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2013年2月

2013年2月28日 (木)

ひとくちメモ・中原中也の草々花々(くさぐさはなばな)8「草稿詩篇(1933年―1936年)」ほか

(前回からつづく)

中原中也の未発表詩篇に現われる「花や草」(植物)を
ピックアップしていきます。

「草稿詩篇(1933年―1936年)」には65篇
「療養日誌・千葉寺雑記(1937年)」には5篇
「草稿詩篇(1937年)」には6篇の詩があります。

晩年の詩を含む、これらの詩篇を一気に読んでいきます。

<草稿詩篇(1933年―1936年)>

(とにもかくにも春である)
 とにもかくにも春である、帝都は省線電車の上から見ると、トタン屋根と桜花(さくらばな)とのチャンポンである。花曇りの空は、その上にひろがって、何もかも、睡(ねむ)がっている。誰ももう、悩むことには馴れたので、黙って春を迎えている。おしろいの塗り方の拙(まず)い女も、クリーニングしないで仕舞っておいた春外套の男も、黙って春を迎え、春が春の方で勝手にやって来て、春が勝手に過ぎゆくのなら、桜よ咲け、陽も照れと、胃の悪いような口付をして、吊帯にぶる下っている。

めずらかの喜びと新鮮さのよろこびと、
まるで林檎(りんご)の一と山ででもあるように、

闇に梟(ふくろう)が鳴くということも
西洋人がパセリを食べ、朝鮮人がにんにくを食い
我々が葱(ねぎ)を常食とすることも、
みんなおんなしようなことなんだ

落雁(らくがん)を法事の引物(ひきもの)にするという習慣をうべない、権柄的(けんぺいてき)気六ヶ敷(きむずかし)さを、去(い)にし秋の校庭に揺れていたコスモスのように思い出し、

風は揺れ、茅(かや)はゆすれ、闇は、土は、いじらしくも怨(うら)めしいものであった。

(宵の銀座は花束捧げ)
宵(よい)の銀座は花束捧(ささ)げ、

「怠 惰」
目をつむって蝉が聞いていたい!――森の方……

「蝉」
松林を透いて空が見える
うつらうつらと僕はする。

藪蔭(やぶかげ)の砂土帯の小さな墓場、
――そこにも蝉は鳴いているだろ

「夏」
木々の葉はギラギラしていた。

「燃える血」
動かぬ雲も無花果(いちじく)の葉も、
僕をどうしようというのだろう?

「京浜街道にて」
萎びたコスモスに、鹿革の手袋をはめ、それを、霊柩車(れいきゅうしゃ)に入れて、街道を往く。
   風と陽は、まざらない……
霊柩車、落とす日蔭に、落ちる涙はこごめばな。
           (一九三三・九・二二)
 
「いちじくの葉」
夏の午前よ、いちじくの葉よ、
葉は、乾いている、ねむげな色をして
風が吹くと揺れている、
よわい枝をもっている……
僕は睡(ねむ)ろうか……
電線は空を走る
その電線からのように遠く蝉(せみ)は鳴いている
葉は乾いている、
風が吹いてくると揺れている
葉は葉で揺れ、枝としても揺れている

(小川が青く光っているのは)
山の端(は)は、あの永遠の目(ま)ばたきは、
却(かえっ)て一本(ひともと)の草花に語っていた。

一本の草花は、広い畑の中に、
咲いていた。――葡萄畑(ぶどうばたけ)の、
あの唇(くちびる)黒い老婆に眺めいらるるままに。

「朝」
雀が鳴いている
朝日が照っている
私は椿(つばき)の葉を想う

雀が鳴いている
起きよという
だがそんなに直(す)ぐは起きられようか
私は潅木林(かんぼくばやし)の中を
走り廻(まわ)る夢をみていたんだ

恋人よ、親達に距(へだ)てられた私の恋人、
君はどう思うか……
僕は今でも君を懐しい、懐しいものに思う

雀が鳴いている
朝日が照っている
私は椿の葉を想う

雀が鳴いている
起きよという
だがそんなに直ぐは起きられようか
私は潅木林の中を
走り廻る夢をみていたんだ
※「潅木林の中を走り廻る夢をみていた」詩人が雀の鳴き声で目を覚ます。すると朝日が照っている。夢の中で見た潅木の林の残像か、椿の葉の分厚い緑が頭の中に結ばれます。潅木と椿が同じものか、潅木の林が椿を連想させたのか、二つの植物のイメージが絡み合います。

「夜明け」
苔(こけ)は蔭(かげ)の方から、案外に明るい顔をしているだろう。

「朝」
お葱(ねぎ)が欲しいと思いました

「狂気の手紙」
陳述此度(のぶればこたび)は気がフーッと致し
キンポーゲとこそ相成候(あいなりそうろう)
野辺(のべ)の草穂と春の空
何仔細(しさい)あるわけにも無之(これなく)候処
タンポポや、煙の族(やから)とは相成候間
一筆御知らせ申上候

お葱(ねぎ)や塩のことにても相当お話し申上候
※「キンポーゲ」は毒草です。そのことを知っているかいないかで、この詩の読みは断然異なってきます。

「咏嘆調」
それは、夜と、湿気と、炬火(たいまつ)と、掻き傷と、
野と草と、遠いい森の灯のように、

それはボロ麻や、腓(はぎ)に吹く、夕べの風の族であろうか?

「秋岸清凉居士」
消えていったのは、
あれはあやめの花じゃろか?
いいえいいえ、消えていったは、
あれはなんとかいう花の紫の莟(つぼ)みであったじゃろ
冬の来る夜に、省線の
遠音とともに消えていったは
あれはなんとかいう花の紫の莟みであったじゃろ
     ※
とある侘(わ)びしい踏切のほとり
草は生え、すすきは伸びて

風は繁みをさやがせもせず、
冥府(あのよ)の温風(ぬるかぜ)さながらに
繁みの前を素通りしました
繁みの葉ッパの一枚々々

虫は草葉の下で鳴き、
草葉くぐって私に聞こえ、

死んで行ったは、
――あれはあやめの花じゃろか
いいえいいえ消えて行ったは、
あれはなんとかいう花の紫の莟じゃろ

あれはなんとかいう花の紫の莟か知れず

草々も虫の音も焼木杭も月もレールも、
いつの日か手の掌(ひら)で揉んだ紫の朝顔の花の様に
※弟・恰三の死を歌い、「花と草=植物」の登場は多彩といえます。

「別 離」
芝庭のことも、思い出します
 薄い陽の、物音のない昼下り
あの日、栗を食べたことも、思い出します

忘れがたない、虹と花、
  忘れがたない、虹と花
  虹と花、虹と花

向うに、水車が、見えています、
  苔むした、小屋の傍(そば)、

「誘蛾燈詠歌」
酒をのみ、何やらかなしく、これこのようにぬけぬけと
まだ生きておりまして、今宵小川に映る月しだれ柳や

平の忠度(ただのり)は桜の木の下に駒をとめました

花や今宵の主(あるじ)ならまし

(なんにも書かなかったら)
何をくよくよ、
川端やなぎ、だ……
土手の柳を、
見て暮らせ、よだ

開いて、いるのは、
あれは、花かよ?
何の、花か、よ?
薔薇(ばら)の、花じゃろ。

ああ、さば、薔薇(そうび)よ、
物を、云ってよ、

(一本の藁は畦の枯草の間に挟って)
一本の藁(わら)は畦(あぜ)の枯草の間に挟(ささ)って
ひねもす陽を浴びぬくもっていた

(おまえが花のように)
おまえが花のように
淡鼠(うすねず)の絹の靴下穿(は)いた花のように
松竝木(まつなみき)の開け放たれた道をとおって

草も今でも生えていようか

「月夜とポプラ」
木(こ)の下かげには幽霊がいる

「僕と吹雪」
自然は、僕という貝に、
花吹雪(はなふぶ)きを、激しく吹きつけた。

(秋が来た)
秋が来た。
また公園の竝木路(なみきみち)は、
すっかり落葉で蔽(おお)われて、

「雲った秋」
十一月の風に吹かれている、無花果(いちじく)の葉かなんかのようだ、
棄てられた犬のようだとて。

蒼い顔して、無花果の葉のように風に吹かれて、――冷たい午後だった――
しょんぼりとして、犬のように捨てられていたと。

猫は空地の雑草の陰で、
多分は石ころを足に感じ
その冷たさを足に感じ、
霧の降る夜を鳴いていた――

クサキモ、ネムル、ウシミツドキデス

「夜半の嵐」
松吹く風よ、寒い夜(よ)の
われや憂き世にながらえて

松吹く風よ、寒い夜の
汝(なれ)より悲しきものはなし。

「雲」
  女の子なぞというものは
  由来桜の花弁(はなびら)のように、
  欣(よろこん)んで散りゆくものだ

ああ、枯草を背に敷いて
やんわりぬくもっていることは
空の青が、少しく冷たくみえることは
煙草を喫うなぞということは
世界的幸福である
※「世界的幸福」というのは「最高の幸福」=「至福」のことであり、それを表現するときに「枯草」が出てくるのです。枯れ草の上で煙草を吸うのが至福なのです。

「一夜分の歴史」
梅の樹に溜った雨滴(しずく)は、風が襲(おそ)うと、
他の樹々のよりも荒っぽい音で、
庭土の上に落ちていました。

梅の樹に溜った雨滴(しずく)は、他の樹々に溜ったのよりも、
風が吹くたび、荒っぽい音を立てて落ちていました。

「断 片」
耳ゴーと鳴って、柚子酸(ゆずす)ッぱいのです

「暗い公園」
雨を含んだ暗い空の中に
大きいポプラは聳(そそ)り立ち、
その天頂(てっぺん)は殆(ほと)んど空に消え入っていた。

ポプラは暗い空に聳り立ち、
その黒々と見える葉は風にハタハタと鳴っていた。


65篇中の29篇に「花・草」が出てきました。

<療養日誌・千葉寺雑記(1937年)>

「道修山夜曲」
星の降るよな夜(よる)でした
松の林のその中に、
僕は蹲(しゃが)んでおりました。

松には今夜風もなく、
土はジットリ湿ってる。
遠く近くの笹の葉も、
しずもりかえっているばかり。

(短歌五首)
 
ゆうべゆうべ我が家恋しくおもゆなり
 草葉ゆすりて木枯の吹く

5篇中の2篇に植物は登場しました。

<草稿詩篇(1937年)>

「春と恋人」
私にかまわず実ってた
新しい桃があったのだ……

以来私は木綿の夜曲?
はでな処(とこ)には行きたかない……
 
「少女と雨」
少女がいま校庭の隅に佇(たたず)んだのは
其処(そこ)は花畑があって菖蒲(しょうぶ)の花が咲いてるからです

菖蒲の花は雨に打たれて
音楽室から来るオルガンの 音を聞いてはいませんでした

しとしとと雨はあとからあとから降って
花も葉も畑の土ももう諦めきっています

その有様をジツと見てると
なんとも不思議な気がして来ます

山も校舎も空の下(もと)に
やがてしずかな回転をはじめ

花畑を除く一切のものは
みんなとっくに終ってしまった 夢のような気がしてきます
※全文を掲載しました。雨の中の花畑を見ていると、その花畑以外の外界が終わってしまった夢のような「残骸(ざんがい)のようなもの」に思えてきたというようなことでしょうか。「白日夢」の状態に詩人は入っていたのです。

「夏と悲運」
夏の暑い日に、俺は庭先の樹の葉を見、蝉を聞く。

6篇中の3篇に植物が出てきました。

(つづく)

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2013年2月27日 (水)

ひとくちメモ・中原中也の草々花々(くさぐさはなばな)7「早大ノート」ほか

(前回からつづく)

中原中也の未発表詩篇に現われる「花や草」(植物)を
ピックアップしていきます。

「早大ノート(1930年―1937年)」には42篇
「草稿詩篇(1931年―1932年)」には13篇
「ノート翻訳詩(1933年)」には9篇の詩があります。

<早大ノート(1930年―1937年)>

「干 物」
外苑の舗道しろじろ、うちつづき、
千駄ヶ谷、森の梢のちろちろと

「いちじくの葉」
いちじくの、葉が夕空にくろぐろと、

夕空に、くろぐろはためく
いちじくの、木末(こずえ) みあげて、

「Qu'est-ce que c'est que moi?」

私のなかで舞ってるものは、
こおろぎでもない、
秋の夜でもない。
南洋の夜風でもない、
椰子樹(やしのき)でもない。
それの葉に吹く風でもない
それの梢(こずえ)と、すれすれにゆく雲でない月光でもない。
つまり、その……
サムシング。
だが、なァんだその、サムシングかとは、
決して云ってはもらいますまい。
※全文を掲載しました。サムシングは説明できないものですが、説明を試みると「○○ではない、
○○でもない……」と列挙すれば「否定の否定」で明らかになってくるかというとそうでもない。「何
か」というしかないものなのです。その例の幾つかに「植物」が現われています。「何か」に限りなく
近いものの一つに植物があるのですが、でもそうじゃないという例にあがる植物です。

「さまざまな人」
打返した綿のようになごやかな男、
ミレーの絵をみて、涎(よだれ)を垂らしていました。

(吹く風を心の友と)
私がげんげ田を歩いていた十五の春は
煙のように、野羊(やぎ)のように、パルプのように、

とんで行って、もう今頃は、
どこか遠い別の世界で花咲いているであろうか
耳を澄ますと
げんげの色のようにはじらいながら遠くに聞こえる

(月はおぼろにかすむ夜に)
月はおぼろにかすむ夜に、
杉は、梢(こずえ)を 伸べていた。
※全文です。未完成の詩です。2行しか作られていませんが、ポエジーがないとはいえないから、
詩として収録されたのでしょうか。詩を作ろうとして中途で終わったものの書き出しに植物(杉)が
現われるだけで、この詩の行方を想像してみたくなります。

(疲れやつれた美しい顔よ)
その時だ、その壺が花を開く、
その花は、夜の部屋でみる、三色菫(さんしきすみれ)だ

「秋の日曜」
青い空は金色に澄み、
そこから茸(きのこ)の薫(かお)りは生れ、

(汽笛が鳴ったので)
樹々は野に立っている、
従順な娘達ともみられないことはない。

(七銭でバットを買って)
小さな月が出ているにはいたが、
それでも木の繁った所は暗かった。

(月の光は音もなし)
月の光は音もなし、
虫の鳴いてる草の上

虫は草にて鳴きまする。

42篇中11篇に「花・草」がありました。
2割5分強です。

<草稿詩篇(1931年―1932年)>

「疲れやつれた美しい顔」
その時だ、その壺が花を開く、
その花は、夜の部屋にみる、三色菫(さんしきすみれ)だ。

「青木三造」
ゆらりゆらりとゆらゆれる
海のふかみの海草(うみくさ)の
おぼれおぼれて、溺れたる

「材 木」
 
立っているのは、材木ですじゃろ、
    野中の、野中の、製材所の脇。
※「加工された植物」ですが、数に入れました。

「脱毛の秋 Etudes」
私は歩いていた、私の膝は櫟材(くぬぎざい)だった。

それは枇杷(びわ)の葉の毒に似ていた。

縁台の上に筵(むしろ)を敷いて、
夕顔の花に目をくれないことと、

「幻 想」
歯槽膿漏(しそうのうろう)たのもしや、
 女はみんな瓜(うり)だなも。
瓜は腐りが早かろう、
そんなものならわしゃ嫌い、
歯槽膿漏さながらに

雨降れ、
瓜の肌には冷たかろ。

「秋になる朝」
ほのしらむ、稲穂にとんぼとびかよい

恋人よ、あの頃の朝の涼風は、
とうもろこしの葉やおまえの指股に浮かぶ汗の匂いがする

「蒼ざめし我の心に」
それら今日、いかにかなりし……
森の木末(こずえ)の、風そよぐのみにして

ああ、忘れよや、わが心、廃墟の木魂……
忘れよや、森の響きを、

(辛いこった辛いこった!)
辛いこった辛いこった!
なまなか伝説的存在にされて
ああ、この言語玩弄(がんろう)者達の世に、
なまなか伝説的存在にされて、
(パンを奪われ花は与えられ)
ああ、小児病者の横行の世に!

