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2012年5月11日 (金)

中原中也が訳したランボー「飢餓の祭り」Fêtes de la Faimその4

「新編中原中也全集」の編集委員である
宇佐美斉は
「ランボー全詩集」(ちくま文庫)の訳者でもありますが
同書の「地獄の季節」の中の
引用詩「飢餓」を導く前文についての脚注で
見事な解説をしていますから
ここに紹介しておきましょう。

「ランボー全詩集」には
「後期韻文詩」の中に「飢餓の祭」、
「地獄の季節」の中に「飢餓」と、
二つの詩が異稿として翻訳されています。

その「地獄の季節」の引用詩「飢餓」のリードに
「おお! るりじしゃに懸想して」とはじまるフレーズ2行への
簡単な注釈ですが、
わかりやすくするために
あわせて「飢餓」本体の訳も載せておきます。

まず、リード部です。
小林秀雄訳では、

ああ、
羽虫は、
瑠璃萵苣(るりちさ)に焦れ、
旅籠屋の小便壺に酔い痴れて、
一筋の光に姿を消すか。

――となっている引用詩の直前の文です。

おお! るりじしゃに懸想して、旅籠(やど)の共同便所に酔い痴れている羽虫、そいつも一条の光に溶けてしまうのだ!

つぎに脚注です。
この解説が秀逸!

「おお! るりじしゃに懸想して」 この二行の真意は、おそらく次のような自虐のいりまじった軽やかな諧謔にある。すなわち「るりじしゃ」は利尿剤として用いられる薬草でもある。その花の蜜をすい香をかいだ羽虫は、にわかに尿意をもよおして宿の便所に駆けつけ、アンモニアの臭いにむせながらそこで‘よたっている’。そしてやがてこの頓馬な羽虫のナンセンスな一幕喜劇に幕を降ろすのは、洩れいる西日の一条の光である。――ここには確かに、ひとつのはかない夢の破産がこっそりと打ち明けられているのである。

このリードと
引用詩「飢餓」との関係については
述べられていませんが
リードがこのように読めるのなら
「飢餓」の鑑賞が
いっそう醍醐味を増すことは
確実というものでしょう。

 *

 飢餓の祭り

  俺の飢餓よ、アンヌ、アンヌ、
   驢馬に乗つて失せろ。

俺に食慾(くひけ)があるとしてもだ
土や礫(いし)に対してくらゐだ。
Dinn! dinn! dinn! dinn! 空気を食はう、
岩を、炭を、鉄を食はう。

飢餓よ、あつちけ。草をやれ、
  音(おん)の牧場に!
昼顔の、愉快な毒でも
  吸ふがいい。

乞食が砕いた礫(いし)でも啖(くら)へ、
 教会堂の古びた石でも、
 洪水の子の磧の石でも、
 寒い谷間の麺麭でも啖へ!

 飢餓とはかい、黒い空気のどんづまり、
   空鳴り渡る鐘の音。
 ――俺の袖引く胃の腑こそ、
   それこそ不幸といふものさ。

 土から葉つぱが現れた。
 熟れた果肉にありつかう。
 畑に俺が摘むものは
 野蒿苣(のぢしや)に菫だ。

   俺の飢餓よ、アンヌ、アンヌ、
   驢馬に乗つて失せろ。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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