カテゴリー

2024年1月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

« 2012年7月 | トップページ | 2012年9月 »

2012年8月

2012年8月31日 (金)

中原中也が訳したランボー以外のランボー

中原中也が訳したランボーの著作は、
これまで見てきたように
「ランボオ詩集(学校時代の詩)」や
「ランボオ詩集」としてまとめられた韻文(詩)、
「ランボオ詩集」に収録されなかった韻文、
「ランボー書簡」4篇の散文――で、すべてということになります。

中原中也が翻訳したランボーに関する情報は、
しかし、ランボー自身が書いた、
これら詩篇や手紙のほかに
ポール・ベルレーヌなどランボー以外の著作の中にも現われます。

その筆頭が
ランボーの存在そのものを紹介した
ベルレーヌ「呪われた詩人たち」の中の「アルテュル・ランボオ」や
ベルレーヌが自らのことを書き綴ったアナグラムである
「ポーヴル・レリアン」中のランボーに関する記述です。

ベルレーヌ以外にも
アドルフ・レッテの「ヴェルレーヌ訪問記」には
ベルレーヌが語った生々しいランボーが登場しますし、
フレデリック・ルフェーブルの「マックス・ヂャコブとの一時間」にも
ランボーに関する記述があります。
このほかにも
あるかもしれません。

中原中也は
「ランボー情報」をこうしてランボーの著作以外からも
眼を光らせて収集した跡があります。
当然、それは、フランス本国の出版状況を知ることでしたが
そうした情報源の一つに
フランス滞在中の彫刻家・高田博厚のものがありました。

高田博厚は、
中原中也の頭部ブロンズ像を制作したことでも著名ですが
昭和4年(1929年)に古谷綱武の紹介で知って後、
中原中也は高田のアトリエのある中高井戸に引っ越しましたし、
高田がフランスへ遊学する同6年(1931年)2月には
長谷川泰子とともに東京駅で見送るなどの篤い親交を継続中でしたし、
フランス滞在中にも交信を継続していました。

「古東多万」という雑誌は佐藤春夫が編集責任者で発刊され
その創刊号(昭和6年9月)に高田が寄せた「フランス文芸消息」には
中原中也が訳した「ランボー書簡」の原典などの情報もあり
これを中原中也が読んだか
これを読まなくとも、
この「ランボー書簡」の原典が出版されたことを知って
これを丸善かどこかからか入手して
翻訳にとりかかった経緯があります。

高田博厚の「フランス文芸消息」が
「新編中原中也全集」第3巻 翻訳・解題篇に案内されてありますから
それを見ておきましょう。

「フランス文芸消息」(「古東多万」創刊号、昭和6年9月)

 最近になってアルツール・ランボオに関する書物が続出した。此処にはただその書名のみを挙げる。

「アルツール・ランボオの生涯の書簡集」ジャン・マリイ・カレ編(ヌーヹル・ルヴュ・フランセーズ社)。
「地獄の一季節とアルツール・ランボオ」レイモンド・クラウツエル(マルフェール社)。
「ヹルレーヌとの事件とランボオ」モーリス・デュラエール(ノール社)。
「アルツール・ランボオ」ジャック・リヸエール(クラ社)。
「アルツール・ランボオの未発表の書簡」ロージェ・ジルベール・ルコントの序文(カイエ・リーブル社)。
「アルツール・ランボオの芸術」A・R・チシオルム(メイプールヌ・ユニヷシティ出版)。
※改行を加えてあります。

中原中也が訳した4篇の「ランボー書簡」は
高田博厚が紹介した
ジャン・マリイ・カレ編による「アルツール・ランボオの生涯の書簡集」(ヌーヹル・ルヴュ・フランセーズ社を
テキストにしているそうです。

高田は
原典テキストの入手ルートの一つだったのかもしれませんし、
原典の出版元が分かれば
丸善などへ手配すれば
入手は容易だったものとも考えられます。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年8月30日 (木)

中原中也が訳したランボーの手紙・その4

中原中也が翻訳したランボーの手紙の4番目
「パンヴィル宛書簡1870年5月24日」は、
「ヴァリエテ」第6号(昭和9年6月5日発行)に発表されました。
1870年5月24日付けでテオドール・ド・バンヴィルに宛てたもので
一度、眼を通しましたが再び読んでおきましょう。

ランボー15歳。
「酔いどれ船」を書く1年以上も前で
シャルルヴィル高等中学校の修辞学級の担当教官イザンバールの
生徒であったランボーは
フランス中央詩壇へのデビューを画策し
重鎮テオドール・ド・バンヴィルに
「現代高踏詩集」への自作詩の掲載を申し入れました。

ベルレーヌを知る以前に戻ります。

中原中也の15歳は、
歌集「末黒野(すぐろの)を共作した年(1922)で、
この学年度末(翌年3月)に落第を通告されました。

ランボーとは、およそ50年の隔たりがありますが
目指しているところは
大同小異といった印象です。

中原中也が
山口中学を落第した頃、
「中央」を意識していなかったという証拠はないはずですから。

「新字・新かな」表記で読みます。
洋数字に変換したところもあります。
文語的表現などを、一部、ひらがな書きにしました。


本文中の、
Sensationは、中原中也訳では「感動」、Credo in unam「一ナル女性を信ズ」はラテン語のタイトルで、その異稿は、Soleil et chair「太陽と肉体」、Les Etrennes des  Orphelinsは、中原中也訳で「孤児等のお年玉」です。

 *

ランボー書簡4 パンヴィル宛
 テオドール・ド・バンヴィル宛(註。この手紙が最初に発表されたのは1925年10月10日発行のヌーベル・リテレール誌上である)
                  シャルルヴィル(アルデンヌ県)にて、1870年5月24日
 拝啓
 時下春暖の候、小生間もなく17歳になります。(註。彼は16にもなっていなかった。「間もなく」の語は、稿本では書いた上を消してある。) 世間流に申せば、希望と空想の年齢(とし)――さて小生事ミューズの指に触(さわ)られまして――俗調ひらにお許し下さい――信念、希望、感動などすべて詩人がもの――小生それを春のものと呼びたく存じますが――を、表現致し始めました。

 只今その若干を良き出版者ルメール氏を通じてお送り致すにつきまして、理想美に熱中致します全ての詩人、全てのパルナシアンを――かく申しますのは、詩人たるやパルナシアンでございましょうから、――小生は慕っておりますこと申し上げたく存じます。なお、貴下、ロンサールの後裔、1830年代の宗匠の一人、真の浪漫主義者、真の詩人たる貴下を心よりお慕い致していることを申し上げねばなりません。かようの次第にて、無躾とは存じながら、詩稿お送り致します。

 2年後の後、否恐らく1年の後には、小生出京致すでございましょう――(小生もまた)、(訳者註。「小生もまた」はラテン語で書かれてある。) その節は諸兄と共にパルナシアンでございましょう。それからどうなりますことか存じませんが、小生が美の神と自由の神を信奉致して永えに変りませぬことは、お誓いすることが出来ます。

 同封の詩(註。この手紙には、次の諸詩篇が同封されていた。1870年4月20日と日付したSensation. 。1870年4月29日と日付したCredo in unam。これは後にSoleil et chair と改題されたものである。なお、追而書(おってが)きがあり、それは次のようである。《若しこれらの詩篇が「現代詩文集」(パルナス・コンタンポラン)に載っていましたなら、どんなものでございましょう?――これらの詩篇は、詩人等(パルナシアン)の誓約書ともいえるではありますまいか?――小生の名はいまだ知られておりませぬ、が、ともかく詩人は皆互いに兄弟であります――これらの詩篇は信じ、愛し、希望しております。そしてそれが全てであります。先生、何卒小生を御起用下さい。小生はなお稚うございます。何卒お手を伸べて下さいまし……》) 御高覧の程願い上げます。Credo in unamを若し御掲載下さらば、希望と喜びに、小生は狂喜致すことでございましょう。パルナス(註。「現代詩文集」(パルナス・コンタンポラン)の分本の最初の一群は、1866年に出た。次のは1869年以来着手されていたが、戦争のために遅延して1871年に出た。3度目のは1876年に。――ランボーに於けるパルナス礼讃及びそうした傾向が、一時的であったことを強調して考えることは無益なことである。何故なら、やがて彼は浪漫主義をも象徴主義をもパルナス同様瞬く間に汲み尽してしまうのであるから。然しこの手紙の当時には、彼は学生らしい夢をみていたのである。彼は原稿が発表され、田舎を抜け出すことが叶えばとばかり考えていたのである。因みに彼のLes Etrennes des Orphelins は1870年に、《La Revue pour tous 》誌上に掲載されたのである。)のお仲間に加わるを得ば、諸兄等が綱領書(クレド)ともなるでございましょう!
 右熱望してやみません!
                                      Arthur Rimbaud.

※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、「新字・新かな」で表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。読みやすくするための「行アキ」を加えてあります。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

 

2012年8月29日 (水)

中原中也が訳したランボーの手紙・その3

ランボーが1873年7月7日付けでベルレーヌに宛てた手紙の翻訳は、
昭和9年4月1日発行の「苑」に発表されました。
この発表の時には「ランボーよりヴェルレーヌへ」のタイトルが付けられていましたし
「ランボー書簡2」を受けた形で
宛名の部分は、「同」と省略されていましたが
「新編中原中也全集」にならい、
ここでは省略しない形を掲出しました。

1873年7月7日は、
ブリュッセル銃撃事件(1874年7月10日)のちょうど1年前になります。
1年前から、すでに二人の関係には混乱が生じていたところを
中原中也の訳でも読むことができます。

「新字・新かな」表記で読みます。
洋数字変換したところもあります。

手紙の中にある「註」は、
原詩にある「編註」を中原中也が要約したものです。

 *

ランボー書簡3 ヴェルレーヌ宛

 ブリュッセルなる
  ポール・ヴェルレーヌへ
                         ロンドンにて、月曜日午
                               1873年7月7日

 拝啓 スミス婦人(註。――ヴェルレーヌの宿のお主婦(かみ))宛ての手紙を見た。君はまたロンドンに来たいのらしいが、どうももう遅過ぎたね! みんながどういう風に君を迎えるか君は知らないんだろうが、アンドリューやなんかは、僕がまた君といるところをみたらどんな顔をすることだろう。然し僕はそんなことは気にしないようにしようから、ともかく君のほんとの気持を聞かせて欲しいんだ。君がロンドンに来たいというのはいったい僕のためにか? して来るとすれば何日だ? 僕の手紙(註。――先便)を見たんで来る気になったのか? だがもう部屋には何もないんだよ、外套一つ残してあとはもうみんな売っちゃった。2フラン10サンチームがものになったさ。下着類は洗濯屋に行っているのがまだあり猶別に一(ひ)と山(やま)程の物は自分用にととっておいた。つまりチョッキを五つ、シャツの全部、ズボン下二つ、カラー、手套、履物の全部、本や原稿の類は全部とってある。結局、まだある物で売れるものといったら、黒と鼠の両ズボン、外套とチョッキが各一つ、それから袋と帽子の箱があるきりだ。だって君は僕に宛てて手紙はくれなかったじゃないか。でもまあいいや、僕はもう1週間当地にいるから。それでと君は来るんだね? 本当のことを言ってくれよ。随分君としてからが来るにつけては勇気の要ったことなんだろうが、まあそうだってよかったよ。僕については心配御無用、至極もう人の好いもんさ。でも僕は、待っている。
                                              Rimb.

※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、「新字・新かな」で表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年8月28日 (火)

中原中也が訳したランボーの手紙・その2

ランボーが1873年7月4日付けでベルレーヌに宛てた手紙の翻訳も、
「ドラエー宛1873年5月」の手紙と同じ、
「紀元」昭和9年新年小説号(昭和9年1月1日発行)に発表されました。

「紀元」同号には、
ほかに「詩二篇」として、
「汚れっちまった悲しみに……」と「月」が掲載されています。
(「新編中原中也全集」第3巻 翻訳・解題篇)

ランボーが書いた手紙を翻訳する詩人と
「汚れっちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる」や
「今宵月はいよよ愁しく 養父の疑惑に瞳を睜る。」と
歌っていた詩人は同じ詩人だった! と
いまさらながらに驚かざるをえません。
(「汚れっちまった悲しみに……」の初出は、昭和5年4月発行の「白痴群」第6号です。)

この手紙を翻訳した昭和8年末に
詩人は生地・山口県湯田温泉に帰郷していました。
遠縁の上野孝子と見合いし、結婚式をあげ、
12月3日には、東京の住まいを四谷・花園アパートに移すなど
あわただしく過ごす中での仕事でした。

山口滞在中には、11月10日付けで詩友・安原喜弘宛に
「ランボオの書簡とコルビエールの詩を少しと訳しました」などと書き送っています。

「新字・新かな」表記で読みます。
洋数字変換したところもあります。
原作にない行アキを加え、読みやすくしてあります。

 *

ランボー書簡2 ヴェルレーヌ宛

 ブリュッセルなる
  ポール・ヴェルレーヌへ
     (註。――当時ヴェルレーヌは、ランボオを置きざりにして、ブリュッセルに来たばかりであった。そこに彼は妻君を呼び寄せ、復縁を希望した。)
                         ロンドンにて、金曜日午後
                               1873年7月4日

 帰って来い、帰って来い、友よ、唯一人の友よ、帰って来い。僕は君に悪い気持を持ってはいない。こないだ頃悪かったのは、あれは意地づくで冗談をしただけなんだ、なんとも後悔しているよ。帰って来い、すれば何もかも解けるんだ。冗談を本気にとられては、ほんとに堪らん! ここ2日間僕は泣き通しだ。気をよくしてくれ。何も困ったわけはないのだ。帰って来てくれさえすればよいのだ。二人で又当地(ここ)で、元気に辛棒して暮らそう。お願いだよ。君にもその方がいいよ。帰って来い。そうすればまた君の仕事も始まるんだ。我々の口論は根も葉もないものだったんだ。思い出してもゾットするよ。それにしても僕が船を降りるように君に合図した時に、君は何故降りて来なかったんだろう? 2年間一緒に暮らしたのは、こんなことになるためだったとでもいうのか! 君はどうするつもりだ? 君が帰って来たくないのなら僕が君の方へ行ってもいいのか?

さなり過(あやま)てりしは我なり、
さるにても汝(なれ)、我を忘れじ
否よ、汝(なれ)、忘れえすまじ
我、汝(なれ)を忘れ得ざれば。

 ねえ、返事をおくれ。もう一度一緒に暮らすことは出来ないものか。気をよくしてくれ。直ぐに返事をくれ。僕は当地にもう長くはいまい。やさしい気を起こしてくれ。
 直ぐに、色よい返事をくれ。
                         心からなる
                              Rimbaud.

 直ぐに返事をくれ。僕は来る月曜日の午後以後は、もう当地(ここ)にいることは六ヶ敷い。僕はまだ一文も持ってはおらぬので、郵送も叶わず、君の本と原稿とはベルメルシに委托した。もしもう君が会ってくれぬのなら、僕は海軍にでも陸軍にでも雇われるとしよう。帰って来てくれ、僕は泣き通しなんだ。来いなら来いと言ってくれ、直ぐに行くから、電報で言ってくれ。月曜日の午後には出発しなきゃあならないのだからね。君は何処に行き、どうしようというのだ?
    
※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、「新字・新かな」で表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

 

2012年8月27日 (月)

中原中也が訳したランボーの手紙・その1

「中原中也が訳したランボー」というタイトルで
ランボーの詩を読んできた流れの終りに
「中原中也が訳したランボーの手紙」を読むことにします。

中原中也は、
ランボーの作品では、韻文(詩)しか翻訳していませんが、
散文として手紙4篇を訳しています。

その4篇は、
①ドラエー宛書簡1873年5月、
②ベルレーヌ宛書簡1873年7月4日、
③同1873年7月7日、
④バンビル宛書簡1870年5月24日
――で、すべて雑誌に発表しています。

①と②は、「紀元」昭和9年新年小説号(昭和9年1月1日発行)、
③は、「苑」第二冊(昭和9年4月1日発行)、
④は、「ヴァリエテ」第6号(昭和9年6月5日発行)
――にそれぞれ発表されました。
制作は、いずれも発行日の3か月前(推定)です。

「紀元」に発表した散文ということで
「散文」の中の「生前発表翻訳散文」に分類・配置されます。

ランボーが「1873年5月」の日付けを記して
シャルルビル高等学校以来の友人エルネスト・ドラエーに宛てた手紙①は
「地獄の季節」執筆の経緯(いきさつ)を知る資料としても
重要な位置づけをされるもので
現在では、多くの翻訳が行われていますが、
中原中也は、これを
昭和9年1月1日発行の「紀元」新年小説号に発表しました。

「新字・新かな」表記で読みます。
洋数字変換したところもあります。
原作にない行アキを加え、読みやすくしてあります。

 *

 ランボー書簡1 ドラエー宛

シャルルビル在住
 エルネスト・ドラエー宛

               ライトゥにて(アティニー郡)
                     千八百七十三年五月

 拝啓、同封の水彩画ご覧になって、小生現在の生活がお分かりのことと存じます。
 おお自然よ! おおわが母よ! です。

   ペン画

〔空には、顕置台の上に、鋤を持った小さな無邪気な人物が居て、その口からはこんな言葉が出ている、《おお自然、おおわが妹!》――地には、上のよりもっと大きい男が、木靴を穿いて手にシャベルを持って、綿(めん)の頭巾を冠って花や草や木の中に立っている。草の所では鵞鳥がその嘴でこんなことを言っている、《おお自然、おおわが叔母!》〕

これらの田舎者達は、なんと朴訥な怪物達でしょう! 夕方には、2里の道を辿らなければならず、飲むためにはもっと歩かなければなりません。母が小生をこの悲しい土地に押し込めたのです。

   ペン画

〔『地獄の季節』が書かれた家、その家では又、印刷に付されたその小著はランボー自(みずか)らの手に棄却された、その家から眺められたローシュの部落。この素描の下方には《我が村、ライトゥ》とある。〕

 小生には、ここからどうして、抜け出したものか分かりません。どっちみち出るつもりではいますが、小生はシャルルビルと、カッフェ・ユニーベールと、図書館等を懐かしく思います……。勉強の方はキチキチと運んでいます。数篇の小話を書きました。それらには、異端の書、もしくは黒ん坊の書という題を付けるつもりです。それらの小話は愚直にして無辜なものです。おお無辜、無辜、無辜、無辜……もう沢山!

