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2012年10月

2012年10月31日 (水)

「幻影」の過去形ナレーション2・生きているうちに読んでおきたい名作たち

(前回からつづく)

ナレーションの形をとることによって
詩人の歌おうとする詩世界は
詩人から一定の距離が置かれることになり
読者はナレーターの口を通じて
詩人のメッセージなり歌なりを聴くことになります。

詩人の赤裸々な内面や心の中は
ワンクッション置かれることになり
読者と作者との間にも一定の距離が置かれることになるため
読者はある意味で安心して詩を味わう姿勢を得ることができます。

これを物語の詩と呼ぶことができるなら
「一つのメルヘン」も「幻影」も
そのグループに入ることでしょう。

二つの詩は
過去形「でした」が
その物語を語る口調として使われ
絶妙な味を出している例です。

ですから
この二つの詩は切り離して読むことよりも
ペアの作品として読むと
新たに見えてくるものがあります。

それにしても

私の頭の中には、いつの頃からか、
薄命そうなピエロがひとり棲んでいて、
それは、紗(しゃ)の服なんかを着込んで、
そして、月光を浴びているのでした。

――と、「私の頭の中」に現われるピエロは
「一つのメルヘン」の蝶の化身のように思えませんか?

水無し川の小石に舞い降り
淡く、くっきりとした影を落としていた蝶は
しばらくして消えてしまい
蝶が消えた途端に
川床に水が流れ出す。

水が流れ出すための触媒の役を果たすのですが
水が流れはじめたことの驚きや斬新な気持ちが強くて
蝶の「その後」などに関心がいくはずもなく
メルヘンは完結したかのようでした。

しかし、水が流れ出しただけのことで
物語はまだなにもはじまっていません。
そこで詩人は
物語の続き(内容)を「幻影」という詩に託した――。

「幻影」を
このように読むのは
あまりにも荒唐無稽(こうとうむけい)というものでしょうか?

(この項終わり)

幻 影
 
私の頭の中には、いつの頃からか、
薄命さうなピエロがひとり棲んでゐて、
それは、紗(しゃ)の服かなんかを着込んで、
そして、月光を浴びてゐるのでした。

ともすると、弱々しげな手付をして、
しきりと 手真似をするのでしたが、
その意味が、つひぞ通じたためしはなく、
あはれげな 思いをさせるばつかりでした。

手真似につれては、唇(くち)も動かしてゐるのでしたが、
古い影絵でも見ているやう――
音はちつともしないのですし、
何を云つてるのかは 分りませんでした。

しろじろと身に月光を浴び、
あやしくもあかるい霧の中で、
かすかな姿態をゆるやかに動かしながら、
眼付ばかりはどこまでも、やさしさうなのでした。

※「新編中原中也全集」より。( )で示したルビは、全集編集委員会によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

幻 影
 
私の頭の中には、いつの頃からか、
薄命そうなピエロがひとり棲んでいて、
それは、紗(しゃ)の服なんかを着込んで、
そして、月光を浴びているのでした。

ともすると、弱々しげな手付をして、
しきりと 手真似をするのでしたが、
その意味が、ついぞ通じたためしはなく、
あわれげな 思いをさせるばっかりでした。

手真似につれては、唇《くち》も動かしているのでしたが、
古い影絵でも見ているよう――
音はちっともしないのですし、
何を云ってるのかは 分りませんでした。

しろじろと身に月光を浴び、
あやしくもあかるい霧の中で、
かすかな姿態をゆるやかに動かしながら、
眼付ばかりはどこまでも、やさしそうなのでした。

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2012年10月30日 (火)

「幻影」の過去形ナレーション・生きているうちに読んでおきたい名作たち

「幻影」は
「在りし日の歌」の最終章「永訣の秋」の中で
「一つのメルヘン」に続いて配置されていることと
「でした」で終わる行末の語り口調(ナレーション)によって
連続しているような錯覚を抱くような詩です。

そのうえ、
「幻影」の月光下のピエロの映像と
「一つのメルヘン」の夜の陽光のシーンとは
ともにスポットライトを投じられた舞台を見ているかのよう。
二つの似かよった詩世界が連続し
一瞬、めまいに襲われるような不思議な気持ちになります。

あの蝶がピエロに変身したのではないか?
――という錯覚にとらわれるのです。

中原中也の全詩を通じても
「です・ます調」の過去形「でした」を使う例はめずらしく
その「でした」が2作品に続いているのです。

「在りし日の歌」をざっとめくっても
「ぽっかり月が出ましたら、舟を浮べて出掛けましょう」(湖上)
「みなさん今夜は静かです 薬鑵の音がしています」(冬の夜)
「赤ン坊ではないでしょうか」(春と赤ン坊)
「――色々のことがあったんです」(初夏の夜)
「あれは人魚ではないのです」(北の海)

「山羊の歌」を見ても
「春の日の夕暮は穏かです」(春の日の夕暮)
「幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました」(サーカス)
「なんだか父親の映像が気になりだすと一歩一歩歩みだすばかりです」(黄昏)
「水汲む音がきこえます」(更くる夜)
「私の上に降る雪は 真綿のようでありました」(生ひ立ちの歌)
「そこはことないけはいです」(時こそ今は…)
「九歳の子供がありました 女の子でありました」(羊の歌)
――といった具合に
みんな現在形の「です」「ます」と
過去形は「ました」ばかりで
過去形「でした」はありません。
「でした」は
「一つのメルヘン」と「幻影」だけに使われているのです。

(※新かな表記で示しています。編者。)

それが何を意味しているのかなどと
分析したり研究したりするつもりではありません。

「一つのメルヘン」や「幻影」が
いっぽうは「メルヘン」(童話)
いっぽうは「イリュージョン」(幻想)の形で
詩人が語るやさしい口ぶりに
「でした」がこの上もなくピタリと決まっていることを味わいたいだけのことです。

ただでさえ
「だ」「なのだ」を多く使う詩人が
ここ「在りし日の歌」の最終章(最晩年の詩作)へきて
静かなやさしい口調で歌う調べの安らかな響き――。
それを感じるだけで
これらの詩に近づいた気分になります。

(つづく)

幻 影
 
私の頭の中には、いつの頃からか、
薄命さうなピエロがひとり棲んでゐて、
それは、紗(しゃ)の服かなんかを着込んで、
そして、月光を浴びてゐるのでした。

ともすると、弱々しげな手付をして、
しきりと 手真似をするのでしたが、
その意味が、つひぞ通じたためしはなく、
あはれげな 思いをさせるばつかりでした。

手真似につれては、唇(くち)も動かしてゐるのでしたが、
古い影絵でも見ているやう――
音はちつともしないのですし、
何を云つてるのかは 分りませんでした。

しろじろと身に月光を浴び、
あやしくもあかるい霧の中で、
かすかな姿態をゆるやかに動かしながら、
眼付ばかりはどこまでも、やさしさうなのでした。

※「新編中原中也全集」より。( )で示したルビは、全集編集委員会によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

幻 影
 
私の頭の中には、いつの頃からか、
薄命そうなピエロがひとり棲んでいて、
それは、紗(しゃ)の服なんかを着込んで、
そして、月光を浴びているのでした。

ともすると、弱々しげな手付をして、
しきりと 手真似をするのでしたが、
その意味が、ついぞ通じたためしはなく、
あわれげな 思いをさせるばっかりでした。

手真似につれては、唇《くち》も動かしているのでしたが、
古い影絵でも見ているよう――
音はちっともしないのですし、
何を云ってるのかは 分りませんでした。

しろじろと身に月光を浴び、
あやしくもあかるい霧の中で、
かすかな姿態をゆるやかに動かしながら、
眼付ばかりはどこまでも、やさしそうなのでした。

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2012年10月29日 (月)

「よちよち文藝部」久世番子 著(文藝春秋社)

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内容紹介
文学初心者の番子さんを部長に、日本文学・文豪の故きをテキトーに温ね、新しきを知ったかぶるよちよち文藝部、略して「よち文」の活動をエッセイ漫画に。太宰、漱石、中也、賢治、谷崎…といった超有名文豪とその作品の魅力や驚きのトリビアを、番子部長と担当部員が語り倒します! 「この文豪、結婚してたの!?」「主人公の名前がエロ老人!?」「れもんっていうよりバナナって顔よね~」などなど、学びながらも爆笑できる新しい文藝コミックエッセイです! 描き下ろし1コマも多数収録。

内容(「BOOK」データベースより)
読んでなくても大丈夫!名前しか知らない超有名文豪と名作を知ったかぶれる文藝コミックエッセイ。太宰、漱石、谷崎など文豪と名作の魅力を、よちよちした取材と緻密な妄想で語り倒します。文学を学びながらも大爆笑。

コミック: 159ページ
出版社: 文藝春秋 (2012/10/21)
言語 日本語
ISBN-10: 4163757503
ISBN-13: 978-4163757506
発売日: 2012/10/21

※以上、Amazon.co.jpより。

 

2012年10月27日 (土)

「冬の長門峡」の二つの過去2・生きているうちに読んでおきたい名作たち

(前回からつづく)

