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2013年1月

2013年1月31日 (木)

ひとくちメモ/中原中也の詩に現われる色の色々・最終回

(前回からつづく)

中原中也の詩に現われる「色」を取り出して見てきましたが
残るのは「療養日誌・千葉寺雑記(1937年)」と「草稿詩篇(1937年)」だけになりました。

1937年は詩人の亡くなる年です。
この年のはじめに千葉の中村古峡療養所に入退院し
退院直後に鎌倉に移り住んで詩作活動を再開。
「ボンマルシェ日記」をつけはじめ
付近に住む小林秀雄、大岡昇平、今日出海、深田久弥らと交流します。
9月には「ランボオ詩集」を翻訳・刊行し
「在りし日の歌」の清書原稿を小林秀雄に託すなど
心機一転を計画していました。
その矢先、結核性脳膜炎を発症し永眠します。

このような経過が
詩の「色」に現われるなどという研究のつもりではないことを
ふたたび申し上げておきます。

「療養日誌・千葉寺雑記(1937年)」には
(短歌5首)を1篇と数えて5篇が収録されています。
ここにに現われる「色」は2篇2か所でした――。

(丘の上サあがって、丘の上サあがって)
 緑のお碗が一つ、ふせてあった。
そのお碗にヨ、その緑のお碗に、

(短歌五首)
町々は夕陽を浴びて金の色
 きさらぎ二月冷たい金なり

最後の「草稿詩篇(1937年)」には5篇の詩が収録されていますが
ここに「色」は現われませんでした。

1937年制作の詩篇10篇のうち
「色」が現われたのは2篇でした。
この数字が「多い少ない」を言えるものではありません。
言うことも出来はしません。

晩年に「色」の現われるのが少なかったかもしれない、との
可能性があるという程度の想像は許されても
断言はできません。

そもそも残りの8篇の詩には色がないなどといえば、
そんな馬鹿なことはありません。
色のない詩なんて存在するわけがありません。
「色」に関する言葉や文字が現れなかっただけのことです。

第一、ここでは「色」それも言葉(文字)に現われたものを取り上げてきただけです。
メタファーとしての色を見れば
際限ない世界が広がっているでしょうし
「光の色々」に目を向ければ
世界の半分に目を向けることにもなりそうです。

残るは「空間」ということになり
中原中也の詩の「空間のメタファー」へと開けていってしまいます。

そのような研究は
きっと存在することでしょう。
興味ある方は探してみてください。

ここで見てきた「色」は
そんな大げさなものではなく
「色の言葉」が中原中也の詩にどれほどあるだろうか
――という素朴な疑問に答えるために
詩集のはじめから終わりまで検索してみただけのことです。

中原中也が制作した全詩370のうち
言葉・文字の形として現れた「色」のある詩は
ざっと数えてみると151篇ありました。
行ではなく詩の数です。

一つの詩の中に
「色」が多数の行にわたる場合もありますから
行で数えればこの倍近くか少なくとも5割増しにはなるかもしれません。

「音の詩人」のイメージが濃い中原中也は
すぐれて「色の詩人」であったということくらいはきっぱりと言えそうです。

(この項終わり)

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2013年1月30日 (水)

ひとくちメモ/中原中也の詩に現われる色の色々16

(前回につづく)

「草稿詩篇(1933年―1936年)」の
後半部の詩に現われる「色」をひろっていきましょう。

「僕が知る」
僕の狂気は蒼ざめて硬くなる

(おまえが花のように)
淡鼠の絹の靴下穿(は)いた花のように

「大島行葵丸にて」
瞬間(しばし)浪間に唾(つば)白かったが

(秋が来た)
その上に、わびしい黄色い夕陽は落ちる。

ワットマンに描かれた淡彩、

「雲った秋」
あんまり蒼い顔しているとて、

「雲」
空の青が、少しく冷たくみえることは

「暗い公園」
その黒々と見える葉は風にハタハタと鳴っていた。

「夏の夜の博覧会はかなしからずや」
夕空は、紺青の色なりき
燈光は、貝釦の色なりき

その時よ、紺青の空!

けなげなる小馬の鼻翼 紫の雲のいろして(ああわれは おぼれたるかな)
――は、小馬の鼻翼が紫の雲の色をしているという叙述ですが
なんとも的確な目! 
小馬の鼻翼の色をこれ以外に捉えることはできない! と言えるほどに的確です。

次の
薔薇色の埃りの中に、車室の中に、春は来、睡っている。(とにもかくにも春である)
――は、叙述(写実)ではなく、象徴的手法と言えますが、春の埃っぽさを「薔薇色」と捉える目の
確かさがなければ、象徴もへったくれもありません。

葉は、乾いている、ねむげな色をして(「いちじくの葉」)
――も、現実のいちじくの葉の写実の見事なこと!
乾いたいちじくの葉って、眠たそうな色をしていますよね。

「朝」は、ここでは連を丸ごとひろっておきました。

かがやかしい朝よ、
紫の、物々の影よ、
つめたい、朝の空気よ、
灰色の、甍よ、
水色の、空よ、
風よ!
――は、第1連。

風よ!
水色の、空よ、
灰色の、甍よ、
つめたい、朝の空気よ、
かがやかしい朝
紫の、物々の影よ……
――は、第3連。

紫、灰色、水色で朝は朝になったかのようです!

「悲しい歌」の
蝦茶色の憎悪がわあッと跳び出して来る。
――の「蝦茶色の憎悪」は「茶色い戦争」と同じ表現法です。
茶色い戦争といわれて分かったような気分になるように
蝦茶色の憎悪といわれて分かったような気分になります。

これは

みんな貯まっている憎悪のために、
色々な喜劇を演ずるのだ。
――と「色々な」に傍点が付けられて捕捉されます。

夕空は、紺青の色なりき 燈光は、貝釦の色なりき(「夏の夜の博覧会はかなしからずや」)や
その時よ、紺青の空!(同)
――は、叙述(写実)の色であるのに
幻想の色に変質する瞬間を見せられるかのようです。
マジックの中にいるような
色彩の錯覚を経験させられます。

(つづく)

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2013年1月29日 (火)

ひとくちメモ/中原中也の詩に現われる色の色々15

(前回からつづく)

「草稿詩篇(1933年―1936年)」には
65篇の詩が収められていますから
草稿詩篇という分類で詩数が最多です。

ちなみに詩数の多い大分類を見れば
「山羊の歌」は44篇
「在りし日の歌」は58篇
「生前発表詩篇」は40篇
「ノート1924」は51篇
「早大ノート」は42篇などとなっています。

26歳(1933年)から29歳(1936年)までの詩が収録されています。
30歳で亡くなる詩人の未発表詩篇で
「晩年」の詩が通覧できることになります。

それらの詩篇に現われる「色」を見ましょう。

(ああわれは おぼれたるかな)
けなげなる小馬の鼻翼
紫の雲のいろして

(形式整美のかの夢や)
我や白衣の巡礼と

(とにもかくにも春である)
薔薇色の埃りの中に、車室の中に、春は来、睡っている。

「夏過けて、友よ、秋とはなりました」
僕は酒場に出掛けた、青と赤との濁った酒場で、

「いちじくの葉」
葉は、乾いている、ねむげな色をして

空はしずかに音く、
※「音く」は、「青く」「暗く」「沓く」などの誤記と推定されています。

(小川が青く光っているのは)
小川が青く光っているのは、
あれは、空の色を映しているからなんだそうだ。

あの唇黒い老婆に眺めいらるるままに。

レールが青く光っているのは、
あれは、空の色を映して青いんだそうだ。

「朝」
かがやかしい朝よ、
紫の、物々の影よ、
つめたい、朝の空気よ、
灰色の、甍よ、
水色の、空よ、
風よ!

風よ!
水色の、空よ、
灰色の、甍よ、
つめたい、朝の空気よ、
かがやかしい朝
紫の、物々の影よ……

「秋岸清凉居士」
あれはなんとかいう花の紫の莟みであったじゃろ

あれはなんとかいう花の紫の莟か知れず

いつの日か手の掌(ひら)で揉んだ紫の朝顔の花の様に

「悲しい歌」
蝦茶色の憎悪がわあッと跳び出して来る。

みんな貯まっている憎悪のために、
色々な喜劇を演ずるのだ。
※「色々な」には傍点が振られています。

(海は、お天気の日には)
海は、お天気の日には、
金や銀だ。

「星とピエロ」
銀でないものが銀のように光りはせぬ、青光りがするってか
そりゃ青光りもするじゃろう、銀紙じゃから喃(のう)
向きによっては青光りすることもあるじゃ、いや遠いってか

「誘蛾燈詠歌」
それではもう、僕は青とともに心中しましょうわい
くれないだのイエローなどと、こちゃ知らんことだわい
流れ流れつ空をみて赤児の脣(くち)よりなお淡(あわ)く

吹雪は瓦斯の光の色をしておりました

(一本の藁は畦の枯草の間に挟って)
空は青く冷たく青く
玻璃にも似たる冬景であった

ここまでで半分くらいを読みました。
読んだといっても
「色」の記述を拾っただけのことです。

ここにきて
中原中也の「色」の使い方の特徴について
なんらかのことが言えそうな気がしてきましたが
それは「草稿詩篇(1933年―1936年)を全部読んでからにします。

(つづく)

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2013年1月28日 (月)

ひとくちメモ/中原中也の詩に現われる色の色々14

(前回につづく)

「ノート翻訳詩(1933年)」の翻訳詩とは
中原中也がノートの表紙にそう記していて
中のページには自ら訳した詩14篇を記しているその詩のことです。
全集編集委員会がそのノートを「ノート翻訳詩」と命名ました。
「ノート小年時」と同種のノートが使われています。

このノートの翻訳詩は第3巻「翻訳」に「未発表翻訳詩篇」として収録されるため
「未発表詩篇」のこの「ノート翻訳詩」には
創作詩だけを収録しています。
「ノート翻訳詩」に書かれた創作詩という意味になります。

全部で9篇あり
全作が1933年(昭和8年)の制作(推定)に集中しています。

この9篇の詩に現われる「色」を見てみましょう。

(土を見るがいい)
土は水を含んで黒く
のっかってる石ころだけは夜目にも白く、

風は吹き、黒々と吹き

「小 景」
夕陽を映して銹色をしている。

「Qu'est-ce que c'est?」
黒々と森が彼方にあることも、

9篇のうちの3篇に「色」は現われますが
これといって突出した使い方は見られません。

風は吹き、黒々と吹き―(土を見るがいい)
夕陽を映して銹色―「小 景」
――も、想像の範囲に入ります。
想像することは容易です。

(つづく)