べルレーヌは、ノール・デスト紙の印刷者、ドバン氏と商議するという難題を貴下に持ち掛けたことと存じます。ドバン氏は、ベルレーヌの本(註。―『言葉なき歌』のこと。)を安く、小綺麗に作りもしましょう。ただ、ノール・デスト紙に使い古した活字を用いてさえくれなければよいと思います。

 右、自然の観賞に夢中だということをお知らせしたかったまでです。
 再会を期して貴下の手を握ります。
                                       R

 ベルレーヌは貴下に、18日日曜日、ブイヨンにて会いたい旨言ってやったことと思いますが、小生はその日は、行くことが出来ません。貴下が行かれれば、ベルレーヌはきっと、小生もしくは彼の散文の数篇を小生に返すようお托しすることと存じます。(註。―この会合はブイヨンで5月24日に行われた。そこでベルレーヌとランボーとは英国に向けて再度旅行することとなり、7月にはまた帰って来たが、かのブリュッセルでの不幸な事件は、ついで起こったことであった。)

 母はシャルルビルに来る6月中には帰ります。それは確かです。小生もあの綺麗な町に、暫く滞在したいものと思っています。

 太陽はやりきれなく、今朝は氷が張っております。一昨日は、人口1万の郡庁所在地、ブージェに例の普露西人達を訪ねました。ここから2里足らずの所です。それは小生の元気を回復させました。

 小生は今、大変困っています。1冊の本もありません。近くに居酒屋もなく町に事件もありません。なんとこのフランスの田舎のやりきれないことでしょう。小生の運命は、全くこの書(註。―『地獄の季節』のこと。)この狂暴な小話は、なお6篇ばかり書かなければなりません。その狂暴さを今ここで、どんなに申したらよいでしょうか? 既に出来上がっているのが3篇ありますが、(註。『地獄の季節』は9章よりなる。)今日はお送りしますまい、お金がかかるからです!(註。―ランボーは例によって、母から1銭も持たされず、うっちゃらかしにされていた。)やれやれ!
                             ではさようなら、御機嫌よう
                                            Rimb

近々に切手お送りしますから、普及版屋のゲーテのファウスト御送付下さい。送料は1スーだったと思っています。
 なお本屋の新刊中に、シェークスピアの訳本あらば、御報知下さい。
 その最近のカタログお送り下されば幸甚に存じます。
                                     R

※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、「新字・新かな」で表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

 

2012年8月26日 (日)

中原中也が訳したランボーと「第2次ベリション版ランボー著作集」

「中原中也が訳したランボー」のうち
韻文(詩)をざっと読み終えました。

数えてみれば、
原典である第2次ベリション版「ランボー著作集」に64篇あり
このうち8篇は訳出がなく
4篇は、訳されながら「ランボオ詩集」に収録されませんでしたが
この4篇は、読んでみました。

ここで、中原中也訳の「ランボオ詩集」の目次と
第2次ベリション版の目次を対照しておきましょう。
▲は、翻訳されていながら収録されなかった4篇
●は、翻訳されていない8篇。(タイトル訳は宇佐美斉によります。)

<初期詩篇Premiers vers>

「感動」Sensation
「フォーヌの頭」Tête de Faune
▲「ソネット」Sonnet
「びつくりした奴等」Les Effarés
「谷間の睡眠者」Le Dormeur du val
「食器戸棚」Le Buffet
「わが放浪」Ma Bohème
●Les Douaniers
「蹲踞」Accroupissements
「坐つた奴等」Les Assis
「夕べの辞」Oraison du soir
●Chant de guerre parisien
●Paris se repeuple
「教会に来る貧乏人」Les Pauvres à l’église
「七才の詩人」Les Poètes de sept ans
「盗まれた心」Le Cœur volé
「ジャンヌ・マリイの手」Les Mains de Janne-Marie
「やさしい姉妹」Les Sœurs de charité
「最初の聖体拝受」Les Premières Communions
「酔ひどれ船」Bateau ivre
「虱捜す女」Les Cherecheuses de poux
「母音」Voyelles
「四行詩」Quatrain
「烏」Les Corbeaux

<飾画篇Les Illuminations>

▲「眩惑」Vertige
「静寂」Silence
「涙」Larme
「カシスの川」La Rivière de Cassis
「朝の思ひ」Bonne Pensée du matin
「ミシェルとクリスチイヌ」Michel et Christine
「渇の喜劇」Comédie de la Soif
「恥」Honte
●Mémoire
「若夫婦」Jeune ménage
「忍耐」Patience
「永遠」Éternité
「最も高い塔の歌」Chanson de la plus haute Tour
▲「ブリュッセル」Bruxelles
「彼女は埃及舞妓か?」Est-elle almée?
「幸福」Bonheur
▲「黄金期」Age d’Or
「飢餓の祭り」Fêtes de la Faim
「海景」Marine
●Mouvement

<追加篇Appendice>

「孤児等のお年玉」Les Étrennes des orphelins
●Le Forgeron
「太陽と肉体」Soleil et Chair
「オフェリア」Ophélie
「首吊人等の踊り」Bal des pendus
「タルチュッフの懲罰」Le châtiment de Tartufe
「海の泡から生れたヴィナス」Véus anadyomèn
「ニイナを抑制するものは」Ce qui retient Nina
「音楽堂にて」A la musique
「喜劇・三度の接唇」Comédie en trois baisers
「物語」Roman
「冬の思い」Rêvé pour I’hiver
「災難」Le Mal
「シーザーの激怒」Rages de César
「キャバレ・ヹールにて」Au Cabaret-Vert
「花々しきサールブルックの勝利」L’Éclatante Victoire de Sarresbruck
「いたずら好きな女」Le Maline
●Mes petites amoureuses
●L’Homme juste
(※「新編中原中也全集」第3巻 翻訳・解題篇より。)

ここまでが、第2次ベリション版「ランボー著作集」から見た
中原中也のランボー翻訳ということになります。

中原中也訳「ランボオ詩集」には
このほかに、
「附録」として「失はれた毒薬」が収録され、
「後記」もあります。

「失はれた毒薬」は、
現在では、ランボーの作ではないことが確定しているため
ここでは、あえて、読みませんでした。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年8月25日 (土)

中原中也が訳したランボー「眩惑」Vertige

「眩惑」Vertigeは
もとは無題の詩でしたが
第2次ベリション版で勝手にタイトルをつけられてしまったものです。
「ソネット」の場合もそうでした。

この詩に関しては
大岡昇平が、

個人的な回想を記すなら、私は昭和3年、2か月ばかり中原からフランス語を習った。飲み代を家から引き出すための策略だが、「ランボー作品集」をテクストに、1週間の間に各自、1篇を訳して見せ合った。私の記憶では中原が「飾画」を、私が「初期詩篇」を受持った。彼は「眩惑」「涙」などを、私は「谷間の睡眠者」「食器戸棚」「夕べの辞」「フォーヌの顔」「鳥」「盗まれた心」を訳し、二人で検討した。

――などと書いたことが参考になります。(「中原中也全集」解説「翻訳」)

翻訳のコラボみたいなことを
二人が昭和3年に行って、
その時に「眩惑」を中原中也が担当したということです。
この時とその後と、何度か推敲された形跡が残ります。

何が歌われているのか、
ややわかりにくいので、
「ランボー全詩集」の宇佐美斉の訳注を見ると

これをパリ・コミューンの革命的な信条と結び付けて1871年の作とする見方があるが、そのイメージの展開や激越な語り口はむしろ「地獄の季節」の「悪い血」の幾箇所かを想起させる。

全世界の破壊と混沌を希求するこの詩のアナーキーな主題は、おそらく特定の歴史的現実を超えたものであるだろう。

――とあり、またこの詩の最終行について、

12音節詩句4行6連からなるテクストの末尾に、作者介入のことばとして付け加えられたこの1行のみは9音節詩句であり、リズム面での断絶も顕著である。

――とあります。

中原中也が訳した最終行は、
(無義。其の処にありぬ、我常にも其の処にありぬ。)は
宇佐美のわかりやすい現代語訳ならば

大丈夫だ おれはここにいる ずっとここにこうしている

――ということになり、
この詩の「破壊的なエネルギー」を
ランボー自ら抑制する呼吸で介入したものという解釈です。

最後に詩世界に詩人自ら登場し
「眩惑」の中で、大丈夫、とうそぶいている詩と読むのです。

第14行の「躁暴旋渦」は
旋風、渦巻く風の意味のtourbillonsを
中原中也は造語で表現したものらしく
無理な印象があるのを否めません。

また
第25行の「とまれ」に※を付し
末尾に「※とにまれ、とにもかくにもなり。」と意味を記しているのも異例で
この※はやがて公開する段になっては
削除する予定だったことを示すのとあわせて
大岡昇平との議論が反映されていることをも物語るのかも知れず
そうとなれば
その議論の内容を想像する楽しみも生まれてこようというものです。

昭和3年といえば
小林秀雄から大岡昇平を紹介された年ですし
小林秀雄は長谷川泰子と別れた年でもありました。

中原中也が翻訳に取りくみはじめて間もないころですが
考えてみれば
早い時期から翻訳に手を染めていた、という事実に驚かされるばかりです。

 *

 眩惑   アルチュール・ランボー

我が心よ、これは何だ? 血の卓布
燠の卓布。千・殺戮の卓布、すべての秩序が地獄堕ちせし
狂えるながき叫びの卓布、
さて北風はこともなくそが残骸の上を往き過ぎる、

復讐ってのか?――つまるめえ!……だってもね、
やれさ事業家、国王や、また元老院。
倒せよ、権力、正義と歴史。くたばらしちめえ!
してそれからだ、血だ血だ金の赤い焔だ。

戦い、仇討、恐懼のすべて。
わたしの意(こころ)は傷口でまわるわ!
失(う)せろい! 騒ぎよ国王よ、
連隊、移民、また人民。沢山だ!

誰か起すか、我ら及び四海の
我らが兄弟躁暴旋渦を?
我にとりては可笑しきやからの、それそれ我を喜ばせんと、
――旅行の仕儀でもあるめえな、おお波、火の波!

欧洲、亜細亜、亜米利加の、亡びもゆけよ。
我らが呪いの旗挙げは、
町に田畠に! 砕けよや砕けよや!
火山よ飛べよ、海打てよ!

おお我が友よ!――そは確かなり彼らわが血肉!
知れざる闇よ、※とまれ我ら行くなり!
おおこの凶運! 我が身ぞ慄う、老いたる地球よ、
やがてはわれの汝(なれ)にまで、地の底の底!

        ―――

(無義。其の処にありぬ、我常にも其の処にありぬ。)
     ※とにまれ、とにもかくにもなり。

※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新字・新かなで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

<新漢字・歴史的かな遣いによる>
 眩惑   アルチュール・ランボー

我が心よ、これは何だ? 血の卓布
燠の卓布。千・殺戮の卓布、すべての秩序が地獄堕ちせし
狂へるながき叫びの卓布、
さて北風はこともなくそが残骸の上を往き過ぎる、

復讐つてのか?――つまるめえ!……だつてもね、
やれさ事業家、国王や、また元老院。
倒せよ、権力、正義と歴史。くたばらしちめえ!
してそれからだ、血だ血だ金の赤い焔だ。

戦ひ、仇討、恐懼のすべて。
わたしの意(こころ)は傷口でまはるわ!
失(う)せろい! 騒ぎよ国王よ、
聯隊、移民、また人民。沢山だ!

誰か起すか、我ら及び四海の
我らが兄弟躁暴旋渦を?
我にとりては可笑しきやからの、それそれ我を喜ばせんと、
――旅行の仕儀でもあるめえな、おゝ波、火の波!

欧洲、亜細亜、亜米利加の、亡びもゆけよ。
我らが呪ひの旗挙げは、
町に田畠に! 砕けよや砕けよや!
火山よ飛べよ、海打てよ!

おゝ我が友よ!――そは確かなり彼らわが血肉!
知れざる闇よ、※とまれ我ら行くなり!
おゝこの凶運! 我が身ぞ慄ふ、老いたる地球よ、
やがてはわれの汝(なれ)にまで、地の底の底!

        ―――

(無義。其の処にありぬ、我常にも其の処にありぬ。)
     ※とにまれ、とにもかくにもなり。

※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年8月24日 (金)

中原中也が訳したランボー「ソネット」Sonnet

「ソネット」Sonnetは
中原中也が「翻訳詩」と題して使用していた大学ノートに
自筆で書かれている作品です。

この大学ノートは
「ノート小年時」と同種のノートで
後に角川全集の編集委員により
「ノート翻訳詩」と呼ばれ、定着しました。

66枚、132ページが残るほかに
別のノートから1枚、2ページが添付されていますから
134ページを「ノート翻訳詩」と呼びます。

タイトルに続くエピグラフは
ポール・ド・カサニャックというボナパルティストが
日刊新聞「祖国」に寄せた1870年7月16日付けの記事を要約したもので
ランボーはこの記事が
フランス革命の犠牲者の名を持ち出して
ナポレオン3世のプロシアへの宣戦布告を正当化する
プロパガンダをねらったものと見て怒り、
この詩を作成したものといわれています。

詩の中に「ヴァルミィの死者」とありますが、
「バルミーの戦い」は
高校世界史の教科書で習った記憶がよみがえってくる
有名な戦いですね。

フランス革命政府の国民軍(サンキュロット)が
初めて外国の軍隊と戦って勝利したのが
1792年9月20日のバルミーの戦いでした。
この戦いで亡くなった犠牲者もおびただしく
その犠牲者の栄光や無念さを踏みにじる記事を
ランボーは許せなかったのでしょう。

フルールの死者は、
1794年6月26日にオーストリア軍に勝利したフルーリュスの戦い、
イタリイの死者は、
ナポレオン指揮下のフランス軍が、オーストリア軍に連勝した1796年のイタリア戦役のこと。

フランス革命からナポレオン政権初期の戦いの死者たちへ
ランボーは特別に敬意の眼差しを向けていたといえるのでしょうか。

中原中也の訳は
未完成稿のためか、
下(もと)、眼(まなこ)の2語に
ルビが振られているだけで、
フィニッシュ・ワークを加えていない感じが
全篇を通じて残っています。

 *

 ソネット   アルチュール・ランボー

       七十の仏蘭西人、ナポレオン主義者、共和党員、
       九十二年に於けるあなたがたの父親達を思い起す
       が好い……    (Paul Cassagnac.Le Pays.)

九十二年と九十三年との死者たち
自由の強き接唇に蒼ざめはてし、
鎮めよ、
汝等が木靴の下(もと)に。

嵐の中にて大いなる恍惚を知る人、
あなたがたの真情は襤褸の下の愛で翔ける、
おお、『死』の播いた兵卒、それらを再生せしむべく
古き畑を与うなる高貴な情人、死。

汚されたすべての名誉を血をもて濯いだあなたがた、
ヴァルミィの死者、フルールの死者、イタリイの死者、
優しき蔭ある眼(まなこ)の千のキリストよ、

共和の名に於て我々はあなたがたを眠らせよう、
棒杭の前での如く国王の前に跪く我々に、
カサニャックの同勢はあなたがたのことを想い出させる!

※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新字・新かなで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

<新漢字・歴史的かな遣いによる>
 ソネット   アルチュール・ランボー

       七十の仏蘭西人、ナポレオン主義者、共和党員、
       九十二年に於けるあなたがたの父親達を思ひ起す
       が好い……    (Paul Cassagnac.Le Pays.)

九十二年と九十三年との死者たち
自由の強き接唇に蒼ざめはてし、
鎮めよ、
汝等が木靴の下(もと)に。

嵐の中にて大いなる恍惚を知る人、
あなたがたの真情は襤褸の下の愛で翔ける、
おお、『死』の播いた兵卒、それらを再生せしむべく
古き畑を与ふなる高貴な情人、死。

汚されたすべての名誉を血をもて濯いだあなたがた、
ヴァルミィの死者、フルールの死者、イタリイの死者、
優しき蔭ある眼(まなこ)の千のキリストよ、

共和の名に於て我々はあなたがたを眠らせよう、
棒杭の前での如く国王の前に跪く我々に、
カサニャックの同勢はあなたがたのことを想出させる!