「冬の長門峡」は
一読して単調な感じを抱かせる詩ですが
読めば読むほど深みを感じさせる詩です。
不思議な魅力のある文語詩です。

まず冒頭連の
長門峡に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。
――で、ある特定の過去(ある日ある時)に
長門峡に遊んだのが寒い日だったことを叙述します。

第2連から第5連までは
長門峡での経験の内容が
淡々と語られ
最終第6連でふたたび

寒い寒い 日なりき。
――と、その日が寒い日だったことを述べます。

かつて長門峡に遊んだ日が
寒い日だったことを
冒頭と末尾で繰り返すという詩で
その間の連で
詩人が目にした景色や経験が歌われるのですが
冒頭行など3か所に出てくる「けり」は
過去を表わしつつ「詠嘆」の気持ちが込められています。

水は流れてありにけり。
客とてもなかりけり。
流れ流れてありにけり。
――この3行には「詠嘆」の気持ちがあるということで
水は流れていたんだよ
客といってもだれもいなかったんだよ
流れ流れていたんだよ
――といったニュアンスがあります。

情景描写の中に情感が込められているのですが
ほかの行は、

なりき
ありぬ
こぼれたり
ありき
なりき
――と過去を断定的に叙述するだけになっています。

詩全体に
心の動きを感じさせない工夫が凝らされているのですが
その訳はこの詩の背後には
愛息文也を失った悲しみがあり
詩人はそれを表面に出すまいと歯を食いしばったからなのです。

詩人はいま長門峡を目前にしているのではありません。
長門峡は遠い日に遊んだ場所です。
それを回想して歌っているうちにその過去へ入り込み
長門峡を流れる水が
魂(たましい)を持つかのように流れているのを感じたのです。
この魂は文也以外にありえません。

水に魂を感じてまもなく
今度はミカンのような真ん丸であったかそうな夕陽が
欄干越しに見えたのです。
この夕陽も文也以外にありえません。

どちらも回想の中に現われた風景なのですが
詩人はいま、それらを目前にしているように
ありありと思い出すのです。

が……次の瞬間、
それらが遠い過去のものだったことを知るのです。

第5連と第6連の間は
連続しているようで
無限といってよい時間が存在します。

ああ! ――そのような時もありき、
寒い寒い 日なりき。

――と我に帰る詩人は
回想をはじめた冒頭の時間から
遠く隔たった今を自覚するのです。

この詩には
二つの過去があります。
過去の時間が二つあるのです。

(この項終わり)

冬の長門峡

長門峡に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。

われは料亭にありぬ。
酒酌(く)みてありぬ。

われのほか別に、
客とてもなかりけり。

水は、恰(あたか)も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。

やがても密柑(みかん)の如き夕陽、
欄干にこぼれたり。

あゝ! ――そのやうな時もありき、
寒い寒い 日なりき。

*「新編中原中也全集」より。( )で示したルビは、全集編集委員会によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

冬の長門峡
 
長門峡に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。

われは料亭にありぬ。
酒酌(く)みてありぬ。

われのほか別に、
客とてもなかりけり。

水は、恰(あたか)も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。

やがても密柑(みかん)の如き夕陽、
欄干にこぼれたり。

ああ! ――そのような時もありき、
寒い寒い 日なりき。

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2012年10月26日 (金)

「冬の長門峡」の二つの過去・生きているうちに読んでおきたい名作たち

叙景にはじまり叙情に転じる詩であるという角度でみると
「冬の長門峡」は
「春の日の夕暮」と同じグループの詩篇です。

しかし「転」の部分の動きが
それほどくっきりしているものではないので
そうとは見えにくいのですが
じっくり読めば「起承転結」が浮かび上がってきます。

そもそも2行6連構成の詩ですから
きっかり起承転結に当てはまりませんが
第1連が起
第2、3連が承
第4、5連が転
第6連が結
――というようなことになるでしょうか。

第1連で、長門峡の風景から起こし
第2連、第3連で、それを受(承)けて詩人が登場します。
ここまでは静かな長門峡と宿にいる詩人の叙景です。

第4連、第5連
水は、恰(あたか)も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。

やがても密柑(みかん)の如き夕陽、
欄干にこぼれたり。

――で、この詩の風景の中に動きが出てきて
最終第6連
ああ! ――そのような時もありき、
寒い寒い 日なりき。

――が「結(論)」と読める詩です。

技巧も修辞(レトリック)もないような詩で
プロの読み手にも賛否両論がありますが
読み込めば読み込むほど
ハイ・ブローな技が見えてくる詩です。

(つづく)

冬の長門峡

長門峡に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。

われは料亭にありぬ。
酒酌(く)みてありぬ。

われのほか別に、
客とてもなかりけり。

水は、恰(あたか)も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。

やがても密柑(みかん)の如き夕陽、
欄干にこぼれたり。

あゝ! ――そのやうな時もありき、
寒い寒い 日なりき。

※「新編中原中也全集」より。( )で示したルビは、全集編集委員会によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

冬の長門峡
 
長門峡に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。

われは料亭にありぬ。
酒酌(く)みてありぬ。

われのほか別に、
客とてもなかりけり。

水は、恰(あたか)も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。

やがても密柑(みかん)の如き夕陽、
欄干にこぼれたり。

ああ! ――そのような時もありき、
寒い寒い 日なりき。

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2012年10月25日 (木)

「一つのメルヘン」の不可能な風景4・生きているうちに読んでおきたい名作たち

(前回からつづく)

さらさらと、さらさらと流れているのでありました……

――という、何の変哲もないような1行が
この詩の最終行におかれました。
よく見れば、「……」があり
水がずっと流れ続けることを示しています。

それまで干上がっていた川床に
一つの蝶が舞い降りたことから
水が流れ出すという物語の枠組みだけが語られ
この詩は終わります。
物語の内容は語られず
死んだような川原が生気を取り戻したことだけが告げられる詩ですが
この詩の歯車であり心臓でもあるような役割を
「さらさらと」の一語が負っています。

このオノマトペは
歯車のようでありながら
詩の音数律をきざみ
詩全体のリズム感をも生んでいる心臓部でもあるのです。

「さらさらと」が含まれる行だけの音節数を見ると

第1連は
5―5 それに陽は/さらさらと
5―7―5 さらさらと/射しているので/ありました。

第2連は
5―5 さればこそ/さらさらと
7―4―6 かすかな音を/立てても/いるのでした。

第4連は
5―5―8―5 さらさらと/さらさらと/流れているので/ありました……
――というようになっています。

破調がありながら
5音7音が基調音になっていることがわかるでしょうか。

「さらさらと」というオノマトペが駆使されて
意味やイメージの連鎖が生まれ
57音による流麗なリズムが作り出されました。

「一つのメルヘン」のこの流麗な口調は
第2詩集「在りし日の歌」の「永訣の秋」で
次に配置された「幻影」に
「でした・でした」のナレーションとなって連続し
さらさらと、さらさらと流れるメルヘン世界の川原に
あたかも月光が射し
そこにいつしか一人のピエロが立っていると錯覚するかの風景につながっていきます――。

さらには、まったく信じがたいことに
「さらさらと流れているのでありました……」は
「水は流れてありにけり」と
「冬の長門峡」を流れる水の風景につながっていくかのようで驚かされます。

(この項終わり)

一つのメルヘン
 
秋の夜は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。

陽といっても、まるで硅石(けいせき)か何かのようで、
非常な個体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……

(※「新編中原中也全集」より。新字・新かな表記にしてあります。編者。)

歴史的表記の原詩も掲出しておきます。

 一つのメルヘン

秋の夜は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があつて、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。

陽といつても、まるで硅石(けいせき)か何かのやうで、
非常な個体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりとした
影を落としてゐるのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかつた川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました……

(※「新編中原中也全集」より。)

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2012年10月24日 (水)

「一つのメルヘン」の不可能な風景3・生きているうちに読んでおきたい名作たち

(前回からつづく)

蝶は神の使いだったのでしょうか?
そのようなことを感じさせておかしくはない
トリックかマジックか。

さらさらとさらさらと
今度は、水が流れているのでありました。

さらさらと、陽がさしている
さらさらと、音を立てている
さらさらと、水が流れている

いろはにこんぺいとう
こんぺいとうはあまい
あまいはさとう
さとうはしろい
しろいはうさぎ
うさぎははねる
はねるはばった
ばったはみどり
みどりははっぱ
はっぱはゆれる
ゆれるはおばけ
おばけはきえる
きえるはでんき
でんきはひかる
ひかるはおやじのはげあたま

昔、こんな歌を歌った記憶がありませんか?
主語と述語の述語を主語に変えて
しりとりのように歌いついでいく子どもたちの遊び――。

中原中也の「一つのメルヘン」は
この述語にあたる部分を
オノマトペ(さらさら)に固定し
ここへ戻っては新たに生まれるイメージを繋いで作られている。
そう考えると分かりやすいかもしれません。

こうして
オノマトペの繰り返しが基調になって
安定したリズムとメロディーとハーモニーを生みます。
さらさらとするものの主体が変化するために
単調さは少しもなく
かえってスリルとサスペンスが保たれます。

