苦味酒(ビットル)は
  山の上から流れ出す!

どうだい、手に入れようではないか、
緑柱めでたきかのアプサン宮(きう)……

小生。――なにがなにやらもう分らんぞ。
   ひどく酔つたが、勘免しろい。

   俺は好きだぞ、随分好きだ、
   池に漬つて腐るのは、
   あの気味悪い苔水の下
   漂ふ丸太のそのそばで。

     Ⅳ

   哀れな空想

恐らくはとある夕べが俺を待つ
或る古都で。
その時こそは徐かに飲まう
満足をして死んでもゆかう、
たゞそれまでの辛抱だ!

もしも俺の不運も終焉(をは)り、
お金が手に入ることでもあつたら、
その時はどつちにしたものだらう?
北か、それとも葡萄の国か?……
――まあまあ今からそんなこと、

空想したつてはじまらぬ。
仮りに俺がだ、昔流儀の
旅行家様になつたところで、
あの緑色の旅籠屋が
今時(いまどき)あらうわけもない。

     Ⅴ

   結論

青野にわななく鳩(ふたこゑどり)、
追ひまはされる禽獣(とりけもの)、
水に棲むどち、家畜どち、
瀕死の蝶さへ渇望(かわき)はもつ。

さば雲もろとも融けること、
――すがすがしさにうべなはれ、
曙(あけぼの)が、森に満たするみづみづし
菫の上に息絶ゆること!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。原作は、本文中「勘免」の「免」に「ママ」の注記があります。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年4月 6日 (金)

中原中也が訳したランボー「ミシェルとクリスチイヌ」Michel et Christineその2

馬鹿な! 太陽が軌道を外れるなんて!
失せろ、洪水! 路という路の影を見ろ。
柳の中とか名誉ある古い庭の中だぞ、
雷雨がまず大きな雨滴をぶつけるのは。

そんな馬鹿なことがあるもんか!
太陽が軌道を外れるなんて、
――と、呆れ返っているのは誰だか
詩人自身なのか

この詩の中に入ると
いきなり
何かとんでもない天変地異に襲われて
仰天しているのだか
映画のシーンでも見ているのだか
痛快感がなくもなく
それほど悲惨というのでもなく
洪水よ、失せろ、と
慌てふためいてもいない詩人に
いつのまにか
シンセしている風な感じになります。

冒険劇が始まるかのように
詩の流れに身を任せていくと……

おお、100頭は下らない子羊の群れがゆく、牧歌を歌う金髪の兵士たちよ、
水路を渡る橋よ、痩せ衰えた潅木林よ、
消えて無くなっちまえ! 平野も砂漠も牧野も地平線も
雷雨の真っ赤なおめかしだ!

黒い犬よ、マントにくるまった褐色の牧師よ、
目覚しい稲妻からしばらくの間、逃れよ、
ブロンドの獣たちよ、カミナリの影と硫黄の匂いが立ち込める時には
隠れ家に引きこもるがよい。

ここまでの3連、
雷雨の猛威の幻像、
イリュミナシオン――。

第4連に
私=詩人が出現します。
雷雨が切り裂いた闇を飛んでいきます。

だが神さま! 私の精神は飛翔します。
赤く凍った空を追って
レールのように長いソローニュ地方の上を
飛び駆ける空の雲の、その下を。

見ろ、1000の狼、1000の蛮民を
まんざらでもなさそうに
信仰心をさそう雷雨の午後は
漂流する民の見られるであろう古代ヨーロッパに連れていく。

第4、第5連は
雷雨をものともせず
むしろ、これを幸いに
飛翔の糧となし
ソローニュの空を飛び
やがて古代ヨーロッパへと漂泊する私。

第6連は
雷雨が去った月明かりの夜――。

広野の果てまで
赤らんだ額を夜空の下で、戦士たちが
蒼ざめた馬を静かに進めている!
泰然としたこの行進の足元で小石がジャリジャリと音を立てている。

ランボーにしばしば現れる
戦士、兵士。
普仏戦争かパリ・コミューンか
戦いに敗れた労働者や兵士たちへの
鎮魂はさりげないが
ピリっと辛い。

そして
最終第7連は、
黄色い森、明るい谷間へ明転します――。

青い目の花嫁(この女性こそクリスチイヌです)
赤い額の男(この男性こそミシェルです)
それよ昔のフランス、ゴールの国を
さても可愛い足をした、過越祭りの白い子羊を
ミシュエルとクリスチイヌを
クリストを
牧歌の極限を
私は想うのだ!

