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2012年4月18日 (水)

中原中也が訳したランボー「永遠」Éternité

「永遠」Éternitéは
モノローグだか
ダイアローグだか
交わされる会話体が謎めきながら
甘味とともに辛口の
言葉の弾丸が瑞々しく
詩のエキスの中に突然投げ出されたような衝撃をともなって
猛スピードで世界中に知れ渡っていきましたし
今なおその勢いはやみません。

「地獄の季節」の「言葉の錬金術」に
ランボー自らが引用したこともあって
ランボーの名を
不朽のものにした詩の一つです。

この詩の作られたおよそ100年後に
フランスの映画監督ジャン・リュック・ゴタールが
「気狂いピエロ」Pierrot Le Fouを作り
世界各地で上映されて
一大センセーションを巻き起こしたことは記憶に新しいことです。

世情騒然たる
1960年代末から1970年代初頭は
ベトナム戦争終末期で
日本でも
村上龍が小説「69」(1987年)で
長崎県佐世保の米軍基地周辺の街に生きる高校生に
ランボーの「永遠」を語らせるシーンを盛り込んだり、

芥川賞を取る前の中上健次が
「十八歳、海へ」を処女作として書き終えていましたが
これも、題名そのものが
ランボーを意識したものですし
作品中にも
ランボーの詩篇が登場することはよく知られたことです。

1991年には
ランボー没後100周年
2004年には
生誕150周年で
出身国のフランスをはじめ世界各地で
記念事業や研究集会などが開かれ
日本でも特別講演を含むシンポジウムなどが行われ
この不世出の詩人への顕彰イベントが盛大にとり行われました。

ランボーの影響は
詩・文学ばかりでなく
映画、演劇、音楽、美術、哲学・思想、学生運動、ビートニク、ヒッピー……と
あらゆるジャンルに及び
今もなお強い浸透力で
世界の文化現象の一角に突き刺さっています。

「永遠」は

また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。

――の、第1連と最終連が
全くの同一詩句で繰り返されるルフランです。

この4行が
世界を
100年にわたって
跳梁し、震撼させ、感動させている、と言ってよいほどに
言葉の力の不可思議とか魔力とかを放射しているものです。

何故なのでしょうか――

そんな疑問が
湧いて来るだけで
もはや
言葉の錬金術の術中に、
その心地よくもあり
スフィンクスの謎解きに挑戦するような苦難と惑溺との中に
読み手は置き去りにされます。

1872年の制作当時、
ランボーはしきりに
「新しい詩」に挑んでいました。

 *

 永遠

また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。

見張番の魂よ、
白状しようぜ
空無な夜(よ)に就き
燃ゆる日に就き。

人間共の配慮から、
世間共通(ならし)の逆上(のぼせ)から、
おまへはさつさと手を切つて
飛んでゆくべし……

もとより希望があるものか、
願ひの条(すぢ)があるものか
黙つて黙つて勘忍して……
苦痛なんざあ覚悟の前。

繻子の肌した深紅の燠よ、
それそのおまへと燃えてゐれあ
義務(つとめ)はすむといふものだ
やれやれといふ暇もなく。

また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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