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2012年9月15日 (土)

戦中派が読んだ中原中也・平井啓之の場合3

当時、中原中也の詩(それは前にも触れたように、厳密に神保光太郎選の29篇に限定された中也である)が、私たちに対してもった意味を伝えるのに恰好の事実を今思いだす。

 

――と書いて、平井啓之は続けます。
「神保光太郎選の29篇」とは
昭和14年12月刊の「現代詩集」(河出書房)第1巻所収の
中原中也の詩のことです。

 

◇

 

私の繰上げ卒業も程近かった或る日、文芸部の部屋で、数人の仲間が、自分の好きな詩を数篇書き出して、投票をしたことがある。その場には、宮野尾、私、京都の人文研の多田道太郎、石上相(彼もまた、輸送船で南方へ送られる途中、南支那海に沈んだ)、それに、今法政大学の先生をしている吉川経夫らもいたように思う。

 

「朝の歌」「汚れつちまつた悲しみに……」「寒い夜の自我像」など、中也の傑作とみられる作品は、もちろんそれぞれに票を得たが、満票でのこったのは、「春と赤ン坊」であった。3行詩節4聯から成るこの小詩は、中村稔によれば、放送用原稿として書かれたものであり、決して悪い作品ではないが、「朝の歌」その他の秀作を差しおいて、私たちの一致した愛着をかち得たことは、考えてみればやや奇異である。だがこのことは、当時の私たちが置かれていた息苦しい状況を思えば納得のいくことであった。

 

同じ年の4月半ばには米機の東京初空襲があり、6月初めにはミッドウエー海戦があった。伝えられるニュースはもちろん捷報ばかりであったが、事実はすでに日米の戦いの明暗を分けるような決定的な出来事が生じていたのである。それに私たちはいずれも、やがては確実に兵士として戦場に立つ身であった。肌身で感じているこの息苦しさのなかで、私たちはいずれも、真実に息のつける人間的なやすらぎを、ほとんど本能的に希求していた。

 

「春と赤ン坊」を私たちがあれほど憧愛したことの意味は、この戦時下の青年たちの心の状況を考えることなしには、解ってもらえないだろう。「春と赤ン坊」の、菜の花畑に眠る無心の赤ん坊のイメージは、幸福な幼年期への限りない郷愁のような思いをそそる。しかし普通、私たちは、苛烈な生存競争に耐えて大人になるための努力のなかに、そうした幼児期への郷愁をふりすててすすむ。しかし近い将来のなかに、死をのぞみ見ることを避け得なかった当時の私たちに対して、幸福の幻影は、ただ幼年期という形でだけ、その束の間の瞥見をゆるした。

 

『山羊の歌』に比重の秤のかたむいた『現代詩集』29篇の中也の詩篇は、こうした当時の私たちの内面からの要求に、この上なく応ずる一つの世界を形づくっていた。
(以下略)

 

◇

 

3回に分けて引用しましたが、
この量で、「わが中也論序説」(B5版)の32ページほどの論考で、
引用したのは冒頭の約4ページですから
「序説の序」の部分ということになります。

 

◇

 

「現代詩集」第1巻は
高村光太郎、草野心平、中原中也、蔵原伸二郎、神保光太郎の
5人の詩人のアンソロジー(詞華集)です。

 

中原中也の作品は
「帰郷」のタイトルが選者の神保光太郎によってつけられ
以下の29篇が収録されています。

 

祈り
サーカス
朝の歌
臨終
黄昏
冬の雨の夜
帰郷
悲しき朝
港市の秋
秋の夜空
少年時
妹よ
寒い夜の自我像
心象I
心象II
汚れつちまつた悲しみに……
無題
秋
みちこ
骨
六月の雨
冬の日の記憶
冷たい夜
春と赤ン坊
曇天
一つのメルヘン
幻影
蛙声
月夜の浜辺

 

◇

ちなみに
第2巻は、丸山薫、立原道造、田中冬二、伊東静雄、宮沢賢治、
第3巻は、萩原朔太郎、北川冬彦、高橋新吉、金子光晴、三好達治
――というラインアップで
全3巻で合計15人が選ばれています。

 

◇

 

「春と赤ン坊」を載せておきます。

 

 

 

 
 *  
 
 春と赤ン坊

 

菜の花畑で眠つてゐるのは……
菜の花畑で吹かれてゐるのは……
赤ン坊ではないでせうか?

 

いいえ、空で鳴るのは、電線です電線です
ひねもす、空で鳴るのは、あれは電線です
菜の花畑に眠つてゐるのは、赤ン坊ですけど

 

走つてゆくのは、自転車々々々 向ふの道を、
走つてゆくのは
薄桃色の、風を切つて……

 

薄桃色の、風を切つて 走つてゆくのは
菜の花畑や空の白雲(しろくも)
――赤ン坊を畑に置いて  

 

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

 

 

 


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