カテゴリー

2024年1月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »

2012年6月

2012年6月23日 (土)

中原中也が訳したランボー「海の泡から生れたヴィナス」Véus anadyomèn

中原中也訳「海の泡から生れたヴィナス」Véus anadyomènを
読んでいきましょう。

ブリキでできた緑色の棺からのように、褐色の髪に
ベトベトにポマードをつけた女の頭が、
古ぼけた浴槽から現われる、どんよりして間が抜けた
その顔には下手くそな化粧がほどこされている。

脂ぎった薄汚い首まわり、幅広な肩甲骨は
突き出ているし、短い背中は凸凹だ。
皮下脂肪は、平べったい葉っぱのようだし、
腰の丸みは、飛び出しそう。

背中は少し赤らんでいる、全体が異様で
ぞっとする。特に気になるのは
変な格好の瘤(こぶ)。

腰には二つの言葉が彫ってある、「輝く」「ビーナス」と。
――胴全体がでかい尻を動かし、引き締め、
肛門の潰瘍は、なんとも見苦しいまでに美しい。

ビーナスの肛門!
肛門のできもの!

一読して
ビーナス=美の女神――という偶像の破壊。

ランボーは実際に見たビーナスがあったのか――。
たとえばルーブル美術館の「ミロのビーナス」は
ランボーの時代に見られたのか――。
ランボーが題材にしたビーナスは
そもそも「ミロのビーナス」ではないのか――。
そういえば
パリ・コンミューンの混乱の中で、
「ルーブルのビーナスたち」は
破壊されたり略奪されたりしたのではなかったか――。

これらの背景と
ランボーの詩Véus anadyomènは
どのような関係にあるのだろうか、などと
イメージは散乱しますが
これも「ドゥエ詩帖」にある1篇で
「1870年7月27日」の日付け入りで
ランボー自筆の原稿が残っている作品です。

やがて
ダダイストやシュルレアリストたちに
迎えられていくランボーを訳しながら
中原中也のダダイズムは
どのようなことを感じていたでしょうか。

この詩は
「ランボオ詩抄」に収録されず
「ランボオ詩集」で初めて公開されたものですから
昭和11年6月から12年8月頃までの間か、
昭和9年9月から10年3月末までの間かの
どちらかの制作と推定されている詩群の中の一つです。

中原中也晩年の仕事ですから
中原中也晩年のダダイズムを見られる糸口があるはずですが
翻訳にその形跡を見るのは至難です。

至難ながら
訳に「こなれた感じ」があると感じるのは
感じ過ぎというものでしょうか――。

 *

 海の泡から生れたヴィナス

ブリキ製の緑の棺からのやうに、褐色の髪に
ベトベトにポマード附けた女の頭が、
古ぼけた浴槽の中からあらはれる、どんよりと間の抜けた
その顔へはまづい化粧がほどこされてゐる。

脂(あぶら)ぎつた薄汚い頸(くび)、幅広の肩胛骨(かひがらぼね)は
突き出てゐるし、短い脊中はでこぼこだ。
皮下の脂肪は、平らな葉のやう、
腰の丸みは、飛び出しさうだ。

脊柱(せすぢ)は少々赤らんでゐる、総じて異様で
ぞつとする。わけても気になる
奇態な肉瘤(こぶ)。

腰には二つの、語が彫つてある、Clara Venus と。
――胴全体が大きいお尻を、動かし、緊張(ひきし)め、
肛門の、潰瘍は、見苦しくも美しい。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、新漢字を使用しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年6月15日 (金)

中原中也が訳したランボー「タルチュッフの懲罰」Le châtiment de Tartufeその4

Le châtiment de Tartufeの日本語訳で
昭和3年に発表された大岡昇平訳が
最も早い時期の訳になるのであれば驚きですが、
断定できません。

今のところ
大岡昇平より早く訳したものが見つかりませんし
戦前の翻訳で公表されているもので
2番手が中原中也訳であるなら
これもまた驚きですが、
これも断定できません。

戦後になってからは
昭和27年発行の人文書院版「ランボオ全集」に
村上菊一郎の「「タルチュフ懲戒」がありますが、
ここでは
昭和26年に新潮文庫に入った堀口大学訳「ランボー詩集」から
「偽善者(タルチユフ)の天罰」を読んでおきましょう。

「月下の一群」で
ランボーを選択しなかった堀口大学が
戦後になってようやくまとめた同詩集は
瞬く間に版を重ね
平成23年時点で88刷という人気ぶりですから
その理由が少しは分かるかもしれません。

偽善者(タルチユフ)の天罰
堀口大学訳

世をいつわりの黒染めの僧衣(ころも)の袖(そで)に
狂おしの恋慕のほむらおしかくし
心いそいそ、行儀よく手袋かけて、気味悪いほど落着いて、
彼奴(かやつ)出掛けた、或(あ)る日のことよ、歯のない口からだらだらと、嬉(うれ)しい涎(よだれ)

彼奴(かやつ)出掛けた、或る日のことよ、――「祈らめ、いざや(オレミユス)」――
さるほどに、悪戯者(いたずらもの)が現われて、抹香(まっこう)臭い彼奴の耳を鷲摑(わしずか)み
あらん限りの雑言(ぞうごん)吐いて、あげくのはては、
冷汗(ひやあせ)びっしょり濡れた彼奴から、世をいつわりの黒染めの僧衣(ころも)をさっとはぎ取った。

天罰覿面(てきめん)!――僧衣(ころも)はさっとはぎ去られ、
重ね来た煩悩(ぼんのう)の罪の数々、数珠玉(じゅずだま)の数ほどわが身に覚えあり
偽善者上人(タルチユフしょうにん)このところ青菜に塩さ!

大あわて、息せき切って、懺悔(ざんげ)するやら、祈るやら、
袈裟(けさ)と僧衣(ころも)を奪い取り、男はさっと引きあげた、
――は、はッ! これでどうやら偽善者上人(タルチユフしょうにん)、一糸まとわぬ裸となったぞ。

戦後発表のことですから
歴史的かな遣いではなく、
文語の使用も抑えていて
どこかモダンな感じを出しています。

 *

 タルチュッフの懲罰

わくわくしながら、彼の心は、恋慕に燃えて
僧服の下で、幸福おぼえ、手袋はめて、
彼は出掛けた、或日のことに、いとやさしげな
黄色い顔して、歯欠けの口から、信心垂らし

彼は出掛けた、或日のことに――《共に祈らん(オレムス)》――
と或る意地悪、祝福された、彼の耳をば手荒に掴み
極悪の、文句を彼に、叩き付けた、僧服を
じめじめの彼の肌から引ツ剥ぎながら。

いい気味だ!……僧服の、釦は既に外(はづ)されてゐた、
多くの罪過を赦してくれた、その長々しい念珠をば
心の裡にて爪繰りながら、聖タルチュッフは真(ま)ツ蒼(さを)になつた。

ところで彼は告解してゐた、お祈りしてゐた、喘ぎながらも。
件の男は嬉々として、獲物を拉つてゆきました。
――フツフツフツ! タルチュッフ様は丸裸か。
                     〔一八七〇、七月〕

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、新漢字を使用しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年6月14日 (木)

中原中也が訳したランボー「タルチュッフの懲罰」Le châtiment de Tartufeその3

中原中也訳「タルチュッフの懲罰」Le châtiment de Tartufeは
「ランボオ詩抄」に収録されず
「ランボオ詩集」で初めて公開されたものですから
昭和11年6月から12年8月頃までの間か、
昭和9年9月から10年3月末までの間かの
どちらかの制作と推定されている詩群の中の一つです。

昭和3年に大岡昇平が「桐の花」に発表した「タルチュフ懲罰」を
中原中也が読んだのか読まなかったのか
実証できることではないようですが
フランス語の個人授業の中で
二人が翻訳の相互批評をした詩の一つであったわけですから
特別の思いが込められていてもおかしくありません。

そんな思いを
翻訳の上に読み取ることはできませんが
思いではなく
Le châtiment de Tartufeの翻訳を担当した大岡昇平が
この時から数年してその翻訳の完成稿を発表し
それよりもさらに6年以上も後になって
中原中也が発表した「タルチュッフの懲罰」は
大岡昇平の「タルチュフ懲罰」とまるで似るところのない翻訳になっていることが
逆に、中原中也がいつかこれを読んだことを物語っているのではないかと
推測されて非常に興味深いことです。

両者の違いを
意識して味わってみましょう。

タルチュフ懲罰
大岡昇平訳

清らかな黒衣の下に愛情深き心臓を掻き立て掻き立て
おててに、手套いそいそと、
歯無の口に信仰たらだら薄黄ろく、
或日、彼は途轍もなく優しく出掛けて行ったが、

或日、彼は出掛けて行ったが――「お祈り」にと――一人の意地悪奴が
荒々しく彼の祝福された耳を引っ捉え、
打湿った皮膚から清らかな黒衣を剥ぎ取って
数々の罵詈雑言を吐き散した。

懲罰か! 着物のボタンはもぎ取られた。
されど赦されたる罪人はだだ長き珠数を心の中に爪さぐり、
聖タルチュフは蒼ざめた。

息きれぎれに彼は祈った懺悔した。
一同は彼の胸飾りを奪って悦に入った。
ほい! タルチュフは頭から尻まで引んむかれた。

(「新編中原中也全集」「第3巻・翻訳・解題篇」より)
※原作は、歴史的仮名遣いである上に、繰り返し記号「/\」を含むなど再現するのに無理もありますので現代表記にしてあります。

タルチュッフの懲罰
中原中也訳

わくわくしながら、彼の心は、恋慕に燃えて
僧服の下で、幸福おぼえ、手袋はめて、
彼は出掛けた、或日のことに、いとやさしげな
黄色い顔して、歯欠けの口から、信心垂らし

彼は出掛けた、或日のことに――《共に祈らん(オレムス)》――
と或る意地悪、祝福された、彼の耳をば手荒に掴み
極悪の、文句を彼に、叩き付けた、僧服を
じめじめの彼の肌から引ツ剥ぎながら。

いい気味だ!……僧服の、釦は既に外(はづ)されてゐた、
多くの罪過を赦してくれた、その長々しい念珠をば
心の裡にて爪繰りながら、聖タルチュッフは真(ま)ツ蒼(さを)になつた。

ところで彼は告解してゐた、お祈りしてゐた、喘ぎながらも。
件の男は嬉々として、獲物を拉つてゆきました。
――フツフツフツ! タルチュッフ様は丸裸か。
                     〔一八七〇、七月〕

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、新漢字を使用しました。編者。

単語一つ、似ているところがないことが
見えたでしょうか。

これは
小林秀雄のランボー訳に対する中原中也の態度と
明らかに異なるものです。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年6月13日 (水)

中原中也が訳したランボー「タルチュッフの懲罰」Le châtiment de Tartufeその2

中原中也訳「タルチュッフの懲罰」Le châtiment de Tartufeには
珍しくも! 
大岡昇平による同時代訳がありますから
勇んで、それを読んでおきましょう。

大岡昇平は
中原中也にフランス語を習ったことがあり、
それは親から飲み代を引き出すための「策略」だったと回想し、

1週間の間に各自、1篇を訳して見せ合った。私の記憶では中原が「飾画」を、私が「初期詩篇」を受持った。
(角川文庫「中原中也」所収「中原中也全集解説」)

――というように、この「授業」で、
「翻訳の合評」みたいなことをしていたことも明かしていますから、
ウソをついて親をだました、というのとは事情が違うことが分かります。

この時の「翻訳合評」は
二人の文学者それぞれの習練になった、といって過言ではない
貴重な時間になったのです。

この時の訳出が
そのまま決定稿となったわけではないものの
中原中也の「ランボオ詩集」には
これを元に推敲を加えて完成した翻訳が幾つかあり
読むことができるのですが、
大岡昇平の訳が読めるとは
嬉しいことではありませんか!