意味森々としたメタファーが
隠されてあるのでしょうか

アンチ・クリストが
隠されているのでしょうか

よく分かりませんが
「酔いどれ船」の小型の
劇らしき骨格がある感じが
やはりします。

 *

 ミシェルとクリスチイヌ

馬鹿な、太陽が軌道を外(はづ)れるなんて!
失せろ、洪水! 路々の影を見ろ。
柳の中や名誉の古庭の中だぞ、
雷雨が先づ大きい雨滴をぶつけるのは。

おゝ、百の仔羊よ、牧歌の中の金髪兵士達よ、
水路橋よ、痩衰へた灌木林よ、
失せろ! 平野も沙漠も牧野も地平線も
雷雨の真ツ赤な化粧(おめかし)だ!

黒犬よ、マントにくるまつた褐色の牧師よ、
目覚ましい稲妻の時を逃れよ。
ブロンドの畜群よ、影と硫黄が漂ふ時には、
ひそかな私室に引籠るがよい。

だがあゝ神様! 私の精神は翔んでゆきます
赤く凍つた空を追うて、
レールと長いソローニュの上を
飛び駆ける空の雲の、その真下を。

見よ、千の狼、千の蛮民を
まんざらでもなささうに、
信仰風な雷雨の午後は
漂流民の見られるだらう古代欧羅巴に伴れてゆく!

さてその後刻(あと)には月明の晩! 曠野の限りを、
赤らむだ額を夜空の下に、戦士達
蒼ざめた馬を徐かに進める!
小石はこの泰然たる隊の足下で音立てる。

――さて黄色い森を明るい谷間を、
碧い眼(め)の嫁を、赤い額の男を、それよゴールの国を、
さては可愛いい足の踰越(すぎこし)祭の白い仔羊を、
ミシェルとクリスチイヌを、キリストを、牧歌の極限を私は想ふ!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年4月 5日 (木)

中原中也が訳したランボー「ミシェルとクリスチイヌ」Michel et Christine

Michel et Christineも
西条八十の研究では
1872年5月に作られた詩群の仲間です。
中原中也訳は「ミシェルとクリスチイヌ」としています。

「地獄の季節」の「錯乱Ⅱ」「言葉の錬金術」で

 俺の言葉の錬金術で、幅を利かせていたものは、およそ詩作の廃れものだ。
 素朴な幻覚には慣れていたのだ。何の遅疑なく俺は見た、工場のあるところに回々教(ういういきょう)の寺を、太鼓を教える天使らの学校を。無蓋の四輪馬車は天を織る街道を駆けたし、湖の底にはサロンが覗いたし、様々な妖術、様々な不可思議、ヴォドヴィルの一外題は、様々の吃驚を目前にうち立てた。
 しかも俺は、俺の魔法の詭弁を、言葉の幻覚によって説明したのだ。
                                       (小林秀雄訳)
 
――とランボーが自己の詩を分析したのを見ましたが、
ここに「ヴォドヴィルの一外題」とあるのが
「ミシェルとクリスチイヌ」というタイトルの由来らしい。

ランボーより1世紀前に活躍した
フランスの劇作家ウジェーヌ・スクリーブが書いた
ボードヴィルつまり軽喜劇の題名から採ったものらしい。
スクリーブの作品に「ミシェルとクリスチーヌ」というタイトルがあり
なにかの折にランボーがそれを知り
自作の詩のタイトルとしたというのです。
(「新編中原中也全集 第3巻 翻訳・解題篇」より)