※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年8月23日 (木)

中原中也が訳したランボー「黄金期」Age d’Or

「黄金期」Age d’Orは
第2次ベリション版「ランボー著作集」のうち
中原中也が翻訳したにもかかわらず
「ランボオ詩集」に収録しなかった4篇の一つ。
「ブリュッセル」とともに「翻訳詩ファイル」に記されてあります。

第3連と第7連と第8連には
各連全体を片方の中括弧={ でくくった上で
Terque quaterque=3回でも4回でも
Pluries=何回でも
Indesinenter=いつまでも、
――と、ラテン語の註がある詩です。

この註は
ランボーがこの詩に
「多声的な歌謡」を意図したものといわれ
中原中也が
忠実にその意図を翻訳しようとした跡が見られますが
ラテン語は訳しませんでした。

このあたりことが
「ランボオ詩集」未収録の理由なのか、
確かなことは言えません。

ルビは
最終連の「妹(いも)」だけにあり、
この「妹=いも」が
「山羊の歌」の中の「少年時」にある
「妹よ」とのつながりを連想させて
大変に興味深いことです。

「山羊の歌」の「妹よ」は、
やはり、
「いも」と読むのがふさわしいのかもしれませんから。

 *

 黄金期   アルチュール・ランボー

   声の或るもの、
   ――天子の如き!――
   厳密に聴きとれるは
   私に属す、

   酔と狂気とを
   決して誘わない、
   かの分岐する
   千の問題。

Terque quaterque
   悦ばしくたやすい
   この旋回を知れよ、
   波と草本、
   それの家族の!

   それからまた一つの声、
   ――天子の如き!――
   厳密に聴きとれるは
   私に属す、

   そして忽然として歌う、
   吐息のように、
   劇しく豊かな
   独乙のそれの。

   世界は不徳だと
   君はいうか? 君は驚くか?
   生きよ! 不運な影は
   火に任せよ……

Pluries
   おお美しい城、
   その生は朗か!
   おまえは何時の代の者だ?
   我等の祖父の
   天賦の王侯の御代のか。
  
  
Indesinenter
   私も歌うよ!
   八重なる妹(いも)よ、その声は
   聊かも公共的でない、
   貞潔な耀きで
   取り囲めよ私を。

※第3、7、8連の表記は、原作と異なります。              
※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新字・新かなで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

<新漢字・歴史的かな遣いによる>
 黄金期   アルチュール・ランボー

   声の或るもの、
   ――天子の如き!――
   厳密に聴きとれるは
   私に属す、

   酔と狂気とを
   決して誘はない、
   かの分岐する
   千の問題。

Terque quaterque
   悦ばしくたやすい
   この旋回を知れよ、
   波と草本、
   それの家族の!

   それからまた一つの声、
   ――天子の如き!――
   厳密に聴きとれるは
   私に属す、

   そして忽然として歌ふ、
   吐息のやうに、
   劇しく豊かな
   独乙のそれの。

   世界は不徳だと
   君はいふか? 君は驚くか?
   生きよ! 不運な影は
   火に任せよ……

Pluries
   おゝ美しい城、
   その生は朗か!
   おまへは何時の代の者だ?
   我等の祖父の
   天賦の王侯の御代のか。
  
  
Indesinenter
   私も歌ふよ!
   八重なる妹(いも)よ、その声は
   聊かも公共的でない、
   貞潔な耀きで
   取り囲めよ私を。

※※第3、7、8連の表記は、原作と異なります。
※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年8月21日 (火)

中原中也が訳したランボー「ブリュッセル」Bruxelles

第2次ベリション版「ランボー著作集」のうち
中原中也が翻訳したにもかかわらず
「ランボオ詩集」に収録しなかった4篇の一つが
「ブリュッセル」Bruxellesです。

大学ノート5枚(10ページ)を
ホッチキスで綴じたものが
中原中也によって残されていて、
このノートを「翻訳詩ファイル」と呼んでいます。
このファイルに2ページにわたって記されています。

第10行、
鳥の群だ、オ イア イオ、イア イオ!……
――が
「山羊の歌」中「初期詩篇」の「冬の雨の夜」第8行、
aé ao,aé ao,aéo éo
――連想させ、
早い時期のランボー受容と見られます。
確証できる証拠はありませんが
この言葉使いそのものが語っている関係は明らかです。

また、ファイル中の詩篇の末尾には
「この詩には想像が乏しい。ランボオの旅行先ってのは蓋してこのざまなんだ」とあるのが
抹消されているそうですが、
この評価が
「ランボオ詩集」未収録の理由なのかも断定できません。
(「新編中原中也全集」第3巻 翻訳・解題篇)

「常春藤」は、「きづた」
「茲に」は、「ここに」
「四阿屋」は、「あずまや」
「愛蘭土」は、アイルランド
「蝸牛」は、「かたつむり」ですが
詩人によるルビはなく、
「叢(むら)」「黄楊(つげ)」だけにルビが振られています。

 *

 ブリュッセル
      七月。レジャン街。

快きジュピター殿につづける
葉鶏頭の花畑。
――これは常春藤の中でその青さをサハラに配る
君だと私は知っている。

して薔薇と太陽の棺と葛のように
茲に囲われし眼を持つ、
小さな寡婦の檻!……
           なんて
鳥の群だ、オ イア イオ、イア イオ!……

穏やかな家、古代の情熱!
ざれごとの四阿屋。
薔薇の木の叢(むら)尽きる所、蔭多きバルコン、
ジュリエットよりははるか下に。

ジュリエットは、アンリエットを呼びかえす、
千の青い悪魔が踊っているかの
果樹園の中でのように、山の心に、
忘られない鉄路の駅に。

ギターの上に、驟雨の楽園に
唱う緑のベンチ、愛蘭土の白よ。
それから粗末な食事場や、
子供と牢屋のおしゃべりだ。

私が思うに官邸馬車の窓は
蝸牛の毒をつくるようだ、また
太陽にかまわず眠るこの黄楊(つげ)を。
              とにまれ
これは大変美しい! 大変! われらとやかくいうべきでない。
       *
――この広場、どよもしなし売買いなし、
それこそ黙った芝居だ喜劇だ、
無限の舞台の連なり、
私はおまえを解る、私はおまえを無言で讃える。
                
※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新字・新かなで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

<新漢字・歴史的かな遣いによる>
 ブリュッセル
      七月。レヂャン街。

快きジュピター殿につゞける
葉鶏頭の花畑。
――これは常春藤の中でその青さをサハラに配る
君だと私は知つてゐる。

して薔薇と太陽の棺と葛のやうに
茲に囲はれし眼を持つ、
小さな寡婦の檻!……
           なんて
鳥の群だ、オ イア イオ、イア イオ!……

穏かな家、古代の情熱!
ざれごとの四阿屋。
薔薇の木の叢(むら)尽きる所、蔭多きバルコン、
ジュリエットよりははるか下に。

ジュリエットは、アンリエットを呼びかへす、
千の青い悪魔が踊つてゐるかの
果樹園の中でのやうに、山の心に、
忘られない鉄路の駅に。

ギタアの上に、驟雨の楽園に
唱ふ緑のベンチ、愛蘭土の白よ。
それから粗末な食事場や、
子供と牢屋のおしやべりだ。

私が思ふに官邸馬車の窓は
蝸牛の毒をつくるやうだ、また
太陽にかまはず眠るこの黄楊(つげ)を。
              とにまれ
これは大変美しい! 大変! われらとやかくいふべきでない。
       *
――この広場、どよもしなし売買ひなし、
それこそ黙つた芝居だ喜劇だ、
無限の舞台の連り、
私はおまへを解る、私はおまへを無言で讃へる。

※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年8月20日 (月)

中原中也が訳したランボー「いたずら好きな女」Le Malineその2

「いたずら好きな女」Le Malineは
西条八十や粟津則雄は、
中原中也と同じ「いたずら好きな女」ですが
金子光晴だと、「こまっちゃくれた娘」、
堀口大学だと、「おませな娘」、
鈴木創士だと、「いたずら娘」、
鈴村和成だと、「おませな女の子」、
宇佐美斉だと、「隅におけない娘」……と
さまざまな日本語に訳されていて、
タイトルを見ただけで
訳者それぞれのランボー観が出ていることを
あらためて知ることになる作品です。

同じようなことは
最終行のカッコ付きの発言(セリフ)の訳し方にも表れます。

西条八十は、「ここを触って見て。‘ちょっぴり’頬ぺたが冷たいの……」、
粟津則雄は、「ねえ私、ほっぺたに風邪をひいたの……」、
金子光晴は、「ほら、さわって。頬っぺたがこんなに冷たいのよ」、
堀口大学は、「さわってみてよ、あたし頬っぺに風邪ひいちゃったらしいのよ……。」、
鈴木創士は、「ねえ、臭いをかいでよ、あたし、ほっぺが冷たくなっちゃった…」、
鈴村和成は、「ねえ、感じる。ほっぺにお風邪‘さん’ひいちゃってよ……」、
宇佐美斉は、「ねえ触ってみて 頬っぺがこんなに冷たいのよ……」
――といったように。
(※傍点は‘ ’で示しました。編者。)

この詩に現われる女性を
どのようにとらえるかで
セリフの訳し方にこんなに違いが出ますし
それは詩の読み方全体の違いにもなるというわけです。

当たり前のことですが。

ランボーが
その放浪の早い時期に
シャルルロアという小さな町のカフェかキャバレーかで
出くわしたベルギー女性をどのように感じ
どのように表現したのか――。

中原中也は
詩を作っているランボーの心持ちに沿おうとし

「下手な襟掛」
「桃の肌えのその頬を」
「子供のようなその口はとンがらせている」
「私に媚びる」
「接唇(くちずけ)してくれと云わんばかりに」
「ねえ、あたし頬(ほっぺた)に風邪引いちゃってよ……」

などと、律儀なほど控えめに

出来る限り逐字訳をしながら、その逐字訳が日本語になっているように気を付けた。
語呂ということも大いに尊重したが、語呂のために語義を無視するようなことはしなかった。

――と、「後記」に記したような翻訳態度を堅持しました。

中原中也訳が
現在も精彩を失わないでいるのは
翻訳というものへの、
この原則的姿勢によるものです。

言葉が立っているのは
この翻訳姿勢にありながら
自身の創作詩を生むための
命がけの格闘(言葉との)を日常としているからです。

 *

 いたずら好きな女

ワニスと果物の匂いのする、
褐色の食堂の中に、思う存分
名も知れぬベルギー料理を皿に盛り、
私はひどく大きい椅子に埋まっていた。

食べながら、大時計(オルロージュ)の音を聞き、好い気持でジッとしていた。
サッとばかりに料理場の扉(と)が開くと、
女中が出て来た、何事だろう、
とにかく下手な襟掛をして、ベルギー・レースを冠っている。

そして小さな顫える指で、
桃の肌えのその頬を絶えずさわって、
子供のようなその口はとンがらせている、

彼女は幾つも私の近くに、皿を並べて私に媚びる。
それからこんなに、――接唇(くちずけ)してくれと云わんばかりに――
小さな声で、『ねえ、あたし頬(ほっぺた)に風邪引いちゃってよ……』
               シヤルルロワにて、一八七〇、十月。
                
※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新字・新かなで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

<新漢字・歴史的かな遣いによる>
 いたづら好きな女

ワニスと果物の匂ひのする、
褐色の食堂の中に、思ふ存分
名も知れぬベルギー料理を皿に盛り、
私はひどく大きい椅子に埋まつてゐた。

食べながら、大時計(オルロージュ)の音を聞き、好い気持でジツとしてゐた。
サツとばかりに料理場の扉(と)が開くと、
女中が出て来た、何事だらう、
とにかく下手な襟掛をして、ベルギー・レースを冠つてゐる。

そして小さな顫へる指で、
桃の肌へのその頬を絶えずさはつて、
子供のやうなその口はとンがらせてゐる、

彼女は幾つも私の近くに、皿を並べて私に媚びる。
それからこんなに、――接唇(くちづけ)してくれと云はんばかりに――
小さな声で、『ねえ、あたし頬(ほつぺた)に風邪引いちやつてよ……』
               シヤルルロワにて、一八七〇、十月。

※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年8月19日 (日)

中原中也が訳したランボー「いたずら好きな女」Le Maline

「いたずら好きな女」Le Malineの末尾には
「シャルルロアにて、1870、10月。」とあり、
「キャバレ・ヹールにて」
「花々しきサアルブルックの勝利」
――と「シャルルロア詩篇」と呼んで差し支えない作品が3作続きます。

そして、この作品は、
中原中也訳「ランボオ詩集」の「追加篇」の末尾に配置された
最後のランボー作品です。

――と、当たり前のようなことを
なぜ、言うかというと……。

中原中也が「ランボオ詩集」を翻訳発行するとき、
小林秀雄から渡されていた「失われた毒薬」というフランス語詩を
「初期詩篇」でもなく
「飾画篇」でもなく
「追加篇」でもなく
「附録」として、巻末に収録したのは
このとき、ランボーの作品であるかどうかが不明だったからです。

この異例ともいうべき収録については
「後記」に記されてありますが
中原中也没後、現在に至るまでには、
ランボー研究は進化し
「失われた毒薬」がランボー作品ではないことがほぼ確定しています。

「いたずら好きな女」が「追加篇」の末尾にあり、
現在ではジェルマン・ヌーボーの作品であることが判明している「失われた毒薬」が
付録として「いたずら好きの女」の次に置かれ
「後記」に続く形となっているのはこうした事情からです。

ところで
第2次ベリション版「ランボー著作集」を原典としている中原中也訳は、
すべての詩の完訳ではなく、
計12篇が収録されていません。

中原中也訳「ランボオ詩集」に収録されていない12篇は、
以下の通りです。

① 翻訳されていながら収録されなかった4篇
「ソネット」
「眩惑」
「ブリュッセル」
「黄金期」

② 翻訳されていない8篇
「税官吏」Les Douaniers
「パリの軍歌」Chant de guerre parisien
「パリは再び大賑わい」Paris se repeuple
「記憶」Mémoire
「運動」Mouvement
「鍛冶屋」Le Forgeron
「ぼくのかわいい恋人たち」Mes petites amoureuses
「正義の人」L’Homme juste
(※タイトル訳出は宇佐美斉による。「新編中原中也全集」第3巻 翻訳・解題篇より。)

この中の「正義の人」が
第2次ベリション版「ランボー著作集」の巻末詩です。

 *

 いたずら好きな女

ワニスと果物の匂いのする、
褐色の食堂の中に、思う存分
名も知れぬベルギー料理を皿に盛り、
私はひどく大きい椅子に埋まっていた。

食べながら、大時計(オルロージュ)の音を聞き、好い気持でジッとしていた。
サッとばかりに料理場の扉(と)が開くと、
女中が出て来た、何事だろう、
とにかく下手な襟掛をして、ベルギー・レースを冠っている。

そして小さな顫える指で、
桃の肌えのその頬を絶えずさわって、
子供のようなその口はとンがらせている、

彼女は幾つも私の近くに、皿を並べて私に媚びる。
それからこんなに、――接唇(くちずけ)してくれと云わんばかりに――
小さな声で、『ねえ、あたし頬(ほっぺた)に風邪引いちゃってよ……』
               シヤルルロワにて、一八七〇、十月。
                
※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新字・新かなで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

<新漢字・歴史的かな遣いによる>
 いたづら好きな女

ワニスと果物の匂ひのする、
褐色の食堂の中に、思ふ存分
名も知れぬベルギー料理を皿に盛り、
私はひどく大きい椅子に埋まつてゐた。

食べながら、大時計(オルロージュ)の音を聞き、好い気持でジツとしてゐた。
サツとばかりに料理場の扉(と)が開くと、
女中が出て来た、何事だらう、
とにかく下手な襟掛をして、ベルギー・レースを冠つてゐる。

そして小さな顫へる指で、
桃の肌へのその頬を絶えずさはつて、
子供のやうなその口はとンがらせてゐる、

彼女は幾つも私の近くに、皿を並べて私に媚びる。
それからこんなに、――接唇(くちづけ)してくれと云はんばかりに――
小さな声で、『ねえ、あたし頬(ほつぺた)に風邪引いちやつてよ……』
               シヤルルロワにて、一八七〇、十月。

※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年8月18日 (土)

中原中也が訳したランボー「花々しきサールブルックの勝利」L’Éclatante Victoire de Sarresbruck

「花々しきサールブルックの勝利」L’Éclatante Victoire de Sarresbruckは
中原中也の訳では
「『皇帝万歳!』の叫び共に勝ち得られたる」のサブタイトルがある詩ですが
ほとんどの訳はサブタイトルを省略しているか
序詞「35サンチームでシャルルロワで売っている色鮮かなベルギー絵草紙」と同格にするなど
タイトルへの直接的修飾を避けています。

1870年8月2日に、
フランス軍がプロシア軍を初めて破った
ザールブルックの戦いを
皮肉交じりに歌った作品です。

ザールブルックは
ドイツのフランス国境近くの町で
ザールブリュッケンがドイツ語読み。

三十五サンチームにてシャルルロワで売っている色鮮かなベルギー絵草紙
――と序詞があるように、
35サンチームで売られている絵草紙に描かれた
フランス皇帝の勝利の行進の様子ですが
フランス軍の現実の勝利が
絵草紙さながら安っぽい誇大宣伝であったことを訴えました。
(1サンチームは、100分の1フラン。)

