中原中也が訳したランボー「カシスの川」La Rivière de Cassisその2
中原中也訳の「カシスの川」La Rivière de Cassisは
ランボーを「単独で」翻訳して初めて発表した詩です。
ベルレーヌの著作「呪われた詩人たち」の「ポーヴル・レリアン」の中に
ランボーの「盗まれた心」と「フォーヌの顔」が引用されてあり
これをすでに「白痴群」第5号(昭和5年)に翻訳・発表していますが
これ以外のランボーの詩の翻訳では
「紀元」にこの「カシスの川」を発表したのが
単独の詩としては初めてということになります。
「紀元」に「カシスの川」を発表したのと同じ昭和8年に
「小冊子」に「失はれた毒薬」を発表していますが
これがランボーの作品でないことが
その後の研究で明らかになっている現在
「カシスの川」は
中原中也が翻訳した「単独の」詩の初めての発表詩ということになります。
「引用詩ではなく単独詩」
――こんな言い方に意味があるかはわかりませんが
ベルレーヌが引用したというだけで
それはベルレーヌの「息」がかかった詩であることから免れないという意味では
「カシスの川」は中原中也のエポックであったといえるかもしれません。
「紀元」発表後
スイッチが入ったかのように
ランボーの詩の翻訳を
中原中也は各誌に発表していきます。
◇
「紀元」に発表された「カシスの川」は第1次形態とされていますが
昭和3年に大岡昇平と「見せっこ」した翻訳が
どれだけ反映しているのか
まったく影も形もないのか、という目で読み直してみると
なんだかランボー翻訳の初期の
「若さ」みたいなものが漂っている感じがしてきます。
◇
「La Rivière de Cassis」は
「カシスである川」という意味か、
そうならば
カシス色に染まった川の流れのイメージも出てきますが
「カシス実る川」という意味ならば、
川べりに自生するカシス(=黒すぐり)が
たわわに実る自然の風景を歌っていることになりますが
さて、どうとったらよいでしょう――。
◇
谷間
100羽のカラス
樅の林
沢山の風がくぐもる
昔の田舎
牙塔
威儀張つた公園
彷徨へる騎士
風の爽かなこと!
飛脚
矢来
領主
森の士卒
烏、おまへのやさしい心根
古い木片(きぎれ)
狡獪な農夫
……
◇
これらの訳語からは
「カシスの川」が
自然のままに歌われるようでありながら
天使
騎士
飛脚
矢来
領主
士卒
農夫
――これら「人」のドラマが
実は主テーマであり、
つい昨日まで戦場だった流域の物語りであることが見え出します。
カシスの川は何にも知らずに流れる
――という冒頭行は、
「逆説」であって
カシスの川は何でも見てきたのだし、
何でも知っているのです。
カシスの赤黒い実で
塗りたくられたような川が
谷あいを悠然と流れる、
その川に寄り添うように
100羽のカラスが群れ飛んで
ギャーギャーと泣く……
真実(まこと)、天使の川波だ、
樅(もみ)の林も大きく揺れて
たんまりと風が吹きすさんでいる。
◇
夏草やつわものどもが夢の跡
――と、松尾芭蕉の句を思い出させるようですが
ランボーは風流風雅(ふりゅうふうが)ではなく
「色と音の眩暈(めまい)の世界」です。
中原中也は
果敢に
色も音も
見逃すまいとしています。
*
カシスの川
カシスの川は何にも知らずに流れる
異様な谷間を、
百羽の烏が声もて伴(つ)れ添ふ……
ほんによい天使の川波、
樅の林の大きい所作に、
沢山の風がくぐもる時。
すべては流れる、昔の田舎や
訪はれた牙塔や威儀張つた公園の
抗(あらが)ふ神秘とともに流れる。
彷徨へる騎士の今は亡き情熱も、
此の附近(あたり)にして人は解する。
それにしてもだ、風の爽かなこと!
飛脚は矢来に何を見るとも
なほも往くだらう元気に元気に。
領主が遣はした森の士卒か、
烏、おまへのやさしい心根(こころね)!
古い木片(きぎれ)で乾杯をする
狡獪な農夫は此処より立去れ。
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。
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