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2013年1月27日 (日)

ひとくちメモ/中原中也の詩に現われる色の色々13

(前回からつづく)

「早大ノート(1930年―1937年」の次には
「草稿詩篇(1931年―1932年)」が配置されていて
13篇の詩が収められています。
この中の詩に現われる「色」はどんな風でしょうか。

「三毛猫の主の歌える」
むかし、おまえは黒猫だった。

「疲れやつれた美しい顔」
その花は、夜の部屋にみる、三色菫(さんしきすみれ)だ。

「Tableau Triste」
それは、野兎色のランプの光に仄照らされて、

「青木三造」
かすかに青き空慕い

あおにみどりに変化(へんげ)すは

飲んで泡吹きゃ夜空も白い
  白い夜空とは、またなんと愉快じゃないか

「脱毛の秋 Etudes」
それは、蒼白いものだった。

僕は一つの藍玉を、時には速く時には遅くと

僕は僕の無色の時間の中に投入される諸現象を、

無色の時間を彩るためには、

まず、褐色の老書記の元気のほか、

瀝青(チャン)色の空があった。

女等はみな、白馬になるとみえた。

僕は褐色の鹿皮の、蝦蟇口(がまぐち)を一つ欲した。

「幻 想」
手套はその時、どんなに蒼ざめているでしょう

「秋になる朝」
ほのしらむ、稲穂にとんぼとびかよい

「お会式の夜」
吐く息は、一年の、その夜頃から白くなる。

「修羅街挽歌 其の二」
暁は、紫の色、

金色の、虹の話や
蒼窮を、語る童児、

「脱毛の秋 Etudes」「幻 想」「修羅街挽歌 其の二」に現われる「色」の一部を除いて
ほとんどは形容詞的な「色」といえるでしょうか。

「脱毛の秋 Etudes」に現われる
無色の時間、とか
褐色の鹿皮の、蝦蟇口(がまぐち)、とかは
単純な叙述の色のようですが、
叙述を超えるものが込められているのでしょうか?

女等はみな、白馬になるとみえた。(「脱毛の秋 Etudes」)や
手套はその時、どんなに蒼ざめているでしょう(「幻 想」
金色の、虹の話や 蒼窮を、語る童児、(「修羅街挽歌 其の二」)には
立ち止まって考えさせるものがあります。

(つづく)

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2013年1月26日 (土)

ひとくちメモ/中原中也の詩に現われる色の色々12

(前回からつづく)

「早大ノート(1930年―1937年」には
およそ7年の間に制作された42篇の詩が収められています。
すべての詩は未発表です。

ノートは第1ページから最終ページへと
整然と書き進められたものではなく
日時によってあっちこっちから書き起こされた形跡があって
これに全集編集委員会は綿密な考証を加えた結果

第1詩群=昭和5年9月~同6年9月中旬(制作推定)
第2詩群=昭和6年9月22日~同6月10日(制作推定)
第3詩群=昭和7年(制作推定)
第4詩群=昭和7年秋~同11年9月(制作推定)
第5詩群=昭和11年9月末~同11年10月1日(制作推定)
第6詩群=昭和12年4月15日~同12年5月14日(制作推定)
――という六つの詩群に分類しました。

第5詩群は、「酒場にて(初稿)」「酒場にて(定稿)」の2篇、
第6詩群は、「こぞの雪今いづこ」の1篇だけしかありませんが
「晩年」の作品を含んでいるということに引かれます。

「こぞの雪今いづこ」は
長男・文也死後に作られた詩です。

これらの詩の中に現われる「色」をピックアップしましょう。

「干物」
外苑の舗道しろじろ、うちつづき、

「いちじくの葉」
いちじくの、葉が夕空にくろぐろと、

夕空に、くろぐろはためく

(風のたよりに、沖のこと 聞けば)
しらじらと夜のあけそめに、

雨風に、しらんだ船側(ふなばた)、

「悲しき画面」
それは、野兎色のランプの光に仄照(ほのて)らされて、

(吹く風を心の友と)
げんげの色のようにはじらいながら遠くに聞こえる

(秋の夜に)
世界は、呻き、躊躇し、萎み、
牛肉のような色をしている。

「コキューの憶い出」
あかあかと、あかあかと私の画用紙の上は、

「細 心」
白の手套(てぶくろ)とオリーヴ色のジャケツとを、

「秋の日曜」
青い空は金色に澄み、

(汽笛が鳴ったので)
白とオレンジとに染分けていた。

空は青く、飴色(あめいろ)の牛がいないということは間違っている。

僕の眼も青く、大きく、哀れであった。

(南無 ダダ)
青い傘
  植木鉢も流れ、

42篇にしては
「色」が現われる詩の数は少なく
その中でも目を引くのは

野兎色のランプの光
牛肉のような色
青い空は金色に澄み

――くらいでしょうか。

(つづく)

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2013年1月25日 (金)

狩野英子「別府湾の朝」ほか×A.ランボオ「ランボオ詩集」中原中也/訳

Photo

内容(「BOOK」データベースより)
鮮烈な色彩とダイナミックな世界観で観る者を魅了する画家・狩野英子と、いまだ世界中のオマージュを集める“早熟の天才”詩人・ランボオによる、壮大なスケール感をメタファとしたコラボレーション。孤独な魂をうたう詩人・中原中也の美しい翻訳による「ランボオ詩集」に、狩野芸術の粋「別府湾の朝」を代表とする作品たちが、夢の舞台を作り上げる。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
狩野/英子
1933年、大分県出身。彫刻家・大塚辰夫(朝倉文夫の実弟)に師事。56年、国学院大学華道学術科修了、日本古流華道教授。想美会(絵画グループ)に入会。75年、全日本芸術家協会会員。76年、白日展に初出品入選。81年、全日本総合芸術家協会委員。89年、京都美術館内閣総理大臣賞受賞。90年、国際展サロン・ド・パリ委員に推挙。91年、TIAS平和賞受賞(TIAS世界平和推進委員会日本ユネスコ協会連盟)。95年、文化創造功労賞受賞、世界芸術大賞受賞(パリ)、96年、大分百景の「赤川の滝―秋の音」が北京故宮博物院開院70周年特別展にて特別賞を受賞・収蔵。08年「世界芸術遺産至宝殿堂作家」世界文化功労最高芸術家大賞受賞

※以上、Amazon.co.jpより。

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2013年1月24日 (木)

ひとくちメモ/中原中也の詩に現われる色の色々11

(前回からつづく)

「ノート小年時」は
昭和2年から同5年6月15日まで
中原中也が使用していたと推定されているノートで
16篇の詩が記されてあります。

鉛筆で「小年時」とノートの表紙に書かれていることから
角川全集編集者が呼び習わしたものです。

アルチュール・ランボーの散文詩「少年時」に因(ちな)んで
ネーミングしたことがあきらかですが
中原中也は「少年時」というタイトルの詩を二つ書いたり
「山羊の歌」の第2章の章題とするなど
少年(小年)時代への強いテーマ意識(愛着)を持っていたことが知られています。

未発表詩篇「ノート小年時」に現われる「色」を
ピックアップしてみましょう。

「冷酷の歌」
恰度紫の朝顔の花かなんぞのように、

人は思いだすだろう、その白けた面の上に

「倦怠」
この真っ白い光は、

「夏は青い空に……」
夏は青い空に、白い雲を浮ばせ、

青空は、白い雲を呼ぶ。

白き雲、汝(な)が胸の上を流れもゆけば、

「木陰」
夏の昼の青々した木陰は

「夏の海」
浪は金色、打寄する。

「追懐」
私は此処にいます、黄色い灯影に、

「夏と私」
真ッ白い嘆かいのうちに、

真ッ白い嘆きを見たり。

16篇のうちの3~4割が
後で推敲されて発表されていますから
「生前発表詩篇」の中の詩の異形態であり
見覚えのあるものが随分あります。

「色」という角度では
特に目立つものはありませんが
だからといって「ノート小年時」によい詩が少ないなどということを帰納できるものではなく
またその逆を言えるものでないことを
くれぐれもカン違いしないでください。

(つづく)

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2013年1月23日 (水)

詩人・佐々木幹郎、居酒屋で中原中也を大いに語る・第2回

YOMIURI ONLINE(読売オンライン)

詩人で「新編中原中也全集」の編集委員の佐々木幹郎さんが、YOMIURI ONLINEの企画で、東京・大森の居酒屋「酒処いっこう」で中原中也を語る第2回。動画付き。

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ひとくちメモ/中原中也の詩に現われる色の色々10

(前回からつづく)

「草稿詩篇(1925年―1928年)」として分類・整理された詩篇は
19篇があります。

草稿とは
下書きとか草案とかメモとかの意味で
要するに「原稿」のことで
清書されたり、印刷されたりする以前の状態の
肉筆原稿である場合が多いことを示しています。

冒頭に配置された「退屈の中の肉親的恐怖」は
書簡の中に書かれていたものです。

中原中也が残した書簡の中で最も古いと推定されている
大正14年(1925年)2月23日付け正岡忠三郎宛の中に記されたもの。
ノート以外に残った詩篇の最古のものということでもあります。

この書簡は
当時、京都帝国大学の1年生であった正岡に
新住所を知らせるものでした。
この住まいに詩人は
長谷川泰子と2週間ほど暮らした後に上京します。

次に置かれた「或る心の一季節」は
したがって東京で書かれたものです。
19篇の詩篇のそれぞれには
この種の由来があります。

「草稿詩篇(1925年―1928年)」の詩に現われた
「色」をピックアップします。

「退屈の中の肉親的恐怖」
此の日白と黒との独楽廻り廻る

茶色の上に乳色の一閑張は地平をすべり

「或る心の一季節」
其処に安座した大饒舌で漸く癒る程暑苦しい口腔を、又整頓を知らぬ口角を、樺色の勝負部屋を、私は懐しみを以て心より胸にと汲み出だす。

だが、それを得たる者の胸に訪れる筈の天使はまだ私の黄色の糜爛の病床に来ては呉ない。

此所から二里近く離れた私の住居である一室は、夜空の下に細い赤い口をして待っているように思える――

「かの女」
露じめる夜のかぐろき空に、

「少年時」
彼の女の溜息にはピンクの竹紙。
それが少し藤色がかって匂うので、
私は母から顔を反向ける。

「夜寒の都会」
この洟色の目の婦(おんな)、

黄銅の胸像が歩いて行った。

私は沈黙から紫がかった、
数箇の苺(いちご)を受けとった。

「無題」
その小児は色白く、水草の青みに揺れた、
その瞼(まぶた)は赤く、その眼(まなこ)は恐れていた。

「春の雨」
ほの紅の胸ぬちはあまりに清く、

「屠殺所」
六月の野の土赫(あか)く、

「夏の夜」
吊られている赤や緑の薄汚いランプは、

蔦蔓が黝々(くろぐろ)と匐いのぼっている、

結局私は薔薇色の蜘蛛だ、夏の夕方は紫に息づいている。
 
「冬の日」
冷たい白い冬の日だった。

ほのかな下萠(したもえ)の色をした、

下萠の色の風が吹いて。

「幼なかりし日」
青空を、追いてゆきしにあらざるか?

