中原中也が訳したランボー「いたずら好きな女」Le Malineその2
「いたずら好きな女」Le Malineは
西条八十や粟津則雄は、
中原中也と同じ「いたずら好きな女」ですが
金子光晴だと、「こまっちゃくれた娘」、
堀口大学だと、「おませな娘」、
鈴木創士だと、「いたずら娘」、
鈴村和成だと、「おませな女の子」、
宇佐美斉だと、「隅におけない娘」……と
さまざまな日本語に訳されていて、
タイトルを見ただけで
訳者それぞれのランボー観が出ていることを
あらためて知ることになる作品です。
◇
同じようなことは
最終行のカッコ付きの発言(セリフ)の訳し方にも表れます。
西条八十は、「ここを触って見て。‘ちょっぴり’頬ぺたが冷たいの……」、
粟津則雄は、「ねえ私、ほっぺたに風邪をひいたの……」、
金子光晴は、「ほら、さわって。頬っぺたがこんなに冷たいのよ」、
堀口大学は、「さわってみてよ、あたし頬っぺに風邪ひいちゃったらしいのよ……。」、
鈴木創士は、「ねえ、臭いをかいでよ、あたし、ほっぺが冷たくなっちゃった…」、
鈴村和成は、「ねえ、感じる。ほっぺにお風邪‘さん’ひいちゃってよ……」、
宇佐美斉は、「ねえ触ってみて 頬っぺがこんなに冷たいのよ……」
――といったように。
(※傍点は‘ ’で示しました。編者。)
◇
この詩に現われる女性を
どのようにとらえるかで
セリフの訳し方にこんなに違いが出ますし
それは詩の読み方全体の違いにもなるというわけです。
当たり前のことですが。
◇
ランボーが
その放浪の早い時期に
シャルルロアという小さな町のカフェかキャバレーかで
出くわしたベルギー女性をどのように感じ
どのように表現したのか――。
中原中也は
詩を作っているランボーの心持ちに沿おうとし
「下手な襟掛」
「桃の肌えのその頬を」
「子供のようなその口はとンがらせている」
「私に媚びる」
「接唇(くちずけ)してくれと云わんばかりに」
「ねえ、あたし頬(ほっぺた)に風邪引いちゃってよ……」
などと、律儀なほど控えめに
出来る限り逐字訳をしながら、その逐字訳が日本語になっているように気を付けた。
語呂ということも大いに尊重したが、語呂のために語義を無視するようなことはしなかった。
――と、「後記」に記したような翻訳態度を堅持しました。
◇
中原中也訳が
現在も精彩を失わないでいるのは
翻訳というものへの、
この原則的姿勢によるものです。
言葉が立っているのは
この翻訳姿勢にありながら
自身の創作詩を生むための
命がけの格闘(言葉との)を日常としているからです。
*
いたずら好きな女
ワニスと果物の匂いのする、
褐色の食堂の中に、思う存分
名も知れぬベルギー料理を皿に盛り、
私はひどく大きい椅子に埋まっていた。
食べながら、大時計(オルロージュ)の音を聞き、好い気持でジッとしていた。
サッとばかりに料理場の扉(と)が開くと、
女中が出て来た、何事だろう、
とにかく下手な襟掛をして、ベルギー・レースを冠っている。
そして小さな顫える指で、
桃の肌えのその頬を絶えずさわって、
子供のようなその口はとンがらせている、
彼女は幾つも私の近くに、皿を並べて私に媚びる。
それからこんなに、――接唇(くちずけ)してくれと云わんばかりに――
小さな声で、『ねえ、あたし頬(ほっぺた)に風邪引いちゃってよ……』
シヤルルロワにて、一八七〇、十月。
※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新字・新かなで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。
◇
<新漢字・歴史的かな遣いによる>
いたづら好きな女
ワニスと果物の匂ひのする、
褐色の食堂の中に、思ふ存分
名も知れぬベルギー料理を皿に盛り、
私はひどく大きい椅子に埋まつてゐた。
食べながら、大時計(オルロージュ)の音を聞き、好い気持でジツとしてゐた。
サツとばかりに料理場の扉(と)が開くと、
女中が出て来た、何事だらう、
とにかく下手な襟掛をして、ベルギー・レースを冠つてゐる。
そして小さな顫へる指で、
桃の肌へのその頬を絶えずさはつて、
子供のやうなその口はとンがらせてゐる、
彼女は幾つも私の近くに、皿を並べて私に媚びる。
それからこんなに、――接唇(くちづけ)してくれと云はんばかりに――
小さな声で、『ねえ、あたし頬(ほつぺた)に風邪引いちやつてよ……』
シヤルルロワにて、一八七〇、十月。
※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。
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