この翻訳は
「タルチュフ懲罰」のタイトルで
同人誌「桐の花」の昭和5年3月号に発表されています。

原作は、
歴史的仮名遣いである上に
繰り返し記号「/\」を含むなど
再現するのに無理もありますので
現代表記にします。

タルチュフ懲罰
大岡昇平訳

清らかな黒衣の下に愛情深き心臓を掻き立て掻き立て
おててに、手套いそいそと、
歯無の口に信仰たらだら薄黄ろく、
或日、彼は途轍もなく優しく出掛けて行ったが、

或日、彼は出掛けて行ったが――「お祈り」にと――一人の意地悪奴が
荒々しく彼の祝福された耳を引っ捉え、
打湿った皮膚から清らかな黒衣を剥ぎ取って
数々の罵詈雑言を吐き散した。

懲罰か! 着物のボタンはもぎ取られた。
されど赦されたる罪人はだだ長き珠数を心の中に爪さぐり、
聖タルチュフは蒼ざめた。

息きれぎれに彼は祈った懺悔した。
一同は彼の胸飾りを奪って悦に入った。
ほい! タルチュフは頭から尻まで引んむかれた。

(「新編中原中也全集」「第3巻・翻訳・解題篇」より)

「桐の花」は
古谷綱武らが発行する同人誌です。
その昭和5年3月号ならば
「白痴群」第5号が発行され(1月)、
第6号(4月発行)で廃刊になる間のことです。

古谷綱武は
「白痴群」の同人でもありますから
不思議でもなんでもありませんが
中原中也と大岡昇平の仲は
この頃、最悪の事態にあったのですから
大岡が「桐の花」に「タルチュフ懲罰」を発表した経緯も
想像できることです。

現実の事態が
翻訳の中に反映されていることとは
あり得なくもないことでしょうから、
そんなことも知った上で読むことに
支障もまたありません。

 *

 タルチュッフの懲罰

わくわくしながら、彼の心は、恋慕に燃えて
僧服の下で、幸福おぼえ、手袋はめて、
彼は出掛けた、或日のことに、いとやさしげな
黄色い顔して、歯欠けの口から、信心垂らし

彼は出掛けた、或日のことに――《共に祈らん(オレムス)》――
と或る意地悪、祝福された、彼の耳をば手荒に掴み
極悪の、文句を彼に、叩き付けた、僧服を
じめじめの彼の肌から引ツ剥ぎながら。

いい気味だ!……僧服の、釦は既に外(はづ)されてゐた、
多くの罪過を赦してくれた、その長々しい念珠をば
心の裡にて爪繰りながら、聖タルチュッフは真(ま)ツ蒼(さを)になつた。

ところで彼は告解してゐた、お祈りしてゐた、喘ぎながらも。
件の男は嬉々として、獲物を拉つてゆきました。
――フツフツフツ! タルチュッフ様は丸裸か。
                     〔一八七〇、七月〕

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、新漢字を使用しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年6月12日 (火)

中原中也が訳したランボー「タルチュッフの懲罰」Le châtiment de Tartufe

Le châtiment de Tartufeは
ランボー詩によく現れる
聖職者批判の詩の一つですが
この詩は特に激越な調子があります。

中原中也訳は「タルチュッフの懲罰」。
原詩のソネット(定型・韻律)を
どのようにさばいたでしょうか――。

タルチュッフは
モリエールの喜劇の主人公。
偽善者、エセ信者として広く知られています。

まずは
現代表記し
読み替え・意訳なども加えて
読み下してみましょう。

ワクワクと、彼の心は、恋焦がれ
僧服の中で、幸福を感じ、手袋をはめて、
出かけました、ある日のこと、たいへんやさしそうな
黄色い顔で、歯の欠けた口から、信心のよだれをたらしてネ。

彼は出かけました、ある日のことです、「オムレス! 共に祈らん!」なんちゃって。
とある意地悪なヤツがいて、祝福された彼の耳ねっこを手荒に掴んで
酷い文句を彼にぶっつけました、僧服を
ジメジメした彼の肌から引っ剥がしながらネ。

いい気味だ! ……僧服の、ボタンはすでに外されちゃいました、
多くの罪を許してくれた、その長ーい大きな数珠をたのんで、
心の中でジャリジャリ揉んで、聖タルチュフは真っ青でした。

ところで彼は告解してた、お祈りしてた、あえぎながらも。
例の男は嬉々として、獲物をさらっていきました。
――ふつふつふつ! タルチュフ様は素っ裸。
                1870年7月

似たようなのを
どこかで読んだ覚えがあるので
振り返ってみれば
「蹲踞」に行き当たりました。

聖職者を揶揄し、罵倒した
同じ系列の詩といってよいでしょう。

タルチュフ殿は
最後には
虚飾のすべてを剥ぎ取られ
丸裸にされてしまいます。

 *

 タルチュッフの懲罰

わくわくしながら、彼の心は、恋慕に燃えて
僧服の下で、幸福おぼえ、手袋はめて、
彼は出掛けた、或日のことに、いとやさしげな
黄色い顔して、歯欠けの口から、信心垂らし

彼は出掛けた、或日のことに――《共に祈らん(オレムス)》――
と或る意地悪、祝福された、彼の耳をば手荒に掴み
極悪の、文句を彼に、叩き付けた、僧服を
じめじめの彼の肌から引ツ剥ぎながら。

いい気味だ!……僧服の、釦は既に外(はづ)されてゐた、
多くの罪過を赦してくれた、その長々しい念珠をば
心の裡にて爪繰りながら、聖タルチュッフは真(ま)ツ蒼(さを)になつた。

ところで彼は告解してゐた、お祈りしてゐた、喘ぎながらも。
件の男は嬉々として、獲物を拉つてゆきました。
――フツフツフツ! タルチュッフ様は丸裸か。
                     〔一八七〇、七月〕

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、新漢字を使用しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年6月11日 (月)

中原中也が訳したランボー「首吊人等の踊り」Bal des pendusその4

Bal des pendusの
中原中也以外の翻訳を読んで
次に進むことにしましょう。

同時代訳は見当たらず
堀口大学の「ランボー詩集」はスルーしていますし
……
と、探していると
金子光晴、
粟津則雄、
鈴木創士、
鈴村和成、
宇佐美斉とあるのですが、
人文書院版「ランボオ全集」(昭和27年初版)に
村上菊一郎訳が見つかりましたから、
比較的古い訳であり 
戦後早い時期の訳ということでもあるということで
これを読んでおきます。

新漢字を使用したほかは、
歴史的かな遣いのまま載せます。

首吊りの舞踏会

   愛嬌者の不具(かたわ)の手棒(てんぼう)、あの黒々とした絞首台で、
   そのかみの武人(もののふ)どもが、踊るわ、踊るわ、
   悪魔の家来の痩せこけた武人(もののふ)どもが、
   回教王(サラダン)麾下の骸骨どもが。

魔王ベルゼビュト閣下、空を睨んで渋面をつくりながら
黒い小さな傀儡(くぐつ)どもを襟飾りから取り出すと、
古靴の底でそいつらの額(ひたい)をポンと叩いては
いや踊らさる、踊らされる、昔のクリスマスの歌に合はせて!

拗ねて怒つたその人形ども、ひよろ長い腕と腕とを組み合わす。
かつては綺麗姫君たちに抱きしめられたこともある
胸はすつかりがらん洞で、黒いオルガンさながらに、
醜い恋慕の想ひに駆られ、いつまでもぶつかり合ふ。

うわッ! この陽気な踊り手たちにはお腹(なか)がないぞ!
跳ね廻るのは勝手だが、大道芝居が長すぎる!
やれやれ! これでは踊りだか戦闘(いくさ)だかもうわかりはしない!
いきり立つたベルゼビュトはやけにヴィオロン掻き鳴らす!

何とまあ堅い踵だ、そのサンダルならすりへることは断じてない!
どいつもこうちも殆どが皮の肌着を脱ぎ棄てた。
何しろあとは骨ばかり、窮屈でもなし失礼でもない。
頭蓋骨には、降る雪が白い帽子をかぶせてくれる。

罅(ひび)の入つたその頭(あたま)には鴉がとまつて羽根飾り、
痩せた顎には肉が一きれぶらりぶらりと揺れてゐる。
それは譬へば陰鬱な乱戦の裡できりきり舞ひする
鯱張(しやちこば)つた勇士どもの張子の鎧がぶつかるやうだ。

うわッ! 北風が骸骨どもの大舞踏会に吹きつける!
黒々とした絞首台は鉄製のオルガンのやうに唸り出す!
それに応へて狼どもは紫色の森をうろつく。
地平の涯では、大空が血の池地獄の真赤な色……

さあさあ、僕から払い落せ、この空威張りする陰気な輩(やから)を、
陰険極まる此奴(こやつ)どもは、折れた太い指先で、
その蒼白い椎骨の上、恋の数珠玉爪繰つてゐる。
あいや亡者ども、ここは僧院ではござらぬぞ!

おやおや! いま、棒立ちになつた馬のやうに飛び出して、
死人の踊りの真ん中に、真赤な空で跳ねるのは、
また一つ、気狂ひじみた大きな骸骨。
首にはなほも固い綱が巻きついてゐると感じてか、

十の指を大腿骨の上でヒクヒク痙攣させれば
その大腿骨は冷笑によく似た音で軋り鳴る。
さて此奴(こやつ)は、道化役者が小屋の奥に引つ込むやうに、
も一度ガタリと跳ねかへる、骸骨どもの唄に合はせて踊りの中で。

   愛嬌者の不具(かたわ)の手棒(てんぼう)、あの黒々とした絞首台で、
   そのかみの武人(もののふ)どもが、踊るわ、踊るわ、
   悪魔の家来の痩せこけた武人(もののふ)どもが、
   回教王(サラダン)麾下の骸骨どもが。

中原中也の訳は、
現代表記に直した「読み下し文」と
翻訳原詩の両方を
掲出しておきます。

愛嬌のある不具者(かたわもの)・絞首台さんのそのそばで、
踊るわ、踊るわ、昔の刺客ら、
悪魔の家来の、痩せたる刺客ら、
サラジン幕下のガイコツたちが。

ピエルジバブ閣下におかれましては、ネクタイの中からお取り出しなさいました
空(くう)をにらんで格好をつける、いくつもの黒く小さなカラクリ人形、
さて、それらのおでこのあたりを、古靴の底でポンっとたたいて、
踊らされている、踊らされている、ノエル爺さんの音に合わせて!

機嫌をそこねたカラクリ人形たちは、きゃしゃな腕を絡ませあって
黒い大きなオルガンのよう、昔、綺麗な乙女たちが
胸に着けてた胸当てのよう、
醜い恋のいざこざに、いつまでもぶつかりあっているのです。

うわーっ、陽気な踊り手にゃあ、お腹もない
踊り狂えばなんであろうと勝手よ、大道芝居はたいがい長いさ!
喧嘩踊りか、けじめもつかない!
怒ったビエルジバブは、遮二無二、バイオリンを引っ掻きなさる!

おお 頑丈なそのサンダル、磨り減ることももないサンダルよ!
どのバンタン(カラクリ人形)も、やがてまもなく、ほとんどみんなが肌着を脱いじゃう
脱がないヤツだって困っちゃいない、悪くも思わずケロリとしている。
頭の上には、雪のヤツめが、白い帽子をあてがいました。

ヒビの入ったこれらの頭に、カラスは似合いのよい羽飾り。
彼らの痩せた顎の肉なら、ピクリピクリと震えています。
わけも分からぬ喧嘩騒ぎの、中をソワソワ行ったり来たり、
しゃちこばってる剣客刺客の、ボールの兜は鉢合わせ。

うわーっ、北風びゅーびゅー、ドクロ社会の大舞踏会の真っ只中に!
大きい鉄のオルガンみたいに、絞首台さん、吼えてます!
狼たちも吠えていきます、あっちの方の紫の森。
地平の果てでは天が真っ赤、地獄の色の真っ赤です……

どんなにか忘れてしまいたいぞ、これらの陰気な威張り屋連中、
壊れかかったゴツゴツの指で、血の気も失せた椎骨の上
恋の念珠をつまぐるヤツら、陰険なヤツらなんて忘れたいぞ!
味もヘチマも持ってるもんか、くたばりきったヤツらなんだから!

もうどうにでもなれとばかりに、死者の踊りの、真ん中で跳ねている
狂った大きい一個のガイコツ、真っ赤な天を背景にして。
息も激しく苛立ちのぼせて、後ろの足で跳ね、牝馬(ひんば)のように、
硬い紐を首に感じて、

10本の指は腰骨の上、ピクリピクリと痙攣し、
冷やかし笑いによく似た音で、大腿骨をギシギシ鳴らす、
さてもう一度、ガタリと跳ねる、骨の歌声、踊りの最中に、
もう一度跳ねる、掛け小屋で、道化が引っ込む時にやるように。

愛嬌のある不具者(かたわもの)・絞首台さんのそのそばで、
踊るわ、踊るわ、昔の刺客ら、
悪魔の家来の、痩せたる刺客ら、
サラジン幕下のガイコツたちが。

 *

 首吊人等の踊り

   愛嬌のある不具者(かたはもの)=絞首台氏のそのほとり、
   踊るわ、踊るわ、昔の刺客等、
   悪魔の家来の、痩せたる刺客等、
   サラヂン幕下の骸骨たちが。

ビエルヂバブ閣下事には、ネクタイの中より取り出しめさるゝ
空を睨んで容子振る、幾つもの黒くて小さなからくり人形、
さてそれらの額(おでこ)の辺りを、古靴の底でポンと叩いて、
踊らしめさるゝ、踊らしめさるゝ、ノエル爺(ぢぢい)の音に合せて!

機嫌そこねたからくり人形(パンタン)事(こと)には華車(ちやち)な腕をば絡ませ合つて、
黒い大きなオルガンのやう、昔綺麗な乙女達が
胸にあててた胸当のやう、
醜い恋のいざこざにいつまで衝突(ぶつかり)合ふのです。

ウワーツ、陽気な踊り手には腹(おなか)もない
踊り狂へばなんだろとまゝよ、大道芝居はえてして長い!
喧嘩か踊りかけぢめもつかぬ!
怒(いき)り立つたるビエルヂバブには、遮二無二ヴィオロン掻きめさる!