馬鹿な! 太陽が軌道を外れるなんて!
失せろ、洪水! 路という路の影を見ろ。
柳の中とか名誉ある古い庭の中だぞ、
雷雨がまず大きな雨滴をぶつけるのは。

ドタバタの喜劇とは違うのでしょうか?
なにやら、荒唐無稽な珍事がはじまった気配……。

天変地異とスラップスティック劇が
同一の空間で展開されるような
ランボーの想像力が
全開する……。

「俺の魔法の詭弁を、言葉の幻覚によって説明したのだ」という
ランボーの「言葉の錬金術」が
ここでも繰り広げられます……。

原語では
「音と色の祭典」

それは
翻訳できない……。

ならば、せめて、
内容を追いかけてみれば。

第1連に現れた雷雨は
第2連にも現れ
第3連では稲妻になり
第4連でも、飛び駆ける空の雲になり
第5連でも、雷雨の午後になり
第6連で、月明の晩! になり
第7連で、黄色い森、明るい谷間になる
――という流れがはっきりと見えます。

夜空を切り裂くような
イリュミナシオン。

太陽が軌道を踏み外し
洪水襲来。

このような輪郭が掴めれば
では
あとは言語の実験で
内容なんて
意味なんて
どうでもよい
のか
といえば
そうではない
ハズです。

「酔いどれ船」で展開される
眩暈(げんうん)の世界の
雛形(ひながた)みたいなのが
ここにあるような感じがしませんか?

 *

 ミシェルとクリスチイヌ

馬鹿な、太陽が軌道を外(はづ)れるなんて!
失せろ、洪水! 路々の影を見ろ。
柳の中や名誉の古庭の中だぞ、
雷雨が先づ大きい雨滴をぶつけるのは。

おゝ、百の仔羊よ、牧歌の中の金髪兵士達よ、
水路橋よ、痩衰へた灌木林よ、
失せろ! 平野も沙漠も牧野も地平線も
雷雨の真ツ赤な化粧(おめかし)だ!

黒犬よ、マントにくるまつた褐色の牧師よ、
目覚ましい稲妻の時を逃れよ。
ブロンドの畜群よ、影と硫黄が漂ふ時には、
ひそかな私室に引籠るがよい。

だがあゝ神様! 私の精神は翔んでゆきます
赤く凍つた空を追うて、
レールと長いソローニュの上を
飛び駆ける空の雲の、その真下を。

見よ、千の狼、千の蛮民を
まんざらでもなささうに、
信仰風な雷雨の午後は
漂流民の見られるだらう古代欧羅巴に伴れてゆく!

さてその後刻(あと)には月明の晩! 曠野の限りを、
赤らむだ額を夜空の下に、戦士達
蒼ざめた馬を徐かに進める!
小石はこの泰然たる隊の足下で音立てる。

――さて黄色い森を明るい谷間を、
碧い眼(め)の嫁を、赤い額の男を、それよゴールの国を、
さては可愛いい足の踰越(すぎこし)祭の白い仔羊を、
ミシェルとクリスチイヌを、キリストを、牧歌の極限を私は想ふ!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年4月 4日 (水)

中原中也が訳したランボー「朝の思ひ」Bonne Pensée du matinその3

中原中也が訳した「朝の思い」Bonne Pensée du matinは
「飾画篇」の4番目にあるもので
1872年5月に作られました。

パリ・コンミューンから丁度1年後、
この1872年5月という時期は
ランボーの創作活動が極めて盛んだったことが知られています。

西条八十は
詩篇そのものに「1872年5月」と記されたものには
「朝の思ひ」をはじめ、

「涙」
「カシスの川」
「渇の喜劇」
「五月の軍旗」
「最も高き塔の歌」(中原中也訳は「最も高い塔の歌」)
「永遠」
――の7篇があるほか

「記憶」
「ブリュッセル」
「ミシェルとクリスチーヌ」(中原中也訳は「ミシェルとクリスチイヌ」)
「恥辱」(中原中也訳は「恥」)
「季節よ、城よ」(中原中也訳は「幸福」)
――や

「黄金時代」
「若夫婦」
「彼女はエジプトの歌姫か?」(中原中也訳は「彼女は埃及舞妓か?」)
「飢餓の祭」(中原中也訳は「飢餓の祭り」)
――などもこの頃の制作と推定しています。

