中原中也が訳したランボー「音楽堂にて」A la musique
「音楽堂にて」A la musiqueは
「ドゥエ詩帖」中の一つで
メッサン版「ランボー詩集」にファクシミレが収められているほか
ランボーの修辞学級担当教員であったイザンバールが所蔵する
ランボー自筆の原稿が残っているのは「ニイナを抑制するものは」と同様です。
◇
中原中也の翻訳を読むにあたって
表記上の問題にここで少しふれておきましょう。
中原中也が生きていた大正から昭和初期は
「歴史的かな遣い」が日本語表記のスタンダードでしたから
たとえばこの詩の冒頭2連を表記すると――
音楽堂にて
シャルルヸル・ガアルの広場
貧弱な芝地になつてる広場の上に、
木も花も、何もかもこぢんまりした辻公園に、
暑さにうだつた市民たち、毎木曜日の夕べになると、
恋々と、愚鈍を提げて集つて来る。
軍楽隊は、その中央で、
ファイフのワルツの演奏中、頻りに軍帽(あたま)を振つてゐる。
それを囲繞(とりま)く人群の前の方には気取屋連が得意げで、
公証人氏は安ピカの、頭字(かしらじ)入のメタルに見入つてゐる際中(さなか)。
――となります。
シャルルヸル
なつてる
こぢんまり
うだつた
集つて
振つてゐる
見入つてゐる
このように、
ざっと抜き出してみると
「ヸ」「ゐ」のような旧字体の使用や
「なつてる」の「つ」のように音便を使わなかったり、
「こぢんまり」の「ぢ」のような旧表記などは
詩人の時代には普通でしたけれど
現代人には使い慣れないものになって
読むのに苦労することになってしまっています。
最近では、旧漢字を新漢字に改める表記が通例となっているので
旧漢字こそ消失しましたが
歴史的かな遣いでの表記を踏襲するケースも健在しますから、
これを読むことに困難を感じ
違和感を覚える人が多数存在するという実態があります。
◇
そこでここでは
旧字を新字に改め、現代かな遣いで読むことにしました。
一般に言われている「新漢字・新かな表記」というものです。
「新字・新かな」と省略する場合もあります。
※ 「送りがな」は原作のままとしています。「集る」を「集まる」としたり、「打つづく」を「打ちつづく」と改めていません。また、「無暗」を「無闇」、「著物」を「着物」に、「嗤い」を「笑い」に直さず、「扨」は「さて」と直しました。「無暗」「著物」「嗤い」は、日常語の中で使われないとは言えず、「扨」を使う例はほとんど皆無であろう、という判断からです。
※ ほかに、外(はず)れ←外(はづ)れ、言って←云って、トロンボーン←トロンボオン、まず←まづ、あおあお←あお/\――のような現代表記化を試みています。
原作を変更することなく
しかし、読みやすい日本語に表記することは
ランボーや中原中也の詩を現代に生かす
もっとも手短かな道――といえば大げさでしょうか。
◇
歴史的かな遣いで書かれた詩を
現代の言語意識や言語感覚で読む、ということは、
現代かな遣いで表記する作業の課程でおおよそ達成されるのですが
それで詩を読んだ、などとはとうてい言えるものでもありません。
ここまでは
あくまで「表記」の領域です。
表記の変更の領域の中に
実は「読み」ははじまっています。
現在、日常生活の中で使われている
発声・発音に近づける表記にすることは
「読み」という営みのはじまりです。
◇
貧弱な芝地になっている広場の上に、
木も花も、何もかもこじんまりした辻公園に、
暑さにうだった市民たちが、毎週木曜の夕べになると、
いそいそと、バカ面下げて集まってくる。
◇
中原中也が訳した「音楽堂にて」を
現代かな遣いに表記することからはじめた第1連は
このように、自然に「読み」はじめることができます。
*
音楽堂にて
シャルルヴィル・ガアルの広場
貧弱な芝地になってる広場の上に、
木も花も、何もかもこじんまりした辻公園に、
暑さにうだった市民たち、毎木曜日の夕べになると、
恋々と、愚鈍を提げて集って来る。
軍楽隊は、その中央で、
ファイフのワルツの演奏中、頻りに軍帽(あたま)を振っている。
それを囲繞(とりま)く人群の前の方には気取屋連が得意げで、
公証人氏は安ピカの、頭字(かしらじ)入りのメタルに見入っている際中(さなか)。
鼻眼鏡(ロルニヨン)の金利生活先生達は、奏楽の、調子の外(はず)れを気にします。
無暗に太った勤人(つとめにん)達等は、太った細君連れている、
彼女の側(おそば)に行きますは、いと世話好きな先生達、
彼女の著物の裾飾と来ちゃ、物欲しそうに見えてます。
隠居仕事に、食料を商(や)る連中の何時も集る緑のベンチ、
今日も彼等はステッキで砂を掻き掻き大真面目
何か契約上のこと、論議し合っているのです、
何れお金のことでしょう、さて『結局……』と言ってます。
お尻の丸味を床几の上に、どっかと据えてるブルジョワは、
はでな釦を付けているビール腹したフラマン人、
オネン・パイプを嗜(たしな)んでいる、ボロリボロリと煙草はこぼれる、
――ねえ、ホラ、あれは、密輸の煙草!