おゝ頑丈なそれらの草履(サンダル)、磨減(すりへ)ることとてなき草履(サンダル)よ!……
どのパンタンも、やがて間もなく、大方肌著を脱いぢまふ。
脱がない奴とて困つちやをらぬ、悪くも思はずけろりとしてる。
頭蓋(あたま)の上には雪の奴めが、白い帽子をあてがひまする。

亀裂(ひび)の入(はい)つたこれらの頭に、烏は似合ひのよい羽飾り。
彼等の痩せたる顎の肉なら、ピクリピクリと慄へてゐます。
わけも分らぬ喧嘩騒ぎの、中をそはそは往つたり来たり、
しやちこばつたる剣客刺客の、厚紙(ボール)の兜は鉢合わせ。

ウワーツ、北風ピユーピユー、骸骨社会の大舞踏会の真ツ只中に!
大きい鉄のオルガンさながら、絞首台氏も吼えまする!
狼たちも吠えてゆきます、彼方(かなた)紫色(むらさきいろ)の森。
地平の果では御空が真ツ赤、地獄の色の真ツ赤です……

さても忘れてしまひたいぞえ、これら陰気な威張屋連中、
壊れかゝつたごつごつ指にて、血の気も失せたる椎骨の上
恋の念珠を爪繰る奴等、陰険(いや)な奴等は忘れたいぞえ!
味もへちまも持つてるもんかい、くたばりきつたる奴等でこそあれ!

さもあらばあれ、死人の踊の、その中央(たゞなか)で跳ねてゐる
狂つた大きい一つの骸骨、真ツ赤な空の背景の前。
息(いき)も激しく苛立ちのぼせ、後脚(あとあし)跳ねかし牡馬の如く、
硬い紐をば頸には感じ、

十(じふ)の指(および)は腰骨の上、ピクリピクリと痙攣いたし、
冷笑(ひやかしわらひ)によく似た音立て、大腿骨(こしのおほぼね)ギシギシ軋らす、
さていま一度、ガタリと跳ねる、骨の歌声、踊りの際中(さなか)、
も一度跳ねる、掛小舎で、道化が引ツ込む時するやうに。

   愛嬌のある不具者(かたはもの)=絞首台氏のそのほとり、
   踊るわ、踊るわ、昔の刺客等、
   悪魔の家来の痩せたる刺客等、
   サラヂン幕下の骸骨たちが。
                     〔一八七〇、六月〕

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、新漢字を使用しました。なお、本文中の「そはそは」は、原作では「そは/\」と「繰り返し記号」を使用しています。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年6月10日 (日)

中原中也が訳したランボー「首吊人等の踊り」Bal des pendusその3

中原中也訳の「首吊人等の踊り」Bal des pendusを読んでみましたが
何度も読んでいるうちに
初めて読んだ時には気づかなかった
リズム感や調子のよさ、歯切れのよさが分かってきて
また繰り返して読んでみれば今度は
ルビの振られ方が
単に「意味」を通じさせようとするものばかりではなく
音感・リズム感を生み出していることにも気づくのです。

たとえば、

おゝ頑丈なそれらの草履(サンダル)、磨減(すりへ)ることとてなき草履(サンダル)よ!……

――というフレーズは、

おゝ頑丈なそれらの草履(サンダル)、
磨減(すりへ)ることとてなき草履(サンダル)よ!……

7-4-4
4-4-7

頭蓋(あたま)の上には雪の奴めが、白い帽子をあてがひまする。

――というフレーズは、

頭蓋(あたま)の上には雪の奴めが、
白い帽子をあてがひまする。

4-4-7
7-7

といったように
意味に深みを与えつつ
ルビの音数で調子を取っています。

草履は
「ゾウリ」の3音ではダメで
「サンダル」の4音であることによって
7-4-4、4-4-7のリズムを刻むのです。

亀裂(ひび)の入(はい)つたこれらの頭に、烏は似合ひのよい羽飾り。

しやちこばつたる剣客刺客の、厚紙(ボール)の兜は鉢合わせ。

さもあらばあれ、死人の踊の、その中央(たゞなか)で跳ねてゐる

十(じふ)の指(および)は腰骨の上、ピクリピクリと痙攣いたし、

冷笑(ひやかしわらひ)によく似た音立て、大腿骨(こしのおほぼね)ギシギシ軋らす、

さていま一度、ガタリと跳ねる、骨の歌声、踊りの際中(さなか)、

――も、同じ効果を生んでいます。

( )の中のひらがなの文字数が大事で
ほかの読みにすると
音数律が壊れてしまいます。

繰り返し読んでみると
全行に
この音数律が仕込まれていることに気づきます。

サラヂン 第3次十字軍を相手に戦って勝利を収めた12世紀イスラム教国の君主。
ビエルヂバブ閣下 新約聖書で、悪鬼の長であり、サタンの同義語。ベルゼブルをさす。
容子振る もったいをつける。
ノエル爺(ぢぢい)の音に合せて 古いクリスマスの歌に合わせて、の意。

――などの難解語(句)は
「新編中原中也全集 第3巻・翻訳 本文篇」に
このように語註がついていますから理解できますが、
「絞首台氏のそのほとり」だけは
中原中也独自の「とっつきにくさ」で
「絞首台さん」「ギロチン氏」と解釈するのが
精一杯でした。

初めて読んだ時には
理解に苦しんでも
このようにして
段々、理解できてくる詩があり、
中原中也の訳は
意訳されない分だけ
原詩の「色」のようなものが
褪(さ)めないで立っているのが
すこぶるチャーミングなのです。

現代表記に直した「読み下し文」と
翻訳原詩の両方を
掲出しておきます。

愛嬌のある不具者(かたわもの)・絞首台さんのそのそばで、
踊るわ、踊るわ、昔の刺客ら、
悪魔の家来の、痩せたる刺客ら、
サラジン幕下のガイコツたちが。

ピエルジバブ閣下におかれましては、ネクタイの中からお取り出しなさいました
空(くう)をにらんで格好をつける、いくつもの黒く小さなカラクリ人形、
さて、それらのおでこのあたりを、古靴の底でポンっとたたいて、
踊らされている、踊らされている、ノエル爺さんの音に合わせて!

機嫌をそこねたカラクリ人形たちは、きゃしゃな腕を絡ませあって
黒い大きなオルガンのよう、昔、綺麗な乙女たちが
胸に着けてた胸当てのよう、
醜い恋のいざこざに、いつまでもぶつかりあっているのです。

うわーっ、陽気な踊り手にゃあ、お腹もない
踊り狂えばなんであろうと勝手よ、大道芝居はたいがい長いさ!
喧嘩踊りか、けじめもつかない!
怒ったビエルジバブは、遮二無二、バイオリンを引っ掻きなさる!

おお 頑丈なそのサンダル、磨り減ることもないサンダルよ!
どのバンタン(カラクリ人形)も、やがてまもなく、ほとんどみんなが肌着を脱いじゃう
脱がないヤツだって困っちゃいない、悪くも思わずケロリとしている。
頭の上には、雪のヤツめが、白い帽子をあてがいました。

ヒビの入ったこれらの頭に、カラスは似合いのよい羽飾り。
彼らの痩せた顎の肉なら、ピクリピクリと震えています。
わけも分からぬ喧嘩騒ぎの、中をソワソワ行ったり来たり、
しゃちこばってる剣客刺客の、ボールの兜は鉢合わせ。

うわーっ、北風びゅーびゅー、ドクロ社会の大舞踏会の真っ只中に!
大きい鉄のオルガンみたいに、絞首台さん、吼えてます!
狼たちも吠えていきます、あっちの方の紫の森。
地平の果てでは天が真っ赤、地獄の色の真っ赤です……

どんなにか忘れてしまいたいぞ、これらの陰気な威張り屋連中、
壊れかかったゴツゴツの指で、血の気も失せた椎骨の上
恋の念珠をつまぐるヤツら、陰険なヤツらなんて忘れたいぞ!
味もヘチマも持ってるもんか、くたばりきったヤツらなんだから!

もうどうにでもなれとばかりに、死者の踊りの、真ん中で跳ねている
狂った大きい一個のガイコツ、真っ赤な天を背景にして。
息も激しく苛立ちのぼせて、後ろの足で跳ね、牝馬(ひんば)のように、
硬い紐を首に感じて、

10本の指は腰骨の上、ピクリピクリと痙攣し、
冷やかし笑いによく似た音で、大腿骨をギシギシ鳴らす、
さてもう一度、ガタリと跳ねる、骨の歌声、踊りの最中に、
もう一度跳ねる、掛け小屋で、道化が引っ込む時にやるように。

愛嬌のある不具者(かたわもの)・絞首台さんのそのそばで、
踊るわ、踊るわ、昔の刺客ら、
悪魔の家来の、痩せたる刺客ら、
サラジン幕下のガイコツたちが。

 *

 首吊人等の踊り

   愛嬌のある不具者(かたはもの)=絞首台氏のそのほとり、
   踊るわ、踊るわ、昔の刺客等、
   悪魔の家来の、痩せたる刺客等、
   サラヂン幕下の骸骨たちが。

ビエルヂバブ閣下事には、ネクタイの中より取り出しめさるゝ
空を睨んで容子振る、幾つもの黒くて小さなからくり人形、
さてそれらの額(おでこ)の辺りを、古靴の底でポンと叩いて、
踊らしめさるゝ、踊らしめさるゝ、ノエル爺(ぢぢい)の音に合せて!

機嫌そこねたからくり人形(パンタン)事(こと)には華車(ちやち)な腕をば絡ませ合つて、
黒い大きなオルガンのやう、昔綺麗な乙女達が
胸にあててた胸当のやう、
醜い恋のいざこざにいつまで衝突(ぶつかり)合ふのです。

ウワーツ、陽気な踊り手には腹(おなか)もない
踊り狂へばなんだろとまゝよ、大道芝居はえてして長い!
喧嘩か踊りかけぢめもつかぬ!
怒(いき)り立つたるビエルヂバブには、遮二無二ヴィオロン掻きめさる!

おゝ頑丈なそれらの草履(サンダル)、磨減(すりへ)ることとてなき草履(サンダル)よ!……
どのパンタンも、やがて間もなく、大方肌著を脱いぢまふ。
脱がない奴とて困つちやをらぬ、悪くも思はずけろりとしてる。
頭蓋(あたま)の上には雪の奴めが、白い帽子をあてがひまする。

亀裂(ひび)の入(はい)つたこれらの頭に、烏は似合ひのよい羽飾り。
彼等の痩せたる顎の肉なら、ピクリピクリと慄へてゐます。
わけも分らぬ喧嘩騒ぎの、中をそはそは往つたり来たり、
しやちこばつたる剣客刺客の、厚紙(ボール)の兜は鉢合わせ。

ウワーツ、北風ピユーピユー、骸骨社会の大舞踏会の真ツ只中に!
大きい鉄のオルガンさながら、絞首台氏も吼えまする!
狼たちも吠えてゆきます、彼方(かなた)紫色(むらさきいろ)の森。
地平の果では御空が真ツ赤、地獄の色の真ツ赤です……

さても忘れてしまひたいぞえ、これら陰気な威張屋連中、
壊れかゝつたごつごつ指にて、血の気も失せたる椎骨の上
恋の念珠を爪繰る奴等、陰険(いや)な奴等は忘れたいぞえ!
味もへちまも持つてるもんかい、くたばりきつたる奴等でこそあれ!

さもあらばあれ、死人の踊の、その中央(たゞなか)で跳ねてゐる
狂つた大きい一つの骸骨、真ツ赤な空の背景の前。
息(いき)も激しく苛立ちのぼせ、後脚(あとあし)跳ねかし牡馬の如く、
硬い紐をば頸には感じ、

十(じふ)の指(および)は腰骨の上、ピクリピクリと痙攣いたし、
冷笑(ひやかしわらひ)によく似た音立て、大腿骨(こしのおほぼね)ギシギシ軋らす、
さていま一度、ガタリと跳ねる、骨の歌声、踊りの際中(さなか)、
も一度跳ねる、掛小舎で、道化が引ツ込む時するやうに。

   愛嬌のある不具者(かたはもの)=絞首台氏のそのほとり、
   踊るわ、踊るわ、昔の刺客等、
   悪魔の家来の痩せたる刺客等、
   サラヂン幕下の骸骨たちが。
                     〔一八七〇、六月〕

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、新漢字を使用しました。なお、本文中の「そはそは」は、原作では「そは/\」と「繰り返し記号」を使用しています。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年6月 9日 (土)

中原中也が訳したランボー「首吊人等の踊り」Bal des pendusその2

中原中也訳の「首吊人等の踊り」Bal des pendusを
読み進めましょう。

前回少し読んだ
冒頭部分も含めて
一挙に全文を読みます。

愛嬌のある不具者(かたわもの)・絞首台さんのそのそばで、
踊るわ、踊るわ、昔の刺客ら、
悪魔の家来の、痩せたる刺客ら、
サラジン幕下のガイコツたちが。

ピエルジバブ閣下におかれましては、ネクタイの中からお取り出しなさいました
空(くう)をにらんで格好をつける、いくつもの黒く小さなカラクリ人形、
さて、それらのおでこのあたりを、古靴の底でポンっとたたいて、
踊らされている、踊らされている、ノエル爺さんの音に合わせて!

