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2012年7月

2012年7月31日 (火)

中原中也が訳したランボー「音楽堂にて」A la musiqueその2

「音楽堂にて」A la musiqueを
新漢字・新かな表記に改めたうえ
現代語化して、「読み」を加えていきましょう。

音楽堂にて
シャルルビル・ガールの広場

貧弱な芝地になっている広場の上に、
木も花も、何もかもこじんまりした辻公園に、
暑さにうだった市民たちが、毎週木曜の夕べになると、
いそいそと、バカ面下げて集まってくる。

軍楽隊は、その真ん中で、
横笛でワルツを演奏中、しきりに制帽をかぶった頭を振っている。
それを取り囲んだ人々の前のほうには気取りや連中が得意気に、
公証人は安ピカの、イニシャル入りのメタルに見入っている。

鼻眼鏡の金利生活者殿たちは、演奏が調子を外すとブーイング。
やたら太ったサラリーマンは、太った細君とおそろいで、
彼女のそばに行くのは、とても世話焼きの先生たち、
彼女の着物の裾飾りときちゃ、もっともっととモノほしそうに見えるのです。

隠居仕事に食料を商う連中がいつも集まる緑のベンチ、
今日も彼らはステッキで砂を掻いて大真面目、
なにかの契約の話でまくし立てている、
どうせお金のことでしょう、さて「結局は……」なんて言ってます。

お尻の丸味を机の上に、どっかと据えているブルジョワは、
派手なボタンをつけたビール腹のフラマン人、
オネン・パイプを嗜んでいて、ボロッボロッと煙草がこぼれる、
――ねえ、ほら、あれは、密輸の煙草!

芝生の端っこではワルたちが、盛んに冷やかしています、
トロンボーンのメロディーにつられ、甘くなった純情の
まったく気ままな兵隊たちは子守女と口をきこうと
まず彼女が抱いている赤ん坊にアババババー。

(兵隊の中の一人が)
――学生のようなこんな構わない身なりで様(ざま)あないですが
青々したマロニエの下のキャピキャピ・ギャルたち、
彼女らはわたしをよく知っていて、笑って振り向いたりするが
その眼つきはまんざらでもなく、その気もちょっとはある。

わたしは黙って、じっと眺めてる
ふさふさ髪がかっこいい彼女らの、白い首すじを。
彼女らの、ジャケットとかわいらしい飾り物の下には、
肩のカーブに続いてきよらかな背中があるのを。

彼女らの靴に見惚れ、靴下にも見惚れていると、
美しい熱で燃える全身のイメージが胸に広がる。
彼女らはわたしを蔑んで笑い、ヒソヒソ話し合う。
するとわたしの唇に彼女らの唇が迫ってくるのを感じる。

これ以上の現代語化を詳細には行わない方が
原詩と翻訳の味を損なわないで済むというものでしょう。

シャルルビルは
ランボー出生の地で
ベルギー国境に近いフランス北部の町です。
実名でその町のありふれた風景を捉えたからには
架空の風景ではなく
毎週木曜日のガール広場の実景が描写されている、と
読んで間違いではないでしょう。
もちろん、1870年ころのシャルルビルです。

そのシャルルビルの実景でありながら
ランボーの眼差しを通過した町に登場する人々は
愚鈍さを絵に描いたような存在になりますが
その中にはどこの町にも見られるような不良たちがいて、
その中には休日を楽しむ若い兵隊たちの姿が混ざります。

シャルルビルの町の目抜きにある広場を
はじめ遠景で捉えたカメラが
広場に集まる人の群の一つ一つに接近し、
ぐるっとパンした後に映し出したその青年兵士は
音楽会の賑わいをのぞきに来ている子守女を口説きにかかります……。

 *

 音楽堂にて

        シャルルヴィル・ガアルの広場

貧弱な芝地になってる広場の上に、
木も花も、何もかもこじんまりした辻公園に、
暑さにうだった市民たち、毎木曜日の夕べになると、
恋々と、愚鈍を提げて集って来る。

軍楽隊は、その中央で、
ファイフのワルツの演奏中、頻りに軍帽(あたま)を振っている。
それを囲繞(とりま)く人群の前の方には気取屋連が得意げで、
公証人氏は安ピカの、頭字(かしらじ)入りのメタルに見入っている際中(さなか)。

鼻眼鏡(ロルニヨン)の金利生活先生達は、奏楽の、調子の外(はず)れを気にします。
無暗に太った勤人(つとめにん)達等は、太った細君連れている、
彼女の側(おそば)に行きますは、いと世話好きな先生達、
彼女の著物の裾飾と来ちゃ、物欲しそうに見えてます。

隠居仕事に、食料を商(や)る連中の何時も集る緑のベンチ、
今日も彼等はステッキで砂を掻き掻き大真面目
何か契約上のこと、論議し合っているのです、
何れお金のことでしょう、さて『結局……』と言ってます。

お尻の丸味を床几の上に、どっかと据えてるブルジョワは、
はでな釦を付けているビール腹したフラマン人、
オネン・パイプを嗜(たしな)んでいる、ボロリボロリと煙草はこぼれる、
――ねえ、ホラ、あれは、密輸の煙草!

芝生の縁(ふち)では無頼漢共(わるども)が、さかんに冷嘲しています。
トロンボーンの節(ふし)につれ、甘(あま)アくなった純心の
いとも気随な兵隊達は子守女と口をきこうと
まずその抱いてる赤ン坊をあやします。

――私は学生よろしくの身装(みなり)くづした態(ざま)なんです、
緑々(あおあお)としたマロニエの、下にははしこい娘達、
彼女等私をよく知っていて、笑って振向いたりします
その眼付にはいやらしい、要素も相当あるのです。

私は黙っているのです。私はジッと眺めてる
髪束(かみたば)が風情をあたえる彼女等の、白(しろ)い頸(うなじ)。
彼女等の、胴衣と華車(ちゃち)な装飾(かざり)の下には、
肩の曲線(カーブ)に打つづく聖らの背中があるのです。

彼女等の靴も私はよく見ます、靴下だってよく見ます。
さて美しい熱もゆる、全身像を更めて、私は胸に描きます。
彼女等私を嗤います、そして低声で話し合う。
すると私は唇に、寄せ来る接唇(ベーゼ)を感じます。
          〔一八七〇、八月〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

 音楽堂にて<新漢字・歴史的かな遣い版>
          シャルルヸル・ガアルの広場
貧弱な芝地になつてる広場の上に、
木も花も、何もかもこぢんまりした辻公園に、
暑さにうだつた市民たち、毎木曜日の夕べになると、
恋々と、愚鈍を提げて集つて来る。

軍楽隊は、その中央で、
ファイフのワルツの演奏中、頻りに軍帽(あたま)を振つてゐる。
それを囲繞(とりま)く人群の前の方には気取屋連が得意げで、
公証人氏は安ピカの、頭字(かしらじ)入のメタルに見入つてゐる際中(さなか)。

鼻眼鏡(ロルニヨン)の金利生活先生達は、奏楽の、調子の外(はづ)れを気にします。
無暗に太つた勤人(つとめにん)達等は、太つた細君連れてゐる、
彼女の側(おそば)に行きますは、いと世話好きな先生達、
彼女の著物の裾飾と来ちや、物欲しさうに見えてます。

隠居仕事に、食料を商(や)る連中の何時も集る緑のベンチ、
今日も彼等はステッキで砂を掻き掻き大真面目
何か契約上のこと、論議し合つてゐるのです、
何れお金のことでせう、扨『結局……』と云つてます。

お尻の丸味を床几の上に、どつかと据ゑてるブルジョワは、
はでな釦を附けてゐるビール腹したフラマン人、
オネン・パイプを嗜(たしな)んでゐる、ボロリボロリと煙草はこぼれる、
――ねえ、ホラ、あれは、密輸の煙草!

