中原中也が訳したランボー「忍耐」Patienceその2
「忍耐」Patienceは、
1872年5月に制作されました。
この日付けと
タイトルの「ただし書き」に
「或る夏の。」とあるのと
何か関係があるのでしょうか……?
◇
菩提樹は、
シューベルトの「冬の旅」に出てくることで
広く知られている落葉高木ですから
「泉に沿いて、繁る菩提樹♪」のイメージでこの場合もよく、
その菩提樹の明るい枝振りの中に
病弱な鹿笛(ししぶえ)の音は消える。
◇
狩人(かりうど)が
鹿の鳴き声を真似て
鹿をおびき寄せては捕まえるという狩猟法は
世界各地に見られますが
その鳴き声を出す笛があって
鹿の鳴き声というのは
どことなく淋しい響きがするもので
それを「病弱な」と
中原中也は訳しました。
◇
しかし、力のこもった歌は
スグリの茂みの中を舞い巡るのだ。
「意力のある歌」とは
まさしく
シューベルトの「冬の旅」に現れる
旅人の口ずさむ歌みたいな
心のこもった歌のことでしょう。
◇
血が血管を勢いよく流れれば、
葡萄の木と木とは絡まり合う。
空は天使さながら美しく、
空と波とは聖体拝受。
外出しよう! 光線が辛いほどなら、
苔の上でくたばってしまおう。
◇
光線(ひかり)あふれる自然の賛美。
外気の中で
くたばってしまってもかまうもんか! という詩人の声がします。
◇
やれ忍耐だ退屈だなどと、
芸のない話じゃないか! ……ちぇっ、ご苦労なこと。
ドラマチックな夏こそは
「運」の車に、この俺を縛ってくれればそれでよし、
――ちょっとはましに、賑やかに、死にたいもんだ!
ところで羊飼いさえが、おおかたは、
浮世の苦労で死んでいるとは、変じゃないか。
◇
季節季節が、この俺を使いきってくれればいいんだ。
自然よ、この身はお前に返す、
このような渇きも空腹感もだ。
(その代わり)気に入ったなら、食わせろよ、飲ませろよ
俺は、何物によってもブレはしない。
ご先祖様や、お天道様には笑われちゃうかもしれないが、
俺はなんにも笑いたくはない
ただこの不運にひねくれることはするまい!
◇
ランボーが
これを歌っていたとき
「地獄の季節」にあったことを
想像することは
むずかしいことではありません。
第1連も
第2連も
最終連も
自然への渇仰がにじんでいます。
◇
なお、第1連第7、8行の原詩は
Le ciel est joli comme un ange,
L'azur et l'onde communient.
――です。
ここに「聖体拝受」を意味する
Communion(コミュニオン)の類語がありますから
中原中也はここでも
訳出に工夫を凝(こ)らしていることが分かります。
*
忍耐
或る夏の。
菩提樹の明るい枝に
病弱な鹿笛の音は息絶える。
しかし意力のある歌は
すぐりの中を舞ひめぐる。
血が血管で微笑めば、
葡萄の木と木は絡まり合ふ。
空は天使と美しく、
空と波とは聖体拝受。
外出だ! 光線(ひかり)が辛いくらゐなら、
苔の上にてへたばらう。
やれ忍耐だの退屈だのと、
芸もない話ぢやないか!……チエツ、苦労とよ。
ドラマチックな夏こそは
『運』の車にこの俺を、縛つてくれるでこそよろし、
自然よ、おまへの手にかゝり、
――ちつとはましに賑やかに、死にたいものだ!
ところで羊飼さへが、大方は
浮世の苦労で死ぬるとは、可笑しなこつた。
季節々々がこの俺を使ひ減らしてくれゝばいい。
自然よ、此の身はおまへに返す、
これな渇きも空腹(ひもじさ)も。
お気に召したら、食はせろよ、飲ませろよ。
俺は何にも惑ひはしない。
御先祖様や日輪様にはお笑草でもあらうけど、
俺は何にも笑ひたかない
たゞこの不運に屈托だけはないやうに!
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。
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