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2012年8月 8日 (水)

中原中也が訳したランボー「物語」Romanその3

ランボーの文学的な野望とは
1870年当時のフランス詩壇へのデビューのことです。
主流を占めていたパルナシアン(高踏派)の重鎮
テオドール・パンヴィルへ接近し
自作詩を売り込むために幾つかの手紙を書きました。

その一つが、
1870年5月24日の日付けをもつ
パンヴィル宛ての書簡です。
この書簡が
「ランボー全詩集」(宇佐美斉訳、ちくま文庫)に案内されてありますから
少し長めですが、全文を読んでおきます。

テオドール・ド・パンヴィル宛
  シャルルヴィル(アルデンヌ県)1870年5月24日
  テオドール・パンヴィル様

 親愛なる先生、
 恋の花咲く時節です。ぼくはまもなく17歳、いわゆる希望と空想にみちた年頃です。――そして今や、“ミューズ”の指に触られた子供であるぼくは、――陳腐な言い方ならお許しください、――自分の正しい信念や、希望や、感動などといった、詩人たちの領域に属することどもを、――ぼくはそれを春の芽生えと呼ぶのですが、――語り始めようとしているのです。
 
  これらの詩篇をいくつかお送りいたしますのも、――そしてそれはすぐれた出版人である、アルフォンス・ルメールを通じてなのですが、――ぼくが、理想の美に心を奪われたすべての詩人たち、すべてのすぐれた“高踏派の詩人たち”を、――なぜって詩人とは高踏派にほかならないのですから、――愛しているからなのです。ぼくがあなたのうちに、いとも無邪気に、ロンサールの後裔、1830年代のぼくらの巨匠たちの弟、真のロマン派、本物の詩人を認めて、敬愛申し上げているからなのです。以上が理由です。――馬鹿げたことなのでしょうが、しかしそれでも。

  2年後、いやおそらく1年後には、ぼくはパリに出ているでしょう。――新聞記者の諸氏よ、ボクダッテ(Anch’io)高踏派の詩人になるのですよ!――ぼくの秘めているものが何なのか、……何が湧き出ようとしているのか、まだ定かではありませんが……。――でも先生、誓って申しますが、ぼくはいつも変らずに二人の女神、“ミューズと自由”とを崇拝いたします。

  これらの詩篇をお読みになって、あまり不満なお顔はなさらないでください――。先生、もしあなたが詩篇Credo inuamのために、“高踏派の詩人たち”のあいだにささやかな席を設けさせてやってくださいましたなら、ぼくは歓びと希望とで気も狂わんばかりになってしまうでしょう……。ぼくは「高踏詩集」の最新の分冊に間に合うことになるでしょう。そうなれば、世の詩人たちの信条(Credo)ともなることでしょう!……――野心よ! おお、狂気の女よ!

ここで、
「感覚」
「オフィリア」
「太陽と肉体」の3篇の詩がはさまれます。

  これらの詩篇は『現代高踏詩集』にその場所を見出すことができるでしょうか?
――これらこそは、詩人たちの信念ではありませんか?
――ぼくは無名ですが、そんなことは意に介していません。詩人たちは兄弟なのです。これらの詩篇は信念を持っています。愛を持っています。希望を持っています。そしてそれがすべてです。
――先生、どうか聞いてください。ほんの少しだけぼくを持ち上げてください。ぼくは若いのです。お手を差し延べてください……。

(※行空きを加え、数字を洋数字に直しました。また、傍点は“ ”で表わしました。編者)

パンヴィルがこの手紙へ返事を書いたことが分かっていますが
それは現在でも発見されていません。

 *

 物語

     Ⅰ

人十七にもなるというと、石や金(かね)ではありません。
或る美しい夕べのこと、――灯火輝くカフェーの
ビールがなんだ、レモネードがなんだ?――
人はゆきます遊歩場、緑色濃き菩提樹の下。

菩提樹のなんと薫ること、六月の佳い宵々に。
空気は大変甘くって、瞼閉じたくなるくらい。
程遠き街の響を運ぶ風
葡萄の薫り、ビールの薫り。

     Ⅱ

枝の彼方の暗い空
小さな雲が浮かんでる、
甘い顫えに溶けもする、白い小さな
悪い星奴(め)に螫されてる。

六月の宵!……十七才!……人はほろ酔い陶然となる。
血はさながらにシャンペンで、それは頭に上ります。
人はさまよい徘徊し、羽搏く接唇(くちづけ)感じます
小さな小さな生き物の、羽搏く接唇(くちづけ)……

     Ⅲ

のぼせた心はありとある、物語にまで拡散し、
折しも蒼い街灯の、明りの下を過ぎゆくは
可愛いい可愛いい女の子
彼女の恐(こは)い父親の、今日はいないをいいことに。

さて、君を、純心なりと見てとるや、
小さな靴をちょこちょこと、
彼女は忽ちやって来て、
――すると貴君の唇(くち)の上(へ)の、単純旋律(カヷチナ)やがて霧散する。

     Ⅳ

貴君は恋の捕虜となり、八月の日も暑からず!
貴君は恋の捕虜となり、貴君の恋歌は彼女を笑まし。
貴君の友等は貴君を去るも、貴君関する所に非ず。
――さても彼女は或る夕べ、貴君に色よい手紙を呉れる。

その宵、貴君はカフェーに行き、
ビールも飲めばレモネードも飲む……
人十七にもなるというと、遊歩場の
菩提樹の味知るというと、石や金(かね)ではありません。
            〔一八七〇、九月二十三日〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

<新漢字・歴史的かな遣い版>
 物語

人十七にもなるといふと、石や金(かね)ではありません。
或る美しい夕べのこと、――灯火輝くカフヱーの
ビールがなんだ、レモナードがなんだ?――
人はゆきます遊歩場、緑色濃き菩提樹の下。

菩提樹のなんと薫ること、六月の佳い宵々に。
空気は大変甘くつて、瞼閉じたくなるくらゐ。
程遠き街の響を運ぶ風
葡萄の薫り、ビールの薫り。

     Ⅱ

枝の彼方の暗い空
小さな雲が浮かんでる、
甘い顫へに溶けもする、白い小さな
悪い星奴(め)に螫されてる。

六月の宵!……十七才!……人はほろ酔ひ陶然となる。
血はさながらにシャンペンで、それは頭に上ります。
人はさまよひ徘徊し、羽搏く接唇(くちづけ)感じます
小さな小さな生き物の、羽搏く接唇(くちづけ)……

     Ⅲ

のぼせた心はありとある、物語にまで拡散し、
折しも蒼い街灯の、明りの下を過ぎゆくは
可愛いい可愛いい女の子
彼女の恐(こは)い父親の、今日はゐないをいいことに。

扨、君を、純心なりと見てとるや、
小さな靴をちよこちよこと、
彼女は忽ちやつて来て、
――すると貴君の唇(くち)の上(へ)の、単純旋律(カヷチナ)やがて霧散する。

     IIII

貴君は恋の捕虜となり、八月の日も暑からず!
貴君は恋の捕虜となり、貴君の恋歌は彼女を笑まし。
貴君の友等は貴君を去るも、貴君関する所に非ず。
――さても彼女は或る夕べ、貴君に色よい手紙を呉れる。

その宵、貴君はカフヱーに行き、
ビールも飲めばレモナードも飲む……
人十七にもなるといふと、遊歩場の
菩提樹の味知るといふと、石や金(かね)ではありません。
            〔一八七〇、九月二十三日〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

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