「秋の夜」
森が黒く
空を恨(うら)む。

「草稿詩篇(1925年―1928年)」の後半には
計画していて未完に終わった第1詩集のための作品群があります。
みな昭和2年―3年の制作と推定されています。

だからといって
これらに現われる「色」に特徴があるかどうかなどを
あげつらうことはできません。

私は薔薇色の蜘蛛だ、夏の夕方は紫に息づいている。
――という「夏の夜」の色は
それにしても、鮮烈!
目の覚めるようなインパクトがあります。

(つづく)

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2013年1月22日 (火)

ひとくちメモ/中原中也の詩に現われる色の色々9

(前回からつづく)

「ノート1924」は
中原中也が残した最も古いノート。
これを使用していた時期に
長谷川泰子と同棲し
京都を訪れた富永太郎と知り合っています。

使用されたのは京都時代ばかりではなく
上京して、幻となった第1詩集を編集した昭和2~3年にも使用されています。

ダダから脱け出そうとしていた過渡期の作品といえる時期に
「浮浪歌」以下7篇がこのノートに記されました。

そこに現われた「色」を拾います。

「浮浪歌」
こんなに暖い土色の
代証人の背の色

「無題」
あなたより 白き虹より

(秋の日を歩み疲れて)
川果の 灰に光りて

「秋の日」
秋の日は 白き物音

黒き石 興をおさめて

「無題」
緋のいろに心はなごみ

金色の胸綬(コルセット)して

死の神の黒き涙腺

緋の色に心休まる

この時期にはまた泰子との別離がありました。
泰子は小林秀雄のもとへと去りました。
その影響が「色」にあるかどうか。
とうていそんなことは突き止められませんが
詩に変化が見られることは確かです。

とはいえ「むなしさ」や「朝の歌」がすでに歌われていたにもかかわらず
ダダの匂いがぷんぷんしています。

「死の神の黒き涙腺」など
ダダそのものですが
詩の方向はダダならぬものにありました。

(つづく)

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2013年1月21日 (月)

ひとくちメモ/中原中也の詩に現われる色の色々8

(前回からつづく)

詩集「山羊の歌」「在りし日の歌」や「生前発表詩篇」は
詩人自らの意志で発表したものですが
どこにも発表されなかった完成作品や未完成作品を
一つにまとめたのが「未発表詩篇」というカテゴリーです。

「未発表詩篇」は
まず作品がどのような形で残されたか
ノートである場合や原稿用紙である場合などがありますが
それらの形によって分類され
そうした分類の中で制作日時順に整理されています。

もっとも古いものが「ダダ手帖」ですが
これは形としては残されていない形です。
戦争で消失してしまったノートの中の詩が
消失する前に論評され発表されていたために残った作品で
「タバコとマントの恋」「ダダ音楽の歌詞」という二つの詩があります。

ここに「色」は現われません。

次は「ノート1924」というこれも京都で作られたダダ時代の作品ノートですが
なかなか「色」は現われません。
6番目の「自滅」に初めて
俺は灰色のステッキを呑んだ
――と登場します。

以下、

「倦怠に握られた男」
灰色の、セメント菓子を噛みながら

「想像力の悲歌」
赤ちゃけた
麦藁帽子をアミダにかぶり

「春の夕暮」
アンダースロウされた灰が蒼ざめて

ポトホトと蝋涙に野の中の伽藍は赤く

「幼き恋の回顧」
ソーセージが
紫色に腐れました――

(何と物酷いのです)
あの白ッ、黒い空の空――

あんなに空は白黒くとも
あんなに海は黒くとも

「旅」
青い紙ばかり欲しくて
それなのに唯物史観だった

「呪詛」
黒い着物と痩せた腕

「冬と孤独と」
黒い雪と火事の半鐘――

――と、ここまでが1924年(大正13年)に
京都で作られた純ダダ詩に現われる「色」ですが
現われる頻度はかなり小さいことが分かります。

あったとしても
ほぼ「写実の色」をひとひねりしたような単純な修辞の域
もしくは難解であるばかりの域などにとどまります。

中原中也のダダに
「色」は入り込みにくい何かがあったと言えるのでしょうか。
そんなこと言えないのでしょうか。
まったく偶然のことでしょうか。

そうでありながら、

灰色の、セメント菓子
白ッ、黒い空の空
空は白黒く
青い紙
黒い雪
……などの快活で輪郭のはっきりした表現が続いています。

(つづく)

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2013年1月20日 (日)

ひとくちメモ/中原中也の詩に現われる色の色々7

(前回からつづく)

中原中也は詩集「山羊の歌」「在りし日の歌」に発表した詩のほかに
文芸誌・詩誌や雑誌・新聞などのメディアに多くの詩を発表しました。
これを発表年月順にまとめたものが「生前発表詩篇」です。

短歌を除いた「生前発表詩篇」に現われる「色」を
続けて見ていきましょう。

「夏と私」
真ッ白い嘆かいのうちに、

真ッっ白い嘆きを見たり。

「ピチベの哲学」
色蒼ざめたお姫様がいて……

「寒い!」
自動車の、タイヤの色も寒々と

鈍色(にびいろ)の空にあっけらかん。

「雨の降るのに」
顔はしらんで
あぶらぎり

「落日」
褐(かち)のかいなをふりまわし、ふりまわし、

「倦怠」
倦怠の谷間に落つる
この真ッ白い光は

「夏の明方年長妓が歌った」
空が白んだ、夏の暁(あけ)だよ

「夢」
黒い 浪間に 小児と 母の、
白い 腕(かいな)の 踠(もが)けるを 見た。

「秋を呼ぶ雨」
窓が白む頃、鶏の声はそのどしゃぶりの中に起ったのです。

その煙突は白く、太くって、傾いていて、

墓石のように灰色に、雨をいくらでも吸うその石のように、

「漂々と口笛吹いて」
褐色(かちいろ)の 海賊帽子 ひょろひょろの

野分(のわき)の 色の 冬が 来るのサ

「郵便局」
手をお医者さんの手のようにまで、浅い白い洗面器で洗い、

「幻想」
空は晴れ、大地はすっかり旧に復し、野はレモンの色に明(あか)っていた。

「かなしみ」
白き敷布のかなしさよ夏の朝明け、

何事もなくただ沈湎の一色に打続く僕の心は、悲しみ呆けというべきもの。

青い卵か僕の心、

真白き時計の文字板に、

悲しみばかりの藍の色、

「或る夜の幻想」(1・3)
かわたれどきの色をしていた

「道化の臨終」
清浄こよなき漆黒のもの、
暖(だん)を忘れぬ紺碧を……

紫色に 泣きまする。

「夏日静閑」
用務ありげな白服の紳士が乗っていた。

40作品を一気に読んでしまいました。

「色」のことを忘れそうになるほど
面白い詩がわんさかあるのを改めて知りますが
ここでは「色」から目を離しません。

めぼしいものだけを拾っておきますと……。

真ッ白い嘆かい
真ッっ白い嘆き
褐(かち)のかいな
野分(のわき)の 色の 冬
野はレモンの色に
白き敷布のかなしさ
青い卵
悲しみばかりの藍の色
かわたれどきの色
紫色に 泣き

時折、目が釘付けになる使い方があります。

(つづく)

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2013年1月19日 (土)

ひとくちメモ/中原中也の詩に現われる色の色々6

(前回からつづく)

「在りし日の歌」に現われる
「色」のピックアップを進めましょう。

姉らしき色
金の風、銀の鈴
青き女(おみな)
厳めしい紺青(こあお)
桜色の 女が通る
……などにコメントしたくなりますが
先に進めましょう。

「白血球」は色か? などと
ささいな疑問にひっかかり
これを色に分類しないのは
「青空」は色とし「赤ん坊」は色としないことにするのと同じです。

2013年の今日(1月18日)
関東地方南部は「厳めしい紺青(こあお)」の空が広がり
遅い目覚めの床を襲いました。

大寒(1月20日)の前というのに
春の陽射しです。

「冬の日の記憶」
北風は往還を白くしていた。

「冷たい夜」
心は錆びて、紫色している。

「冬の明け方」
やがて薄日が射し
青空が開(あ)く。

「秋の消息」
けざやけき顥気の底に青空は

「骨」
しらじらと雨に洗われ

ただいたずらにしらじらと

骨はしらじらととんがっている。

「秋日狂乱」
空の青も涙にうるんでいる

「朝鮮女」
肌赤銅の乾物(ひもの)にて

「夏の夜に覚めてみた夢」
ユニホームばかりほのかに白く――

蒼々として葉をひるがえし

「春と赤ン坊」
薄桃色の、風を切って……
走ってゆくのは菜の花畑や空の白雲(しろくも)

「雲雀」
碧(あーお)い 碧(あーお)い空の中

あーおい あーおい空の中

「初夏の夜」
大河(おおかわ)の、その鉄橋の上方に、空はぼんやりと石盤色であるのです。

「閑寂」
土は薔薇色、空には雲雀

「思い出」
お天気の日の、海の沖は
まるで、金や、銀ではないか

煉瓦干されて赫々していた

「残暑」
畳ももはや 黄色くなったと

「曇天」
黒い 旗が はためくを 見た。

いまも 渝(かわ)らぬ かの 黒旗よ。

「蜻蛉に寄す」
赤い蜻蛉が 飛んでいる

「ゆきてかえらぬ」
ポストは終日赫々(あかあか)と、

風信機(かざみ)の上の空の色、時々見るのが仕事であった。

さてその空には銀色に、蜘蛛(くも)の巣が光り輝いていた。

「言葉なき歌」
とおくとおく いつまでも茜の空にたなびいていた

「月の光 その二」
とても黒々しています

「村の時計」
おとなしい色をしていた

「或る男の肖像」
齢(とし)をとっても髪に緑の油をつけてた。

――幻滅は鋼(はがね)のいろ。

髪毛の艶(つや)と、ランプの金との夕まぐれ

「正午」
大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口

「光」の表現と「色」が
微妙に絡(から)まっていて
分別するのが難しいのですが
文字・言葉として形にされたかどうかで一線を引きました。

線を引けない表現もあります。

(つづく)

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2013年1月18日 (金)

ひとくちメモ/中原中也の詩に現われる色の色々5

中原中也は生涯に
およそ370篇の詩(短歌を除く)を残しています。
「山羊の歌」44篇に現われた「色の色々」を眺めてみただけですから
まだ1割余りしか見ていないことになります。

これは「研究の成果」ではなくぶっつけ本番
いきあたりばったりの即興に近い
素人の「傾向分析」ですから
気楽に読んでください。

今、手にしているのは
角川ソフィア文庫の「中原中也全詩集」です。
中原中也の詩をすべて収録した文庫詩集は
この角川ソフィア文庫と
講談社文芸文庫の「中原中也全詩歌集」(上下)がありますが
一冊本のソフィア文庫版が持ち歩きには便利なので
これを使用する機会が多く
表紙は擦り切れ、カバーはなくなってしまっています。

全集に手の届かない人は
このどちらかを持っていると
未発表詩篇を含めた中原中也の全詩を読めますから
ぜひ手に入れてください!   

