中原中也が訳したランボー「物語」Romanその2
「物語」Romanが
詩の末尾にあるように1870年9月30日に制作されたものであるならば
ランボーはまだ15歳、
16歳になる少し前のことでした。
制作日の記入は
しばしば、詩の制作よりずっと後になることもあり
詩の制作が1970年9月23日以前であることは間違いないわけですから
いずれにしても15歳以前の制作であったことは確実です。
「物語」は
15歳の少年が書いた詩であるということを
まずは記憶しておきたいところですが
17歳と年齢を偽って「大人びて」見せることの理由について
単に「背伸び」して大人びるというのなら
思春期(青年期)によくある「虚勢」の表れでしょうから
取り立ててとやかく言うこともないはずですが
ランボーの場合、少し違った事情があったようです。
それは
ランボーの野心。
文学的な野望と関係します。
*
物語
Ⅰ
人十七にもなるというと、石や金(かね)ではありません。
或る美しい夕べのこと、――灯火輝くカフェーの
ビールがなんだ、レモネードがなんだ?――
人はゆきます遊歩場、緑色濃き菩提樹の下。
菩提樹のなんと薫ること、六月の佳い宵々に。
空気は大変甘くって、瞼閉じたくなるくらい。
程遠き街の響を運ぶ風
葡萄の薫り、ビールの薫り。
Ⅱ
枝の彼方の暗い空
小さな雲が浮かんでる、
甘い顫えに溶けもする、白い小さな
悪い星奴(め)に螫されてる。
六月の宵!……十七才!……人はほろ酔い陶然となる。
血はさながらにシャンペンで、それは頭に上ります。
人はさまよい徘徊し、羽搏く接唇(くちづけ)感じます
小さな小さな生き物の、羽搏く接唇(くちづけ)……
Ⅲ
のぼせた心はありとある、物語にまで拡散し、
折しも蒼い街灯の、明りの下を過ぎゆくは
可愛いい可愛いい女の子
彼女の恐(こは)い父親の、今日はいないをいいことに。
さて、君を、純心なりと見てとるや、
小さな靴をちょこちょこと、
彼女は忽ちやって来て、
――すると貴君の唇(くち)の上(へ)の、単純旋律(カヷチナ)やがて霧散する。
Ⅳ
貴君は恋の捕虜となり、八月の日も暑からず!
貴君は恋の捕虜となり、貴君の恋歌は彼女を笑まし。
貴君の友等は貴君を去るも、貴君関する所に非ず。
――さても彼女は或る夕べ、貴君に色よい手紙を呉れる。
その宵、貴君はカフェーに行き、
ビールも飲めばレモネードも飲む……
人十七にもなるというと、遊歩場の
菩提樹の味知るというと、石や金(かね)ではありません。
〔一八七〇、九月二十三日〕
※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、新漢字・現代かな遣いで表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。
◇
<新漢字・歴史的かな遣い版>
物語
Ⅰ
人十七にもなるといふと、石や金(かね)ではありません。
或る美しい夕べのこと、――灯火輝くカフヱーの
ビールがなんだ、レモナードがなんだ?――
人はゆきます遊歩場、緑色濃き菩提樹の下。
菩提樹のなんと薫ること、六月の佳い宵々に。
空気は大変甘くつて、瞼閉じたくなるくらゐ。
程遠き街の響を運ぶ風
葡萄の薫り、ビールの薫り。
Ⅱ
枝の彼方の暗い空
小さな雲が浮かんでる、
甘い顫へに溶けもする、白い小さな
悪い星奴(め)に螫されてる。
六月の宵!……十七才!……人はほろ酔ひ陶然となる。
血はさながらにシャンペンで、それは頭に上ります。
人はさまよひ徘徊し、羽搏く接唇(くちづけ)感じます
小さな小さな生き物の、羽搏く接唇(くちづけ)……
Ⅲ
のぼせた心はありとある、物語にまで拡散し、
折しも蒼い街灯の、明りの下を過ぎゆくは
可愛いい可愛いい女の子
彼女の恐(こは)い父親の、今日はゐないをいいことに。
扨、君を、純心なりと見てとるや、
小さな靴をちよこちよこと、
彼女は忽ちやつて来て、
――すると貴君の唇(くち)の上(へ)の、単純旋律(カヷチナ)やがて霧散する。
IIII
貴君は恋の捕虜となり、八月の日も暑からず!
貴君は恋の捕虜となり、貴君の恋歌は彼女を笑まし。
貴君の友等は貴君を去るも、貴君関する所に非ず。
――さても彼女は或る夕べ、貴君に色よい手紙を呉れる。
その宵、貴君はカフヱーに行き、
ビールも飲めばレモナードも飲む……
人十七にもなるといふと、遊歩場の
菩提樹の味知るといふと、石や金(かね)ではありません。
〔一八七〇、九月二十三日〕
※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。
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