芝生の縁(ふち)では無頼漢共(わるども)が、さかんに冷嘲しています。
トロンボーンの節(ふし)につれ、甘(あま)アくなった純心の
いとも気随な兵隊達は子守女と口をきこうと
まずその抱いてる赤ン坊をあやします。
――私は学生よろしくの身装(みなり)くづした態(ざま)なんです、
緑々(あおあお)としたマロニエの、下にははしこい娘達、
彼女等私をよく知っていて、笑って振向いたりします
その眼付にはいやらしい、要素も相当あるのです。
私は黙っているのです。私はジッと眺めてる
髪束(かみたば)が風情をあたえる彼女等の、白(しろ)い頸(うなじ)。
彼女等の、胴衣と華車(ちゃち)な装飾(かざり)の下には、
肩の曲線(カーブ)に打つづく聖らの背中があるのです。
彼女等の靴も私はよく見ます、靴下だってよく見ます。
さて美しい熱もゆる、全身像を更めて、私は胸に描きます。
彼女等私を嗤います、そして低声で話し合う。
すると私は唇に、寄せ来る接唇(ベーゼ)を感じます。
〔一八七〇、八月〕
※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。
◇
音楽堂にて<新漢字・歴史的かな遣い版>
シャルルヸル・ガアルの広場
貧弱な芝地になつてる広場の上に、
木も花も、何もかもこぢんまりした辻公園に、
暑さにうだつた市民たち、毎木曜日の夕べになると、
恋々と、愚鈍を提げて集つて来る。
軍楽隊は、その中央で、
ファイフのワルツの演奏中、頻りに軍帽(あたま)を振つてゐる。
それを囲繞(とりま)く人群の前の方には気取屋連が得意げで、
公証人氏は安ピカの、頭字(かしらじ)入のメタルに見入つてゐる際中(さなか)。
鼻眼鏡(ロルニヨン)の金利生活先生達は、奏楽の、調子の外(はづ)れを気にします。
無暗に太つた勤人(つとめにん)達等は、太つた細君連れてゐる、
彼女の側(おそば)に行きますは、いと世話好きな先生達、
彼女の著物の裾飾と来ちや、物欲しさうに見えてます。
隠居仕事に、食料を商(や)る連中の何時も集る緑のベンチ、
今日も彼等はステッキで砂を掻き掻き大真面目
何か契約上のこと、論議し合つてゐるのです、
何れお金のことでせう、扨『結局……』と云つてます。
お尻の丸味を床几の上に、どつかと据ゑてるブルジョワは、
はでな釦を附けてゐるビール腹したフラマン人、
オネン・パイプを嗜(たしな)んでゐる、ボロリボロリと煙草はこぼれる、
――ねえ、ホラ、あれは、密輸の煙草!
芝生の縁(ふち)では無頼漢共(わるども)が、さかんに冷嘲してゐます。
トロンボオンの節(ふし)につれ、甘(あま)アくなつた純心の
いとも気随な兵隊達は子守女と口をきかうと
まづその抱ゐてる赤ン坊をあやします。
――私は学生よろしくの身装(みなり)くづした態(ざま)なんです、
緑々(あを/\)としたマロニヱの、下にははしこい娘達、
彼女等私をよく知つてゐて、笑つて振向いたりします
その眼付にはいやらしい、要素も相当あるのです。
私は黙つてゐるのです。私はジツと眺めてる
髪束(かみたば)が風情をあたへる彼女等の、白(しろ)い頸(うなじ)。
彼女等の、胴衣と華車(ちやち)な装飾(かざり)の下には、
肩の曲線(カーブ)に打つづく聖らの背中があるのです。
彼女等の靴も私はよく見ます、靴下だつてよく見ます。
扨美しい熱もゆる、全身像を更めて、私は胸に描きます。
彼女等私を嗤ひます、そして低声で話し合ふ。
すると私は唇に、寄せ来る接唇(ベーゼ)を感じます。
〔一八七〇、八月〕
※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。
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