奴等(やつら)の頭は言葉でガラガラになり、
奴等の心は根も葉もないのだ。
野望の上に造花は咲いて
迷った人心は造花に凭(すが)る。
造花作りは花屋を恨む、
さて、花は造花程口がきけない。

造花作りの羽振(はぶり)のよさは、
ああ、滑稽(こっけい)なこった滑稽なこった。
それが滑稽だとみえないばかりに、
花の言葉はみなしゃらくさい。
舌もつれようともつれまいと
花に嘘(うそ)などつけはしないんだ。
※全文掲載しました。「パンと花」が決定的な要素になっている詩です。「花」と「造花」を比べて、
「詩人」の位置が述べられています。

13篇中8篇です。
6割強です。

<ノート翻訳詩(1933年)>

(僕の夢は破れて、其処に血を流した)
声はほのぼのと芒(すすき)の穂にまつわりついた。

(土を見るがいい)
土を見るがいい、
土は水を含んで黒く
のっかってる石ころだけは夜目にも白く、
風は吹き、頸(くび)に寒く
風は吹き、雨雲を呼び、
にじられた草にはつらく、
風は吹き、樹の葉をそよぎ
風は吹き、黒々と吹き
葱(ねぎ)はすっぽりと立っている
その葱を吹き、
その葱の揺れ方は赤ン坊の脛(はぎ)ににている。
※モチーフは「土」ですが、主役は「植物」といってよいかもしれません。なので全文を載せました。

「Qu'est-ce que c'est?」
僕がこうして何時(いつ)まで立っていることも、
黒々と森が彼方(かなた)にあることも、
※「サムシング」とあった「Qu'est-ce que c'est que moi?」と同じ系列の詩です。詩人は詩人論をし
ばしば詩で展開し、詩とは何かというテーマに迫ります。やがては「言葉なき歌」「蛙声」などの詩
人論・詩論へ繋(つな)がっていきます。

「孟夏谿行」
この水は、いずれに行くや夏の日の、
山は繁(しげ)れり、しずもりかえる

山竝(やまなみ)は、しだいにあまた、移りゆく
展望のたびにあらたなるかも

9篇中4篇でした。

(つづく)

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2013年2月26日 (火)

ひとくちメモ・中原中也の草々花々(くさぐさはなばな)6「ノート小年時」ほか

(前回からつづく)

中原中也の未発表詩篇に現われる「花や草」(植物)を
ピックアップしていきます。

「草稿詩篇(1925年―1928年)」には20篇
「ノート小年時(1928年―1930年)」には16篇の詩があります。

<草稿詩篇81925年―1928年>

「或る心の一季節」 
最早(もはや)、あらゆるものが目を覚ました、黎明(れいめい)は来た。私の心の中に住む幾多の
フェアリー達は、朝露の傍(そば)では草の葉っぱのすがすがしい線を描いた

「秋の愁嘆」
野辺を 野辺を 畑を 町を
人達を蹂躪(じゅうりん)に秋がおじゃった。

笑えば籾殻(もみがら)かしゃかしゃと、
へちまのようにかすかすの
悪魔の伯父(おじ)さん、おじゃったおじゃった。
※富永太郎の影響がある作品です。「笑えば籾殻(もみがら)かしゃかしゃと 」が、どのような象徴化手法かをとらえることあたりがこの詩の「肝」になります。

「夜寒の都会」
私は沈黙から紫がかった、
数箇の苺(いちご)を受けとった。

「無 題」
その小児は色白く、水草の青みに揺れた、

私は木の葉にとまった一匹の昆虫‥‥‥

「夏の夜」
私の心は腐った薔薇(ばら)のようで、
夏の夜の靄(もや)では淋しがって啜(すすりな)く、

蔦蔓(つたかづら)が黝々(くろぐろ)と匐(は)いのぼっている、
埃(ほこ)りがうっすり掛かっている。

「聖浄白眼」
曇った寒い日の葉繁みでございます。
眼瞼(まぶた)に蜘蛛がいとを張ります。

「冬の日」
ほのかな下萠(したもえ)の色をした、
風も少しは吹いているのだった、

「幼なかりし日」
春の日は、苜蓿(うまごやし)踏み
青空を、追いてゆきしにあらざるか?

「間奏曲」
百合(ゆり)の少女の眼瞼(まぶた)の縁(ふち)に、

「秋の夜」
夜霧(よぎり)が深く
冬が来るとみえる。
森が黒く
空を恨(うら)む。

外燈の下(もと)に来かかれば
なにか生活めいた思いをさせられ、
暗闇にさしかかれば、
死んだ娘達の歌声を聞く。

夜霧が深く
冬が来るとみえる。
森が黒く
空を恨む。

深い草叢(くさむら)に虫が鳴いて、
深い草叢を霧が包む。
近くの原が疲れて眠り、
遠くの竝木(なみき)が疑深い。
※全文を掲載しました。森、草叢、原、竝木――と、植物が主役級の風景です。

<ノート小年時(1928年―1930年)>

「幼年囚の歌」
果物にもパンにももう飽かしめられたこの男を。

「冷酷の歌」
伸びたいだけ伸(の)んで、拡がりたいだけ拡がって、
恰度紫の朝顔の花かなんぞのように、

薔薇(ばら)と金毛とは、もはや煙のように空にゆきました。

萎(しお)れた葱(ねぎ)か韮(にら)のように、ああ神様、

「雪が降っている……」
  それから、
お寺の森にも、

「倦 怠」
人はただ絶えず慄(ふる)える、木の葉のように、

「夏は青い空に……」
空のもと林の中に、たゆけくも
 仰(あお)ざまに眼(まなこ)をつむり、

「木 蔭」
神社の鳥居が光をうけて
楡(にれ)の葉が小さく揺すれる。
夏の昼の青々した木陰(こかげ)は
私の後悔を宥(なだ)めてくれる。

「頌 歌」
出で発(た)たん!夏の夜は
霧(きり)と野と星とに向って。

「夏」
今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り

空は燃え、畑はつづき

「草稿詩篇(1925年―1928年)」20篇のうち10篇。
「ノート小年時(1928年―1930年)」16篇のうち9篇。
いづれも「花・草」の出現率は5割以上の高率です。

そのことが何を意味するか。
「傾向分析」にしかなりませんが
それだけの意味はあるに違いありません。

詩篇一つひとつを味わう中で
そのことの意味は探られてもいいでしょう。

(つづく)

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2013年2月25日 (月)

ひとくちメモ・中原中也の草々花々(くさぐさはなばな)5「ノート1924」ほか

(前回からつづく)

いよいよ「未発表詩篇」に現われる「花や草」(植物)を
見ていきましょう。

「未発表詩篇」は
発表詩である「山羊の歌」「在りし日の歌」「生前発表詩篇」に入らない詩のグループです。

中原中也が制作した全詩はおよそ370篇あり
発表詩が合計で142篇ありますから(短歌を除く)
未発表詩篇は228篇あり
全体の6割強ということになります。
(角川全集で集計)

残存している原稿の形によって分類・整理され
それぞれのグループの中で
詩篇は制作順(推定)に配置され
グループには呼称がつけられています。

<ダダ手帖(1923年―1924年)>
2篇の詩がありますが
ここに「花・草」は現われません。

<ノート1924(1924年―1928年)>

「不可入性」
空想は植物性です
女は空想なんです
女の一生は空想と現実との間隙(かんげき)の弁解で一杯です
取れという時は植物的な萎縮(いしゅく)をし
取らなくても好(い)いといえば煩悶(はんもん)し
取るなといえば鬪牛師(とうぎゅうし)の夫を夢みます
※大正13年制作のダダ詩です。「花・草」が出てくるものではありませんが、植物のイメージのダダイスト中原中也による表現があります。

「情 慾」
電球よ暑くなれ!
冬の野原を夏の風が行くに

「春の夕暮」
ポトホトと臘涙(ろうるい)に野の中の伽藍(がらん)は赤く
荷馬車の車、 油を失い
私が歴史的現在に物を言えば
嘲(あざけ)る嘲る空と山とが
※ダダ詩には「風景描写」そのものが稀(まれ)なようですが、この詩には「自然の風景」があります。やがて、「山羊の歌」の冒頭詩になる原詩です。ダダ詩でありながら、「山羊の歌」に収録されてもよく溶け込んでいるのは、この「叙景」のせいであるかもしれません。オーソドックスな詩への端緒がここにあると言ってもよいものです。ソネットであり、起承転結であり、定型への志向が見られるということです。

(テンピにかけて)
 
テンピにかけて焼いたろか
あんなヘナチョコ詩人の詩
百科辞典を引き廻し
鳥の名や花の名や
みたこともないそれなんか
ひっぱり出して書いたって
――だがそれ程想像力があればね――
やい!
いったい何が表現出来ました?
自棄(やけ)のない詩は
神の詩か
凡人の詩か
そのどっちかと僕が決めたげます
※詩人論の詩の中に「花」が登場しています。なので、全文掲載にしました。ダダイストの詩人論とはいえ、かなりの正論が見えます。「想像力」はフランス詩の影響でしょうか?

(酒は誰でも酔わす)
自然が美しいということは
自然がカンヴァスの上でも美しいということかい――
※自然を花と置き換えて読むと少しはこの詩を理解できるかもしれません。

(汽車が聞える)
汽車が聞える
蓮華(れんげ)の上を渡ってだろうか

(秋の日を歩み疲れて)
秋の日を歩み疲れて
橋上を通りかかれば
秋の草 金にねむりて
草分ける 足音をみる

「ダダ手帖」には2篇、
「ノート1924」には51篇の詩があります。
53篇中の6篇(「不可入性」を含む)ですから1割ちょっとです。
きわめて少ないといえます。

ダダ詩に「自然」としての「花・草」を求めること自体に無理があるようですが
無理を冒せば見えてくるものもあるような。

終わりのほうにある(秋の日を歩み疲れて)は
昭和2―3年の制作(推定)ですから
ダダ脱皮の傾向が見られる詩で
その詩に「秋の草 金にねむりて 草分ける 足音をみる」とあるのは
早い時期の例の一つです。

大正13年制作(推定)の「春の夕暮」の「野の中の伽藍(がらん)は赤く」が京都時代
(秋の日を歩み疲れて)は上京後の制作で
こちらには象徴詩の匂いがプンプンしています。

ダダ詩や象徴詩に風景や自然の描写が入り込んでいます。

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2013年2月24日 (日)

ひとくちメモ・中原中也の草々花々(くさぐさはなばな)4「生前発表詩篇」から

(前回からつづく)

「生前発表詩篇」に現われる「花や草」(植物)を
ピックアップしていきます。

「倦 怠」
人はただ、絶えず慄(ふる)える、木(こ)の葉のように

「漂々と口笛吹いて」
一枝の ポプラを肩に ゆさゆさと
葉を翻(ひるが)えし 歩き廻るは

  森のこちらを すれすれに
目立たぬように 歩いているのは

  ポプラを肩に葉を翻えし
  ああして呑気に歩いてゆくのは

「幻 想」
草には風が吹いていた。

「北沢風景」
 台所の入口からは、北東の空が見られた。まだ昼の明りを残した空は、此処(ここ)台所から四五丁の彼方(かなた)に、すすきの叢(むら)があることも小川のあることも思い出させはせぬのであった。

「或る夜の幻想(1・3)」
野原の一隅には杉林があった。
なかの一本がわけても聳(そび)えていた。

「聞こえぬ悲鳴」
悲しい 夜更(よふけ)が 訪(おとず)れて
菫(すみれ)の 花が 腐れる 時に
神様 僕は 何を想出(おもいだ)したらよいんでしょ?