それでは「在りし日の歌」の「色」を見ていきます。
現代かな遣いで表記します。

「含羞(はじらい)」
秋 風白き日の山かげなりき

姉らしき色 きみはありにし

「むなしさ」
白薔薇の造花の花弁

「早春の風」
きょう一日また金の風
大きい風には銀の鈴

鳶色の土かおるれば

青き女(おみな)の顎か(あぎと)と

「月」
姉妹は眠った、母親は紅殻(べんがら)色の格子を締めた!

「青い瞳」
青い瞳は動かなかった、

私はいま此処にいる、黄色い灯影に。

碧い、噴き出す蒸気のように。

「三歳の記憶」
樹脂(きやに)が五彩に眠る時、

土は枇杷いろ 蝿が唸く。

「六月の雨」
菖蒲のいろの みどりいろ

「雨の日」
鳶色の古刀の鞘よ、

煉瓦の色の憔心の

賢しい少女(おとめ)の黒髪と、

「春」
厳めしい紺青(こあお)となって空から私に降りかかる。

「春の日の歌」
黄色い 納屋や、白の倉、

「夏の夜」
桜色の 女が通る

霧の夜空は 高くて黒い。

「幼獣の歌」
黒い夜草深い野にあって、

「この小児」
野に
蒼白の
この小児。

黒雲空にすじ引けば、
この小児
搾る涙は
銀の液……

青空をばかり――

ピックアップするだけで
けっこう手間がかかりますが
見えてくるものも少なくありません。

少しづつやっていけば
いつかは終わり(ゴール)が見えます。

「この小児」は
妖精コボルトが遊んでいる空に
子どもが銀の涙を湛えて現われる
一風変わった詩ですが
4連の各連に「空」があり
その空に色々な「色」が配されて目を引きます。

空と色が絡みあっています。

(つづく)

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2013年1月17日 (木)

ひとくちメモ/中原中也の詩に現われる色の色々4

「色」が言葉にされたとき
その詩の作り方によって
現実の色をそのまま叙述(写実)しようとしていたり
メタファーとして使ってみたり
象徴表現としたり
まさに色々です。

「色」は
詩から独立しているものでない以上
詩全体の中の「色」でしかないことは言うにおよびません。

「みちこ」の「あおき浪」「磯白々と」は
詩全体が喩(メタファー)に仕立てられているなかで
叙述の色。

後半に出てくる「頸(うなじ)は虹」や「なみだぐましき金(きん)」は
叙述を一歩はみだしています。

「更くる夜」の「真っ黒い武蔵野の夜」は
字義通りの黒。

「秋」の「鈍い金色」も同じ。
「真鍮の光沢」は直喩。
「沼の水が澄んだ時かなんかのような色」も直喩の域内でしょう。

「修羅街輓歌」の「空は青く」も
まったくストレートな叙述です。
「雪の宵」の「赤い火の粉」も同じ。
「時こそ今は……」の「群青(ぐんじょう)」も同じ。
「羊の歌」の「密柑の色」もなんらのダブルミーニングを持ちません。
「憔悴」の「空は青いよ」もそのまんまの青です。
「虹」もそのまんまの虹。

「山羊の歌」の「色」を見てきて
印象に残ったのは何ですか?

茶色い戦争
はなだ色
花崗岩のかなたの目の色。
秋空は鈍色(にびいろ)
……
これくらいでしょうか。

「茶色い戦争」なんてのは
この1語で中原中也を思わせるほどの浸透力で
日本人の間に広がっています。
「サーカス」の中の1語であるにもかかわらず
サーカスよりも強いインパクトで
人々の頭の中に刻まれているといってよいほどに。

(つづく)

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2013年1月16日 (水)

詩人・佐々木幹郎、居酒屋で中原中也を大いに語る

YOMIURI ONLINE(読売オンライン)

詩人で「新編中原中也全集」の編集委員の佐々木幹郎さんが、YOMIURI ONLINEの企画で、東京・大森の居酒屋「酒処いっこう」で中原中也を語っています。ウイスキーを片手に、中也の詩について存分に語るという連続企画の第1回。動画付きなので、「汚れっちまった悲しみに……」を朗読するシーンも見られます。

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ひとくちメモ/中原中也の詩に現われる色の色々3

(前回からつづく)

「山羊の歌」をみるだけでも
24作品に「色」が現われています。
「山羊の歌」は44作品を収めた詩集ですから
5割以上に「色」が露出しているということになります。

文字として、言葉として現われた「色」だけで
このような状態なのです。

「雪」とか「曇天」とか
「夜」とか「森」とか
色は顕在しなくとも表現することが可能ですから
これらを含めれば
もっともっと多彩な「色の世界」が広がっているのかもしれません。

しかし、そこまで含めると
どんな詩も多彩ということが言えてしまいそうですから
詩の中に言葉として文字として現われた「色」だけを
見ていくことにします。

ここまで見て
何か特徴的なことがあるかというと
色々なことがいえそうです。

「サーカス」の
「茶色い戦争」と「白い灯」では
「茶色い」と「白い」の使い方は別のもののようです。
「戦争が茶色い」という言い方と「灯が白い」という言い方は
色が特定されるはずもない戦争を茶色いと表現したのに対し
灯が白い状態は現実上よくあることです。

「春の夜」の
「桃色」「砂の色」「蕃紅色(サフランいろ)」も
現実に存在する色をそのまま表現していますから
「サーカス」の「白」と同じです。

「朝の歌」の
「朱(あか)きいろ」「はなだ色」も同じ使い方ですが
「はなだ色」はめずらしい言い方。
「臨終」の「鈍色(にびいろ)」も
ややめずらしいボキャブラリーになります。

「秋の一日」の
「花崗岩のかなたの目の色」。
これはなかなか難解です。
詩全体の中でしか理解できません。
象徴化の詩法が使われています。

「冬の雨の夜」の「密柑の色」
「凄じき黄昏」の「銀紙(ぎんがみ)色」
「夕照」の「慈愛の色」「金のいろ」 
「宿酔」の「白っぽく銹(さ)びている) 
「少年時」の「黝い」「朱色」「灰色」。
「盲目の秋」の「紅」
「わが喫煙」の「白」
「妹よ」の「黒」
「木蔭」の「青」
「心象」の「白」

これらもみんな象徴という技で使われています。
「木蔭」の「青」は
写実的な使い方とも言えますが
青は青である以上の意味合いを持っています。

(つづく)

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2013年1月15日 (火)

ひとくちメモ/中原中也の詩に現われる 色の色々2

(前回からつづく)

「色」とか「いろ」と表記されていたり
「色の名前」があるものだけを
「山羊の歌」から拾って「少年時」の章までパラパラめくってみました。

「山羊の歌」は
「初期詩篇」
「少年時」
「みちこ」
「秋」
「羊の歌」
――という章立てであることを
今更ながら確認します。
「みちこ」の章から続けます。

現代かな表記にしてあります。

「みちこ」
はるかなる空、あおき浪、

磯白々とつづきけり。

しどけなき、なれが頸(うなじ)は虹にして

海原はなみだぐましき金(きん)にして夕陽をたたえ

「更くる夜」
昔ながらの真っ黒い武蔵野の夜です。

「秋」
鈍い金色を滞びて、空は曇っている、――相変わらずだ、――

みょうに真鍮の光沢かなんぞのような笑を湛えて彼奴は、

彼の目は、沼の水が澄んだ時かなんかのような色をしてたあね。

「修羅街輓歌」
空は青く、すべてのものはまぶしくかがやかしかった……

「雪の宵」
赤い火の粉も刎ね上る。

「時こそ今は……」
暮るる籬(まがき)や群青(ぐんじょう)の

「羊の歌」
かの女の心は密柑の色に

「憔悴」
今日も日が照る 空は青いよ

空に昇って 虹となるだろうとおもう……

雪といえば白
夜は黒
まっ暗も黒
光は無色? 輝いている色?
曇天はグレー
……

ここではこれらは除外しました。
これらを挙げていけば
言葉に色がないものなんてありませんから。

「在りし日の歌」「生前発表詩篇」「未発表詩篇」についても
しつっこく「色」だけを見ていきます。

(つづく)

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2013年1月14日 (月)

ひとくちメモ/中原中也の詩に現われる 色の色々

中原中也は実に色々な色を
詩の中に登場させています。

「色」とか「いろ」と表記されていたり
「色の名前」だけがあるものだったりします。

「山羊の歌」から拾ってみますと……

「春の日の夕暮」
アンダースローされた灰が蒼ざめて 

「サーカス」
茶色い戦争ありました。

それの近くの白い灯が

「春の夜」
一枝の花、桃色の花。砂の色せる絹衣。

蕃紅色(サフランいろ)の湧きいずる

「朝の歌」
天井に朱(あか)きいろいで 
空は今日 はなだ色らし

「臨終」
秋空は鈍色(にびいろ)にして 

白き空盲(めし)いてありて
白き風冷たくありぬ

「秋の一日」
花崗岩のかなたの目の色。 

「冬の雨の夜」
竟(つい)に密柑の色のみだった?…… 

「凄じき黄昏」
銀紙(ぎんがみ)色の竹槍の 

「夕照」
落陽は、慈愛の色の
金のいろ。 

「宿酔」
もう不用になったストーブが
白っぽく銹(さ)びている。 

「少年時」
黝い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡っていた。 

麦田には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だった。

「盲目の秋」
その間、小さな紅の花が見えはするが、

「わが喫煙」
おまえのその、白い二本の脛(あし)が、

「妹よ」
湿った野原の黒い土、短い草の上を

「木蔭」
夏の昼の青々した木蔭は

「心象」
白き天使のみえ来ずや

まだまだありますが
今回はここまで。

(つづく)

