カテゴリー

2026年9月
日 月 火 水 木 金 土
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
無料ブログはココログ

« 一高生が読んだ中原中也・大岡信の場合 | トップページ | 戦中派が読んだ中原中也・黒田三郎の場合 »

2012年9月19日 (水)

一高生が読んだ中原中也・中村稔の場合

大岡信(1931年2月生まれ)が
「昭和の抒情とは何か」で対談した中村稔(1927年1月生まれ)は
この対談よりずっと前に
中原中也との出会いを
昭和45年発表の「『山羊の歌』との出会い」に記述しています。

 

この記述をその後も、
「中原中也との出会い」(「言葉なき歌」昭和48年、角川書店)に引用したり
中村稔全集第2巻に収録したりと繰り返し案内したために
知っている人も多いはずですが
ここでそれを読んでおきましょう。

 

いま容易に読めるのは
「言葉なき歌 中原中也論」の中の「中原中也との出会い」に引用された
「『山羊の歌』との出会い」の冒頭の部分です。

 

中村稔は
自ら書いた文章を引用したため
「『山羊の歌』との出会い」の冒頭の部分を「 」でくくっています。

 

◇

 

昭和45年9月、堀内達夫氏が『山羊の歌』を復刻したさい、求められて私は「『山羊の歌』との出会い」という文章を寄せた。その冒頭は次のとおりであった。

 

「私は『山羊の歌』を筆写したことがある。昭和19年、私が旧制高校に入学して間もない頃であった。中原中也という詩人を教えてくれたのは誰であったか、私はもう覚えていない。寄宿舎の同じ部屋に生活していた上級生の一人だったにちがいない。いいだ・ももであったか、太田一郎であったか、この頃では文学から遠ざかってしまったそのほかの上級生であったか。誰であってもふしぎはない。彼らの誰にとっても、中原中也という詩人は、小林秀雄という名前と同様に、又、結ぶつきながら、ごくごく身近な文学のしるしであったように思われる。

 

寄宿舎の一室の壁に『湖上』の全文が墨くろぐろと書かれていたのを、その部屋の裸電球の侘しい光と共に、私は思い出す。やがて、私たちは中原の「でしょう節(ぶし)」などと悪口をいうようになったのだが、最初これを読んだ(というより見た)時の奇妙な感動と反撥を、私は忘れない。絡みつくような艦尾さと率直さが私をとらえたのだが、同時に、詩であるものと詩でないものとのあやうい境い、あるいはきわどい裂け目を覗きみたような思いが、私を苛立たせたのだろう。今になれば私にはそう思われる。ともかく、私はまだ17歳にしかすぎなかった。

 

いうまでもなく、創元選書版の中原中也詩集はまだ刊行されていなかった。河出書房版の3巻本の『現代詩集』から、限られた数の作品を知りうるだけだった。あとは、『山羊の歌』『在りし日の歌』という2冊の詩集を探すよりほか中原を読む手だてはなかった。高等学校の図書館にこれらの詩集があったことは、何かの偶然としか思われない。それは岡本信二郎という元教授の寄贈図書の一群にまじっていたのである。この寄贈図書は、どういうわけか、『四季』の詩人たち、三好、立原、神保、丸山といった人々の詩集のほとんどを含んでいた。私はその図書館のひえびえとした空気、詩集のにおい、頁をくって立ちあらわれる抒情詩の新鮮な世界への驚き、を憶えている。図書館の椅子の感触といっしょに、頁を繰る紙質の感触が、いつでも直ちに私に蘇ってくるのである。(以下略)」

 

◇

 

以上のように自著を引用した後に中村稔は
先の大岡信との対談について述べます――。

 

過日、大岡信氏と雑談していたとき、寄宿舎の壁に書かれていた「湖上」が大岡氏にとって中原中也との最初の出会いであったと聞いて、奇異な感じをうけた。大岡氏は昭和22年、私と入れちがいに同じ高等学校に入学したのだが、その頃になっても、まだ「湖上」は消されていなかったわけである。

 

◇

 

「中原中也との出会い」は「言葉なき歌」が刊行されたときに
新たに書き下されたもの。
昭和48年の発行です。

 

大岡信と中村稔の対談は
「国文学」昭和47年10月号のために行われ
「昭和の抒情とは何か」のタイトルで同誌に掲載されたのが初出です。

 

◇

 

中村稔の回想は
一高駒場寮の「青春」、
とりわけ中原中也がどのように読まれていたかを
垣間見せてくれて貴重です。

 

 

 

(つづく)

 

*
 湖上
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう。
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。
沖に出たらば暗いでせう、
櫂(かい)から滴垂(したた)る水の音は
昵懇(ちか)しいものに聞こえませう、
——あなたの言葉の杜切(とぎ)れ間を。
月は聴き耳立てるでせう、
すこしは降りても来るでせう、
われら接唇(くちづけ)する時に
月は頭上にあるでせう。
あなたはなほも、語るでせう、
よしないことや拗言(すねごと)や、
洩らさず私は聴くでせう、
——けれど漕ぐ手はやめないで。
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう、
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。

 

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

 


にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

« 一高生が読んだ中原中也・大岡信の場合 | トップページ | 戦中派が読んだ中原中也・黒田三郎の場合 »

「081さまざまな中也体験・中也像」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 一高生が読んだ中原中也・中村稔の場合:

« 一高生が読んだ中原中也・大岡信の場合 | トップページ | 戦中派が読んだ中原中也・黒田三郎の場合 »