悲しい 夜更は 腐った花弁(はなびら)――

「道修山夜曲」
 
星の降るよな夜(よる)でした
松の林のその中に、
僕は蹲(しゃが)んでおりました。

星の明りに照らされて
折(おり)しも通るあの汽車は、
今夜何処(どこ)までゆくのやら。

松には今夜風もなく
土はジットリ湿ってる。
遠く近くの笹の葉も
しずもりかえっているばかり。

星の降るよな夜でした、
松の林のその中に
僕は蹲んでおりました。

「道化の臨終(Etude Dadaistique)」
空の下(もと)には 池があった。
その池の めぐりに花は 咲きゆらぎ、

天(あめ)が下(した)なる 「衛生無害」、
昔ながらの薔薇(ばら)の花、

野辺(のべ)の草葉に 盗賊の、
疲れて眠る その腰に、
隠元豆(いんげんまめ)の 刀あり、
これやこの 切れるぞえ、
と 戸の面(おもて)、丹下左膳(たんげさぜん)がこっち向き、

「初夏の夜に」
窓の彼方の、笹藪(ささやぶ)の此方(こちら)の、月のない初夏の宵(よい)の、空間……其処(そこ)に、
死児等(しじら)は茫然(ぼうぜん)、佇(たたず)み僕等を見てるが、何にも咎(とが)めはしない。

「道修山夜曲」は全文を載せました。
療養中の制作だから風景描写に植物(松の林、笹の葉)を取り入れているなどと
因果関係を言えるものではないはずですが
療養所の風景は歌うべくして歌われたことに違いありません。

森、林、草地……。
植物が集合している状態を表す語句を
植物としてピックアップするかどうか考えどころですが
できるだけ採りながらもケースバイケースとしました。

「生前発表詩篇」40篇のうち9篇に「花・草」が登場。
読んでいて、とても少ない感じがしました。

「花」は「聞こえぬ悲鳴」の「菫(すみれ)の花」と
「道化の臨終(Etude Dadaistique)」の「薔薇(ばら)の花」の2例だけでした。

発表詩は昭和5年から昭和12年にわたっていますが
裏返せば「メッセージ」や「主張」を盛り込んだり
叙情詩が多かったということに繋(つな)がるのかどうか――。
これも断言できるものではありません。

(つづく)

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2013年2月23日 (土)

ひとくちメモ・中原中也の草々花々(くさぐさはなばな)3「在りし日の歌」から

(前回からつづく)

「在りし日の歌」に現われる「花や草」(植物)を
ピックアップしていきます。

<在りし日の歌>

「含 羞(はじらい)」
        ――在りし日の歌――
 
なにゆえに こころかくは羞(は)じらう
秋 風白き日の山かげなりき
椎(しい)の枯葉の落窪(おちくぼ)に
幹々(みきみき)は いやにおとなび彳(た)ちいたり

枝々の 拱(く)みあわすあたりかなしげの
空は死児等(しじら)の亡霊にみち まばたきぬ
おりしもかなた野のうえは
あすとらかんのあわい縫(ぬ)う 古代の象の夢なりき

椎の枯葉の落窪に
幹々は いやにおとなび彳ちいたり
その日 その幹の隙(ひま) 睦(むつ)みし瞳
姉らしき色 きみはありにし

その日 その幹の隙 睦みし瞳
姉らしき色 きみはありにし
ああ! 過ぎし日の 仄(ほの)燃えあざやぐおりおりは
わが心 なにゆえに なにゆえにかくは羞じらう…… 
(注)原文には、「あすとらかん」に傍点がつけられています。 

※全文を載せました。「在りし日の歌」の巻頭詩のモチーフが
「椎(しい)の枯葉の落窪」「幹々」「枝々」であることに気づいて驚かされます。

「むなしさ」
白薔薇(しろばら)の 造花の花弁(かべん)
 凍(い)てつきて 心もあらず

「早春の風」
枯草(かれくさ)の音のかなしくて

青き女(おみな)の顎(あぎと)かと
 岡に梢(こずえ)のとげとげし

「月」
今宵(こよい)月は襄荷(みょうが)を食い過ぎている
済製場(さいせいば)の屋根にブラ下った琵琶(びわ)は鳴るとしも想(おも)えぬ
石灰の匂いがしたって怖(おじ)けるには及ばぬ
灌木(かんぼく)がその個性を砥(と)いでいる
姉妹は眠った、母親は紅殻色(べんがらいろ)の格子を締めた!

「三歳の記憶」
椽側(えんがわ)に陽があたってて、
樹脂(きやに)が五彩(ごさい)に眠る時、
柿の木いっぽんある中庭は、
土は枇杷(びわ)いろ 蝿(はえ)が唸(な)く。

「六月の雨」
またひとしきり 午前の雨が
菖蒲(しょうぶ)のいろの みどりいろ

「雨の日」
わたくしは、花弁(かべん)の夢をみながら目を覚ます。

「春」
春は土と草とに新しい汗をかかせる。

――薮かげの、小川か銀か小波(さざなみ)か?
薮(やぶ)かげの小川か銀か小波か?

「夏の夜」
――疲れた胸の裡を 花弁(かべん)が通る。

「幼獣の歌」
黒い夜草深い野にあって、
一匹の獣(けもの)が火消壺(ひけしつぼ)の中で
燧石(ひうちいし)を打って、星を作った。
冬を混ぜる 風が鳴って。

「秋の日」
 磧(かわら)づたいの 竝樹(なみき)の 蔭(かげ)に
秋は 美し 女の 瞼(まぶた)

「冷たい夜」
丘の上では
棉(わた)の実が罅裂(はじ)ける。

「冬の明け方」
――林が逃げた農家が逃げた、

「秋の消息」
麻(あさ)は朝、人の肌(はだえ)に追い縋(すが)り

「骨」
故郷(ふるさと)の小川のへりに、
半(なか)ばは枯れた草に立って、
見ているのは、――僕?

「秋日狂乱」
ポプラがヒラヒラヒラヒラしていて
子供等(こどもら)は先刻(せんこく)昇天した

その紫の押花(おしばな)はもうにじまないのか
草の上には陽は照らぬのか

「夏の夜に覚めてみた夢」
グランド繞(めぐ)るポプラ竝木(なみき)は
蒼々(あおあお)として葉をひるがえし

「春と赤ン坊」
菜の花畑で眠っているのは……
菜の花畑で吹かれているのは……
赤ン坊ではないでしょうか?

「雲 雀」
歩いてゆくのは菜の花畑
地平の方へ、地平の方へ

眠っているのは、菜の花畑に
菜の花畑に、眠っているのは
菜の花畑で風に吹かれて
眠っているのは赤ん坊だ? 

「思い出」
煉瓦工場は音とてもなく
裏の木立で鳥が啼いてた

煉瓦工場は、廃れて枯れて、
木立の前に、今もぼんやり
木立に鳥は、今も啼くけど
煉瓦工場は、朽ちてゆくだけ

※煉瓦工場と木立は、
切っても切れない関係にあって
「枯れる」「朽ちる」のです。

「残 暑」
樹々の梢は 陽を受けてたけど、
僕は庭木に 打水やった
    打水が、樹々の下枝の葉の尖(さき)に
    光っているのをいつまでも、僕は見ていた

「除夜の鐘」
それは寺院の森の霧った空……

「わが半生」
   外では今宵(こよい)、木の葉がそよぐ。
   はるかな気持の、春の宵だ。

「蜻蛉に寄す」
その石くれの 冷たさが
漸(ようや)く手中(しゅちゅう)で ぬくもると
僕は放(ほか)して 今度は草を
夕陽を浴びてる 草を抜く

抜かれた草は 土の上で
ほのかほのかに 萎(な)えてゆく

「ゆきてかえらぬ――京 都――」
 僕は此(こ)の世の果てにいた。陽(ひ)は温暖に降り洒(そそ)ぎ、風は花々揺っていた。

「言葉なき歌」
此処は空気もかすかで蒼(あお)く
葱(ねぎ)の根のように仄(ほの)かに淡(あわ)い

「月の光 その一」
お庭の隅の草叢(くさむら)に
隠れているのは死んだ児(こ)だ

「月の光 その二」
おおチルシスとアマントが
庭に出て来て遊んでる

ほんに今夜は春の宵(よい)
なまあったかい靄(もや)もある

月の光に照らされて
庭のベンチの上にいる
ギタアがそばにはあるけれど
いっこう弾き出しそうもない

芝生のむこうは森でして
とても黒々しています

おおチルシスとアマントが
こそこそ話している間

森の中では死んだ子が
蛍のように蹲(しゃが)んでる

※全文を掲載しました。
庭、芝生、ベンチ、森という景色に
不思議な遠近感があります。

「米 子」
二十八歳のその処女(むすめ)は、
肺病やみで、腓(ひ)は細かった。
ポプラのように、人も通らぬ
歩道に沿(そ)って、立っていた。

二十八歳のその処女(むすめ)は、
歩道に沿って立っていた、
雨あがりの午後、ポプラのように。
――かぼそい声をもう一度、聞いてみたいと思うのだ……
 
「正 午」
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな

「春日狂想」
まぶしくなったら、日蔭(ひかげ)に這入(はい)り、
そこで地面や草木を見直す。
苔(こけ)はまことに、ひんやりいたし、
いわうようなき、今日の麗日(れいじつ)。

「在りし日の歌」にも
「花」の登場は稀(まれ)でした。

それゆえ、
「むなしさ(白薔薇)」「菖蒲(六月の雨)」「菜の花(春と赤ン坊)」「桜(正午)」などの花が
鮮烈に刻まれます。

(つづく)

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2013年2月22日 (金)

ひとくちメモ・中原中也の草々花々(くさぐさはなばな)2「山羊の歌」から

(前回からつづく)

中原中也の詩に現われる「花や草」(植物)を
ピックアップしていきます。
どれほどの頻度で現われるのかを見ながら
どのように現われるか、なぜ現われるのかなど
若干の考察も交えてみましょう。

<山羊の歌>

「凄じき黄昏」
捲(ま)き起る、風も物憂(ものう)き頃(ころ)ながら、
草は靡(なび)きぬ、我はみぬ、
遐(とお)き昔の隼人等(はやとら)を。

「逝く夏の歌」
並木の梢(こずえ)が深く息を吸って、
空は高く高く、それを見ていた。

「夏の日の歌」
夏の空には何かがある、
いじらしく思わせる何かがある、
  焦(こ)げて図太い向日葵(ひまわり)が
  田舎(いなか)の駅には咲いている。

「夕 照」
原に草、
鄙唄(ひなうた)うたい
山に樹々(きぎ)、
老いてつましき心ばせ。

「ためいき」
木々が若い学者仲間の、頸(くび)すじのようであるだろう。

野原に突出(つきで)た山(やま)ノ端(は)の松が、私を看守(みまも)っているだろう。

「春の思い出」 
摘み溜(た)めしれんげの華(はな)を
  夕餉(ゆうげ)に帰る時刻となれば
立迷う春の暮靄(ぼあい)の
    土の上(へ)に叩きつけ

いまひとたびは未練で眺め
  さりげなく手を拍(たた)きつつ
路の上(へ)を走りてくれば
    (暮れのこる空よ!)

「少年時」 
麦田(むぎた)には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だった。

「盲目の秋」
その間(かん)、小さな紅(くれない)の花が見えはするが、
  それもやがては潰(つぶ)れてしまう。

私の青春はもはや堅い血管となり、
  その中を曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽とがゆきすぎる。

※人生の谷間のような時期に見えた「花」のようです。

「木 蔭」
神社の鳥居が光をうけて
楡(にれ)の葉が小さく揺すれる
夏の昼の青々した木蔭(こかげ)は
私の後悔を宥(なだ)めてくれる

「夏」
 
血を吐くような 倦(もの)うさ、たゆけさ
今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り
睡(ねむ)るがような悲しさに、み空をとおく
血を吐くような倦うさ、たゆけさ
空は燃え、畑はつづき
雲浮び、眩(まぶ)しく光り
今日の日も陽は炎(も)ゆる、地は睡る
血を吐くようなせつなさに。

「心 象」
松の木に風が吹き、
踏む砂利(じゃり)の音は寂しかった。
暖い風が私の額を洗い
思いははるかに、なつかしかった。

草靡く
丘を越え、野を渉(わた)り
憩(いこ)いなき
白き天使のみえ来ずや

※「木蔭」も「夏」も「心象」も、
連を丸ごと読んで「草」が重要なファクターであることがわかります。

「みちこ」 
そなたの胸は海のよう
おおらかにこそうちあぐる。
はるかなる空、あおき浪、
涼しかぜさえ吹きそいて
松の梢(こずえ)をわたりつつ
磯白々(しらじら)とつづきけり。

「つみびとの歌」
わが生(せい)は、下手な植木師らに
あまりに夙(はや)く、手を入れられた悲しさよ!

かくてこのあわれなる木は、
粗硬(そこう)な樹皮(じゅひ)を、空と風とに、
心はたえず、追惜(ついせき)のおもいに沈み、

懶懦(らんだ)にして、とぎれとぎれの仕草(しぐさ)をもち、
人にむかっては心弱く、諂(へつら)いがちに、かくて
われにもない、愚事(ぐじ)のかぎりを仕出来(しでか)してしまう。

※「わが生」が「このあわれなる木」と喩(たと)えられています。

「秋」
昨日まで燃えていた野が
今日茫然として、曇った空の下につづく。
一雨毎(ひとあめごと)に秋になるのだ、と人は云(い)う
秋蝉(あきぜみ)は、もはやかしこに鳴いている、
草の中の、ひともとの木の中に。

草がちっともゆれなかったのよ、
その上を蝶々(ちょうちょう)がとんでいたのよ。

「生い立ちの歌」
私の上に降る雪は
花びらのように降ってきます

「時こそ今は……」 
         時こそ今は花は香炉に打薫じ
                 ボードレール

時こそ今は花は香炉(こうろ)に打薫(うちくん)じ、
そこはかとないけはいです。
しおだる花や水の音や、
家路をいそぐ人々や。

いかに泰子(やすこ)、いまこそは
しずかに一緒に、おりましょう。
遠くの空を、飛ぶ鳥も
いたいけな情(なさ)け、みちてます。
いかに泰子、いまこそは
暮るる籬(まがき)や群青の
空もしずかに流るころ。
いかに泰子、いまこそは
おまえの髪毛なよぶころ
花は香炉に打薫じ、
 
※永遠の恋人・長谷川泰子は「花」そのものです。

「憔 悴」
汽車からみえる 山も 草も
空も 川も みんなみんな
やがては全体の調和に溶けて
空に昇って 虹となるのだろうとおもう……

「山羊の歌」を一気に読んでみましたが
文脈の中に根付いてしまっていることがほとんどで
花や草そのものだけを抽出することができません。

「花より草木」で草木の方が圧倒的に頻度が高いということがわかったのも
一つの大きな発見でした。

「花」が現われたのは、
「夏の日の歌」の向日葵(ひまわり)
「春の思い出」のれんげの華(はな)
「盲目の秋」の紅(くれない)の花、曼珠沙華(ひがんばな)
「時こそ今は……」でボードレールからとった「時こそ今は花は香炉に打薫じ」の「花」でした。

前回に見た
「春の夜」の一枝(ひとえだ)の花、桃色の花
「臨 終」の百合花(ゆりばな)を含めて
「山羊の歌」44篇中に「花」は6篇に登場するだけです。

(つづく)

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2013年2月21日 (木)

ひとくちメモ・中原中也の草々花々1(くさぐさはなばな)「山羊の歌」から

「色」「オノマトペ」「鳥獣虫魚」と見てきたのだから
勢いで「花や草」についても見ていくことにしました。

百科辞典を引き廻し
鳥の名や花の名や
みたこともないそれなんか
ひっぱり出して書いたって
――だがそれ程想像力があればね――

未発表詩篇・(テンピにかけて)に
こんなふうに書いた詩人は
すでにランボーの「酔いどれ船」を読んでいたのでしたか?

海を見たことのなかった少年ランボーが
海の一大スペクタクルを書き上げたことぐらい
富永太郎から聞かされていたのかもしれません。

辞書を引こうが
雑誌で見ようが
シネマで知ろうが
ニュースで読もうが
問題は想像力。
詩の言葉に変成できるかできないか――。
ザット・イズ・クエスチョン!