色々な研究があるのでしょうが
西条八十は
これらの作品が
「酔いどれ船」を書く前後の状況の中で作られたことを明らかにしています。

「地獄の季節」の「錯乱Ⅱ」の「言葉の錬金術」で
「涙」とともに引用した「朝の思ひ」を
「試作」としつつ、

 俺の言葉の錬金術で、幅を利かせていたものは、およそ詩作の廃れものだ。
 
 素朴な幻覚には慣れていたのだ。何の遅疑なく俺は見た、工場のあるところに回々教(ういういきょう)の寺を、太鼓を教える天使らの学校を。無蓋の四輪馬車は天を織る街道を駆けたし、湖の底にはサロンが覗いたし、様々な妖術、様々な不可思議、ヴォドヴィルの一外題は、様々の吃驚を目前にうち立てた。

 しかも俺は、俺の魔法の詭弁を、言葉の幻覚によって説明したのだ。
                                           (小林秀雄訳)
 
――とランボーは自己分析し、もはや「過去のもの」と客体化しています。

ものすごいスピードで
今作ったばかりの自作を
過去の作品と見なす眼差しは
どこから生まれるのでしょうか。

「朝の思ひ」Bonne Pensée du matinは
作られた1872年5月から
幾日を経て
「過去」の作品になったのでしょうか――。

「朝の思ひ」第2連に登場する
「シャツ一枚の大工の腕」もまた
「魔法の詭弁を、言葉の幻覚によって説明した」ものと
考えてよいものでしょうか――。

色々に読める詩を
わざわざ読み急ぐことはありませんから
今は、
19世紀末フランスの郊外の
とある工作場の朝の
「シャツ一枚の大工の腕」を遠望している
詩人の心の眼に
何が映し出されていたのか
今はそれを思ってみるだけでよいのであり
わざわざこの詩から離れることもないでしょう。

ここで明らかなのは
「都市の富貴」(町に住む金持ち)のために働く彼ら・バビロン王の家来のために
ビーナスよ
「心驕れる愛人達」(愛の交歓に夢中な奴ら)は放っておくがよい、
牧人の女王よ
美味(うま)し酒をたんまり振る舞っておくれ、と
彼ら・シャツ一枚の大工たちに成り代って祈る詩人が存在するということです。

「シャツ一枚」の「白」が
エスペリイド(ヘスペリデス島)の方向に
昇りはじめた陽の光に映えて清冽です。

そして
「シャツ一枚の大工の腕」と訳したのは
中原中也の技です。
その技に乾杯です!

 *

 朝の思ひ

夏の朝、四時、
愛の睡気がなほも漂ふ
木立の下。東天は吐き出だしてゐる
   楽しい夕べのかのかをり。

だが、彼方(かなた)、エスペリイドの太陽の方(かた)、
大いなる工作場では、
シャツ一枚の大工の腕が
   もう動いてゐる。

荒寥たるその仕事場で、冷静な、
彼等は豪奢な屋敷の準備(こしらへ)
あでやかな空の下にて微笑せん
   都市の富貴の下準備(したごしらへ)。

おゝ、これら嬉しい職人のため
バビロン王の臣下のために、
ヹニュスよ、偶には打棄(うつちや)るがいい
   心驕れる愛人達を。

   おゝ、牧人等の女王様!
 彼等に酒をお与へなされ
 正午(ひる)、海水を浴びるまで
彼等の力が平静に、持ちこたへられますやうに。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年4月 3日 (火)

中原中也が訳したランボー「朝の思ひ」Bonne Pensée du matinその2

夏、朝の四時に、
愛の眠りはまだ続いている。
木陰の下から蒸発する
  祝いの夜の香り。

むこうの、広々とした工事現場では
ヘスペリデスの陽を浴びて、
すでに――シャツ一枚になって――せわしなく動き回る
  「大工」たち。

苔むした彼らの「砂漠」では、静かに、
値打ちものの羽目板の準備をしているが
       そこに町は
    偽の空を描くだろう。

おお、バビロンの王の臣下たる
これらの質素な「労働者」たちのために、
ウェヌスよ! 魂に冠をかぶった
  「恋人」たちとしばし別れておくれ。

  おお、「羊飼い」たちの王妃よ、
労働者たちにブランデーを運んでこい、
彼らの力が平和のうちにあるように
正午の海で水浴びするまでは。

これは、
ランボー「地獄の季節」の「錯乱Ⅱ」の
「言葉の錬金術」の中に引用された
「Bonne Pensée du matin」の
鈴木創士による訳です。
(「ランボー全詩集」河出文庫より)

