中原中也が訳したランボー「音楽堂にて」A la musiqueその2
「音楽堂にて」A la musiqueを
新漢字・新かな表記に改めたうえ
現代語化して、「読み」を加えていきましょう。
◇
音楽堂にて
シャルルビル・ガールの広場
貧弱な芝地になっている広場の上に、
木も花も、何もかもこじんまりした辻公園に、
暑さにうだった市民たちが、毎週木曜の夕べになると、
いそいそと、バカ面下げて集まってくる。
軍楽隊は、その真ん中で、
横笛でワルツを演奏中、しきりに制帽をかぶった頭を振っている。
それを取り囲んだ人々の前のほうには気取りや連中が得意気に、
公証人は安ピカの、イニシャル入りのメタルに見入っている。
鼻眼鏡の金利生活者殿たちは、演奏が調子を外すとブーイング。
やたら太ったサラリーマンは、太った細君とおそろいで、
彼女のそばに行くのは、とても世話焼きの先生たち、
彼女の着物の裾飾りときちゃ、もっともっととモノほしそうに見えるのです。
隠居仕事に食料を商う連中がいつも集まる緑のベンチ、
今日も彼らはステッキで砂を掻いて大真面目、
なにかの契約の話でまくし立てている、
どうせお金のことでしょう、さて「結局は……」なんて言ってます。
お尻の丸味を机の上に、どっかと据えているブルジョワは、
派手なボタンをつけたビール腹のフラマン人、
オネン・パイプを嗜んでいて、ボロッボロッと煙草がこぼれる、
――ねえ、ほら、あれは、密輸の煙草!
芝生の端っこではワルたちが、盛んに冷やかしています、
トロンボーンのメロディーにつられ、甘くなった純情の
まったく気ままな兵隊たちは子守女と口をきこうと
まず彼女が抱いている赤ん坊にアババババー。
(兵隊の中の一人が)
――学生のようなこんな構わない身なりで様(ざま)あないですが
青々したマロニエの下のキャピキャピ・ギャルたち、
彼女らはわたしをよく知っていて、笑って振り向いたりするが
その眼つきはまんざらでもなく、その気もちょっとはある。
わたしは黙って、じっと眺めてる
ふさふさ髪がかっこいい彼女らの、白い首すじを。
彼女らの、ジャケットとかわいらしい飾り物の下には、
肩のカーブに続いてきよらかな背中があるのを。
彼女らの靴に見惚れ、靴下にも見惚れていると、
美しい熱で燃える全身のイメージが胸に広がる。
彼女らはわたしを蔑んで笑い、ヒソヒソ話し合う。
するとわたしの唇に彼女らの唇が迫ってくるのを感じる。
◇
これ以上の現代語化を詳細には行わない方が
原詩と翻訳の味を損なわないで済むというものでしょう。
シャルルビルは
ランボー出生の地で
ベルギー国境に近いフランス北部の町です。
実名でその町のありふれた風景を捉えたからには
架空の風景ではなく
毎週木曜日のガール広場の実景が描写されている、と
読んで間違いではないでしょう。
もちろん、1870年ころのシャルルビルです。
◇
そのシャルルビルの実景でありながら
ランボーの眼差しを通過した町に登場する人々は
愚鈍さを絵に描いたような存在になりますが
その中にはどこの町にも見られるような不良たちがいて、
その中には休日を楽しむ若い兵隊たちの姿が混ざります。
シャルルビルの町の目抜きにある広場を
はじめ遠景で捉えたカメラが
広場に集まる人の群の一つ一つに接近し、
ぐるっとパンした後に映し出したその青年兵士は
音楽会の賑わいをのぞきに来ている子守女を口説きにかかります……。
*
音楽堂にて
シャルルヴィル・ガアルの広場
貧弱な芝地になってる広場の上に、
木も花も、何もかもこじんまりした辻公園に、
暑さにうだった市民たち、毎木曜日の夕べになると、
恋々と、愚鈍を提げて集って来る。
軍楽隊は、その中央で、
ファイフのワルツの演奏中、頻りに軍帽(あたま)を振っている。
それを囲繞(とりま)く人群の前の方には気取屋連が得意げで、
公証人氏は安ピカの、頭字(かしらじ)入りのメタルに見入っている際中(さなか)。
鼻眼鏡(ロルニヨン)の金利生活先生達は、奏楽の、調子の外(はず)れを気にします。
無暗に太った勤人(つとめにん)達等は、太った細君連れている、
彼女の側(おそば)に行きますは、いと世話好きな先生達、
彼女の著物の裾飾と来ちゃ、物欲しそうに見えてます。
隠居仕事に、食料を商(や)る連中の何時も集る緑のベンチ、
今日も彼等はステッキで砂を掻き掻き大真面目
何か契約上のこと、論議し合っているのです、
何れお金のことでしょう、さて『結局……』と言ってます。
お尻の丸味を床几の上に、どっかと据えてるブルジョワは、
はでな釦を付けているビール腹したフラマン人、
オネン・パイプを嗜(たしな)んでいる、ボロリボロリと煙草はこぼれる、
――ねえ、ホラ、あれは、密輸の煙草!
