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2012年5月21日 (月)

中原中也が訳したランボー「追加篇」を読む前に・その2

中原中也訳「ランボオ詩集」の
「追加篇」APPENDICEのうちわけをみてみると
「失はれた毒薬」を含む17篇の韻文詩が収録されていますが、
原典の第2次ベリション版には
「失はれた毒薬」は収録されておらず
19篇が収録されていますので、
中原中也訳「ランボオ詩集」には
ランボーの詩3篇が訳されていないことになります。

「失はれた毒薬」は、
「ランボオ詩集」の「後記」に

附録とした「失はれた毒薬」は、今はそのテキストが分からない。これは大正も末の頃、或る日小林秀雄が大学の図書館か何処かかから、写して来たものを私が訳したものだ。とにかく未発表詩として、その頃出たフランスの雑誌か、それともやはりその頃出たランボオに関する研究書の中から、小林秀雄が書抜いて来たのであつた、ことは覚えてゐる。――テキストを御存知の方があつたら、何卒御一報下さる様お願します。

――と中原中也は書いていますが
現在では、ランボーの作品ではないことが分かっています。

中原中也訳の「ランボオ詩集」では、
ランボーの詩が3篇、訳されなかったことになりますが、
その3篇は

「鍛冶屋」
「ぼくのかわいい恋人たち」
「正義の人」

――です。

(「新編中原中也全集」「翻訳・解題篇」より)
※これら詩のタイトルは、宇佐美斉の訳と思われます。編者。

中原中也訳の「ランボオ詩集」は、
ランボー全詩集ではないので
未収録の詩があってもおかしくはないのですが、
韻文詩のすべてを
中原中也は翻訳しようとしていたはずでした。

それをしなかったのには
「見切り発車」せざるを得なかった
なんらかの理由があったことが想像されます。

第2次ベリション版が
「初期詩篇」
「飾画篇」
「追加篇」――の3章構成にした意図は分かりませんが
「追加篇」にざっと目を通すだけで
顕著な特徴があることを
ランボー詩の初歩的な読者もすぐに気づくはずです。

「追加篇」の詩のほとんどが
作品末尾に日付けを持ち
1番目の「孤児等のお年玉」以外は
1870年の日付けを持つという点です。
日付けのない「海の泡から生れたヴィナス」も
原典のベリション版は1870年の日付けがありますが
中原中也は訳出しませんでした。

つまり
「飾画篇」より前に制作された詩群であり
「初期詩篇」に収録されるべきものを
「追加」としたのが
「追加篇」の詩群ということになります。

「飾画篇」の「海景」までを
およその時系列で読み進めてきた読者は
ここで再び
「ランボー初期」へと舞い戻る格好になります。

パリコンミューン以前であり、
ベルレーヌとの邂逅以前です。

「孤児等のお年玉」Les Étrennes des orphelinsは
1869年末の日付けが
ランボーによって記されましたが
中原中也は〔千八百六十九年末つ方〕と訳しました。

「末つ方」は
「スエツカタ」と読み
「末の頃」という意味の
古語表現です。

 *

 孤児等のお年玉
 
    Ⅰ

薄暗い部屋。
ぼんやり聞こえるのは
二人の子供の悲しいやさしい私話(ささやき)。
互ひに額を寄せ合つて、おまけに夢想(ゆめ)で重苦しげで、
慄へたり揺らいだりする長い白いカーテンの前。
戸外(そと)では、小鳥たちが寄り合つて、寒がつてゐる。
灰色の空の下で彼等の羽はかじかんでゐる。
さて、霧の季節の後(あと)に来た新年は、
ところどころに雪のある彼女の衣裳を引摺りながら、
涙をうかべて微笑をしたり寒さに慄へて歌つたりする。

    Ⅱ

二人の子供は揺れ動くカーテンの前、
低声で話をしてゐます、恰度暗夜に人々がさうするやうに。
遠くの囁でも聴くやう、彼等は耳を澄ましてゐます。
彼等屡々、目覚時計の、けざやかな鈴(りん)の音には
びつくりするのでありました、それはりんりん鳴ります 鳴ります、
硝子の覆ひのその中で、金属的なその響き。
部屋は凍てつく寒さです。寝床の周囲(まはり)に散らばつた
喪服は床(ゆか)まで垂れてます。
酷(きび)しい冬の北風は、戸口や窓に泣いてゐて、
陰気な息吹を此の部屋の中までどんどん吹き込みます。
彼等は感じてゐるのです、何かゞ不足してゐると……
それは母親なのではないか、此のいたいけな子達にとつて、
それは得意な眼眸(まなざし)ににこにこ微笑を湛へてる母親なのではないでせう
か?
母親は、夕方独りで様子ぶり、忘れてゐたのでありませうか、
灰を落としてストーブをよく燃えるやうにすることも、
彼等の上に羊毛や毬毛(わたげ)をどつさり掛けることも?
彼等の部屋を出てゆく時に、お休みなさいを云ひながら、
その晨方(あさがた)が寒いだらうと、気の付かなかつたことでせうか、
戸締(とじ)めをしつかりすることさへも、うつかりしてゐたのでせうか?
――母の夢、それは微温の毛氈です、
柔らかい塒(ねぐら)です、其処に子供等小さくなつて、
枝に揺られる小鳥のやうに、
ほのかなねむりを眠ります!
今此の部屋は、羽なく熱なき塒です。
二人の子供は寒さに慄へ、眠りもしないで怖れにわななき、
これではまるで北風が吹き込むための塒です……