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2013年1月11日 (金)

「永訣の秋」詩人のわかれ・「蛙声」7・生きているうちに読んでおきたい

(前回からつづく)

昭和初期から昭和10年代の日本という地方(=くに)の空模様は
暗雲にすっぽりと覆(おお)われていても
夜ともなれば蛙は必ず鳴き
その声が水面を走って暗雲に迫るのです。

夜が来ればというのは
条件を意味しているのではなく
夜は毎日必ず訪れるものですから
必ず毎日蛙は鳴くということです。

蛙が鳴く声の日常性を指しているのであって
朝や昼には鳴かないということを言っているものではありませんから
これは詩人の仕事のことでしょう。

ここにおいて蛙(声)に詩(人)そのものが
同化しているといってもよいはずです。
エールを送るというよりも。
仮託するというよりも。

蛙声が暗雲に迫るというのは
詩の命(ミッション)というような意味で
どんな時にでも詩は池の水面を走っては暗雲に迫ることを
命としていると歌ったものなのです。

こうして「永訣の秋」の末尾にこの詩は置かれて
詩の永遠の命を歌った詩として
永遠のわかれを刻(きざ)みました。

くだけて言えば
さよならのあいさつを
作品の形で述べたものです。

さよならのあいさつは
「在りし日の歌」の後記にも
「いよいよ詩生活に沈潜しようと思っている」とか
「さらば東京! おおわが青春!」などと
改めて述べられます。

(「永訣の歌」の項終わり)

蛙 声
 
天は地を蓋(おお)ひ、
そして、地には偶々(たまたま)池がある。
その池で今夜一と夜(よ)さ蛙は鳴く……
――あれは、何を鳴いてるのであらう?

その声は、空より来り、
空へと去るのであらう?
天は地を蓋ひ、
そして蛙声(あせい)は水面に走る。

よし此の地方《くに》が湿潤に過ぎるとしても、
疲れたる我等が心のためには、
柱は猶、余りに乾いたものと感《おも》はれ、

頭は重く、肩は凝るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走つて暗雲に迫る。

※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは原作者本人、( )は全集委員会によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

蛙 声
 
天は地を蓋(おお)い、
そして、地には偶々(たまたま)池がある。
その池で今夜一と夜(よ)さ蛙は鳴く……
――あれは、何を鳴いてるのであろう?

その声は、空より来り、
空へと去るのであろう?
天は地を蓋い、
そして蛙声(あせい)は水面に走る。

よし此の地方《くに》が湿潤に過ぎるとしても、
疲れたる我等が心のためには、
柱は猶、余りに乾いたものと感《おも》われ、

頭は重く、肩は凝るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走って暗雲に迫る。
 

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2013年1月10日 (木)

「永訣の秋」詩人のわかれ・「蛙声」6・生きているうちに読んでおきたい

(前回からつづく)

「くに」が湿潤(しつじゅん)に過ぎるといった時に
湿潤は天候のことを述べているのでないことは明白です。
日本海型気候とか瀬戸内型気候などでいう湿潤ではありません。

ではどのようなことを湿潤と言っているかといえば
何にも言っていません。

どうぞ自由勝手に想像してくださいと言っているようなのは
「在りし日の歌」をずーっと読んできた読者に
そんな説明は要らないでしょう
ちゃんと読んで来たのならわかるでしょうと言わんばかりな気配です。

ここをどうしても読み解かねば
この詩は読めませんから
なんとか読んでみますと……。

その「くに」には
「疲れたる我等」が存在して
詩人もその中の一人に違いありませんが
その我等の心に役立つ(ため)には
柱(国の政治とか法律とか)が現状あまりにも乾いている
あまりにもドライな(即物的な)動きを見せている
(ここは暗に軍部や軍隊を批判している!)と感じられるので

頭は重く、肩は凝るのだ。

第3連の末行は

柱は猶、余りに乾いたものと感《おも》はれ、

――と読点「、」で終わり第4連へと続いていきますが
これは定型(ソネット)を維持するためだけの空白のようで
そうではありません。
ここは連を終える必要があったから終えたのです。

ソネットのためにそうしたというより
感《おも》はれ、で連を終えて
ここで時間をおく必要があったので
「、」でぶっつりこの連を切り
第4連へ続けたところで
それがソネットにもなったのでそのままにしたということでしょう。

ここは詩人が熟考した結果です。

「くに」が湿潤であり
柱が乾いたものと感じられ
さらに最終行には
暗雲という言葉が使われます。

日本国の空模様が
暗雲に覆(おお)われていて
その暗雲に迫るのは蛙声です。

(つづく)

蛙 声
 
天は地を蓋(おお)ひ、
そして、地には偶々(たまたま)池がある。
その池で今夜一と夜(よ)さ蛙は鳴く……
――あれは、何を鳴いてるのであらう?

その声は、空より来り、
空へと去るのであらう?
天は地を蓋ひ、
そして蛙声(あせい)は水面に走る。

よし此の地方《くに》が湿潤に過ぎるとしても、
疲れたる我等が心のためには、
柱は猶、余りに乾いたものと感《おも》はれ、

頭は重く、肩は凝るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走つて暗雲に迫る。

※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは原作者本人、( )は全集委員会によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

蛙 声
 
天は地を蓋(おお)い、
そして、地には偶々(たまたま)池がある。
その池で今夜一と夜(よ)さ蛙は鳴く……
――あれは、何を鳴いてるのであろう?

その声は、空より来り、
空へと去るのであろう?
天は地を蓋い、
そして蛙声(あせい)は水面に走る。

よし此の地方《くに》が湿潤に過ぎるとしても、
疲れたる我等が心のためには、
柱は猶、余りに乾いたものと感《おも》われ、

頭は重く、肩は凝るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走って暗雲に迫る。
 

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2013年1月 9日 (水)

「永訣の秋」詩人のわかれ・「蛙声」5・生きているうちに読んでおきたい

(前回からつづく)

第3、4連を読んでいて

よし此の地方《くに》が、の地方をなぜ「くに」と読ませるのか
くに(地方)が湿潤に過ぎる、とはどういう意味か
疲れたる我等が心、の疲れたる我等とは誰のことか
柱とは何の比喩か
柱が乾く、とはどういう状態か
なぜ、思われでなく、感《おも》われ、か
なぜ、頭は重く、肩は凝る、のか
暗雲に迫る、とは具体的にどんな行為を示しているのか

――などの疑問が湧いてきます。

これらの詩句により
詩人は何を主張しているのでしょうか?

地方《くに》が湿潤過ぎる
柱が乾いている

――というフレーズは
いったい何をいっているのでしょう。

ここが分かれば
一気に全体が分かりそうな見当がついてきます。

「永訣の秋」の最終詩である「蛙声」は
すなわち「在りし日の歌」の掉尾(とうび)を飾る巻末詩ですから
詩人はここになんらかのメッセージを込めたと考えるのが自然でしょう。

その線に沿って読めば
ここには時代や時局・時勢への発言があることを
読み取るのに抵抗はありません。

「蛙声」を制作したのは昭和12年(1937年)5月ですが
前年1936年に2.26事件
同年の11月10日に愛息・文也が死去
翌1937年に中村古峡療養所に入退院
7月に盧溝橋事件
8月に上海事変と
後に15年戦争といわれることになる世界大戦に突入した年でした。
時代はまさしく暗雲が立ち込めていました。

これらの時代背景があって
地方に「くに」のルビは振られたのです。
振ったのは中原中也本人です。

だから、地方とは
詩人がこの詩を作ったときに住んでいた
鎌倉(地方)を指すという解釈はいただけません。
暗雲は鎌倉にだけ立ちこめていたのではありません。

この詩のスケールは
天、地、空といった壮大なものですし
これらの時代背景のもとでの地方ですし
「地」の中の地方だから国(くに)としたのです。

アジアの一地方とか
世界や地球の一部としての地方を
「くに」としたのです。

ズバリ言って
それは日本という地方(くに)=国のことですが
日本と言いたくなかっただけのことでしょう。

その地方(くに)がじめじめしている(湿潤)というのは
いろいろな矛盾とか不満とか不安とかが充満しているという意味で
それが過剰になっていまにも氾濫しそうだからといって
国の柱(政治)がドライ過ぎてよいというものではない、と
思わしくない方向(戦争)へ進む国に注文をつけているものと読めそうです。

詩人が
体調思わしくなかったことは想像できますが
ここで個人的な体調不良が述べられているにしても
その原因までが個人的な事情によるだけのものと述べているのではないでしょう。

詩句の流れから言って
頭は重く、肩は凝る原因は
第3連に述べられた

地方(くに)が湿潤過ぎていたとしても
こんなにくたびれている我らのためには
柱が乾き過ぎていること――にあるのです。

(つづく)

蛙 声
 
天は地を蓋(おお)ひ、
そして、地には偶々(たまたま)池がある。
その池で今夜一と夜(よ)さ蛙は鳴く……
――あれは、何を鳴いてるのであらう?

その声は、空より来り、
空へと去るのであらう?
天は地を蓋ひ、
そして蛙声(あせい)は水面に走る。

よし此の地方《くに》が湿潤に過ぎるとしても、
疲れたる我等が心のためには、
柱は猶、余りに乾いたものと感《おも》はれ、

頭は重く、肩は凝るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走つて暗雲に迫る。

※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは原作者本人、( )は全集委員会によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

蛙 声
 
天は地を蓋(おお)い、
そして、地には偶々(たまたま)池がある。
その池で今夜一と夜(よ)さ蛙は鳴く……
――あれは、何を鳴いてるのであろう?