機嫌をそこねたカラクリ人形たちは、きゃしゃな腕を絡ませあって
黒い大きなオルガンのよう、昔、綺麗な乙女たちが
胸に着けてた胸当てのよう、
醜い恋のいざこざに、いつまでもぶつかりあっているのです。

うわーっ、陽気な踊り手にゃあ、お腹もない
踊り狂えばなんであろうと勝手よ、大道芝居はたいがい長いさ!
喧嘩踊りか、けじめもつかない!
怒ったビエルジバブは、遮二無二、バイオリンを引っ掻きなさる!

おお 頑丈なそのサンダル、磨り減ることももないサンダルよ!
どのバンタン(カラクリ人形)も、やがてまもなく、ほとんどみんなが肌着を脱いじゃう
脱がないヤツだって困っちゃいない、悪くも思わずケロリとしている。
頭の上には、雪のヤツめが、白い帽子をあてがいました。

ヒビの入ったこれらの頭に、カラスは似合いのよい羽飾り。
彼らの痩せた顎の肉なら、ピクリピクリと震えています。
わけも分からぬ喧嘩騒ぎの、中をソワソワ行ったり来たり、
しゃちこばってる剣客刺客の、ボールの兜は鉢合わせ。

うわーっ、北風びゅーびゅー、ドクロ社会の大舞踏会の真っ只中に!
大きい鉄のオルガンみたいに、絞首台さん、吼えてます!
狼たちも吠えていきます、あっちの方の紫の森。
地平の果てでは天が真っ赤、地獄の色の真っ赤です……

どんなにか忘れてしまいたいぞ、これらの陰気な威張り屋連中、
壊れかかったゴツゴツの指で、血の気も失せた椎骨の上
恋の念珠をつまぐるヤツら、陰険なヤツらなんて忘れたいぞ!
味もヘチマも持ってるもんか、くたばりきったヤツらなんだから!

もうどうにでもなれとばかりに、死者の踊りの、真ん中で跳ねている
狂った大きい一個のガイコツ、真っ赤な天を背景にして。
息も激しく苛立ちのぼせて、後ろの足で跳ね、牝馬(ひんば)のように、
硬い紐を首に感じて、

10本の指は腰骨の上、ピクリピクリと痙攣し、
冷やかし笑いによく似た音で、大腿骨をギシギシ鳴らす、
さてもう一度、ガタリと跳ねる、骨の歌声、踊りの最中に、
もう一度跳ねる、掛け小屋で、道化が引っ込む時にやるように。

愛嬌のある不具者(かたわもの)・絞首台さんのそのそばで、
踊るわ、踊るわ、昔の刺客ら、
悪魔の家来の、痩せたる刺客ら、
サラジン幕下のガイコツたちが。

以上が
中原中也の翻訳で読む
ランボーの「死の舞踏」です。

 *

 首吊人等の踊り

   愛嬌のある不具者(かたはもの)=絞首台氏のそのほとり、
   踊るわ、踊るわ、昔の刺客等、
   悪魔の家来の、痩せたる刺客等、
   サラヂン幕下の骸骨たちが。

ビエルヂバブ閣下事には、ネクタイの中より取り出しめさるゝ
空を睨んで容子振る、幾つもの黒くて小さなからくり人形、
さてそれらの額(おでこ)の辺りを、古靴の底でポンと叩いて、
踊らしめさるゝ、踊らしめさるゝ、ノエル爺(ぢぢい)の音に合せて!

機嫌そこねたからくり人形(パンタン)事(こと)には華車(ちやち)な腕をば絡ませ合つて、
黒い大きなオルガンのやう、昔綺麗な乙女達が
胸にあててた胸当のやう、
醜い恋のいざこざにいつまで衝突(ぶつかり)合ふのです。

ウワーツ、陽気な踊り手には腹(おなか)もない
踊り狂へばなんだろとまゝよ、大道芝居はえてして長い!
喧嘩か踊りかけぢめもつかぬ!
怒(いき)り立つたるビエルヂバブには、遮二無二ヴィオロン掻きめさる!

おゝ頑丈なそれらの草履(サンダル)、磨減(すりへ)ることとてなき草履(サンダル)よ!……
どのパンタンも、やがて間もなく、大方肌著を脱いぢまふ。
脱がない奴とて困つちやをらぬ、悪くも思はずけろりとしてる。
頭蓋(あたま)の上には雪の奴めが、白い帽子をあてがひまする。

亀裂(ひび)の入(はい)つたこれらの頭に、烏は似合ひのよい羽飾り。
彼等の痩せたる顎の肉なら、ピクリピクリと慄へてゐます。
わけも分らぬ喧嘩騒ぎの、中をそはそは往つたり来たり、
しやちこばつたる剣客刺客の、厚紙(ボール)の兜は鉢合わせ。

ウワーツ、北風ピユーピユー、骸骨社会の大舞踏会の真ツ只中に!
大きい鉄のオルガンさながら、絞首台氏も吼えまする!
狼たちも吠えてゆきます、彼方(かなた)紫色(むらさきいろ)の森。
地平の果では御空が真ツ赤、地獄の色の真ツ赤です……

さても忘れてしまひたいぞえ、これら陰気な威張屋連中、
壊れかゝつたごつごつ指にて、血の気も失せたる椎骨の上
恋の念珠を爪繰る奴等、陰険(いや)な奴等は忘れたいぞえ!
味もへちまも持つてるもんかい、くたばりきつたる奴等でこそあれ!

さもあらばあれ、死人の踊の、その中央(たゞなか)で跳ねてゐる
狂つた大きい一つの骸骨、真ツ赤な空の背景の前。
息(いき)も激しく苛立ちのぼせ、後脚(あとあし)跳ねかし牡馬の如く、
硬い紐をば頸には感じ、

十(じふ)の指(および)は腰骨の上、ピクリピクリと痙攣いたし、
冷笑(ひやかしわらひ)によく似た音立て、大腿骨(こしのおほぼね)ギシギシ軋らす、
さていま一度、ガタリと跳ねる、骨の歌声、踊りの際中(さなか)、
も一度跳ねる、掛小舎で、道化が引ツ込む時するやうに。

   愛嬌のある不具者(かたはもの)=絞首台氏のそのほとり、
   踊るわ、踊るわ、昔の刺客等、
   悪魔の家来の痩せたる刺客等、
   サラヂン幕下の骸骨たちが。
                     〔一八七〇、六月〕

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、新漢字を使用しました。なお、本文中の「そはそは」は、原作では「そは/\」と「繰り返し記号」を使用しています。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年6月 8日 (金)

中原中也が訳したランボー「首吊人等の踊り」Bal des pendus

Bal des pendusは
「首吊人等の踊り」と中原中也は訳し、
「ドゥエ詩帖」にある1篇。

第1連と第11連が
3字下げの形となっているのは
ベリション版の通りで
プロローグとエピローグの役割を持っています。

「首吊人等の踊り」では
訳語に独特の工夫があるのが目立ちますが
その中でも
中原中也が振ったルビが大変ユニークです。

これは
ランボーの原詩の「遊び」を
なんとかして訳そうとしたためのようですから
そこのところを理解して
「翻訳の工夫」もとっぷりと味わいたいものです。

現代表記にして
読んでみますが、
まずは原作(翻訳)と比べながら
訳語やルビのユニークさに注目してみましょう。

首吊り人らの踊り

   愛嬌のある不具者(かたはもの)=絞首台氏のそのほとり、
   踊るわ、踊るわ、昔の刺客等、
   悪魔の家来の、痩せたる刺客等、
   サラヂン幕下の骸骨たちが。

冒頭から
「不具者(かたはもの)=絞首台氏」が難解ですが
「絞首台氏」は、「絞首台さん」の意味でしょうか――。
ギロチン(断頭台)で死刑が執行されるシーンを想像すれば
似たようなイメージになるかもしれません、

ギロチンにかけられる囚人たちを
「絞首台さん」と名付けて、
「ほとり」は、「そば」「近辺」ですから
「ギロチンのそば」で踊る様子が
プロローグとなっている詩であることが見えてきます。

踊るのは、
昔の刺客ら、
悪魔の家来で、痩せこけた刺客ら、
サラジンの家来のドクロたち。

いよいよ
「死の舞踏」の幕開きです。

ピエルジバブ閣下におかれましては、ネクタイの中からお取り出しなさいました
空(くう)をにらんで格好をつける、いくつもの黒く小さなカラクリ人形、
さて、それらのおでこのあたりを、古靴の底でポンっとたたいて、
踊らされている、踊らされている、ノエル爺さんの音に合わせて!

今回はここまで。

 *

 首吊人等の踊り

   愛嬌のある不具者(かたはもの)=絞首台氏のそのほとり、
   踊るわ、踊るわ、昔の刺客等、
   悪魔の家来の、痩せたる刺客等、
   サラヂン幕下の骸骨たちが。

ビエルヂバブ閣下事には、ネクタイの中より取り出しめさるゝ
空を睨んで容子振る、幾つもの黒くて小さなからくり人形、
さてそれらの額(おでこ)の辺りを、古靴の底でポンと叩いて、
踊らしめさるゝ、踊らしめさるゝ、ノエル爺(ぢぢい)の音に合せて!

機嫌そこねたからくり人形(パンタン)事(こと)には華車(ちやち)な腕をば絡ませ合つて、
黒い大きなオルガンのやう、昔綺麗な乙女達が
胸にあててた胸当のやう、
醜い恋のいざこざにいつまで衝突(ぶつかり)合ふのです。

ウワーツ、陽気な踊り手には腹(おなか)もない
踊り狂へばなんだろとまゝよ、大道芝居はえてして長い!
喧嘩か踊りかけぢめもつかぬ!
怒(いき)り立つたるビエルヂバブには、遮二無二ヴィオロン掻きめさる!

おゝ頑丈なそれらの草履(サンダル)、磨減(すりへ)ることとてなき草履(サンダル)よ!……
どのパンタンも、やがて間もなく、大方肌著を脱いぢまふ。
脱がない奴とて困つちやをらぬ、悪くも思はずけろりとしてる。
頭蓋(あたま)の上には雪の奴めが、白い帽子をあてがひまする。

亀裂(ひび)の入(はい)つたこれらの頭に、烏は似合ひのよい羽飾り。
彼等の痩せたる顎の肉なら、ピクリピクリと慄へてゐます。
わけも分らぬ喧嘩騒ぎの、中をそはそは往つたり来たり、
しやちこばつたる剣客刺客の、厚紙(ボール)の兜は鉢合わせ。

ウワーツ、北風ピユーピユー、骸骨社会の大舞踏会の真ツ只中に!
大きい鉄のオルガンさながら、絞首台氏も吼えまする!
狼たちも吠えてゆきます、彼方(かなた)紫色(むらさきいろ)の森。
地平の果では御空が真ツ赤、地獄の色の真ツ赤です……

さても忘れてしまひたいぞえ、これら陰気な威張屋連中、
壊れかゝつたごつごつ指にて、血の気も失せたる椎骨の上
恋の念珠を爪繰る奴等、陰険(いや)な奴等は忘れたいぞえ!
味もへちまも持つてるもんかい、くたばりきつたる奴等でこそあれ!

さもあらばあれ、死人の踊の、その中央(たゞなか)で跳ねてゐる
狂つた大きい一つの骸骨、真ツ赤な空の背景の前。
息(いき)も激しく苛立ちのぼせ、後脚(あとあし)跳ねかし牡馬の如く、
硬い紐をば頸には感じ、

十(じふ)の指(および)は腰骨の上、ピクリピクリと痙攣いたし、
冷笑(ひやかしわらひ)によく似た音立て、大腿骨(こしのおほぼね)ギシギシ軋らす、
さていま一度、ガタリと跳ねる、骨の歌声、踊りの際中(さなか)、
も一度跳ねる、掛小舎で、道化が引ツ込む時するやうに。

   愛嬌のある不具者(かたはもの)=絞首台氏のそのほとり、
   踊るわ、踊るわ、昔の刺客等、
   悪魔の家来の痩せたる刺客等、
   サラヂン幕下の骸骨たちが。
                     〔一八七〇、六月〕

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、新漢字を使用しました。なお、本文中の「そはそは」は、原作では「そは/\」と「繰り返し記号」を使用しています。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年6月 6日 (水)

中原中也が訳したランボー「オフェリア」Ophélieその4

中原中也訳の「オフェリア」と
小林秀雄訳の「オフエリヤ」と
ランボーのオフィ-リアと
発端となったシェイクスピアのオフィーリアと……
それぞれが描く「女性」は
それぞれの文学者・詩人によって異なります。

シェイクスピアのオフィーリアに
制約されなければならないというルールがあるわけでもなく
後の文学者や画家や音楽家らによって
それぞれのテーマの中で
新しいオフィーリアが生み出されてきました。

ランボーの詩に現れる女性を
これまで幾つか読んできましたが
オフィーリアほど
「女性」を真っ向から歌った詩は見つかりません。

ざっと振り返ってみれば、

■感動
私は語りも、考へもしまい、だが
果てなき愛は心の裡(うち)に、浮びも来よう
私は往かう、遠く遠くボヘミヤンのやう
天地の間を、女と伴れだつやうに幸福に。

■教会に来る貧乏人
女連(をんなれん)、滑らかな床几に坐つてまあよいことだ、
神様が、苦しめ給ふた暗い六日(むいか)のそのあとで!
彼女等あやしてをりまする、めうな綿入(わたいれ)にくるまれて
死なんばかりに泣き叫ぶ、まだいたいけな子供をば。

胸のあたりを汚してる、肉汁食(スープぐら)ひの彼女等は、
祈りするよな眼付して、祈りなんざあしませんで、
お転婆娘の一団が、いぢくりまはした帽子をかぶり、
これみよがしに振舞ふを、ジツとみつめてをりまする。

■七才の詩人
更紗模様の着物著た、お転婆の茶目の娘が来るならば、
――その娘は八才で、隣りの職人の子なのだが、
此の野放しの娘奴(め)が、その背に編髪(おさげ)を打ゆすり、
片隅で跳ね返り、彼にとびかゝり、
彼を下敷にするといふと、彼は股(もゝ)に噛み付いた、
その娘、ズロース穿いてたことはなく、
扨、拳固でやられ、踵(かかと)で蹴られた彼は今、
娘の肌の感触を、自分の部屋まで持ち帰る。

■ジャンヌ・マリイの手
ジャンヌ・マリイは丈夫な手してる、
だが夏負けして仄かに暗く、
蒼白いこと死人の手のやう。
――ジュアナの手とも云ふべきだ?