    Ⅲ

諸君は既にお分りでせう、此の子等には母親はありません。
養母(そだておや)さへない上に、父は他国にゐるのです!……
そこで婆やがこの子等の、面倒はみてゐるのです。
つまり凍つた此の家に住んでゐるのは彼等だけ……
今やこれらの幼い孤児が、嬉しい記憶を彼等の胸に
徐々に徐々にと繰り展(ひろ)げます、
恰度お祈りする時に、念珠を爪繰るやうにして。
あゝ! お年玉、貰へる朝の、なんと嬉しいことでせう。
明日(あした)は何を貰へることかと、眠れるどころの騒ぎでない。
わくわくしながら玩具(おもちや)を想ひ、
金紙包(きんがみづつ)みのボンボン想ひ、キラキラきらめく宝石類は、
しやなりしやなりと渦巻き踊り、
やがて見えなくなるかとみれば、またもやそれは現れてくる。
さて朝が来て目が覚める、直ぐさま元気で跳(は)ね起きる。
目を擦(こす)つてゐる暇もなく、口には唾(つばき)が湧くのです、
さて走つてゆく、頭はもぢやもぢや、
目玉はキヨロキヨロ、嬉しいのだもの、
小さな跣足(はだし)で床板踏んで、
両親の部屋の戸口に来ると、そをつとそをつと扉に触れる、
さて這入ります、それからそこで、御辞儀……寝巻のまんま、
接唇(ベーゼ)は頻(しき)つて繰返される、もう当然の躁ぎ方です!

    Ⅳ

あゝ! 楽しかつたことであつた、何べん思ひ出されることか……
――変り果てたる此の家(や)の有様(さま)よ!
太い薪は炉格(シユミネ)の中で、かつかかつかと燃えてゐたつけ。
家中明るい灯火は明(あか)り、
それは洩れ出て外(そと)まで明るく、
机や椅子につやつやひかり、
鍵のしてない大きな戸棚、鍵のしてない黒い戸棚を
子供はたびたび眺めたことです、
鍵がないとはほんとに不思議! そこで子供は夢みるのでした、
戸棚の中の神秘の数々、
聞こえるやうです、鍵穴からは、
遠いい幽かな嬉しい囁き……
――両親の部屋は今日ではひつそり!
ドアの下から光も漏れぬ。
両親はゐぬ、家よ、鍵よ、
接唇(ベーゼ)も言葉も呉れないまゝで、去(い)つてしまつた!
なんとつまらぬ今年の正月!
ジツと案じてゐるうち涙は、
青い大きい目に浮かみます、
彼等呟く、『何時母さんは帰つて来ンだい?』

    Ⅴ

今、二人は悲しげに、眠つてをります。
それを見たらば、眠りながらも泣いてると諸君は云はれることでせう、
そんなに彼等の目は腫れてその息遣ひは苦しげです。
ほんに子供といふものは感じやすいものなのです!……
だが揺籃を見舞ふ天使は彼等の涙を拭ひに来ます。
そして彼等の苦しい眠に嬉しい夢を授けます。
その夢は面白いので半ば開いた彼等の唇(くち)は
やがて微笑み、何か呟くやうに見えます。
彼等はぽちやぽちやした腕に体重(おもみ)を凭(もた)せ、
やさしい目覚めの身振りして、頭を擡(もた)げる夢をばみます。
そして、ぼんやりした目してあたりをずつと眺めます。
彼等は薔薇の色をした楽園にゐると思ひます……
パツと明るい竃には薪がかつかと燃えてます、
窓からは、青い空さへ見えてます。
大地は輝き、光は夢中になつてます、
半枯(はんかれ)の野面(のも)は蘇生の嬉しさに、
陽射しに身をばまかせてゐます、
さても彼等のあの家が、今では総体(いつたい)に心地よく、
古い着物ももはやそこらに散らばつてゐず、
北風も扉の隙からもう吹込みはしませんでした。
仙女でも見舞つてくれたことでせう!……
――二人の子供は、夢中になつて、叫んだものです……おや其処に、
母さんの寝床の傍に明るい明るい陽を浴びて、
ほら其処に、毛氈(タピー)の上に、何かキラキラ光つてゐる。
それらみんな大きいメタル、銀や黒のや白いのや、
チラチラ耀く黒玉や、真珠母や、
小さな黒い額縁や、玻璃の王冠、
みれば金字が彫り付けてある、『我等が母に!』と。
                〔千八百六十九年末つ方〕

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、新漢字を使用しました。また、節を
示すギリシア数字は、一部、現代表記にしました。編者。

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