中原中也が訳したランボー「幸福」Bonheurその8
「幸福」Bonheurには
Ô saisons, ô châteaux
(オー セゾン、オー シャトー)
――が、3度のルフランで現れるのですが
これを
季節(とき)が流れる、城砦(おしろ)が見える。
※中原中也訳は「城寨(おしろ)」です。
――と、「流れる」「見える」を捕捉して訳したのは
小林秀雄と中原中也のほかにありませんでした。
◇
翻訳というものは、
可能なかぎり原典を忠実に再現させるのが原則で、
削除したり補完したりすれば
改竄(かいざん)になりかねませんから
極力、回避するべきという考えが普通ですから
小林秀雄、中原中也のような冒険には
誰も踏み切らなかったということなのでしょう。
◇
小林秀雄は
昭和13年に岩波文庫版「地獄の季節」の第1刷で
「流れる」「見える」を削除し、
ああ、季節よ、城よ、
――と、このルフラン行を
原詩に近づける改訳を行いましたが、
そこには、
「翻訳の冒険」への
自戒の意味が込められていたのかも知れません。
◇
「新編中原中也全集」の編集委員である宇佐美斉は、
最近になって、
小林秀雄のこの改訳に触れた
詳細な論考を発表し、
小林は自身の旧訳の影響をつよく受けた中原がおそらくは若干の逡巡のすえにほぼそのまま踏襲してしまったのであろう二行の詩句を、死者へのはなむけとしてひそかに譲る気になったのではないだろうか。フランス詩の翻訳に関しては五歳年長の小林がつねに先輩格であったことも、そこには微妙に関与していただろう。
(「中原中也とランボー」所収「唄は流れる――いわゆる「幸福」訳をめぐって」)
――と、実に興味深い見解を述べています。
「死者へのはなむけとして」
「ひそかに譲る気になった」という推測に
やや引っかかるものがありますが
論考全体に説得力があり、
中原中也と小林秀雄という文学者の
「和解」という角度から見ても
「楽しい見方」です。
◇
中原中也は
「翻訳詩ファイル」を残しており
中で「幸福」のルフランを
おゝ季節、おゝ砦、
――と訳出していますから
宇佐美斉は、
「流れる」「見える」を捕捉したのは
小林秀雄の翻訳であることの根拠の一つにしています。
「翻訳詩ファイル」の制作は
昭和4年から8年の間と推定されていて
一方、小林秀雄が「地獄の季節」を発表したのは
昭和5年でしたから
小林秀雄の「捕捉ありルフラン」が先に翻訳され
中原中也は、
それを「踏襲」したと考えるのが自然であろうというのです。
◇
そもそも
「季節(とき)が流れる、城砦(おしろ)が見える。」としたのは
小林秀雄と中原中也とどちらが先か、
と問わなければ、
コラボレーション(共作)という考えが成り立ちはしまいか――。
学問・研究に
そんなゆるい考えは許されないのでしょうが
「ファンの立場」からは
学問・研究に伍す見解を述べるのは無謀というものですから、
ここではこれ以上のことは言わないことにしておきます。
*
幸福
季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える、
無疵な魂(もの)なぞ何処にあらう?
季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える、
私の手がけた幸福の
秘法を誰が脱(のが)れ得よう。
ゴオルの鶏(とり)が鳴くたびに、
「幸福」こそは万歳だ。
もはや何にも希ふまい、
私はそいつで一杯だ。
身も魂も恍惚(とろ)けては、
努力もへちまもあるものか。
季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える。
私が何を言つてるのかつて?
言葉なんぞはふつ飛んぢまへだ!
季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える!
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。
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