中原中也が訳したランボー「永遠」Éternitéその2
「永遠」と訳されることの多い原典Éternitéは、
ランボー自筆の原稿が2種類残されています。
一つはメッサン版に収録されているファクシミレで、
これには末尾に「1972年5月」と記されています。
一つは第2次ベリション版が踏襲しているラ・ヴォーグ版の元原稿で、
中原中也はこれを訳しています。
Éternitéには
この他に
「地獄の季節」中の「言葉の錬金術」に
引用されたバリアントがあります。
◇
自筆原稿(メッサン版とラ・ヴォーグ版)は、
第4、第5連に多くの異同があり、
この自筆原稿と「地獄の季節」中に引用されたテキストには
第1連と最終連の最終行、
つまり、ルフランの部分に
意味深長な変化があることが分かっています。
この変化は
1872年から1873年に起ったものと見られており
ランボーがこの時期に盛んに行っていた
「新しい詩」への試みといわれるものの一つです。
◇
原典では
la mer allée avec le soleil 太陽とともに去った海
が、
la mer mêlée au soleil 太陽と溶け合った海
――になったという変化です。
◇
専門的な話になりますが
ここのところを
「新編中原中也全集 第3巻 翻訳・解題篇」では
前者をごく素直に写実的な光景として読み取ろうとすれば、水平線に垂直の軌跡を描いて没し去ろうとする落日のイメージである他はない。しかし後者の場合、永遠をかたどるイメージを落日と断定する根拠は何もないと言わざるを得ない。海から昇る朝日でもあり得るわけであるが、それよりもむしろ、そのような時間性を超越した「永遠の光芒」にこそ照準を合わせたものと理解しなければならないだろう。
――と解説しています。
◇
そういえば
記憶に間違いがなければの話ですが
映画「気狂いピエロ」のエンディングは
ジャン・ポール・ベルモンド扮する主人公が
落日を背景にして爆死してしまうシーンに仕立てていたことが想起されます。
この映画が公開されたのは1965年のことですから
ランボー研究が
このときより深化を遂げたということを示す一例かもしれません。
◇
単独の詩としての「Éternité」は
「地獄の季節」に引用された詩が決定稿となったのだとすれば
決定稿のほうが上等で優秀な詩である、ということではありませんが、
この変化を知って読めば
いっそうÉternitéに近づくことにはなることでしょう。
◇
この詩を書いたころ
さば雲もろとも融けること(「渇の喜劇」)
――と中原中也が訳したランボーが
いまだ近くにいるのですが
やがては
「地獄の季節」を書き、
小林秀雄の言うような
「文学との決別」が予定されているようなランボーとは
異なる旅を続けるランボーが見えはじめますが……。
*
永遠
また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。
見張番の魂よ、
白状しようぜ
空無な夜(よ)に就き
燃ゆる日に就き。
人間共の配慮から、
世間共通(ならし)の逆上(のぼせ)から、
おまへはさつさと手を切つて
飛んでゆくべし……
もとより希望があるものか、
願ひの条(すぢ)があるものか
黙つて黙つて勘忍して……
苦痛なんざあ覚悟の前。
繻子の肌した深紅の燠よ、
それそのおまへと燃えてゐれあ
義務(つとめ)はすむといふものだ
やれやれといふ暇もなく。
また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。
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