中原中也が訳したランボー「キャバレ・ヹールにて」Au Cabaret-Vertその2
「キャバレ・ヹールにて」Au Cabaret-Vertの、
5、6日前から、私の靴は、路の小石にやられボロボロだった、
――という冒頭の1行で、
私は出掛けた、ポケットに手を突っ込んで。とはじまる
有名な「わが放浪」を思い出さずにはいられません。
こちらのほうが
「わが放浪」の後に作られたのか
1870年11月2日付けイザンバール宛書簡に
いざゆかん、帽子を被り、頭巾付きのマントをはおり、ポケットに両の拳を突っ込んで、さて出かけるといたしましょう
――などと、「わが放浪」中のとそっくりのフレーズを書き付けていることもあり、
前後は確定できないようです。
詩に流れる気分や空気から
両作品は同時期のものであることは
間違いないことでしょう。
◇
現代語化して
読んでおきます。
◇
キャバレー・ヴェールにて
午後の五時。
5、6日前から、私の靴は、路の小石にやられボロボロだった、
ぼくは、シャルルロワに、帰って来ていた。
キャバレー・ヴェールに入りバターサンドイッチとハムサンドイッチをぼくは頼んだ、
ハムの方は少し冷え過ぎていた。
よい気持で、緑のテーブルの下に脚を投げ出して、
ぼくは壁掛布(かべかけ)の、とても素朴な絵を眺めていた。
そこへ眼の生き生きとした、乳房のでっかい娘が、
――とはいえ決していやらしくない!――
ニコニコしながら、バターサンドイッチと、
ハムサンドイッチを派手な色彩(いろどり)の
皿に盛って運んで来たのだ。
桃と白の入り混じったハムはニンニクのたまの香を放ち、
彼女はコップに、午後の陽をうけて
金色に輝くビールを注いだ。
〔一八七〇、十月〕
◇
北欧の午後5時――。
歩き疲れたからだを
緑のテーブルや
壁に掛かった布の絵で癒した上に
バター・サンドとハム・サンドを気前よく注文すれば、
豊満なバストをゆさゆさ揺らしてベルギー娘が
なみなみと注ぐ金色のビール!
青年ランボーが
彷徨の合間に見つけた
束の間の陶酔。
満足げな姿が浮かんできます。
◇
「金色に輝くビール」といえば、
冷たいコップを燃ゆる手に持ち
夏のゆうべはビールを飲もう
どうせ浮世はサイオウが馬
チャッチャつぎませコップにビール
(「青木三造」)
――という中原中也の創作詩が思い出されますが、
両作品の関係は明らかではありません。
詩が作られた状況がまったく異なりますから
まったく関係ないのかもしれませんが
どんな場合にも
のどの乾きをうるおすビールは
瞬間であれ、金の幸福をもたらすことに変わりはなく
どちらにも同じような幸福の顔が見えます。
*
キャバレー・ヴェールにて
午後の五時。
五六日前から、私の靴は、路の小石にいたんでいた、
私は、シャルルロワに、帰って来ていた。
キャバレ・ヴェールでバターサンドイッチと、ハムサンドイッチを私は取った、
ハムの方は少し冷え過ぎていた。
好い気持で、緑のテーブルの、下に脚を投出して、
私は壁掛布(かべかけ)の、いとも粗朴な絵を眺めてた。
そこへ眼の活々とした、乳房の大きく発達した娘(こ)が、
――とはいえ決していやらしくない!――
にこにこしながら、バターサンドイッチと、
ハムサンドイッチを色彩(いろどり)のある
皿に盛って運んで来たのだ。
桃と白とのこもごものハムは韮の球根(たま)の香放ち、
彼女はコップに、午後の陽をうけて
金と輝くビールを注いだ。
〔一八七〇、十月〕
※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、「新字・新かな」で表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。
◇
<新字・旧かな版>
キャバレ・ヹールにて
午後の五時。
五六日前から、私の靴は、路の小石にいたんでゐた、
私は、シャルルロワに、帰つて来てゐた。
キャバレ・ヹールでバタサンドヰッチと、ハムサンドヰッチを私は取つた、
ハムの方は少し冷え過ぎてゐた。
好い気持で、緑のテーブルの、下に脚を投出して、
私は壁掛布(かべかけ)の、いとも粗朴な絵を眺めてた。
そこへ眼の活々とした、乳房の大きく発達した娘(こ)が、
――とはいへ決していやらしくない!――
にこにこしながら、バタサンドヰッチと、
ハムサンドヰッチを色彩(いろどり)のある
皿に盛つて運んで来たのだ。
桃と白とのこもごものハムは韮の球根(たま)の香放ち、
彼女はコップに、午後の陽をうけて
金と輝くビールを注いだ。
〔一八七〇、十月〕
※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。
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