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2012年8月20日 (月)

中原中也が訳したランボー「いたずら好きな女」Le Malineその2

「いたずら好きな女」Le Malineは
西条八十や粟津則雄は、
中原中也と同じ「いたずら好きな女」ですが
金子光晴だと、「こまっちゃくれた娘」、
堀口大学だと、「おませな娘」、
鈴木創士だと、「いたずら娘」、
鈴村和成だと、「おませな女の子」、
宇佐美斉だと、「隅におけない娘」……と
さまざまな日本語に訳されていて、
タイトルを見ただけで
訳者それぞれのランボー観が出ていることを
あらためて知ることになる作品です。

同じようなことは
最終行のカッコ付きの発言(セリフ)の訳し方にも表れます。

西条八十は、「ここを触って見て。‘ちょっぴり’頬ぺたが冷たいの……」、
粟津則雄は、「ねえ私、ほっぺたに風邪をひいたの……」、
金子光晴は、「ほら、さわって。頬っぺたがこんなに冷たいのよ」、
堀口大学は、「さわってみてよ、あたし頬っぺに風邪ひいちゃったらしいのよ……。」、
鈴木創士は、「ねえ、臭いをかいでよ、あたし、ほっぺが冷たくなっちゃった…」、
鈴村和成は、「ねえ、感じる。ほっぺにお風邪‘さん’ひいちゃってよ……」、
宇佐美斉は、「ねえ触ってみて 頬っぺがこんなに冷たいのよ……」
――といったように。
(※傍点は‘ ’で示しました。編者。)

この詩に現われる女性を
どのようにとらえるかで
セリフの訳し方にこんなに違いが出ますし
それは詩の読み方全体の違いにもなるというわけです。

当たり前のことですが。

ランボーが
その放浪の早い時期に
シャルルロアという小さな町のカフェかキャバレーかで
出くわしたベルギー女性をどのように感じ
どのように表現したのか――。

中原中也は
詩を作っているランボーの心持ちに沿おうとし

「下手な襟掛」
「桃の肌えのその頬を」
「子供のようなその口はとンがらせている」
「私に媚びる」
「接唇(くちずけ)してくれと云わんばかりに」
「ねえ、あたし頬(ほっぺた)に風邪引いちゃってよ……」

などと、律儀なほど控えめに

出来る限り逐字訳をしながら、その逐字訳が日本語になっているように気を付けた。
語呂ということも大いに尊重したが、語呂のために語義を無視するようなことはしなかった。

――と、「後記」に記したような翻訳態度を堅持しました。

中原中也訳が
現在も精彩を失わないでいるのは
翻訳というものへの、
この原則的姿勢によるものです。

言葉が立っているのは
この翻訳姿勢にありながら
自身の創作詩を生むための
命がけの格闘(言葉との)を日常としているからです。

 *

 いたずら好きな女

ワニスと果物の匂いのする、
褐色の食堂の中に、思う存分
名も知れぬベルギー料理を皿に盛り、
私はひどく大きい椅子に埋まっていた。

食べながら、大時計(オルロージュ)の音を聞き、好い気持でジッとしていた。
サッとばかりに料理場の扉(と)が開くと、
女中が出て来た、何事だろう、
とにかく下手な襟掛をして、ベルギー・レースを冠っている。

そして小さな顫える指で、
桃の肌えのその頬を絶えずさわって、
子供のようなその口はとンがらせている、

彼女は幾つも私の近くに、皿を並べて私に媚びる。
それからこんなに、――接唇(くちずけ)してくれと云わんばかりに――
小さな声で、『ねえ、あたし頬(ほっぺた)に風邪引いちゃってよ……』
               シヤルルロワにて、一八七〇、十月。
                
※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新字・新かなで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

<新漢字・歴史的かな遣いによる>
 いたづら好きな女

ワニスと果物の匂ひのする、
褐色の食堂の中に、思ふ存分
名も知れぬベルギー料理を皿に盛り、
私はひどく大きい椅子に埋まつてゐた。

食べながら、大時計(オルロージュ)の音を聞き、好い気持でジツとしてゐた。
サツとばかりに料理場の扉(と)が開くと、
女中が出て来た、何事だらう、
とにかく下手な襟掛をして、ベルギー・レースを冠つてゐる。

そして小さな顫へる指で、
桃の肌へのその頬を絶えずさはつて、
子供のやうなその口はとンがらせてゐる、

彼女は幾つも私の近くに、皿を並べて私に媚びる。
それからこんなに、――接唇(くちづけ)してくれと云はんばかりに――
小さな声で、『ねえ、あたし頬(ほつぺた)に風邪引いちやつてよ……』
               シヤルルロワにて、一八七〇、十月。

※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

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