さらさらとの使い方も

さらさらと、と単独のもの

さらさらと、
さらさらと、と改行をはさんで2行に分けたもの

さらさらと、さらさらと、と1行の中に繰り返すものの3種類あります。
この使い分けによって
絶妙なリズムをとっているのです。

詩人は、これらの風景を
遠くでもなく近くでもない
ほどよい距離から眺め
ナレーターの役割をも演じています。

「でしたいました」のやさしい口調が
静かな秋の夜を語ります。

そして今、川の水は流れに流れ
次第に水かさを増してゆく感じですが
コンコンともしないで
さらさらと、さらさらとと静かに流れ続けます。

(つづく)

一つのメルヘン
 
秋の夜は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。

陽といっても、まるで硅石(けいせき)か何かのようで、
非常な個体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……

(※「新編中原中也全集」より。新字・新かな表記にしてあります。編者。)

歴史的表記の原詩も掲出しておきます。

 一つのメルヘン

秋の夜は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があつて、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。

陽といつても、まるで硅石(けいせき)か何かのやうで、
非常な個体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりとした
影を落としてゐるのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかつた川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました……

(※「新編中原中也全集」より。)

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2012年10月22日 (月)

「一つのメルヘン」の不可能な風景2・生きているうちに読んでおきたい名作たち

(前回からつづく)

さて、この詩「一つのメルヘン」のはじまりの4行

秋の夜は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。

――の不思議な感覚はなんなのかとじっくり読んでみれば
まずは、夜でありながら陽が射している風景からくることに気づきます。

この不思議な風景、ありえない風景の中に
いきなり迷い込むのですが
迷ったことを意識させない滑らかさがあるために
すらすらとすらすらと読めてしまう詩なのです。

夜なのに陽が射すというのは
まるで舞台にスポットライトが投じられている風景みたいなもののようですから
そのように見なせば自然な景色ですし
メルヘンなのだから
非論理の幻想風景があってもよいだろうなどと考えて
ひっかかることもなく先を読み進めます。

第2連は「承」。
陽といっても、と第1連の陽を説明するのです。

太陽光線でありながら
まるで硅石(けいせき)かなにかのような
非常に硬い個体たとえば水晶の粉末のようなもので
だから、さらさらと、かすかに聞える音を出しているのでした……。

ここでオノマトペ(=さらさら)を介して
陽は光であることから
小さな音を出す物質に変化しますが
言葉の流れが滑らかで心地よいリズムになっているために
じっくり読まないと変化に気がつきませんし
気がついても、メルヘンの世界なのだからと受容する姿勢になっています。
そして第3連の「転」へ進みます。

ここで、一つの蝶々の出現。
無機質な水無しの河原に突如、生き物が現われます。
まるで蝶だけにカラーがついている映画のシーンみたいに。

さらさらと陽が射し
さらさらとかすかな音を立てていた河原に
こんどは一つの蝶が舞い降りたのです。
一匹の蝶ではなく一つの蝶というところが
切り紙細工の作り物のような
それでいて生命のある小さな動物を思わせて幻想的です。

淡くて、しかし、くっきりとした影を
蝶は小石の上に落としました。

だからどうしたのか――。
その疑問が出る前に
きっかりと答えが出ます。

それまでひからびていた水無し川が流れ出したのです。
さらさらとさらさらと流れ出したのです。

(つづく)

一つのメルヘン
 
秋の夜は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。

陽といっても、まるで硅石(けいせき)か何かのようで、
非常な個体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……

(※「新編中原中也全集」より。新字・新かな表記にしてあります。編者。)

歴史的表記の原詩も掲出しておきます。

 一つのメルヘン

秋の夜は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があつて、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。

陽といつても、まるで硅石(けいせき)か何かのやうで、
非常な個体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりとした
影を落としてゐるのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかつた川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました……

(※「新編中原中也全集」より。)

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2012年10月21日 (日)

「一つのメルヘン」の不可能な風景・生きているうちに読んでおきたい名作たち

叙景ではじまり
起承転結の転が際立つ詩ということで
「春の日の夕暮」を読みましたが
これと似た構造をもつ詩がいくつもあります。

すぐさま浮かぶのが
「一つのメルヘン」です。

一つのメルヘン
 
秋の夜は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。

陽といっても、まるで硅石(けいせき)か何かのようで、
非常な個体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……

(※新字・新かな表記にしてあります。編者。)

( )で示したルビは
角川版全集編集委員会によるもので
詩人は1か所もこの詩にルビを振っていません。
それほど平易な語句を使って作られた詩です。

秋の夜は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があって、
――という詩のはじまりや

第3連の
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
――という「転」という構造が
よく読むと「春の日の夕暮」と似ているというだけの理由で
この詩をビギナーの目でじっくりと読んでみます。

というわけで、
まずはこの詩を通しで読んだあとに
辞書を引くとすれば
ルビのある「彼方」と「硅石」くらいでしょうか。
この2語は、ルビがあり読み方が分かるのですから
辞書を使うのは意味を調べるためだけのことですね。

「彼方」は、あっちの方、遠くの方向。
「硅石」は、珪素が化合してできた鉱物。結晶したものが水晶や石英などですから、この詩では水晶みたいなものと考えれば分かりやすいでしょう。

「非常な個体の粉末」がややむずかしく感じられますが
個体は固体と混同されているなどと考えるよりも
「非常な個体の粉末」をひとかたまりの語句として感じ取ったほうが無難でしょう。

平易な言葉使いのうえに
ありました
のでした
――の「ですます調」がやさしい響きを伝えますし、
4行―4行―3行―3行のソネットが
定型であることによる格調感を生み出します。

さらさらとというオノマトペ(擬音語・擬態語)とそのルフラン(英語ではリフレーン)が
心地よく耳をくすぐります。
音感を直撃する詩であることは
一度で体が覚えちゃうほどの親しみを持たせます。

(つづく)

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2012年10月20日 (土)

生きているうちに読んでおきたい中原中也の名作たち・「春の日の夕暮」の風景12

(前回からつづく)

「春の日の夕暮」が前進して
自らの静脈管の中へ入っていったというのは
血となり肉となったというようなことなのでしょう。

この詩ははじめ「春の夕暮」として
1924年ごろに作られました。
次のように、少しだけ異なる言葉使いになっていたのを
「山羊の歌」に収録するときに改めたものです。

春の夕暮
 
塗板(トタン)がセンベイ食べて
春の日の夕暮は静かです

アンダースロウされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は穏(おだや)かです

ああ、案山子はなきか――あるまい
馬嘶(いなな)くか――嘶きもしまい
ただただ青色の月の光のノメランとするままに
従順なのは春の日の夕暮か

ポトホトと臘涙(ろうるい)に野の中の伽藍(がらん)は赤く
荷馬車の車、 油を失い
私が歴史的現在に物を言えば
嘲(あざけ)る嘲る空と山とが

瓦が一枚はぐれました
春の日の夕暮はこれから無言ながら
前進します
自(みずか)らの静脈管の中へです

京都時代の作品でした。
後にその京都を歌った作品「ゆきてかえらぬ」は
「春の日の夕暮」を読むときの参考になるかもしれません。
全行を掲出しておきます。

ゆきてかえらぬ
      ――京 都――
  
 僕は此(こ)の世の果てにいた。陽(ひ)は温暖に降り洒(そそ)ぎ、風は花々揺っていた。

 木橋の、埃(ほこ)りは終日、沈黙し、ポストは終日赫々(あかあか)と、風車を付けた乳母車(うばぐるま)、いつも街上(がいじょう)に停っていた。

 棲む人達は子供等(こどもら)は、街上に見えず、僕に一人の縁者(みより)なく、風信機(かざみ)の上の空の色、時々見るのが仕事であった。

 さりとて退屈してもいず、空気の中には蜜(みつ)があり、物体ではないその蜜は、常住(じょうじゅう)食(しょく)すに適していた。

 煙草(たばこ)くらいは喫(す)ってもみたが、それとて匂(にお)いを好んだばかり。おまけに僕としたことが、戸外(そと)でしか吹かさなかった。

 さてわが親しき所有品(もちもの)は、タオル一本。枕は持っていたとはいえ、布団(ふとん)ときたらば影(かげ)だになく、歯刷子(はぶらし)くらいは持ってもいたが、たった一冊ある本は、中に何も書いてはなく、時々手にとりその目方(めかた)、たのしむだけのものだった。

 女たちは、げに慕(した)わしいのではあったが、一度とて、会いに行こうと思わなかった。夢みるだけで沢山(たくさん)だった。

 名状(めいじょう)しがたい何物かが、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴っていた。
        *           *
              *
 林の中には、世にも不思議な公園があって、不気味な程にもにこやかな、女や子供、男達散歩していて、僕に分らぬ言語を話し、僕に分らぬ感情を、表情していた。
 さてその空には銀色に、蜘蛛(くも)の巣が光り輝いていた。

京都で「春の夕暮」をつくったダダイスト中原中也が
上京して4、5年ほどして作った「盲目の秋」や
晩年の名作「言葉なき歌」にも
夕陽が現われます。

「盲目の秋」のⅠに
私の青春はもはや堅い血管となり、
  その中を曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽とがゆきすぎる。