中原中也の技=マジックの現場を見ていきましょう。

<山羊の歌>

「春の夜」
燻銀(いぶしぎん)なる窓枠の中になごやかに
  一枝(ひとえだ)の花、桃色の花。

「朝の歌」
樹脂の香(か)に 朝は悩まし
  うしないし さまざまのゆめ、
森竝(もりなみ)は 風に鳴るかな

「臨 終」
  水涸(か)れて落つる百合花(ゆりばな)
  ああ こころうつろなるかな

「黄 昏」
渋った仄暗(ほのぐら)い池の面(おもて)で、
寄り合った蓮(はす)の葉が揺れる。
蓮の葉は、図太いので
こそこそとしか音をたてない。

なにが悲しいったってこれほど悲しいことはない
草の根の匂いが静かに鼻にくる、
畑の土が石といっしょに私を見ている。

「深夜の思い」
林の黄昏は
擦(かす)れた母親。
虫の飛交(とびか)う梢(こずえ)のあたり、
舐子(おしゃぶり)のお道化(どけ)た踊り。

波うつ毛の猟犬見えなく、
猟師は猫背を向(むこ)うに運ぶ。
森を控えた草地が
  坂になる!

「帰 郷」
柱も庭も乾いている
今日は好(よ)い天気だ
    椽(えん)の下では蜘蛛(くも)の巣が
    心細そうに揺れている

山では枯木も息を吐(つ)く
ああ今日は好い天気だ
    路傍(みちばた)の草影が
    あどけない愁(かなし)みをする

これが私の故里(ふるさと)だ
さやかに風も吹いている
    心置(こころおき)なく泣かれよと
    年増婦(としま)の低い声もする

ああ おまえはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云(い)う

ここまで見てきて
「朝の歌」の
森竝(もりなみ)は 風に鳴るかな――や
「深夜の思い」の
虫の飛交(とびか)う梢(こずえ)のあたり、――を採取するかしないかを迷い
「花と草」の詩へのなじみ方の「動物」との違いや
「花」と「草」の違いに気づきます。

風景として
「草」は地味の場合が多そうな予感がしますから
見過ごし勝ちになりますが
それをよく洩らさないように見ていきます。

「帰郷」を全文載せたのは
そういう意味も含めて

第1連で、椽の下では蜘蛛の巣が心細そうに揺れていて
第2連で、山で枯木が息を吐き、路傍の草影があどけない愁(かなし)みをする
第3連で、これらを「私の故里(ふるさと)だ」と歌うほどに
動物(=蜘蛛の巣)と草々(=枯木や草影)が主役(=ふるさと)だからです。
ふるさとを叙述するのに蜘蛛の巣と枯れ木と草影で足りているのです。

花々(はなばな)が主役になる場合は
たとえば「春の思い出」の冒頭連

摘み溜(た)めしれんげの華(はな)を
  夕餉(ゆうげ)に帰る時刻となれば
立迷う春の暮靄(ぼあい)の
    土の上(へ)に叩きつけ

――がすぐさま思い浮かびますが
これは意外に少ないケースであるかもしれません。

いや、断定できません。
それをこれから見ていくのですから。

今回は、初回につき、これまで。

(つづく)

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2013年2月20日 (水)

ひとくちメモ・鳥が飛ぶ虫が鳴く・中原中也の詩10「療養日誌・千葉寺雑記(1937年)」ほか

(前回からつづく)

未発表詩篇の残り「療養日誌・千葉寺雑記(1937年)」と
「草稿詩篇(1937年)」に出てくる鳥獣虫魚(動物)を見ましょう。
あと11篇です。

<療養日誌・千葉寺雑記(1937年)>

「雨が降るぞえ」
隣りの、牛も、もう寝たか、
ちっとも、藁(わら)のさ、音もせぬ。

牛も、寝たよな、病院の、宵、
たんたら、らららら、雨が、降る。

<草稿詩篇(1937年)>

「春と恋人」
蜆(しじみ)や鰯(いわし)を商(あきな)う路次の
びしょ濡れの土が歌っている時、

「夏と悲運」
大人となった今日でさえ、そうした悲運はやみはせぬ。
夏の暑い日に、俺は庭先の樹の葉を見、蝉を聞く。

動物だけを列記しますと、


蜆(しじみ)
鰯(いわし)

――となります。

草稿として残された「晩年の」1937年の詩篇に
「蝉」が現われるのも暗示的ですね。

蛙が声の限りを尽くして鳴くのに似て
蝉が鳴いているほかになんにもない! と「蝉」の中で歌われた蝉が
ここにも登場するのです。

(この項終わり)

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2013年2月19日 (火)

ひとくちメモ・鳥が飛ぶ虫が鳴く・中原中也の詩9・まとめらしきこと

(前回からつづく)

「草稿詩篇(1931年―1932年)」13篇
「ノート翻訳詩(1933年)」9篇
「草稿詩篇(1933年―1936年)」65篇を一気に読んでしまったので
ここですこし整理しておきましょう。

この三つのカテゴリー(分類)を合わせた87篇中に
動物に関する表記が登場する詩は36篇ありました。
1篇の詩に複数回の表記があっても1篇という計算です。
87篇中の36篇ということはおよそ4割強です。

この中から
生物学的分類に入らない「幽霊」などを除き
野兎色、鹿皮、蝦蟇口、馬車のような
動物が「喩(ゆ)」として利用されている表記を除き
自然の状態に人間の手が加えられた状態の
「乾蚫(ほしあわび)」や「蛙焼蛤貝(やきはまぐり)などを除外すると、

黒猫
三毛猫
サイオウが馬
白馬
とんぼ

小馬

梟(ふくろう)

蝉(せみ)
かねぶん

蝉(せみ)

鶏(にわとり)
涼虫(すずむし)
烏(からす)


野羊(やぎ)
こうもり


コオロギ
駱駝(らくだ)

――となります。

動物が動物として登場しているものだけを採集すると
27篇ということになります。
全体の3割強です。

「サイオウが馬」は単なる馬というより
固有名詞のような馬なので載せておきました。

※「サイオウが馬」は、人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)という故事熟語から取
ったものです。人間の幸不幸は予測ができない。幸が不幸に、不幸が幸にいつ転じてしまうかも
わからないものだから、安易に喜んだり悲しんだりしてはいけないという「喩=たとえ」です。

「黒猫」「三毛猫」の区別を排除し「馬」としたり
「白馬」「小馬」の区別を排除し「馬」としたりするのも
ここでは無意味になるようなので載せてあります。

詩人が鳥獣虫魚や花鳥風月を詩の中に使うとき
それは思いつきではなく
「詩の言葉」として通用するか否か
熟考に熟考を重ねた結果の選択であることが見えてきます。

使えば強いインパクトを与えますし
詩の生命に関わりますから
生半可(なまはんか)には使っていないのです。

蛙のような動物は
究極のところ
中原中也という詩人そのもののメタファーにさえなるのですし
こうもりが幽霊のメタファーになるように
ほかの動物たちの幾つかにも
そのような重大な役割があります。

(つづく)

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2013年2月18日 (月)

ひとくちメモ・鳥が飛ぶ虫が鳴く・中原中也の詩8「草稿詩篇(1933年―1936年)」ほか

(前回からつづく)

中原中也の未発表詩篇「早大ノート」の次には
「草稿詩篇(1931年―1932年)」13篇
次に「ノート翻訳詩(1933年)」9篇
次に「草稿詩篇(1933年―1936年)」65篇が配置されています。
これらに現われる鳥獣虫魚(動物)をピックアップしていきましょう。

<草稿詩篇(1931年―1932年)>

「三毛猫の主の歌える」
むかし、おまえは黒猫だった。
いまやおまえは三毛猫だ、

さは、さりながら、おまえ、遐日(むかし)の黒猫よ、

「Tableau Triste」
それは、野兎色(のうさぎいろ)のランプの光に仄照(ほのて)らされて、

「青木三造」
どうせ浮世はサイオウが馬
   チャッチャつぎませコップにビール

「脱毛の秋 Etudes」
女等はみな、白馬になるとみえた。

僕は褐色の鹿皮の、蝦蟇口(がまぐち)を一つ欲した。

「秋になる朝」
ほのしらむ、稲穂にとんぼとびかよい

「野兎色」や「鹿皮」や「蝦蟇口」は
ここに入れないほうがよいかもしれませんが
敢えて載せました。

<ノート翻訳詩(1933年)>

「蛙 声」
郊外では、
夜は沼のように見える野原の中に、
蛙が鳴く。
それは残酷な、
消極も積極もない夏の夜の宿命のように、
毎年のことだ。
郊外では、
毎年のことだ今時分になると沼のような野原の中に、
蛙が鳴く。
月のある晩もない晩も、
いちように厳かな儀式のように義務のように、
地平の果にまで、
月の中にまで、
しみこめとばかりに廃墟礼讃(はいきょらいさん)の唱歌(しょうか)のように、
蛙が鳴く。

(蛙等は月を見ない)
 
蛙等は月を見ない
恐らく月の存在を知らない
彼等(かれら)は彼等同志暗い沼の上で
蛙同志いっせいに鳴いている。
月は彼等を知らない
恐らく彼等の存在を思ってみたこともない
月は緞子(どんす)の着物を着て
姿勢を正し、月は長嘯(ちょうしょう)に忙がしい。
月は雲にかくれ、月は雲をわけてあらわれ、
雲と雲とは離れ、雲と雲とは近づくものを、
僕はいる、此処(ここ)にいるのを、彼等は、
いっせいに、蛙等は蛙同志で鳴いている。
 
(蛙等が、どんなに鳴こうと)
 
蛙等が、どんなに鳴こうと
月が、どんなに空の遊泳術に秀でていようと、
僕はそれらを忘れたいものと思っている
もっと営々と、営々といとなみたいいとなみが
もっとどこかにあるというような気がしている。
月が、どんなに空の遊泳術に秀でていようと、
蛙等がどんなに鳴こうと、
僕は営々と、もっと営々と働きたいと思っている。
それが何の仕事か、どうしてみつけたものか、
僕はいっこうに知らないでいる
僕は蛙を聴き
月を見、月の前を過ぎる雲を見て、
僕は立っている、何時(いつ)までも立っている。
そして自分にも、何時(いつ)かは仕事が、
甲斐のある仕事があるだろうというような気持がしている。
 
「Qu'est-ce que c'est?」
 
蛙が鳴くことも、
月が空を泳ぐことも、
僕がこうして何時(いつ)まで立っていることも、
黒々と森が彼方(かなた)にあることも、
これはみんな暗がりでとある時出っくわす、
見知越(みしりご)しであるような初見であるような、
あの歯の抜けた妖婆(ようば)のように、
それはのっぴきならぬことでまた
逃れようと思えば何時(いつ)でも逃れていられる
そういうふうなことなんだ、ああそうだと思って、
坐臥常住(ざがじょうじゅう)の常識観に、
僕はすばらしい籐椅子(とういす)にでも倚(よ)っかかるように倚っかかり、
とにかくまず羞恥(しゅうち)の感を押鎮(おしし)ずめ、
ともかくも和やかに誰彼(だれかれ)のへだてなくお辞儀を致すことを覚え、
なに、平和にはやっているが、
蛙の声を聞く時は、
何かを僕はおもい出す。何か、何かを、
おもいだす。
Qu'est-ce que c'est?

「孟夏谿行」
瀬の音は、とおに消えゆき
乗れる馬車、馬車の音のみ聞こえいるかも

「蛙 声」
(蛙等は月を見ない)
(蛙等が、どんなに鳴こうと)
「Qu'est-ce que c'est?」の4篇は全文を掲載しました。

蛙という動物が
生物の蛙以上の意味をもっている端的な例として。
象徴ということを考える材料として。
「在りし日の歌」の最終詩「蛙声」へ繋(つな)がる詩群として。

<草稿詩篇(1933年―1936年)>

(ああわれは おぼれたるかな)
けなげなる小馬の鼻翼

澄みにける羊は瞳

(とにもかくにも春である)
闇に梟(ふくろう)が鳴くということも

「虫の声」
夜が更(ふ)けて、
一つの虫の声がある。

此処、庭の中からにこにことして、幽霊は立ち現われる。

「怠 惰」
夏の朝よ、蝉(せみ)よ、

それどころか、……夏の朝よ、蝉よ、

目をつむって蝉が聞いていたい!――森の方……

「蝉」
蝉(せみ)が鳴いている、蝉が鳴いている
蝉が鳴いているほかになんにもない!

「夏過けて、友よ、秋とはなりました」
遠くの方の物凄い空。舟の傍(そば)では虫が鳴いていた。

暗い庭で虫が鳴いている、雨気を含んだ風が吹いている。

秋が来て、今夜のように虫の鳴く夜は、

「燃える血」
鳴いている蝉も、照りかえす屋根も、

「夏の記臆」
太っちょの、船頭の女房は、かねぶんのような声をしていた。

「童 謡」
象の目玉の、
汽笛鳴る。

「いちじくの葉」
その電線からのように遠く蝉(せみ)は鳴いている

蝉の声は遠くでしている

「朝」
雀が鳴いている
朝日が照っている
私は椿(つばき)の葉を想う

「夜明け」
夜明けが来た。雀の声は生唾液(なまつばき)に似ていた。

鶏(にわとり)が、遠くの方で鳴いている。――あれは悲しいので鳴くのだろうか?

鶏(とり)の声がしている。遠くでしている。人のような声をしている。

脣(くち)が力を持ってくる。おや、烏(からす)が鳴いて通る。

「朝」
雀の声が鳴きました

「咏嘆調」
「夕空霽(は)れて、涼虫(すずむし)鳴く。」

「秋岸清凉居士」
虫は草葉の下で鳴き、

草々も虫の音も焼木杭も月もレールも、

――虫が鳴くとははて面妖(めんよう)な

「月下の告白」
虫鳴く秋の此(こ)の夜(よ)さ一と夜

「別 離」
裏山に、烏(からす)が呑気(のんき)に啼いていた

「(なんにも書かなかったら)」
蜂だとて、いぬ、
小暗い、小庭に。

「僕が知る」
かの馬の静脈などを思わせる

それはひょっとしたなら乾蚫(ほしあわび)であるかもれない

「初恋集」
野原に僕の家(うち)の野羊(やぎ)が放してあったのを
あなたは、それが家(うち)のだとしらずに、

「月夜とポプラ」

木(こ)の下かげには幽霊がいる
その幽霊は、生れたばかりの
まだ翼(はね)弱いこうもりに似て、
而(しか)もそれが君の命を
やがては覘(ねら)おうと待構えている。
(木の下かげには、こうもりがいる。)
そのこうもりを君が捕って
殺してしまえばいいようなものの
それは、影だ、手にはとられぬ
而も時偶(ときたま)見えるに過ぎない。

「桑名の駅」
桑名の夜は暗かった
蛙がコロコロ鳴いていた

焼蛤貝(やきはまぐり)の桑名とは

「雲った秋」
棄てられた犬のようだとて。

犬よりもみじめであるかも知れぬのであり

猫が鳴いていた、みんなが寝静まると、

コオロギガ、ナイテ、イマス

イマハ、コオロギ、ナイテ、イマスネ

「砂 漠」
疲れた駱駝(らくだ)よ、

疲れた駱駝は、
         己が影みる。

「小唄二編」
象の目玉の、
汽笛鳴る。

「夏の夜の博覧会はかなしからずや」
女房買物をなす間、かなしからずや
象の前に余と坊やとはいぬ

広小路にて玩具を買いぬ、兎の玩具かなしからずや

「月夜とポプラ」も全文掲載しました。
「こうもりと幽霊」のメタファー(喩)は
「蛙」などと同じものです。
そのことを考えるだけでも意味がありそうですから。

「草稿詩篇(1933年―1936年)」65篇までを一気に
読んでしまいました。

動物を詩の中に登場させると
それだけでイメージのインパクトが強烈で
詩人は考え抜いた上で使っていることが見えてきた――というようなことは言えるでしょうか。

(つづく)

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2013年2月17日 (日)

ひとくちメモ・鳥が飛ぶ虫が鳴く・中原中也の詩7「早大ノート」から

(前回からつづく)

中原中也の「未発表詩篇」に現われる動物(鳥獣虫魚)を
「早大ノート」からピックアップしていきます。

「早大ノート」には
1930年から1937年の約8年間に作られた詩42篇が収録されています。
1930年は昭和5年で中也23歳
1937年は昭和12年で30歳、没年です。

<早大ノート(1930年―1937年)>

「干 物」
干物の、匂いを嗅(か)いで、うとうとと
秋蝉(あきぜみ)の鳴く声聞いて、われ睡(ねむ)る

「Qu'est-ce que c'est que moi?」
私のなかで舞ってるものは、
こおろぎでもない、
秋の夜でもない。

(吹く風を心の友と)
私がげんげ田を歩いていた十五の春は
煙のように、野羊(やぎ)のように、パルプのように、

(支那というのは、吊鐘の中に這入っている蛇のようなもの)
支那というのは、吊鐘(つりがね)の中に這入(はい)っている蛇のようなもの。
日本というのは、竹馬に乗った漢文句調、
いや、舌ッ足らずの英国さ。

日本はちっとも悪くない!
吊鐘の中の蛇が悪い!

