中原中也が訳したランボー「オフェリア」Ophélieその3
中原中也訳の「オフェリア」Ophélieの同時代訳に
小林秀雄が昭和8年に発表した「オフエリヤ」がありますから
それを読んでおきましょう。
と言ったものの
江川書房発行の「アルチユル ランボオ詩集」所収の「オフエリヤ」は
「新編中原中也全集」第3巻・翻訳・解題篇に引用されているものを読むと
「ルビだらけ」で読む気を失ないますので
戦後1948年、創元社発行の
小林秀雄訳「ランボオ詩集」収録の「オフェリヤ」を読むことにします。
ランボーの韻文詩の小林秀雄訳は
数が限られていることはよく知られたことで
「オフェリヤ」はその一つですが、
早い時期からシェイクスピアのOphélieに関心を寄せていて
1931年(昭和6年)には、「おふえりや遺文」という題の小説を発表しています。
1600年頃に作られたシェイクスピアの「ハムレット」は
ヒロインOphélieが好んで題材にされて
文芸作品や絵画・美術などの様々な分野で
脚色され翻案されて世界中に広がりましたが
小林秀雄の「おふえりや遺文」も
日本語によるそうした試みの一つと言えます。
小林秀雄29歳の作品で
オフィーリアには
長谷川泰子のおもかげがあることは
多くの論者の指摘するところです。
◇
ランボーの詩を「オフエリヤ」として訳出したのは
昭和8年ですから
「おふえりや遺文」の流れ、
つまり、長谷川泰子が重なっていても不思議なことではなく
そうなると、
俄然、中原中也の「オフェリア」との「三角関係」が
あぶり出てくるような形となってきて
緊張感が生じます。
とにかく
小林秀雄訳の「オフェリヤ」を
読んでみましょう。
◇
オフェリヤ
一
静かな黒い流の上に、星の群は眠り、
真っ白なオフェリヤが、大きな百合の花のように浮いて行く。
長い面帕(かづき)に寝かされて、静かに静かに浮いて行く。
遠い森の方角には、鹿追う角笛の音がする。
はや千年は過ぎたのか、悲嘆に暮れたオフェリヤが、
幽霊のように血の気もなく、黒い長流(ながれ)を過ぎてから。
心優しい気の狂、恋歌(おもい)は夜風に托されて、
もう千年もたったのか。
風は乳房に口付けし、やすらかに眠る大きな面帕(かづき)は、
花冠(はなかんむり)のように拡がって、
枝垂柳(しだれやなぎ)は肩越しに、身を慄わせてすすり泣き、
夢みるようなその額、気高い額に葦は傾く。
乱れくだけた睡蓮(ひつじぐさ)寄りそいめぐり吐息して、
ぶと、目ざめれば、茫然たる榛(はんのき)の樹陰(こかげ)、
何の巣か、かすかな羽撃(はばたき)の音が洩れる。
誰の歌か、金色の星から歌声がおちる。
二
ああ、雪のように美しい、色青冷めたオフェリヤよ。
ほんの子供でお前は死んだ、河が流して行ってしまった。
諾威(ノルヴェジュ)の高嶺おろしに吹く風が、
つらい自由をひそひそと、話してきかせた為なのだ。
人知らぬ風が、お前の髪を叩きつけ、
なんにも知らぬお前の心に、怪(あや)しい響きを伝えたからだ。
ああ、樹の嘆(なげき)、夜の溜息、とお前の心は耳を澄まして、
「自然」の声とやらを聞いてしまった為なんだ。
あんまり情愛(なさけ)のありすぎた、怪しい幼(おさない)お前の胸を、
臨終時(いまは)の巨人の喘(あへぎ)のような海の音が、潰(つぶ)してしまった為なんだ。
ある四月の朝のこと、美しい蒼白な騎士が一人、
あわれにも気が狂い、黙(だま)りこくって、お前の膝に座った為なんだ。
天よ、愛よ、自由よ、何たる夢か、ああ可哀そうな気狂め。
お前はあの男を頼(たのみ)にした、雪が火を頼(たのみ)にしたように。
燃える想いが重って、咽喉(のど)がつまったお前なんだ。
――で、恐ろしい「永遠」が、お前の空色の眼をやっつけた。
三
摘み取った花を捜そうと、夜が来てお前の来るとこを、
星影たよりに、「詩人」は見たという。
長い面帕(かづき)に寝かされて、大きな百合の花のように、
水を行く真っ白なオフェリヤを見たそうな。
(※新漢字、現代かな遣いに改めましたが、送りがなは原詩のままです。編者。)
◇
中原中也訳は
「読み下し文」と
翻訳原詩の両方を
掲出しておきます。
◇
オフェリア
1
星が眠る暗く静かな浪の上、
蒼白のオフェリアが漂う、大百合か、
漂う、とてもゆるやかに長いネッカチーフに横たわる。
近くの森では、鳴っています、鹿を追い詰めた合図の笛が。
以来、1000年以上です、真っ白の真っ白の妖怪の
哀しい哀しいオフェリアが、そこを流れ、過ぎた日から数えると。
以来、1000年以上が経ちます、その恋に狂った女が
そのロマンスを夕方の風に、呟いてから。
風は彼女の胸を撫で、水に静かにゆらゆら揺れる
彼女の大きなベールを花の冠のように広げます。
ウィローはふるえて肩に熱い涙を落します。
夢みる大きな額の上に葦の葉が傾いてかぶります。
傷つけられた睡蓮たちは、彼女を取り巻いて溜め息をつきます。
彼女は時々目を覚まします、眠っている榛の木の
中の何かの塒から、すると小さな羽ばたきがして、そこから逃げていきます
不思議な歌声が一つ、金の星から落ちてきます。
2
雪のように美しい、おお、青ざめたオフェリアよ、
そうだ、お前は死んだのだ、暗い流れに運ばれて!