「言葉なき歌」には
それにしてもあれはとおいい彼方(かなた)で夕陽にけぶっていた
号笛(フィトル)の音(ね)のように太くて繊弱(せんじゃく)だった

しかしあれは煙突の煙のように
とおくとおく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいていた

――といったように。

これらの夕陽の風景が連続していることを証明するものはありませんが
まったく関連のないことでもないのなら
静脈管の中へ前進して血となり肉となった
春の夕暮の風景の「その後」を見ることができるということになります。

※引用した詩はすべて、新字・新かな表記にしてあります。編者。

(この項終わり)

春の日の夕暮

トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶《いなな》くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするまゝに
従順なのは 春の日の夕暮か

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失ひ
私が歴史的現在に物を云へば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら 前進します
自《み》らの 静脈管の中へです

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

春の日の夕暮
 
トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮れは穏やかです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮れは静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶《いなな》くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするままに
従順なのは 春の日の夕暮れか

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失い
私が歴史的現在に物を言えば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮れは
無言ながら 前進します
自《みずか》らの 静脈管の中へです

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2012年10月19日 (金)

生きているうちに読んでおきたい中原中也の名作たち・「春の日の夕暮」の風景11

(前回からつづく)

ところで
春の日の夕暮に
詩(詩人)は何を見たのでしょう――。

叙景、叙景といってきましたが
春の日の夕暮は、単に春の日の夕暮にすぎないのではなく
自然としての落日以外のもののはずです。
それはなんなのでしょう。

そこで、メタファーとか象徴とか
この詩に仕掛けられた技ということが問題になってきます。

瓦が一枚はぐれました、という行が不思議です。
この行だけが過去形であることとも
微妙に関係してくるようなのですが
この瓦も詩人の眼前にある屋根瓦(ヤネガワラ)だけではなさそうです。

穏やかで静かな夕暮だったはずが
瓦をはがすような風が吹いたのでしょうか?

この瓦もリアルな屋根瓦であるよりも
なんらかの比喩か象徴かのはずなのです。
景色としての瓦ではなく
こころの景色としての瓦だから
はぐれたのです、はがれたのではなく。

第3連の最終行も
空と山が現実では嘲るわけがないのに嘲るのですから
嘲られた「私」(=詩人)の心中は穏やかでないわけがありません。
にもかかわらず
空と山とが嘲る嘲ると平然としているようですが
内心はどうだったか。
煮えくり返っていたのかもしれません。

空と山とが嘲るというここで
すでに景色は自然の景色ではなくなっていて
それを受けて
瓦も人のようにはぐれたのです。

はぐれたという過去形で強調されてすぐに
「これから」と時間が動きます。
ドラマが起こるかのように
詩はエンディングとなります。

こうして叙景がいつのまにか叙情に転じて
この詩は終ります。

では、春の日の夕暮が前進していく場所である静脈管とは何でしょう?

詩人は
汚れた血が静脈管へ入ったあと
体内の再生システムを通じて浄化されるイメージを描いていたことが想像されますが
もっとほかのことを言いたかったのかも知れません。

(つづく)

春の日の夕暮

トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶《いなな》くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするまゝに
従順なのは 春の日の夕暮か

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失ひ
私が歴史的現在に物を云へば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら 前進します
自《み》らの 静脈管の中へです

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

春の日の夕暮
 
トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮れは穏やかです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮れは静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶《いなな》くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするままに
従順なのは 春の日の夕暮れか

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失い
私が歴史的現在に物を言えば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮れは
無言ながら 前進します
自《みずか》らの 静脈管の中へです

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2012年10月17日 (水)

生きているうちに読んでおきたい中原中也の名作たち・「春の日の夕暮」の風景10

(前回からつづく)

それにしても
トタンがセンベイ食べて、という冒頭行のインパクトが強い詩ですね。

4行×4連=16行のうちで
やはり、この1行がこの詩を決めている! と読むのも自由です。

ぼくは、ヌメランとポトホトに参りました! という声もきこえますし

静脈管の中へ前進する夕焼け――この結末がいいですね、なんて言う声もあります。

先に、叙景が叙情に変化する詩であることを考えましたが
この詩の前半が叙景
後半が叙情という流れになっていて
後半の第3連は「転」の位置にあることがわかると
さらに詳しく見れば、

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失ひ

――までが叙景

私が歴史的現在に物を云へば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

――は叙情ととらえることも難しくないことでしょうか。

最終連第1行も
瓦が一枚はぐれました
――が叙景で、以後は叙情と
きっかり切り分けることができますが
このような分析はほどほどにしておいたほうが
詩の味わいをキープできるかもしれません。

いずれにしても
第3連の「転回」がこの詩の肝みたいなところです。

4段階の起承転結は
3段階にすると「序破急」に相当し
第3連は「破」、第4連は「急」です。
詩の山であり結末であり
ここは肝です。

ここを」どう考えるか?
ここをどう感じるか?
ここをどう味わうか?

トタンがセンベイ食べてからはじまった詩の大団円です。

(つづく)

春の日の夕暮

トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶《いなな》くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするまゝに
従順なのは 春の日の夕暮か

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失ひ
私が歴史的現在に物を云へば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら 前進します
自《み》らの 静脈管の中へです

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

春の日の夕暮
 
トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮れは穏やかです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮れは静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶《いなな》くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするままに
従順なのは 春の日の夕暮れか

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失い
私が歴史的現在に物を言えば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮れは
無言ながら 前進します
自《みずか》らの 静脈管の中へです

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2012年10月16日 (火)

生きているうちに読んでおきたい中原中也の名作たち・「春の日の夕暮」の風景9

(前回からつづく)

詩が風景を歌っているのであれば
風景を歌う詩人の位置は特定できるのが普通ですから
「春の日の夕暮」の視点もおよその見当はつきました。

ダダイズムの詩やシュルレアリズムの詩や
パブロ・ピカソの絵などのように
「多数の視点」があり混沌とした世界がありますが
この「春の日の夕暮」はダダイズムの詩といわれながらも
3次元の一定の視点で読める
比較的に規則正しい世界すなわち遠近法の世界であることがわかったのです。

4行4連の構成も
定型志向であることを示しています。

そうであれば、詩の何行かが
とりとめがないような
わけのわからないような
非論理的であるようなものに感じられる詩の世界であっても
詩の世界の核心へより近づいていることに違いはなく
遠ざかってはいないことは確実です。

詩が全体としてもつ意味を捕まえたようなものですから
次には細部(ディテール)を味わうだけでよいというところにたどり着きました。

味わうというのは
研究や論文を書こうとしているということではなく
一つの詩(の1行1句)がおいしいかまずいか
個人個人の五感や好みにまかせて
自由に楽しめばよいという領域のことです。

旨いかまずいか
それを感じるのは
自分自身ですから
他人(ひと)が口をはさむ余地はありません。

このようにして、
「春の日の夕暮」のような謎だらけの詩も
色々な読みが試みられてきましたし
味わわれ方も百人百様でしたのは自然の流れです。

(つづく)

春の日の夕暮

トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶《いなな》くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするまゝに
従順なのは 春の日の夕暮か

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失ひ
私が歴史的現在に物を云へば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら 前進します
自《み》らの 静脈管の中へです

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

春の日の夕暮
 
トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮れは穏やかです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮れは静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶《いなな》くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするままに
従順なのは 春の日の夕暮れか

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失い
私が歴史的現在に物を言えば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮れは
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2012年10月15日 (月)

生きているうちに読んでおきたい中原中也の名作たち・「春の日の夕暮」の風景8

(前回からつづく)

詩人は春の日の夕暮の中にいて
一つ所でじっとそれを見ているか
もしくは、その中を少しは歩きはじめたかもしれない。

そのような「絵」が
「春の日の夕暮」という詩から見えます。

とすると
詩人は、そのような風景の中にあって
その風景を描いている、と考えてよいのでしょうか?

この詩は春の日のある日の夕暮れの描写なのでしょうか?
自然の風景の記録なのでしょうか?
リアリズムの詩なのでしょうか?
叙景詩なのでしょうか?

