中原中也が訳したランボー「物語」Roman
「物語」Romanも
「ドゥエ詩帖」収載の1篇で
メッサン版にファクシミレがあります。
詩の中に数箇所「17歳」が歌われているところがあり
末尾に記載された「1870年9月23日」とともに
制作の背景を知る手掛かりにされることが多い作品です。
1854年10月20日生まれのランボーは
1870年9月23日には16歳になる約1か月前のことになり
この日が制作日であるとすれば
「17歳」は詐称(ハッタリ)ではないか、という推測を呼ぶのです。
◇
成人への出発点を前にして
喜びと希望とを表明しながら
それをアイロニカルに眺めるランボー――。
詩内容は
相反する方向を孕(はら)んでいます。
◇
とにかく
読んでみましょう。
◇
1
人は17歳ともなれば、石や金(カネ)を追いかけるものではありません。
ある美しい夕べのこと、――照明で輝いているカフェの
ビールがなんだというのさ、レモネードがなんだというのさ――
(そんなモノ目当てにしないで)人は行きます、遊歩場や緑濃い菩提樹の木蔭。
菩提樹のなんと香ぐわしいこと、6月の美しい宵の数々。
空気はすごく甘くって、瞼を閉じたくなるくらい。
すこし離れた街の匂いを運ぶ風
葡萄の香り、ビールの香り。
2
枝の向うの暗い空
小さな雲が浮かんでる、
甘やかな顫動(ふるえ)に溶けそうな、白い小さな
星のヤツにさされてる。
6月の宵! ……17才!……人はほろ酔い、とろけそうになる。
血はシャンパンさながらに、頭の中はのぼせます。
人はさ迷いうろつき回り、唇が唇を求めているのを感じます
小さな小さな生き物の、唇が唇を……
3
のぼせた心は、あらゆる物語へと広がって
ちょうど青い街灯の、明かりの下を過ぎていく
可愛い可愛い女の子
彼女のこわい父親が、今日はいないのをチャンスとばかり。
さて、キミを、純心だと見極めて
小さな靴をチョコチョコと、
彼女はすぐにやって来て、
――すると、キミの唇が、歌っていたメロディーは消えてしまう。
4
キミは恋のとりこになって、8月の日も暑くない!
キミは恋のとりこになって、キミの歌は彼女を笑わせる。
キミの友らはアナタを去っても、キミはちっとも気にしない。
――そうして彼女はある夕べ、キミにOKの返事をくれる。
その宵、キミはカフェに行って、
ビールを飲めば、レモネードも飲み……
人は17歳ともなればというと、遊歩場の
菩提樹の味を知り、石や金(カネ)ではすみません。
(1870年9月23日)
◇
2の第1連「螫(さ)す」は「刺す、差す、射す」などと同じような意味。
「虫」のイメージを「星」に込めたかったのでしょう。
*
物語
Ⅰ
人十七にもなるというと、石や金(かね)ではありません。
或る美しい夕べのこと、――灯火輝くカフェーの
ビールがなんだ、レモネードがなんだ?――
人はゆきます遊歩場、緑色濃き菩提樹の下。
菩提樹のなんと薫ること、六月の佳い宵々に。
空気は大変甘くって、瞼閉じたくなるくらい。
程遠き街の響を運ぶ風
葡萄の薫り、ビールの薫り。
Ⅱ
枝の彼方の暗い空
小さな雲が浮かんでる、
甘い顫えに溶けもする、白い小さな
悪い星奴(め)に螫されてる。
六月の宵!……十七才!……人はほろ酔い陶然となる。
血はさながらにシャンペンで、それは頭に上ります。
人はさまよい徘徊し、羽搏く接唇(くちづけ)感じます
小さな小さな生き物の、羽搏く接唇(くちづけ)……
Ⅲ
のぼせた心はありとある、物語にまで拡散し、
折しも蒼い街灯の、明りの下を過ぎゆくは
可愛いい可愛いい女の子
彼女の恐(こは)い父親の、今日はいないをいいことに。
さて、君を、純心なりと見てとるや、
小さな靴をちょこちょこと、
彼女は忽ちやって来て、
――すると貴君の唇(くち)の上(へ)の、単純旋律(カヷチナ)やがて霧散する。
Ⅳ
貴君は恋の捕虜となり、八月の日も暑からず!
貴君は恋の捕虜となり、貴君の恋歌は彼女を笑まし。
貴君の友等は貴君を去るも、貴君関する所に非ず。
――さても彼女は或る夕べ、貴君に色よい手紙を呉れる。
その宵、貴君はカフェーに行き、
ビールも飲めばレモネードも飲む……
人十七にもなるというと、遊歩場の
菩提樹の味知るというと、石や金(かね)ではありません。
〔一八七〇、九月二十三日〕
※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。
◇
<新漢字・歴史的かな遣い版>
物語
Ⅰ
人十七にもなるといふと、石や金(かね)ではありません。
或る美しい夕べのこと、――灯火輝くカフヱーの
ビールがなんだ、レモナードがなんだ?――
人はゆきます遊歩場、緑色濃き菩提樹の下。
菩提樹のなんと薫ること、六月の佳い宵々に。
空気は大変甘くつて、瞼閉じたくなるくらゐ。
程遠き街の響を運ぶ風
葡萄の薫り、ビールの薫り。
Ⅱ
枝の彼方の暗い空
小さな雲が浮かんでる、
甘い顫へに溶けもする、白い小さな
悪い星奴(め)に螫されてる。
六月の宵!……十七才!……人はほろ酔ひ陶然となる。
血はさながらにシャンペンで、それは頭に上ります。
人はさまよひ徘徊し、羽搏く接唇(くちづけ)感じます
小さな小さな生き物の、羽搏く接唇(くちづけ)……
Ⅲ
のぼせた心はありとある、物語にまで拡散し、
折しも蒼い街灯の、明りの下を過ぎゆくは
可愛いい可愛いい女の子
彼女の恐(こは)い父親の、今日はゐないをいいことに。
扨、君を、純心なりと見てとるや、
小さな靴をちよこちよこと、
彼女は忽ちやつて来て、
――すると貴君の唇(くち)の上(へ)の、単純旋律(カヷチナ)やがて霧散する。
IIII
貴君は恋の捕虜となり、八月の日も暑からず!
貴君は恋の捕虜となり、貴君の恋歌は彼女を笑まし。
貴君の友等は貴君を去るも、貴君関する所に非ず。
――さても彼女は或る夕べ、貴君に色よい手紙を呉れる。
その宵、貴君はカフヱーに行き、
ビールも飲めばレモナードも飲む……
人十七にもなるといふと、遊歩場の
菩提樹の味知るといふと、石や金(かね)ではありません。
〔一八七〇、九月二十三日〕
※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。
にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)
« 中原中也が訳したランボー「喜劇・三度の接唇」Comédie en trois baisersその3 | トップページ | 中原中也が訳したランボー「物語」Romanその2 »
「051中原中也が訳したランボー」カテゴリの記事
- 「中原中也が訳したランボー」のおわりに・その6(2012.09.10)
- 「中原中也が訳したランボー」のおわりに・その5(2012.09.09)
- 「中原中也が訳したランボー」のおわりに・その4(2012.09.05)
- 「中原中也が訳したランボー」のおわりに・その3(2012.09.04)
- 「中原中也が訳したランボー」のおわりに・その2(2012.09.03)
« 中原中也が訳したランボー「喜劇・三度の接唇」Comédie en trois baisersその3 | トップページ | 中原中也が訳したランボー「物語」Romanその2 »
コメント