中原中也が訳したランボー「タルチュッフの懲罰」Le châtiment de Tartufeその2
中原中也訳「タルチュッフの懲罰」Le châtiment de Tartufeには
珍しくも!
大岡昇平による同時代訳がありますから
勇んで、それを読んでおきましょう。
◇
大岡昇平は
中原中也にフランス語を習ったことがあり、
それは親から飲み代を引き出すための「策略」だったと回想し、
1週間の間に各自、1篇を訳して見せ合った。私の記憶では中原が「飾画」を、私が「初期詩篇」を受持った。
(角川文庫「中原中也」所収「中原中也全集解説」)
――というように、この「授業」で、
「翻訳の合評」みたいなことをしていたことも明かしていますから、
ウソをついて親をだました、というのとは事情が違うことが分かります。
この時の「翻訳合評」は
二人の文学者それぞれの習練になった、といって過言ではない
貴重な時間になったのです。
◇
この時の訳出が
そのまま決定稿となったわけではないものの
中原中也の「ランボオ詩集」には
これを元に推敲を加えて完成した翻訳が幾つかあり
読むことができるのですが、
大岡昇平の訳が読めるとは
嬉しいことではありませんか!
この翻訳は
「タルチュフ懲罰」のタイトルで
同人誌「桐の花」の昭和5年3月号に発表されています。
原作は、
歴史的仮名遣いである上に
繰り返し記号「/\」を含むなど
再現するのに無理もありますので
現代表記にします。
◇
タルチュフ懲罰
大岡昇平訳
清らかな黒衣の下に愛情深き心臓を掻き立て掻き立て
おててに、手套いそいそと、
歯無の口に信仰たらだら薄黄ろく、
或日、彼は途轍もなく優しく出掛けて行ったが、
或日、彼は出掛けて行ったが――「お祈り」にと――一人の意地悪奴が
荒々しく彼の祝福された耳を引っ捉え、
打湿った皮膚から清らかな黒衣を剥ぎ取って
数々の罵詈雑言を吐き散した。
懲罰か! 着物のボタンはもぎ取られた。
されど赦されたる罪人はだだ長き珠数を心の中に爪さぐり、
聖タルチュフは蒼ざめた。
息きれぎれに彼は祈った懺悔した。
一同は彼の胸飾りを奪って悦に入った。
ほい! タルチュフは頭から尻まで引んむかれた。
(「新編中原中也全集」「第3巻・翻訳・解題篇」より)
◇
「桐の花」は
古谷綱武らが発行する同人誌です。
その昭和5年3月号ならば
「白痴群」第5号が発行され(1月)、
第6号(4月発行)で廃刊になる間のことです。
古谷綱武は
「白痴群」の同人でもありますから
不思議でもなんでもありませんが
中原中也と大岡昇平の仲は
この頃、最悪の事態にあったのですから
大岡が「桐の花」に「タルチュフ懲罰」を発表した経緯も
想像できることです。
現実の事態が
翻訳の中に反映されていることとは
あり得なくもないことでしょうから、
そんなことも知った上で読むことに
支障もまたありません。
*
タルチュッフの懲罰
わくわくしながら、彼の心は、恋慕に燃えて
僧服の下で、幸福おぼえ、手袋はめて、
彼は出掛けた、或日のことに、いとやさしげな
黄色い顔して、歯欠けの口から、信心垂らし
彼は出掛けた、或日のことに――《共に祈らん(オレムス)》――
と或る意地悪、祝福された、彼の耳をば手荒に掴み
極悪の、文句を彼に、叩き付けた、僧服を
じめじめの彼の肌から引ツ剥ぎながら。
いい気味だ!……僧服の、釦は既に外(はづ)されてゐた、
多くの罪過を赦してくれた、その長々しい念珠をば
心の裡にて爪繰りながら、聖タルチュッフは真(ま)ツ蒼(さを)になつた。
ところで彼は告解してゐた、お祈りしてゐた、喘ぎながらも。
件の男は嬉々として、獲物を拉つてゆきました。
――フツフツフツ! タルチュッフ様は丸裸か。
〔一八七〇、七月〕
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、新漢字を使用しました。編者。
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