青や黄の、礼讃の中を皇帝は、
燦たる馬に跨って、厳(いか)しく進む、
――は、戯画のような光景として歌われているのです。

現代語化して読んでおきます。

「皇帝万歳!」の叫びとともに勝ち得られた
花々しきザールブルックの勝利

   35サンチームでシャルルロワで売っている色鮮かなベルギー絵草紙

青や黄の、礼讃の中を皇帝は、
燦然と、馬に跨って、厳そかに進む、
嬉しげだ、――今彼の眼には万事がよい、――
残虐なのはゼウスのよう、優しいのは慈父のよう、か。

下の方には、歩兵たち、金色(こんじき)の太鼓の近く
赤色(せきしょく)の大砲(ほづつ)の近く、この今まで昼寝をしていたが、
これからやおら起き上る。ピトーは上衣を着終って、
皇帝の方に振り向いて、大いなる名に茫然自失(ぼんやり)している。

右方には、デュマネーが、シャスポー銃に凭(もた)れかかり、
丸刈の襟首(えりくび)が、顫えわななくのを感じている、
そして、「皇帝万歳!」を唱える。その隣りの男はおし黙っている。

軍帽はあたかも黒い太陽だ!――その真ン中に、赤と青とで彩色された
とても朴訥なボキヨンは、腹を突き出し、ドッカと立って、
後方部隊を前に出しながら、「何のためだ?……」と言ってるようだ。
                   〔一八七〇、十月〕

「贏」とか「捷利」の「捷」とかが、
現在の常用漢字にないのは
中原中也の与り知らぬことですが、
わざわざ難漢字・難熟語を使ったのは
これも風刺・揶揄(やゆ)を込めたからでしょうか。

この詩の中に登場するのは
当時、大衆的人気のあったキャラクターらしく
ビトーは、茫然自失(ぼんやり)しているし、
デュマネーは、丸刈の襟首(えりくび)が、顫えわななくのを感じているし、
ボヨキンは、「何のためだ?……」と言ってるようだし、
みんなが皇帝の凱旋(がいせん)にソッポを向いているのですね。

このあたりが
味わいどころです。

 *

 『皇帝万歳!』の叫び共に勝ち得られたる
 花々しきサールブルックの勝利

   三十五サンチームにてシャルルロワで売っている色鮮かなベルギー絵草紙

青や黄の、礼讃の中を皇帝は、
燦たる馬に跨って、厳(いか)しく進む、
嬉しげだ、――今彼の眼(め)には万事が可(よ)い、――
残虐なることゼウスの如く、優しきこと慈父の如しか。

下の方には、歩兵達、金色(こんじき)の太鼓の近く
赤色(せきしょく)の大砲(ほづつ)の近く、今し昼寝をしていたが、
これからやおら起き上る。ピトーは上衣を着終って、
皇帝の方に振向いて、偉(おお)いなる名に茫然自失(ぼんやり)している。

右方には、デュマネーが、シャスポー銃に凭(もた)れかかり、
丸刈の襟首(えりくび)が、顫えわななくのを感じている、
そして、『皇帝万歳!』を唱える。その隣りの男は押黙っている。

軍帽は恰も黒い太陽だ!――その真ン中に、赤と青とで彩色された
いと朴訥なボキヨンは、腹を突き出し、ドッカと立って、
後方部隊を前に出しながら、『何のためだ?……』と言ってるようだ。
                   〔一八七〇、十月〕

                
※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

<新漢字・歴史的かな遣い版>
 『皇帝万歳!』の叫び共に贏ち得られたる
 花々しきサアルブルックの捷利

   三十五サンチームにてシャルルロワで売つてゐる色鮮かなベルギー絵草紙

青や黄の、礼讃の中を皇帝は、
燦たる馬に跨つて、厳(いか)しく進む、
嬉しげだ、――今彼の眼(め)には万事が可(よ)い、――
残虐なることゼウスの如く、優しきこと慈父の如しか。

下の方には、歩兵達、金色(こんじき)の太鼓の近く
赤色(せきしよく)の大砲(ほづつ)の近く、今し昼寝をしてゐたが、
これからやをら起き上る。ピトウは上衣を着終つて、
皇帝の方に振向いて、偉(おほ)いなる名に茫然自失(ぼんやり)してゐる。

右方には、デュマネエが、シャスポー銃に凭(もた)れかゝり、
丸刈の襟頸(えりくび)が、顫へわななくのを感じてゐる、
そして、『皇帝万歳!』を唱へる。その隣りの男は押黙つてゐる。

軍帽は恰も黒い太陽だ!――その真ン中に、赤と青とで彩色された
いと朴訥なボキヨンは、腹を突き出し、ドツカと立つて、
後方部隊を前に出しながら、『何のためだ?……』と云つてるやうだ。
                   〔一八七〇、十月〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年8月17日 (金)

中原中也が訳したランボー「キャバレ・ヹールにて」Au Cabaret-Vertその2

「キャバレ・ヹールにて」Au Cabaret-Vertの、
5、6日前から、私の靴は、路の小石にやられボロボロだった、
――という冒頭の1行で、
私は出掛けた、ポケットに手を突っ込んで。とはじまる
有名な「わが放浪」を思い出さずにはいられません。

こちらのほうが
「わが放浪」の後に作られたのか
1870年11月2日付けイザンバール宛書簡に

いざゆかん、帽子を被り、頭巾付きのマントをはおり、ポケットに両の拳を突っ込んで、さて出かけるといたしましょう

――などと、「わが放浪」中のとそっくりのフレーズを書き付けていることもあり、
前後は確定できないようです。

詩に流れる気分や空気から
両作品は同時期のものであることは
間違いないことでしょう。

現代語化して
読んでおきます。

 キャバレー・ヴェールにて
       午後の五時。

5、6日前から、私の靴は、路の小石にやられボロボロだった、
ぼくは、シャルルロワに、帰って来ていた。
キャバレー・ヴェールに入りバターサンドイッチとハムサンドイッチをぼくは頼んだ、
ハムの方は少し冷え過ぎていた。

よい気持で、緑のテーブルの下に脚を投げ出して、
ぼくは壁掛布(かべかけ)の、とても素朴な絵を眺めていた。
そこへ眼の生き生きとした、乳房のでっかい娘が、
――とはいえ決していやらしくない!――

ニコニコしながら、バターサンドイッチと、
ハムサンドイッチを派手な色彩(いろどり)の
皿に盛って運んで来たのだ。

桃と白の入り混じったハムはニンニクのたまの香を放ち、
彼女はコップに、午後の陽をうけて
金色に輝くビールを注いだ。
              〔一八七〇、十月〕

北欧の午後5時――。
歩き疲れたからだを
緑のテーブルや
壁に掛かった布の絵で癒した上に
バター・サンドとハム・サンドを気前よく注文すれば、
豊満なバストをゆさゆさ揺らしてベルギー娘が
なみなみと注ぐ金色のビール!

青年ランボーが
彷徨の合間に見つけた
束の間の陶酔。
満足げな姿が浮かんできます。

「金色に輝くビール」といえば、

冷たいコップを燃ゆる手に持ち
夏のゆうべはビールを飲もう
どうせ浮世はサイオウが馬
チャッチャつぎませコップにビール
(「青木三造」)

――という中原中也の創作詩が思い出されますが、
両作品の関係は明らかではありません。

詩が作られた状況がまったく異なりますから
まったく関係ないのかもしれませんが
どんな場合にも
のどの乾きをうるおすビールは
瞬間であれ、金の幸福をもたらすことに変わりはなく
どちらにも同じような幸福の顔が見えます。

 *

 キャバレー・ヴェールにて
       午後の五時。

五六日前から、私の靴は、路の小石にいたんでいた、
私は、シャルルロワに、帰って来ていた。
キャバレ・ヴェールでバターサンドイッチと、ハムサンドイッチを私は取った、
ハムの方は少し冷え過ぎていた。

好い気持で、緑のテーブルの、下に脚を投出して、
私は壁掛布(かべかけ)の、いとも粗朴な絵を眺めてた。
そこへ眼の活々とした、乳房の大きく発達した娘(こ)が、
――とはいえ決していやらしくない!――

にこにこしながら、バターサンドイッチと、
ハムサンドイッチを色彩(いろどり)のある
皿に盛って運んで来たのだ。

桃と白とのこもごものハムは韮の球根(たま)の香放ち、
彼女はコップに、午後の陽をうけて
金と輝くビールを注いだ。
              〔一八七〇、十月〕

                
※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、「新字・新かな」で表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

<新字・旧かな版>
 キャバレ・ヹールにて
       午後の五時。

五六日前から、私の靴は、路の小石にいたんでゐた、
私は、シャルルロワに、帰つて来てゐた。
キャバレ・ヹールでバタサンドヰッチと、ハムサンドヰッチを私は取つた、
ハムの方は少し冷え過ぎてゐた。

好い気持で、緑のテーブルの、下に脚を投出して、
私は壁掛布(かべかけ)の、いとも粗朴な絵を眺めてた。
そこへ眼の活々とした、乳房の大きく発達した娘(こ)が、
――とはいへ決していやらしくない!――

にこにこしながら、バタサンドヰッチと、
ハムサンドヰッチを色彩(いろどり)のある
皿に盛つて運んで来たのだ。

桃と白とのこもごものハムは韮の球根(たま)の香放ち、
彼女はコップに、午後の陽をうけて
金と輝くビールを注いだ。
              〔一八七〇、十月〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年8月16日 (木)

中原中也が訳したランボー「キャバレ・ヹールにて」Au Cabaret-Vert

「キャバレ・ヹールにて」Au Cabaret-Vertも
末尾に、「1870年10月」の日付を持ち
なお、タイトルに、「午後5時」の時刻を持つということで
記録(ドキュメント)の性格が強く打ち出された作品といえるかもしれません。

1870年10月は、
ランボー2度目の放浪(出奔)が決行された時期です。

1870年                 16歳
10月7日(推定) 二度目のシャルルヴィル脱出。フュメ、シャルルロア等を経て、ブリュッセルに行く。
10月20日 イザンバール、ドゥエに帰宅。アルチュールの自作の詩を清書している。
10月末 ランボー夫人の依頼に応じ、イザンバール、アルチュールを警察の手にゆだねる。
12月31日 プロシア軍、メジエールを砲撃、アルチュールの友人ドラエーの家も焼ける。

1871年                 17歳
正月早々、メジエールとシャルルヴィル、プロシア軍に占領される。
1月26日 休戦条約締結。
2月25日 アルチュール、パリに滞在(3度目のシャルルヴィル脱出)。
※宇佐美斉訳「ランボー全詩集」巻末・略年譜より。洋数字に変換してあります。

金子光晴は放浪といい、
堀口大学は出奔といい、
宇佐美斉はシャルルヴィル脱出といいますが、
1870年に2度、1871年に1度、
計3度の故郷脱出をランボーは試みました。

「キャバレ・ヹールにて」は
2度目のシャルルヴィル脱出の時に作られたことが推定できますから、
キャバレーはブリュッセルを目指す途中で寄った
シャルルロアの店です。

1930年代アメリカの片田舎で
ボニーとクライドが邂逅(かいこう)した
映画「俺たちに明日はない」の冒頭シーンが
浮かんできてしまってどうしようもないのですが
キャバレー・ヴェールは
さらに60年も前のベルギー南部の
田舎っぽさの残る町の居酒屋です。

 *

 キャバレー・ヴェールにて
       午後の五時。

五六日前から、私の靴は、路の小石にいたんでいた、
私は、シャルルロワに、帰って来ていた。
キャバレー・ヴェールでバターサンドイッチと、ハムサンドイッチを私は取った、
ハムの方は少し冷え過ぎていた。

好い気持で、緑のテーブルの、下に脚を投出して、
私は壁掛布(かべかけ)の、いとも粗朴な絵を眺めてた。
そこへ眼の活々とした、乳房の大きく発達した娘(こ)が、
――とはいえ決していやらしくない!――

にこにこしながら、バターサンドイッチと、
ハムサンドイッチを色彩(いろどり)のある
皿に盛って運んで来たのだ。

桃と白とのこもごものハムは韮の球根(たま)の香放ち、
彼女はコップに、午後の陽をうけて
金と輝くビールを注いだ。
              〔一八七〇、十月〕

                
※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

<新字・旧かな版>
 キャバレ・ヹールにて
       午後の五時。

五六日前から、私の靴は、路の小石にいたんでゐた、
私は、シャルルロワに、帰つて来てゐた。
キャバレ・ヹールでバタサンドヰッチと、ハムサンドヰッチを私は取つた、
ハムの方は少し冷え過ぎてゐた。

好い気持で、緑のテーブルの、下に脚を投出して、
私は壁掛布(かべかけ)の、いとも粗朴な絵を眺めてた。
そこへ眼の活々とした、乳房の大きく発達した娘(こ)が、
――とはいへ決していやらしくない!――

にこにこしながら、バタサンドヰッチと、
ハムサンドヰッチを色彩(いろどり)のある
皿に盛つて運んで来たのだ。

桃と白とのこもごものハムは韮の球根(たま)の香放ち、
彼女はコップに、午後の陽をうけて
金と輝くビールを注いだ。
              〔一八七〇、十月〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年8月15日 (水)

中原中也が訳したランボー「シーザーの激怒」Rages de Césarその2

「シーザーの激怒」Rages de Césarで
顔面蒼白の男、シーザー
すなわちナポレオン3世はどこにいるか――。

チュイルリー宮殿でもなく
サン・クルーの離宮でもなく
黒衣を装い、葉巻をくわえて歩むのは……

1870年9月2日、スダン陥落に際して、
ナポレオン3世はプロシア軍の捕虜となり、
そのとき幽閉されたヴィルヘルムスヘーエ城の庭園といわれています。
(宇佐美斉訳「ランボー全詩集」脚注)

ということまで分かれば
囚われの身になった原因の一つが教父で
そのことで教父を恨んでいる、という構図が見えますが
その事実があったのか
あったとすれば
それほどはっきりした歴史的事実に基いた詩というのにも
驚かされます。

<現代語訳による>
シーザーの激怒

顔面蒼白の男が、花咲く園を、
黒衣に身を包み、葉巻をくわえて歩んでいる。
蒼白の顔で、チュイルリーの花々(女たち、とりわけ皇后)を思っている。
曇った目に、時々、険しさがみなぎる。

皇帝は、過去20年間に行った饗宴の数々にうんざりしている。
前から彼は思っている、俺は自由なんて吹き消してしまおう、
うまい具合に、ろうそくの火のように、と。
自由がまた生まれて、彼は、茫然としていた。

彼は憑かれていた。その結ばれた口びるに、
誰の名前が震えていたか? 何がそんなに口惜しかったか?
誰にも、それは分からない、もともと皇帝の目は曇っていた。

おそらくはメガネをかけたあの教父、教父のことを恨んでいた、
――サン・クルーの夕べ夕べに、かぼそい雲が流れるように
くわえた葉巻から立ちのぼる、煙をジッと見すえながら。
                           1870年10月

「激怒」とは何だろう、という疑問が残りますが、
それを考えさせるのが
この詩の狙いかもしれません。

 *

<新字・新かな版>
シーザーの激怒

蒼ざめた男、花咲く芝生の中を、
黒衣を着け、葉巻咥えて歩いている。
蒼ざめた男はチュイルリの花を思う、
曇ったその眼(め)は、時々烈しい眼付をする。

皇帝は、過ぐる二十年間の大饗宴に飽き飽きしている。
かねがね彼は思っている、俺は自由を吹消そう、
うまい具合に、臘燭のようにと。
自由が再び生れると、彼は全くがっかりしていた。

彼は憑かれた。その結ばれた唇の上で、
誰の名前が顫えていたか? 何を口惜(くや)しく思っていたか?
誰にもそれは分らない、とまれ皇帝の眼(め)は曇っていた。

恐らくは眼鏡を掛けたあの教父、教父の事を恨んでいた、
――サン・クルウの夕べ夕べに、かぼそい雲が流れるよう
その葉巻から立ち昇る、煙にジッと眼(め)を据えながら。
                    〔一八七〇、十月〕
                
※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

<新字・旧かな版>
 シーザーの激怒

蒼ざめた男、花咲く芝生の中を、
黒衣を着け、葉巻咥へて歩いてゐる。
蒼ざめた男はチュイルリの花を思ふ、
曇つたその眼(め)は、時々烈しい眼付をする。

皇帝は、過ぐる二十年間の大饗宴に飽き/\してゐる。
かねがね彼は思つてゐる、俺は自由を吹消さう、
うまい具合に、臘燭のやうにと。
自由が再び生れると、彼は全くがつかりしてゐた。

彼は憑かれた。その結ばれた唇の上で、
誰の名前が顫へてゐたか? 何を口惜(くや)しく思つてゐたか?
誰にもそれは分らない、とまれ皇帝の眼(め)は曇つてゐた。

恐らくは眼鏡を掛けたあの教父、教父の事を恨んでゐた、
――サン・クルウの夕べ夕べに、かぼそい雲が流れるやう
その葉巻から立ち昇る、煙にジツと眼(め)を据ゑながら。
                    〔一八七〇、十月〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年8月14日 (火)