「細 心」
そなたは豹にしては鹿、
鹿にしては豹(ひょう)に似ていた。

(汽笛が鳴ったので)
冗談じゃない、人間の眼が蜻蛉(とんぼ)の眼ででもあるというのかと、
昇降口では、二人の男が嬉しげに騒いでいた。

空は青く、飴色(あめいろ)の牛がいないということは間違っている。

(七銭でバットを買って)
山の中は暗くって、
顔には蜘蛛(くも)の巣が一杯かかった。

(僕達の記臆力は鈍いから)
あの頃は蚊が、今より多かったような気がする。

(南無 ダダ)
植木鉢も流れ、
    水盤も浮み、
 池の鯉はみな、逃げてゆく

(月の光は音もなし)
月の光は音もなし、
虫の鳴いてる草の上
月の光は溜(たま)ります

虫はなかなか鳴きまする
月ははるかな空にいて
見てはいますが聞こえない

虫は下界のためになき、
月は上界照らすなり、
虫は草にて鳴きまする。

やがて月にも聞えます、
私は虫の紹介者
月の世界の下僕(げぼく)です。

「こぞの雪今いずこ」
鴉声(あせい)くらいは聞けもすれ、
薄曇りせる、かの空を

文脈を排除して
動物だけを見ると、

秋蝉(あきぜみ)
こおろぎ
野羊(やぎ)


鹿
蜻蛉(とんぼ)

蜘蛛(くも)



鴉声(あせい)
――となります。

(つづく)

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2013年2月16日 (土)

ひとくちメモ/鳥が飛ぶ虫が鳴く・中原中也の詩6「ノート小年時」ほか

(前回からつづく)

中原中也の「未発表詩篇」に現われる鳥獣虫魚(動物)を
ピックアップしていきます。

「ノート1924」には
東京に出てきてから作った詩が幾つか記されています。
ダダが残りますが
明らかにダダを脱皮しつつある詩群です。

「浮浪歌」
アストラカンの肩掛(かたかけ)に
口角の出た叔父(おじ)につれられ

「無 題」
緋(ひ)のいろに心はなごみ
蠣殻(かきがら)の疲れ休まる

明らけき土の光に
浮揚する
   蜻蛉となりぬ

ダダが動物の登場で
ダダらしからぬものになって
「まともな詩」ができた感じがしませんか?

<草稿詩篇(1925年―1928年)>

「地極の天使」
 蜂の尾と、ラム酒とに、世界は分解されしなり。夢のうちなる遠近法、夏の夜風の小槌(こづち)の重量、それ等は既になし。

「無 題」
私は木の葉にとまった一匹の昆虫‥‥‥
それなのに私の心は悲しみで一杯だった。

「屠殺所」
屠殺所(とさつじょ)に、
死んでゆく牛はモーと啼(な)いた。
六月の野の土赫(あか)く、
地平に雲が浮いていた。

  道は躓(つまず)きそうにわるく、
  私はその頃胃を病(や)んでいた。

屠殺所に、
死んでゆく牛はモーと啼いた。
六月の野の土赫く、
地平に雲が浮いていた。
 
「夏の夜」
私の心はまず人間の生活のことについて燃えるのだが、
そして私自身の仕事については一生懸命練磨するのだが、
結局私は薔薇色の蜘蛛(くも)だ、夏の夕方は紫に息づいている。

「聖浄白眼」
曇った寒い日の葉繁みでございます。
眼瞼(まぶた)に蜘蛛がいとを張ります。

「冬の日」
外では雀が樋(とい)に音をさせて、
冷たい白い冬の日だった。

「秋の夜」
深い草叢(くさむら)に虫が鳴いて、
深い草叢を霧が包む。

20篇中の7篇に動物が登場していますが
これが多いといえるのか少ないのか。
なんともいえません。

「屠殺所」は全行を掲出しました。
こんな名作が早い時期に生まれているという例として。

<ノート小年時(1928年―1930年)>

「女 よ」
さて、そのこまやかさが何処(どこ)からくるともしらないおまえは、
欣(よろこ)び甘え、しばらくは、仔猫のようにも戯(じゃ)れるのだが、

「冷酷の歌」
夕は泣くのでございます、獣(けもの)のように。
獣のように嗜慾(しよく)のうごめくままにうごいて、
その末は泣くのでございます、肉の痛みをだけ感じながら。

「雪が降っている……」
捨てられた羊かなんぞのように
  とおくを、
雪が降っている、
  とおくを。

「夏と私」
真ッ白い嘆かいのうちに、
海を見たり。鴎(かもめ)を見たり。

「ノート小年時」はランボーの影響が漂うノートです。
ランボーの散文詩「少年時」を意識して
ノートのタイトルを「小年時」としたこともそうですが
中の「頌歌」はランボーの「感動(センサシオン)」のデフォルメといってもよさそうで
ほかにも影響を感じさせる詩がいくつかあります。

「頌歌」をここに引いておきます。

頌 歌
 
出で発(た)たん!夏の夜は
霧(きり)と野と星とに向って。
出で発たん、夏の夜は
一人して、身も世も軽く!

この自由、おお!この自由!
心なき世のいさかいと
多忙なる思想を放ち、
身に沁(し)みるみ空の中に

悲しみと喜びをもて、
つつましく、かつはゆたけく、
歌はなん古きしらべを

霧と野と星とに伴(つ)れて、
歌はなん、夏の夜は
一人して、古きおもいを!
    (一九二九・七・一三)

ついでにランボーの詩「Sensation(センサシオン)」も引いておきましょう。

感動
中原中也訳

私はゆかう、夏の青き宵は
麦穂臑(すね)刺す小径の上に、小草(をぐさ)を踏みに
夢想家・私は私の足に、爽々(すがすが)しさのつたふを覚え、
吹く風に思ふさま、私の頭をなぶらすだらう!

私は語りも、考へもしまい、だが
果てなき愛は心の裡(うち)に、浮びも来よう
私は往かう、遠く遠くボヘミヤンのやう
天地の間を、女と伴れだつやうに幸福に。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは( )の中に入れ、一部、新漢字を使用しました。編者。

「山羊の歌」や「在りし日の歌」などに収録された詩の
原詩(第1次形態)が「ノート小年時」には多々あります。
その間(はざま)にも名作がひっそり咲いているかのようなラインナップです。
「朝の歌」以後の詩ですから当然のことですが。

ぜひ、読んでみてください。

以上を動物だけを列記しておきます。

アストラカン
蠣殻(かきがら)
蜻蛉

昆虫‥‥‥

蜘蛛(くも)
蜘蛛


仔猫
獣(けもの)

鴎(かもめ)

(つづく)

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2013年2月15日 (金)

ひとくちメモ/鳥が飛ぶ虫が鳴く・中原中也の詩5「ノート1924」ほか

(前回からつづく)

中原中也の未発表詩篇に現われる鳥獣虫魚(動物)を見ていきましょう。

中原中也の詩で生前、没後を問わず発表された詩篇は「生前発表詩篇」。
それ以外は「未発表詩篇」としてまとめられています。

角川版全集は現在の第3次全集を「新編中原中也全集」としていますが
創元社版全集を含めると
戦後に4次の全集が発行されました。

「新編中原中也全集」を新全集と呼ぶ慣わしですが
この新全集の編集方針によって
それまで「未刊詩篇」として時系列に整理されていたものが
作品の残存形態(原稿用紙の種類など形)ごとに分類され
分類後にその中で制作順(時系列)に配列されて
「未発表詩篇」として再構築されました。

たとえば「早大ノート」には
1930年から1937年に制作された詩篇が記されてあります。
たとえば「草稿詩篇(1933年―1936年)」には
1933年から1936年に制作された詩篇がまとめられています。
この両者を分解して時系列で詩篇を配列した「未刊詩篇」(旧全集)の考え方を修正したのです。

未発表詩篇の制作は
中原中也の詩人活動の全年代にわたって残されてあります。

中には
なぜこの作品が発表されなかったのかと思える
名作が犇(ひしめ)いていますから
「山羊の歌」の詩人、「在りし日の歌」の詩人というイメージではとらえきれない
別の詩人の相貌(かお)を見ることができます。

「未発表詩篇」は
京都時代のダダイズム詩からはじまります。

<ダダ手帖(1923年―1924年)>

「ダダ音楽の歌詞」
ウワキはハミガキ
ウワバミはウロコ

オハグロは妖怪
下痢はトブクロ

<ノート1924(1924年―1928年)>

「想像力の悲歌」
その日蝶々の落ちるのを
夕の風がみていました

「春の夕暮」
ああ、案山子はなきか――あるまい
馬嘶(いなな)くか――嘶きもしまい

(題を附けるのが無理です)
寺院の壁にトンボがとまった

(テンピにかけて)
テンピにかけて
焼いたろか
あんなヘナチョコ詩人の詩
百科辞典を引き廻し
鳥の名や花の名や
みたこともないそれなんか
ひっぱり出して書いたって
――だがそれ程想像力があればね――
やい!
いったい何が表現出来ました?
自棄(やけ)のない詩は
神の詩か
凡人の詩か
そのどっちかと僕が決めたげます

(酒)
蜘蛛は五月雨(さみだれ)に逃げ場を失いました

犬が骨を……

(古る摺れた)
ガラスを舐(な)めて
蠅を気にかけぬ

(ツッケンドンに)
鳥の羽(はね)斜(はす)に空へ!……

雀の声は何という生唾液(ナマツバキ)だ!

(成 程)
蛙が鳴いて
一切がオーダンの悲哀だ

「真夏昼思索」
畳をポントケサンでたたいたら蝿が逃げて
声楽家が現れた 

「冬と孤独と」
私が路次(ろじ)の角に立った時小犬が走った

ここまでが「ノート1924」の中の京都時代の作品です。

「ダダ音楽の歌詞」の「ウワバミ」は蛇のこと。
飲兵衛(のんべえ=酒好き)の夫婦のことを「うわばみ夫婦」などと言うことがあります。

(テンピにかけて)は全行を引きました。
「へなちょこ詩人」を
ろくすっぽ知らないのに鳥や花の名前を辞書から引っぱるやからと批判した詩です。
花鳥風月へのダダイストのスタンスが述べられていて面白いので。

前後の詩句を排除すると

ウワバミ
妖怪
蝶々

トンボ

蜘蛛






小犬
――というような動物が現われたことになります。

(つづく)

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2013年2月14日 (木)

詩人・佐々木幹郎、居酒屋で中原中也を大いに語る・最終回

読売オンライン

詩人で「新編中原中也全集」の編集委員の佐々木幹郎さんが、YOMIURI ONLINEの企画で、東京・大森の居酒屋「酒処いっこう」で中原中也を語る最終回。動画付き。

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ひとくちメモ/鳥が飛ぶ虫が鳴く・中原中也の詩4「生前発表詩篇」から

(前回からつづく)
 
中原中也が発表(公開)した詩篇は、
詩集「山羊の歌」は生前発表、
詩集「在りし日の歌」は没後発表、
詩集のほかに新聞・雑誌(詩誌)に発表された詩篇は「生前発表詩篇」として整理されています。

この「生前発表詩篇」に現われる動物を列挙していきます。
短歌を除きます。

「暗い天候(二・三)」
犬が吠える、虫が鳴く、
   畜生(ちくしょう)! おまえ達には社交界も世間も、
ないだろ。着物一枚持たずに、
   俺も生きてみたいんだよ。

――やい、豚、寝ろ!

赤ン坊の泣声や、おひきずりの靴の音や、
昆布や烏賊(するめ)や洟紙(はながみ)や首巻や、

「夏と私」
真ッ白い嘆(なげ)かいのうちに、
海を見たり。鴎(かもめ)を見たり。

「寒い!」
小鳥も啼(な)かないくせにして
犬なぞ啼きます風の中。

「童 女」
飛行機虫の夢をみよ、
クリンベルトの夢をみよ。

眠れよ、眠れ、よい心、
おまえの眼(まなこ)は、昆虫だ。

「秋を呼ぶ雨」
秋を告げる雨は、夜明け前に降り出して、
窓が白む頃、鶏の声はそのどしゃぶりの中に起ったのです。

「北沢風景」
 僕は出掛けた。僕は酒場にいた。僕はしたたかに酒をあおった。翌日は、おかげで空が真空だ
った。真空の空に鳥が飛んだ。
 扨(さて)、悔恨(かいこん)とや……十一月の午後三時、空に揚(あが)った凧(たこ)ではない
か? 扨、昨日の夕べとや、鴫(しぎ)が鳴いてたということではないか?