芝生の縁(ふち)では無頼漢共(わるども)が、さかんに冷嘲してゐます。
トロンボオンの節(ふし)につれ、甘(あま)アくなつた純心の
いとも気随な兵隊達は子守女と口をきかうと
まづその抱ゐてる赤ン坊をあやします。

――私は学生よろしくの身装(みなり)くづした態(ざま)なんです、
緑々(あを/\)としたマロニヱの、下にははしこい娘達、
彼女等私をよく知つてゐて、笑つて振向いたりします
その眼付にはいやらしい、要素も相当あるのです。

私は黙つてゐるのです。私はジツと眺めてる
髪束(かみたば)が風情をあたへる彼女等の、白(しろ)い頸(うなじ)。
彼女等の、胴衣と華車(ちやち)な装飾(かざり)の下には、
肩の曲線(カーブ)に打つづく聖らの背中があるのです。

彼女等の靴も私はよく見ます、靴下だつてよく見ます。
扨美しい熱もゆる、全身像を更めて、私は胸に描きます。
彼女等私を嗤ひます、そして低声で話し合ふ。
すると私は唇に、寄せ来る接唇(ベーゼ)を感じます。
          〔一八七〇、八月〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

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2012年7月30日 (月)

中原中也が訳したランボー「音楽堂にて」A la musique

「音楽堂にて」A la musiqueは
「ドゥエ詩帖」中の一つで
メッサン版「ランボー詩集」にファクシミレが収められているほか
ランボーの修辞学級担当教員であったイザンバールが所蔵する
ランボー自筆の原稿が残っているのは「ニイナを抑制するものは」と同様です。

中原中也の翻訳を読むにあたって
表記上の問題にここで少しふれておきましょう。

中原中也が生きていた大正から昭和初期は
「歴史的かな遣い」が日本語表記のスタンダードでしたから
たとえばこの詩の冒頭2連を表記すると――

 音楽堂にて
          シャルルヸル・ガアルの広場
貧弱な芝地になつてる広場の上に、
木も花も、何もかもこぢんまりした辻公園に、
暑さにうだつた市民たち、毎木曜日の夕べになると、
恋々と、愚鈍を提げて集つて来る。

軍楽隊は、その中央で、
ファイフのワルツの演奏中、頻りに軍帽(あたま)を振つてゐる。
それを囲繞(とりま)く人群の前の方には気取屋連が得意げで、
公証人氏は安ピカの、頭字(かしらじ)入のメタルに見入つてゐる際中(さなか)。

――となります。

シャルルヸル
なつてる
こぢんまり
うだつた
集つて
振つてゐる
見入つてゐる

このように、
ざっと抜き出してみると
「ヸ」「ゐ」のような旧字体の使用や
「なつてる」の「つ」のように音便を使わなかったり、
「こぢんまり」の「ぢ」のような旧表記などは
詩人の時代には普通でしたけれど
現代人には使い慣れないものになって
読むのに苦労することになってしまっています。

最近では、旧漢字を新漢字に改める表記が通例となっているので
旧漢字こそ消失しましたが
歴史的かな遣いでの表記を踏襲するケースも健在しますから、
これを読むことに困難を感じ
違和感を覚える人が多数存在するという実態があります。

そこでここでは
旧字を新字に改め、現代かな遣いで読むことにしました。
一般に言われている「新漢字・新かな表記」というものです。
「新字・新かな」と省略する場合もあります。

※ 「送りがな」は原作のままとしています。「集る」を「集まる」としたり、「打つづく」を「打ちつづく」と改めていません。また、「無暗」を「無闇」、「著物」を「着物」に、「嗤い」を「笑い」に直さず、「扨」は「さて」と直しました。「無暗」「著物」「嗤い」は、日常語の中で使われないとは言えず、「扨」を使う例はほとんど皆無であろう、という判断からです。

※ ほかに、外(はず)れ←外(はづ)れ、言って←云って、トロンボーン←トロンボオン、まず←まづ、あおあお←あお/\――のような現代表記化を試みています。

原作を変更することなく
しかし、読みやすい日本語に表記することは
ランボーや中原中也の詩を現代に生かす
もっとも手短かな道――といえば大げさでしょうか。

歴史的かな遣いで書かれた詩を
現代の言語意識や言語感覚で読む、ということは、
現代かな遣いで表記する作業の課程でおおよそ達成されるのですが
それで詩を読んだ、などとはとうてい言えるものでもありません。

ここまでは
あくまで「表記」の領域です。
表記の変更の領域の中に
実は「読み」ははじまっています。
現在、日常生活の中で使われている
発声・発音に近づける表記にすることは
「読み」という営みのはじまりです。

貧弱な芝地になっている広場の上に、
木も花も、何もかもこじんまりした辻公園に、
暑さにうだった市民たちが、毎週木曜の夕べになると、
いそいそと、バカ面下げて集まってくる。

中原中也が訳した「音楽堂にて」を
現代かな遣いに表記することからはじめた第1連は
このように、自然に「読み」はじめることができます。

 *

 音楽堂にて

        シャルルヴィル・ガアルの広場

貧弱な芝地になってる広場の上に、
木も花も、何もかもこじんまりした辻公園に、
暑さにうだった市民たち、毎木曜日の夕べになると、
恋々と、愚鈍を提げて集って来る。

軍楽隊は、その中央で、
ファイフのワルツの演奏中、頻りに軍帽(あたま)を振っている。
それを囲繞(とりま)く人群の前の方には気取屋連が得意げで、
公証人氏は安ピカの、頭字(かしらじ)入りのメタルに見入っている際中(さなか)。

鼻眼鏡(ロルニヨン)の金利生活先生達は、奏楽の、調子の外(はず)れを気にします。
無暗に太った勤人(つとめにん)達等は、太った細君連れている、
彼女の側(おそば)に行きますは、いと世話好きな先生達、
彼女の著物の裾飾と来ちゃ、物欲しそうに見えてます。

隠居仕事に、食料を商(や)る連中の何時も集る緑のベンチ、
今日も彼等はステッキで砂を掻き掻き大真面目
何か契約上のこと、論議し合っているのです、
何れお金のことでしょう、さて『結局……』と言ってます。

お尻の丸味を床几の上に、どっかと据えてるブルジョワは、
はでな釦を付けているビール腹したフラマン人、
オネン・パイプを嗜(たしな)んでいる、ボロリボロリと煙草はこぼれる、
――ねえ、ホラ、あれは、密輸の煙草!