中原中也が訳したランボー「シーザーの激怒」Rages de César

「シーザーの激怒」Rages de Césarは
古代ローマ皇帝、シーザーに喩えて
時の第2帝政の皇帝、ナポレオン3世を風刺した作品。

ナポレオン3世は
ナポレオン・ボナパルトの弟ルイの息子として生まれ、
1848年から1852年まで第2共和制の大統領、
1852年から1870年まで第2帝政の皇帝として在位、
この詩をランボーが作った当時は、
対プロシャ戦争を指揮する最高責任者ですから
相当、危険な内容でした。

顔面蒼白の男が、花咲く園を、
黒衣に身を包み、葉巻をくわえて歩んでいる。
蒼白の顔で、チュイルリーの花々(女たち、とりわけ皇后)を思っている。
曇った目に、時々、険しさがみなぎる。

皇帝は、過去20年間に行った饗宴の数々にうんざりしている。
前から彼は思っている、俺は自由なんて吹き消してしまおう、
うまい具合に、ろうそくの火のように、と。
自由がまた生まれて、彼は、茫然としていた。

彼は憑かれていた。その結ばれた口びるに、
誰の名前が震えていたか? 何がそんなに口惜しかったか?
誰にも、それは分からない、もともと皇帝の目は曇っていた。

おそらくはメガネをかけたあの教父、教父のことを恨んでいた、
――サン・クルーの夕べ夕べに、かぼそい雲が流れるように
くわえた葉巻から立ちのぼる、煙をジッと見すえながら。
                           1870年10月

チュイルリーは、パリのチュイルリー宮殿のこと。1564年にカトリーヌ・ド・メディシスにより建てられ、1871年のパリ・コミューンで火災にあい、倒壊した。
サン・クルーは、パリ近郊にあったナポレオン3世の離宮のこと。

1870年には、帝政は崩壊寸前
プロシャとの戦争は敗北が火を見るより明きらか。
そんな時、
花咲く庭園を
葉巻をくわえて散策する皇帝は
巻き起こる自由の声をつぶそうとし、
教父のヤツを憎々しく思っていた。
くゆらせた葉巻の煙が立ちのぼるのを
ジッと見つめながら。

ここに登場する教父は
プロシャに宣戦布告した当時の宰相エミール・オリヴィエのことで
原語Compereには「相棒」の意味があるそうです。
(「新編中原中也全集」第3巻 翻訳・本文篇)


ナポレオン3世が
教父を恨んだ理由は分かりませんが
ランボーは
仲間割れの事実を知っていたのでしょうか、
知らなくても
皇帝も教父も「同じ穴のムジナ」ですから
皮肉な眼差しを送っても不思議ではありません。

 *

 シーザーの激怒

蒼ざめた男、花咲く芝生の中を、
黒衣を着け、葉巻咥えて歩いている。
蒼ざめた男はチュイルリの花を思う、
曇ったその眼(め)は、時々烈しい眼付をする。

皇帝は、過ぐる二十年間の大饗宴に飽き飽きしている。
かねがね彼は思っている、俺は自由を吹消そう、
うまい具合に、臘燭のようにと。
自由が再び生れると、彼は全くがっかりしていた。

彼は憑かれた。その結ばれた唇の上で、
誰の名前が顫えていたか? 何を口惜(くや)しく思っていたか?
誰にもそれは分らない、とまれ皇帝の眼(め)は曇っていた。

恐らくは眼鏡を掛けたあの教父、教父の事を恨んでいた、
――サン・クルウの夕べ夕べに、かぼそい雲が流れるよう
その葉巻から立ち昇る、煙にジッと眼(め)を据えながら。
                    〔一八七〇、十月〕
                
※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

<新漢字・歴史的かな遣い版>
 シーザーの激怒

蒼ざめた男、花咲く芝生の中を、
黒衣を着け、葉巻咥へて歩いてゐる。
蒼ざめた男はチュイルリの花を思ふ、
曇つたその眼(め)は、時々烈しい眼付をする。

皇帝は、過ぐる二十年間の大饗宴に飽き/\してゐる。
かねがね彼は思つてゐる、俺は自由を吹消さう、
うまい具合に、臘燭のやうにと。
自由が再び生れると、彼は全くがつかりしてゐた。

彼は憑かれた。その結ばれた唇の上で、
誰の名前が顫へてゐたか? 何を口惜(くや)しく思つてゐたか?
誰にもそれは分らない、とまれ皇帝の眼(め)は曇つてゐた。

恐らくは眼鏡を掛けたあの教父、教父の事を恨んでゐた、
――サン・クルウの夕べ夕べに、かぼそい雲が流れるやう
その葉巻から立ち昇る、煙にジツと眼(め)を据ゑながら。
                    〔一八七〇、十月〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年8月13日 (月)

中原中也が訳したランボー「災難」Le Malその3

「災難」Le Malで
ランボーが歌っているのは
戦争の被害者のことですが
それは同時に受益者への痛烈な風刺でもあります。

被害を受ける存在と
利益を受ける存在という明快さ。

中原中也の訳は
受益者として二つの存在、
被害者として二つの存在を
くっきりと浮かばせます。

第1連で、

その散弾を嘲笑(あざわら)っている、王の近くで
軍隊は、みるみるうちに崩れていく。

――というように、王と軍隊

弟2連では、
造物主である自然(おまえ)として現われ、

第3連では、
聖堂で笑っている神様、
第4連では、

泣きながら2スー銅貨をハンカチの
中から取り出し奉納する時、開眼するのは神様だ

――というように、
泣きながら賽銭(さいせん)を取り出す母親たちと
その時ばかりは、目をぱっちり開ける神様

開眼する、とは!
なんとズバリと決まった訳語!
皮肉が見事に効いています。

王と軍隊と、
泣く母親たちと笑い、開眼する神様

 *

 <現代表記>
 災難

散弾の、赤い泡沫(しぶき)が、ひもすがら
青空の果てで、鳴っている時、
その散弾を嘲笑(あざわら)っている、王の近くで
軍隊は、みるみるうちに崩れていく。

狂気の沙汰がつき砕き
幾数万の人間の血ぬれの堆積(やま)を作る時、
――哀れな死者らは、自然よおまえの夏の中、草の中、歓喜の中、
かつてこれらの人間を、作ったのもおお自然(おまえ)!――

祭壇の、緞子(どんす)の上で香(こう)を焚き
聖餐杯(せいさんはい)を前にして、笑っているのは神様だ、
ホザナの声に揺られて眠り、

悩みにすくんだ母親たちが、古い帽子のその下で
泣きながら2スー銅貨をハンカチの
中から取り出し奉納する時、開眼するのは神様だ
                〔一八七〇、十月〕

 *

 <新字・新かな版>
 災難

霰弾の、赤い泡沫(しぶき)が、ひもすがら
青空の果で、鳴っている時、
その霰弾を嘲笑(あざわら)っている、王の近くで
軍隊は、みるみるうちに崩れてゆく。

狂気の沙汰が搗き砕き
幾数万の人間の血ぬれの堆積(やま)を作る時、
――哀れな死者等は、自然よおまえの夏の中、草の中、歓喜の中、
甞てこれらの人間を、作ったのもおお自然(おまえ)!――

祭壇の、緞子の上で香を焚き
聖餐杯を前にして、笑っているのは神様だ、
ホザナの声に揺られて睡り、

悩みにすくんだ母親達が、古い帽子のその下で
泣きながら二スウ銅貨をハンケチの
中から取り出し奉献する時、開眼するのは神様だ
                〔一八七〇、十月〕
                
※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

<新字・旧かな版>
 災難

霰弾の、赤い泡沫(しぶき)が、ひもすがら
青空の果で、鳴つてゐる時、
その霰弾を嘲笑(あざわら)つてゐる、王の近くで
軍隊は、みるみるうちに崩れてゆく。

狂気の沙汰が搗き砕き
幾数万の人間の血ぬれの堆積(やま)を作る時、
――哀れな死者等は、自然よおまへの夏の中、草の中、歓喜の中、
甞てこれらの人間を、作つたのもおゝ自然(おまえ)!――

祭壇の、緞子の上で香を焚き
聖餐杯を前にして、笑つてゐるのは神様だ、
ホザナの声に揺られて睡り、

悩みにすくんだ母親達が、古い帽子のその下で
泣きながら二スウ銅貨をハンケチの
中から取り出し奉献する時、開眼するのは神様だ
                〔一八七〇、十月〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年8月12日 (日)

中原中也が訳したランボー「災難」Le Malその2

「災難」Le Malが作られたのは1870年で
ランボーとベルレーヌとの邂逅以前です。
パリ・コンミューン前夜です。
そのころの様子を堀口大学は、

1871年(17歳)
2月25日パリへ出奔、徒歩でシャルルヴィルへ帰還。
前年8月よりこの年の2月にいたる期間が、この詩人の一生のうちで最も多作な時期であった。すなわち本集中におさめた「何がニナを引止める」、「のぞき見する子どもたち」、「小説」、「三度の接吻のある喜劇」、「冬のための夢」、「わが放浪」、「『居酒屋みどり』で」、「おませな娘」、「谷間に眠る者」、「音楽につれて」、「七歳の詩人たち」(この一篇の制作時期を1871年5月とする説もあるが、イザンバールは自分の家に滞在中ランボーがこの詩を作ったのは1870年の終りのころだと言っている)、「戦禍」その他の傑作を成したのは、じつにこの放浪の月日の間であったのである。
(「ランボー詩集」新潮文庫)

――と記しています。

「放浪詩篇」と呼び習わされる
一群の詩は
ランボーの初期詩篇中でも
自由、のびやかさ、解放感に満ち溢れ、
青春の謳歌でありながらそれだけでなく、
独特のイロニーが織り交ぜられます。

堀口大学は放浪詩篇をよく訳しました。
中原中也のタイトル(*)を見れば、

「何がニナを引止める」*ニイナを抑制するものは
「のぞき見する子どもたち」*びつくりした奴等
「小説」*物語
「三度の接吻のある喜劇」*喜劇・三度の接唇
「冬のための夢」*冬の思ひ
「わが放浪」*わが放浪
「『居酒屋みどり』で」*キャバレ・ヹールにて
「おませな娘」*いたづら好きな女
「谷間に眠る者」*谷間の睡眠者
「音楽につれて」*音楽堂にて
「七歳の詩人たち」*七才の詩人
「戦禍」*災難

――となります。

堀口大学訳の「戦禍」を読んでおきましょう。

戦禍
堀口大学訳

機関銃の吐(は)き出す真紅(まっか)な血へど
終日、真澄(ますみ)の空かけて、うめきつづけ
赤や緑、軍装はなやかな部隊に相ついで
敵火に滅びゆくさまを、冷やかに、王眺(なが)めたもうというに、

言語道断な狂気沙汰(きちがいざた)のおかげで
幾十万の兵(つわもの)が、見るまに屍(しかばね)の山と変ってゆきつつあるというに、
――大自然よ、哀れじゃないか、夏草に埋(う)もれ、
お前の歓喜のさなかに、死んでゆく者どもが、
お前はあれほど聖(きよ)らなものに、人間を造っておいたのに!――

あきれたものよ、神さまが、金襴(きんらん)の打敷(うちしき)や香(こう)の煙や
黄金(おうごん)の聖餐杯(せいさんはい)にとりまかれ、にやにやしてござるとは、
讃美歌(さんびか)の節(ふし)にゆられて、居眠りをしてござるとは、

しかも、お目々のさめるのは、戦死者の母親たちが、
苦悩にうちひしがれながらも、古ぼけた被(かぶ)り物(もの)の下で、涙にくれながら
手巾(ハンカチ)に包んできた賽銭(さいせん)を、捧(ささ)げ奉る時に限るとは。
                                 Le Mal

フランス語原詩はソネット(4・4・3・3)ですが
堀口大学は
第2連を訳し込んで
5行にしています。

 *

 <現代表記>
 災難

散弾の、赤い泡沫(しぶき)が、ひもすがら
青空の果てで、鳴っている時、
その散弾を嘲笑(あざわら)っている、王の近くで
軍隊は、みるみるうちに崩れていく。

狂気の沙汰がつき砕き
幾数万の人間の血ぬれの堆積(やま)を作る時、
――哀れな死者らは、自然よおまえの夏の中、草の中、歓喜の中、
かつてこれらの人間を、作ったのもおお自然(おまえ)!――

祭壇の、緞子(どんす)の上で香(こう)を焚き
聖餐杯(せいさんはい)を前にして、笑っているのは神様だ、
ホザナの声に揺られて眠り、

悩みにすくんだ母親たちが、古い帽子のその下で
泣きながら2スー銅貨をハンカチの
中から取り出し奉納する時、開眼するのは神様だ
                〔一八七〇、十月〕

 *

 <新字・新かな版>
 災難

霰弾の、赤い泡沫(しぶき)が、ひもすがら
青空の果で、鳴っている時、
その霰弾を嘲笑(あざわら)っている、王の近くで
軍隊は、みるみるうちに崩れてゆく。

狂気の沙汰が搗き砕き
幾数万の人間の血ぬれの堆積(やま)を作る時、
――哀れな死者等は、自然よおまえの夏の中、草の中、歓喜の中、
甞てこれらの人間を、作ったのもおお自然(おまえ)!――

祭壇の、緞子の上で香を焚き
聖餐杯を前にして、笑っているのは神様だ、
ホザナの声に揺られて睡り、

悩みにすくんだ母親達が、古い帽子のその下で
泣きながら二スウ銅貨をハンケチの
中から取り出し奉献する時、開眼するのは神様だ
                〔一八七〇、十月〕
                
※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

<新字・旧かな版>
 災難

霰弾の、赤い泡沫(しぶき)が、ひもすがら
青空の果で、鳴つてゐる時、
その霰弾を嘲笑(あざわら)つてゐる、王の近くで
軍隊は、みるみるうちに崩れてゆく。

狂気の沙汰が搗き砕き
幾数万の人間の血ぬれの堆積(やま)を作る時、
――哀れな死者等は、自然よおまへの夏の中、草の中、歓喜の中、
甞てこれらの人間を、作つたのもおゝ自然(おまえ)!――

祭壇の、緞子の上で香を焚き
聖餐杯を前にして、笑つてゐるのは神様だ、
ホザナの声に揺られて睡り、

悩みにすくんだ母親達が、古い帽子のその下で
泣きながら二スウ銅貨をハンケチの
中から取り出し奉献する時、開眼するのは神様だ
                〔一八七〇、十月〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年8月11日 (土)

中原中也が訳したランボー「災難」Le Mal

「災難」Le Malを
現代表記で読んでみましょう。

「新字・新かな」表記もあります。
「新字・旧かな」表記もあります。

 災難

散弾の、赤い泡沫(しぶき)が、ひもすがら
青空の果てで、鳴っている時、
その散弾を嘲笑(あざわら)っている、王の近くで
軍隊は、みるみるうちに崩れていく。

狂気の沙汰がつき砕き
幾数万の人間の血ぬれの堆積(やま)を作る時、
――哀れな死者らは、自然よおまえの夏の中、草の中、歓喜の中、
かつてこれらの人間を、作ったのもおお自然(おまえ)!――

祭壇の、緞子(どんす)の上で香(こう)を焚き
聖餐杯(せいさんはい)を前にして、笑っているのは神様だ、
ホザナの声に揺られて眠り、

悩みにすくんだ母親たちが、古い帽子のその下で
泣きながら2スー銅貨をハンカチの
中から取り出し奉納する時、開眼するのは神様だ
                〔一八七〇、十月〕

普仏戦争は
16歳のランボーに
どう映っていたのでしょうか――。

神は、王権と聖職とで固められ、
戦争は、神の名で行われるのが当たり前な
キリスト教国家同士の争いでした。

 *

 災難

霰弾の、赤い泡沫(しぶき)が、ひもすがら
青空の果で、鳴っている時、
その霰弾を嘲笑(あざわら)っている、王の近くで
軍隊は、みるみるうちに崩れてゆく。

狂気の沙汰が搗き砕き
幾数万の人間の血ぬれの堆積(やま)を作る時、
――哀れな死者等は、自然よおまえの夏の中、草の中、歓喜の中、
甞てこれらの人間を、作ったのもおお自然(おまえ)!――

祭壇の、緞子の上で香を焚き
聖餐杯を前にして、笑っているのは神様だ、
ホザナの声に揺られて睡り、

悩みにすくんだ母親達が、古い帽子のその下で
泣きながら二スウ銅貨をハンケチの
中から取り出し奉献する時、開眼するのは神様だ
                〔一八七〇、十月〕
                
※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

<新漢字・歴史的かな遣い版>
 災難

霰弾の、赤い泡沫(しぶき)が、ひもすがら
青空の果で、鳴つてゐる時、
その霰弾を嘲笑(あざわら)つてゐる、王の近くで
軍隊は、みるみるうちに崩れてゆく。

狂気の沙汰が搗き砕き
幾数万の人間の血ぬれの堆積(やま)を作る時、
――哀れな死者等は、自然よおまへの夏の中、草の中、歓喜の中、
甞てこれらの人間を、作つたのもおゝ自然(おまえ)!――