もちろん、どれでもありません。
どれでもないのですが
風景を描くことからはじまり
風景以外のものを歌うところに特徴がある詩の一つなのです。

叙景にはじまりいつのまにか叙情に転じる詩。
叙景からはじまり叙情でなく思想を展開する詩。
叙景からはじまりいつしかメッセージを伝える詩。
叙景にはじまり叙景でなくなる詩。

これに似た作りの詩が
中原中也の詩にたくさんあります。

すぐに思いつくだけでも、

秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があつて、(一つのメルヘン)

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。(月夜の浜辺)

長門峡に、水は流れてありにけり。(冬の長門峡)

――などが「在りし日の歌」から浮かんできます。

「山羊の歌」を開いてみても、

天井に朱きいろいで(朝の歌)
月は空にメダルのやうに(都会の夏の夜)
渋つた仄暗い池の面で(黄昏)
柱も庭も乾いてゐる(帰郷)
青い空は動かない(夏の日の歌)
石崖に、朝陽が射して(港市の秋)
黝い石に夏の日が照りつけ(少年時)

――などと実に多くの詩が叙景ではじまっていることに気づき驚くほどです。

(つづく)

春の日の夕暮

トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶《いなな》くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするまゝに
従順なのは 春の日の夕暮か

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失ひ
私が歴史的現在に物を云へば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら 前進します
自《み》らの 静脈管の中へです

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

春の日の夕暮
 
トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮れは穏やかです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮れは静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶《いなな》くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするままに
従順なのは 春の日の夕暮れか

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失い
私が歴史的現在に物を言えば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮れは
無言ながら 前進します
自《みずか》らの 静脈管の中へです

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2012年10月14日 (日)

中原中也関連の新刊情報

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汚れちまった道

「ポロリ、ポロリと死んでゆく――」
失踪した記者が遺した中原中也の詩は何を語るのか。 
防府、萩、長門、美祢、宇部……。山口の闇を繋ぐ“道”を名探偵・浅見光彦が奔る!
【浅見光彦登場30周年記念 祥伝社・光文社合同特別企画】

内田康夫 (著)
出版社: 祥伝社
単行本: 483ページ
価格:¥ 1,785
ISBN-10:4396633955
ISBN-13: 978-4396633950
発売日: 2012/10/10

◆内容紹介(amazonより転載)
地方紙記者・奥田伸二が萩で失踪、浅見光彦は行方捜しを依頼され山口を訪ねた。奥田が姿を消す直前に遺した不可解な言葉。四年前に起こった市役所職員カップルの相次ぐ不審死。中原中也の詩の一節を綴った遺書。いくつもの謎に翻弄される浅見。奥田の身には何が起こったのか?
一方、見合いで山口を訪れていた浅見の親友・松田将明は、元美祢市議刺殺事件に巻き込まれた。松田を救うべく動き始めた浅見の前で、奥田の失踪事件が奇妙に関わりを持ち始める。二つの事件が絡まり合う中、やがて謀略の構図が浮上、そして強大な敵が浅見の前に立ちはだかる……。

【著者のことば】『汚れちまった道』『萩殺人事件』同時刊行によせて これはひょっとすると「世界初」で「世界唯一」のミステリーになるのかもしれない。 同時に発生した事件・物語が同時進行形で展開し、互いに干渉しあい、登場人物が錯綜しながら大団円に向かう。そしてそれぞれの事件それぞれの物語が独自に収斂する。僕自身、そんなことが可能なのかと疑いながら創作に没頭し、丸一年がかりで二つのミステリーが完成した。二つであって一つでもあるような不思議な小説世界を旅してみませんか。――著者・内田康夫

生きているうちに読んでおきたい中原中也の名作たち・「春の日の夕暮」の風景7

(前回からつづく)

「春の日の夕暮」の風景の中に詩人は存在するだろうか――。

詩の中にその作者が存在するかどうか、
目に見える形で詩人が作品の中に登場する場合もあれば
登場しない作品だってありますから
「春の日の夕暮」の中に詩人・中原中也が現われるかどうか
現われなくて詩の外にいるという場合を除いて
作者詩人は詩の中のどこかにいる場合が多いはずですから
この詩の中のどこに詩人がいるのかを探します。

そうするとやはり
春の日の夕暮という風景を見ていることは確かなことが分かります。
どこかで、見ている。
タイトルの「春の日の夕暮」のほかに
第1連、第2連、第4連と
第3連以外に「春の日の夕暮」という語句が使われているのも
これが主題(テーマ)であることは明らかです。
これは揺らぎようにない確かなこと。

その風景の中にあって
沈んでいく太陽は
すでに山陰に隠れはじめたか
完全に隠れてしまえば暗くなって夕暮とは言わないでしょうから
陽があたり一面に反射している状態で
いっぽうに月がヌメランとしているのも見える場所。
詩人がじっとしているのなら
こういう場所があり
そこから「トタンがセンベイ食べ」「アンダースローされた灰が蒼ざめて」いるのが見えます。
第1連、2連の詩人は
動かないでこの風景を見ているということは確実なようです。

第3連でも第4連でも
この場所から離れず
じっと春の日の夕暮れの風景を眺めているのかもしれません。

同じ場所から、野の中に伽藍が紅く染まっている光景が見え
ガタガタと荷馬車が車輪をきしませて進んでいく景色が見えますが
この時に、私がものを言うのか
近い過去に私がものを言ったのか
歴史的現在に物を云った私は
今、ここに存在する私なのか、はっきりしません。
したがって、空と山がどのように嘲るのかもはっきりしません。
どうも、ここは詩人の脳裡に去来した近い過去の回想のようです。

そして最終連の
瓦が一枚はぐれるシーンをも詩人は目撃します。
ここにも詩人はいつづけ
さっきからずっとじっとして
春の日の夕暮の風景を見ていた、と言えそうですが
「はがれた」ではなく「はぐれた」としたのは
風景がそのまま詩人の心の動きと重なったからです。
空と山に嘲られた過去のことがよみがえり
はぐれた感覚を思い出した詩人の心象が
目前にしている風景にオーバーラップしたのです。

(つづく)

春の日の夕暮

トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶《いなな》くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするまゝに
従順なのは 春の日の夕暮か

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失ひ
私が歴史的現在に物を云へば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら 前進します
自《み》らの 静脈管の中へです

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

春の日の夕暮
 
トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮れは穏やかです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮れは静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶《いなな》くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするままに
従順なのは 春の日の夕暮れか

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失い
私が歴史的現在に物を言えば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮れは
無言ながら 前進します
自《みずか》らの 静脈管の中へです

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2012年10月13日 (土)

生きているうちに読んでおきたい中原中也の名作たち・「春の日の夕暮」の風景6

(前回からつづく)

この詩は、春の日の夕暮が
自らの(自分の)静脈管の中へ前進していく、ということを歌ったものかと
分かったような気持ちになってきますが
この「自らの」とは誰の(何の)自らのこと?
春の日の夕暮自らの静脈管なのか?
それとも、私自らの静脈管の中へなのか?
――などと、ふとした疑問が湧きはじめます。

それで冒頭の行へ戻って
また詩全体の中で
「自ら」の謎を読み解こうという姿勢になると
トタンって何?
センベイって何?
アンダースローされた灰って何?

太陽が沈みつつある西の反対側の東の空には月がヌメランとしているのか?
つまり、菜の花や月は東に日は西に(与謝蕪村)――なのか?
第2連の春の夕暮れかの「か」という疑問助詞は何なのか?

「野の中に伽藍は紅く」とは広い野原が赤く染まっていて
「がらんどう」状態になっている、あるいは、ガランとしているということか?

空と山が嘲るというのは、どのように嘲るのか?
風が吹いたり雨が降ったりすることか?
それとも、擬人法とかメタファーなのだから、
「私=詩人」が人間の誰かに言葉で何らか嘲られ馬鹿にされたという事実があるのか?

瓦がはぐれるのは、なぜ瓦がはがれるではいけないのか?
――次々に疑問が湧いてきます。

謎を一つ一つ解いていけば
詩は解釈できるでしょうか?

1字1字、1語1語、1行1行、1連1連……
逐字的に、逐条的に意味を追い……
語学的にアプローチし文法的にアプローチしただけではつかめない
謎にぶちあたってしまいます。

いったい、詩人はどこにいるのだろう。

次々に生じる疑問に途方に暮れている最中に
この問いが出て来たとき
もしかすれば
この問いに答えればこの詩の謎は解けるかもしれない、というひらめきに巡り合います。

いったい、詩人は春の日の夕暮をどこで見ているのだろう?

(つづく)

春の日の夕暮

トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶《いなな》くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするまゝに
従順なのは 春の日の夕暮か

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失ひ
私が歴史的現在に物を云へば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら 前進します
自《み》らの 静脈管の中へです

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

春の日の夕暮
 
トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮れは穏やかです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮れは静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶《いなな》くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするままに
従順なのは 春の日の夕暮れか

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失い
私が歴史的現在に物を言えば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮れは
無言ながら 前進します
自《みずか》らの 静脈管の中へです

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2012年10月12日 (金)

生きているうちに読んでおきたい中原中也の名作たち・「春の日の夕暮」の風景5

(前回からつづく)

「春の日の夕暮」の中でこのようにして
難しそうな語句のうち辞書を引けば分かりそうなのをさらって
全行をひと通り読めば
この詩が春のある日の日没の風景を歌っていることを理解しますが
特別にむずかしい漢字が使われているわけでもないのに
奇妙だ、可笑しい、何をいっているんだろうなどと
冒頭の「トタンがセンベイ食べて」にパンチを食らって
フラフラしたまま次に進みます。

ある春の夕方のリアルな日没のはずが
「トタンがセンベイ食べて」という
作り物めいた言い回しによって
読者はショックを受けたのに続けて
「アンダースローされた灰が蒼ざめて」で追い討ちされます。
とはいえ、この2行は対句をなしていて
どちらも春の日の夕暮の形容(修飾)であることをなんとか理解します。

