中原中也が訳したランボー「永遠」Éternité
「永遠」Éternitéは
モノローグだか
ダイアローグだか
交わされる会話体が謎めきながら
甘味とともに辛口の
言葉の弾丸が瑞々しく
詩のエキスの中に突然投げ出されたような衝撃をともなって
猛スピードで世界中に知れ渡っていきましたし
今なおその勢いはやみません。
「地獄の季節」の「言葉の錬金術」に
ランボー自らが引用したこともあって
ランボーの名を
不朽のものにした詩の一つです。
◇
この詩の作られたおよそ100年後に
フランスの映画監督ジャン・リュック・ゴタールが
「気狂いピエロ」Pierrot Le Fouを作り
世界各地で上映されて
一大センセーションを巻き起こしたことは記憶に新しいことです。
世情騒然たる
1960年代末から1970年代初頭は
ベトナム戦争終末期で
日本でも
村上龍が小説「69」(1987年)で
長崎県佐世保の米軍基地周辺の街に生きる高校生に
ランボーの「永遠」を語らせるシーンを盛り込んだり、
芥川賞を取る前の中上健次が
「十八歳、海へ」を処女作として書き終えていましたが
これも、題名そのものが
ランボーを意識したものですし
作品中にも
ランボーの詩篇が登場することはよく知られたことです。
◇
1991年には
ランボー没後100周年
2004年には
生誕150周年で
出身国のフランスをはじめ世界各地で
記念事業や研究集会などが開かれ
日本でも特別講演を含むシンポジウムなどが行われ
この不世出の詩人への顕彰イベントが盛大にとり行われました。
◇
ランボーの影響は
詩・文学ばかりでなく
映画、演劇、音楽、美術、哲学・思想、学生運動、ビートニク、ヒッピー……と
あらゆるジャンルに及び
今もなお強い浸透力で
世界の文化現象の一角に突き刺さっています。
◇
「永遠」は
また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。
――の、第1連と最終連が
全くの同一詩句で繰り返されるルフランです。
この4行が
世界を
100年にわたって
跳梁し、震撼させ、感動させている、と言ってよいほどに
言葉の力の不可思議とか魔力とかを放射しているものです。
何故なのでしょうか――
そんな疑問が
湧いて来るだけで
もはや
言葉の錬金術の術中に、
その心地よくもあり
スフィンクスの謎解きに挑戦するような苦難と惑溺との中に
読み手は置き去りにされます。
◇
1872年の制作当時、
ランボーはしきりに
「新しい詩」に挑んでいました。
*
永遠
また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。
見張番の魂よ、
白状しようぜ
空無な夜(よ)に就き
燃ゆる日に就き。
人間共の配慮から、
世間共通(ならし)の逆上(のぼせ)から、
おまへはさつさと手を切つて
飛んでゆくべし……
もとより希望があるものか、
願ひの条(すぢ)があるものか
黙つて黙つて勘忍して……
苦痛なんざあ覚悟の前。
繻子の肌した深紅の燠よ、
それそのおまへと燃えてゐれあ
義務(つとめ)はすむといふものだ
やれやれといふ暇もなく。
また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。
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