この双つの手は褐の乳脂を
快楽(けらく)の池に汲んだのだらうか?
この双つの手は月きららめく
澄めらの水に浸つたものか?

■やさしい姉妹
此の若者、現世(うつしよ)の醜悪の前に、
心の底よりゾツとして、いたく苛立ち、
癒しがたなき傷手を負ひてそれよりは、
やさしき妹(いも)のありもせばやと、思ひはじめぬ。

■最初の聖体拝受
恋の有頂天が少女の愚かな姉妹達を襲つた時のやうに、
少女は打萎れ両手を胸に置いたまゝ、熱心に
諸天使や諸所のエス様や聖母様を勘定しはじめました、
そして静かに、なんとも云へぬ喜びにうつとりするのでありました。

■虱捜す女
子供(かれ)は感じる処女(をとめ)らの黒い睫毛がにほやかな雰気(けはひ)の中で
まばたくを、また敏捷(すばしこ)いやさ指が、
鈍色(にびいろ)の懶怠(たゆみ)の裡(うち)に、あでやかな爪の間で
虱を潰す音を聞く。

■四行詩
星は汝が耳の核心に薔薇色に涕き、
無限は汝(な)が頸(うなじ)より腰にかけてぞ真白に巡る、
海は朱(あけ)き汝(なれ)が乳房を褐色(かちいろ)の真珠とはなし、
して人は黒き血ながす至高の汝(なれ)が脇腹の上……

■若夫婦
夜(よ)の微笑、新妻(にひづま)の微笑、おゝ! 蜜月は
そのかずかずを摘むのであらう、
銅(あかがね)の、千の帯にてかの空を満たしもしよう。
さて二人は、鼠ごつこもするのであらう。

■彼女は埃及舞妓か?
彼女は埃及舞妓(アルメ)か?……かはたれどきに
火の花と崩(くづほ)れるのぢやあるまいか……

以上は
中原中也が訳した「ランボー詩集」を
配置順に読み
「追加篇」を読み終えていない段階で
「初期詩篇」「飾画篇」の中の「女性」が現れる詩を
切り取ったものです。

「母」や
「聖母」や
「女神」などは
含まれていません。

これらの女性は
何らかの詩のテーマの中に登場する「背景」である場合が多く
真正面から女性を歌ったものではありませんが
こうして振り返ってみれば
案外、「女性」は歌われていることも見えてきます。

ランボーの「オフィーリア」は
では、
「女性」を歌った詩かといえば
そう単純なことでないところが
「面白い」のですし、
ほかの作家の「オフィーリア」についても
そういうことがいえるから「面白い」のです。

ランボーの「オフィーリア」は
水死人のイメージとして
やがて「酔いどれ船」へ連なり
また
「狂女」のイメージは
「地獄の季節」の「錯乱Ⅰ」「狂気の処女」のテーマへと直に繋がっていき
そのことを視野に入れながら読む(味わう)と
「面白さ」は倍加することでしょう。

ランボー学には
そのあたりをテーマにした卓抜な研究・解釈が犇(ひしめ)いていますから
それらを探して
紐解いてみるのも楽しい経験になるはずです。

オフェリア

星が眠る暗く静かな浪の上、
蒼白のオフェリアが漂う、大百合か、
漂う、とてもゆるやかに長いネッカチーフに横たわる。
近くの森では、鳴っています、鹿を追い詰めた合図の笛が。

以来、1000年以上です、真っ白の真っ白の妖怪の
哀しい哀しいオフェリアが、そこを流れ、過ぎた日から数えると。
以来、1000年以上が経ちます、その恋に狂った女が
そのロマンスを夕方の風に、呟いてから。

風は彼女の胸を撫で、水に静かにゆらゆら揺れる
彼女の大きなベールを花の冠のように広げます。
ウィローはふるえて肩に熱い涙を落します。
夢みる大きな額の上に葦の葉が傾いてかぶります。

傷つけられた睡蓮たちは、彼女を取り巻いて溜め息をつきます。
彼女は時々目を覚まします、眠っている榛の木の
中の何かの塒から、すると小さな羽ばたきがして、そこから逃げていきます
不思議な歌声が一つ、金の星から落ちてきます。

雪のように美しい、おお、青ざめたオフェリアよ、
そうだ、お前は死んだのだ、暗い流れに運ばれて!
それというのも、ノルウェイの高い山から吹く風が
お前の耳にひそひそとむごい自由を吹き込んだため。

それというのも、お前の髪の毛に、押し寄せた風の一吹きが、
お前の夢みる心には、ただならない音と聞こえたために、
それというのも、樹の嘆きに、夜毎の闇が吐くため息に、
お前の心は天と地の声を、聞き漏らすこともなかったから。

それというのも、潮の音が、とても大きな喘ぎのようで、
情け深い子供のような、お前の胸を痛めたから。
それというのも、4月の朝に、美しい一人の青ざめた騎手が、
あわれな狂者がお前の膝に、黙って座りに来たためだ。

なんという夢想なのだ、狂った娘よ、天国、愛、自由とは、おお!
お前は雪が火の中にあるように、彼の心をも靡かせた。
お前の見事な幻想は、お前の誓いを責め苛んだ。
――そして、無残な無限という奴は、お前の瞳を驚かせたのだ。

さて、詩人という輩が言うことには、星の光を頼りにして、
かつてお前の摘んだ花を、夜毎お前は探しに来るんだと。
また彼は言う、流れの上に、長いネッカチーフは横たわり、
真っ白白白のオフェリアが、大きな百合の花のように漂っていたと。
                     (1870年6月)

 *

 オフェリア

     Ⅰ

星眠る暗く静かな浪の上、
蒼白のオフェリア漂ふ、大百合か、
漂ふ、いともゆるやかに長き面帕(かつぎ)に横たはり。
近くの森では鳴つてます鹿遂詰めし合図の笛。

以来千年以上です真白の真白の妖怪の
哀しい哀しいオフェリアが、其処な流れを過ぎてから。
以来千年以上ですその恋ゆゑの狂(くる)ひ女(め)が
そのロマンスを夕風に、呟いてから。

風は彼女の胸を撫で、水にしづかにゆらめける
彼女の大きい面帕(かほぎぬ)を花冠(くわくわん)のやうにひろげます。
柳は慄へてその肩に熱い涙を落とします。
夢みる大きな額の上に蘆が傾きかかります。

傷つけられた睡蓮たちは彼女を囲繞(とりま)き溜息します。
彼女は時々覚まします、睡つてゐる榛(はんのき)の
中の何かの塒(ねぐら)をば、すると小さな羽ばたきがそこから逃れて出てゆきます。
不思議な一つの歌声が金の星から堕ちてきます。

     Ⅱ

雪の如くも美しい、おゝ蒼ざめたオフェリアよ、
さうだ、おまへは死んだのだ、暗い流れに運ばれて!
それといふのもノルヱーの高い山から吹く風が
おまへの耳にひそひそと酷(むご)い自由を吹込んだため。

それといふのもおまへの髪毛に、押寄せた風の一吹が、
おまへの夢みる心には、ただならぬ音とも聞こえたがため、
それといふのも樹の嘆かひに、夜毎の闇の吐く溜息に、
おまへの心は天地の声を、聞き落(もら)すこともなかつたゆゑに。

それといふのも潮(うしほ)の音(おと)が、さても巨いな残喘(ざんぜん)のごと、
情けにあつい子供のやうな、おまへの胸を痛めたがため。
それといふのも四月の朝に、美々(びゝ)しい一人の蒼ざめた騎手、
哀れな狂者がおまへの膝に、黙つて坐りにやつて来たため。

何たる夢想ぞ、狂ひし女よ、天国、愛恋、自由とや、おゝ!
おまへは雪の火に於るがごと、彼に心も打靡かせた。
おまへの見事な幻想はおまへの誓ひを責めさいなんだ。
――そして無残な無限の奴は、おまへの瞳を震駭(びつくり)させた。

     Ⅲ

扨詩人奴(め)が云ふことに、星の光をたよりにて、
嘗ておまへの摘んだ花を、夜毎おまへは探しに来ると。
又彼は云ふ、流れの上に、長い面帕(かつぎ)に横たはり、
真(ま)ツ白白(しろしろ)のオフェリアが、大きな百合かと漂つてゐたと。
                〔一八七〇、六月〕

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、新漢字を使用しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年6月 5日 (火)

中原中也が訳したランボー「オフェリア」Ophélieその3

中原中也訳の「オフェリア」Ophélieの同時代訳に
小林秀雄が昭和8年に発表した「オフエリヤ」がありますから
それを読んでおきましょう。

と言ったものの
江川書房発行の「アルチユル ランボオ詩集」所収の「オフエリヤ」は
「新編中原中也全集」第3巻・翻訳・解題篇に引用されているものを読むと
「ルビだらけ」で読む気を失ないますので
戦後1948年、創元社発行の
小林秀雄訳「ランボオ詩集」収録の「オフェリヤ」を読むことにします。

ランボーの韻文詩の小林秀雄訳は
数が限られていることはよく知られたことで
「オフェリヤ」はその一つですが、
早い時期からシェイクスピアのOphélieに関心を寄せていて
1931年(昭和6年)には、「おふえりや遺文」という題の小説を発表しています。

1600年頃に作られたシェイクスピアの「ハムレット」は
ヒロインOphélieが好んで題材にされて
文芸作品や絵画・美術などの様々な分野で
脚色され翻案されて世界中に広がりましたが
小林秀雄の「おふえりや遺文」も
日本語によるそうした試みの一つと言えます。

小林秀雄29歳の作品で
オフィーリアには
長谷川泰子のおもかげがあることは
多くの論者の指摘するところです。

ランボーの詩を「オフエリヤ」として訳出したのは
昭和8年ですから
「おふえりや遺文」の流れ、
つまり、長谷川泰子が重なっていても不思議なことではなく
そうなると、
俄然、中原中也の「オフェリア」との「三角関係」が
あぶり出てくるような形となってきて
緊張感が生じます。

とにかく
小林秀雄訳の「オフェリヤ」を
読んでみましょう。

オフェリヤ

静かな黒い流の上に、星の群は眠り、
真っ白なオフェリヤが、大きな百合の花のように浮いて行く。
長い面帕(かづき)に寝かされて、静かに静かに浮いて行く。
遠い森の方角には、鹿追う角笛の音がする。

はや千年は過ぎたのか、悲嘆に暮れたオフェリヤが、
幽霊のように血の気もなく、黒い長流(ながれ)を過ぎてから。
心優しい気の狂、恋歌(おもい)は夜風に托されて、
もう千年もたったのか。

風は乳房に口付けし、やすらかに眠る大きな面帕(かづき)は、
花冠(はなかんむり)のように拡がって、
枝垂柳(しだれやなぎ)は肩越しに、身を慄わせてすすり泣き、
夢みるようなその額、気高い額に葦は傾く。

乱れくだけた睡蓮(ひつじぐさ)寄りそいめぐり吐息して、
ぶと、目ざめれば、茫然たる榛(はんのき)の樹陰(こかげ)、
何の巣か、かすかな羽撃(はばたき)の音が洩れる。
誰の歌か、金色の星から歌声がおちる。

ああ、雪のように美しい、色青冷めたオフェリヤよ。
ほんの子供でお前は死んだ、河が流して行ってしまった。
諾威(ノルヴェジュ)の高嶺おろしに吹く風が、
つらい自由をひそひそと、話してきかせた為なのだ。

