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2012年9月18日 (火)

一高生が読んだ中原中也・大岡信の場合

サンコウ=三高(現京都大学)の寮で読まれていた
中原中也の詩のナンバーワンは「春と赤ン坊」でした。
では、イッコウ(イチコウ)=一高(現東大)の寮はどうだったのかということになりますが
手元に、大岡信(おおおか・まこと)の「現代詩人論」(角川選書)に記述がありました。

 

大岡信(1931年2月生まれ)ら一高生の
中原中也との出会いは「湖上」でした。
そのシーンの記述が
「中原中也」の項の「1 中原中也の幸福」の冒頭にありますから
それを読んでおきましょう。

 

 

今でもたぶんそうだと思う。僕が3年間を過した旧制一高の寮(現在の東大駒場寮)の部屋の白い壁は、どの壁にもおびただしい落書きがあった。おおむねアフォリズム風の思想的断片語だったが、それらの落書きにまじって、中原中也の詩「湖上」が、ひときわ大きく書かれていた小さな部屋のことをなつかしく思い出す。その部屋は文芸部委員が住むことになっていた小部屋で、一高の最後の文芸委員をつとめるめぐり合わせになったことから、僕はそこでひとりで1年間過したのだった。

 

ベッドと机を置けば、それだけでいっぱいになってしまうほどの小部屋で、そのベッドの上に寝そべっていると、ちょうど眼の斜め上に、「ポツカリ月が出ましたら、舟を浮べて出掛けませう。」という「湖上」の詩句が、そこはかとない哀愁を誘いながらひろがっているのだった。「月は聴き耳立てるでせう、すこしは降りても来るでせう、われら接吻する時に、月は頭上にあるでせう。あなたはなほも、語るでせう、よしないことや拗言や、洩らさず私は聴くでせう、――けれど漕ぐ手はやめないで」

 

 

他の場所でも書かれていたような記憶があるので探していると
座談会の席での発言にこんなのもありました。
「昭和の抒情とは何か」という中村稔との対談の中の発言です。

 

 

(略)
大岡 そうですね、それは。
 これは中村さんのほうがよく知っていることだけれども、旧制高校へはいって、寮へはいるでしょ。ぼくが寮にはいったときに、中村さんがちょうど出た直後だったわけですけども、戦後すぐの時代の旧制高校には、中原張りの詩を書いている人がいっぱいいましたね。
中村 ふうん……。

 

 

このような発言は
探せば、もっと見つかるでしょう。

 

 

ここでは
「湖上」を載せておきます。

 

(つづく)

 


 湖上
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう。
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。
沖に出たらば暗いでせう、
櫂(かい)から滴垂(したた)る水の音は
昵懇(ちか)しいものに聞こえませう、
——あなたの言葉の杜切(とぎ)れ間を。
月は聴き耳立てるでせう、
すこしは降りても来るでせう、
われら接唇(くちづけ)する時に
月は頭上にあるでせう。
あなたはなほも、語るでせう、
よしないことや拗言(すねごと)や、
洩らさず私は聴くでせう、
——けれど漕ぐ手はやめないで。
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう、
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。

 

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

 

 

 


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