マジックにかかったように入り込んだ第1連が
詩全体からみて起承転結の起とすれば
第2連は承、
第3連は転、
第4連が結ということになりそう、などと構成も見えはじめます。

第2連では
穏やかで静かな春の日の夕暮れを歌うのならば
案山子があるだろうし馬のいななきがあるはずなのに
そんなものないだろ、と詩(詩人)は
あらかじめ穏かでも静かでもない春の日の夕暮れを準備するのです。

2連から3連へ進む中に
「ヌメランと」や「ポトホトと」などの聞きなれないオノマトペ(擬態語・擬音語)が現われるのも
春の日の夕暮という風景の一側面として読めるようになりますが
第3連に突如、「私」が「歴史的現在」にものを言うとあるのに出くわして
詩が動き出すのを感じます。
転です。

ここにきて
春の日の夕暮に対して
もう一つの主格(主役)である(私=詩人)が登場するのですから
どうやらこの詩が風景ばかりをうたったものではないことに気づかされるのです。

転は急を告げる感覚を催させ
一気に結(=終)へと収束していきます。
春の日の夕暮が「静脈管の中へ」前進していくのです。

(つづく)

春の日の夕暮

トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶《いなな》くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするまゝに
従順なのは 春の日の夕暮か

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失ひ
私が歴史的現在に物を云へば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら 前進します
自《み》らの 静脈管の中へです

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

春の日の夕暮
 
トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮れは穏やかです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮れは静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶《いなな》くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするままに
従順なのは 春の日の夕暮れか

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失い
私が歴史的現在に物を言えば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮れは
無言ながら 前進します
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2012年10月11日 (木)

生きているうちに読んでおきたい中原中也の名作たち・「春の日の夕暮」の風景4

(前回からつづく)

「春の日の夕暮」に使われている言葉を
まず単語(主として漢字)や語句などの部品を理解することからはじめ
部品(部分)の意味がだいたい分かったら
文や構成やつくりなどの全体へと目を向けていくのが自然の流れでしょうが
はて、

トタンがセンベイ食べて
アンダースローされた灰が蒼ざめて
月の光のヌメランとするまゝに
ポトホトと野の中に伽藍は紅く
私が歴史的現在に物を云へば

――といったフレーズ(語句)と詩全体は
複雑に絡み合っていて生きていますから
数式を解くように理解することは困難です。
このこと一つとっても詩の理解の仕方は
詩を読む人の数だけ存在するということになります。

中でも
「トタンがセンベイ食べて」という副詞句の解釈については
千差万別(せんさばんべつ)、百花繚乱(ひゃっかりょうらん)のにぎわいで
みんながみんな勝手な読みを繰り広げてきた歴史があります。

この1行のインパクトは
詩全体の読みを超える力があって
詩を丁寧に丁寧に1行1行読んで
詩を全体として(=作品として)読んだとしても
脳裡にこびりついて離れないほどの経験になってしまうのです。

これが詩の第1行にドカンとあるのです。
第2行
春の日の夕暮は穏かです
――にかかる、単なる副詞句なのに
主格級のパワーをこの1行は持ち続けるのですが
よくは分からないまま

アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです
――へと進んでいるときには
すでに迷子の状態になっているにもかかわらず
後戻りもしないのが普通のことでしょう。

見方を変えれば
こうして人はいつのまにか
詩の世界に入り込んでいるのです。

(つづく)

春の日の夕暮

トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶《いなな》くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするまゝに
従順なのは 春の日の夕暮か

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失ひ
私が歴史的現在に物を云へば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら 前進します
自《み》らの 静脈管の中へです

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

春の日の夕暮
 
トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮れは穏やかです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮れは静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶《いなな》くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするままに
従順なのは 春の日の夕暮れか

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失い
私が歴史的現在に物を言えば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮れは
無言ながら 前進します
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2012年10月10日 (水)

生きているうちに読んでおきたい中原中也の名作たち・「春の日の夕暮」の風景3

(前回からつづく)

トタンがセンベイ食べて、とはなんだ?!
アンダースローされた灰が蒼ざめて、とはなんだ?!

――「春の日の夕暮」ならば
のっけから、この奇妙な言い回しに驚いて退散してしまう人もあれば
なんだ、なんなのだ、と疑問を抱きながらも
面白そうだとこころをときめかし
全行を読み通す人もあることでしょう。

ここで引っかかりを覚えるであろう難解な語句を整理してみると
単語としては漢字にやや見慣れないものとして

蒼(あお)ざめて
吁(ああ)
案山子(かかし)
嘶(いなな)く
伽藍(がらん)
嘲(あざけ)る
瓦(かわら)

――などを挙げることができるでしょうか。
もちろんこれらは個人差があるものです。

このうち、「ああ」「かかし」「いななく」「あざける」にはルビがありますから
読めないものがあるとすれば
「蒼(あお)ざめて」「伽藍(がらん)」「瓦(かわら)」などに絞られそうです。

もしもこれら「蒼」「伽藍」「瓦」の漢字が読めなければ
漢和辞典で読み方を調べればよいのです。

漢字以外の耳慣れない語句としては

トタンがセンベイ食べて
アンダースローされた灰が蒼ざめて
月の光のヌメランとするまゝに
ポトホトと野の中に伽藍は紅く
私が歴史的現在に物を云へば

――などでしょうか。

これらの語句を
どのように読んだらよいのか。
詩を読むことにむずかしさがあるとすれば
ここに最大の山の一つが聳(そび)えています。

(つづく)

春の日の夕暮

トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶《いなな》くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするまゝに
従順なのは 春の日の夕暮か

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失ひ
私が歴史的現在に物を云へば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら 前進します
自《み》らの 静脈管の中へです

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

春の日の夕暮
 
トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮れは穏やかです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮れは静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶《いなな》くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするままに
従順なのは 春の日の夕暮れか

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失い
私が歴史的現在に物を言えば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮れは
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2012年10月 9日 (火)

生きているうちに読んでおきたい中原中也の名作たち・「春の日の夕暮」の風景2

(前回からつづく)

というわけで詩の行を先へと読み進めると
第2連では
「吁」は「ああ」
「案山子」は「かかし」
「嘲る」は「あざける」と編集者によるルビがあり
「嘶く」は「いななく」と詩人によるルビがあり
読めて意味が通じるので辞書は引きません。

月の光のヌメランと、で少しひっかかりそうですが
「ヌメラン」のなんとなくヌメヌメとした響きは
分かったようになるということで先へ進みます。

第3連では
ポトホトと野の中に伽藍は紅く。

伽藍を「ガラン」と読めれば
ポトホトと、が残るくらいになりますが
読めなければ辞書を引く手間をかければよいのです。

「ポトホトと」や「ヌメランと」は
最近の辞書では収録されているものもありますが
これは中原中也独自のオノマトペ(擬態語・擬音語)ですから
独自に読んだほうがよいということになります。

中原中也は
既存のオノマトペもよく使いますが
ちょっと加工して
新造語にしてしまう名人です。

「ポトホト」は「ポタポタ」「ポトポト」「ホトホト」などを合成して造語にし
「ヌメラン」は「ヌメヌメ」に「ランラン」を合せた新造語。

第4連には
辞書を必要とする単語・熟語や語句はありません。

「自《み》ら」は、大正・昭和初期の独特な表記で
「自(おの)ずと」と読む場合と区別するために
「みずから」と読む場合に「み」というルビ1字を振り
「おのずと」と読む場合には「お」の1字を振る習慣があって
中原中也もそのルールに準じただけのことです。
詩を音読する場面で注意すればよい話になります。

(つづく)

春の日の夕暮

トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶《いなな》くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするまゝに
従順なのは 春の日の夕暮か

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失ひ
私が歴史的現在に物を云へば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら 前進します
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「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

春の日の夕暮
 
トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮れは穏やかです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮れは静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶《いなな》くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするままに
従順なのは 春の日の夕暮れか

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失い
私が歴史的現在に物を言えば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮れは
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2012年10月 8日 (月)

生きているうちに読んでおきたい中原中也の名作たち・「春の日の夕暮」の風景

「春の日の夕暮」の冒頭行は
トタンがセンベイ食べて
第3行は
アンダースローされた灰が蒼ざめて

この2行に
辞書は歯が立たない、ということは誰にもわかることですね。

あえて辞書を引くとすれば
トタン。

「食べた途端に毒が回った」の「とたん」でなく
「塗炭の苦しみ」の「とたん」でもなく
「灼けたトタン屋根の猫」の「トタン」にぶつかりますから
トタンがセンベイ食べて、の「トタン」は
この「トタン屋根の猫」の「トタン」であることまでは分かります。

そして、トタンはポルトガル語に由来するらしいので
カタカナで表示することになっているということくらいまでを調べるのは
それなりに意味のあることです。

しかし、それ以上はダメ。
辞書は、そこまで。

第一、
トタンがセンベイを食べるというのですから
これは現実の世界で起こった事象ではなく
擬人法とか比喩とか象徴化とかの
レトリック(修辞)の範囲での読みが必要になってくるからです。