「ひからびた心」
ひからびたおれの心は
そこに小鳥がきて啼(な)き
其処(そこ)に小鳥が巣を作り
卵を生むに適していた

「雨の朝」
上草履(うわぞうり)は冷え、
バケツは雀の声を追想し、
雨は沛然(はいぜん)と降っている。

「道化の臨終(Etude Dadaistique)」
君ら想(おも)わないか、夜毎(よごと)何処(どこ)かの海の沖に、
火を吹く龍(りゅう)がいるかもしれぬと。

雲雀(ひばり)は空に 舞いのぼり、
小児(しょうに)が池に 落っこった。

どうぞ皆さん僕という、
はてなくやさしい 痴呆症(ちほうしょう)、
抑揚(よくよう)の神の 母無(おやな)し子、
岬の浜の 不死身貝(ふじみがい)、

「夏」
戸外(そと)では蝉がミンミン鳴いた。

「初夏の夜に」
オヤ、蚊が鳴いてる、またもう夏か――

「童女」の「飛行機虫」がどのような虫かはわかっていません。
ゲンゴロウとかアメンボの類であろうという読みがあります。
「クリンベルト」もわかっていない語彙(ごい)の一つです。
グリーン・ベルトとかクリーン・ベルトとか。
想像して読むほかに手はありません。

「道化の臨終(Etude Dadaistique)」の「不死身貝(ふじみがい)」は、
詩人独特の「喩」(=たとえ)ですから実際には存在しないものですが
「貝」という動物であることは確かなので
ここには入れておきました。

「生前発表詩篇」は
昭和4年制作(推定)の「暗い天候(二、三)」が最も古く
昭和12年制作の「夏日静閑」が最も新しく
この期間に作られた詩が時系列で通覧できることになります。
もっとも「穴あき状態」ではありますが。

死去する年の昭和12年制作の詩「ひからびた心」や「夏」などには
まるで自己の死を予感していたかのような
死との親近があって息を飲まずにいられません。
ホラホラ、これが僕の骨だ、とはじまる有名な「骨」が昭和9年の制作です。

動物だけを列記すれば



昆布
烏賊(するめ)
鴎(かもめ)
小鳥
飛行機虫
昆虫


鴫(しぎ)
小鳥

龍(りゅう)
雲雀(ひばり)
不死身貝(ふじみがい)、


――となります。

傾向があるかどうか。
鳥類が多いような気もしますが。

(つづく)

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2013年2月13日 (水)

ひとくちメモ/鳥が飛ぶ虫が鳴く・中原中也の詩3「在りし日の歌」から

(前回からつづく)

中原中也の詩に現われる鳥獣虫魚(動物)は
「在りし日の歌」ではどのようであるかを次に見ていきます。
配列順に1行1行を追うだけで
新しい発見に繋(つな)がることもたまにはあります。

詩人自らが「在りし日の歌」巻末の後記で書いているように
「在りし日の歌」には「山羊の歌」以後に発表したものの過半数が収められています。

ということは、「在りし日の歌」の残りの半数近くは
「山羊の歌」以後のものではなく
「山羊の歌」の中の詩篇と同じ時期に作られたものということでもあります。

たとえば「月」「春」「夏の夜」などはかなり古くに作られた作品で
これらは大正14年から15年の制作と推定されています。

「含 羞(はじらい)」
おりしもかなた野のうえは
あすとらかんのあわい縫(ぬ)う 古代の象の夢なりき

「青い瞳」
陽(ひ)は霧(きり)に光り、草葉(くさは)の霜(しも)は解け、
遠くの民家に鶏(とり)は鳴いたが、

「三歳の記憶」
柿の木いっぽんある中庭は、
土は枇杷(びわ)いろ 蝿(はえ)が唸(な)く。

稚厠(おかわ)の上に 抱えられてた、
すると尻から 蛔虫(むし)が下がった。
その蛔虫が、稚厠の浅瀬で動くので
動くので、私は吃驚(びっくり)しちまった。

「春」
春は土と草とに新しい汗をかかせる。
その汗を乾かそうと、雲雀(ひばり)は空に隲(あが)る。

大きい猫が頸ふりむけてぶきっちょに
一つの鈴をころばしている、
一つの鈴を、ころばして見ている。

「幼獣の歌」
黒い夜草深い野にあって、
一匹の獣(けもの)が火消壺(ひけしつぼ)の中で
燧石(ひうちいし)を打って、星を作った。
冬を混ぜる 風が鳴って。

獣はもはや、なんにも見なかった。
カスタニェットと月光のほか
目覚ますことなき星を抱いて、
壺の中には冒瀆(ぼうとく)を迎えて。

雨後らしく思い出は一塊(いっかい)となって
風と肩を組み、波を打った。
ああ なまめかしい物語――
奴隷(どれい)も王女と美しかれよ。

     卵殻(らんかく)もどきの貴公子の微笑と
     遅鈍(ちどん)な子供の白血球とは、
     それな獣を怖がらす。

黒い夜草深い野の中で、
一匹の獣の心は燻(くすぶ)る。
黒い夜草深い野の中で――――
太古(むかし)は、独語(どくご)も美しかった!……

「冬の日の記憶」
昼、寒い風の中で雀(すずめ)を手にとって愛していた子供が、
夜になって、急に死んだ。

雀はどうなったか、誰も知らなかった。

「冬の明け方」
残(のこ)んの雪が瓦(かわら)に少なく固く
枯木の小枝が鹿のように睡(ねむ)い、

烏(からす)が啼(な)いて通る――
庭の地面も鹿のように睡い。

「冬の夜」
かくて夜(よ)は更(ふ)け夜は深まって
犬のみ覚めたる冬の夜は
影と煙草と僕と犬
えもいわれないカクテールです

「秋の消息」
陽光(ひかり)に廻(めぐ)る花々や
物蔭(ものかげ)に、すずろすだける虫の音(ね)や

「秋日狂乱」
ジオゲネスの頃には小鳥くらい啼(な)いたろうが
きょうびは雀(すずめ)も啼いてはおらぬ

蝶々はどっちへとんでいったか
今は春でなくて、秋であったか

「夏の夜に覚めてみた夢」
グランド繞(めぐ)るポプラ竝木(なみき)は
蒼々(あおあお)として葉をひるがえし
ひときわつづく蝉しぐれ

「雲 雀」
ひねもす空で啼(な)きますは
ああ 雲の子だ、雲雀奴(ひばりめ)だ

ピーチクチクと啼きますは
ああ 雲の子だ、雲雀奴だ

「初夏の夜」
また今年(こんねん)も夏が来て、
夜は、蒸気(じょうき)で出来た白熊が、
沼をわたってやってくる。

薄暮の中で舞う蛾(が)の下で
はかなくも可憐な顎をしているのです。

「北の海」
海にいるのは、
あれは人魚ではないのです。

「閑 寂」
板は冷たい光沢(つや)をもち、
小鳥は庭に啼いている。

土は薔薇色(ばらいろ)、空には雲雀(ひばり)
空はきれいな四月です。

「お道化うた」
星も降るよなその夜さ一と夜、
虫、草叢(くさむら)にすだく頃、

「思い出」
煉瓦工場は音とてもなく
裏の木立で鳥が啼いてた

鳥が啼いても煉瓦工場は、
ビクともしないでジッとしていた
鳥が啼いても煉瓦工場の、
窓の硝子は陽をうけていた

木立に鳥は、今も啼くけど
煉瓦工場は、朽ちてゆくだけ

「残 暑」
畳の上に、寝ころぼう、
蝿はブンブン 唸(うな)ってる

覚めたのは 夕方ちかく
まだかなかなは 啼いてたけれど

「蜻蛉に寄す」
あんまり晴れてる 秋の空
赤い蜻蛉(とんぼ)が 飛んでいる

「ゆきてかえらぬ」
さてその空には銀色に、蜘蛛(くも)の巣が光り輝いていた。

「一つのメルヘン」
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄(いままで)流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……

「また来ん春……」
おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫(にゃあ)といい
鳥を見せても猫だった
最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず 眺めてた

「月の光 その二」
森の中では死んだ子が
蛍のように蹲(しゃが)んでる
 
「春日狂想」
飴売爺々(あめうりじじい)と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒(ま)いて、

馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮(はなよめごりょう)。

「蛙 声」
天は地を蓋(おお)い、
そして、地には偶々(たまたま)池がある。
その池で今夜一(ひ)と夜(よ)さ蛙は鳴く……
――あれは、何を鳴いてるのであろう?

その声は、空より来(きた)り、
空へと去るのであろう?
天は地を蓋い、
そして蛙声(あせい)は水面に走る。

よし此(こ)の地方(くに)が湿潤(しつじゅん)に過ぎるとしても、
疲れたる我等(われら)が心のためには、
柱は猶(なお)、余りに乾いたものと感(おも)われ、

頭は重く、肩は凝(こ)るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走って暗雲(あんうん)に迫る。
 

「北の海」の「人魚」をここに載せるのには躊躇(ちゅうちょ)がありましたが
半身が魚ということで入れました。
「サイレン」を入れなかったのと矛盾するようですが
たいした理由はありません。
人魚は普通に「動物のような感じ」もあるかなという親近感で。
死児の亡霊や妖精などは採取しませんでした。

「幼獣の歌」「蛙声」は全行を載せました。
タイトルに動物を使っているものはほかにもありますが
内容にも詩人の「意味付与」が感じられるからです。

ややめずらしいものでは
「あすとらかんと象」の出てくる「含 羞(はじらい)」
「蛔虫(むし)」の出てくる「三歳の記憶」。

「あすとらかん」はアストラカンで
ロシアのアストラハン地方で産出される子羊の毛皮のことです。
詩人は「羊」には特別の関心をもち
第1詩集のタイトルを「山羊の歌」として
その中に章題「羊の歌」を設け
親友・安原喜弘への献呈詩を「羊の歌」としました。

詩人が羊年(ひつじどし)の生まれであり
「神の子羊」や「スケープ・ゴート」を名乗るのが気に入っていたことも知られています。

「蛔虫(むし)」というのは回虫のことで
「記憶以前」であるはずの3歳の時の隣家の引っ越しが
寂寥とか恐怖とか入り混じって記憶に残ったことが詩になりました。
回虫を詩のモチーフに使うなんて
めったにお目にかかれません。

前後の詩句を排除すると

あすとらかん

鶏(とり)
蝿(はえ)
蛔虫(むし)
雲雀(ひばり)

獣(けもの)
雀(すずめ)
鹿
烏(からす)
鹿


小鳥
雀(すずめ)
蝶々

雲雀奴(ひばりめ)
白熊
蛾(が)
人魚
小鳥
雲雀(ひばり)



かなかな
蜻蛉(とんぼ)
蜘蛛(くも)


猫(にゃあ)

鹿


馬車

――ということになります。

(つづく)

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2013年2月12日 (火)

ひとくちメモ/鳥が飛ぶ虫が鳴く・中原中也の詩2「山羊の歌」から

「山羊の歌」の詩に現われる鳥獣虫魚(動物)を見ていきます。

「深夜の思い」
虫の飛交(とびか)う梢(こずえ)のあたり、
舐子(おしゃぶり)のお道化(どけ)た踊り。
波うつ毛の猟犬見えなく、
猟師は猫背を向(むこ)うに運ぶ。

「帰 郷」
椽(えん)の下では蜘蛛(くも)の巣が
    心細そうに揺れている

「凄じき黄昏」
――雑魚(ざこ)の心を俟(たの)みつつ。

「逝く夏の歌」
山の端(は)は、澄(す)んで澄んで、
金魚や娘の口の中を清くする。
飛んで来るあの飛行機には、
昨日私が昆虫の涙を塗っておいた。

「夕 照」
少児(しょうに)に踏まれし
貝の肉。

「港市の秋」
むこうに見える港は、
蝸牛(かたつむり)の角(つの)でもあるのか

「ためいき」
神様が気層(きそう)の底の、魚を捕っているようだ。
空が曇ったら、蝗螽(いなご)の瞳が、砂土(すなつち)の中に覗(のぞ)くだろう。

「失せし希望」
今はた此処(ここ)に打伏(うちふ)して
  獣(けもの)の如くは、暗き思いす。

「みちこ」
午睡(ごすい)の夢をさまされし
牡牛(おうし)のごとも、あどけなく

「汚れっちまった悲しみに……」
汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘(かわごろも)

「無 題」
我利(がり)々々で、幼稚な、獣(けもの)や子供にしか、
彼女は出遇(であ)わなかった。おまけに彼女はそれと識らずに、

「更くる夜」
その上に月が明るみます、
と、犬の遠吠(とおぼえ)がします。

「秋」
秋蝉(あきぜみ)は、もはやかしこに鳴いている、
草の中の、ひともとの木の中に。

草がちっともゆれなかったのよ、
その上を蝶々(ちょうちょう)がとんでいたのよ。

あの人ジッと見てるのよ、黄色い蝶々を。

「修羅街輓歌」
私の青春も過ぎた、
――この寒い明け方の鶏鳴(けいめい)よ!

いま茲(ここ)に傷つきはてて、
――この寒い明け方の鶏鳴よ!
おお、霜にしみらの鶏鳴よ……
「羊の歌」
そのやさしさは氾濫(はんらん)するなく、かといって
鹿のように縮かむこともありませんでした

「憔 悴」
青空を喫(す)う 閑(ひま)を嚥(の)む
蛙(かえる)さながら水に泛(うか)んで

以上「山羊の歌」に登場する動物です。
文脈を無視して
動物だけを列記してみると……。


鰯(いわし)
牡蠣殻(かきがら)

小鳥
黒馬(くろうま)
軟体動物

猟犬
蜘蛛(くも)
雑魚(ざこ)
金魚
昆虫

蝸牛(かたつむり)

蝗螽(いなご)
獣(けもの)
牡牛(おうし)

獣(けもの)

秋蝉(あきぜみ)
蝶々(ちょうちょう
鶏鳴(けいめい)
鹿
蛙(かえる)
――となります。

なんと、「山羊の歌」の最終章の詩に
「蛙」が登場していました!
「在りし日の歌」の最終詩「蛙声」とすでにかすかに呼応しています!

<追記>

後で調べましたら
「憔悴」は「山羊の歌」中で
最も新しい制作(昭和7年2月)ということがわかりました。

詩集巻末部に
蛙(声)に擬(ぎ)した詩人としてのメッセージを盛り込むというポリシー(編集意図)が
「山羊の歌」の編集時に発想され
これは「在りし日の歌」の編集にも生かされたのです。
そのことを物語る証拠の一つがここにありました。

(つづく)

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2013年2月11日 (月)

ひとくちメモ/鳥が飛ぶ虫が鳴く・中原中也の詩

中原中也の詩をまだ読んでいない人
少しは読んだことのある人
これから初めて読もうとしている人
もう一度じっくり読んでみたい人
読もう読もうと思いながらもきっかけを掴めなかった人
文庫詩集を買った人
本棚の奥にしまい込んである人
むかし教科書で読んだだけの人
……

ビギン・ワンスモア!
ビギン・ビギナー!

