中原中也が訳したランボー「オフェリア」Ophélieその4
中原中也訳の「オフェリア」と
小林秀雄訳の「オフエリヤ」と
ランボーのオフィ-リアと
発端となったシェイクスピアのオフィーリアと……
それぞれが描く「女性」は
それぞれの文学者・詩人によって異なります。
シェイクスピアのオフィーリアに
制約されなければならないというルールがあるわけでもなく
後の文学者や画家や音楽家らによって
それぞれのテーマの中で
新しいオフィーリアが生み出されてきました。
◇
ランボーの詩に現れる女性を
これまで幾つか読んできましたが
オフィーリアほど
「女性」を真っ向から歌った詩は見つかりません。
◇
ざっと振り返ってみれば、
■感動
私は語りも、考へもしまい、だが
果てなき愛は心の裡(うち)に、浮びも来よう
私は往かう、遠く遠くボヘミヤンのやう
天地の間を、女と伴れだつやうに幸福に。
■教会に来る貧乏人
女連(をんなれん)、滑らかな床几に坐つてまあよいことだ、
神様が、苦しめ給ふた暗い六日(むいか)のそのあとで!
彼女等あやしてをりまする、めうな綿入(わたいれ)にくるまれて
死なんばかりに泣き叫ぶ、まだいたいけな子供をば。
胸のあたりを汚してる、肉汁食(スープぐら)ひの彼女等は、
祈りするよな眼付して、祈りなんざあしませんで、
お転婆娘の一団が、いぢくりまはした帽子をかぶり、
これみよがしに振舞ふを、ジツとみつめてをりまする。
■七才の詩人
更紗模様の着物著た、お転婆の茶目の娘が来るならば、
――その娘は八才で、隣りの職人の子なのだが、
此の野放しの娘奴(め)が、その背に編髪(おさげ)を打ゆすり、
片隅で跳ね返り、彼にとびかゝり、
彼を下敷にするといふと、彼は股(もゝ)に噛み付いた、
その娘、ズロース穿いてたことはなく、
扨、拳固でやられ、踵(かかと)で蹴られた彼は今、
娘の肌の感触を、自分の部屋まで持ち帰る。
■ジャンヌ・マリイの手
ジャンヌ・マリイは丈夫な手してる、
だが夏負けして仄かに暗く、
蒼白いこと死人の手のやう。
――ジュアナの手とも云ふべきだ?
この双つの手は褐の乳脂を
快楽(けらく)の池に汲んだのだらうか?
この双つの手は月きららめく
澄めらの水に浸つたものか?
■やさしい姉妹
此の若者、現世(うつしよ)の醜悪の前に、
心の底よりゾツとして、いたく苛立ち、
癒しがたなき傷手を負ひてそれよりは、
やさしき妹(いも)のありもせばやと、思ひはじめぬ。
■最初の聖体拝受
恋の有頂天が少女の愚かな姉妹達を襲つた時のやうに、
少女は打萎れ両手を胸に置いたまゝ、熱心に
諸天使や諸所のエス様や聖母様を勘定しはじめました、
そして静かに、なんとも云へぬ喜びにうつとりするのでありました。
■虱捜す女
子供(かれ)は感じる処女(をとめ)らの黒い睫毛がにほやかな雰気(けはひ)の中で
まばたくを、また敏捷(すばしこ)いやさ指が、
鈍色(にびいろ)の懶怠(たゆみ)の裡(うち)に、あでやかな爪の間で
虱を潰す音を聞く。
■四行詩
星は汝が耳の核心に薔薇色に涕き、
無限は汝(な)が頸(うなじ)より腰にかけてぞ真白に巡る、
海は朱(あけ)き汝(なれ)が乳房を褐色(かちいろ)の真珠とはなし、
して人は黒き血ながす至高の汝(なれ)が脇腹の上……
■若夫婦
夜(よ)の微笑、新妻(にひづま)の微笑、おゝ! 蜜月は
そのかずかずを摘むのであらう、
銅(あかがね)の、千の帯にてかの空を満たしもしよう。
さて二人は、鼠ごつこもするのであらう。
■彼女は埃及舞妓か?
彼女は埃及舞妓(アルメ)か?……かはたれどきに
火の花と崩(くづほ)れるのぢやあるまいか……
◇
以上は
中原中也が訳した「ランボー詩集」を
配置順に読み
「追加篇」を読み終えていない段階で
「初期詩篇」「飾画篇」の中の「女性」が現れる詩を
切り取ったものです。
「母」や
「聖母」や
「女神」などは
含まれていません。
◇
これらの女性は
何らかの詩のテーマの中に登場する「背景」である場合が多く
真正面から女性を歌ったものではありませんが
こうして振り返ってみれば
案外、「女性」は歌われていることも見えてきます。
◇
ランボーの「オフィーリア」は
では、
「女性」を歌った詩かといえば
そう単純なことでないところが
「面白い」のですし、
ほかの作家の「オフィーリア」についても
そういうことがいえるから「面白い」のです。
◇
ランボーの「オフィーリア」は
水死人のイメージとして
やがて「酔いどれ船」へ連なり
また
「狂女」のイメージは
「地獄の季節」の「錯乱Ⅰ」「狂気の処女」のテーマへと直に繋がっていき
そのことを視野に入れながら読む(味わう)と
「面白さ」は倍加することでしょう。
◇
ランボー学には
そのあたりをテーマにした卓抜な研究・解釈が犇(ひしめ)いていますから
それらを探して
紐解いてみるのも楽しい経験になるはずです。
◇
オフェリア
1
星が眠る暗く静かな浪の上、
蒼白のオフェリアが漂う、大百合か、
漂う、とてもゆるやかに長いネッカチーフに横たわる。
近くの森では、鳴っています、鹿を追い詰めた合図の笛が。
以来、1000年以上です、真っ白の真っ白の妖怪の
哀しい哀しいオフェリアが、そこを流れ、過ぎた日から数えると。
以来、1000年以上が経ちます、その恋に狂った女が
そのロマンスを夕方の風に、呟いてから。
風は彼女の胸を撫で、水に静かにゆらゆら揺れる
彼女の大きなベールを花の冠のように広げます。
ウィローはふるえて肩に熱い涙を落します。
夢みる大きな額の上に葦の葉が傾いてかぶります。
傷つけられた睡蓮たちは、彼女を取り巻いて溜め息をつきます。
彼女は時々目を覚まします、眠っている榛の木の
中の何かの塒から、すると小さな羽ばたきがして、そこから逃げていきます
不思議な歌声が一つ、金の星から落ちてきます。
2
雪のように美しい、おお、青ざめたオフェリアよ、
そうだ、お前は死んだのだ、暗い流れに運ばれて!