芝生の縁(ふち)では無頼漢共(わるども)が、さかんに冷嘲しています。
トロンボーンの節(ふし)につれ、甘(あま)アくなった純心の
いとも気随な兵隊達は子守女と口をきこうと
まずその抱いてる赤ン坊をあやします。

――私は学生よろしくの身装(みなり)くづした態(ざま)なんです、
緑々(あおあお)としたマロニエの、下にははしこい娘達、
彼女等私をよく知っていて、笑って振向いたりします
その眼付にはいやらしい、要素も相当あるのです。

私は黙っているのです。私はジッと眺めてる
髪束(かみたば)が風情をあたえる彼女等の、白(しろ)い頸(うなじ)。
彼女等の、胴衣と華車(ちゃち)な装飾(かざり)の下には、
肩の曲線(カーブ)に打つづく聖らの背中があるのです。

彼女等の靴も私はよく見ます、靴下だってよく見ます。
さて美しい熱もゆる、全身像を更めて、私は胸に描きます。
彼女等私を嗤います、そして低声で話し合う。
すると私は唇に、寄せ来る接唇(ベーゼ)を感じます。
          〔一八七〇、八月〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

 音楽堂にて<新漢字・歴史的かな遣い版>
          シャルルヸル・ガアルの広場
貧弱な芝地になつてる広場の上に、
木も花も、何もかもこぢんまりした辻公園に、
暑さにうだつた市民たち、毎木曜日の夕べになると、
恋々と、愚鈍を提げて集つて来る。

軍楽隊は、その中央で、
ファイフのワルツの演奏中、頻りに軍帽(あたま)を振つてゐる。
それを囲繞(とりま)く人群の前の方には気取屋連が得意げで、
公証人氏は安ピカの、頭字(かしらじ)入のメタルに見入つてゐる際中(さなか)。

鼻眼鏡(ロルニヨン)の金利生活先生達は、奏楽の、調子の外(はづ)れを気にします。
無暗に太つた勤人(つとめにん)達等は、太つた細君連れてゐる、
彼女の側(おそば)に行きますは、いと世話好きな先生達、
彼女の著物の裾飾と来ちや、物欲しさうに見えてます。

隠居仕事に、食料を商(や)る連中の何時も集る緑のベンチ、
今日も彼等はステッキで砂を掻き掻き大真面目
何か契約上のこと、論議し合つてゐるのです、
何れお金のことでせう、扨『結局……』と云つてます。

お尻の丸味を床几の上に、どつかと据ゑてるブルジョワは、
はでな釦を附けてゐるビール腹したフラマン人、
オネン・パイプを嗜(たしな)んでゐる、ボロリボロリと煙草はこぼれる、
――ねえ、ホラ、あれは、密輸の煙草!

芝生の縁(ふち)では無頼漢共(わるども)が、さかんに冷嘲してゐます。
トロンボオンの節(ふし)につれ、甘(あま)アくなつた純心の
いとも気随な兵隊達は子守女と口をきかうと
まづその抱ゐてる赤ン坊をあやします。

――私は学生よろしくの身装(みなり)くづした態(ざま)なんです、
緑々(あを/\)としたマロニヱの、下にははしこい娘達、
彼女等私をよく知つてゐて、笑つて振向いたりします
その眼付にはいやらしい、要素も相当あるのです。

私は黙つてゐるのです。私はジツと眺めてる
髪束(かみたば)が風情をあたへる彼女等の、白(しろ)い頸(うなじ)。
彼女等の、胴衣と華車(ちやち)な装飾(かざり)の下には、
肩の曲線(カーブ)に打つづく聖らの背中があるのです。

彼女等の靴も私はよく見ます、靴下だつてよく見ます。
扨美しい熱もゆる、全身像を更めて、私は胸に描きます。
彼女等私を嗤ひます、そして低声で話し合ふ。
すると私は唇に、寄せ来る接唇(ベーゼ)を感じます。
          〔一八七〇、八月〕
※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

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2012年7月29日 (日)

中原中也が訳したランボー「ニイナを抑制するものは」Ce qui retient Ninaその5

「ニイナを抑制するものは」Ce qui retient Ninaは
結末のニーナの一言が決定的に重要な意味を持ちますが
だからといって
ニーナの一言を誘発するためにだけにあるような
オイラの口説きが無意味であるというようなものではありません。

オイラの言葉(つまり「彼曰く」の内容)が
この詩の、いわば「血」のようなものであり
「彼女曰く」がその構造を作り、
「骨」のようなものであるなら、
骨=形も、血=中身そのものも
どちらもじっくり味わわれねばなりません。

ということで
オイラが延々と語るのにじっと耳を傾けてみると――。

オイラはオマエを連れて
森へ行こうじゃないか
若芽が萌え出る森を見りゃあ
オイラもオマエも震えがくるほど嬉しくなるさ

クローバーの原にオマエは
ショールを投げるさ
田舎の、恋女だオメエは
笑みをあちこちに撒き散らす

オイラにも笑え
酔って暴れて
オイラはオマエを抱いてやるさ
こんなふうによ
美しい髪の毛じゃなあ
飲んでやらあ

……

どうやら
朝から昼にかけての森(の時間)と
日が暮れる頃の村(の時間)と
二つの場所が歌われていることがわかります。

後半の村(の時間)に入って
オイラはホームシックにでもかかったのか
白い道を道草をくいながら
ブラリブラリと帰ります。

青草の生える果物畑にゃリンゴの強い香りがプンプン
やがて到着した村には夕闇が迫り
今度は乳ッ臭い匂い
そして、寝藁の匂い、牛小屋の匂い
田舎の香水です。

ばば様が鼻眼鏡して
聖書を読んでる

牛小屋では
腕白小僧たちがじゃれあっている
恐ろし顔の婆さんは
囲炉裏の燠(おき)の前で
糸巻きしてる

あばら家は
焚き火がみっともねえったらありゃしねえ
窓ガラスを照らし出すが
ムラサキハシドイが咲き
こざっぱりした住まいの中じゃ
夜の宴がはじまってるさ

来なよ、おいでよ
愛してやるからさ

オイラの言葉の中ににじみ出る
田舎人の誇り(プライド)
もしくは驕(おご)り
もしくは謙虚な愛着……

ランボーがオイラに
アイロニカルな眼差しを向けていることを
これを訳している中原中也は掌握し
「土着」を冷笑するような響きに彩られるところまでを
読むことができるでしょうか――。

 *

 ニイナを抑制するものは

      彼曰く――

そなたが胸をばわが胸の上(へ)に、
   そじゃないか、俺等(おいら)は行こうぜ、
鼻ン腔(あな)ァふくらましてヨ、
   空ははればれ

朝のお日様ァおめえをうるおす
   酒でねえかョ……
寒げな森が、血を出してらァな
   恋しさ余って、

枝から緑の雫を垂れてヨ、
   若芽出してら、
それをみてれァおめえも俺も、
   肉が顫わァ。

苜蓿(うまごやし)ン中おめえはブッ込む
   長(なげ)ェ肩掛、
大きな黒瞳(くろめ)のまわりが青味の
   聖なる別嬪、

田舎の、恋する女じゃおめえは、
   何処へでも
まるでシャンペンが泡吹くように
   おめえは笑を撒き散らす、

俺に笑えよ、酔って暴れて
   おめえを抱こうぜ
こオんな具合(ぐえィ)に、――立派な髪毛じゃ
   嚥んでやろうゾ

苺みてェなおめえの味をヨ、
   肉の花じゃよ
泥棒みてェにおめえを掠める
   風に笑えだ

御苦労様にも、おめえを厭(いと)わす
   野薔薇に笑えだ、
殊には笑えだ、狂った女子(あまっこ)
   こちのひとえだ!……

十七か! おめえは幸福(しやわせ)。
   おお! 広(ひれ)ェ草ッ原、
素ッ晴らしい田舎!
   ――話しなよ、もそっと寄ってサ……

そなたが胸をばわが胸の上(へ)にだ、
   話をしいしい
ゆっくりゆこうぜ、大きな森の方サ
   雨水(あまみず)の滝の方サ、

死んじまった小娘みてェに、
   息切らしてヨウ
おめえは云うだろ、抱いて行ってと
   眼(め)ェ細くして。

抱いてゆくともどきどきしているおめえを抱いたら
   小径の中へヨ、
小鳥の奴めァゆっくり構えて、啼きくさるだろヨ
   榛ン中で。

口ン中へョ俺ァ話を、注ぎ込んでやら、
   おめえのからだを
締めてやらァな子供を寝かせる時みてェにヨウ、
   おめえの血は酔い

肌の下をョ、青ゥく流れる
   桃色調でョ
そこでおめえに俺は云わァな、
   ――おい! とね、――おめえにャ分らァ

森は樹液の匂いでいっぱい、
   おてんと様ァ
金糸でもってヨ暗(くれ)ェ血色の、森の夢なざ
   ぐッと飲まァナ。

日暮になったら?……俺等(おいら)ァ帰(けえ)らァ、
   ずうッとつづいた白い路をョ、
ブラリブラリと道中(みちみち)草食う
   羊みてェに。

青草生(へ)ェてる果物畑は、
   しちくね曲った林檎の樹が、
遠方(えんぼう)からでも匂うがように、
   強ェ匂いをしてらァな!