それというのも、ノルウェイの高い山から吹く風が
お前の耳にひそひそとむごい自由を吹き込んだため。
それというのも、お前の髪の毛に、押し寄せた風の一吹きが、
お前の夢みる心には、ただならない音と聞こえたために、
それというのも、樹の嘆きに、夜毎の闇が吐くため息に、
お前の心は天と地の声を、聞き漏らすこともなかったから。
それというのも、潮の音が、とても大きな喘ぎのようで、
情け深い子供のような、お前の胸を痛めたから。
それというのも、4月の朝に、美しい一人の青ざめた騎手が、
あわれな狂者がお前の膝に、黙って座りに来たためだ。
なんという夢想なのだ、狂った娘よ、天国、愛、自由とは、おお!
お前は雪が火の中にあるように、彼の心をも靡かせた。
お前の見事な幻想は、お前の誓いを責め苛んだ。
――そして、無残な無限という奴は、お前の瞳を驚かせたのだ。
3
さて、詩人という輩が言うことには、星の光を頼りにして、
かつてお前の摘んだ花を、夜毎お前は探しに来るんだと。
また彼は言う、流れの上に、長いネッカチーフは横たわり、
真っ白白白のオフェリアが、大きな百合の花のように漂っていたと。
(1870年6月)
*
オフェリア
Ⅰ
星眠る暗く静かな浪の上、
蒼白のオフェリア漂ふ、大百合か、
漂ふ、いともゆるやかに長き面帕(かつぎ)に横たはり。
近くの森では鳴つてます鹿遂詰めし合図の笛。
以来千年以上です真白の真白の妖怪の
哀しい哀しいオフェリアが、其処な流れを過ぎてから。
以来千年以上ですその恋ゆゑの狂(くる)ひ女(め)が
そのロマンスを夕風に、呟いてから。
風は彼女の胸を撫で、水にしづかにゆらめける
彼女の大きい面帕(かほぎぬ)を花冠(くわくわん)のやうにひろげます。
柳は慄へてその肩に熱い涙を落とします。
夢みる大きな額の上に蘆が傾きかかります。
傷つけられた睡蓮たちは彼女を囲繞(とりま)き溜息します。
彼女は時々覚まします、睡つてゐる榛(はんのき)の
中の何かの塒(ねぐら)をば、すると小さな羽ばたきがそこから逃れて出てゆきます。
不思議な一つの歌声が金の星から堕ちてきます。
Ⅱ
雪の如くも美しい、おゝ蒼ざめたオフェリアよ、
さうだ、おまへは死んだのだ、暗い流れに運ばれて!
それといふのもノルヱーの高い山から吹く風が
おまへの耳にひそひそと酷(むご)い自由を吹込んだため。
それといふのもおまへの髪毛に、押寄せた風の一吹が、
おまへの夢みる心には、ただならぬ音とも聞こえたがため、
それといふのも樹の嘆かひに、夜毎の闇の吐く溜息に、
おまへの心は天地の声を、聞き落(もら)すこともなかつたゆゑに。
それといふのも潮(うしほ)の音(おと)が、さても巨いな残喘(ざんぜん)のごと、
情けにあつい子供のやうな、おまへの胸を痛めたがため。
それといふのも四月の朝に、美々(びゝ)しい一人の蒼ざめた騎手、
哀れな狂者がおまへの膝に、黙つて坐りにやつて来たため。
何たる夢想ぞ、狂ひし女よ、天国、愛恋、自由とや、おゝ!
おまへは雪の火に於るがごと、彼に心も打靡かせた。
おまへの見事な幻想はおまへの誓ひを責めさいなんだ。
――そして無残な無限の奴は、おまへの瞳を震駭(びつくり)させた。
Ⅲ
扨詩人奴(め)が云ふことに、星の光をたよりにて、
嘗ておまへの摘んだ花を、夜毎おまへは探しに来ると。
又彼は云ふ、流れの上に、長い面帕(かつぎ)に横たはり、
真(ま)ツ白白(しろしろ)のオフェリアが、大きな百合かと漂つてゐたと。
〔一八七〇、六月〕
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、新漢字を使用しました。編者。
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