人知らぬ風が、お前の髪を叩きつけ、
なんにも知らぬお前の心に、怪(あや)しい響きを伝えたからだ。
ああ、樹の嘆(なげき)、夜の溜息、とお前の心は耳を澄まして、
「自然」の声とやらを聞いてしまった為なんだ。

あんまり情愛(なさけ)のありすぎた、怪しい幼(おさない)お前の胸を、
臨終時(いまは)の巨人の喘(あへぎ)のような海の音が、潰(つぶ)してしまった為なんだ。
ある四月の朝のこと、美しい蒼白な騎士が一人、
あわれにも気が狂い、黙(だま)りこくって、お前の膝に座った為なんだ。

天よ、愛よ、自由よ、何たる夢か、ああ可哀そうな気狂め。
お前はあの男を頼(たのみ)にした、雪が火を頼(たのみ)にしたように。

燃える想いが重って、咽喉(のど)がつまったお前なんだ。
――で、恐ろしい「永遠」が、お前の空色の眼をやっつけた。

摘み取った花を捜そうと、夜が来てお前の来るとこを、
星影たよりに、「詩人」は見たという。
長い面帕(かづき)に寝かされて、大きな百合の花のように、
水を行く真っ白なオフェリヤを見たそうな。

(※新漢字、現代かな遣いに改めましたが、送りがなは原詩のままです。編者。)

中原中也訳は
「読み下し文」と
翻訳原詩の両方を
掲出しておきます。

オフェリア

星が眠る暗く静かな浪の上、
蒼白のオフェリアが漂う、大百合か、
漂う、とてもゆるやかに長いネッカチーフに横たわる。
近くの森では、鳴っています、鹿を追い詰めた合図の笛が。

以来、1000年以上です、真っ白の真っ白の妖怪の
哀しい哀しいオフェリアが、そこを流れ、過ぎた日から数えると。
以来、1000年以上が経ちます、その恋に狂った女が
そのロマンスを夕方の風に、呟いてから。

風は彼女の胸を撫で、水に静かにゆらゆら揺れる
彼女の大きなベールを花の冠のように広げます。
ウィローはふるえて肩に熱い涙を落します。
夢みる大きな額の上に葦の葉が傾いてかぶります。

傷つけられた睡蓮たちは、彼女を取り巻いて溜め息をつきます。
彼女は時々目を覚まします、眠っている榛の木の
中の何かの塒から、すると小さな羽ばたきがして、そこから逃げていきます
不思議な歌声が一つ、金の星から落ちてきます。

雪のように美しい、おお、青ざめたオフェリアよ、
そうだ、お前は死んだのだ、暗い流れに運ばれて!
それというのも、ノルウェイの高い山から吹く風が
お前の耳にひそひそとむごい自由を吹き込んだため。

それというのも、お前の髪の毛に、押し寄せた風の一吹きが、
お前の夢みる心には、ただならない音と聞こえたために、
それというのも、樹の嘆きに、夜毎の闇が吐くため息に、
お前の心は天と地の声を、聞き漏らすこともなかったから。

それというのも、潮の音が、とても大きな喘ぎのようで、
情け深い子供のような、お前の胸を痛めたから。
それというのも、4月の朝に、美しい一人の青ざめた騎手が、
あわれな狂者がお前の膝に、黙って座りに来たためだ。

なんという夢想なのだ、狂った娘よ、天国、愛、自由とは、おお!
お前は雪が火の中にあるように、彼の心をも靡かせた。
お前の見事な幻想は、お前の誓いを責め苛んだ。
――そして、無残な無限という奴は、お前の瞳を驚かせたのだ。

さて、詩人という輩が言うことには、星の光を頼りにして、
かつてお前の摘んだ花を、夜毎お前は探しに来るんだと。
また彼は言う、流れの上に、長いネッカチーフは横たわり、
真っ白白白のオフェリアが、大きな百合の花のように漂っていたと。
                     (1870年6月)

 *

 オフェリア

     Ⅰ

星眠る暗く静かな浪の上、
蒼白のオフェリア漂ふ、大百合か、
漂ふ、いともゆるやかに長き面帕(かつぎ)に横たはり。
近くの森では鳴つてます鹿遂詰めし合図の笛。

以来千年以上です真白の真白の妖怪の
哀しい哀しいオフェリアが、其処な流れを過ぎてから。
以来千年以上ですその恋ゆゑの狂(くる)ひ女(め)が
そのロマンスを夕風に、呟いてから。

風は彼女の胸を撫で、水にしづかにゆらめける
彼女の大きい面帕(かほぎぬ)を花冠(くわくわん)のやうにひろげます。
柳は慄へてその肩に熱い涙を落とします。
夢みる大きな額の上に蘆が傾きかかります。

傷つけられた睡蓮たちは彼女を囲繞(とりま)き溜息します。
彼女は時々覚まします、睡つてゐる榛(はんのき)の
中の何かの塒(ねぐら)をば、すると小さな羽ばたきがそこから逃れて出てゆきます。
不思議な一つの歌声が金の星から堕ちてきます。

     Ⅱ

雪の如くも美しい、おゝ蒼ざめたオフェリアよ、
さうだ、おまへは死んだのだ、暗い流れに運ばれて!
それといふのもノルヱーの高い山から吹く風が
おまへの耳にひそひそと酷(むご)い自由を吹込んだため。

それといふのもおまへの髪毛に、押寄せた風の一吹が、
おまへの夢みる心には、ただならぬ音とも聞こえたがため、
それといふのも樹の嘆かひに、夜毎の闇の吐く溜息に、
おまへの心は天地の声を、聞き落(もら)すこともなかつたゆゑに。

それといふのも潮(うしほ)の音(おと)が、さても巨いな残喘(ざんぜん)のごと、
情けにあつい子供のやうな、おまへの胸を痛めたがため。
それといふのも四月の朝に、美々(びゝ)しい一人の蒼ざめた騎手、
哀れな狂者がおまへの膝に、黙つて坐りにやつて来たため。

何たる夢想ぞ、狂ひし女よ、天国、愛恋、自由とや、おゝ!
おまへは雪の火に於るがごと、彼に心も打靡かせた。
おまへの見事な幻想はおまへの誓ひを責めさいなんだ。
――そして無残な無限の奴は、おまへの瞳を震駭(びつくり)させた。

     Ⅲ

扨詩人奴(め)が云ふことに、星の光をたよりにて、
嘗ておまへの摘んだ花を、夜毎おまへは探しに来ると。
又彼は云ふ、流れの上に、長い面帕(かつぎ)に横たはり、
真(ま)ツ白白(しろしろ)のオフェリアが、大きな百合かと漂つてゐたと。
                〔一八七〇、六月〕

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、新漢字を使用しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年6月 4日 (月)

中原中也が訳したランボー「オフェリア」Ophélieその2

「オフェリア」Ophélieは、
「前期韻文詩」として分類される単独詩のほかに
1870年5月24日付けで
パルナシアンの詩人であるテオドール・ド・バンヴィルに宛てた書簡の中に
「感覚」「太陽と肉体」とともに書き込まれたバリアントがあり
その「オフェリア」のバリアントの末尾には「1870年5月15日」の日付けがあります。

当時、フランス詩壇の中心的位置にあった詩誌「現代高踏派詩集」への
掲載を依頼する内容のものでした。
ランボー16歳、
詩壇へのデビューを果たそうとした野心も見えます。

ランボーの「オフェリア」は
「ラファエル前派」の中心的画家として知られる
ジョン・エバレット・ミレー(1829~1896)の
油彩「オフィーリヤ」に触発されたものという説もあるほど
似ているところがありますが
それは「視覚上」のことであって
ランボーがオフェリアをモチーフとしたのは
水に流されてゆくオフィーリアの「美」とは
違うところにあったことが推察されます。

水死人のイメージは
やがては「酔いどれ船」の中に
重要な要素として展開されることを視野に入れると
「オフェリア」でランボーが描いた死は
「女性の死の美」では
さらさらあり得ず
そのことは
「オフェリア」という詩自体に
読むことが可能です。

たとえばそれは、
「自由」――。

中原中也訳では
第2節第1連に、

おまへの耳にひそひそと酷(むご)い自由を吹込んだため。

――とあり、
同じく第2節最終連に、

何たる夢想ぞ、狂ひし女よ、天国、愛恋、自由とや、おゝ!

――と、「自由」は現れます。

ミレーの絵に
「オフィーリアの自由」を読み取ることは
至難の技というものでしょうが
ランボーの「オフェリア」という詩は
「自由」を歌いましたし……。

第3節へと向かう
すべての詩行が、

扨詩人奴(め)が云ふことに、星の光をたよりにて、
嘗ておまへの摘んだ花を、夜毎おまへは探しに来ると。
又彼は云ふ、流れの上に、長い面帕(かつぎ)に横たはり、
真(ま)ツ白白(しろしろ)のオフェリアが、大きな百合かと漂つてゐたと。

――という、最終連のこの4行のために
歌われていることが見えてきます。

第3節の、この4行は
では、何を歌っているのでしょうか――。

一つは、

さて、詩人という輩が言うことには、星の光を頼りにして、
かつてお前の摘んだ花を、夜毎お前は探しに来るんだと。

もう一つは、

また彼は言う、流れの上に、長いネッカチーフは横たわり、
真っ白白白のオフェリアが、大きな百合の花のように漂っていたと。

――という二つのことですが、

一つ目の、
オフェリアが生きているときに
森や野原で摘んだ花を
夜毎探しに来る、ということを「詩人」が主張しているという「意味」と、

二つ目の、
川の流れに広がったネッカチーフにくるまれて
仰向けのオフェリアは白一色の
巨大な百合の花かと見違える形で漂っていた、ということを「詩人」が主張しているという「意味」。

ランボーがここに託した「意味」を探ろうとすれば
「研究者」の眼差しになりそうですが
「答え」は研究者に、
「問い」を問うのは読者に、ということにしておいたほうが
この詩を味わう楽しみを持続できそうなので
ここでは「問う」までにしておくことにします。

「読み下し文」と
翻訳原詩の両方を
掲出しておきます。

オフェリア

星が眠る暗く静かな浪の上、
蒼白のオフェリアが漂う、大百合か、
漂う、とてもゆるやかに長いネッカチーフに横たわる。
近くの森では、鳴っています、鹿を追い詰めた合図の笛が。

以来、1000年以上です、真っ白の真っ白の妖怪の
哀しい哀しいオフェリアが、そこを流れ、過ぎた日から数えると。
以来、1000年以上が経ちます、その恋に狂った女が
そのロマンスを夕方の風に、呟いてから。

風は彼女の胸を撫で、水に静かにゆらゆら揺れる
彼女の大きなベールを花の冠のように広げます。
ウィローはふるえて肩に熱い涙を落します。
夢みる大きな額の上に葦の葉が傾いてかぶります。

傷つけられた睡蓮たちは、彼女を取り巻いて溜め息をつきます。
彼女は時々目を覚まします、眠っている榛の木の
中の何かの塒から、すると小さな羽ばたきがして、そこから逃げていきます
不思議な歌声が一つ、金の星から落ちてきます。

雪のように美しい、おお、青ざめたオフェリアよ、
そうだ、お前は死んだのだ、暗い流れに運ばれて!
それというのも、ノルウェイの高い山から吹く風が
お前の耳にひそひそとむごい自由を吹き込んだため。

それというのも、お前の髪の毛に、押し寄せた風の一吹きが、
お前の夢みる心には、ただならない音と聞こえたために、
それというのも、樹の嘆きに、夜毎の闇が吐くため息に、
お前の心は天と地の声を、聞き漏らすこともなかったから。

それというのも、潮の音が、とても大きな喘ぎのようで、
情け深い子供のような、お前の胸を痛めたから。
それというのも、4月の朝に、美しい一人の青ざめた騎手が、
あわれな狂者がお前の膝に、黙って座りに来たためだ。

なんという夢想なのだ、狂った娘よ、天国、愛、自由とは、おお!
お前は雪が火の中にあるように、彼の心をも靡かせた。
お前の見事な幻想は、お前の誓いを責め苛んだ。
――そして、無残な無限という奴は、お前の瞳を驚かせたのだ。

さて、詩人という輩が言うことには、星の光を頼りにして、
かつてお前の摘んだ花を、夜毎お前は探しに来るんだと。
また彼は言う、流れの上に、長いネッカチーフは横たわり、
真っ白白白のオフェリアが、大きな百合の花のように漂っていたと。
                     (1870年6月)

 *

 オフェリア

     Ⅰ

星眠る暗く静かな浪の上、
蒼白のオフェリア漂ふ、大百合か、
漂ふ、いともゆるやかに長き面帕(かつぎ)に横たはり。
近くの森では鳴つてます鹿遂詰めし合図の笛。

以来千年以上です真白の真白の妖怪の
哀しい哀しいオフェリアが、其処な流れを過ぎてから。
以来千年以上ですその恋ゆゑの狂(くる)ひ女(め)が
そのロマンスを夕風に、呟いてから。

風は彼女の胸を撫で、水にしづかにゆらめける
彼女の大きい面帕(かほぎぬ)を花冠(くわくわん)のやうにひろげます。
柳は慄へてその肩に熱い涙を落とします。
夢みる大きな額の上に蘆が傾きかかります。

