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2013年1月31日 (木)

ひとくちメモ/中原中也の詩に現われる色の色々・最終回

(前回からつづく)

中原中也の詩に現われる「色」を取り出して見てきましたが
残るのは「療養日誌・千葉寺雑記(1937年)」と「草稿詩篇(1937年)」だけになりました。

1937年は詩人の亡くなる年です。
この年のはじめに千葉の中村古峡療養所に入退院し
退院直後に鎌倉に移り住んで詩作活動を再開。
「ボンマルシェ日記」をつけはじめ
付近に住む小林秀雄、大岡昇平、今日出海、深田久弥らと交流します。
9月には「ランボオ詩集」を翻訳・刊行し
「在りし日の歌」の清書原稿を小林秀雄に託すなど
心機一転を計画していました。
その矢先、結核性脳膜炎を発症し永眠します。

このような経過が
詩の「色」に現われるなどという研究のつもりではないことを
ふたたび申し上げておきます。

◇

「療養日誌・千葉寺雑記(1937年)」には
(短歌5首)を1篇と数えて5篇が収録されています。
ここにに現われる「色」は2篇2か所でした――。

(丘の上サあがって、丘の上サあがって)
 緑のお碗が一つ、ふせてあった。
そのお碗にヨ、その緑のお碗に、

(短歌五首)
町々は夕陽を浴びて金の色
 きさらぎ二月冷たい金なり

◇

最後の「草稿詩篇(1937年)」には5篇の詩が収録されていますが
ここに「色」は現われませんでした。

1937年制作の詩篇10篇のうち
「色」が現われたのは2篇でした。
この数字が「多い少ない」を言えるものではありません。
言うことも出来はしません。

晩年に「色」の現われるのが少なかったかもしれない、との
可能性があるという程度の想像は許されても
断言はできません。

そもそも残りの8篇の詩には色がないなどといえば、
そんな馬鹿なことはありません。
色のない詩なんて存在するわけがありません。
「色」に関する言葉や文字が現れなかっただけのことです。

◇

第一、ここでは「色」それも言葉(文字)に現われたものを取り上げてきただけです。
メタファーとしての色を見れば
際限ない世界が広がっているでしょうし
「光の色々」に目を向ければ
世界の半分に目を向けることにもなりそうです。

残るは「空間」ということになり
中原中也の詩の「空間のメタファー」へと開けていってしまいます。

そのような研究は
きっと存在することでしょう。
興味ある方は探してみてください。

ここで見てきた「色」は
そんな大げさなものではなく
「色の言葉」が中原中也の詩にどれほどあるだろうか
――という素朴な疑問に答えるために
詩集のはじめから終わりまで検索してみただけのことです。

◇

中原中也が制作した全詩370のうち
言葉・文字の形として現れた「色」のある詩は
ざっと数えてみると151篇ありました。
行ではなく詩の数です。

一つの詩の中に
「色」が多数の行にわたる場合もありますから
行で数えればこの倍近くか少なくとも5割増しにはなるかもしれません。

「音の詩人」のイメージが濃い中原中也は
すぐれて「色の詩人」であったということくらいはきっぱりと言えそうです。

(この項終わり)

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