その声は、空より来り、
空へと去るのであろう?
天は地を蓋い、
そして蛙声(あせい)は水面に走る。

よし此の地方《くに》が湿潤に過ぎるとしても、
疲れたる我等が心のためには、
柱は猶、余りに乾いたものと感《おも》われ、

頭は重く、肩は凝るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走って暗雲に迫る。
 

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2013年1月 8日 (火)

「永訣の秋」詩人のわかれ・「蛙声」4・生きているうちに読んでおきたい

(前回からつづく)

昭和8年に蛙(の声)を続けて歌った詩人は
最後4作目のQu'est-ce que c'est? で

蛙の声を聞く時は、
何かを僕はおもい出す。何か、何かを、
おもいだす。

――と、まだ十分に歌い切っていないかのように
何か、何かと言い残しました。

4年後の昭和12年に
また蛙声をモチーフにしたとき
その何かは存分に表白されたのか? という眼差しで「蛙声」を読んでみれば
少しは見えてくるものがあるはずです。

まず目立つのは
僕が詩の中から消えたことですが
僕がいなくても
僕は詩の中にきちんと存在することです。
僕はここへ来て
蛙(声)そのものに成り変ったのです。

次には全体に贅肉(ぜいにく)が落とされ
引き締まった感じがするのは
ソネットにしたり
古語や漢語を使用したりして
格調感を出しているところです。

やや難解な感じがするのは
直喩をやめ暗喩へ変えたり
説明を省略しているからです。

天は地を蓋(おお)い
――は漢籍か
今夜一と夜(よ)さ
――は宮沢賢治か
空より来り
――は文語的だし
よし此の地方《くに》が湿潤に過ぎるとしても、
――の「よし」も文語です。

総じて言葉を選びに選んだ印象ですが
第3、4連

よし此の地方《くに》が湿潤に過ぎるとしても、
疲れたる我等が心のためには、
柱は猶、余りに乾いたものと感《おも》われ、

頭は重く、肩は凝るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走って暗雲に迫る。

――は、この詩の転・結であるばかりでなく
「永訣の秋」の
そして「在りし日の歌」全体の結語として
耳をそばだてるべき最大のポイントといってもよいところでしょう。

そのように読まれてきた例(ためし)をまず見かけないのは
中原中也という詩人へのとんでもない誤解の一つですが
ここにこそ
詩人が蛙声に託した最大のメッセージはあります。

4年前の蛙声とは違って
昭和12年のこの詩では
あれ
その声
蛙声
その声
――と、あくまで第3者的ですが
蛙にエールを送っているというほど客観的なものではなく
蛙声に同化している域に入っているのです。

その声は水面に走って暗雲に迫る。

――の「その声」は
詩(人)の声のことであり
暗雲立ちこめる時局へ「迫る」のは
詩(人)の命(ミッション)であることを告げているものです。

(つづく)

蛙 声
 
天は地を蓋(おお)ひ、
そして、地には偶々(たまたま)池がある。
その池で今夜一と夜(よ)さ蛙は鳴く……
――あれは、何を鳴いてるのであらう?

その声は、空より来り、
空へと去るのであらう?
天は地を蓋ひ、
そして蛙声(あせい)は水面に走る。

よし此の地方《くに》が湿潤に過ぎるとしても、
疲れたる我等が心のためには、
柱は猶、余りに乾いたものと感《おも》はれ、

頭は重く、肩は凝るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走つて暗雲に迫る。

※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは原作者本人、( )は全集委員会によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

蛙 声
 
天は地を蓋(おお)い、
そして、地には偶々(たまたま)池がある。
その池で今夜一と夜(よ)さ蛙は鳴く……
――あれは、何を鳴いてるのであろう?

その声は、空より来り、
空へと去るのであろう?
天は地を蓋い、
そして蛙声(あせい)は水面に走る。

よし此の地方《くに》が湿潤に過ぎるとしても、
疲れたる我等が心のためには、
柱は猶、余りに乾いたものと感《おも》われ、

頭は重く、肩は凝るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走って暗雲に迫る。
 

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2013年1月 7日 (月)

「永訣の秋」詩人のわかれ・「蛙声」3・生きているうちに読んでおきたい

(前回からつづく)

「ノート翻訳詩」に書かれた
「蛙声(郊外では)」
(蛙等は月を見ない)
(蛙等が、どんなに鳴こうと)
(Qu'est-ce que c'est?)
――は、みんな昭和8年(5月~8月)の制作と推定されていますから
「在りし日の歌」の「蛙声」まで丸4年の歳月が流れたことになります。

両者にどのような違いがあり
どのような共通項があるでしょうか――。

「蛙声(郊外では)」は
遠景で蛙をとらえ
蛙の鳴きっぷりを
宿命のように
沼のような
儀式のように義務のように
唱歌のように
――と直喩(ような)で表わします。

(蛙等は月を見ない)は
月(と雲)を登場させて
蛙と月の関係や違いを明らかにして
僕の存在に言い及びます。

(蛙等が、どんなに鳴こうと)は
僕に接近し接写し
月でも蛙でもない僕の仕事へと目を向け
僕は蛙を聴き、月を見て立っていれば
いつかは甲斐のある仕事があるだろう、と
仕事へフォーカスしてゆきます。

仕事とは
いうまでもなく詩を作ることです。

Qu'est-ce que c'est? は
前作を継いで
何時までも立っていることを
蛙が鳴き月が空を泳ぐことと同列のものに見なすものの
蛙の声を聞くと
何か、やむにやまれぬ気持ちで
思い出すことがあり
何かは分からない何かを思い出す

――といったような詩です。

四つの詩のうち
二つはタイトルが付けられ
二つは「未題」です。

4作は連続して作られたようで
実際に蛙の鳴くシーズンに
鳴き声を聴きながら作ったにしては
動物(生き物)としてのカエルのイメージはさほど鮮明ではなく
夜(暗闇)にシルエットとして浮かんでいる感じです。

蛙(声)は
詩人が何かを託そうとする象徴として登場し
月や雲も自然現象そのものではありません。

(つづく)

蛙 声
 
天は地を蓋(おお)ひ、
そして、地には偶々(たまたま)池がある。
その池で今夜一と夜(よ)さ蛙は鳴く……
――あれは、何を鳴いてるのであらう?

その声は、空より来り、
空へと去るのであらう?
天は地を蓋ひ、
そして蛙声(あせい)は水面に走る。

よし此の地方《くに》が湿潤に過ぎるとしても、
疲れたる我等が心のためには、
柱は猶、余りに乾いたものと感《おも》はれ、

頭は重く、肩は凝るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走つて暗雲に迫る。

※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは原作者本人、( )は全集委員会によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

蛙 声
 
天は地を蓋(おお)い、
そして、地には偶々(たまたま)池がある。
その池で今夜一と夜(よ)さ蛙は鳴く……
――あれは、何を鳴いてるのであろう?

その声は、空より来り、
空へと去るのであろう?
天は地を蓋い、
そして蛙声(あせい)は水面に走る。

よし此の地方《くに》が湿潤に過ぎるとしても、
疲れたる我等が心のためには、
柱は猶、余りに乾いたものと感《おも》われ、

頭は重く、肩は凝るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走って暗雲に迫る。
 

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2013年1月 6日 (日)

「永訣の秋」詩人のわかれ・「蛙声」2・生きているうちに読んでおきたい

(前回からつづく)

ガマガエルとか青蛙とか痩せた蛙とか――。
中原中也の「蛙声」には
動物としてのカエルのイメージはまったくありません。
それはなぜでしょう。

ここで寄り道になるようですが
「ノート翻訳詩」(昭和5~8年)に書かれた詩
「蛙声(郊外では)」
(蛙等は月を見ない)
(蛙等が、どんなに鳴こうと)
(Qu'est-ce que c'est?)
――の4作品を一挙に目を通します。
すべて現代かなにしてあります。

蛙 声
 
郊外では、
夜は沼のように見える野原の中に、
蛙が鳴く。

それは残酷な、
消極も積極もない夏の夜の宿命のように、
毎年のことだ。

郊外では、
毎年のことだ今時分になると沼のような野原の中に、
蛙が鳴く。

月のある晩もない晩も、
いちように厳かな儀式のように義務のように、
地平の果にまで、

月の中にまで、
しみこめとばかりに廃墟礼讃の唱歌のように、
蛙が鳴く。

(蛙等は月を見ない)
 
蛙等は月を見ない
恐らく月の存在を知らない
彼等は彼等同志暗い沼の上で
蛙同志いっせいに鳴いている。

月は彼等を知らない
恐らく彼等の存在を想ってみたこともない
月は緞子(どんす)の着物を着て
姿勢を正し、月は長嘯(ちょうしょう)に忙がしい。

月は雲にかくれ、月は雲をわけてあらわれ、
雲と雲とは離れ、雲と雲とは近づくものを、
僕はいる、此処(ここ)にいるのを、蛙等は、
いっせいに、蛙等は蛙同志で鳴いている。
 

(蛙等が、どんなに鳴こうと)
 
蛙等が、どんなに鳴こうと
月が、どんなに空の遊泳術に秀でていようと、
僕はそれらを忘れたいものと思っている
もっと営々と、営々といとなみたいいとなみが
もっとどこかにあるというような気がしている。

月が、どんなに空の遊泳術に秀でていようと、
蛙等がどんなに鳴こうと、
僕は営々と、もっと営々と働きたいと思っている。
それが何の仕事か、どうしてみつけたものか、
僕はいっこうに知らないでいる

僕は蛙を聴き
月を見、月の前を過ぎる雲を見て、
僕は立っている、何時までも立っている。
そして自分にも、何時かは仕事が、
甲斐のある仕事があるだろうというような気持がしている。
 

Qu'est-ce que c'est?
 
蛙が鳴くことも、
月が空を泳ぐことも、
僕がこうして何時まで立っていることも、
黒々と森が彼方(かなた)にあることも、
これはみんな暗がりでとある時出っくわす、
見知越(みしりご)しであるような初見であるような、
あの歯の抜けた妖婆(ようば)のように、
それはのっぴきならぬことでまた
逃れようと思えば何時でも逃れていられる
そういうふうなことなんだ、ああそうだと思って、
坐臥常住の常識観に、
僕はすばらしい籐椅子にでも倚(よ)っかかるように倚っかかり、
とにかくまず羞恥の感を押鎮(おしし)ずめ、
ともかくも和やかに誰彼のへだてなくお辞儀を致すことを覚え、
なに、平和にはやっているが、
蛙の声を聞く時は、
何かを僕はおもい出す。何か、何かを、
おもいだす。

Qu'est-ce que c'est?
 

「永訣の秋」の「蛙声」と
どのような違いが見えるでしょうか。

(つづく)

蛙 声
 
天は地を蓋(おお)ひ、
そして、地には偶々(たまたま)池がある。
その池で今夜一と夜(よ)さ蛙は鳴く……
――あれは、何を鳴いてるのであらう?

その声は、空より来り、
空へと去るのであらう?
天は地を蓋ひ、
そして蛙声(あせい)は水面に走る。

よし此の地方《くに》が湿潤に過ぎるとしても、
疲れたる我等が心のためには、
柱は猶、余りに乾いたものと感《おも》はれ、

頭は重く、肩は凝るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走つて暗雲に迫る。

※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは原作者本人、( )は全集委員会によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

蛙 声
 
天は地を蓋(おお)い、
そして、地には偶々(たまたま)池がある。
その池で今夜一と夜(よ)さ蛙は鳴く……
――あれは、何を鳴いてるのであろう?

