中原中也が訳したランボー「忍耐」Patienceその3
「忍耐」Patienceの原詩
第1連第7、8行
Le ciel est joli comme un ange,
L'azur et l'onde communient.
――を、他の訳が気になりましたから
少し、当たってみることにします。
まずは、
同時代訳の小林秀雄訳は
「堪忍」のタイトルで、
空は天使の容姿に霽れ渡り、
「紺碧」は「潮」と流れ合ふ。
◇
西条八十は
「五月の軍旗」のタイトルで、
大空は天使のように美しい。
空の青と波とは溶け合う。
◇
渋沢孝輔は
「五月の軍旗」のタイトルで、
空は天使のような美しさ。
青空と波とが通じ合い、
◇
粟津則雄は
「五月の軍旗」のタイトルで、
空は天使のように美しい。
蒼空と波の心はひとつだ。
◇
金子光晴は
「忍耐」のタイトルで、
天使さまのように、空は清らかだ。
青空と潮はながれあう。
◇
鈴木創士は
「五月の旗」のタイトルで、
空は天使のようにきれいだ。
蒼穹と波の心はひとつになる。
◇
宇佐美斉は
「五月の旗」のタイトルで、
空は天使のようにきれいだ
青空と波とは一体となる
◇
以上のように
それぞれ個性的な翻訳を試みていて
訳語の選択や句読点の有無、
行の構成、連の中での位置付けなどと
微妙に違いがあることが分かります。
詩全体を読み比べれば
この違いはさらに
際立ちますし、
タイトルの付け方で
メッサン版か、メッサン版以前か
原典の違いまでを推察することができます。
詩(の翻訳)もまた、
時代の産物と言えるのでしょうか――。
◇
こうした翻訳の中にあって
中原中也の訳は
「聖体拝受」という語を使い
Communionと重ねていて
極めて異例ですが
「勇敢」です。
訳に勇敢さがあり
イメージを具体的に喚起させようと工夫している感じです。
堂々としています。
*
忍耐
或る夏の。
菩提樹の明るい枝に
病弱な鹿笛の音は息絶える。
しかし意力のある歌は
すぐりの中を舞ひめぐる。
血が血管で微笑めば、
葡萄の木と木は絡まり合ふ。
空は天使と美しく、
空と波とは聖体拝受。
外出だ! 光線(ひかり)が辛いくらゐなら、
苔の上にてへたばらう。
やれ忍耐だの退屈だのと、
芸もない話ぢやないか!……チエツ、苦労とよ。
ドラマチックな夏こそは
『運』の車にこの俺を、縛つてくれるでこそよろし、
自然よ、おまへの手にかゝり、
――ちつとはましに賑やかに、死にたいものだ!
ところで羊飼さへが、大方は
浮世の苦労で死ぬるとは、可笑しなこつた。
季節々々がこの俺を使ひ減らしてくれゝばいい。
自然よ、此の身はおまへに返す、
これな渇きも空腹(ひもじさ)も。
お気に召したら、食はせろよ、飲ませろよ。
俺は何にも惑ひはしない。
御先祖様や日輪様にはお笑草でもあらうけど、
俺は何にも笑ひたかない
たゞこの不運に屈托だけはないやうに!
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。
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