祭壇の、緞子の上で香を焚き
聖餐杯を前にして、笑つてゐるのは神様だ、
ホザナの声に揺られて睡り、

悩みにすくんだ母親達が、古い帽子のその下で
泣きながら二スウ銅貨をハンケチの
中から取り出し奉献する時、開眼するのは神様だ
                〔一八七〇、十月〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年8月10日 (金)

中原中也が訳したランボー「冬の思い」Rêvé pour I’hiverその2

中原中也が訳した「冬の思い」Rêvé pour I’hiverは
「新字・新かな」に表記しただけで
ほとんどひっかかりもなく読める
モダンさを帯びた作品です。

 

冒頭の「車」を「自動車」と取らないで
「列車」と取れば
ぼくたちが、列車のあっちこっちでキスしハグし、
隅々までやわらかなベッドと化す光景が見えます。

 

 

旅する季節は冬ですが
詩の現在は秋です。
つまり
「冬になったら……」を仮定した
アバンチュールの夢想が歌われているのです。

 

といえば
中原中也の創作詩「湖上」がすぐさま想起されますね。
ランボーの詩の影響下に
「湖上」は作られたということなのかもしれません。

 

 

冬の思い

 

ぼくら、冬になれば、薔薇色の列車に乗って行きましょう
中には青いクッションが、いっぱいの列車で。
ぼくら、仲よくするでしょう。することといったらキスばかり
愛の巣でやわらかになってる列車の隅々。

 

君は瞳を閉じるでしょう、窓から見える夕闇を
そのしかめっ面のような(夕焼け)を見ないように、
あの意地悪い異常なほどの、鬼畜のような
愚民らを見ないように。

 

君は頬を引っ掻かれたとでも思うでしょう。
キスが、ちょろりと、狂ったクモのように、
君の首すじを走るでしょうから。

 

君はぼくに言うでしょう、「探して」と、頭をかしげて、
ぼくら、クモの奴らを探すには、ずいぶん、時間がかかるでしょう。
――そいつは、まったくよく駆け回るから。
             1870年10月7日、車中で。

 

 

秋に、冬の旅を夢想する――。
クモが現われ、恋人の首すじを走るかと思えば、
それはキスの象徴表現だった――。
ロマンスにもクセがあります。

 

恋愛詩といってもよいでしょうし
放浪詩篇ともいえる詩ですが
ランボーの仕掛けは
分類を超えるものがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 冬の思い

 

僕等冬には薔薇色の、車に乗って行きましょう
    中には青のクッションが、一杯の。
僕等仲良くするでしょう。とりとめもない接唇の
    巣はやわらかな車の隅々。

 

あなたは目をば閉じるでしょう、窓から見える夕闇を
    その顰め面を見まいとて、
かの意地悪い異常さを、鬼畜の如き
    愚民等を見まいとて。

 

あなたは頬を引ッ掻かれたとおもうでしょう。
接唇(くちづけ)が、ちょろりと、狂った蜘蛛のように、
    あなたの頸を走るでしょうから。

 

あなたは僕に云うでしょう、『探して』と、頭かしげて、
僕等蜘蛛奴(め)を探すには、随分時間がかかるでしょう、
    ――そいつは、よっぽど駆けまわるから。
          一八七〇、十月七日、車中にて。

 

※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

 

 

<新漢字・歴史的かな遣い版>
 冬の思ひ

 

僕等冬には薔薇色の、車に乗つて行きませう
    中には青のクッションが、一杯の。
僕等仲良くするでせう。とりとめもない接唇の
    巣はやはらかな車の隅々。

 

あなたは目をば閉ぢるでせう、窓から見える夕闇を
    その顰め面を見まいとて、
かの意地悪い異常さを、鬼畜の如き
    愚民等を見まいとて。

 

あなたは頬を引ツ掻かれたとおもふでせう。
接唇(くちづけ)が、ちよろりと、狂つた蜘蛛のやうに、
    あなたの頸を走るでせうから。

 

あなたは僕に云ふでせう、『探して』と、頭かしげて、
僕等蜘蛛奴(め)を探すには、随分時間がかかるでせう、
    ――そいつは、よつぽど駆けまはるから。
          一八七〇、十月七日、車中にて。

 

※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

 

 

 


にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年8月 9日 (木)

中原中也が訳したランボー「冬の思い」Rêvé pour I’hiver

「冬の思い」Rêvé pour I’hiverは
「1870年10月7日」の日付けを持つ詩です。

1870年という年にランボーは
どのような暮らしをしていたか
ここで少し年譜をひもといておきます。

1870年10月20日に16歳になります。
普仏戦争が起こった年です。

8月29日、パリへ出奔。その傍若無人な挑戦的態度と言行によって警吏を怒らせ、ために数日間牢獄につながる。イザンバールの救援により出獄、伴われてドウエなる師の家に約半カ月とどまる。母のせつなる請いを容れ、9月27日不本意ながらシャルルヴィルなる生家へ帰る。

10月7日、徒歩ベルギーへむかってまたまた出奔、ふたたびイザンバールに伴われて11月2日帰家。

シャルルヴィルにとどまる。
エルネスト・ドラエと交わる。
凡俗な地方人に対する嫌悪の情いよいよつのる。

――と記すのは、堀口大学訳「ランボー詩集」(新潮文庫)巻末の「ランボー略伝」です。

この略伝中に「10月7日、徒歩ベルギーへむかってまたまた出奔」とある日と
「冬の思い」末尾に記された日付けが一致しますから
「2度目の出奔」の時に
この詩が作られたものと見て間違いはありません。

ランボー詩に
放浪詩篇と呼ばれている一群の詩がありますが
「冬の思い」もその一つということになります。

 *

 冬の思い

僕等冬には薔薇色の、車に乗って行きましょう
    中には青のクッションが、一杯の。
僕等仲良くするでしょう。とりとめもない接唇の
    巣はやわらかな車の隅々。

あなたは目をば閉じるでしょう、窓から見える夕闇を
    その顰め面を見まいとて、
かの意地悪い異常さを、鬼畜の如き
    愚民等を見まいとて。

あなたは頬を引ッ掻かれたとおもうでしょう。
接唇(くちづけ)が、ちょろりと、狂った蜘蛛のように、
    あなたの頸を走るでしょうから。

あなたは僕に云うでしょう、『探して』と、頭かしげて、
僕等蜘蛛奴(め)を探すには、随分時間がかかるでしょう、
    ――そいつは、よっぽど駆けまわるから。
          一八七〇、十月七日、車中にて。

※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

<新漢字・歴史的かな遣い版>
 冬の思ひ

僕等冬には薔薇色の、車に乗つて行きませう
    中には青のクッションが、一杯の。
僕等仲良くするでせう。とりとめもない接唇の
    巣はやはらかな車の隅々。

あなたは目をば閉ぢるでせう、窓から見える夕闇を
    その顰め面を見まいとて、
かの意地悪い異常さを、鬼畜の如き
    愚民等を見まいとて。

あなたは頬を引ツ掻かれたとおもふでせう。
接唇(くちづけ)が、ちよろりと、狂つた蜘蛛のやうに、
    あなたの頸を走るでせうから。

あなたは僕に云ふでせう、『探して』と、頭かしげて、
僕等蜘蛛奴(め)を探すには、随分時間がかかるでせう、
    ――そいつは、よつぽど駆けまはるから。
          一八七〇、十月七日、車中にて。

※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年8月 8日 (水)

中原中也が訳したランボー「物語」Romanその3

ランボーの文学的な野望とは
1870年当時のフランス詩壇へのデビューのことです。
主流を占めていたパルナシアン(高踏派)の重鎮
テオドール・パンヴィルへ接近し
自作詩を売り込むために幾つかの手紙を書きました。

その一つが、
1870年5月24日の日付けをもつ
パンヴィル宛ての書簡です。
この書簡が
「ランボー全詩集」(宇佐美斉訳、ちくま文庫)に案内されてありますから
少し長めですが、全文を読んでおきます。

テオドール・ド・パンヴィル宛
  シャルルヴィル(アルデンヌ県)1870年5月24日
  テオドール・パンヴィル様

 親愛なる先生、
 恋の花咲く時節です。ぼくはまもなく17歳、いわゆる希望と空想にみちた年頃です。――そして今や、“ミューズ”の指に触られた子供であるぼくは、――陳腐な言い方ならお許しください、――自分の正しい信念や、希望や、感動などといった、詩人たちの領域に属することどもを、――ぼくはそれを春の芽生えと呼ぶのですが、――語り始めようとしているのです。
 
  これらの詩篇をいくつかお送りいたしますのも、――そしてそれはすぐれた出版人である、アルフォンス・ルメールを通じてなのですが、――ぼくが、理想の美に心を奪われたすべての詩人たち、すべてのすぐれた“高踏派の詩人たち”を、――なぜって詩人とは高踏派にほかならないのですから、――愛しているからなのです。ぼくがあなたのうちに、いとも無邪気に、ロンサールの後裔、1830年代のぼくらの巨匠たちの弟、真のロマン派、本物の詩人を認めて、敬愛申し上げているからなのです。以上が理由です。――馬鹿げたことなのでしょうが、しかしそれでも。

  2年後、いやおそらく1年後には、ぼくはパリに出ているでしょう。――新聞記者の諸氏よ、ボクダッテ(Anch’io)高踏派の詩人になるのですよ!――ぼくの秘めているものが何なのか、……何が湧き出ようとしているのか、まだ定かではありませんが……。――でも先生、誓って申しますが、ぼくはいつも変らずに二人の女神、“ミューズと自由”とを崇拝いたします。

  これらの詩篇をお読みになって、あまり不満なお顔はなさらないでください――。先生、もしあなたが詩篇Credo inuamのために、“高踏派の詩人たち”のあいだにささやかな席を設けさせてやってくださいましたなら、ぼくは歓びと希望とで気も狂わんばかりになってしまうでしょう……。ぼくは「高踏詩集」の最新の分冊に間に合うことになるでしょう。そうなれば、世の詩人たちの信条(Credo)ともなることでしょう!……――野心よ! おお、狂気の女よ!

ここで、
「感覚」
「オフィリア」
「太陽と肉体」の3篇の詩がはさまれます。

  これらの詩篇は『現代高踏詩集』にその場所を見出すことができるでしょうか?
――これらこそは、詩人たちの信念ではありませんか?
――ぼくは無名ですが、そんなことは意に介していません。詩人たちは兄弟なのです。これらの詩篇は信念を持っています。愛を持っています。希望を持っています。そしてそれがすべてです。
――先生、どうか聞いてください。ほんの少しだけぼくを持ち上げてください。ぼくは若いのです。お手を差し延べてください……。

(※行空きを加え、数字を洋数字に直しました。また、傍点は“ ”で表わしました。編者)

パンヴィルがこの手紙へ返事を書いたことが分かっていますが
それは現在でも発見されていません。

 *

 物語

     Ⅰ

人十七にもなるというと、石や金(かね)ではありません。
或る美しい夕べのこと、――灯火輝くカフェーの
ビールがなんだ、レモネードがなんだ?――
人はゆきます遊歩場、緑色濃き菩提樹の下。

菩提樹のなんと薫ること、六月の佳い宵々に。
空気は大変甘くって、瞼閉じたくなるくらい。
程遠き街の響を運ぶ風
葡萄の薫り、ビールの薫り。

     Ⅱ

枝の彼方の暗い空
小さな雲が浮かんでる、
甘い顫えに溶けもする、白い小さな
悪い星奴(め)に螫されてる。

六月の宵!……十七才!……人はほろ酔い陶然となる。
血はさながらにシャンペンで、それは頭に上ります。
人はさまよい徘徊し、羽搏く接唇(くちづけ)感じます
小さな小さな生き物の、羽搏く接唇(くちづけ)……

     Ⅲ

のぼせた心はありとある、物語にまで拡散し、
折しも蒼い街灯の、明りの下を過ぎゆくは
可愛いい可愛いい女の子
彼女の恐(こは)い父親の、今日はいないをいいことに。

さて、君を、純心なりと見てとるや、
小さな靴をちょこちょこと、
彼女は忽ちやって来て、
――すると貴君の唇(くち)の上(へ)の、単純旋律(カヷチナ)やがて霧散する。

     Ⅳ

貴君は恋の捕虜となり、八月の日も暑からず!
貴君は恋の捕虜となり、貴君の恋歌は彼女を笑まし。
貴君の友等は貴君を去るも、貴君関する所に非ず。
――さても彼女は或る夕べ、貴君に色よい手紙を呉れる。

その宵、貴君はカフェーに行き、
ビールも飲めばレモネードも飲む……
人十七にもなるというと、遊歩場の
菩提樹の味知るというと、石や金(かね)ではありません。
            〔一八七〇、九月二十三日〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

<新漢字・歴史的かな遣い版>
 物語

人十七にもなるといふと、石や金(かね)ではありません。
或る美しい夕べのこと、――灯火輝くカフヱーの
ビールがなんだ、レモナードがなんだ?――
人はゆきます遊歩場、緑色濃き菩提樹の下。

菩提樹のなんと薫ること、六月の佳い宵々に。
空気は大変甘くつて、瞼閉じたくなるくらゐ。
程遠き街の響を運ぶ風
葡萄の薫り、ビールの薫り。

     Ⅱ

枝の彼方の暗い空
小さな雲が浮かんでる、
甘い顫へに溶けもする、白い小さな
悪い星奴(め)に螫されてる。

六月の宵!……十七才!……人はほろ酔ひ陶然となる。
血はさながらにシャンペンで、それは頭に上ります。
人はさまよひ徘徊し、羽搏く接唇(くちづけ)感じます
小さな小さな生き物の、羽搏く接唇(くちづけ)……

     Ⅲ

のぼせた心はありとある、物語にまで拡散し、
折しも蒼い街灯の、明りの下を過ぎゆくは
可愛いい可愛いい女の子
彼女の恐(こは)い父親の、今日はゐないをいいことに。

扨、君を、純心なりと見てとるや、
小さな靴をちよこちよこと、
彼女は忽ちやつて来て、
――すると貴君の唇(くち)の上(へ)の、単純旋律(カヷチナ)やがて霧散する。

     IIII

貴君は恋の捕虜となり、八月の日も暑からず!
貴君は恋の捕虜となり、貴君の恋歌は彼女を笑まし。
貴君の友等は貴君を去るも、貴君関する所に非ず。
――さても彼女は或る夕べ、貴君に色よい手紙を呉れる。

その宵、貴君はカフヱーに行き、
ビールも飲めばレモナードも飲む……
人十七にもなるといふと、遊歩場の
菩提樹の味知るといふと、石や金(かね)ではありません。
            〔一八七〇、九月二十三日〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年8月 7日 (火)

中原中也が訳したランボー「物語」Romanその2

「物語」Romanが
詩の末尾にあるように1870年9月30日に制作されたものであるならば
ランボーはまだ15歳、
16歳になる少し前のことでした。

制作日の記入は
しばしば、詩の制作よりずっと後になることもあり
詩の制作が1970年9月23日以前であることは間違いないわけですから
いずれにしても15歳以前の制作であったことは確実です。

「物語」は
15歳の少年が書いた詩であるということを
まずは記憶しておきたいところですが
17歳と年齢を偽って「大人びて」見せることの理由について
単に「背伸び」して大人びるというのなら
思春期(青年期)によくある「虚勢」の表れでしょうから
取り立ててとやかく言うこともないはずですが
ランボーの場合、少し違った事情があったようです。

それは
ランボーの野心。
文学的な野望と関係します。

 *

 物語

     Ⅰ

人十七にもなるというと、石や金(かね)ではありません。
或る美しい夕べのこと、――灯火輝くカフェーの
ビールがなんだ、レモネードがなんだ?――
人はゆきます遊歩場、緑色濃き菩提樹の下。

菩提樹のなんと薫ること、六月の佳い宵々に。
空気は大変甘くって、瞼閉じたくなるくらい。
程遠き街の響を運ぶ風
葡萄の薫り、ビールの薫り。

     Ⅱ

枝の彼方の暗い空
小さな雲が浮かんでる、
甘い顫えに溶けもする、白い小さな
悪い星奴(め)に螫されてる。

六月の宵!……十七才!……人はほろ酔い陶然となる。
血はさながらにシャンペンで、それは頭に上ります。
人はさまよい徘徊し、羽搏く接唇(くちづけ)感じます
小さな小さな生き物の、羽搏く接唇(くちづけ)……

     Ⅲ

のぼせた心はありとある、物語にまで拡散し、
折しも蒼い街灯の、明りの下を過ぎゆくは
可愛いい可愛いい女の子
彼女の恐(こは)い父親の、今日はいないをいいことに。

さて、君を、純心なりと見てとるや、
小さな靴をちょこちょこと、
彼女は忽ちやって来て、
――すると貴君の唇(くち)の上(へ)の、単純旋律(カヷチナ)やがて霧散する。

     Ⅳ

貴君は恋の捕虜となり、八月の日も暑からず!
貴君は恋の捕虜となり、貴君の恋歌は彼女を笑まし。
貴君の友等は貴君を去るも、貴君関する所に非ず。
――さても彼女は或る夕べ、貴君に色よい手紙を呉れる。

その宵、貴君はカフェーに行き、
ビールも飲めばレモネードも飲む……
人十七にもなるというと、遊歩場の
菩提樹の味知るというと、石や金(かね)ではありません。
            〔一八七〇、九月二十三日〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