なにかが喩(たと)えられているのだな
なにかが象徴的に表現されているのかな
トタンという主格に人間の行為を見立てた言い方なんだな
――などと読まないと
解き明かせない表現なのです。

それでは、いったい
トタンがセンベイ食べる、とは何か。

あれやこれや考え想像してみたりしますが
なかなかこれだと思えるイメージが結んでこないということもあって
とにかくこの詩を最後まで読んでみることにするのが普通でしょう。

一つの詩を読むとき
まずはひと通りすべての行を追い
終りまで読んで
いったいこの詩はどんな詩なのか
ひと通りざっと読んで
内容やテーマなどに見当をつけ
難しい漢字だとか分かりにくい表現などを
通し読みする過程でチェックするというステップを踏みます。

(つづく)

春の日の夕暮

トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶《いなな》くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするまゝに
従順なのは 春の日の夕暮か

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失ひ
私が歴史的現在に物を云へば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら 前進します
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「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

春の日の夕暮
 
トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮れは穏やかです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮れは静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶《いなな》くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするままに
従順なのは 春の日の夕暮れか

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失い
私が歴史的現在に物を言えば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮れは
無言ながら 前進します
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2012年10月 7日 (日)

生きているうちに読んでおきたい中原中也の名作たち・序4

(前回からつづく)

読めない漢字やむずかしい言葉は
辞書を引くことによって
理解できるようになるのですから
辞書を持っていて
辞書を使う習慣があれば
なにも恐れることはありません。

だからといって
詩を読むのに
辞書があれば怖いものなし、というわけにはいきません。

なぜでしょうか?
なぜだかを考えてみる価値がありそうです。

そのことを考えるのに
「山羊の歌」の冒頭詩「春の日の夕暮」は
好例といえますから
まずは原作にあたってみましょう。

春の日の夕暮

トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶《いなな》くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするまゝに
従順なのは 春の日の夕暮か

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失ひ
私が歴史的現在に物を云へば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら 前進します
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ここで、ルビについて注意しておかなければならないことがあります。
この詩は、角川ソフィア文庫版「中原中也全集」から引用したものですが
中原中也本人が振ったルビは
第2連第2行の「嘶《いなな》く」と
最終連の最終行の「自《み》」の2か所だけなのですが
角川版旧全集編集委員は
読み易くするために
原作のほかに新たなルビを振りました。

吁(ああ)
案山子(かかし)
嘲(あざけ)る

――がそれです。

中原中也本人が振ったルビと
全集編集委員の振ったルビがあり
縦書きの書籍では
全集編集委員の振ったルビを( )で示し
詩人本人の振ったルビとを区別しています。

その違いを
このブログでは
詩人本人の振ったルビを《 》で
編集委員の振ったルビを( )で表示しています。

(つづく)

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2012年10月 6日 (土)

生きているうちに読んでおきたい中原中也の名作たち・序3

(前回からつづく)

ものごとを習慣にする、ということ以外に
ものごとを習得する・修得したという実態はありません。
習慣にした・習慣になったということは
習得した・修得したことと同じことです。

たとえば、
未曽有という3字熟語を
「みぞう」という3音節で読めるようになるのは習慣の結果です。
「みそう」「みそゆう」「みぞゆう」でもなく
「みぞう」と読む習慣ができているから
「未曽有」は「みぞう」と読めるのです。

同じく、
「席巻」を「せきまき」ではなく「せっけん」、
「琴線」を「ことせん」ではなく「きんせん」と読めます。

これらの言葉は
初めて読んだり使ったりしたときから
繰り返し繰り返し使われて
それが習慣になって
大人になっても老人になっても正しく使えているものと言ってよいでしょう。

「難漢字」ではなく
やさしい言葉でも同じことです。
「海」を、
訓読みで「うみ」と読め、
音読みで「かい」と読めるのも
習慣の結果です。

では、
読めない字に初めて会ったとき
どうしたらよいのでしょう。
いうまでもなく
周囲の人に聞いたり辞書をひいたりします。
周囲に聞く相手がいなかったり
聞くことができない状態のときには
一人で辞書を引けば済みます。

辞書を引く習慣があれば
読めない字は読めるようになりますから
人は辞書を引く習慣があれば
読めない字などはないのと同じです。

では、
詩を読むときに
辞書を引けば
詩をわかることになるでしょうか――。

(つづく)

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2012年10月 5日 (金)

生きているうちに読んでおきたい中原中也の名作たち・序2

(前回からつづく)

ピントが外れているのは分かっているのですが
花が枯れる、というイメージが
中原中也の「春の思ひ出」を思い出させたり
座る椅子がない、という場面では
「港市の秋」を思い出してしまう、というクセになっていた、ということを
やや強調して述べたまでです。

そういう傾向が
ある期間続いた、ということで
今は、そうしたクセからは抜け出しています。

書物を読んだり勉強したり
習い事をしたり避難訓練をしたり
ものごとの体験することというのは
すでにだれかが体験した内容を自分が繰り返すということですから
影響を受けて「クセ」になるのは自然の流れというものです。

ものごとの習得(修得)は
クセをつけること、といっても過言ではないほどです。

一つのことを繰り返すことによって
ものごとは習得され
その人のものになるというのは
その人のクセ=習慣になるということですから
クセになったら
クセになるほど習得した、ということと同じです。

詩を読むのも似たようなことで
何度も何度も
中原中也の詩を読み返しているうちに
その中のあるフレーズは記憶され
詩の全体が記憶されなくても
そのフレーズが訴えているイメージが
からだのどこか(脳の中か)に残り
ある時、そのイメージがかぶさって出てくるというようなことが起こり
それがしばしば起これば
それはクセ(=癖)といいますが
クセとはよい意味での習慣(=ハビット)ですから
努力が報われたことを示しているのです。

(つづく)

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2012年10月 4日 (木)

生きているうちに読んでおきたい中原中也の名作たち・序

中原中也の詩作品のすべてを読み終えたのは
去年の4月ごろでしたか――。
このブログをはじめたのが2008年でしたから
あしかけ3年で
370近くの詩を読んだ計算になります。

読み終えて
一人の詩人の全作品を読むという体験の
充実感・満足感と同時に
「危なさ」みたいなものを感じた記憶があります。

たとえば
なにごとも、この詩人の目を通じて見返すというようなクセがついた、というようなことが一つ。
花瓶にさした花が枯れていくのを見て、

摘み溜めしれんげの華を
夕餉に帰る時刻となれば
立迷う春の暮靄の
土の上に叩きつけ

――と、「春の思ひ出」の一節を浮かべたり……、

駅ホームの待合室に休まろうとしたが
満員と知って

私はその日人生に、
椅子を失くした。

――と、「港市の秋」を思い出す、といった具合です。

(つづく)

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2012年10月 2日 (火)

中原中也に出会った詩人たち・ひとまず終りに

作品が発表された、その時点その時点で
一般読者の中に中原中也と出会った人々が生まれてきました。
出会った人とは
言い方を変えれば、一人のファンになったということでもあります。
一般読者ではなく
プロフェショナルの、学者、詩人、批評家の出会いも
各所に記述されました。

 

 

黒田三郎(1919~1980)
平井啓之(1921~1992)
中村稔(1927~)
秋山駿(1930~)
大岡信(1931~)
北川透(1935~)
長田弘(1939~)
清水昶(1940~2011)

 

これらの人々は
中原中也ファンのラインアップといって過言ではありません。

 

 

格別に意識したわけではないのですが
中原中也とのさまざまな出会いを
同時代者(中原中也と面識のある無しに関係なく)ではなく
中原中也没後に詩作品を通じて出会った人の発言を
手近にある書物をめくってランダムにひろっていると
このようになりました。

 

 

ほかに、
「わたしは、このようにして中原中也と出会った」と
直接的に表現しないプロフェショナルがあまた存在します。
作品論・作品批評や詩的言語を通じてしか
個人的経験、私的体験としての出会いを記述しない傾向が普通なのです。

 

ですから、これらはほんの一部の例です。
「派」とか「世代」とかと見出しをつけましたが
それも便宜的なものです。

 

そもそも、世代によって
中原中也との出会いが異なるのかどうかもわかりませんし
特徴があるのかどうかもわかりません。

 

仮に、詩を読む行為が
世代別に特徴をもつものであったとしても
それは、傾向に過ぎず
個々の出会いは個々以外のものではないに違いありません。

 

にもかかわらず
詩の読まれ方には
時代の空気や状況などの
個々の体験以外のものが反映されていることも
見てきた通りです。

 

 

戦無派とか団塊世代とかの戦後生まれの
中原中也との出会いはどのようだったのでしょうか?

 

新人類といわれた世代は?
団塊ジュニアたちは?
ゼロ年代は?
……

 

そして
現代の中学生たちは
どのように中原中也と出会うのでしょうか?
出会っているのでしょうか?

