「中原中也が訳したランボー」のおわりに・その2
「中原中也が訳したランボー」を終えるのに際して、
中原中也の詩が
早い時期からフランス詩を受容して作られていた、ということの再確認とは別に
もう一つ、昭和12年9月15日に発行された「ランボオ詩集」が
売れ行き好調だったことには
どうしても触れておかないわけにいきません。
『ランボオ詩集』は彼の死の直前の、12年9月、野田書房から出た。書房主人野田誠三は半ば道楽の犠牲的出版と自称していて、印税としては、またまた本を50部貰っただけである。「日記」によれば、9月15日上京発送、25日には林房雄、川端康成、深田久弥の家に自分で届けている。これは発病の10日前である。彼はこの訳著の評判を知らずに死んだ。
――と、大岡昇平が書いているところの「評判」のことですが、
「評判」には、
内容に対する評価(毀誉褒貶)と、書物の売れ行きという二つの側面があります。
◇
まずは、売れ行きのことですが、
「ランボオ詩集」発行までの経過を
中原中也の日記から拾っておきます。
◇
(8月11日) Mercredi
野田書房より「ランボオ詩集」の初校来る。
わりつけが目茶々々なので閉口。
(略)
(8月23日) Lunndi
午前1時起床。「ランボオの手紙」(版画荘)を読了。
(8月25日) Mercredi
ランボオ詩集三校発送。
(略)
(8月28日) Samedi
(略)
ランボオ詩集四校発送。(責任校了とす。)
どんな本になることやら、俺は知らない。「永遠の中耳炎氏」即ち野田誠三がやることだ。俺は知らない。奴は校正刷を送る以外、何を問合せても一度の返事もしない。虫のいい奴!
(9月15日) Mercredi
(略)
上京。野田書房よりランボオ詩集発送。
青山を訪ね、夜更け帰る。坊やまだ熱あり。
(9月25日)Samedi
(略)
林、深田、川端三先生に「ランボオ詩集」を届く。
◇
野田書房に「ランボオ詩集」の出版を依頼したのは8月とされていて
相当なスピードで作業が進められたらしいのですが、
なぜ、そのように急がれねばならなかったのか
大きな謎です。
「ランボオ詩集」の「後記」末尾に
「昭和12年8月21日」の日付けが記されていますから
校正の途中で「後記」原稿を入れ、
3校、4校と進めて、4校で「責任校了」としたというのにも
急いでいる感じが表れていますが、
とにかく、9月15日には、印刷された「ランボオ詩集」を手にしたのです。
◇
日記に、「ランボオ詩集」を手にした感想は記されず、
9月25日に「林、深田、川端三先生に「ランボオ詩集」を届く。」の記述があるほかは、
9月17日付け母フク宛の書簡に
「ランボオ詩集」出ました。お金の代りに50部呉れましたので方々へ送りました。」とあるだけです。
発行日直後(当日)の日記に、
上京。野田書房よりランボオ詩集発送。
青山を訪ね、夜更け帰る。(9月15日)
――の記述があるだけということになり、
10日後(9月25日)に、
「林、深田、川端三先生に「ランボオ詩集」を届く。」と書いて以降、
「ランボオ詩集」の一語も日記に現れることはなく、
この年の10月22日に詩人は急逝してしまいます。
◇
死後、詩人にゆかりのあった雑誌が次々に追悼特集を出しましたが
野田書房社主・野田誠三は「手帖」第16号に
「中原中也の死」と題して追悼文を寄せています。
「昭和12年10月28日」の日付けのあるこの追悼文の中に
「ランボオ詩集」の発行と売れ行きのことが書かれています。
◇
中原中也の死
野田誠三
(略)
今から思えば、やっぱり虫が知らせたのであろう。八月、突然、僕のところへ来られて、「ランボオ詩集」を本にして呉れ、もう随分、長いこと原稿は持っていたんだけれど、――と大変、本にすることを急いでおられた。従ってご承知のように「手帖」15号で予告もなしに刊行を読者諸氏にお知らせしたのだけれど、本が出来て、中原氏は「ああ、気持のいい本になった。これでやっと肩の重荷がおりたようだ。」と大変よろこんでおられた。自分の作った本を、著者に喜んでいただく位うれしいものはないので、私も共に大いに喜んだ。
出してみると俄然、凄い売行だった。何日ならずして、手持品は全部売切、取次店からは追加注文が、しきりなしに来る。手元に一冊も本がないので、書房用の保存版から、自分のために残しておいた一冊も出してしまい、取次店に頼んで市内の売れてない店から引上げて来たものを注文に廻すという騒ぎだった。熱心なお客様は、市内の小売店どこを見てもないので、わざわざ遠い所を直接おいで戴いて、ついに無駄足をさせてしまった恐縮さも語り草の一つ。
名実ともに慶賀すべきこの「ランボオ詩集」が、はかなくも中原氏最後の本になろうとは!(略)
(※「新編中原中也全集」別巻(下)資料・研究篇より。「新字・新かな」表記に直しました。「行アキ」を加えてあります。編者。)
◇
発行部数がそれほどでなかったにせよ
小さな出版社の「嬉しい悲鳴」が伝わってきます。
「ランボオ詩集」は
同年11月18日に再版、
12月25日に三版が発行されたそうです。
(つづく)
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