<新漢字・歴史的かな遣い版>
 物語

     Ⅰ

人十七にもなるといふと、石や金(かね)ではありません。
或る美しい夕べのこと、――灯火輝くカフヱーの
ビールがなんだ、レモナードがなんだ?――
人はゆきます遊歩場、緑色濃き菩提樹の下。

菩提樹のなんと薫ること、六月の佳い宵々に。
空気は大変甘くつて、瞼閉じたくなるくらゐ。
程遠き街の響を運ぶ風
葡萄の薫り、ビールの薫り。

     Ⅱ

枝の彼方の暗い空
小さな雲が浮かんでる、
甘い顫へに溶けもする、白い小さな
悪い星奴(め)に螫されてる。

六月の宵!……十七才!……人はほろ酔ひ陶然となる。
血はさながらにシャンペンで、それは頭に上ります。
人はさまよひ徘徊し、羽搏く接唇(くちづけ)感じます
小さな小さな生き物の、羽搏く接唇(くちづけ)……

     Ⅲ

のぼせた心はありとある、物語にまで拡散し、
折しも蒼い街灯の、明りの下を過ぎゆくは
可愛いい可愛いい女の子
彼女の恐(こは)い父親の、今日はゐないをいいことに。

扨、君を、純心なりと見てとるや、
小さな靴をちよこちよこと、
彼女は忽ちやつて来て、
――すると貴君の唇(くち)の上(へ)の、単純旋律(カヷチナ)やがて霧散する。

     IIII

貴君は恋の捕虜となり、八月の日も暑からず!
貴君は恋の捕虜となり、貴君の恋歌は彼女を笑まし。
貴君の友等は貴君を去るも、貴君関する所に非ず。
――さても彼女は或る夕べ、貴君に色よい手紙を呉れる。

その宵、貴君はカフヱーに行き、
ビールも飲めばレモナードも飲む……
人十七にもなるといふと、遊歩場の
菩提樹の味知るといふと、石や金(かね)ではありません。
            〔一八七〇、九月二十三日〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年8月 6日 (月)

中原中也が訳したランボー「物語」Roman

「物語」Romanも
「ドゥエ詩帖」収載の1篇で
メッサン版にファクシミレがあります。

詩の中に数箇所「17歳」が歌われているところがあり
末尾に記載された「1870年9月23日」とともに
制作の背景を知る手掛かりにされることが多い作品です。

1854年10月20日生まれのランボーは
1870年9月23日には16歳になる約1か月前のことになり
この日が制作日であるとすれば
「17歳」は詐称(ハッタリ)ではないか、という推測を呼ぶのです。

成人への出発点を前にして
喜びと希望とを表明しながら
それをアイロニカルに眺めるランボー――。
詩内容は
相反する方向を孕(はら)んでいます。

とにかく
読んでみましょう。

人は17歳ともなれば、石や金(カネ)を追いかけるものではありません。
ある美しい夕べのこと、――照明で輝いているカフェの
ビールがなんだというのさ、レモネードがなんだというのさ――
(そんなモノ目当てにしないで)人は行きます、遊歩場や緑濃い菩提樹の木蔭。

菩提樹のなんと香ぐわしいこと、6月の美しい宵の数々。
空気はすごく甘くって、瞼を閉じたくなるくらい。
すこし離れた街の匂いを運ぶ風
葡萄の香り、ビールの香り。

枝の向うの暗い空
小さな雲が浮かんでる、
甘やかな顫動(ふるえ)に溶けそうな、白い小さな
星のヤツにさされてる。

6月の宵! ……17才!……人はほろ酔い、とろけそうになる。
血はシャンパンさながらに、頭の中はのぼせます。
人はさ迷いうろつき回り、唇が唇を求めているのを感じます
小さな小さな生き物の、唇が唇を……

のぼせた心は、あらゆる物語へと広がって
ちょうど青い街灯の、明かりの下を過ぎていく
可愛い可愛い女の子
彼女のこわい父親が、今日はいないのをチャンスとばかり。

さて、キミを、純心だと見極めて
小さな靴をチョコチョコと、
彼女はすぐにやって来て、
――すると、キミの唇が、歌っていたメロディーは消えてしまう。

キミは恋のとりこになって、8月の日も暑くない!
キミは恋のとりこになって、キミの歌は彼女を笑わせる。
キミの友らはアナタを去っても、キミはちっとも気にしない。
――そうして彼女はある夕べ、キミにOKの返事をくれる。

その宵、キミはカフェに行って、
ビールを飲めば、レモネードも飲み……
人は17歳ともなればというと、遊歩場の
菩提樹の味を知り、石や金(カネ)ではすみません。
              (1870年9月23日)

2の第1連「螫(さ)す」は「刺す、差す、射す」などと同じような意味。
「虫」のイメージを「星」に込めたかったのでしょう。

 *

 物語

     Ⅰ

人十七にもなるというと、石や金(かね)ではありません。
或る美しい夕べのこと、――灯火輝くカフェーの
ビールがなんだ、レモネードがなんだ?――
人はゆきます遊歩場、緑色濃き菩提樹の下。

菩提樹のなんと薫ること、六月の佳い宵々に。
空気は大変甘くって、瞼閉じたくなるくらい。
程遠き街の響を運ぶ風
葡萄の薫り、ビールの薫り。

     Ⅱ

枝の彼方の暗い空
小さな雲が浮かんでる、
甘い顫えに溶けもする、白い小さな
悪い星奴(め)に螫されてる。

六月の宵!……十七才!……人はほろ酔い陶然となる。
血はさながらにシャンペンで、それは頭に上ります。
人はさまよい徘徊し、羽搏く接唇(くちづけ)感じます
小さな小さな生き物の、羽搏く接唇(くちづけ)……

     Ⅲ

のぼせた心はありとある、物語にまで拡散し、
折しも蒼い街灯の、明りの下を過ぎゆくは
可愛いい可愛いい女の子
彼女の恐(こは)い父親の、今日はいないをいいことに。

さて、君を、純心なりと見てとるや、
小さな靴をちょこちょこと、
彼女は忽ちやって来て、
――すると貴君の唇(くち)の上(へ)の、単純旋律(カヷチナ)やがて霧散する。

     Ⅳ

貴君は恋の捕虜となり、八月の日も暑からず!
貴君は恋の捕虜となり、貴君の恋歌は彼女を笑まし。
貴君の友等は貴君を去るも、貴君関する所に非ず。
――さても彼女は或る夕べ、貴君に色よい手紙を呉れる。

その宵、貴君はカフェーに行き、
ビールも飲めばレモネードも飲む……
人十七にもなるというと、遊歩場の
菩提樹の味知るというと、石や金(かね)ではありません。
            〔一八七〇、九月二十三日〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

<新漢字・歴史的かな遣い版>
 物語

     Ⅰ

人十七にもなるといふと、石や金(かね)ではありません。
或る美しい夕べのこと、――灯火輝くカフヱーの
ビールがなんだ、レモナードがなんだ?――
人はゆきます遊歩場、緑色濃き菩提樹の下。

菩提樹のなんと薫ること、六月の佳い宵々に。
空気は大変甘くつて、瞼閉じたくなるくらゐ。
程遠き街の響を運ぶ風
葡萄の薫り、ビールの薫り。

     Ⅱ

枝の彼方の暗い空
小さな雲が浮かんでる、
甘い顫へに溶けもする、白い小さな
悪い星奴(め)に螫されてる。

六月の宵!……十七才!……人はほろ酔ひ陶然となる。
血はさながらにシャンペンで、それは頭に上ります。
人はさまよひ徘徊し、羽搏く接唇(くちづけ)感じます
小さな小さな生き物の、羽搏く接唇(くちづけ)……

     Ⅲ

のぼせた心はありとある、物語にまで拡散し、
折しも蒼い街灯の、明りの下を過ぎゆくは
可愛いい可愛いい女の子
彼女の恐(こは)い父親の、今日はゐないをいいことに。

扨、君を、純心なりと見てとるや、
小さな靴をちよこちよこと、
彼女は忽ちやつて来て、
――すると貴君の唇(くち)の上(へ)の、単純旋律(カヷチナ)やがて霧散する。

     IIII

貴君は恋の捕虜となり、八月の日も暑からず!
貴君は恋の捕虜となり、貴君の恋歌は彼女を笑まし。
貴君の友等は貴君を去るも、貴君関する所に非ず。
――さても彼女は或る夕べ、貴君に色よい手紙を呉れる。

その宵、貴君はカフヱーに行き、
ビールも飲めばレモナードも飲む……
人十七にもなるといふと、遊歩場の
菩提樹の味知るといふと、石や金(かね)ではありません。
            〔一八七〇、九月二十三日〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

 

2012年8月 5日 (日)

中原中也が訳したランボー「喜劇・三度の接唇」Comédie en trois baisersその3

「喜劇・三度の接唇」Comédie en trois baisersを
現代の訳で読んでみましょう。

「新編中原中也全集」(角川書店)の編集委員でもある
宇佐美斉の訳は
フランス詩研究の最前線にいて
中原中也のランボー訳の研究を手がける
数少ない学者の仕事の一つとして秀逸です。

宇佐美斉がテキストにしているのは
「ドゥエ詩帖」収録のPrèmiere soiréeです。

初めての宵

《――彼女がすっかり肌をあらわにしていたので
ぶしつけな大きな大きな木々が
窓ガラスに葉叢(はむら)を伸ばしていた
ひやかすように ごく近く ごく近く

ぼくの大きな椅子に坐って
半裸の彼女は手を組んでいた
床の上では喜びにふるえていた
ほっそりと ほっそりとした彼女の小さな足が

――ぼくは見た 蝿のように血の気を失って
茂みを洩れるひとすじの光が
彼女の微笑みから乳房へと
ひらひら舞うのを――薔薇の木に蝿がまつわるように

――ぼくは口づけした 彼女の華奢な踝(くるぶし)に
彼女は粗野でやさしい笑いを洩らした
明るいトリルとなってこぼれ落ちる
水晶のきれいな笑いだった

かわいい足はシュミーズの下に
逃げ込んだ「よしてったらあ」
――最初の不作法はゆるされた
笑いが罰するふりをしていた

――かわいそうにぼくの唇の下でわなないている
彼女の双の眼に ぼくはそっと口づけした
――彼女は甘えるような顔をうしろへのけぞらせて
「あら なおさらいけないことよ……

ねえ ちょっとお小言をいわなくちゃ……」
――あとはやっとのこと彼女の胸に
口づけをあびせた すると彼女は笑い
笑いころげて 同意を示した……

――彼女がすっかり肌をあらわにしていたので
ぶしつけな大きな大きな木々が
窓ガラスに葉叢(はむら)を伸ばしていた
ひやかすように ごく近く ごく近く

(ちくま文庫「ランボー全詩集」より)

「 」の中の彼女のセリフがモダンです。
それに
中原中也の翻訳を現代語化したものと
たいへん似た調子が流れているのが感じられます。

 *

 喜劇・三度の接吻

彼女はひどく略装だった、
無鉄砲な大木は
窓の硝子に葉や枝をぶッつけていた。
意地悪そうに、乱暴に。

私の大きい椅子に坐って、
半裸の彼女は、手を組んでいた。
床(ゆか)の上では嬉しげに
小さな足が顫えていた。

私は見ていた、少々顔を蒼くして、
灌木の茂みに秘(ひそ)む細かい光線が
彼女の微笑や彼女の胸にとびまわるのを。
薔薇の木に蠅が戯れるように、

私は彼女の、柔かい踝(くるぶし)に接吻した、
きまりわるげな長い笑いを彼女はした、
その笑いは明るい顫音符(トリロ)のようにこぼれた、
水晶の擢片(かけら)のようであった。

小さな足はシュミーズの中に
引ッ込んだ、『お邪魔でしょ!』
甘ったれた最初の無作法、
その笑は、罰する振りをする。

かあいそうに、私の唇(くち)の下で羽搏いていた
彼女の双の眼(め)、私はそおっと接吻けた。
甘ったれて、彼女は後方(うしろ)に頭を反らし、
『いいわよ』と言わんばかり!

『ねえ、あたし一寸言いたいことあってよ……』
私はなおも胸に接吻、
彼女はけたけた笑い出した
安心して、人の好い笑いを……

彼女はひどく略装だった、
無鉄砲な大木は
窓の硝子に葉や枝をぶッつけていた
意地悪そうに、乱暴に。
          〔一八七〇、九月〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

<新漢字・歴史的かな遣い版>
 喜劇・三度の接唇

彼女はひどく略装だつた、
無鉄砲な大木は
窓の硝子に葉や枝をぶツつけてゐた。
意地悪さうに、乱暴に。

私の大きい椅子に坐つて、
半裸の彼女は、手を組んでゐた。
床(ゆか)の上では嬉しげに
小さな足が顫へてゐた。

私は視てゐた、少々顔を蒼くして、
灌木の茂みに秘(ひそ)む細かい光線が
彼女の微笑や彼女の胸にとびまはるのを。
薔薇の木に蠅が戯れるやうに、

私は彼女の、柔かい踝(くるぶし)に接唇した、
きまりわるげな長い笑ひを彼女はした、
その笑ひは明るい顫音符(トリロ)のやうにこぼれた、
水晶の擢片(かけら)のやうであつた。

小さな足はシュミーズの中に
引ツ込んだ、『お邪魔でしよ!』
甘つたれた最初の無作法、
その笑は、罰する振りをする。

かあいさうに、私の唇(くち)の下で羽搏いてゐた
彼女の双の眼(め)、私はそおつと接唇けた。
甘つたれて、彼女は後方(うしろ)に頭を反らし、
『いいわよ』と云はんばかり!

『ねえ、あたし一寸云ひたいことあつてよ……』
私はなほも胸に接唇、
彼女はけた/\笑ひ出した
安心して、人の好い笑ひを……

彼女はひどく略装だつた、
無鉄砲な大木は
窓の硝子に葉や枝をぶツつけてゐた
意地悪さうに、乱暴に。
          〔一八七〇、九月〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年8月 4日 (土)

中原中也が訳したランボー「喜劇・三度の接唇」Comédie en trois baisersその2

「喜劇・三度の接唇」Comédie en trois baisersを
新字・新かな表記にして読んでみれば
古めかしい感じの「喜劇」が
少しは現代の若者たちにも近づいてきそうですが
まだまだ古めかしさはぬぐえそうもないので
いっそう現代語に近づけてみます。

喜劇・三度のキス

あの子はほとんど何にも着けていなかった、
大木は無鉄砲にも
窓ガラスに葉や枝をぶつけていた。
意地悪く、乱暴に。

ぼくの大きい椅子に座って、
半裸のあの子は、手を組んでいた。
床の上で嬉しげに
小さな足を震わせていた。

ぼくは見ていた、少々蒼ざめた顔で、
潅木の茂みにひそむ細かい光線が
あの子が微笑(する顔)や胸に飛び回るのを。
バラの木に蝿が戯れるように、

ぼくはあの子の、柔らかいくるぶしにキスした、
きまり悪げな長い笑いをかえすあの子、
その笑いは明るいトリルのようにこぼれた、
水晶のかけらのようだった。

小さな足をシュミーズの中に
引っ込めて(言った)、「邪魔なんでしょ!」
甘ったれた初めての無作法で、
あの子は笑って、罰する振りをする(だけ)。

可愛らしく、ぼくのくちびるの下でパチクリしていた
あの子の二つの眼に、ぼくはそっとキスした。
甘ったれて、あの子は後ろに頭を反らし、
「いいわよ」と言っているも同然!

「ねえ、あたし、ちょっとひとこと言いたいことあってよ」
ぼくはなおも胸にキスすると、
あの子はケタケタと笑い出した
安心した、ほがらかな笑いを……

あの子はほとんど何にも着けていなかった、
大木は無鉄砲にも
窓ガラスに葉や枝をぶつけていた。
意地悪く、乱暴に。

こうして再度読み返せば
さらに詩の中へ入った状態になれましたでしょうか。

喜劇=Comédiについての解説が
いろいろ流布(るふ)している中に
ダンテの「神曲」La Divina Commediaに遡るものもありますが
そこまで深く考えて
詩を見失わないように気をつけたほうがよいでしょう。

「喜劇」という語にも
足をすくわれないようにしたいものです。
喜劇も悲劇も人間劇には違いなく
その違いの学問は
詩を読むために邪魔になる場合があります。

男女のことは
いつもコメディーでしょうし
ラブもその響きがいつもつきまといますし
ランボーが狙いを定めているのも
そのあたりのようですから。

ついでに言っておけば
「三度」にも「永遠」ほどのニュアンスがあります。

 *

 喜劇・三度の接吻

彼女はひどく略装だった、
無鉄砲な大木は
窓の硝子に葉や枝をぶッつけていた。
意地悪そうに、乱暴に。

私の大きい椅子に坐って、
半裸の彼女は、手を組んでいた。
床(ゆか)の上では嬉しげに
小さな足が顫えていた。

私は見ていた、少々顔を蒼くして、
灌木の茂みに秘(ひそ)む細かい光線が
彼女の微笑や彼女の胸にとびまわるのを。
薔薇の木に蠅が戯れるように、

私は彼女の、柔かい踝(くるぶし)に接吻した、
きまりわるげな長い笑いを彼女はした、
その笑いは明るい顫音符(トリロ)のようにこぼれた、
水晶の擢片(かけら)のようであった。

小さな足はシュミーズの中に
引ッ込んだ、『お邪魔でしょ!』
甘ったれた最初の無作法、
その笑は、罰する振りをする。

かあいそうに、私の唇(くち)の下で羽搏いていた
彼女の双の眼(め)、私はそおっと接吻けた。
甘ったれて、彼女は後方(うしろ)に頭を反らし、
『いいわよ』と言わんばかり!