次に
同じ鈴木が
「新しい詩」と分類された
いわゆる「後期詩篇」に
「朝の良き思い」のタイトルで訳したものを読みます。

夏、朝四時に、
愛の眠りはまだ続いている。
木立の下で夜明けが立ち昇らせる
   祝いの夜の香り。

むこうの巨大な工事現場では
ヘスペリデスの太陽に向かって、
シャツ一枚になった大工たちが
   すでにせわしなく動き回っている。

苔むした彼らの砂漠では、静かに、
値打ちものの羽目板の準備をしているが
やがて町の富は偽の空の下で
   笑うだろう。

おお! バビロンの王の臣下たる
これらの素敵な「労働者」たちのために、
ウェヌスよ! 魂に冠をかぶった
  「恋人」たちを少し放っておいてくれ。

    おお、「羊飼い」たちの王妃よ、
  労働者たちにブランデーを運んでこい、
  彼らの力が平和のうちにあるように
正午に、海で水浴びするまでは。
                 1872年5月

鈴木創士によれば
前者が「決定稿」ということになりますが
後者が作られた(印刷・製本された)のが1873年ですから
およそ1年の間の「変化」ですが
翻訳で「変化」は理解できても
「進化」を見ることは困難のようです。

「音」についての進化が
きっと二つの詩のバージョンには見られるのでしょうが
それを味わうには、
やはり
フランス語原詩にあたるしかないようです。

小林秀雄訳を
読んでおきましょう。

夏、朝の四時、
愛の睡りはまださめぬ、
木立には、
祭の夜の臭いが立ちまよう。

向うの、広い仕事場で、
エスペリードの陽をうけて、
もう『大工ら』は
肌着一枚で働いている。

苔むした『無人の鏡』に、黙りこくって、
勿体ぶった邸宅を、大工らは組んでいる、
街はやがてその上を、
偽の空で塗り潰そう。

ヴィナスよ、可愛い『職人ども』のために、
バビロンの王の家来たちのために、
暫くは心驕った『愛人たち』を、
離れて来てはくれまいか。

ああ、『牧人たちの女王様』、
大工の強い腕節が、真昼の海の水浴を、
心静かに待つようにと、
酒をはこんで来てはくれまいか。

(「地獄の季節」岩波文庫より)

詩の内容は
大体、同じようなものになりますが
「音」は
原詩=フランス語と日本語では
まるで別物ですから
これを翻訳することは不可能といえましょう。

「色」も
「音」に付随しますから
訳するとなると
かなり困難でしょうが
「意味」の訳とともに
「色」は多少なりとも訳されるかもしれません。

「言葉」の翻訳は
こんな風に単純ではないはずですが
「臭い」とか「温度」とか「空気感」とか……
訳せないものはいくらでもあり
訳せないものを訳そうとしているのですから
「あきれた!」なんて言えないのです。
偉大というしかありません。

「朝の思い」Bonne Pensée du matinに
ランボーは
何を歌いたかったのでしょうか――。

鈴木創士は
「労働者」と「大工」と訳し
小林秀雄と中原中也は「大工」と「職人」と訳した違いがあり
詩の主役は
微妙にニュアンスが異なりますが
ランボーがしばしば
侮蔑し痛罵し唾棄する標的ではなく
「仕事をする人」「働く者」への敬意の表明であるのが
「朝」の清冽さとともに
際立つ詩です。