こんな感じで「ひとくちメモ」を続けていきます。
「色の色々」「オノマトペ」に続いては
「鳥が飛ぶ 虫が鳴く 中原中也の詩」と題して
中原中也の詩に現われる動物を見ます。

角川版全集の配列にしたがって
鳥獣虫魚(ちょうじゅうちゅうぎょ)を順にピックアップするだけのことですが
気が向くまま赴(おもむ)くままに
感想を入れたり入れなかったりのメモに過ぎませんから
お気軽お気楽にお読み下さい。

ではさっそく「山羊の歌」から見ていきます。
現代かな遣いで表記します。
現われ方を見るために
行単位で、時には連を丸ごと取り上げるケースもあるでしょう。

「春の日の夕暮」
馬嘶(いなな)くか――嘶きもしまい

「サーカス」
観客様はみな鰯(いわし)
  咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と

「春の夜」
埋(うず)みし犬の何処(いずく)にか、
  蕃紅花色(さふらんいろ)に湧(わ)きいずる
      春の夜や。

「朝の歌」
小鳥らの うたはきこえず
  空は今日 はなだ色らし、

「臨 終」
秋空は鈍色(にびいろ)にして
黒馬(くろうま)の瞳のひかり

「秋の一日」
軟体動物のしゃがれ声にも気をとめないで、
紫の蹲(しゃが)んだ影して公園で、乳児は口に砂を入れる。

「秋の一日」の冒頭連に
こんな朝、遅く目覚める人達は
戸にあたる風と轍(わだち)との音によって、
サイレンの棲む海に溺れる。
――とある「サイレン」はギリシア神話やホメロスの「オデッセイア」に登場する上半身が女性、下
半身が鳥の姿をした魔物(女)。「鳥獣虫魚」や動物の類ではありません。「セイレーン」とか「シレ
ーヌ」とかと訳されることもあります。ウーウーウーの音を出す消防車のサイレンの語源でもあり、
神話のサイレンは美しい声で歌い、船人を誘惑します。オデッセウスがサイレンの誘惑を避けるた
めに自分をマストに縛りつけて通り過ごしたという有名な話が伝わります。

初回なので今回はこれまで。

(つづく)

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2013年2月10日 (日)

ひとくちメモ/中原中也のオノマトペ9「療養日誌・千葉寺雑記(1937年)」ほか

(前回からつづく)

「未発表詩篇」の残りの約半分は
「草稿詩篇(1931年―1932年)」
「ノート翻訳詩(1933年)」
「草稿詩篇(1933年―1936年)」
「療養日誌・千葉寺雑記(1937年)」
「草稿詩篇(1937年)」で
98篇の詩(一部短歌を含む)があります。

これらに出てくるオノマトペを
一気にピックアップします。

<草稿詩篇(1931年―1932年)>

「青木三造」
ゆらりゆらり
チャッチャ
とことん

「脱毛の秋 Etudes」
むっちり

「秋になる朝」
フラフラ

(辛いこった辛いこった!)
ガラガラ

「修羅街挽歌 其の二」
ギッタギダギダ

<ノート翻訳詩(1933年)>
キラキラ
ほのぼの

(土を見るがいい)
すっぽり

「小 景」
しずしず

<「草稿詩篇(1933年―1936年)」>

(風が吹く、冷たい風は)
チョコナン

(とにもかくにも春である)
チャンポン
パッパ、ガーラガラ、ハーシルハリウーウカ、ウワバミカー
        キシャヨ、キシャヨ、アーレアノイセイ

「虫の声」
にこにこ

「蝉」
うつらうつら
チラチラ

「夏」
ギラギラ
ゴボゴボ
サラサラ

「玩具の賦」
チャンチャラ
トット

「狂気の手紙」
フーッ

「咏嘆調」
ギョッ

「秋岸清凉居士」
ほのぼの
すっかり
ヒラヒラ
ガックリ
ブラリブラリ

「月下の告白」
とんと

「悲しい歌」
わあッ
ギョッ

「星とピエロ」
ぞろぞろ
ジッ

「誘蛾燈詠歌」
ほのぼの
ゴー

(なんにも書かなかったら)
くよくよ
ジット

「坊 や」
さらさらさら

「僕が知る」
ぐっ

「僕と吹雪」
カラカラ

「十二月(しわす)の幻想」
ウー
ウウウー

「大島行葵丸にて」
ポイ
ぐるりぐるり
ゆるり

「桑名の駅」
コロコロ

(秋が来た)
サラッ
うっすら

「雲った秋」
しょんぼり
ゆったり
ポトホト
ぼんやり
どんどん
まざまざ

「雲」
まざまざ
やんわり

「砂 漠」
ゆら

「一夜分の歴史」
バリバリ
ゆっくり

「断 片」
けろけろ
ゴー
まざまざ

「暗い公園」
ハタハタ

<療養日誌・千葉寺雑記(1937年)

「道修山夜曲」
ジットリ

<草稿詩篇(1937年)>

「春と恋人」
びしょ

「少女と雨」
しとしと
ジッ

「夏と悲運」
カンカン
すっかり

(嘗てはランプを、とぼしていたものなんです)
にっこり
ガタガタガタガタ

「四行詩」
ゆっくり

オノマトペのありそうな「お会式の夜」「蛙声」にありませんでした。
はじめ不思議に思えましたが
よく考えて納得できました。
テンテンツクとかゲロゲロとかのステロタイプを排しているのですね。

「野卑時代」の「ガッカリ」はオノマトペか
迷った末、入れませんでした。
こういうのが幾つかあったかもしれません。
その逆も。

(とにもかくにも春である)の
パッパ、ガーラガラ、ハーシルハリウーウカ、ウワバミカー
        キシャヨ、キシャヨ、アーレアノイセイ
――という呪文みたいな言葉に中には
きっとオノマトペがはいっていることでしょう。

(この項終わり)

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2013年2月 9日 (土)

ひとくちメモ/中原中也のオノマトペ8「早大ノート(1930年―1937年)

(前回からつづく)

「未発表詩篇」に出てくるオノマトペを
見ていきます。
「早大ノート」には42篇の詩が収められています。

<早大ノート(1930年―1937年)>

「干 物」
しろじろ
ちろちろ
うとうと

「いちじくの葉」
ごちゃごちゃ

「カフェーにて」
ちびちび
しょんぼり
ひえびえ

(休みなされ)
グサグサ
せかせか

「砂漠の渇き」
グルグル

(風のたよりに、沖のこと 聞けば)
しらじら

(ポロリ、ポロリと死んでゆく)
ポロリ、ポロリ

「コキューの憶い出」
あかあか

(七銭でバットを買って)
ガタガタ

(僕達の記臆力は鈍いから)
ニコニコ

(他愛もない僕の歌が)
カチカチ

「嬰 児」
ノオノオ

(宵に寝て、秋の夜中に目が覚めて)
ツト

「干 物」のオノマトペ「しろじろ」「ちろちろ」「うとうと」は
オノマトペではない「われわれ」「ひとびと」と共鳴し
韻律を作っています。

「いちじくの葉」のオノマトペ「ごちゃごちゃ」も
「黒々」の意味をもつ「くろぐろ」と呼応して
音韻を整え語呂をよくする役割を果たしています。

「カフェーにて」の「しょんぼり」はオノマトペか?
迷いましたが擬態語として入れました。
「ちびちび」「ひえびえ」と響きあっているようでもあります。

(風のたよりに、沖のこと 聞けば)の「そろそろ」は
オノマトペとして使う場合と
たんなる副詞として使う場合があり
ここではオノマトペではないと判断しました。

「夜空と酒場」の「だんだん」も
オノマトペではないでしょう。

42篇のうち13篇にオノマトペがありましたが
3割強が多いのか少ないのか
なんとも言えません。

(つづく)

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2013年2月 8日 (金)

ひとくちメモ/中原中也のオノマトペ7・草稿詩篇(1925年―1928年)~ノート少年時

(前回からつづく)

「未発表詩篇」に出てくるオノマトペを
ひろい続けます。

<草稿詩篇(1925年―1928年)>

「退屈の中の肉親的恐怖」
ホロッホロッ

「或る心の一季節――散文詩」
チョコン

「秋の愁嘆」
かしゃかしゃ
かすかす

「少年時」
にこにこ
いらいら

「夜寒の都会」
ずたずた

「無 題」
つるつる

「屠殺所」
モー

「夏の夜」
うっすり

「間奏曲」
ぽたっ

20篇のうち9篇に
オノマトペがありました。

ダダ詩が混ざっている詩篇群にしては
多くなりつつありますか。

次の「ノート少年時」16篇も見ておきましょう。

<ノート少年時>

「寒い夜の自我像」
いらいら

「冷酷の歌」
ろくろく

「湖上」
ポッカリ
ひたひた

ここでもまだオノマトペは
非常に少ないことがわかりました。

(つづく)

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2013年2月 7日 (木)

ひとくちメモ/中原中也のオノマトペ6「ノート1924」のダダ詩

(前回からつづく)

「未発表詩篇」に出てくるオノマトペは
オノマトペそのものだけを取り出していきます。

<ダダ手帖>
オノマトペはありません。

<ノート1924>

「不可入性」
ヒョッ

「自滅」
カシャカシャ

「春の夕暮」
ノメラン
ポトホト

意外なことに
ダダの詩にオノマトペはごくわずかでした。

オノマトペは
それ自体に意味を持たない場合がほとんどですから
「意味を隠すような詩」であるダダ詩には無用の長物なのかもしれません。

ですから「春の夕暮」の「ノメラン」と「ポトホト」は
大発見(大発明)だったということが逆にいえるということです。
もっといえばここ「ノート1924」に現われたオノマトペのすべてが
ダダ脱皮の萌芽(ほうが)であったと見ることもできるということです。

ダダイストとして出発した詩人は
オノマトペをわずかしか使わなかったのに
次第次第に使いこなすようになっていくのですから。

やがては「一つのメルヘン」で
「オノマトペの革命」を成し遂げてしまうのですから。

第1詩集「山羊の歌」のトップを「春の日の夕暮」とした理由の一つは
この詩のオノマトペが成功していると判断したからです。
その際に元の詩「春の夕暮」の「ノメラン」を「ヌメラン」と推敲しました。
このことは「山羊の歌」の完成期(編集期)には
詩人がオノマトペを重要な技と意識(自覚)していたことを証明しています。

(つづく)

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2013年2月 6日 (水)

詩人・佐々木幹郎、居酒屋で中原中也を大いに語る・その4

YOMIURI ONLINE(読売オンライン)
詩人で「新編中原中也全集」の編集委員の佐々木幹郎さんが、YOMIURI ONLINEの企画で、東京・大森の居酒屋「酒処いっこう」で中原中也を語る第4回。動画付き。

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ひとくちメモ/中原中也のオノマトペ5発表詩篇まとめ

(前回からつづく)

「山羊の歌」「在りし日の歌」「生前発表詩篇」と
中原中也が公開(発表)した詩に現われるオノマトペを
順にピックアップしてきました。

実際にどのように使われているのかを見るために
前後の詩句を丸ごと取り出しましたが
ここで発表詩篇のオノマトペだけをおさらいしておきます。
修飾と被修飾の関係など詩の流れを省略して見ておきます。

「山羊の歌」から。

「春の日の夕暮」
ヌメラン
ポトホト

「サーカス」
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
劫々(ごうごう)

「都会の夏の夜」
ラアラア

「黄 昏」
こそこそ

「ためいき」
パチン

「秋の夜空」
すべすべ

「少年時」
ギロギロ

「盲目の秋」
なみなみ
うねうね

「わが喫煙」
にょきにょき
わんわん
むっと

「雪の宵」
ふかふか

「憔 悴」
ゴミゴミゴミゴミ

「在りし日の歌」から。

「夜更の雨」
だらだら だらだら

「六月の雨」
しとしと

「春の日の歌」
うわあ うわあ

「湖 上」
ポッカリ
ヒタヒタ

「秋日狂乱」
ヒラヒラヒラヒラ
とろとろ

「雲雀」
ぐるぐるぐる
ピーチクチク
あーおい あーおい

「思い出」
ポカポカポカポカ

「残 暑」
ブンブン

「曇 天」
はたはた

「一つのメルヘン」
さらさら

「月の光 その二」
こそこそ

「村の時計」
ぜいぜい

「或る男の肖像」
そわそわ

「正 午」
ぞろぞろぞろぞろ
ぷらりぷらり
 
「春日狂想」
ゆるゆる
パラパラ
ぞろぞろ

「生前発表詩篇」から。

「嘘つきに」
ビクビク

「ピチベの哲学」
イライラ

「倦 怠」 
へとへと

「秋を呼ぶ雨」
へとへと
つるつる
だらだら

「漂々と口笛吹いて」
漂々(ひょうひょう)
ゆさゆさ
ひょろひょろ
すれすれ

「現代と詩人」
ゴミゴミ
さんさん

「郵便局」
ガラン
クスリ
どっか
すっかり
ジックリ

「幻 想」
すっかり

「かなしみ」
ほそぼそ
ながなが

「北沢風景」
ジックリ

「聞こえぬ悲鳴」
しらじらじら

「道修山夜曲」
ジットリ

「渓 流」
ビショビショ

「道化の臨終(Etude Dadaistique)」
あわあわあわ
ジッと

「夏」
ミンミン

末尾に「と」がつく場合が多いのは
副詞的(連用修飾)に使っているからでしょうか。
動詞を修飾する場合がほとんどです。
ここではその「と」を略しました。

「する」「の」をつけて形容詞(連体修飾)として使う場合もありますし
「ビクビクする」「イライラする」のように動詞としても使われています。
ここでは「する」「の」も省略しました。
そのほうがくっきりと見えてくるものがありそうだからです。

「冬の雨の夜」のaé ao, aé ao, éo, aéo éo! は
オノマトペに分類するのは無理とわかりましたので削除します。
ほかにも無理矢理オノマトペとして採取したものがあるかもしれません。
その逆もあるかもしれません。

(つづく)

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2013年2月 5日 (火)

ひとくちメモ/中原中也のオノマトペ4「生前発表詩篇」から

(前回からつづく)

「さめざめ」とか「しみじみ」とかはオノマトペか
「青々と」「白々と」「赤々と」「黒々と」はなぜオノマトペではないか
「ときどき」「しばしば」は? 
「寒々と」「ほのぼの」「ほそぼそ」「ながなが」は?
「おずおず」「なかなか」は?
――などと基本的な疑問をクリアしながら
ときには判断停止し留保しながらも先に進みます。

「ぱみゅぱみゅ」みたいな独創(造語)が
イキイキするところがオノマトペの自在な領域ですから
「ゆあーん」とか「ギロギロ」を現代詩の中に持ち込んだ詩人が
先進的だったことは確かなことで
だからといって無闇(むやみ)にこれを使う危険についても自覚していたようです。

オノマトペがピタリと決まれば
その詩を食ってしまうほどの威力があるので
食われてしまっては困る場合があるからです。
しっかり手綱(たづな)を握っていなければなりません。

この点は
「はたはた」(曇天)
「さらさら」(一つのメルヘン)
「ぞろぞろ」(正午)
――のようなありきたりのオノマトペを取り出して
生命(いのち)を吹き込んだ「技」に表れています。
これらの詩がオノマトペそのものの威力に負っているものではないことが
それを証明しています。

「一つのメルヘン」のオノマトペは
奇跡とさえいえるものです。

「生前発表詩篇」に出てくるオノマトペを見ていきます。

「嘘つきに」
そのくせビクビクしながら、面白半分(おもしろはんぶん)ばかりして、
それにまことしやかな理窟(りくつ)をつける。

「ピチベの哲学」
イライラしている時にはイライラ、
のんびりしている時にはのんびり、

「倦 怠」 
へとへとの、わたしの肉体(からだ)よ、
まだ、それでも希望があるというのか?