『ねえ、あたし一寸言いたいことあってよ……』
私はなおも胸に接吻、
彼女はけたけた笑い出した
安心して、人の好い笑いを……

彼女はひどく略装だった、
無鉄砲な大木は
窓の硝子に葉や枝をぶッつけていた
意地悪そうに、乱暴に。
          〔一八七〇、九月〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

<新漢字・歴史的かな遣い版>
 喜劇・三度の接唇

彼女はひどく略装だつた、
無鉄砲な大木は
窓の硝子に葉や枝をぶツつけてゐた。
意地悪さうに、乱暴に。

私の大きい椅子に坐つて、
半裸の彼女は、手を組んでゐた。
床(ゆか)の上では嬉しげに
小さな足が顫へてゐた。

私は視てゐた、少々顔を蒼くして、
灌木の茂みに秘(ひそ)む細かい光線が
彼女の微笑や彼女の胸にとびまはるのを。
薔薇の木に蠅が戯れるやうに、

私は彼女の、柔かい踝(くるぶし)に接唇した、
きまりわるげな長い笑ひを彼女はした、
その笑ひは明るい顫音符(トリロ)のやうにこぼれた、
水晶の擢片(かけら)のやうであつた。

小さな足はシュミーズの中に
引ツ込んだ、『お邪魔でしよ!』
甘つたれた最初の無作法、
その笑は、罰する振りをする。

かあいさうに、私の唇(くち)の下で羽搏いてゐた
彼女の双の眼(め)、私はそおつと接唇けた。
甘つたれて、彼女は後方(うしろ)に頭を反らし、
『いいわよ』と云はんばかり!

『ねえ、あたし一寸云ひたいことあつてよ……』
私はなほも胸に接唇、
彼女はけた/\笑ひ出した
安心して、人の好い笑ひを……

彼女はひどく略装だつた、
無鉄砲な大木は
窓の硝子に葉や枝をぶツつけてゐた
意地悪さうに、乱暴に。
          〔一八七〇、九月〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

 

2012年8月 2日 (木)

中原中也が訳したランボー「喜劇・三度の接唇」Comédie en trois baisers

「喜劇・三度の接唇」Comédie en trois baisersも
イザンバール所蔵のランボー自筆原稿が残るほか
ドゥエ詩帖に「初めての宵」Prèmiere soiréeのタイトルのバリアントがあります。
この詩は、また、「三つの接吻」Trois baisersのタイトルで
パリの風刺新聞「ラ・シャルジュ」La Charge(1870年8月13日号)に発表されました。
(「新編中原中也全集」第3巻翻訳・解題篇より)

新字・新かな表記にして読んでみますが、
それだけでは古めかしさが残るので
意訳を加えます。
たとえば、タイトルの「接唇」を「接吻」とすれば
100年以上も前の男女が
現代に現われる感じになりますから。

喜劇・三度の接吻

彼女はひどく質素な装いをしていた、
無鉄砲な大木は
窓ガラスに葉や枝をぶつけていた。
意地悪そうに、乱暴に。

私の大きい椅子に座って、
半裸の彼女は、手を組んでいた。
床の上では嬉しげに
小さな足が震えていた。

私は見ていた、少々顔を蒼くして、
潅木の茂みにひそむ細かい光線が
彼女の微笑(する顔)や彼女の胸に飛び回るのを。
バラの木に蝿が戯れるように、

私は彼女の、柔らかいくるぶしに接吻した、
きまり悪げな長い笑いを彼女はした、
その笑いは明るいトリルのようにこぼれた、
水晶のかけらのようであった。

小さな足はシュミーズの中に
引っ込んだ、「お邪魔でしょ!」
甘ったれた最初の無作法、
その笑いは、罰する振りをする。

かわいそうに、私のくちびるの下で羽ばたいていた
彼女の二つの眼、私はそっとキスした。
甘ったれて、彼女は後ろに頭を反らし、
「いいわよ」と言わんばかり!

「ねえ、あたし、ちょっとひとこと言いたいことあってよ」
私はなおも胸にキスし、
彼女はケタケタと笑い出した
安心して、人のよい笑いを……

彼女はひどく質素な装いをしていた、
無鉄砲な大木は
窓ガラスに葉や枝をぶつけていた。
意地悪そうに、乱暴に。

こうして一通り読んで
輪郭がつかめた状態になります。

若い男女のラブであること以外
何もわかっていませんが
私と彼女のプロフィールだとか
経歴だとか職業だとか年齢だとか
そんなことは想像するしかありません。
勝手に想像して楽しめばよいのです。

初体験のことなのか
すでに何回目かのお楽しみなのか

冒頭と末尾のルフランにある
「ひどく略装だった」の意味が
ここに来て了解できたでしょうか。
第2連で「半裸」と訳されているとおり
彼女ははじめからほとんど素っ裸だったのです!

ランボーの導入を
中原中也は忠実に再現しようとしているのがわかります。
いきなり「彼女は素っ裸」としなかったのです。

喜劇とはなんだろう
キスを3回したのか、などと
手探り状態は続きますが
1度読み、何度も繰り返し読んでいると
だんだん、詩が見えてきます。

 *

 喜劇・三度の接吻

彼女はひどく略装だった、
無鉄砲な大木は
窓の硝子に葉や枝をぶッつけていた。
意地悪そうに、乱暴に。

私の大きい椅子に坐って、
半裸の彼女は、手を組んでいた。
床(ゆか)の上では嬉しげに
小さな足が顫えていた。

私は見ていた、少々顔を蒼くして、
灌木の茂みに秘(ひそ)む細かい光線が
彼女の微笑や彼女の胸にとびまわるのを。
薔薇の木に蠅が戯れるように、

私は彼女の、柔かい踝(くるぶし)に接吻した、
きまりわるげな長い笑いを彼女はした、
その笑いは明るい顫音符(トリロ)のようにこぼれた、
水晶の擢片(かけら)のようであった。

小さな足はシュミーズの中に
引ッ込んだ、『お邪魔でしょ!』
甘ったれた最初の無作法、
その笑は、罰する振りをする。

かあいそうに、私の唇(くち)の下で羽搏いていた
彼女の双の眼(め)、私はそおっと接吻けた。
甘ったれて、彼女は後方(うしろ)に頭を反らし、
『いいわよ』と言わんばかり!

『ねえ、あたし一寸言いたいことあってよ……』
私はなおも胸に接吻、
彼女はけたけた笑い出した
安心して、人の好い笑いを……

彼女はひどく略装だった、
無鉄砲な大木は
窓の硝子に葉や枝をぶッつけていた
意地悪そうに、乱暴に。
          〔一八七〇、九月〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

<新漢字・歴史的かな遣い版>
 喜劇・三度の接唇

彼女はひどく略装だつた、
無鉄砲な大木は
窓の硝子に葉や枝をぶツつけてゐた。
意地悪さうに、乱暴に。

私の大きい椅子に坐つて、
半裸の彼女は、手を組んでゐた。
床(ゆか)の上では嬉しげに
小さな足が顫へてゐた。

私は視てゐた、少々顔を蒼くして、
灌木の茂みに秘(ひそ)む細かい光線が
彼女の微笑や彼女の胸にとびまはるのを。
薔薇の木に蠅が戯れるやうに、

私は彼女の、柔かい踝(くるぶし)に接唇した、
きまりわるげな長い笑ひを彼女はした、
その笑ひは明るい顫音符(トリロ)のやうにこぼれた、
水晶の擢片(かけら)のやうであつた。

小さな足はシュミーズの中に
引ツ込んだ、『お邪魔でしよ!』
甘つたれた最初の無作法、
その笑は、罰する振りをする。

かあいさうに、私の唇(くち)の下で羽搏いてゐた
彼女の双の眼(め)、私はそおつと接唇けた。
甘つたれて、彼女は後方(うしろ)に頭を反らし、
『いいわよ』と云はんばかり!

『ねえ、あたし一寸云ひたいことあつてよ……』
私はなほも胸に接唇、
彼女はけた/\笑ひ出した
安心して、人の好い笑ひを……

彼女はひどく略装だつた、
無鉄砲な大木は
窓の硝子に葉や枝をぶツつけてゐた
意地悪さうに、乱暴に。
          〔一八七〇、九月〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2012年8月 1日 (水)

中原中也が訳したランボー「音楽堂にて」A la musiqueその3

「音楽会の賑わいをのぞきに来ている子守女」というと
ピンと来ないかもしれませんが
今風には、いかれた女といったところでしょうか
あるいは、いかした女といったところでしょうか
アメリカ映画「俺たちに明日はない」の
ボニーのようなイイ女で
田舎の町に「腐っちゃっている」みたいな女のことを
中原中也は子守女と訳したわけです。

子守女がボニーならば
口説きにかかる青年兵士はクライドということになりますが
この二人に待ち受けるドラマのようなものを
ランボーの詩「音楽会にて」に期待するのは
奇想天外、空想の中の夢みたいなものです。
無謀です。
しかし――。

「音楽堂にて」A la musiqueは
北部フランスの田舎町の
ありふれた軍楽演奏会の風景を描写しただけの叙景詩でありながら
ドラマの進行を垣間見せては終幕してしまうのですから
このつくりにやがて現代史に登場する前衛劇の予兆を感じても
それほどおかしいことではありません。
ここにあるのは、ストーリーの断片で
断片であることによって
観客は想像の羽根を果てしなく広げる自由が与えられます。

アメリカの1930年代を描いた映画「俺たちに明日はない」への連想は
まったく突飛なものですが
イギリスやイタリアにも「怒れる若者たち」を描いた小説やその映画化があり、
フランスにもゴタールの「勝手にしやがれ」へと連なっていく
ヌーベル・バーグ作品の大きな流れがありますし
これらの作品の源流にランボーがあり
その一つが「音楽堂にて」であり
その結末部の青年の「妄想」にある、というような見方も不可能ではありません。

突飛な連想も
意外に荒唐無稽ではなく
とくに文学や映画へのランボーの詩の影響は深部に及んでいるし
音楽、演劇、美術……への波及も
枚挙にいとまがありません。

4行9連構成の詩の後半部分(エンディング)を
もう一度読んでおきましょう。

芝生の端っこではワルたちが、盛んに冷やかしています、
トロンボーンのメロディーにつられ、甘くなった純情の
まったく気ままな兵隊たちは子守女と口をきこうと
まず彼女が抱いている赤ん坊にアババババー。

(兵隊の中の一人が)
――学生のようなこんな構わない身なりで様(ざま)あないですが
青々したマロニエの下のキャピキャピ・ギャルたち、
彼女らはわたしをよく知っていて、笑って振り向いたりするが
その眼つきはまんざらでもなく、その気もちょっとはある。

わたしは黙って、じっと眺めてる
ふさふさ髪がかっこいい彼女らの、白い首すじを。
彼女らの、ジャケットとかわいらしい飾り物の下には、
肩のカーブに続いてきよらかな背中があるのを。

彼女らの靴に見惚れ、靴下にも見惚れていると、
美しい熱で燃える全身のイメージが胸に広がる。
彼女らはわたしを蔑んで笑い、ヒソヒソ話し合う。
するとわたしの唇に彼女らの唇が迫ってくるのを感じる。

この詩の結末に
目に見えるアクションは
何事も起こってはいません。
青年の想念の中に荒々しく芽生える妄想があるだけです。

この妄想こそ
愚鈍を絵に描いたような田舎の町を飛び出し
世界へ突出するパワーをもつ
アンガー・ジェネレーションのシンボルと呼び得るもの!
やがて
そのようになっていく種子のようなもの!

青年(わたし)は、ランボーの化身と見て
差し支えありません。

 *

 音楽堂にて

        シャルルヴィル・ガアルの広場

貧弱な芝地になってる広場の上に、
木も花も、何もかもこじんまりした辻公園に、
暑さにうだった市民たち、毎木曜日の夕べになると、
恋々と、愚鈍を提げて集って来る。

軍楽隊は、その中央で、
ファイフのワルツの演奏中、頻りに軍帽(あたま)を振っている。
それを囲繞(とりま)く人群の前の方には気取屋連が得意げで、
公証人氏は安ピカの、頭字(かしらじ)入りのメタルに見入っている際中(さなか)。

鼻眼鏡(ロルニヨン)の金利生活先生達は、奏楽の、調子の外(はず)れを気にします。
無暗に太った勤人(つとめにん)達等は、太った細君連れている、
彼女の側(おそば)に行きますは、いと世話好きな先生達、
彼女の著物の裾飾と来ちゃ、物欲しそうに見えてます。

隠居仕事に、食料を商(や)る連中の何時も集る緑のベンチ、
今日も彼等はステッキで砂を掻き掻き大真面目
何か契約上のこと、論議し合っているのです、
何れお金のことでしょう、さて『結局……』と言ってます。

お尻の丸味を床几の上に、どっかと据えてるブルジョワは、
はでな釦を付けているビール腹したフラマン人、
オネン・パイプを嗜(たしな)んでいる、ボロリボロリと煙草はこぼれる、
――ねえ、ホラ、あれは、密輸の煙草!

芝生の縁(ふち)では無頼漢共(わるども)が、さかんに冷嘲しています。
トロンボーンの節(ふし)につれ、甘(あま)アくなった純心の
いとも気随な兵隊達は子守女と口をきこうと
まずその抱いてる赤ン坊をあやします。

――私は学生よろしくの身装(みなり)くづした態(ざま)なんです、
緑々(あおあお)としたマロニエの、下にははしこい娘達、
彼女等私をよく知っていて、笑って振向いたりします
その眼付にはいやらしい、要素も相当あるのです。

私は黙っているのです。私はジッと眺めてる
髪束(かみたば)が風情をあたえる彼女等の、白(しろ)い頸(うなじ)。
彼女等の、胴衣と華車(ちゃち)な装飾(かざり)の下には、
肩の曲線(カーブ)に打つづく聖らの背中があるのです。

彼女等の靴も私はよく見ます、靴下だってよく見ます。
さて美しい熱もゆる、全身像を更めて、私は胸に描きます。
彼女等私を嗤います、そして低声で話し合う。
すると私は唇に、寄せ来る接唇(ベーゼ)を感じます。
          〔一八七〇、八月〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

 音楽堂にて<新漢字・歴史的かな遣い版>
          シャルルヸル・ガアルの広場
貧弱な芝地になつてる広場の上に、
木も花も、何もかもこぢんまりした辻公園に、
暑さにうだつた市民たち、毎木曜日の夕べになると、
恋々と、愚鈍を提げて集つて来る。

軍楽隊は、その中央で、
ファイフのワルツの演奏中、頻りに軍帽(あたま)を振つてゐる。
それを囲繞(とりま)く人群の前の方には気取屋連が得意げで、
公証人氏は安ピカの、頭字(かしらじ)入のメタルに見入つてゐる際中(さなか)。

鼻眼鏡(ロルニヨン)の金利生活先生達は、奏楽の、調子の外(はづ)れを気にします。
無暗に太つた勤人(つとめにん)達等は、太つた細君連れてゐる、
彼女の側(おそば)に行きますは、いと世話好きな先生達、
彼女の著物の裾飾と来ちや、物欲しさうに見えてます。

隠居仕事に、食料を商(や)る連中の何時も集る緑のベンチ、
今日も彼等はステッキで砂を掻き掻き大真面目
何か契約上のこと、論議し合つてゐるのです、
何れお金のことでせう、扨『結局……』と云つてます。

お尻の丸味を床几の上に、どつかと据ゑてるブルジョワは、
はでな釦を附けてゐるビール腹したフラマン人、
オネン・パイプを嗜(たしな)んでゐる、ボロリボロリと煙草はこぼれる、
――ねえ、ホラ、あれは、密輸の煙草!

芝生の縁(ふち)では無頼漢共(わるども)が、さかんに冷嘲してゐます。
トロンボオンの節(ふし)につれ、甘(あま)アくなつた純心の
いとも気随な兵隊達は子守女と口をきかうと
まづその抱ゐてる赤ン坊をあやします。

――私は学生よろしくの身装(みなり)くづした態(ざま)なんです、
緑々(あを/\)としたマロニヱの、下にははしこい娘達、
彼女等私をよく知つてゐて、笑つて振向いたりします
その眼付にはいやらしい、要素も相当あるのです。

私は黙つてゐるのです。私はジツと眺めてる
髪束(かみたば)が風情をあたへる彼女等の、白(しろ)い頸(うなじ)。
彼女等の、胴衣と華車(ちやち)な装飾(かざり)の下には、
肩の曲線(カーブ)に打つづく聖らの背中があるのです。

彼女等の靴も私はよく見ます、靴下だつてよく見ます。
扨美しい熱もゆる、全身像を更めて、私は胸に描きます。
彼女等私を嗤ひます、そして低声で話し合ふ。
すると私は唇に、寄せ来る接唇(ベーゼ)を感じます。
          〔一八七〇、八月〕
※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

 

« 2012年7月 | トップページ | 2012年9月 »