 *

 朝の思ひ

夏の朝、四時、
愛の睡気がなほも漂ふ
木立の下。東天は吐き出だしてゐる
   楽しい夕べのかのかをり。

だが、彼方(かなた)、エスペリイドの太陽の方(かた)、
大いなる工作場では、
シャツ一枚の大工の腕が
   もう動いてゐる。

荒寥たるその仕事場で、冷静な、
彼等は豪奢な屋敷の準備(こしらへ)
あでやかな空の下にて微笑せん
   都市の富貴の下準備(したごしらへ)。

おゝ、これら嬉しい職人のため
バビロン王の臣下のために、
ヹニュスよ、偶には打棄(うつちや)るがいい
   心驕れる愛人達を。

   おゝ、牧人等の女王様!
 彼等に酒をお与へなされ
 正午(ひる)、海水を浴びるまで
彼等の力が平静に、持ちこたへられますやうに。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年4月 2日 (月)

中原中也が訳したランボー「朝の思ひ」Bonne Pensée du matin

Bonne Pensée du matinは
「地獄の季節」の「錯乱Ⅱ」の「言葉の錬金術」に
「涙」とともに引用されている詩です。
小林秀雄訳と同じく
中原中也も「朝の思ひ」と訳しました。

昭和12年9月発行の「ランボオ詩集」に初めて発表されたもので
「ランボオ詩抄」には収録されていません。

このことから制作時期は
①「ランボオ詩抄」が発行された昭和11年6月以降で
「ランボオ詩集」の原稿を野田書房に持ち込んだ昭和12年8月頃までの間
②建設社版「ランボオ全集」のために翻訳に集中した
昭和9年9月から翌10年3月までの間
――のどちらかであろうと推定されています。

散文で書かれた詩篇である「地獄の季節」には
韻文詩

「涙」
「朝の思ひ」
「最も高い塔の歌」
「飢餓の祭り」
「永遠」
「幸福」
――の6作品がランボー自らによって引用されています。

「朝の思ひ」を読むときに
必ずしも
「地獄の季節」の中の「朝の思ひ」を参照する必要はないのですが
なぜ、「地獄の季節」にランボーが引用したのかを知ることは
「朝の思ひ」という詩を読む手掛かりになりますから
読んでおくにこしたことではありません。

「地獄の季節」に引用されたテキストと
韻文詩篇と分類された「詩集」の中の同一の詩には
異同があり
この異同は単なる異同ではなくて
どちらかがより完成形に近いもの
バージョンの関係であるということなので、
比較して読むとよいらしい。

二つの詩篇を比べて読むと
ランボーの詩が猛スピードで変化していったことを発見できる、と
「ランボー全詩集」(河出文庫)の訳者・鈴木創士が
「解題」の中で明かしています。
鈴木創士は「地獄の季節」中の引用詩が
「詩篇」の詩に対して「決定稿」の位置にあることを案内しています。

そうとなれば
そこにはランボー詩を読む醍醐味(だいごみ)があるはずですから
ぜひともそのように読んでおきたいものですが……。

中原中也は「地獄の季節」を翻訳していませんし
小林秀雄は韻文詩をわずかしか翻訳していませんし
そもそも韻文詩篇と引用詩篇とが
バージョン関係にあるということについて
研究が進んでいなかった時代のランボー翻訳なのですから
残念ながら
中原中也や小林秀雄の訳では
その醍醐味にふれることはできません。

(つづく)

 *

 朝の思ひ

夏の朝、四時、
愛の睡気がなほも漂ふ
木立の下。東天は吐き出だしてゐる
   楽しい夕べのかのかをり。

だが、彼方(かなた)、エスペリイドの太陽の方(かた)、
大いなる工作場では、
シャツ一枚の大工の腕が
   もう動いてゐる。

荒寥たるその仕事場で、冷静な、
彼等は豪奢な屋敷の準備(こしらへ)
あでやかな空の下にて微笑せん
   都市の富貴の下準備(したごしらへ)。

おゝ、これら嬉しい職人のため
バビロン王の臣下のために、
ヹニュスよ、偶には打棄(うつちや)るがいい
   心驕れる愛人達を。

   おゝ、牧人等の女王様!
 彼等に酒をお与へなされ
 正午(ひる)、海水を浴びるまで
彼等の力が平静に、持ちこたへられますやうに。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年4月 1日 (日)

