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2012年9月13日 (木)

戦中派が読んだ中原中也・平井啓之の場合

昭和27年に、人文書院から出た「ランボオ全集」3冊本は、
東大仏文科の教授・鈴木信太郎が監修したもので
第1巻を「詩集」
第2巻を「飾画・雑纂・文学書簡・補遺文献・年譜Ⅰ」
第3巻を「地獄の季節・補遺文献・放浪書簡・年譜Ⅱ」
――などとする内容でした。

 

第1巻「詩集」の翻訳者には、
村上菊一郎
中原中也
小林秀雄
鈴木信太郎
平井啓之
佐藤朔
――の名前があり、
合計63篇の韻文(詩)が訳されているうちの
11篇が中原中也のものです。

 

ちなみに、この11篇を列挙しておきますと、

 

感覚
シーザーの激怒
冬の思ひ
いたづら好きな女
わが放浪
星は汝が耳の核心に薔薇色に涕き
五月の軍旗
最も高い塔の歌
永遠
飢餓の祭
季節が流れる、城塞が見える

 

――です。

 

 

翻訳者の一人、平井啓之(1921~1992)は
三高(京都大学の前身)から東京帝大フランス文学科に進み、
在学中の1943年に学徒出陣、
戦後に復員して、新制なった東大を卒業して仏文科助手となり
講師、助教授、教授と学究の道を歩みました。
1969年の東大紛争で辞職、サルトル研究で著名ですが
1994年版「ランボー全集」(青土社)を中地義和、湯浅博雄とともに翻訳、
わだつみ会の活動には発足当初から関わり
後には常任理事を務めたことでも知られています。

 

この人が、「わが中也論序説」という著作の中で
中原中也との出会いについて記しているのは
「中原中也が訳したランボー」のその後をたどる上で
きわめて重要な位置にあります。

 

「わが中也論序説」は「ユリイカ」の1974年9月号に初出しましたから
書かれたのは、「最近」のことになりますが
戦中派が中原中也をどのような状況下で読んだかを知る
数少ない例ということになります。

 

「わが中也論序説」は
1988年12月に発行された
「テキストと実存―ランボー、マラルメ、サルトル、中原と小林」(青土社)の中の
「Ⅳ 中原中也(1907―1937)と小林秀雄(1902―1983)」に収録されています。
ここから、一部を紹介しておきます。

 

◇ .

 

1「朝の歌」

 

角川版の中原中也全集の書誌によれば、『現代詩集』(河出書房)の第1巻が出たのは、昭和14年12月、私が旧制三高に入る前年末のことであった。全3巻から成るこの詞華集は、背は白く、濃いこげ茶色の厚表紙の隅を三角に白くした瀟洒な本で、それまで泣菫、有明、春夫などの明治、大正の詩人たちにもっぱら岩波文庫でしたしんできた私を、一挙に‘現代詩’の世界に連れこんだ。各巻に当時の‘現代詩人’5名ずつの主要作を収めたこの詞華集は、いま思い返してみてもなかなかよくできていて、なるほど‘現代詩’とはこういうものかと納得させられたような気がしたことをおぼえている。

 

所収の15名の詩人たちのほとんどが私にとってはあたらしく知る名前であり、中原中也ももちろんその未知の一人であった。しかしこの詞華集全体を通じて、私の選択はきわめてはっきりしていて、中也はのっけから、私にとって特別の詩人になってしまった。三好達治も、草野心平も、丸山薫も、北川冬彦も、その他の詩人たちも、それぞ
れにあたらしい詩境の提示であったが、結局それらは、いわば私の知的好奇心を触発する、というような印象しか残さず、歳月の波に洗われると、急速に記憶から去ってゆき、今日、私は、中也の諸詩篇以外には、神保光太郎の「よと」を思い出すばかりである。(略)

 

同じ書誌によれば、このとき『現代詩集1』に収められた中也の詩は、神保光太郎選による合計29篇で、総題を『帰郷』とし、冒頭に「羊の歌Ⅰ(祈り)」を置き、『山羊の歌』から19篇、『在りし日の歌』から10篇をえらんだものであった。分量的に制約があったとはいえ、『山羊の歌』の比重の大きいこの構成には、編者もまた詩人であった神保の個性をはっきり反映していたはずである。

 

私がその後、『山羊の歌』および『在りし日の歌』の全貌を知ることを得たのは、昭和22年秋ごろ、大岡昇平編の創元選書『中原中也詩集』の発刊をまってのことであった。それで、その間に敗戦をふくむ20歳前後の数年にわたって、私にとっての中原中也のイメージとは、神保光太郎選による29篇によって形づくられていた、ということになる。
(※改行を加え、洋数字に変えました。傍点は‘ ’で表示しました。編者。)

 

 

平井啓之の回想はまだまだ続きますが
今回はここまで。

 

平井啓之は
詩人・神保光太郎が編集した「現代詩集」で
初めて現代詩を知った昭和初期の
若者たちの中の一人でした。

 

(つづく)

 

 

 


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