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2012年6月23日 (土)

中原中也が訳したランボー「海の泡から生れたヴィナス」Véus anadyomèn

中原中也訳「海の泡から生れたヴィナス」Véus anadyomènを
読んでいきましょう。

ブリキでできた緑色の棺からのように、褐色の髪に
ベトベトにポマードをつけた女の頭が、
古ぼけた浴槽から現われる、どんよりして間が抜けた
その顔には下手くそな化粧がほどこされている。

脂ぎった薄汚い首まわり、幅広な肩甲骨は
突き出ているし、短い背中は凸凹だ。
皮下脂肪は、平べったい葉っぱのようだし、
腰の丸みは、飛び出しそう。

背中は少し赤らんでいる、全体が異様で
ぞっとする。特に気になるのは
変な格好の瘤(こぶ)。

腰には二つの言葉が彫ってある、「輝く」「ビーナス」と。
――胴全体がでかい尻を動かし、引き締め、
肛門の潰瘍は、なんとも見苦しいまでに美しい。

ビーナスの肛門!
肛門のできもの!

一読して
ビーナス=美の女神――という偶像の破壊。

ランボーは実際に見たビーナスがあったのか――。
たとえばルーブル美術館の「ミロのビーナス」は
ランボーの時代に見られたのか――。
ランボーが題材にしたビーナスは
そもそも「ミロのビーナス」ではないのか――。
そういえば
パリ・コンミューンの混乱の中で、
「ルーブルのビーナスたち」は
破壊されたり略奪されたりしたのではなかったか――。

これらの背景と
ランボーの詩Véus anadyomènは
どのような関係にあるのだろうか、などと
イメージは散乱しますが
これも「ドゥエ詩帖」にある1篇で
「1870年7月27日」の日付け入りで
ランボー自筆の原稿が残っている作品です。

やがて
ダダイストやシュルレアリストたちに
迎えられていくランボーを訳しながら
中原中也のダダイズムは
どのようなことを感じていたでしょうか。

この詩は
「ランボオ詩抄」に収録されず
「ランボオ詩集」で初めて公開されたものですから
昭和11年6月から12年8月頃までの間か、
昭和9年9月から10年3月末までの間かの
どちらかの制作と推定されている詩群の中の一つです。

中原中也晩年の仕事ですから
中原中也晩年のダダイズムを見られる糸口があるはずですが
翻訳にその形跡を見るのは至難です。

至難ながら
訳に「こなれた感じ」があると感じるのは
感じ過ぎというものでしょうか――。

 *

 海の泡から生れたヴィナス

ブリキ製の緑の棺からのやうに、褐色の髪に
ベトベトにポマード附けた女の頭が、
古ぼけた浴槽の中からあらはれる、どんよりと間の抜けた
その顔へはまづい化粧がほどこされてゐる。

脂(あぶら)ぎつた薄汚い頸(くび)、幅広の肩胛骨(かひがらぼね)は
突き出てゐるし、短い脊中はでこぼこだ。
皮下の脂肪は、平らな葉のやう、
腰の丸みは、飛び出しさうだ。

脊柱(せすぢ)は少々赤らんでゐる、総じて異様で
ぞつとする。わけても気になる
奇態な肉瘤(こぶ)。

腰には二つの、語が彫つてある、Clara Venus と。
――胴全体が大きいお尻を、動かし、緊張(ひきし)め、
肛門の、潰瘍は、見苦しくも美しい。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、新漢字を使用しました。編者。

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