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2012年8月 6日 (月)

中原中也が訳したランボー「物語」Roman

「物語」Romanも
「ドゥエ詩帖」収載の1篇で
メッサン版にファクシミレがあります。

詩の中に数箇所「17歳」が歌われているところがあり
末尾に記載された「1870年9月23日」とともに
制作の背景を知る手掛かりにされることが多い作品です。

1854年10月20日生まれのランボーは
1870年9月23日には16歳になる約1か月前のことになり
この日が制作日であるとすれば
「17歳」は詐称(ハッタリ)ではないか、という推測を呼ぶのです。

成人への出発点を前にして
喜びと希望とを表明しながら
それをアイロニカルに眺めるランボー――。
詩内容は
相反する方向を孕(はら)んでいます。

とにかく
読んでみましょう。

人は17歳ともなれば、石や金(カネ)を追いかけるものではありません。
ある美しい夕べのこと、――照明で輝いているカフェの
ビールがなんだというのさ、レモネードがなんだというのさ――
(そんなモノ目当てにしないで)人は行きます、遊歩場や緑濃い菩提樹の木蔭。

菩提樹のなんと香ぐわしいこと、6月の美しい宵の数々。
空気はすごく甘くって、瞼を閉じたくなるくらい。
すこし離れた街の匂いを運ぶ風
葡萄の香り、ビールの香り。

枝の向うの暗い空
小さな雲が浮かんでる、
甘やかな顫動(ふるえ)に溶けそうな、白い小さな
星のヤツにさされてる。

6月の宵! ……17才!……人はほろ酔い、とろけそうになる。
血はシャンパンさながらに、頭の中はのぼせます。
人はさ迷いうろつき回り、唇が唇を求めているのを感じます
小さな小さな生き物の、唇が唇を……

のぼせた心は、あらゆる物語へと広がって
ちょうど青い街灯の、明かりの下を過ぎていく
可愛い可愛い女の子
彼女のこわい父親が、今日はいないのをチャンスとばかり。

さて、キミを、純心だと見極めて
小さな靴をチョコチョコと、
彼女はすぐにやって来て、
――すると、キミの唇が、歌っていたメロディーは消えてしまう。

キミは恋のとりこになって、8月の日も暑くない!
キミは恋のとりこになって、キミの歌は彼女を笑わせる。
キミの友らはアナタを去っても、キミはちっとも気にしない。
――そうして彼女はある夕べ、キミにOKの返事をくれる。

その宵、キミはカフェに行って、
ビールを飲めば、レモネードも飲み……
人は17歳ともなればというと、遊歩場の
菩提樹の味を知り、石や金(カネ)ではすみません。
              (1870年9月23日)

2の第1連「螫(さ)す」は「刺す、差す、射す」などと同じような意味。
「虫」のイメージを「星」に込めたかったのでしょう。

 *

 物語

     Ⅰ

人十七にもなるというと、石や金(かね)ではありません。
或る美しい夕べのこと、――灯火輝くカフェーの
ビールがなんだ、レモネードがなんだ?――
人はゆきます遊歩場、緑色濃き菩提樹の下。

菩提樹のなんと薫ること、六月の佳い宵々に。
空気は大変甘くって、瞼閉じたくなるくらい。
程遠き街の響を運ぶ風
葡萄の薫り、ビールの薫り。

     Ⅱ

枝の彼方の暗い空
小さな雲が浮かんでる、
甘い顫えに溶けもする、白い小さな
悪い星奴(め)に螫されてる。

六月の宵!……十七才!……人はほろ酔い陶然となる。
血はさながらにシャンペンで、それは頭に上ります。
人はさまよい徘徊し、羽搏く接唇(くちづけ)感じます
小さな小さな生き物の、羽搏く接唇(くちづけ)……

     Ⅲ

のぼせた心はありとある、物語にまで拡散し、
折しも蒼い街灯の、明りの下を過ぎゆくは
可愛いい可愛いい女の子
彼女の恐(こは)い父親の、今日はいないをいいことに。

さて、君を、純心なりと見てとるや、
小さな靴をちょこちょこと、
彼女は忽ちやって来て、
――すると貴君の唇(くち)の上(へ)の、単純旋律(カヷチナ)やがて霧散する。

     Ⅳ

貴君は恋の捕虜となり、八月の日も暑からず!
貴君は恋の捕虜となり、貴君の恋歌は彼女を笑まし。
貴君の友等は貴君を去るも、貴君関する所に非ず。
――さても彼女は或る夕べ、貴君に色よい手紙を呉れる。

その宵、貴君はカフェーに行き、
ビールも飲めばレモネードも飲む……
人十七にもなるというと、遊歩場の
菩提樹の味知るというと、石や金(かね)ではありません。
            〔一八七〇、九月二十三日〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

<新漢字・歴史的かな遣い版>
 物語

     Ⅰ

人十七にもなるといふと、石や金(かね)ではありません。
或る美しい夕べのこと、――灯火輝くカフヱーの
ビールがなんだ、レモナードがなんだ?――
人はゆきます遊歩場、緑色濃き菩提樹の下。

菩提樹のなんと薫ること、六月の佳い宵々に。
空気は大変甘くつて、瞼閉じたくなるくらゐ。
程遠き街の響を運ぶ風
葡萄の薫り、ビールの薫り。

     Ⅱ

枝の彼方の暗い空
小さな雲が浮かんでる、
甘い顫へに溶けもする、白い小さな
悪い星奴(め)に螫されてる。

六月の宵!……十七才!……人はほろ酔ひ陶然となる。
血はさながらにシャンペンで、それは頭に上ります。
人はさまよひ徘徊し、羽搏く接唇(くちづけ)感じます
小さな小さな生き物の、羽搏く接唇(くちづけ)……

     Ⅲ

のぼせた心はありとある、物語にまで拡散し、
折しも蒼い街灯の、明りの下を過ぎゆくは
可愛いい可愛いい女の子
彼女の恐(こは)い父親の、今日はゐないをいいことに。

扨、君を、純心なりと見てとるや、
小さな靴をちよこちよこと、
彼女は忽ちやつて来て、
――すると貴君の唇(くち)の上(へ)の、単純旋律(カヷチナ)やがて霧散する。

     IIII

貴君は恋の捕虜となり、八月の日も暑からず!
貴君は恋の捕虜となり、貴君の恋歌は彼女を笑まし。
貴君の友等は貴君を去るも、貴君関する所に非ず。
――さても彼女は或る夕べ、貴君に色よい手紙を呉れる。

その宵、貴君はカフヱーに行き、
ビールも飲めばレモナードも飲む……
人十七にもなるといふと、遊歩場の
菩提樹の味知るといふと、石や金(かね)ではありません。
            〔一八七〇、九月二十三日〕

※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

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