中原中也が訳したランボー「海の泡から生れたヴィナス」Véus anadyomèn
中原中也訳「海の泡から生れたヴィナス」Véus anadyomènを
読んでいきましょう。
◇
ブリキでできた緑色の棺からのように、褐色の髪に
ベトベトにポマードをつけた女の頭が、
古ぼけた浴槽から現われる、どんよりして間が抜けた
その顔には下手くそな化粧がほどこされている。
脂ぎった薄汚い首まわり、幅広な肩甲骨は
突き出ているし、短い背中は凸凹だ。
皮下脂肪は、平べったい葉っぱのようだし、
腰の丸みは、飛び出しそう。
背中は少し赤らんでいる、全体が異様で
ぞっとする。特に気になるのは
変な格好の瘤(こぶ)。
腰には二つの言葉が彫ってある、「輝く」「ビーナス」と。
――胴全体がでかい尻を動かし、引き締め、
肛門の潰瘍は、なんとも見苦しいまでに美しい。
◇
ビーナスの肛門!
肛門のできもの!
一読して
ビーナス=美の女神――という偶像の破壊。
◇
ランボーは実際に見たビーナスがあったのか――。
たとえばルーブル美術館の「ミロのビーナス」は
ランボーの時代に見られたのか――。
ランボーが題材にしたビーナスは
そもそも「ミロのビーナス」ではないのか――。
そういえば
パリ・コンミューンの混乱の中で、
「ルーブルのビーナスたち」は
破壊されたり略奪されたりしたのではなかったか――。
これらの背景と
ランボーの詩Véus anadyomènは
どのような関係にあるのだろうか、などと
イメージは散乱しますが
これも「ドゥエ詩帖」にある1篇で
「1870年7月27日」の日付け入りで
ランボー自筆の原稿が残っている作品です。
◇
やがて
ダダイストやシュルレアリストたちに
迎えられていくランボーを訳しながら
中原中也のダダイズムは
どのようなことを感じていたでしょうか。
この詩は
「ランボオ詩抄」に収録されず
「ランボオ詩集」で初めて公開されたものですから
昭和11年6月から12年8月頃までの間か、
昭和9年9月から10年3月末までの間かの
どちらかの制作と推定されている詩群の中の一つです。
中原中也晩年の仕事ですから
中原中也晩年のダダイズムを見られる糸口があるはずですが
翻訳にその形跡を見るのは至難です。
至難ながら
訳に「こなれた感じ」があると感じるのは
感じ過ぎというものでしょうか――。
*
海の泡から生れたヴィナス
ブリキ製の緑の棺からのやうに、褐色の髪に
ベトベトにポマード附けた女の頭が、
古ぼけた浴槽の中からあらはれる、どんよりと間の抜けた
その顔へはまづい化粧がほどこされてゐる。
脂(あぶら)ぎつた薄汚い頸(くび)、幅広の肩胛骨(かひがらぼね)は
突き出てゐるし、短い脊中はでこぼこだ。
皮下の脂肪は、平らな葉のやう、
腰の丸みは、飛び出しさうだ。
脊柱(せすぢ)は少々赤らんでゐる、総じて異様で
ぞつとする。わけても気になる
奇態な肉瘤(こぶ)。
腰には二つの、語が彫つてある、Clara Venus と。
――胴全体が大きいお尻を、動かし、緊張(ひきし)め、
肛門の、潰瘍は、見苦しくも美しい。
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、新漢字を使用しました。編者。
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