芝生の縁(ふち)では無頼漢共(わるども)が、さかんに冷嘲しています。
トロンボーンの節(ふし)につれ、甘(あま)アくなった純心の
いとも気随な兵隊達は子守女と口をきこうと
まずその抱いてる赤ン坊をあやします。
――私は学生よろしくの身装(みなり)くづした態(ざま)なんです、
緑々(あおあお)としたマロニエの、下にははしこい娘達、
彼女等私をよく知っていて、笑って振向いたりします
その眼付にはいやらしい、要素も相当あるのです。
私は黙っているのです。私はジッと眺めてる
髪束(かみたば)が風情をあたえる彼女等の、白(しろ)い頸(うなじ)。
彼女等の、胴衣と華車(ちゃち)な装飾(かざり)の下には、
肩の曲線(カーブ)に打つづく聖らの背中があるのです。
彼女等の靴も私はよく見ます、靴下だってよく見ます。
さて美しい熱もゆる、全身像を更めて、私は胸に描きます。
彼女等私を嗤います、そして低声で話し合う。
すると私は唇に、寄せ来る接唇(ベーゼ)を感じます。
〔一八七〇、八月〕
※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。
◇
音楽堂にて<新漢字・歴史的かな遣い版>
シャルルヸル・ガアルの広場
貧弱な芝地になつてる広場の上に、
木も花も、何もかもこぢんまりした辻公園に、
暑さにうだつた市民たち、毎木曜日の夕べになると、
恋々と、愚鈍を提げて集つて来る。
軍楽隊は、その中央で、
ファイフのワルツの演奏中、頻りに軍帽(あたま)を振つてゐる。
それを囲繞(とりま)く人群の前の方には気取屋連が得意げで、
公証人氏は安ピカの、頭字(かしらじ)入のメタルに見入つてゐる際中(さなか)。
鼻眼鏡(ロルニヨン)の金利生活先生達は、奏楽の、調子の外(はづ)れを気にします。
無暗に太つた勤人(つとめにん)達等は、太つた細君連れてゐる、
彼女の側(おそば)に行きますは、いと世話好きな先生達、
彼女の著物の裾飾と来ちや、物欲しさうに見えてます。
隠居仕事に、食料を商(や)る連中の何時も集る緑のベンチ、
今日も彼等はステッキで砂を掻き掻き大真面目
何か契約上のこと、論議し合つてゐるのです、
何れお金のことでせう、扨『結局……』と云つてます。
お尻の丸味を床几の上に、どつかと据ゑてるブルジョワは、
はでな釦を附けてゐるビール腹したフラマン人、
オネン・パイプを嗜(たしな)んでゐる、ボロリボロリと煙草はこぼれる、
――ねえ、ホラ、あれは、密輸の煙草!
芝生の縁(ふち)では無頼漢共(わるども)が、さかんに冷嘲してゐます。
トロンボオンの節(ふし)につれ、甘(あま)アくなつた純心の
いとも気随な兵隊達は子守女と口をきかうと
まづその抱ゐてる赤ン坊をあやします。
――私は学生よろしくの身装(みなり)くづした態(ざま)なんです、
緑々(あを/\)としたマロニヱの、下にははしこい娘達、
彼女等私をよく知つてゐて、笑つて振向いたりします
その眼付にはいやらしい、要素も相当あるのです。
私は黙つてゐるのです。私はジツと眺めてる
髪束(かみたば)が風情をあたへる彼女等の、白(しろ)い頸(うなじ)。
彼女等の、胴衣と華車(ちやち)な装飾(かざり)の下には、
肩の曲線(カーブ)に打つづく聖らの背中があるのです。
彼女等の靴も私はよく見ます、靴下だつてよく見ます。
扨美しい熱もゆる、全身像を更めて、私は胸に描きます。
彼女等私を嗤ひます、そして低声で話し合ふ。
すると私は唇に、寄せ来る接唇(ベーゼ)を感じます。
〔一八七〇、八月〕
※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。
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