中原中也が訳したランボー「災難」Le Malその2
「災難」Le Malが作られたのは1870年で
ランボーとベルレーヌとの邂逅以前です。
パリ・コンミューン前夜です。
そのころの様子を堀口大学は、
1871年(17歳)
2月25日パリへ出奔、徒歩でシャルルヴィルへ帰還。
前年8月よりこの年の2月にいたる期間が、この詩人の一生のうちで最も多作な時期であった。すなわち本集中におさめた「何がニナを引止める」、「のぞき見する子どもたち」、「小説」、「三度の接吻のある喜劇」、「冬のための夢」、「わが放浪」、「『居酒屋みどり』で」、「おませな娘」、「谷間に眠る者」、「音楽につれて」、「七歳の詩人たち」(この一篇の制作時期を1871年5月とする説もあるが、イザンバールは自分の家に滞在中ランボーがこの詩を作ったのは1870年の終りのころだと言っている)、「戦禍」その他の傑作を成したのは、じつにこの放浪の月日の間であったのである。
(「ランボー詩集」新潮文庫)
――と記しています。
◇
「放浪詩篇」と呼び習わされる
一群の詩は
ランボーの初期詩篇中でも
自由、のびやかさ、解放感に満ち溢れ、
青春の謳歌でありながらそれだけでなく、
独特のイロニーが織り交ぜられます。
堀口大学は放浪詩篇をよく訳しました。
中原中也のタイトル(*)を見れば、
「何がニナを引止める」*ニイナを抑制するものは
「のぞき見する子どもたち」*びつくりした奴等
「小説」*物語
「三度の接吻のある喜劇」*喜劇・三度の接唇
「冬のための夢」*冬の思ひ
「わが放浪」*わが放浪
「『居酒屋みどり』で」*キャバレ・ヹールにて
「おませな娘」*いたづら好きな女
「谷間に眠る者」*谷間の睡眠者
「音楽につれて」*音楽堂にて
「七歳の詩人たち」*七才の詩人
「戦禍」*災難
――となります。
堀口大学訳の「戦禍」を読んでおきましょう。
◇
戦禍
堀口大学訳
機関銃の吐(は)き出す真紅(まっか)な血へど
終日、真澄(ますみ)の空かけて、うめきつづけ
赤や緑、軍装はなやかな部隊に相ついで
敵火に滅びゆくさまを、冷やかに、王眺(なが)めたもうというに、
言語道断な狂気沙汰(きちがいざた)のおかげで
幾十万の兵(つわもの)が、見るまに屍(しかばね)の山と変ってゆきつつあるというに、
――大自然よ、哀れじゃないか、夏草に埋(う)もれ、
お前の歓喜のさなかに、死んでゆく者どもが、
お前はあれほど聖(きよ)らなものに、人間を造っておいたのに!――
あきれたものよ、神さまが、金襴(きんらん)の打敷(うちしき)や香(こう)の煙や
黄金(おうごん)の聖餐杯(せいさんはい)にとりまかれ、にやにやしてござるとは、
讃美歌(さんびか)の節(ふし)にゆられて、居眠りをしてござるとは、
しかも、お目々のさめるのは、戦死者の母親たちが、
苦悩にうちひしがれながらも、古ぼけた被(かぶ)り物(もの)の下で、涙にくれながら
手巾(ハンカチ)に包んできた賽銭(さいせん)を、捧(ささ)げ奉る時に限るとは。
Le Mal
◇
フランス語原詩はソネット(4・4・3・3)ですが
堀口大学は
第2連を訳し込んで
5行にしています。
*
<現代表記>
災難
散弾の、赤い泡沫(しぶき)が、ひもすがら
青空の果てで、鳴っている時、
その散弾を嘲笑(あざわら)っている、王の近くで
軍隊は、みるみるうちに崩れていく。
狂気の沙汰がつき砕き
幾数万の人間の血ぬれの堆積(やま)を作る時、
――哀れな死者らは、自然よおまえの夏の中、草の中、歓喜の中、
かつてこれらの人間を、作ったのもおお自然(おまえ)!――
祭壇の、緞子(どんす)の上で香(こう)を焚き
聖餐杯(せいさんはい)を前にして、笑っているのは神様だ、
ホザナの声に揺られて眠り、
悩みにすくんだ母親たちが、古い帽子のその下で
泣きながら2スー銅貨をハンカチの
中から取り出し奉納する時、開眼するのは神様だ
〔一八七〇、十月〕
*
<新字・新かな版>
災難
霰弾の、赤い泡沫(しぶき)が、ひもすがら
青空の果で、鳴っている時、
その霰弾を嘲笑(あざわら)っている、王の近くで
軍隊は、みるみるうちに崩れてゆく。
狂気の沙汰が搗き砕き
幾数万の人間の血ぬれの堆積(やま)を作る時、
――哀れな死者等は、自然よおまえの夏の中、草の中、歓喜の中、
甞てこれらの人間を、作ったのもおお自然(おまえ)!――
祭壇の、緞子の上で香を焚き
聖餐杯を前にして、笑っているのは神様だ、
ホザナの声に揺られて睡り、
悩みにすくんだ母親達が、古い帽子のその下で
泣きながら二スウ銅貨をハンケチの
中から取り出し奉献する時、開眼するのは神様だ
〔一八七〇、十月〕
※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。
*
<新字・旧かな版>
災難
霰弾の、赤い泡沫(しぶき)が、ひもすがら
青空の果で、鳴つてゐる時、
その霰弾を嘲笑(あざわら)つてゐる、王の近くで
軍隊は、みるみるうちに崩れてゆく。
狂気の沙汰が搗き砕き
幾数万の人間の血ぬれの堆積(やま)を作る時、
――哀れな死者等は、自然よおまへの夏の中、草の中、歓喜の中、
甞てこれらの人間を、作つたのもおゝ自然(おまえ)!――
祭壇の、緞子の上で香を焚き
聖餐杯を前にして、笑つてゐるのは神様だ、
ホザナの声に揺られて睡り、
悩みにすくんだ母親達が、古い帽子のその下で
泣きながら二スウ銅貨をハンケチの
中から取り出し奉献する時、開眼するのは神様だ
〔一八七〇、十月〕
※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。
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