やんがて俺等は村に著く、
   空が半分暗(くれ)ェ頃、
乳臭エ匂いがしていようわサ
   日暮の空気のそン中で、

臭エ寝藁で一杯(いっぺェ)の、
   牛小屋の匂いもするベェよ、
ゆっくりゆっくり息を吐エてヨ
   大ッきな背中ア

薄明(うすらあかり)で白ウくみえてヨ、
   向うを見ればョ
牝牛がおっぴらに糞(くそ)してらァな、
   歩きながらヨ。

祖母(ばば)は眼鏡ェかけ
   長(なげ)ェ鼻をョ
弥撒集(いのりぼん)に突ッ込み、鉛の箍の
   ビールの壺はョ

大きなパイプで威張りくさって
   突ン出た唇(くち)から煙を吐き吐き、
しょっちう吐ェてる奴等の前でヨ、
   泡を吹いてら、

突ン出た唇奴(くちめ)等もっともっとと、
   ハムに食い付き、
火は手摺附の寝台や
   長持なんぞを照らし出してヨ、

丸々太ってピカピカしている
   尻を持ってる腕白小僧は
膝ついて、茶碗の中に突っ込みやがらァ
   その生(なま)ッ白(ちれ)ェしやッ面(つら)を

その面(つら)を、小(ちひ)せェ声してブツクサ呟く
   も一人の小憎の鼻で撫でられ
その小僧奴の丸(まァる)い面(つら)に
   接唇とくらァ、

椅子の端ッこに黒くて赤(あけ)ェ
   恐ろし頭した
婆々(ばばあ)はいてサ、燠の前でヨ
   糸紡ぐ――

なんといろいろ見れるじゃねェかヨ、
   この荒家(あばらや)の中ときた日にャ、
焚火が明(あか)ァく、うすみっともねェ
   窓の硝子を照らす時!

紫丁香花(むらさきはしどい)咲いてる中の
   こざっぱりした住居じゃ住居
中じゃ騒ぎじゃ
   愉快な騒ぎ……

来なよ、来なってば、愛してやらあ、
   わるかあるめェ
来なッたら来なよ、来せェしたらだ……

      彼女曰く――

だって職業(しごと)はどうなンの?
          〔一五、八、一八七〇〕

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2012年7月28日 (土)

中原中也が訳したランボー「ニイナを抑制するものは」Ce qui retient Ninaその4

「ニイナを抑制するものは」Ce qui retient Ninaは
結末のニーナの一言をどう訳すかが
訳者の技の見せ所の一つになりますが
中原中也は

彼女曰く――
だって職業(しごと)はどうなンの?

――と訳しました。

彼女が言うには、
だって、アンタ、仕事はどうすんの? 
――と、ここでは現代語化して読んでみました。

原詩は
Elle - Et mon bureau ? と簡潔ですから
簡潔ゆえに訳(解釈)はさまざまであるところを
少し見ておきます。


宇佐美斉の訳は、
彼女――それであたしのお勤めの方はどうするのよ

鈴木創士の訳は、
彼女――それで“あたしの仕事場”は?
(※“あたしの仕事場”は、原作では傍点になっています。)

鈴村和成の訳は、
かの女――でも、あたしのお勤めは?

粟津則雄の訳は、
彼女。――でも、“私のおつとめは”?
(※“私のおつとめは”は、原作では傍点になっています。)

金子光晴の訳は、
    彼女
でも、そうしたらお仕事は?

西条八十の訳は、
ところでわたしの会社のお勤めはどうなるの

今、手元にあるのはこれだけです。
訳出のこうした違いは
一つには、解釈の違いからくると言えるもので
そのことはタイトルの訳の違いにも現われます。

だれの仕事(職業)かを
私(つまりニーナ)の仕事と明示する訳が多勢ですが
金子光晴は
どちらかといえば、男の仕事という意味合いを捨てていないようですし
中原中也も、どちらにも取れるように訳しています。

タイトルの訳の違いも
見ておきましょう。

宇佐美斉は「ニーナの返答」
鈴木創士は「ニナの即答」
鈴村和成は「ニナの即答」
粟津則雄は「ニナの返答」
金子光晴は「ニナを引きとめるもの」
西条八十は「ニナの返答」
……。

原テキストを「Ce qui retient Nina」とするか
「Les Reparties de Nina」とするかで違っています。
金子光晴と中原中也は
「Ce qui retient Nina」を訳しています。

 *

 ニイナを抑制するものは

      彼曰く――

そなたが胸をばわが胸の上(へ)に、
   そじゃないか、俺等(おいら)は行こうぜ、
鼻ン腔(あな)ァふくらましてヨ、
   空ははればれ

朝のお日様ァおめえをうるおす
   酒でねえかョ……
寒げな森が、血を出してらァな
   恋しさ余って、

枝から緑の雫を垂れてヨ、
   若芽出してら、
それをみてれァおめえも俺も、
   肉が顫わァ。

苜蓿(うまごやし)ン中おめえはブッ込む
   長(なげ)ェ肩掛、
大きな黒瞳(くろめ)のまわりが青味の
   聖なる別嬪、

田舎の、恋する女じゃおめえは、
   何処へでも
まるでシャンペンが泡吹くように
   おめえは笑を撒き散らす、

俺に笑えよ、酔って暴れて
   おめえを抱こうぜ
こオんな具合(ぐえィ)に、――立派な髪毛じゃ
   嚥んでやろうゾ

苺みてェなおめえの味をヨ、
   肉の花じゃよ
泥棒みてェにおめえを掠める
   風に笑えだ

御苦労様にも、おめえを厭(いと)わす
   野薔薇に笑えだ、
殊には笑えだ、狂った女子(あまっこ)
   こちのひとえだ!……

十七か! おめえは幸福(しやわせ)。
   おお! 広(ひれ)ェ草ッ原、
素ッ晴らしい田舎!
   ――話しなよ、もそっと寄ってサ……

そなたが胸をばわが胸の上(へ)にだ、
   話をしいしい
ゆっくりゆこうぜ、大きな森の方サ
   雨水(あまみず)の滝の方サ、

死んじまった小娘みてェに、
   息切らしてヨウ
おめえは云うだろ、抱いて行ってと
   眼(め)ェ細くして。

抱いてゆくともどきどきしているおめえを抱いたら
   小径の中へヨ、
小鳥の奴めァゆっくり構えて、啼きくさるだろヨ
   榛ン中で。

口ン中へョ俺ァ話を、注ぎ込んでやら、
   おめえのからだを
締めてやらァな子供を寝かせる時みてェにヨウ、
   おめえの血は酔い

肌の下をョ、青ゥく流れる
   桃色調でョ
そこでおめえに俺は云わァな、
   ――おい! とね、――おめえにャ分らァ

森は樹液の匂いでいっぱい、
   おてんと様ァ
金糸でもってヨ暗(くれ)ェ血色の、森の夢なざ
   ぐッと飲まァナ。

日暮になったら?……俺等(おいら)ァ帰(けえ)らァ、
   ずうッとつづいた白い路をョ、
ブラリブラリと道中(みちみち)草食う
   羊みてェに。

青草生(へ)ェてる果物畑は、
   しちくね曲った林檎の樹が、
遠方(えんぼう)からでも匂うがように、
   強ェ匂いをしてらァな!

