戦中派が読んだ中原中也・黒田三郎の場合2
この詩を借りて言うと、戦後3年という時点では、この第2連の第1行のような気持が、僕のなかでは荒れ狂っていたのである。
――と、黒田三郎は、
中原中也の生前発表詩篇「現代と詩人」の第2連の第1行
「――そんなの古いよ、という人がある。」を指示して
戦後3年に抱いていた詩一般、詩全般への気持ちを述べ
中原中也の詩もこの気持ちの中で読んだことをまず明らかにしています。
新しいものでなければ受け入れられなかった戦争直後の詩人は
モダンな詩も、プロレタリア詩にもにせ物めいたものを感じていて
「そんなの古いッ古いッ!」という人が多い中で
それはそうだけれどそれだけでは物足りない、と歌う詩の一節に
中原中也はにせ物ではないと感じたのですが……。
逆に、というか、そうだからというか、
昭和29年に発表した「日本の詩に対するひとつの疑問」は
中原中也の詩の私詩性や叙情性を
「こっぴどくこき下ろす結果になり」、
この批判は
「若年の思い上がり」であると同時に
「限りのない、ないものねだりだったかもしれない」と振り返ります。
黒田三郎は、このようにして、
中原中也や中野重治といった詩人に
当時、最も親近感を抱いていたにも拘らず批判したのは
「最も愛する詩人を批判するという形での、自己批判」だった、
だから、この批判は自分自身に向けられている、と説明するのです。
◇
「日本の詩に対するひとつの疑問」を読んでおきたいところですが
なかなか手に入りません。
「黒田三郎著作集」に収録されているのかもわかりませんが
「中原中也研究」(中村稔)を比較的に容易に読めるかもしれません。
◇
詩や詩人を発見する道は一つの道ではなく
長い時間をかけてなされる場合があるものですが
これはどんな物事にもいえることでしょう。
戦中派世代にも
中原中也との曲折を経た出会いがあったという例です。
◇
「現代と詩人」は
昭和11年(1936年)の「作品」12月号に発表された作品です。
同年10月の制作(推定)です。
長男文也が満2歳になる前で
詩人としての名声は次第に高まり
雑誌新聞への寄稿を盛んに行い
座談会などへも頻繁に顔を出すようになっていた頃の制作ということになります。
*
現代と詩人
何を読んでみても、何を聞いてみても、
もはや世の中の見定めはつかぬ。
私は詩を読み、詩を書くだけのことだ。
だってそれだけが、私にとっては「充実」なのだから。
――そんなの古いよ、という人がある。
しかしそういう人が格別(かくべつ)新しいことをしているわけでもなく、
それに、詩人は詩を書いていれば、
それは、それでいいのだと考(かんが)うべきものはある。
とはいえそれだけでは、自分でも何か物足りない。
その気持は今や、ひどく身近かに感じられるのだが、
さればといってその正体が、シカと掴(つか)めたこともない。
私はそれを、好加減(いいかげん)に推量したりはしまい。
それがハッキリ分る時まで、現に可能な「充実」にとどまろう。
それまで私は、此処(ここ)を動くまい。それまで私は、此処を動かぬ。
2
われわれのいる所は暗い、真ッ暗闇だ。
われわれはもはや希望を持ってはいない、持とうがものはないのだ。
さて希望を失った人間の考えが、どんなものだか君は知ってるか?
それははや考えとさえ謂(い)えない、ただゴミゴミとしたものなんだ。
私は古き代の、英国(イギリス)の春をかんがえる、春の訪(おとず)れをかんがえる。
私は中世独逸(ドイツ)の、旅行の様子をかんがえる、旅行家の貌(かお)をかんがえる。
私は十八世紀フランスの、文人同志の、田園の寓居(ぐうきょ)への訪問をかんがえる。
さんさんと降りそそぐ陽光の中で、戸口に近く据(す)えられた食卓のことをかんがえる。
私は死んでいった人々のことをかんがえる、――(嘗(かつ)ては彼等(かれら)も地上にいたんだ)。
私は私の小学時代のことをかんがえる、その校庭の、雨の日のことをかんがえる。
それらは、思い出した瞬間突嗟(とっさ)になつかしく、
しかし、あんまりすぐ消えてゆく。
今晩は、また雨だ。小笠原沖には、低気圧があるんだそうな。
小笠原沖も、鹿児島半島も、行ったことがあるような気がする。
世界の何処(どこ)だって、行ったことがあるような気がする。
地勢(ちせい)と産物くらいを聞けば、何処だってみんな分るような気がする。
さあさあ僕は、詩集を読もう。フランスの詩は、なかなかいいよ。
鋭敏で、確実で、親しみがあって、とても、当今(とうこん)日本の雑誌の牽強附会(けんきょうふかい)の、陳列みたいなものじゃない。それで心の全部が充されぬまでも、サッパリとした、カタルシスなら遂行(すいこう)されて、ほのぼのと、心の明るむ喜びはある。
※「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新字・新かなで表記しています。編者。
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