 

とりわけ
インターネットとともに育っている世代が
中原中也とどのように出会うのかが
興味深いものです。

 

 

 

 

詩的履歴書。――大正4年の初め頃だつたか終頃であつたか兎も角寒い朝、その年の正月に亡くなつた弟を歌つたのが抑々(そもそも)の最初である。学校の読本の、正行(まさつら)が御暇乞(おいとまごひ)の所、「今一度天顔を拝し奉りて」といふのがヒントをなした。
大正7年、詩の好きな教生に遇(あ)ふ。恩師なり。その頃地方の新聞に短歌欄あり、短歌を投書す。
大正9年、露西亜詩人ベールィの作を雑誌で見かけて破格語法なぞといふことは、随分先から行なはれてゐることなんだなと安心す。
大正10年友人と「末黒野」なる歌集を印刷する。少しは売れた。

 

大正12年春、文学に耽りて落第す。京都立命館中学に転校す。生れて始めて両親を離れ、飛び立つ思ひなり、その秋の暮、寒い夜に丸太町橋際の古本屋で「ダダイスト新吉の詩」を読む。中の数篇に感激。
大正13年夏富永太郎京都に来て、彼より仏国詩人等の存在を学ぶ。大正14年の11月に死んだ。懐かしく思ふ。
同年秋詩の宣言を書く。「人間が不幸になつたのは、最初の反省が不可なかつたのだ。その最初の反省が人間を政治的動物にした。然し、不可なかつたにしろ、政治的動物になるにはなつちまつたんだ。私とは、つまり、そのなるにはなつちまつたことを、決して咎めはしない悲嘆者なんだ。」といふのがその書き出しである。

 

大正14年、小林に紹介さる。
大正14年8月頃、いよいよ詩を専心しようと大体決まる。
大正15年5月、「朝の歌」を書く。7月頃小林に見せる。それが東京に来て詩を人に見せる最初。つまり「朝の歌」にてほゞ方針立つ。方針は立つたが、たつた14行書くために、こんなに手数がかゝるのではとガツカリす。

 

昭和2年春、河上に紹介さる。その頃アテネに通ふ。
同年11月、諸井三郎を訪ぬ。
昭和3年、父を失ふ。ウソついて日大に行ってるとて実は行つてなかつたのが母に知れる。母心配す。然しこつちは寧(むし)ろウソが明白にされたので過去三ケ年半の可なり辛(つら)自責感を去る。
同年5月、「朝の歌」及「臨終」諸井三郎の作曲にて発表さる。
昭和4年。同人雑誌「白痴群」出す。
昭和5年、6号が出た後廃刊となる。以後雌伏。

 

昭和7年、「四季」第二輯(しふ)夏号に詩3篇を掲載。
昭和8年5月、偶然のことより文芸雑誌「紀元」同人となる。
同年12月、結婚。
昭和9年4月、「紀元」脱退。
昭和9年12月、「ランボウ学校時代の詩」を三笠書房より刊行。
昭和10年6月、ジイド全集に「暦」を訳す。
同年10月、男児を得。
同年12月、「山羊の歌」刊行。
昭和11年6月、「ランボウ詩抄」(山本文庫)刊行。

 

大正4年より現今迄の制作詩篇約700。内500破棄。
大正12年より昭和8年迄、毎日々々歩き通す。読書は夜中、朝寝て正午頃起きて、それより夜の12時頃迄歩くなり。

 

※「新編中原中也全集」第4巻・評論・小説より。
※読みやすくするため、改行(行空き)を加え、洋数字に変更してあります。編者。

 

 

 


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2012年10月 1日 (月)

内向派が読んだ中原中也・秋山駿の場合

私が初めて中原中也に出会ったのは、昭和22年夏、創元社版の『中原中也全集』によってである。

 

――と、「出会い」という言葉を使って、
明確に中原中也を読みはじめた体験を語るのは
「知れざる炎 評伝中原中也」の著者・秋山駿です。

 

同書で秋山駿は続けて記します。

 

 

その頃、敗戦時の少年として、たった一人きりの生存という生に直面させられ、だからといってその不安な意識に映ずる自分も遠く、世界も遠く、生存は不可解であり、一人の人間であるということが何を意味するかも知らぬ者にとっては、彼の言葉はずいぶん優しく身に染みたが、本当は、詩集を求めたのはそういう良い動機からではなかった。

 

どんな詩人なのかと思って頁をパラパラめくっているうちに、年譜に「文学に耽りて落第す」とあるのを見出して、それで求めてきたのだ。そのとき私も、自分の全局面に亙ってすべてを怠けようと思っていた。

 

 

創元社版「中原中也全集」は
戦後すぐに大岡昇平編集で出された
全集という名がついた初めてのもので
簡易なものながら年譜付きでした。
この年譜の中に
略自伝である「詩的履歴書」にある
「文学に耽りて落第す」という一節が記されているのでしょう。
秋山駿はこれを読んで心に留めたのでした。

 

 

中原中也の詩は
昭和9年の「山羊の歌」、
昭和12年の「在りし日の歌」の自選詩集をはじめ
諸々の雑誌・新聞などに発表した作品群で
一般の読者にも読めるものでしたが、
没後にも、
昭和14年「現代詩集Ⅰ」に29篇、
昭和15年「昭和詩抄」に5篇、
昭和16年「歴程詩集」に7篇、
昭和17年「日本海詩集」に3篇といった具合に収録されるなど
非常時下にも細々とながら着実に紹介(評価)され続け
昭和22年に、大岡昇平編集の全集発行に至るまで
読者が維持されてきたという歴史があります。

 

 

秋山駿は1930年生まれですから
これまでここで取り上げてきたケースの中では
大岡信と中村稔の間に生まれた世代で
終戦時点でミドル・ティーンになっていますから
戦中世代といっておかしくはないのですが
「内部の人間」などの著作活動から
内向派世代ということにしておきましょう。

 

(つづく)

 

 

「詩的履歴書」は「我が詩観」と題する未発表評論の末尾に書かれたものです。
全文を引用しておきます。

 

 

詩的履歴書。――大正4年の初め頃だつたか終頃であつたか兎も角寒い朝、その年の正月に亡くなつた弟を歌つたのが抑々(そもそも)の最初である。学校の読本の、正行(まさつら)が御暇乞(おいとまごひ)の所、「今一度天顔を拝し奉りて」といふのがヒントをなした。
大正7年、詩の好きな教生に遇(あ)ふ。恩師なり。その頃地方の新聞に短歌欄あり、短歌を投書す。
大正9年、露西亜詩人ベールィの作を雑誌で見かけて破格語法なぞといふことは、随分先から行なはれてゐることなんだなと安心す。
大正10年友人と「末黒野」なる歌集を印刷する。少しは売れた。

 

大正12年春、文学に耽りて落第す。京都立命館中学に転校す。生れて始めて両親を離れ、飛び立つ思ひなり、その秋の暮、寒い夜に丸太町橋際の古本屋で「ダダイスト新吉の詩」を読む。中の数篇に感激。
大正13年夏富永太郎京都に来て、彼より仏国詩人等の存在を学ぶ。大正14年の11月に死んだ。懐かしく思ふ。
同年秋詩の宣言を書く。「人間が不幸になつたのは、最初の反省が不可なかつたのだ。その最初の反省が人間を政治的動物にした。然し、不可なかつたにしろ、政治的動物になるにはなつちまつたんだ。私とは、つまり、そのなるにはなつちまつたことを、決して咎めはしない悲嘆者なんだ。」といふのがその書き出しである。

 

大正14年、小林に紹介さる。
大正14年8月頃、いよいよ詩を専心しようと大体決まる。
大正15年5月、「朝の歌」を書く。7月頃小林に見せる。それが東京に来て詩を人に見せる最初。つまり「朝の歌」にてほゞ方針立つ。方針は立つたが、たつた14行書くために、こんなに手数がかゝるのではとガツカリす。

 

昭和2年春、河上に紹介さる。その頃アテネに通ふ。
同年11月、諸井三郎を訪ぬ。
昭和3年、父を失ふ。ウソついて日大に行ってるとて実は行つてなかつたのが母に知れる。母心配す。然しこつちは寧(むし)ろウソが明白にされたので過去三ケ年半の可なり辛(つら)自責感を去る。
同年5月、「朝の歌」及「臨終」諸井三郎の作曲にて発表さる。
昭和4年。同人雑誌「白痴群」出す。
昭和5年、6号が出た後廃刊となる。以後雌伏。

 

昭和7年、「四季」第二輯(しふ)夏号に詩3篇を掲載。
昭和8年5月、偶然のことより文芸雑誌「紀元」同人となる。
同年12月、結婚。
昭和9年4月、「紀元」脱退。
昭和9年12月、「ランボウ学校時代の詩」を三笠書房より刊行。
昭和10年6月、ジイド全集に「暦」を訳す。
同年10月、男児を得。
同年12月、「山羊の歌」刊行。
昭和11年6月、「ランボウ詩抄」(山本文庫)刊行。

 

大正4年より現今迄の制作詩篇約700。内500破棄。
大正12年より昭和8年迄、毎日々々歩き通す。読書は夜中、朝寝て正午頃起きて、それより夜の12時頃迄歩くなり。

 

※「新編中原中也全集」第4巻・評論・小説より。
※読みやすくするため、改行(行空き)を加え、洋数字に変更してあります。編者。

 

 

 


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