やんがて俺等は村に著く、
   空が半分暗(くれ)ェ頃、
乳臭エ匂いがしていようわサ
   日暮の空気のそン中で、

臭エ寝藁で一杯(いっぺェ)の、
   牛小屋の匂いもするベェよ、
ゆっくりゆっくり息を吐エてヨ
   大ッきな背中ア

薄明(うすらあかり)で白ウくみえてヨ、
   向うを見ればョ
牝牛がおっぴらに糞(くそ)してらァな、
   歩きながらヨ。

祖母(ばば)は眼鏡ェかけ
   長(なげ)ェ鼻をョ
弥撒集(いのりぼん)に突ッ込み、鉛の箍の
   ビールの壺はョ

大きなパイプで威張りくさって
   突ン出た唇(くち)から煙を吐き吐き、
しょっちう吐ェてる奴等の前でヨ、
   泡を吹いてら、

突ン出た唇奴(くちめ)等もっともっとと、
   ハムに食い付き、
火は手摺附の寝台や
   長持なんぞを照らし出してヨ、

丸々太ってピカピカしている
   尻を持ってる腕白小僧は
膝ついて、茶碗の中に突っ込みやがらァ
   その生(なま)ッ白(ちれ)ェしやッ面(つら)を

その面(つら)を、小(ちひ)せェ声してブツクサ呟く
   も一人の小憎の鼻で撫でられ
その小僧奴の丸(まァる)い面(つら)に
   接唇とくらァ、

椅子の端ッこに黒くて赤(あけ)ェ
   恐ろし頭した
婆々(ばばあ)はいてサ、燠の前でヨ
   糸紡ぐ――

なんといろいろ見れるじゃねェかヨ、
   この荒家(あばらや)の中ときた日にャ、
焚火が明(あか)ァく、うすみっともねェ
   窓の硝子を照らす時!

紫丁香花(むらさきはしどい)咲いてる中の
   こざっぱりした住居じゃ住居
中じゃ騒ぎじゃ
   愉快な騒ぎ……

来なよ、来なってば、愛してやらあ、
   わるかあるめェ
来なッたら来なよ、来せェしたらだ……

      彼女曰く――

だって職業(しごと)はどうなンの?
          〔一五、八、一八七〇〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

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2012年7月27日 (金)

中原中也が訳したランボー「ニイナを抑制するものは」Ce qui retient Ninaその3

「ニイナを抑制するものは」Ce qui retient Ninaを
読み進めましょう。

オイラの口説きは
ますます高ぶり……。

抱いて行けと、オメエはオイラに
目を細めて言うだろう、と
彼の口説きは妄想に登りつめ
自分の放った言葉に
慌てて答えます――。

だ、だ、だ、抱いていくとも!

抱いていくともドキドキしているオメエを抱いたら
小道の中へよ
小鳥の奴めゆっくり構えて、鳴きしぐれるだろうよ
ハシバミの林の中で。
(前回はここまで。)

口の中へよオイラは話を、注ぎ込んでやらあ、
オメエのからだを
締めてやらあな子供を寝かせる時みてえによー、
オメエの血は酔い

肌の下をよ、青ーく流れる
桃色の調子でよ、
そこでオメエにオイラは言わーな、
――おい! とね、――オメエにゃ分からー

森は樹液の匂いでいっぱい、
お天道様―
金糸でよーくれえ血色の、森の夢なんざ
グッと飲まーな。

日暮れになったら? ……オイラけえらあ
ずうっとつづいた白え道をよ
ブラリブラリと道々草食う
羊みてえに。

青草へえてる果物畑は、
しちくね曲がったリンゴの木が、
遠くの方からでも匂うように
強い匂いをしてらーな!

やがてオイラは村に着く、
空が半分くれえ頃、
乳くせえ匂いがしていようわさ
日暮れの空気のそん中で、

くせえ寝藁でいっぺえの、
牛小屋の匂いもするべえよ、
ゆっくりゆっくり息を吐いてよ、
おっきな背中あ

薄明かりで白ーく見えてよ、
向うを見ればよ、
牝牛がおおっぴらに糞してらあな、
歩きながらよ。

祖母はメガネかけ
なげえ鼻をよ
祈り本に突っ込み、鉛のタガの
ビールの壺はよー

大きなパイプで威張りくさって
突き出た唇から煙を吐き吐き、
しょっちゅうへーてる奴らの前でよ、
泡を吹いてら、

突き出た唇らもっともっとと、
ハムに食いつき、
火は手すり付きのベッドや
長持なんぞを照らし出してよ、

丸々太ってピカピカしている
尻の腕白小僧は
膝ついて、茶碗の中に突っ込みやがらー
その生っ白えしゃっ面を

その面を、小せえ声してブツクサつぶやく
も一人の小僧の鼻で撫でられ
その小僧めのまあるい面に
キスとくらあ、

椅子の端っこに黒くて赤え
恐ろし頭の
ババアはいてさ、燠(おき)の前でよ
糸紡ぐ――

なんと色々見られるじゃねーかよ、
このあばら家の中ときた日にゃ、
焚き火があかーく、うすみっともねえ
窓のガラスを照らす時!

ムラサキハシドイ咲いてる中の
こざっぱりした住居じゃ住居
中じゃ騒ぎじゃ
愉快な騒ぎ……

来なよ、来なってば、愛してやらあ、
悪かあるめえ
来なったら来なよ、来せえしたらだ……

彼女が言うには――

だって、アンタ、仕事はどうすんの?

     (15、8、1870)

「みてえによー」は、みたいによー
「くれえ血色」の「くれえ」は、暗い
「けえらあ」は、帰らあ
「白え道」は、「シレエミチ」(白い道)
「青草へえてる」は、青草生えてる
「乳臭え匂い」は「チチクセエニオイ」(乳臭い匂い)
「いっぺえの」は、いっぱいの
「なげえ鼻」は、長い鼻
「しょっちゅうへーてる」は、しょっちゅう吐いてる
「生っ白えしゃっ面」、「ナマッチレエシャッツラ」(生っ白いしゃっ面)
「黒くて赤え」は、黒くて赤い
……

これらは
江戸っ子弁というのでしょうか
いまや、全国に通じる方言というのでしょうか
テレビ時代劇や江戸ブームなどを通じて
ベランメエ(調)は
耳で聞く分にはすんなり理解できるようになりましたが
表記するとなれば
「現代かな遣い」はかえって困難を抱えることになり
「歴史かな」を動員すれば
より原作に近づくケースといえるのかもしれません。