中原中也が訳したランボー「カシスの川」La Rivière de Cassisその2

中原中也訳の「カシスの川」La Rivière de Cassisは
ランボーを「単独で」翻訳して初めて発表した詩です。

ベルレーヌの著作「呪われた詩人たち」の「ポーヴル・レリアン」の中に
ランボーの「盗まれた心」と「フォーヌの顔」が引用されてあり
これをすでに「白痴群」第5号(昭和5年)に翻訳・発表していますが
これ以外のランボーの詩の翻訳では
「紀元」にこの「カシスの川」を発表したのが
単独の詩としては初めてということになります。

「紀元」に「カシスの川」を発表したのと同じ昭和8年に
「小冊子」に「失はれた毒薬」を発表していますが
これがランボーの作品でないことが
その後の研究で明らかになっている現在
「カシスの川」は
中原中也が翻訳した「単独の」詩の初めての発表詩ということになります。

「引用詩ではなく単独詩」
――こんな言い方に意味があるかはわかりませんが
ベルレーヌが引用したというだけで
それはベルレーヌの「息」がかかった詩であることから免れないという意味では
「カシスの川」は中原中也のエポックであったといえるかもしれません。

「紀元」発表後
スイッチが入ったかのように
ランボーの詩の翻訳を
中原中也は各誌に発表していきます。

「紀元」に発表された「カシスの川」は第1次形態とされていますが
昭和3年に大岡昇平と「見せっこ」した翻訳が
どれだけ反映しているのか
まったく影も形もないのか、という目で読み直してみると
なんだかランボー翻訳の初期の
「若さ」みたいなものが漂っている感じがしてきます。

「La Rivière de Cassis」は
「カシスである川」という意味か、
そうならば
カシス色に染まった川の流れのイメージも出てきますが
「カシス実る川」という意味ならば、
川べりに自生するカシス(=黒すぐり)が
たわわに実る自然の風景を歌っていることになりますが
さて、どうとったらよいでしょう――。

谷間
100羽のカラス
樅の林
沢山の風がくぐもる
昔の田舎
牙塔
威儀張つた公園
彷徨へる騎士
風の爽かなこと!
飛脚
矢来
領主
森の士卒
烏、おまへのやさしい心根
古い木片(きぎれ)
狡獪な農夫
……

これらの訳語からは
「カシスの川」が
自然のままに歌われるようでありながら

天使
騎士
飛脚
矢来
領主
士卒
農夫

――これら「人」のドラマが
実は主テーマであり、
つい昨日まで戦場だった流域の物語りであることが見え出します。

カシスの川は何にも知らずに流れる

――という冒頭行は、
「逆説」であって
カシスの川は何でも見てきたのだし、
何でも知っているのです。

カシスの赤黒い実で
塗りたくられたような川が
谷あいを悠然と流れる、
その川に寄り添うように
100羽のカラスが群れ飛んで
ギャーギャーと泣く……
真実(まこと)、天使の川波だ、
樅(もみ)の林も大きく揺れて
たんまりと風が吹きすさんでいる。

夏草やつわものどもが夢の跡

――と、松尾芭蕉の句を思い出させるようですが
ランボーは風流風雅(ふりゅうふうが)ではなく
「色と音の眩暈(めまい)の世界」です。

中原中也は
果敢に
色も音も
見逃すまいとしています。

 *

 カシスの川

カシスの川は何にも知らずに流れる
  異様な谷間を、
百羽の烏が声もて伴(つ)れ添ふ……
  ほんによい天使の川波、
樅の林の大きい所作に、
  沢山の風がくぐもる時。

すべては流れる、昔の田舎や
  訪はれた牙塔や威儀張つた公園の
抗(あらが)ふ神秘とともに流れる。
  彷徨へる騎士の今は亡き情熱も、
此の附近(あたり)にして人は解する。
  それにしてもだ、風の爽かなこと!

飛脚は矢来に何を見るとも
  なほも往くだらう元気に元気に。
領主が遣はした森の士卒か、
  烏、おまへのやさしい心根(こころね)!
古い木片(きぎれ)で乾杯をする
  狡獪な農夫は此処より立去れ。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

« 2012年3月 | トップページ | 2012年5月 »