傷つけられた睡蓮たちは彼女を囲繞(とりま)き溜息します。
彼女は時々覚まします、睡つてゐる榛(はんのき)の
中の何かの塒(ねぐら)をば、すると小さな羽ばたきがそこから逃れて出てゆきます。
不思議な一つの歌声が金の星から堕ちてきます。

     Ⅱ

雪の如くも美しい、おゝ蒼ざめたオフェリアよ、
さうだ、おまへは死んだのだ、暗い流れに運ばれて!
それといふのもノルヱーの高い山から吹く風が
おまへの耳にひそひそと酷(むご)い自由を吹込んだため。

それといふのもおまへの髪毛に、押寄せた風の一吹が、
おまへの夢みる心には、ただならぬ音とも聞こえたがため、
それといふのも樹の嘆かひに、夜毎の闇の吐く溜息に、
おまへの心は天地の声を、聞き落(もら)すこともなかつたゆゑに。

それといふのも潮(うしほ)の音(おと)が、さても巨いな残喘(ざんぜん)のごと、
情けにあつい子供のやうな、おまへの胸を痛めたがため。
それといふのも四月の朝に、美々(びゝ)しい一人の蒼ざめた騎手、
哀れな狂者がおまへの膝に、黙つて坐りにやつて来たため。

何たる夢想ぞ、狂ひし女よ、天国、愛恋、自由とや、おゝ!
おまへは雪の火に於るがごと、彼に心も打靡かせた。
おまへの見事な幻想はおまへの誓ひを責めさいなんだ。
――そして無残な無限の奴は、おまへの瞳を震駭(びつくり)させた。

     Ⅲ

扨詩人奴(め)が云ふことに、星の光をたよりにて、
嘗ておまへの摘んだ花を、夜毎おまへは探しに来ると。
又彼は云ふ、流れの上に、長い面帕(かつぎ)に横たはり、
真(ま)ツ白白(しろしろ)のオフェリアが、大きな百合かと漂つてゐたと。
                〔一八七〇、六月〕

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、新漢字を使用しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年6月 2日 (土)

中原中也が訳したランボー「オフェリア」Ophélie

中原中也訳の「オフェリア」Ophélieは、
昭和10年(1935)に「四季」の10月号に発表されたのを初出として
「ランボオ詩抄」(1936年6月)に再出、
「ランボオ詩集」(1937年9月)にも収録されました。

「四季」同号には
同時にランボーの「烏」の翻訳や
自作詩「我がヂレンマ」も
発表しています。

ランボーには
「ドゥエ詩帖」と呼ばれる
前期韻文詩の約半数22篇を収めた自筆原稿がありますが
「オフェリア」はその中の1篇です。

1870年5月24日付けで
テオドール・ド・バンヴィルに宛てた書簡に書きつけられたバリアントがありますが
このバンヴィル宛て書簡は
「感覚」「太陽と肉体」「オフェリア」の3作品を添えて
当時、フランス詩壇の中心的位置にあった詩誌
「現代高踏派詩集」への掲載を依頼する内容のものでした。

これらの詩が
ランボーの自信作であったことを示していますが
発行時期などの問題があり
掲載には至りませんでした。

オフェリアは
シェイクスピアの「ハムレット」(1600年?)に登場する
主人公ハムレットの恋人ですが
物語の結末では
ハムレットとすれ違って狂気に陥った挙句、
散歩中に小川に足を奪われ溺れ死ぬ
……という悲劇のヒロインとして
世界中に広まりました。

「ハムレット」の人気を作る要因の第一が
この水死のシーンと言ってよいほどに
オフェリアが小川を流れていく姿が鮮烈で
以後、文芸作品や絵画・美術などの様々な分野に
好んで題材とされるようになります。

ランボーも
19世紀末、
この戦列に参加したということになります。

日本語への翻訳は、
小林秀雄の「オフエリヤ」がありますが
ここでは
ランボーのOphélieがどんな詩なのか
中原中也訳「オフェリア」をまず読んでみることにしましょう。

歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに
「振り仮名」も現代表記に変え
「テニオハ」を補完するなどして
読み下してみます。

星が眠る暗く静かな浪の上、
蒼白のオフェリアが漂う、大百合か、
漂う、とてもゆるやかに長いネッカチーフに横たわる。
近くの森では、鳴っています、鹿を追い詰めた合図の笛が。

以来、1000年も短いくらいです、真っ白の真っ白の妖怪の
哀しい哀しいオフェリアが、そこを流れ、過ぎた日から数えると。
以来、1000年も短い年月が経ちます、その恋に狂った女が
そのロマンスを夕方の風に、呟いてから。

風は彼女の胸を撫で、水に静かにゆらゆら揺れる
彼女の大きなベールを花の冠のように広げます。
ウィローはふるえて肩に熱い涙を落します。
夢みる大きな額の上に葦の葉が傾いてかぶります。

傷つけられた睡蓮たちは、彼女を取り巻いて溜め息をつきます。
彼女は時々目を覚まします、眠っている榛の木の
中の何かの塒から、すると小さな羽ばたきがして、そこから逃げていきます
不思議な歌声が一つ、金の星から落ちてきます。

雪のように美しい、おお、青ざめたオフェリアよ、
そうだ、お前は死んだのだ、暗い流れに運ばれて!
それというのも、ノルウェイの高い山から吹く風が
お前の耳にひそひそとむごい自由を吹き込んだため。

それというのも、お前の髪の毛に、押し寄せた風の一吹きが、
お前の夢みる心には、ただならない音と聞こえたために、
それというのも、樹の嘆きに、夜毎の闇が吐くため息に、
お前の心は天と地の声を、聞き漏らすこともなかったから。

それというのも、潮の音が、とても大きな喘ぎのようで、
情け深い子供のような、お前の胸を痛めたから。
それというのも、4月の朝に、美しい一人の青ざめた騎手が、
あわれな狂者がお前の膝に、黙って座りに来たためだ。

なんという夢想なのだ、狂った娘よ、天国、愛、自由とは、おお!
お前は雪が火の中にあるように、彼の心をも靡かせた。
お前の見事な幻想は、お前の誓いを責め苛んだ。
――そして、無残な無限という奴は、お前の瞳を驚かせたのだ。

さて、詩人という輩が言うことには、星の光を頼りにして、
かつてお前の摘んだ花を、夜毎お前は探しに来るんだと。
また彼は言う、流れの上に、長いネッカチーフは横たわり、
真っ白白白のオフェリアが、大きな百合の花のように漂っていたと。
                     (1870年6月)

 *

 オフェリア

     Ⅰ

星眠る暗く静かな浪の上、
蒼白のオフェリア漂ふ、大百合か、
漂ふ、いともゆるやかに長き面帕(かつぎ)に横たはり。
近くの森では鳴つてます鹿遂詰めし合図の笛。

以来千年以上です真白の真白の妖怪の
哀しい哀しいオフェリアが、其処な流れを過ぎてから。
以来千年以上ですその恋ゆゑの狂(くる)ひ女(め)が
そのロマンスを夕風に、呟いてから。

風は彼女の胸を撫で、水にしづかにゆらめける
彼女の大きい面帕(かほぎぬ)を花冠(くわくわん)のやうにひろげます。
柳は慄へてその肩に熱い涙を落とします。
夢みる大きな額の上に蘆が傾きかかります。

傷つけられた睡蓮たちは彼女を囲繞(とりま)き溜息します。
彼女は時々覚まします、睡つてゐる榛(はんのき)の
中の何かの塒(ねぐら)をば、すると小さな羽ばたきがそこから逃れて出てゆきます。
不思議な一つの歌声が金の星から堕ちてきます。

     Ⅱ

雪の如くも美しい、おゝ蒼ざめたオフェリアよ、
さうだ、おまへは死んだのだ、暗い流れに運ばれて!
それといふのもノルヱーの高い山から吹く風が
おまへの耳にひそひそと酷(むご)い自由を吹込んだため。

それといふのもおまへの髪毛に、押寄せた風の一吹が、
おまへの夢みる心には、ただならぬ音とも聞こえたがため、
それといふのも樹の嘆かひに、夜毎の闇の吐く溜息に、
おまへの心は天地の声を、聞き落(もら)すこともなかつたゆゑに。

それといふのも潮(うしほ)の音(おと)が、さても巨いな残喘(ざんぜん)のごと、
情けにあつい子供のやうな、おまへの胸を痛めたがため。
それといふのも四月の朝に、美々(びゝ)しい一人の蒼ざめた騎手、
哀れな狂者がおまへの膝に、黙つて坐りにやつて来たため。

何たる夢想ぞ、狂ひし女よ、天国、愛恋、自由とや、おゝ!
おまへは雪の火に於るがごと、彼に心も打靡かせた。
おまへの見事な幻想はおまへの誓ひを責めさいなんだ。
――そして無残な無限の奴は、おまへの瞳を震駭(びつくり)させた。

     Ⅲ

扨詩人奴(め)が云ふことに、星の光をたよりにて、
嘗ておまへの摘んだ花を、夜毎おまへは探しに来ると。
又彼は云ふ、流れの上に、長い面帕(かつぎ)に横たはり、
真(ま)ツ白白(しろしろ)のオフェリアが、大きな百合かと漂つてゐたと。
                〔一八七〇、六月〕

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、新漢字を使用しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年6月 1日 (金)

中原中也が訳したランボー「太陽と肉体」Soleil et Chairその6

中原中也訳の「ランボオ詩集」は、
講談社文芸文庫の「中原中也全訳詩集」(1990年第1刷)が
最も手近かにあり
「ポケット詩集」の名にふさわしいものであることから
当ブログもここから引用していますが、
同文庫は
1968年発行の「中原中也全集」第5巻を底本としているために
「新編中原中也全集」よりも前の編集・校訂になっています。

いわゆる「旧全集」に依拠しているため
最新の研究成果が洩れているケースがあり、
「太陽と肉体」にも
幾つかの校訂が反映されていません。

原詩の鑑賞(読み)に支障があるものではありませんが
ギリシア・ローマ神話にちなんだ「太陽と肉体」は
用語の解釈の比重が比較的大きく
語註を付しての鑑賞が求められたため
「角川新全集」、金子光晴訳、粟津則雄訳などの語註を借りて案内しましたが、
ここでやや混乱が生じました。

たとえば、
第4章に現れる「アリアドネ」。
講談社文庫版では、
第1行と第30行と2度登場しますが
第30行の「アリアドネ」は、「ドリアードDryade」(ニンフの仲間で森の精)、
また、第40行に「鶯」とあるのは、「鷽・うそbouvreuil」が適正とされ、
「新全集」では校訂されています。

第4章の校訂を行った
中原中也訳「太陽と肉体」の全文を
現代表記と原作の歴史的表記とで掲出しておきます。

太陽と肉体

太陽、この愛と生命のふるさとは、
喜びの大地に熱愛を注ぐ。
私たちが谷間に寝そべっている時に、
大地は血をたぎらせ肉を躍らせる、
その大きな胸が人に激賞させられるのは
神が愛によって、女が肉によって激賞させられるのと同じで、
また大量の樹液や光、
あらゆる胚種を包蔵している。

一切成長、一切増進!

          おおビーナスよ、おお女神よ!
若々しい古代の時を、放逸な半人半山羊神・サチュルスを。
野生の神々・フォーヌを私は懐かしみます、
愛の小枝の樹皮を齧り、
金髪ニンフを蓮の中で、口づけしました彼らです。
地球の生気や河川の流れ、
樹々の血潮が仄かな紅に
牧羊神・パンの血潮と交ざり循環した、あの頃を私は懐かしみます。
あの頃、大地は牧羊神の、山羊足の下に胸をときめかし、
牧羊神が葦笛を吹けば、空のもと
愛の頌歌はほがらかに鳴り渡ったものでした、
野に立って彼は、その笛に答える天地の
声々を聴いていました。
声を出さない樹々も歌う小鳥たちに口づけし、
大地は人に口づけし、海という海
生物という生物が神のように、情愛に満ちていました。
壮観な街の中を、青銅の車に乗って
ほれぼれするように美しかったあのシベールが、
走り回っていたという時代を私は懐かしみます。
乳房豊かなその胸は清らかな大気の中に
不死の命の精水をそそいでいました。
「人の子」は吸ったものです、よろこんでその乳房を、
子供のように、膝にあがって。
だが「人の子」は強かったので、貞潔で、温和でありました。

情けないことに、今では彼は言うのです、俺は何でも知ってると、
そして、眼をつぶり、耳を塞いで歩くのです。
それでいて「人の子」が今では王であり、
「人の子」が今では神なのです! 「愛」こそ神であるものなのに!
おお! 神々と男たちとの大いなる母、シベールよ!
あなたの乳房をもしも男が、今でも吸うのだったら!
昔、青い波の限りない光のさ中に現れなさって
波の香のする御神体、泡が降りかかる
トキ色のおへそをお示しなさって、
森に鶯、男の心に、愛を歌わせなさいまし
大いなる黒い瞳も誇らかなあの女神
アスタルテ、今もこの世におられたらなあ!