ま、それほど難しいわけではないので
詩人の意図を汲んで
ベランメエの流暢(りゅうちょう)な響きに
耳を傾けるのもいいじゃないですか――。

ベランメエの、そのどことなく威張った口調が
ニーナの一撃をくらうのです。

 *

 ニイナを抑制するものは

      彼曰く――

そなたが胸をばわが胸の上(へ)に、
   そじゃないか、俺等(おいら)は行こうぜ、
鼻ン腔(あな)ァふくらましてヨ、
   空ははればれ

朝のお日様ァおめえをうるおす
   酒でねえかョ……
寒げな森が、血を出してらァな
   恋しさ余って、

枝から緑の雫を垂れてヨ、
   若芽出してら、
それをみてれァおめえも俺も、
   肉が顫わァ。

苜蓿(うまごやし)ン中おめえはブッ込む
   長(なげ)ェ肩掛、
大きな黒瞳(くろめ)のまわりが青味の
   聖なる別嬪、

田舎の、恋する女じゃおめえは、
   何処へでも
まるでシャンペンが泡吹くように
   おめえは笑を撒き散らす、

俺に笑えよ、酔って暴れて
   おめえを抱こうぜ
こオんな具合(ぐえィ)に、――立派な髪毛じゃ
   嚥んでやろうゾ

苺みてェなおめえの味をヨ、
   肉の花じゃよ
泥棒みてェにおめえを掠める
   風に笑えだ

御苦労様にも、おめえを厭(いと)わす
   野薔薇に笑えだ、
殊には笑えだ、狂った女子(あまっこ)
   こちのひとえだ!……

十七か! おめえは幸福(しやわせ)。
   おお! 広(ひれ)ェ草ッ原、
素ッ晴らしい田舎!
   ――話しなよ、もそっと寄ってサ……

そなたが胸をばわが胸の上(へ)にだ、
   話をしいしい
ゆっくりゆこうぜ、大きな森の方サ
   雨水(あまみず)の滝の方サ、

死んじまった小娘みてェに、
   息切らしてヨウ
おめえは云うだろ、抱いて行ってと
   眼(め)ェ細くして。

抱いてゆくともどきどきしているおめえを抱いたら
   小径の中へヨ、
小鳥の奴めァゆっくり構えて、啼きくさるだろヨ
   榛ン中で。

口ン中へョ俺ァ話を、注ぎ込んでやら、
   おめえのからだを
締めてやらァな子供を寝かせる時みてェにヨウ、
   おめえの血は酔い

肌の下をョ、青ゥく流れる
   桃色調でョ
そこでおめえに俺は云わァな、
   ――おい! とね、――おめえにャ分らァ

森は樹液の匂いでいっぱい、
   おてんと様ァ
金糸でもってヨ暗(くれ)ェ血色の、森の夢なざ
   ぐッと飲まァナ。

日暮になったら?……俺等(おいら)ァ帰(けえ)らァ、
   ずうッとつづいた白い路をョ、
ブラリブラリと道中(みちみち)草食う
   羊みてェに。

青草生(へ)ェてる果物畑は、
   しちくね曲った林檎の樹が、
遠方(えんぼう)からでも匂うがように、
   強ェ匂いをしてらァな!

やんがて俺等は村に著く、
   空が半分暗(くれ)ェ頃、
乳臭エ匂いがしていようわサ
   日暮の空気のそン中で、

臭エ寝藁で一杯(いっぺェ)の、
   牛小屋の匂いもするベェよ、
ゆっくりゆっくり息を吐エてヨ
   大ッきな背中ア

薄明(うすらあかり)で白ウくみえてヨ、
   向うを見ればョ
牝牛がおっぴらに糞(くそ)してらァな、
   歩きながらヨ。

祖母(ばば)は眼鏡ェかけ
   長(なげ)ェ鼻をョ
弥撒集(いのりぼん)に突ッ込み、鉛の箍の
   ビールの壺はョ

大きなパイプで威張りくさって
   突ン出た唇(くち)から煙を吐き吐き、
しょっちう吐ェてる奴等の前でヨ、
   泡を吹いてら、

突ン出た唇奴(くちめ)等もっともっとと、
   ハムに食い付き、
火は手摺附の寝台や
   長持なんぞを照らし出してヨ、

丸々太ってピカピカしている
   尻を持ってる腕白小僧は
膝ついて、茶碗の中に突っ込みやがらァ
   その生(なま)ッ白(ちれ)ェしやッ面(つら)を

その面(つら)を、小(ちひ)せェ声してブツクサ呟く
   も一人の小憎の鼻で撫でられ
その小僧奴の丸(まァる)い面(つら)に
   接唇とくらァ、

椅子の端ッこに黒くて赤(あけ)ェ
   恐ろし頭した
婆々(ばばあ)はいてサ、燠の前でヨ
   糸紡ぐ――

なんといろいろ見れるじゃねェかヨ、
   この荒家(あばらや)の中ときた日にャ、
焚火が明(あか)ァく、うすみっともねェ
   窓の硝子を照らす時!

紫丁香花(むらさきはしどい)咲いてる中の
   こざっぱりした住居じゃ住居
中じゃ騒ぎじゃ
   愉快な騒ぎ……

来なよ、来なってば、愛してやらあ、
   わるかあるめェ
来なッたら来なよ、来せェしたらだ……

      彼女曰く――

だって職業(しごと)はどうなンの?
          〔一五、八、一八七〇〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

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2012年7月26日 (木)

中原中也が訳したランボー「ニイナを抑制するものは」Ce qui retient Ninaその2

「ニイナを抑制するものは」Ce qui retient Ninaは
だって職業(しごと)はどうなンの?
(ダッテ、アタシノシゴトハ ドウナルノヨ?)
――と、ニイナがポツリと喋ったところで終りますが
これでこの男女関係は終ったのか、というと
そうでもないところが不思議なもので
ランボーは
その辺には触れずに詩を打ち切って
読者の想像にその後を委ねます。

その後のことなんて
どうでもよかったのかも知れません。

そんなもの
勝手にしやがれ! って。

俺(オイラ)の台詞(セリフ)が大事だったのですから
やはり、それを読まないことには
何もはじまりませんが
タイトルが「ニイナを抑制するものは」ですから
詩は結末の1行=ニイナの一言を導きだすために
延々とオイラの「独白」を歌ったことには注目しておかなくてはなりません。

ランボーの原詩は
イザンバールが所有していた自筆原稿のほか
「ドゥエ詩帖」にバリアントがあり
こちらのタイトルは「ニーナの返答」Les Reparties de Ninaというのですから
この女性の「返事」がこの詩の最大の眼目であることは
間違いありません。

彼が言うには――

アナタの胸をわが胸の上に、
そうじゃないかい、オイラは行くだろうよ、
鼻の穴、ふくらましてよー、
空は晴々

朝のお天道様、オメエを潤している
酒じゃねえかよー
寒そうな森が、血を流してらあな
恋しさ余って、

枝から緑の滴をたれてよ
若芽を出してら
それをみてりゃあオメエもオイラも
肉が震えるわ

クローバーん中オメエはぶっ込む
なげえ肩掛け
大きな黒目の周りが青みの
なんともいえない別嬪よ、

田舎の、恋する女じゃオメエは
どこへでも
まるでシャンペンが泡吹くように
オメエは笑みを撒き散らす

オイラに笑えよ、酔って暴れて
オメエを抱こうぜ
こーんな具合に――立派な髪の毛じゃ
のんでやろうぞ

イチゴみてえなオメエの味をよ
肉の花じゃよ
泥棒みてえにオメエを掠める
風に笑えだ

ご苦労様にも、オメエを厭わす
野バラに笑えだ
ことさら笑えだ、狂ったあまっこ
こちのひとえだ!
(こっちのものだ!)
(こっちの人へだ!)