それというのも、ノルウェイの高い山から吹く風が
お前の耳にひそひそとむごい自由を吹き込んだため。
それというのも、お前の髪の毛に、押し寄せた風の一吹きが、
お前の夢みる心には、ただならない音と聞こえたために、
それというのも、樹の嘆きに、夜毎の闇が吐くため息に、
お前の心は天と地の声を、聞き漏らすこともなかったから。
それというのも、潮の音が、とても大きな喘ぎのようで、
情け深い子供のような、お前の胸を痛めたから。
それというのも、4月の朝に、美しい一人の青ざめた騎手が、
あわれな狂者がお前の膝に、黙って座りに来たためだ。
なんという夢想なのだ、狂った娘よ、天国、愛、自由とは、おお!
お前は雪が火の中にあるように、彼の心をも靡かせた。
お前の見事な幻想は、お前の誓いを責め苛んだ。
――そして、無残な無限という奴は、お前の瞳を驚かせたのだ。
3
さて、詩人という輩が言うことには、星の光を頼りにして、
かつてお前の摘んだ花を、夜毎お前は探しに来るんだと。
また彼は言う、流れの上に、長いネッカチーフは横たわり、
真っ白白白のオフェリアが、大きな百合の花のように漂っていたと。
(1870年6月)
*
オフェリア
Ⅰ
星眠る暗く静かな浪の上、
蒼白のオフェリア漂ふ、大百合か、
漂ふ、いともゆるやかに長き面帕(かつぎ)に横たはり。
近くの森では鳴つてます鹿遂詰めし合図の笛。
以来千年以上です真白の真白の妖怪の
哀しい哀しいオフェリアが、其処な流れを過ぎてから。
以来千年以上ですその恋ゆゑの狂(くる)ひ女(め)が
そのロマンスを夕風に、呟いてから。
風は彼女の胸を撫で、水にしづかにゆらめける
彼女の大きい面帕(かほぎぬ)を花冠(くわくわん)のやうにひろげます。
柳は慄へてその肩に熱い涙を落とします。
夢みる大きな額の上に蘆が傾きかかります。
傷つけられた睡蓮たちは彼女を囲繞(とりま)き溜息します。
彼女は時々覚まします、睡つてゐる榛(はんのき)の
中の何かの塒(ねぐら)をば、すると小さな羽ばたきがそこから逃れて出てゆきます。
不思議な一つの歌声が金の星から堕ちてきます。
Ⅱ
雪の如くも美しい、おゝ蒼ざめたオフェリアよ、
さうだ、おまへは死んだのだ、暗い流れに運ばれて!
それといふのもノルヱーの高い山から吹く風が
おまへの耳にひそひそと酷(むご)い自由を吹込んだため。
それといふのもおまへの髪毛に、押寄せた風の一吹が、
おまへの夢みる心には、ただならぬ音とも聞こえたがため、
それといふのも樹の嘆かひに、夜毎の闇の吐く溜息に、
おまへの心は天地の声を、聞き落(もら)すこともなかつたゆゑに。
それといふのも潮(うしほ)の音(おと)が、さても巨いな残喘(ざんぜん)のごと、
情けにあつい子供のやうな、おまへの胸を痛めたがため。
それといふのも四月の朝に、美々(びゝ)しい一人の蒼ざめた騎手、
哀れな狂者がおまへの膝に、黙つて坐りにやつて来たため。
何たる夢想ぞ、狂ひし女よ、天国、愛恋、自由とや、おゝ!
おまへは雪の火に於るがごと、彼に心も打靡かせた。
おまへの見事な幻想はおまへの誓ひを責めさいなんだ。
――そして無残な無限の奴は、おまへの瞳を震駭(びつくり)させた。
Ⅲ
扨詩人奴(め)が云ふことに、星の光をたよりにて、
嘗ておまへの摘んだ花を、夜毎おまへは探しに来ると。
又彼は云ふ、流れの上に、長い面帕(かつぎ)に横たはり、
真(ま)ツ白白(しろしろ)のオフェリアが、大きな百合かと漂つてゐたと。
〔一八七〇、六月〕
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、新漢字を使用しました。編者。
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