その声は、空より来り、
空へと去るのであろう?
天は地を蓋い、
そして蛙声(あせい)は水面に走る。

よし此の地方《くに》が湿潤に過ぎるとしても、
疲れたる我等が心のためには、
柱は猶、余りに乾いたものと感《おも》われ、

頭は重く、肩は凝るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走って暗雲に迫る。
 

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2013年1月 5日 (土)

「永訣の秋」詩人のわかれ・「蛙声」・生きているうちに読んでおきたい

「在りし日の歌」の最終詩「蛙声」は
昭和12年5月14日に作られ
同年の「四季」7月号に発表されました。
「四季」に発表されたとき
末尾に制作日の記載があります。

この頃、「在りし日の歌」の編集は急展開し
詩集タイトルを「在りし日の歌」とすることや
この「蛙声」を最終詩とし
「含羞(はじらい)」を詩集の冒頭詩とすることなど
詩集全体の構成が次々に
ほぼ同時的に決められたようです。
(新全集第1巻・詩Ⅰ解題篇)

「蛙声」は
詩集「在りし日の歌」の完成へ
スプリングボードの役割を果たしたようですが
その役割を果たすためには
内容やメッセージが重要であったことは
「山羊の歌」の最終詩「いのちの声」と同じような事情です。

6月、近衛内閣発足
7月、盧溝橋事件
8月、上海事変
12月、南京陥落
――といった時代でした。

「蛙声」を読む前に
この程度のことを知っておいても害にはならないことでしょう。

中原中也はこの年の4月29日に30歳になります。

詩が

天は地を蓋(おお)い、
そして、地には偶々(たまたま)池がある。

――とはじめられるは
幾分か時代のニュアンスを込めようとしたものでしょうか。

池が存在するのは
天があり地がありという
大宇宙の作りの中の
その厳然とした存在である地に
たまたま(偶然)一つの池があり
その偶然の存在である池に棲んでいる蛙が
一夜限りの命とばかりに今鳴いている
いったいあれは何を鳴いているのだろう
――と遠撮(遠景)と近撮(近景)の往復の中で
蛙の声をとらえます。

蛙の声そのものがとらえられるのではなく
とらえられても
天や地を背景にし
空から来て
空へ去っていく声としてしか聞こえてきません。

中原中也には
蛙をモチーフにした詩が幾つかありますが
それらは昭和5~8年に使われていた「ノート翻訳詩」に記されたものです。

「蛙声(郊外では)」
(蛙等は月を見ない)
(蛙等が、どんなに鳴こうと)
(Qu'est-ce que c'est?)
――の4作ですが
これらの詩も蛙そのものがとらえられているのではなく
風景(状況とか背景とか関係とか)の中の蛙です。

当たり前のことのようですが
蛙そのものの姿態などは
これっぽっちも歌われていないのです。

(つづく)

蛙 声
 
天は地を蓋(おお)ひ、
そして、地には偶々(たまたま)池がある。
その池で今夜一と夜(よ)さ蛙は鳴く……
――あれは、何を鳴いてるのであらう?

その声は、空より来り、
空へと去るのであらう?
天は地を蓋ひ、
そして蛙声(あせい)は水面に走る。

よし此の地方《くに》が湿潤に過ぎるとしても、
疲れたる我等が心のためには、
柱は猶、余りに乾いたものと感《おも》はれ、

頭は重く、肩は凝るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走つて暗雲に迫る。

※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは原作者本人、( )は全集委員会によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

蛙 声
 
天は地を蓋(おお)い、
そして、地には偶々(たまたま)池がある。
その池で今夜一と夜(よ)さ蛙は鳴く……
――あれは、何を鳴いてるのであろう?

その声は、空より来り、
空へと去るのであろう?
天は地を蓋い、
そして蛙声(あせい)は水面に走る。

よし此の地方《くに》が湿潤に過ぎるとしても、
疲れたる我等が心のためには、
柱は猶、余りに乾いたものと感《おも》われ、

頭は重く、肩は凝るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走って暗雲に迫る。
 

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2013年1月 4日 (金)

「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「春日狂想」7・生きているうちに読んでおきたい

(前回からつづく)

「春日狂想」は
全行が口語会話体で書かれていますが
2の末行、

まぶしく、美《は)》しく、はた俯(うつむ)いて、
話をさせたら、でもうんざりか?

それでも心をポーツとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮。

――に現われるやんちゃな口ぶりは
詩人の地(じ)が露わになったようで
テンポ正しい散歩が今にも崩れそうな気配を見せます。
ということは
奉仕の気持ちなんぞしゃらくせいとばかり
その気持ちを捨ててしまうことなのでもありますが
そのような展開にはならずに詩はここで打ち切られます。

あたかも脱線に気がつき
ハンドルを握りなおすかのように3では、
ではみなさん、と
だれでもないだれか――幻の聴衆――読者に向かって
呼びかけを始めます。

だれでもないだれかは……おのれでもあります。

ヨロコビスギズ
カナシミスギズ
テンポタダシク
アクシュヲシマショウ

ツマリワレラニ
カケテルモノハ
ジッチョクナンゾト
ココロエマシテ

ハイデハミナサン
ハイゴイッショニ
テンポタダシク
アクシュヲシマショウ

七七調を堅持して
今度は
テンポ正しく、握手をしましょう
――と散歩を握手に変えて
春日狂想を終えるのです。

握手は散歩と同じようなものです。
同じものである以上に
テンポ正しい散歩は
自ずと正しい握手へつながっていくものですよ、と言いたげであります。

ではみなさん
ハイ、ではみなさん
ハイ、御一緒に
――と呼びかける詩人は
いったい何処(どこ)から発声しているのでしょうか?

古代ギリシアの円形劇場の
オルケストラ(祭壇)のようなところから
人っ子一人いない観衆席に向かって
やや声を高めて演説する詩人の姿が見えてきはしないでしょうか?

いや! 祭壇のコロスの声に唱和する詩人には
満員の観衆が見えていたのかもしれません。

(この項終わり)

春日狂想
 
   1

愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、業(ごう)(?)が深くて、
なおもながらうことともなつたら、

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。

   2

奉仕の気持になりはなつたが、
さて格別の、ことも出来ない。

そこで以前《せん》より、本なら熟読。
そこで以前《せん》より、人には丁寧。

テンポ正しき散歩をなして
麦稈真田《ばつかんさなだ》を敬虔(けいけん)に編み――

まるでこれでは、玩具《おもちゃ》の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。

神社の日向を、ゆるゆる歩み、
知人に遇(あ)へば、につこり致し、

飴売爺々(あめうりじじい)と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒いて、

まぶしくなつたら、日蔭に這入(はい)り、
そこで地面や草木を見直す。

苔はまことに、ひんやりいたし、
いはうやうなき、今日の麗日。

参詣人等もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。

    《まことに人生、一瞬の夢、
    ゴム風船の、美しさかな。》

空に昇つて、光つて、消えて――
やあ、今日は、御機嫌いかが。

久しぶりだね、その後どうです。
そこらの何処(どこ)かで、お茶でも飲みましよ。

勇んで茶店に這入りはすれど、
ところで話は、とかくないもの。

煙草なんぞを、くさくさ吹かし、
名状しがたい覚悟をなして、――

戸外《そと》はまことに賑やかなこと!
――ではまたそのうち、奥さんによろしく、

外国《あつち》に行つたら、たよりを下さい。
あんまりお酒は、飲まんがいいよ。

馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮。

まぶしく、美《は)》しく、はた俯(うつむ)いて、
話をさせたら、でもうんざりか?

それでも心をポーツとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮。

   3

ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テンポ正しく、握手をしませう。

つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
テンポ正しく、握手をしませう。
 
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは、原作者本人によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

春日狂想
 
   1

愛するものが死んだ時には、
自殺しなきゃあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、業(ごう)(?)が深くて、
なおもながろうことともなったら、

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなきゃあならない。
奉仕の気持に、ならなきゃあならない。

   2

奉仕の気持になりはなったが、
さて格別の、ことも出来ない。

そこで以前《せん》より、本なら熟読。
そこで以前《せん》より、人には丁寧。

テンポ正しき散歩をなして
麦稈真田《ばっかんさなだ》を敬虔(けいけん)に編み――

まるでこれでは、玩具《おもちゃ》の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。

神社の日向を、ゆるゆる歩み、
知人に遇(あ)えば、にっこり致し、

飴売爺々(あめうりじじい)と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒いて、

まぶしくなったら、日蔭に這入(はい)り、
そこで地面や草木を見直す。

苔はまことに、ひんやりいたし、
いわうようなき、今日の麗日。

参詣人等もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。

    《まことに人生、一瞬の夢、
    ゴム風船の、美しさかな。》

空に昇って、光って、消えて――
やあ、今日は、御機嫌いかが。

久しぶりだね、その後どうです。
そこらの何処(どこ)かで、お茶でも飲みましょ。

勇んで茶店に這入りはすれど、
ところで話は、とかくないもの。

煙草なんぞを、くさくさ吹かし、
名状しがたい覚悟をなして、――

戸外《そと》はまことに賑やかなこと!
――ではまたそのうち、奥さんによろしく、

外国《あっち》に行ったら、たよりを下さい。
あんまりお酒は、飲まんがいいよ。

馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮。

まぶしく、美《は)》しく、はた俯(うつむ)いて、
話をさせたら、でもうんざりか?

それでも心をポーッとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮。

   3

ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テンポ正しく、握手をしましょう。

つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
テンポ正しく、握手をしましょう。
 
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは、原作者本人によるものです。

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2013年1月 2日 (水)

「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「春日狂想」6・生きているうちに読んでおきたい

(前回からつづく)

玩具の兵隊になったような
毎日が日曜日のような
テンポ正しい散歩を続けている詩人は
ある時空に舞い上がるゴム風船を目撃し
はかなさのようなものを感じ
美しさを見ます。

人生は短い
一瞬の夢
まるであのゴム風船のようだ
美しいというほかに言いようがないものだ。

愛児文也の死をも
詩人は
このように受け止めたのですが
それをコロスの声としても言わせたのです。

あらゆる事物が
おのおのの存在の重力に耐え
さりげなさそうに輝いているが
やがては朽ち枯れ死んでゆく
絶対的事実。

――と思ったかどうか。

《 》の中に登場するゴム風船は
詩の地の文に引き継がれて
空に昇って光って消えてゆきます。

コロスの合唱と地の声は
ここで溶け合うのです。

ゴム風船は
空に消えてしまったものですから
ふたたび現われることはありませんが
やがては
花嫁御寮に生まれ変わったかのように
賑やかな街の光景の一つとして現われます。
そして……

まことに人生、花嫁御寮
まことに、人生、花嫁御寮、と
一瞬の夢は、いつしか、花嫁御寮に成り変ります。

人生は一瞬の夢と
人生は花嫁御寮とが
溶け合ってしまいます。

花嫁御寮に
文也の影を見るのはおかしいことでしょうか?