,17か! オメエはシヤワセ
おお! ひれえくさっぱら
すっばらしい田舎!
――話なよ、もそっと寄ってさ……

アナタの胸をわが胸の上にだ、
話をしいしい
ゆっくり行こうぜ、大きな森の方さ
雨水の滝の方さ、

死んじまった小娘みてえに、
息切らしてよー
オメエは言うだろ、抱いていってと
目ー細くして。

抱いていくともドキドキしているオメエを抱いたら
小道の中へよ
小鳥の奴めあゆっくり構えて、鳴きしぐれるだろうよ
ハシバミの林の中で。

長すぎるので
今回はここまでにします。

 *

 ニイナを抑制するものは

      彼曰く――

そなたが胸をばわが胸の上(へ)に、
   そじゃないか、俺等(おいら)は行こうぜ、
鼻ン腔(あな)ァふくらましてヨ、
   空ははればれ

朝のお日様ァおめえをうるおす
   酒でねえかョ……
寒げな森が、血を出してらァな
   恋しさ余って、

枝から緑の雫を垂れてヨ、
   若芽出してら、
それをみてれァおめえも俺も、
   肉が顫わァ。

苜蓿(うまごやし)ン中おめえはブッ込む
   長(なげ)ェ肩掛、
大きな黒瞳(くろめ)のまわりが青味の
   聖なる別嬪、

田舎の、恋する女じゃおめえは、
   何処へでも
まるでシャンペンが泡吹くように
   おめえは笑を撒き散らす、

俺に笑えよ、酔って暴れて
   おめえを抱こうぜ
こオんな具合(ぐえィ)に、――立派な髪毛じゃ
   嚥んでやろうゾ

苺みてェなおめえの味をヨ、
   肉の花じゃよ
泥棒みてェにおめえを掠める
   風に笑えだ

御苦労様にも、おめえを厭(いと)わす
   野薔薇に笑えだ、
殊には笑えだ、狂った女子(あまっこ)
   こちのひとえだ!……

十七か! おめえは幸福(しやわせ)。
   おお! 広(ひれ)ェ草ッ原、
素ッ晴らしい田舎!
   ――話しなよ、もそっと寄ってサ……

そなたが胸をばわが胸の上(へ)にだ、
   話をしいしい
ゆっくりゆこうぜ、大きな森の方サ
   雨水(あまみず)の滝の方サ、

死んじまった小娘みてェに、
   息切らしてヨウ
おめえは云うだろ、抱いて行ってと
   眼(め)ェ細くして。

抱いてゆくともどきどきしているおめえを抱いたら
   小径の中へヨ、
小鳥の奴めァゆっくり構えて、啼きくさるだろヨ
   榛ン中で。

口ン中へョ俺ァ話を、注ぎ込んでやら、
   おめえのからだを
締めてやらァな子供を寝かせる時みてェにヨウ、
   おめえの血は酔い

肌の下をョ、青ゥく流れる
   桃色調でョ
そこでおめえに俺は云わァな、
   ――おい! とね、――おめえにャ分らァ

森は樹液の匂いでいっぱい、
   おてんと様ァ
金糸でもってヨ暗(くれ)ェ血色の、森の夢なざ
   ぐッと飲まァナ。

日暮になったら?……俺等(おいら)ァ帰(けえ)らァ、
   ずうッとつづいた白い路をョ、
ブラリブラリと道中(みちみち)草食う
   羊みてェに。

青草生(へ)ェてる果物畑は、
   しちくね曲った林檎の樹が、
遠方(えんぼう)からでも匂うがように、
   強ェ匂いをしてらァな!

やんがて俺等は村に著く、
   空が半分暗(くれ)ェ頃、
乳臭エ匂いがしていようわサ
   日暮の空気のそン中で、

臭エ寝藁で一杯(いっぺェ)の、
   牛小屋の匂いもするベェよ、
ゆっくりゆっくり息を吐エてヨ
   大ッきな背中ア

薄明(うすらあかり)で白ウくみえてヨ、
   向うを見ればョ
牝牛がおっぴらに糞(くそ)してらァな、
   歩きながらヨ。

祖母(ばば)は眼鏡ェかけ
   長(なげ)ェ鼻をョ
弥撒集(いのりぼん)に突ッ込み、鉛の箍の
   ビールの壺はョ

大きなパイプで威張りくさって
   突ン出た唇(くち)から煙を吐き吐き、
しょっちう吐ェてる奴等の前でヨ、
   泡を吹いてら、

突ン出た唇奴(くちめ)等もっともっとと、
   ハムに食い付き、
火は手摺附の寝台や
   長持なんぞを照らし出してヨ、

丸々太ってピカピカしている
   尻を持ってる腕白小僧は
膝ついて、茶碗の中に突っ込みやがらァ
   その生(なま)ッ白(ちれ)ェしやッ面(つら)を

その面(つら)を、小(ちひ)せェ声してブツクサ呟く
   も一人の小憎の鼻で撫でられ
その小僧奴の丸(まァる)い面(つら)に
   接唇とくらァ、

椅子の端ッこに黒くて赤(あけ)ェ
   恐ろし頭した
婆々(ばばあ)はいてサ、燠の前でヨ
   糸紡ぐ――

なんといろいろ見れるじゃねェかヨ、
   この荒家(あばらや)の中ときた日にャ、
焚火が明(あか)ァく、うすみっともねェ
   窓の硝子を照らす時!

紫丁香花(むらさきはしどい)咲いてる中の
   こざっぱりした住居じゃ住居
中じゃ騒ぎじゃ
   愉快な騒ぎ……

来なよ、来なってば、愛してやらあ、
   わるかあるめェ
来なッたら来なよ、来せェしたらだ……

      彼女曰く――

だって職業(しごと)はどうなンの?
          〔一五、八、一八七〇〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。
また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

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2012年7月25日 (水)

中原中也が訳したランボー「ニイナを抑制するものは」Ce qui retient Nina

「ニイナを抑制するものは」Ce qui retient Ninaを読むにあたって
表記の問題で予めおことわりしておきたいこととして――

原作の小字(=ァィゥェォッャュョヮヵヶ)と
並字(=アイウエオツヤユヨワカケ)の使い分けが
完全には再現できていないかもしれないことを
申し上げておきます。

底本としている「新編中原中也全集」では
「ン」を小字・並字と使い分けていますが
このサイトではできませんでした。
そもそも、詩人が「ン」を大小と使い分けていたのか
疑問が残ることもあって
ここでは「ン」のすべてを並字で表記しました。

「ヨ」の小字「ョ」は「キャキュキョ」の「キョ」以外使わず
行末の間投詞「よ・ヨ」の場合を「ヨ」と並字にしたのは
間投詞「さ・サ」の場合と同様です。
底本もこの考えであろうと推測されます。

それにしても
「広(ひれ)ェ草ッ原」(ヒレエクサッパラ)のように小字を使って
詩人は翻訳に
東京の下町言葉の調子を与えようとしているらしく
細心さには頭が下がります。

「肉が顫わァ。」なんてのも
「ニクガフルワワア」か「ニクガフルエルワア」か
どちらに読んでいいのか分かりませんが
かなりデリケートなニュアンスを
伝えようと工夫している様子です。

ニイナという女性に
俺(オイラ)は
一方的に口説き文句をはなっていますが
延々と続ける口説きは
途中で妄想に変わって
ますます強引さを増していったところで
ニイナがポツリと一言――

そんで、(あんた)仕事、どうすんの?

