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2012年5月 2日 (水)

中原中也が訳したランボー「幸福」Bonheurその5

中原中也訳の「幸福」Bonheurについては
大岡昇平が、

十五年戦争が進み、一般に外国語を知る者が減ったので、当時の若者
はみな小林、中原訳でランボーを読み、「季節(とき)が流れる、お城が見
える」と歌ったのであった。
(「中原中也全集」解説・翻訳)

――と書いています。

これは、
大岡周辺だけの状況のように受け取られそうですが
「ランボオ詩集」の評判についてのコメントに続けて書かれたもので
世間一般の青年を見渡しての観察です。

「ランボオ詩集」は
春山行夫の否定的書評があったものの
おおかた好評をもって迎えられ
中でも「幸福」は
大岡のコメント通りの
小さな流行現象のようなインパクトで広がりました。

「小林、中原訳」という言い方が微妙ですが
富永太郎にはじまる「ランボーという事件」の中心に
二人がいたことは
動かしようにない事実でした。

戦争の足音が次第に高まっていく時代に
中原中也は他界してしまうのですが
「ランボオ詩集」は
自作詩集「山羊の歌」や「在りし日の歌」とともに
十五年戦争下の若者に読み継がれたのです。

そして、
戦後になって本格的なランボーの全集3巻本が
鈴木信太郎の監修で人文書院から発行され、
中原中也の翻訳も11篇が採用されたことによって
ランボー訳者としての中原中也は
自他共に認める評価を得ることになり
現在へと繋がります。

ランボー翻訳(研究)のその後については
いずれ触れることにして
戦後に発表された「幸福」の翻訳を
手当たり次第、
読んでおきましょう。

制作の順序も
なにもかも
アトランダムです。

寺田透訳

「地獄の季節」中の引用詩の訳ですから
題名はありません。

  おお季節よ、おお城よ。
  どの魂にも瑕はある。

幻妙の研究をして見たが
幸福、これは遁れえぬ。

ゴールの鶏の鳴くたびに
その幸福に敬礼だ。

ああもう羨望とは縁切りだ。
幸福がわたしの生はひきうけた。

身心そいつに魅惑され、
努力はみんなけしとんだ。

  おお季節よ、おお城よ。

そいつが逃げるときこそは、
哀れ、落命のときだろう。

  おお季節よ、おお城よ。

清岡卓行訳

「地獄の季節」中の引用詩の訳ですから
題名はありません。

おお季節よ、おお城よ!
どんな魂が、無疵なのだ?

だれも、避けては通らない幸福について
ぼくは、魔法のような研究をした。

敬礼だ、あいつに。
ゴールの雄鶏が鳴くたびごとに。

ああ! ぼくはもう羨望などしないだろう。
あいつが、ぼくの生活を引き受けたのだ。

この魅惑に、身も魂も捉えられ、
つらい努力は散り散りになった。

  おお季節よ、おお城よ!

それが逃げ去るときは、やんぬるかな!
どこかへ身まかるときだろう。

おお季節よ、おお城よ!

粟津則雄訳

「地獄の季節」中の引用詩の訳ですから
題名はありません。

 おお季節よ、おお城よ!
無疵(むきず)な心があるものか?

幸福の魔法をおれは究めてきた、
誰にもこれは逃げられぬ。

さあ幸福に挨拶だ、ゴールの国の
鶏が、歌い鳴くそのたびに。

ああ! もう何も欲しくない。
幸福に養われてきたこのいのち。

この呪縛、身も魂も奪われて
努める気持もすっ飛んだ。

  おお季節よ、おお城よ!

幸福が逃げてゆくときは、ああ!
おさらばのときとなるだろう。

 おお季節よ、おお城よ!

平井啓之訳

(※引用元の「テキストと実存」中の論考「ランボー『後期詩篇』の問題点」では題がつけられていません。編者)

おお季節よ、おお楼閣よ、
無傷な魂など世にあるものか?

おお季節よ、おお楼閣よ、

ぼくが究めた‘幸福’の
奥儀を、誰も避けられない。

おお 幸福万歳、彼のゴールの雄鶏が
鳴く音をあげるその度に。

まったくだ! ぼくはもう何も欲しくない、
幸福がぼくの生命を引き受けた。

この‘魅惑’! 身も魂もうばわれて、
努力もなにも散りうせた。

ぼくの言葉の意味だって?
言葉が飛んで逃げたのも彼のせいさ!

おお 季節よ、おお楼閣よ!

〔不幸がぼくを引込むときは、
 彼の不興がたしかなときさ。

 彼の侮りを身に受けては、ああきっと!
 即座にくたばることだろう!〕

以下は、中原中也訳です。

 *

 幸福

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える、
  無疵な魂(もの)なぞ何処にあらう?

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える、

私の手がけた幸福の
秘法を誰が脱(のが)れ得よう。

ゴオルの鶏(とり)が鳴くたびに、
「幸福」こそは万歳だ。

もはや何にも希ふまい、
私はそいつで一杯だ。

身も魂も恍惚(とろ)けては、
努力もへちまもあるものか。

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える。

私が何を言つてるのかつて?
言葉なんぞはふつ飛んぢまへだ!

  季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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コメント

さまざまな翻訳によるランボー。面白いです。
興味深く読まさせていただきました、ありがとうございました。

たまたまわたしもブログ記事で、勝手なリメイクバージョンを書いていたのです。
http://blogs.yahoo.co.jp/raindrop_5588/54837925.html

さまざまな勝手?が、別の世界を浮かび上がらせる。楽しいものだと思います。

リアクションが遅くなりまして、すみません。
色々あるのが一番ですね。
涙も、翻訳も、叙情も。
何事も独占はよくないです。
誤解を恐れずに言えば、「文学にもデモクラシーを!」です。
TPPは著作権のところにひっかかります。
話は飛びますが、ゴタールのランボーなど、中也は目を輝かせていることでしょう。

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