まぶしく、美《は)》しく、はた俯(うつむ)いて、
話をさせたら、でもうんざりか?

それでも心をポーッとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮。

――2の末行の
やんちゃな口語会話体には
元気な詩人が復活している感じがあり
文也が花嫁をもらう年頃を夢想する詩人が
やんちゃの下に隠れていそうな気がしますが
考えすぎでしょうか。

(つづく)

春日狂想
 
   1

愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、業(ごう)(?)が深くて、
なおもながらうことともなつたら、

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。

   2

奉仕の気持になりはなつたが、
さて格別の、ことも出来ない。

そこで以前《せん》より、本なら熟読。
そこで以前《せん》より、人には丁寧。

テンポ正しき散歩をなして
麦稈真田《ばつかんさなだ》を敬虔(けいけん)に編み――

まるでこれでは、玩具《おもちゃ》の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。

神社の日向を、ゆるゆる歩み、
知人に遇(あ)へば、につこり致し、

飴売爺々(あめうりじじい)と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒いて、

まぶしくなつたら、日蔭に這入(はい)り、
そこで地面や草木を見直す。

苔はまことに、ひんやりいたし、
いはうやうなき、今日の麗日。

参詣人等もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。

    《まことに人生、一瞬の夢、
    ゴム風船の、美しさかな。》

空に昇つて、光つて、消えて――
やあ、今日は、御機嫌いかが。

久しぶりだね、その後どうです。
そこらの何処(どこ)かで、お茶でも飲みましよ。

勇んで茶店に這入りはすれど、
ところで話は、とかくないもの。

煙草なんぞを、くさくさ吹かし、
名状しがたい覚悟をなして、――

戸外《そと》はまことに賑やかなこと!
――ではまたそのうち、奥さんによろしく、

外国《あつち》に行つたら、たよりを下さい。
あんまりお酒は、飲まんがいいよ。

馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮。

まぶしく、美《は)》しく、はた俯(うつむ)いて、
話をさせたら、でもうんざりか?

それでも心をポーツとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮。

   3

ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テンポ正しく、握手をしませう。

つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
テンポ正しく、握手をしませう。
 
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは原作者本人、( )で示したルビは全集編集委員会によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

春日狂想
 
   1

愛するものが死んだ時には、
自殺しなきゃあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、業(ごう)(?)が深くて、
なおもながろうことともなったら、

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなきゃあならない。
奉仕の気持に、ならなきゃあならない。

   2

奉仕の気持になりはなったが、
さて格別の、ことも出来ない。

そこで以前《せん》より、本なら熟読。
そこで以前《せん》より、人には丁寧。

テンポ正しき散歩をなして
麦稈真田《ばっかんさなだ》を敬虔(けいけん)に編み――

まるでこれでは、玩具《おもちゃ》の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。

神社の日向を、ゆるゆる歩み、
知人に遇(あ)えば、にっこり致し、

飴売爺々(あめうりじじい)と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒いて、

まぶしくなったら、日蔭に這入(はい)り、
そこで地面や草木を見直す。

苔はまことに、ひんやりいたし、
いわうようなき、今日の麗日。

参詣人等もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。

    《まことに人生、一瞬の夢、
    ゴム風船の、美しさかな。》

空に昇って、光って、消えて――
やあ、今日は、御機嫌いかが。

久しぶりだね、その後どうです。
そこらの何処(どこ)かで、お茶でも飲みましょ。

勇んで茶店に這入りはすれど、
ところで話は、とかくないもの。

煙草なんぞを、くさくさ吹かし、
名状しがたい覚悟をなして、――

戸外《そと》はまことに賑やかなこと!
――ではまたそのうち、奥さんによろしく、

外国《あっち》に行ったら、たよりを下さい。
あんまりお酒は、飲まんがいいよ。

馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮。

まぶしく、美《は)》しく、はた俯(うつむ)いて、
話をさせたら、でもうんざりか?

それでも心をポーッとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮。

   3

ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テンポ正しく、握手をしましょう。

つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
テンポ正しく、握手をしましょう。
 

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2013年1月 1日 (火)

「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「春日狂想」5・生きているうちに読んでおきたい

(前回からつづく)

鎌倉らしき街を散歩中の詩人は
神社の日向(日陰)
知人
飴売り爺々

地面
草木

参詣人
ゴム風船
茶店
馬車
電車
……など次々と目に触れてくるものの一つ一つが
取り立てて新鮮なものでもなければ
取り立ててつまらないものでもない
どうといったこともないお天気の1日で
参詣人がゾロゾロ歩いていても
腹が立たない時間の中にいます。

といえば
無感動の日々を送っているということになりますが
そういうことではなく
一つ一つの事物が一つ一つ瑞々しく
あるがままの生命を呼吸していて
過大でもなく過小でもなく
適度なリズムを刻んでいる状態にあることを歌っています。

ゴム風船も
そのような事物の一つに過ぎず
ほかの事物と同じものですが
詩人には
これらの事物一つ一つも
ゴム風船も
人生であり
美しい
一瞬の夢と映ったのです。

どういうことが
詩人に起こったのでしょうか?
この詩になにが起こったのでしょうか?

なぜここに人生なのでしょうか?

人生とは
誰のものを指しているのでしょうか?

これは文也の人生なのではないでしょうか?
文也の人生を指して
美しい一瞬の夢と
コロスに歌わせたのでしょうか?

それとも詩人自身の人生なのでしょうか?

それとも人生一般なのでしょうか?

参詣人等もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。

    《まことに人生、一瞬の夢、
    ゴム風船の、美しさかな。》

空に昇って、光って、消えて――
やあ、今日は、御機嫌いかが。

この3連で
この詩は急展開します。
断絶、揺らぎ、飛躍、省略、説明排除……乱調。

この急展開は
一見して乱れのようにも見えますが
ここがこの詩の急所です。

なんにも腹が立たない詩人の目に映った
ゴム風船が空に昇って光って消えていったそこから
やあコンニチワといって現われる詩人。

この過程で
詩人は変身します。
変質します。

人生を一瞬の夢といい
ゴム風船を美しいというのは
人生はゴム風船で美しいものということですから
ここで一瞬の夢のようであった愛児・文也が暗示されています。

ここで
詩人は文也の死を受容しているのです。

受容とは
奉仕することの別の言い方です。

受容した途端に
テンポが乱れるようなことが起こっていますが
偶然にも(?) 花嫁御寮の歌が聞こえてきます!

人生はゴム風船
人生は花嫁御寮。
どちらも美しい。

(つづく)

春日狂想
 
   1

愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、業(ごう)(?)が深くて、
なおもながらうことともなつたら、

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。

   2

奉仕の気持になりはなつたが、
さて格別の、ことも出来ない。

そこで以前《せん》より、本なら熟読。
そこで以前《せん》より、人には丁寧。

テンポ正しき散歩をなして
麦稈真田《ばつかんさなだ》を敬虔(けいけん)に編み――

まるでこれでは、玩具《おもちゃ》の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。

神社の日向を、ゆるゆる歩み、
知人に遇(あ)へば、につこり致し、

飴売爺々(あめうりじじい)と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒いて、

まぶしくなつたら、日蔭に這入(はい)り、
そこで地面や草木を見直す。

苔はまことに、ひんやりいたし、
いはうやうなき、今日の麗日。

参詣人等もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。

    《まことに人生、一瞬の夢、
    ゴム風船の、美しさかな。》

空に昇つて、光つて、消えて――
やあ、今日は、御機嫌いかが。

久しぶりだね、その後どうです。
そこらの何処(どこ)かで、お茶でも飲みましよ。

勇んで茶店に這入りはすれど、
ところで話は、とかくないもの。

煙草なんぞを、くさくさ吹かし、
名状しがたい覚悟をなして、――

戸外《そと》はまことに賑やかなこと!
――ではまたそのうち、奥さんによろしく、

外国《あつち》に行つたら、たよりを下さい。
あんまりお酒は、飲まんがいいよ。

馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮。

まぶしく、美《は)》しく、はた俯(うつむ)いて、
話をさせたら、でもうんざりか?

それでも心をポーツとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮。

   3

ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テンポ正しく、握手をしませう。

つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
テンポ正しく、握手をしませう。
 
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは原作者本人、( )で示したルビは全集編集委員会によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

春日狂想
 
   1

愛するものが死んだ時には、
自殺しなきゃあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、業(ごう)(?)が深くて、
なおもながろうことともなったら、

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなきゃあならない。
奉仕の気持に、ならなきゃあならない。

   2

奉仕の気持になりはなったが、
さて格別の、ことも出来ない。

そこで以前《せん》より、本なら熟読。
そこで以前《せん》より、人には丁寧。

テンポ正しき散歩をなして
麦稈真田《ばっかんさなだ》を敬虔(けいけん)に編み――

まるでこれでは、玩具《おもちゃ》の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。

神社の日向を、ゆるゆる歩み、
知人に遇(あ)えば、にっこり致し、

飴売爺々(あめうりじじい)と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒いて、

まぶしくなったら、日蔭に這入(はい)り、
そこで地面や草木を見直す。

苔はまことに、ひんやりいたし、
いわうようなき、今日の麗日。

参詣人等もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。

    《まことに人生、一瞬の夢、
    ゴム風船の、美しさかな。》

空に昇って、光って、消えて――
やあ、今日は、御機嫌いかが。

久しぶりだね、その後どうです。
そこらの何処(どこ)かで、お茶でも飲みましょ。

勇んで茶店に這入りはすれど、
ところで話は、とかくないもの。

煙草なんぞを、くさくさ吹かし、
名状しがたい覚悟をなして、――

戸外《そと》はまことに賑やかなこと!
――ではまたそのうち、奥さんによろしく、

外国《あっち》に行ったら、たよりを下さい。
あんまりお酒は、飲まんがいいよ。

馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮。

まぶしく、美《は)》しく、はた俯(うつむ)いて、
話をさせたら、でもうんざりか?

それでも心をポーッとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮。

   3

ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テンポ正しく、握手をしましょう。

つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
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