「秋を呼ぶ雨」
僕はもうへとへとなって、何一つしようともしませんでした。

トタンは雨に洗われて、裏店の逞(たくま)しいおかみを想(おも)わせたりしました。
それは酸っぱく、つるつるとして、尤(もっと)も、意地悪でだけはないのでした。
雨はそのおかみのうちの、箒(ほうき)のように、だらだらと降続(ふりつづ)きました。
雨はだらだらと、だらだらと、だらだらと降続きました。

だらだらとだらだらと、降続くこの不幸は、
もうやむものとも思えない、秋告げるこの朝の雨のように降るのでした。

「漂々と口笛吹いて」
漂々(ひょうひょう)と 口笛吹いて 地平の辺(べ)
  歩き廻(まわ)るは……
一枝(ひとえ)の ポプラを肩に ゆさゆさと
葉を翻(ひるが)えし 歩き廻るは
褐色(かちいろ)の 海賊帽子(かいぞくぼうし) ひょろひょろの
ズボンを穿(は)いて 地平の辺
  森のこちらを すれすれに
目立たぬように 歩いているのは

「現代と詩人」
さて希望を失った人間の考えが、どんなものだか君は知ってるか?
それははや考えとさえ謂(い)えない、ただゴミゴミとしたものなんだ。

さんさんと降りそそぐ陽光の中で、戸口に近く据(す)えられた食卓のことをかんがえる。

「郵便局」
私は今日郵便局のような、ガランとした所で遊んで来たい。

局員がクスリと笑いながら、でも忙しそうに、言葉をかけた私の方を見向きもしないで事務を取り
つづけていたら、

ストーブの煙突孔(えんとつこう)でも眺めながら、椅子の背にどっかと背中を押し付けて、

すっかり好(い)い気持になってる中に、日暮(ひぐれ)は近づくだろうし、

帰ってから今日の日の疲れを、ジックリと覚えなければならない私は、

「幻 想」
すっかり夜が更けると、大地は、此の瓢亭(ひょうてい)が載っかっている地所だけを残して、すっ
かり陥没(かんぼつ)してしまっていた。

空は晴れ、大地はすっかり旧に復し、野はレモンの色に明(あか)っていた。

「かなしみ」
悲しみばかり藍(あい)の色、ほそぼそとながながと朝の野辺空(のべそら)の涯(はて)まで、うち
つづくこの悲しみの、

「北沢風景」
車を挽(ひ)いて百姓(ひゃくしょう)はさもジックリと通るのだし、

「聞こえぬ悲鳴」
噛(か)んでも 噛んでも 歯跡もつかぬ
それで いつまで 噛んではいたら
しらじらじらと 夜は明けた

「道修山夜曲」
松には今夜風もなく
土はジットリ湿ってる。

「渓 流」
ビショビショに濡(ぬ)れて、とれそうになっているレッテルも、
青春のように悲しかった。

「道化の臨終(Etude Dadaistique)」
小児は池に仰向(あおむ)けに、
池の縁(ふち)をば 枕にて、
あわあわあわと 吃驚(びっくり)し、
空もみないで 泣きだした。

風に揺られる 雑草を、
ジッと瞶(みつ)めて おりました。

「夏」
戸外(そと)では蝉がミンミン鳴いた。

「生前発表詩篇」のオノマトペに
これといった特徴(傾向)があるとは思えません。

普通一般に使われるオノマトペが
詩の中でも普通に使われていることくらいは見えました。

(つづく)

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2013年2月 4日 (月)

ひとくちメモ/中原中也のオノマトペ3「在りし日の歌」から

(前回からつづく)

「在りし日の歌」に出てくるオノマトペをひろっていきます。

「夜更の雨」
雨は 今宵(こよい)も 昔 ながらに、
  昔 ながらの 唄を うたってる。
だらだら だらだら しつこい 程だ。

「六月の雨」
たちあらわれて 消えゆけば
うれいに沈み しとしとと
畠(はたけ)の上に 落ちている
はてしもしれず 落ちている

「春の日の歌」
午睡(ごすい)の 夢の ふくよかに、
野原の 空の 空のうえ?
うわあ うわあと 涕(な)くなるか

「湖 上」
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けましょう。
波はヒタヒタ打つでしょう、
風も少しはあるでしょう。

「秋日狂乱」
今日はほんとに好いお天気で
空の青も涙にうるんでいる
ポプラがヒラヒラヒラヒラしていて
子供等は先刻昇天した

ではああ、濃いシロップでも飲もう
冷たくして、太いストローで飲もう
とろとろと、脇見もしないで飲もう
何にも、何にも、求めまい!……

「雲雀」
碧(あーお)い 碧い空の中
ぐるぐるぐると 潜りこみ
ピーチクチクと啼きますは
ああ 雲の子だ、雲雀奴だ

歩いてゆくのは菜の花畑
地平の方へ、地平の方へ
歩いてゆくのはあの山この山
あーおい あーおい空の下

「思い出」
沖の方では波が鳴ろうと、
私はかまわずぼんやりしていた。
ぼんやりしてると頭も胸も
ポカポカポカポカ暖かだった

ポカポカポカポカ暖かだったよ
岬の工場は春の陽をうけ、
煉瓦工場は音とてもなく
裏の木立で鳥が啼いてた

「残 暑」
畳の上に、寝ころぼう、
蝿はブンブン 唸ってる

「曇 天」
 ある朝 僕は 空の 中に、
黒い 旗が はためくを 見た。
 はたはた それは はためいて いたが、
音は きこえぬ 高きが ゆえに。

 手繰(たぐ)り 下ろそうと 僕は したが、
綱(つな)も なければ それも 叶(かな)わず、
 旗は はたはた はためく ばかり、
空の 奥処(おくが)に 舞い入る 如(ごと)く。

 かかる 朝(あした)を 少年の 日も、
屡々(しばしば) 見たりと 僕は 憶(おも)う。
 かの時は そを 野原の 上に、
今はた 都会の 甍(いらか)の 上に。

 かの時 この時 時は 隔つれ、
此処(ここ)と 彼処(かしこ)と 所は 異(ことな)れ、
 はたはた はたはた み空に ひとり、
いまも 渝(かわ)らぬ かの 黒旗よ。

「一つのメルヘン」
秋の夜(よ)は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。

陽といっても、まるで硅石(けいせき)か何かのようで、
非常な個体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄(いままで)流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……

「月の光 その二」
おおチルシスとアマントが
こそこそ話している間

「村の時計」
時を打つ前には、
ぜいぜいと鳴った

「或る男の肖像」
剃(そ)りたての、頚条(うなじ)も手頸(てくび)も
どこもかしこもそわそわと、
寒かった。

「正 午」
       丸ビル風景  
ああ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
月給取(げっきゅうとり)の午休(ひるやす)み、ぷらりぷらりと手を振って
あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口
空はひろびろ薄曇(うすぐも)り、薄曇り、埃(ほこ)りも少々立っている
ひょんな眼付(めつき)で見上げても、眼を落としても……
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
ああ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口
空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな
 
「春日狂想」
神社の日向(ひなた)を、ゆるゆる歩み、
知人に遇(あ)えば、にっこり致(いた)し、
飴売爺々(あめうりじじい)と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒(ま)いて、

参詣人等(さんけいにんら)もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。

一気に「在りし日の歌」を通し読みしてしまいました。

「雲雀」の中に
碧(あーお)い 碧い空の中
あーおい あーおい空の下
――とあり
ぐるぐるぐると
ピーチクチクと
――というオノマトペと混乱しそうになります。

あーおい あーおい、とルフランにし平がなにしたことで
限りなくオノマトペに近い「形容詞」が演出されているように感じられますが
文法的にはこれはオノマトペではないでしょう。

詩の言葉のルールをギリギリまで守りながら
文法より詩が大事と
詩人は最後に言うでしょうが。

繰り返し(ルフラン)にすればただちにオノマトペになるものではありませんが
とおくとおく(言葉なき歌)
寒い寒い 流れ流れて(冬の長門峡)
――なども形容詞の繰り返しがオノマトペ効果を生んでいます。

オノマトペでなくとも
ひえびえ(秋の消息)
ホラホラ(骨)
しらじら(骨)
いよいよ(秋日狂乱)
やれやれ(夏の夜に覚めてみた夢)
――のような形容詞・副詞、間投詞もあります。

「曇天」「一つのメルヘン」「正午」の3作は
全行を載せました。
これらの詩には、「オノマトペの技」の極致といってもよいものが見られます。
いわば「オノマトペ3部作」です。

「曇天」から「一つのメルヘン」へ
「一つのメルヘン」から「正午」へ。
中原中也が詩境を極めていった軌跡の
頂上部のホップ=ステップ=ジャンプがここにあり
その詩法のコア(中核)にあるのがルフランとオノマトペです。

(つづく)

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2013年2月 3日 (日)

詩人・佐々木幹郎、居酒屋で中原中也を大いに語る・第3回

YOMIURI ONLINE(読売オンライン)

詩人で「新編中原中也全集」の編集委員の佐々木幹郎さんが、YOMIURI ONLINEの企画で、東京・大森の居酒屋「酒処いっこう」で中原中也を語る第3回。動画付き。

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ひとくちメモ/中原中也のオノマトペ2「山羊の歌」後半部から

(前回からつづく)

「山羊の歌」に出てくるオノマトペを
後半部「少年時」「みちこ」「秋」「羊の歌」と章順に見ていきます。

「少年時」
私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦(あきら)めていた……
噫(ああ)、生きていた、私は生きていた!

「盲目の秋」
それはしずかで、きらびやかで、なみなみと湛(たた)え、
  去りゆく女が最後にくれる笑(えま)いのように、

いきなり私の上にうつ俯(ぶ)して、
それで私を殺してしまってもいい。
すれば私は心地よく、うねうねの暝土(よみじ)の径(みち)を昇りゆく。

「わが喫煙」
おまえのその、白い二本の脛(すね)が、
  夕暮(ゆうぐれ)、港の町の寒い夕暮、
にょきにょきと、ペエヴの上を歩むのだ。

わんわんいう喧騒(どよもし)、むっとするスチーム、
  さても此処(ここ)は別世界。

「雪の宵」
ふかふか煙突(えんとつ)煙吐(けむは)いて、
赤い火の粉(こ)も刎(は)ね上る。

「憔 悴」
そして理窟(りくつ)はいつでもはっきりしているのに
気持の底ではゴミゴミゴミゴミ懐疑(かいぎ)の小屑(おくず)が一杯です。

ギロギロする目
――が飛び抜けて強いインパクトを放っています。

うねうねの暝土(よみじ)の径(みち)
わんわんいう喧騒(どよもし)
ゴミゴミゴミゴミ懐疑(かいぎ)の小屑(おくず)
――も味わいがありますね。

にょきにょきと、
――が、恋人・泰子の足の形容に使われているのも面白い。

使う数はそれほど多くはないことが確認できました。
今回はここまで。

(つづく)

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2013年2月 2日 (土)

ひとくちメモ/中原中也のオノマトペ「山羊の歌」前半部から

「色の詩人」であった中原中也は
詩の中にそして詩の外で
「音の詩人」としてもさまざま試みています。

外というのは
たとえば朗読、たとえば音楽集団「スルヤ」との交渉……。
中というのは
詩作になくてはならないほどの「技」として
語呂・語感・語勢を大切にしたり
韻律・音数律を駆使したり、
「ルフラン」や「オノマトペ」を多用していることなどです。

「色の色々」をピックアップした勢いで
今度はこの「オノマトペ」を見ていきます。
「色」が詩の全体から独立していることがなかったように
「オノマトペ」は詩全体の一部であり
詩の肉であり骨であり血であることさえありますから
これだけを取り出すことはナンセンスかもしれませんが
それをやります。

どのようなオノマトペがあったかな――
うろ覚えですっきりしないな――
一度頭の中を整理しておきたいな――
おさらいしておきたいな――
もう一度読み返したいな――
ビギン・ワンス・モア。
ビギナー・アゲイン。
再入門のつもり。

「文学」や「学問」や「研究」から遠く離れて
ひたすらにひたすらに「遊び」ですので
お気軽にお気楽にお読みください。

オノマトペとは
日本語では「擬態語」とか「擬音語」をひっくるめた「擬声語」の総称です。
音・声・ものごとの状態・心情などを具体的に感覚的に表す修辞法(レトリック)の一つ。
声喩(せいゆ)という場合もあり、喩(メタファー)の一つでもあります。
オノマトペには、ルフランが含まれているケースが多々あります。

語源は古代ギリシア語。
フランス語onomatopéeの発音ɔnɔmatɔpeがオノマトペに近いようです。


さっそく「山羊の歌」から拾っていきます。
370の詩篇を猛スピードで眺めることになるかもしれませんが
ここでもぶっつけ本番です。
寄り道するかもしれませんし
さっさと終わってしまうかもしれません。

「色」の場合は前後を無視して
「色」だけをフェティッシュ(即物的)に採取しましたが
「オノマトペ」は前後にも目を配ります。

ここでも「現代かな表記」にします。

「春の日の夕暮」
ただただ月のヌメランとするままに
従順なのは 春の日の夕暮か

ポトホトと野の中に伽藍(がらん)は紅(あか)く
荷馬車の車輪 油を失い

「サーカス」
頭倒(あたまさか)さに手を垂れて
  汚れ木綿(もめん)の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

観客様はみな鰯(いわし)
  咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

屋外(やがい)は真ッ闇(くら) 闇の闇
      夜は劫々(ごうごう)と更けまする
      落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジアと
      ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

「都会の夏の夜」
頭が暗い土塊(つちくれ)になって、
ただもうラアラア唱ってゆくのだ。

「黄 昏」
蓮の葉は、図太いので
こそこそとしか音をたてない。

「ためいき」
瘴気(しょうき)の中で瞬(まばた)きをするであろう。
その瞬きは怨めしそうにながれながら、パチンと音をたてるだろう。

「秋の夜空」
すべすべしている床の上、
金のカンテラ点(つ)いている。

以上「初期詩篇」を見ました。

ヌメランと
ポトホトと
劫々(ごうごう)と
ゆあーん ゆよーん
ラアラア
こそこそ
――などが際立っています。

「劫々と」は「こうこう」と読む人と
「ごうごう」と読む人に分かれます。
「こそこそ」は、擬音語カサカサがかぶさります。
ほかは、中原中也の独壇場。

意外に数は少ないのかもしれません。
今回はここまで。

(つづく)

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