一挙に
破滅。

この後どうなったことやら
まるで落語みたいな
男女のやりとりです。

 *

 ニイナを抑制するものは

      彼曰く――

そなたが胸をばわが胸の上(へ)に、
   そじゃないか、俺等(おいら)は行こうぜ、
鼻ン腔(あな)ァふくらましてヨ、
   空ははればれ

朝のお日様ァおめえをうるおす
   酒でねえかョ……
寒げな森が、血を出してらァな
   恋しさ余って、

枝から緑の雫を垂れてヨ、
   若芽出してら、
それをみてれァおめえも俺も、
   肉が顫わァ。

苜蓿(うまごやし)ン中おめえはブッ込む
   長(なげ)ェ肩掛、
大きな黒瞳(くろめ)のまわりが青味の
   聖なる別嬪、

田舎の、恋する女じゃおめえは、
   何処へでも
まるでシャンペンが泡吹くように
   おめえは笑を撒き散らす、

俺に笑えよ、酔って暴れて
   おめえを抱こうぜ
こオんな具合(ぐえィ)に、――立派な髪毛じゃ
   嚥んでやろうゾ

苺みてェなおめえの味をヨ、
   肉の花じゃよ
泥棒みてェにおめえを掠める
   風に笑えだ

御苦労様にも、おめえを厭(いと)わす
   野薔薇に笑えだ、
殊には笑えだ、狂った女子(あまっこ)
   こちのひとえだ!……

十七か! おめえは幸福(しやわせ)。
   おお! 広(ひれ)ェ草ッ原、
素ッ晴らしい田舎!
   ――話しなよ、もそっと寄ってサ……

そなたが胸をばわが胸の上(へ)にだ、
   話をしいしい
ゆっくりゆこうぜ、大きな森の方サ
   雨水(あまみず)の滝の方サ、

死んじまった小娘みてェに、
   息切らしてヨウ
おめえは云うだろ、抱いて行ってと
   眼(め)ェ細くして。

抱いてゆくともどきどきしているおめえを抱いたら
   小径の中へヨ、
小鳥の奴めァゆっくり構えて、啼きくさるだろヨ
   榛ン中で。

口ン中へョ俺ァ話を、注ぎ込んでやら、
   おめえのからだを
締めてやらァな子供を寝かせる時みてェにヨウ、
   おめえの血は酔い

肌の下をョ、青ゥく流れる
   桃色調でョ
そこでおめえに俺は云わァな、
   ――おい! とね、――おめえにャ分らァ

森は樹液の匂いでいっぱい、
   おてんと様ァ
金糸でもってヨ暗(くれ)ェ血色の、森の夢なざ
   ぐッと飲まァナ。

日暮になったら?……俺等(おいら)ァ帰(けえ)らァ、
   ずうッとつづいた白い路をョ、
ブラリブラリと道中(みちみち)草食う
   羊みてェに。

青草生(へ)ェてる果物畑は、
   しちくね曲った林檎の樹が、
遠方(えんぼう)からでも匂うがように、
   強ェ匂いをしてらァな!

やんがて俺等は村に著く、
   空が半分暗(くれ)ェ頃、
乳臭エ匂いがしていようわサ
   日暮の空気のそン中で、

臭エ寝藁で一杯(いっぺェ)の、
   牛小屋の匂いもするベェよ、
ゆっくりゆっくり息を吐エてヨ
   大ッきな背中ア

薄明(うすらあかり)で白ウくみえてヨ、
   向うを見ればョ
牝牛がおっぴらに糞(くそ)してらァな、
   歩きながらヨ。

祖母(ばば)は眼鏡ェかけ
   長(なげ)ェ鼻をョ
弥撒集(いのりぼん)に突ッ込み、鉛の箍の
   ビールの壺はョ

大きなパイプで威張りくさって
   突ン出た唇(くち)から煙を吐き吐き、
しょっちう吐ェてる奴等の前でヨ、
   泡を吹いてら、

突ン出た唇奴(くちめ)等もっともっとと、
   ハムに食い付き、
火は手摺附の寝台や
   長持なんぞを照らし出してヨ、

丸々太ってピカピカしている
   尻を持ってる腕白小僧は
膝ついて、茶碗の中に突っ込みやがらァ
   その生(なま)ッ白(ちれ)ェしやッ面(つら)を

その面(つら)を、小(ちひ)せェ声してブツクサ呟く
   も一人の小憎の鼻で撫でられ
その小僧奴の丸(まァる)い面(つら)に
   接唇とくらァ、

椅子の端ッこに黒くて赤(あけ)ェ
   恐ろし頭した
婆々(ばばあ)はいてサ、燠の前でヨ
   糸紡ぐ――

なんといろいろ見れるじゃねェかヨ、
   この荒家(あばらや)の中ときた日にャ、
焚火が明(あか)ァく、うすみっともねェ
   窓の硝子を照らす時!

紫丁香花(むらさきはしどい)咲いてる中の
   こざっぱりした住居じゃ住居
中じゃ騒ぎじゃ
   愉快な騒ぎ……

来なよ、来なってば、愛してやらあ、
   わるかあるめェ
来なッたら来なよ、来せェしたらだ……

      彼女曰く――

だって職業(しごと)はどうなンの?
          〔一五、八、一八七〇〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。
また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

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2012年7月24日 (火)

中原中也が訳したランボー「海の泡から生れたヴィナス」Véus anadyomènその2

先日、NHKで「知られざる大英博物館・古代ギリシャ」を放送していました。
「くつがえる『白い文明』」という内容で
パルテノン神殿を構成する柱など
「白い美しさ」を誇りとされてきた遺跡・遺品の数々は
元は原色で装飾されたものを
現代人が「ブラシ」など剥離用の道具を使って
脱色してしまったものだ、という最近の発見を紹介するものでした。

大衆が「白い美しさ」を期待しているために
その期待に応じて人為的な改竄が行われたという
ショッキングな内容はさておき
この番組を見ていて
ランボーの想像力に思いを馳せていた人もいたであろうと
そのことの衝撃にここではこだわります。

(マネキン人形を扱うようなといっては語弊がありますが)
古代遺跡の発掘初期の現場は
細心の注意を払われながらも
泥にまみれたビーナス像などが
盗掘されたり研究室に収められたりするまでに
ゴロゴロころがっていた――。

この情景が
ランボーの詩「海の泡から生れたヴィナス」Véus anadyomèneに
つながっていきます。
「海の泡から生れたヴィナス」は
ランボーの想像というよりリアリズムではないか――。

油ぎった薄汚い首、
幅広の肩胛骨は突き出て、
短い脊中はデコボコ
皮下脂肪は平らな葉っぱ、
腰の丸みは飛び出しそうだ

背筋は少し赤らんで、
総じて異様でぞっとする。
特に気になるヘンテコリンなおでき……。

胴全体がでっかいお尻、
動かし、ひきしめ、
肛門の潰瘍は、
見苦しくも美しい。

この結末の
「見苦しくも美しい」は
汚泥にまみれた大理石を見た実感じゃないか――。

もちろん、そうではなく
ランボーのダダイスティックな表現衝動が
一篇の創作詩として結実したものなのですが
最後には
「美しい」の一語で締めくくったビーナスの正体とは
あらゆる美の正体をズバリと言い当てているようで
ハッとさせるものがあります。

中原中也は訳しながら
このことを知っていたはずです。
ランボーの原詩の持つ
破壊力とか暴力性とかに目を奪われて
凡俗はついつい茫然としてしまいますが
中原中也がこれを訳しているときの
「してやったり!」という息遣いが聞こえてきます。

 *

 海の泡から生れたヴィナス

ブリキ製の緑の棺からのように、褐色の髪に
ベトベトにポマード付けた女の頭が、
古ぼけた浴槽の中からあらわれる、どんよりと間の抜けた
その顔へはまずい化粧がほどこされている。

脂(あぶら)ぎった薄汚い頸(くび)、幅広の肩胛骨(かいがらぼね)は
突き出ているし、短い背中はでこぼこだ。
皮下の脂肪は、平らな葉のよう、
腰の丸みは、飛び出しそうだ。

脊柱(せすじ)は少々赤らんでいる、総じて異様で
ぞっとする。わけても気になる
奇態な肉瘤(こぶ)。

腰には二つの、語が彫ってある、Clara Venus と。
――胴全体が大きいお尻を、動かし、緊張(ひきし)め、
肛門の、潰瘍は、見苦しくも美しい。

※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。
また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

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