中原中也が訳したランボー「忍耐」Patienceその4
中原中也訳の「忍耐」Patienceは
同時代訳に小林秀雄の「堪忍」がありますから
それを読んでおきます。
小林秀雄の
数少ない韻文詩訳の一つです。
昭和8年に
江川書房から出した
「アルチュル・ランボオ詩集」収録のものは
ルビが多過ぎて読みにくいので
昭和23年、人文書院から発行した
「ランボオ詩集」収録のものを読みます。
小林秀雄訳のこの「ランボオ詩集」には
ほかに
「酩酊船」
「渇の喜劇」(「親」「精神」「友達」「あはれな想ひ」「くゝり」で構成)
「オフェリヤ」
「谷間に眠る男」があり
「堪忍」を含めて計5篇が韻文詩として収録されています。
◇
堪忍
小林秀雄訳
ある夏
鹿を追い詰めた猟人(かりうど)の
病み耄(ほう)けた合図の声は、
菩提樹の朗かな枝に消え、
霊(こころ)の歌は隈もなく
すぐりの実をひるがえす。
脈管の血よ、笑うがいい、
山葡萄は蔓を交えて立ちはだかる。
空は天使の容姿に霽れ渡り、
「紺碧」は「潮」と流れ合う。
俺は行く。光がこの身を破るなら、
青苔(あおごけ)を藉りて死ぬもよい。
堪忍(かんにん)もした、退屈もした、
想えば何とたわいもない、
糞いまいましい気苦労だ。
芝居がかったこの夏の
運命の車に縛られて
ああ、「自然」、どうぞお前の手にかゝり、
ちったあましに賑やかに、死にたいものだ。
見たところ、羊飼い奴らまでが、
浮世の故にくたばるとは
珍妙なことじゃないか。
「季節」がこの身を使い果してはくれまいか。
「自然」よ、この身はお前に返す、
俺の‘かつえ’も‘ひもじさ’も。
気が向いたなら食わしてやってくれ、飲ましてやってくれ。
何一つ俺を誑(たぶらか)すものはない、
御先祖様やお日様には
お笑草かもしれないが、
俺は何にも笑うまい、
ああこの不幸には屈託がないように。
※人文書院「ランボオ詩集」(昭和23年)より。新漢字を使用し、現代表記に改めました。‘かつえ’と‘ひもじさ’は、原作では傍点になっています。編者。
◇
昭和27年、人文書院発行の第1次「ランボオ全集」を
ここでついでに見てみると、
「忍耐の祭」は組詩として扱われ
一 五月の軍旗(中原中也訳)
二 最も高い塔の歌(同)
三 永遠(同)
四 黄金時代(平井啓之訳)
――の構成です。
小林秀雄が訳した韻文詩は
「オフェリヤ」
「谷間に眠る男」
「渇の喜劇」
「朝のよき想念」
「食事にとつた飼鳥の」
――の計5篇が載っています。
*
忍耐
或る夏の。
菩提樹の明るい枝に
病弱な鹿笛の音は息絶える。
しかし意力のある歌は
すぐりの中を舞ひめぐる。
血が血管で微笑めば、
葡萄の木と木は絡まり合ふ。
空は天使と美しく、
空と波とは聖体拝受。
外出だ! 光線(ひかり)が辛いくらゐなら、
苔の上にてへたばらう。
やれ忍耐だの退屈だのと、
芸もない話ぢやないか!……チエツ、苦労とよ。
ドラマチックな夏こそは
『運』の車にこの俺を、縛つてくれるでこそよろし、
自然よ、おまへの手にかゝり、
――ちつとはましに賑やかに、死にたいものだ!
ところで羊飼さへが、大方は
浮世の苦労で死ぬるとは、可笑しなこつた。
季節々々がこの俺を使ひ減らしてくれゝばいい。
自然よ、此の身はおまへに返す、
これな渇きも空腹(ひもじさ)も。
お気に召したら、食はせろよ、飲ませろよ。
俺は何にも惑ひはしない。
御先祖様や日輪様にはお笑草でもあらうけど、
俺は何にも笑ひたかない
たゞこの不運に屈托だけはないやうに!
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。
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