    Ⅱ

私はあなた様を信じます、聖なる母よ、
海のアフロディテよ!――ほかの神がその十字架に
わたしたちを繋ぎましてから、あなた様への道の苦しいこと!
肉、大理石、花、ビーナス、私はあなた様を信じます!
そうです、「人の子」は貧しく醜い、空のもとではほんとに貧しい、
彼は衣服を着けている、何故ならもはや貞潔じゃない、
何故なら至上の肉体を彼は汚してしまったのです、
気高いからだを汚いわざで
火に遇った木偶と意地気させました!
それでいて死の後までも、その蒼ざめた遺骸の中に
生きようとします、最初の美などもうないくせに!
そしてあなた様の処女性を、ゆたかに賦与され、
神に似せてお造りなすったあの偶像、「女」は、
その哀れな魂を男に照らして貰ったおかげで
地下の牢から日の目を見るまで、
ゆるゆる暖められたおかげで、
おかげでもはや娼婦にゃなれない!
――奇妙な話! かくて世界は偉大なビーナスの
優しく聖なる御名において、冷ややかに笑っている。

     Ⅲ

もしあの時代が帰ってきたらば! もしあの時代が帰ってきたらば!……
だって「人の子」の時代は過ぎた、「人の子」の役目は終った。
あの時代が帰ってきたら、その日こそ、偶像を壊すことにも疲れ、
彼は復活するだろう、あの神々から解き放たれて、
天に属する者のように、諸神を裁定しはじめるだろう。
理想、砕けることもない永遠の思想、
あの肉体に住む神性は
出現し、額の下で燃えるだろう。
そして、あらゆる地域を探索する、彼をあなた様が見るだらう時、
諸々の古いルールの侮蔑者であり、全ての恐怖に勝つ者、
あなた様は彼に聖・贖罪をお与えになるでしょう。
海の上で荘厳に、輝く者であるあなた様はさて、
微笑みつつ無限の「愛」を、
世界の上に投げようと光臨されることでしょう。
世界は顫えることでしょう、巨大な竪琴さながらに
かぐはしく、大きな愛撫にゾクゾクしながら……

――世界は「愛」に渇えています。あなた様はそれをお鎮め下さい、
おお肉体のみごとさよ! おお素晴らしいみごとさよ!
愛の来復、黎明の凱旋
神々も、英雄たち身を屈め、
エロスや真っ白なカリピイジュ
薔薇の吹雪に迷いつつ
足の下の花々や、女たちを摘むでしょう!

    Ⅳ

おお偉大なアリアドネ、お前はお前の悲しみを
海に投げ棄てたのだった、テーゼの船が
陽に燦いて、去っていくのを眺めつつ、
おお貞順なお前であった、闇が傷めたお前であった、
黒い葡萄で縁取った、金の車でリディアスが、
驃駻な虎や褐色の豹に引かせてフリージアの
野をあちこちとさまよって、青い流れに沿いながら
進んでいけばほの暗い波も恥じ入る気配です。
牡牛ゼウスはユウロペの裸の身を頸にのせ、
軽々と揺さぶれば、波の中で寒気する
ゼウスの丈夫なその頸に、白い腕をユウロペは掛け、
ゼウスは彼女に送ります、悠然として秋波(ながしめ)を、
彼女はやさしい蒼ざめた自分の頬をゼウスの顔に
さしむけて眼を閉じて、彼女は死んでしまいます
神聖な接唇(ベエゼ)の只中に、波は音を立てています
その金色の泡沫(しはぶき)は、彼女のヘアーに花となる。
夾竹桃とおしゃべりな白蓮の間をすべりゆく
夢みる大きい白鳥は、とても恋々(れんれん)しています、
その真っ白の羽でレダを胸に抱き締めるのです、
さてビーナス様のお通りです、
めずらかな腰の丸みよ、反身(そりみ)になって
幅広の胸に黄金を晴れがましくも、
雪かと見間違える白いそのお腹には、まっ黒い苔が飾られて、
ヘラクレス、この凄腕は誇らかに、
ライオンの毛皮をゆたらか(豊満な)五体に締めて、
恐いながらも優しい顔して、地平の方へと進んでいく!……
おぼろに照らす夏の月の、月の光に照らされて
立って夢みる裸身のもの
ロングヘアーも金に染み、蒼ざめ重き波をつくる
これこそご存知ドリアード、沈黙の空を眺めている……
苔も閃めく林間の空地の中のそこだから、
肌も真っ白のセレネーはハンカチーフが靡くにままになっていて、
エンデミオンの足元に、おずおずとして、
蒼白い月の光のその中で一寸口づけするのです……
泉は遠くで泣いています うっとり和んで泣いています……
甕に肘を突きまして、若く綺麗な男を
思っているのはあのニンフ、波で彼を抱き締める……
愛の微風は闇の中、通り過ぎます……
このようにめでたい森の中、大樹ばかりの凄さの中に、
立っているのは物言わぬ大理石像、神々の、
それの一つの御顔(おんかお)に鷽(うそ)は塒を作り、
神々は耳を傾け、「人の子」と「終わりなき世」を案じ顔。
                〔1870、5月〕

 *

 太陽と肉体

太陽、この愛と生命の家郷は、
嬉々たる大地に熱愛を注ぐ。
我等谷間に寝そべつてゐる時に、
大地は血を湧き肉を躍らす、
その大いな胸が人に激昂させられるのは
神が愛によつて、女が肉によつて激昂させられる如くで、
又大量の樹液や光、
凡ゆる胚種を包蔵してゐる。

一切成長、一切増進!

          おゝ美神(ヹニュス)、おゝ女神!
若々しい古代の時を、放逸な半人半山羊神(サチール)たちを。
獣的な田野の神々(フォーヌ)を私は追惜します、
愛の小枝の樹皮をば齧り、
金髪ニンフを埃及蓮(はす)の中にて、接唇しました彼等です。
地球の生気や河川の流れ、
樹々の血潮(ちしほ)が仄紅(ほのくれなゐ)に
牧羊神(パン)の血潮と交(まざ)り循(めぐ)つた、かの頃を私は追惜します。
当時大地は牧羊神の、山羊足の下に胸ときめかし、
牧羊神が葦笛とれば、空のもと
愛の頌歌はほがらかに鳴渡つたものでした、
野に立つて彼は、その笛に答へる天地の
声々をきいてゐました。
黙(もだ)せる樹々も歌ふ小鳥に接唇(くちづけ)し、
大地は人に接唇し、海といふ海
生物といふ生物が神のごと、情けに篤いことでした。
壮観な市々(まちまち)の中を、青銅の車に乗つて
見上げるやうに美しかつたかのシベールが、
走り廻つてゐたといふ時代を私は追惜します。
乳房ゆたかなその胸は顥気の中に
不死の命の霊液をそゝいでゐました。
『人の子』は吸つたものです、よろこんでその乳房をば、
子供のやうに、膝にあがつて。
だが『人の子』は強かつたので、貞潔で、温和でありました。

なさけないことに、今では彼は云ふのです、俺は何でも知つてると、
そして、眼(め)をつぶり、耳を塞いで歩くのです。
それでゐて『人の子』が今では王であり、
『人の子』が今では神なのです! 『愛』こそ神であるものを!
おゝ! 神々と男達との大いなる母、シベールよ!
そなたの乳房をもしも男が、今でも吸ふのであつたなら!
昔青波(せいは)の限りなき光のさ中に顕れ給ひ
浪かをる御神体、泡降りかゝる
紅(とき)の臍(ほぞ)をば示現し給ひ、
森に鶯、男の心に、愛を歌はせ給ひたる
大いなる黒き瞳も誇りかのかの女神
アスタルテ、今も此の世におはしなば!

    Ⅱ

私は御身を信じます、聖なる母よ、
海のアフロヂテよ!――他の神がその十字架に
我等を繋ぎ給ひてより、御身への道のにがいこと!
肉、大理石、花、ヹニュス、私は御身を信じます!
さうです、『人の子』は貧しく醜い、空のもとではほんとに貧しい、
彼は衣服を着けてゐる、何故ならもはや貞潔でない、
何故なら至上の肉体を彼は汚してしまつたのです、
気高いからだを汚いわざで
火に遇つた木偶(でく)といぢけさせました!
それでゐて死の後までも、その蒼ざめた遺骸の中に
生きんとします、最初の美なぞもうないくせに!
そして御身が処女性を、ゆたかに賦与され、
神に似せてお造りなすつたあの偶像、『女』は、
その哀れな魂を男に照らして貰つたおかげで
地下の牢から日の目を見るまで、
ゆるゆる暖められたおかげで、
おかげでもはや娼婦にやなれぬ!
――奇妙な話! かくて世界は偉大なヹニュスの
優しく聖なる御名(みな)に於て、ひややかに笑つてゐる。

     Ⅲ

もしかの時代が帰りもしたらば! もしかの時代が帰りもしたらば!……
だつて『人の子』の時代は過ぎた、『人の子』の役目は終つた。
かの時代が帰りもしたらば、その日こそ、偶像壊(こぼ)つことにも疲れ、
彼は復活するでもあらう、あの神々から解き放たれて、
天に属する者の如く、諸天を吟味しだすであらう。
理想、砕くすべなき永遠の思想、
かの肉体(にく)に棲む神性は
昇現し、額の下にて燃えるであらう。
そして、凡ゆる地域を探索する、彼を御身が見るだらう時、
諸々の古き軛の侮蔑者にして、全ての恐怖に勝てる者、
御身は彼に聖・贖罪を給ふでせう。
海の上にて荘厳に、輝く者たる御身はさて、
微笑みつゝは無限の『愛』を、
世界の上に投ぜんと光臨されることでせう。
世界は顫へることでせう、巨大な竪琴さながらに
かぐはしき、巨(おほ)いな愛撫にぞくぞくしながら……

――世界は『愛』に渇(かつ)ゑてゐます。御身よそれをお鎮め下さい、
おゝ肉体のみごとさよ! おゝ素晴らしいみごとさよ!
愛の来復、黎明(よあけ)の凱旋
神々も、英雄達も身を屈め、
エロスや真白のカリピイジュ
薔薇の吹雪にまよひつゝ
足の下(もと)なる花々や、女達をば摘むでせう!

    Ⅳ

おゝ偉大なるアリアドネ、おまへはおまへの悲しみを
海に投げ棄てたのだつた、テエゼの船が
陽に燦いて、去つてゆくのを眺めつつ、
おゝ貞順なおまへであつた、闇が傷めたおまへであつた、
黒い葡萄で縁取つた、金の車でリジアスが、
驃駻な虎や褐色の豹に牽かせてフリジアの
野をあちこちとさまよつて、青い流に沿ひながら
進んでゆけば仄暗い波も恥ぢ入るけはひです。
牡牛ゼウスはイウロペの裸かの身をば頸にのせ、
軽々とこそ揺すぶれば、波の中にて寒気(さむけ)する
ゼウスの丈夫なその頸(くび)に、白い腕(かひな)をイウロペは掛け、
ゼウスは彼女に送ります、悠然として秋波(ながしめ)を、
彼女はやさしい蒼ざめた自分の頬をゼウスの顔に
さしむけて眼(まなこ)を閉ぢて、彼女は死にます
神聖な接唇(ベエゼ)の只中に、波は音をば立ててます
その金色の泡沫(しはぶき)は、彼女の髪毛に花となる。
夾竹桃と饒舌(おしやべり)な白蓮の間(あはひ)をすべりゆく
夢みる大きい白鳥は、大変恋々(れんれん)してゐます、
その真つ白の羽をもてレダを胸には抱締めます、
さてヹニュス様のお通りです、
めづらかな腰の丸みよ、反身(そりみ)になつて
幅広の胸に黄金(こがね)をはれがましくも、
雪かと白いそのお腹(なか)には、まつ黒い苔が飾られて、
ヘラクレス、この調練師(ならして)は誇りかに、
獅の毛皮をゆたらかな五体に締めて、
恐(こは)いうちにも優しい顔して、地平の方(かた)へと進みゆく!……
おぼろに照らす夏の月の、月の光に照らされて
立つて夢みる裸身のもの
丈長髪も金に染み蒼ざめ重き波をなす
これぞ御存じドリアード、沈黙(しじま)の空を眺めゐる……
苔も閃めく林間の空地(あきち)の中の其処にして、
肌も真白のセレネエは面帕(かつぎ)なびくにまかせつつ、
エンデミオンの足許に、怖づ怖づとして、
蒼白い月の光のその中で一寸接唇(くちづけ)するのです……
泉は遐くで泣いてます うつとり和(なご)んで泣いてます……
甕に肘をば突きまして、若くて綺麗な男をば
思つてゐるのはかのニンフ、波もて彼を抱締める……
愛の微風は闇の中、通り過ぎます……
さてもめでたい森の中、大樹々々の凄さの中に、
立つてゐるのは物云はぬ大理石像、神々の、
それの一つの御顔(おんかほ)に鷽(うそ)は塒(ねぐら)を作り、
神々は耳傾けて、『人の子』と『終わりなき世』を案じ顔。
                〔一八七〇、五月〕

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、新漢字を使用しました。
※本文中の「驃駻」の「駻」は、原作では「馬へん」に「干」です。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »